ホルガ村で祝祭に参加した その1

またしても久しぶりですね。神谷です。

ミッドサマーの感想を書いてたんですけども。
いっぺんに全部書くと大長編ドラえ○んになる上に、話題があっちこっちして飽きてしまうことに気がつきまして。
話題を絞っていくつか記事を書くことにしましたよ。ええ。

ネタバレだらけだから気をつけてね!

狂気の演出の話~ホルガ村夏至祭レビューその1~

ツイッター感想でいくと
・お花がいっぱい、おはなさんがうごく
・どこまでが正気かわからない演出が秀逸
・音に対するこだわりが最高
ここ二つの長文まとめになります。

この映画、ホルガ村の手前に到着してからずっと、登場人物たちは軒並みトリップ状態である。

到着するなりマリファナと怪しいキノコ茶でトリップ、その後も食事の度に酒らしき怪しい液体を飲まされ続けている。
メイクイーンを決めるダンスバトルの時の黄色い液体は言うまでもない。

つまりこの作品、スウェーデンに入ってからは、主要登場人物がどこまで正気なのかサッパリ分からないのである。

それに加え、この映画は視聴者を完全な傍観者にはしてくれない。
画面を注視しているだけで、視聴者も一緒にバッドトリップ、狂気に巻き込む作品なのである。

画面の中の花や植物に注目していただきたい。
これ、よく見ていると動いているのである。呼吸をするかのようにぱくぱくと、花がうごめく。
おそらく、トリップしている人間と似たものを見せられていると思われる。

一体どこまでが正気で、どこからがトリップなのか。
正直な話、この話全てがバッドトリップで、実は主要人物達は全員トリップ中に山奥のカルトに惨殺されている、といわれても納得する。
逆に、全てが彼らの白昼夢であり、本当は何も起こっていない、と言われても納得する。

主要人物たちも、我々も、深い狂気にまかれ、何が現実で何が非現実なのか
何が正気で何が狂気なのか、分からないまま作品が進み、終わっていく。

これを際立たせる演出が、この作品における音の扱いである。

多くの恐怖映画は、視覚、聴覚両方で恐怖を与えるために、「怖い音」を入れる。
化け物の声であるとか、殺される人間の悲鳴、殴打音などなど。
個人的に、これらの演出は洋画ホラーの方が過剰であるように思う。
これによって、視聴者は驚き、恐怖する。

ミッドサマー、この音の使い方が絶妙にうまい。

人々を狂気から覚ましたくないシーンでは、「怖い音」を徹底的に排除し、
狂気から引きずり出し、それが現実だと知らしめたいシーンでは、むしろ普通は使われない音が使われる。

たとえば。

ホルガ村序盤、足から落ちたために死にきれなかったじいさんの頭を潰すシーン。
一発目はぐしゃり、という音をきちんと入れて、じいさんの死が現実であることを焼き付ける。
しかし、二発目からは音が消される。恐怖を和らげることで、観客を狂気から逃がさない仕掛けだ、と言ったのはうちの彼氏であるが、その通りだと思う。
ここで音が入れば、観客の中には目をそらし、耳を塞いで狂気から脱出してしまう者が現れるだろう。
音が消えることによって、観客を逃がさないのである。

続いて、主要人物であるジョシュが、聖典を撮影したがために殴り殺されるシーン。
殴られた時のバキ、という音もなかなかにびっくりするが、問題はここから。
一回目の視聴では何かわからなかったが、ここで呼吸音のような、吸い込む形の悲鳴のような声が聞こえる。
人の感想等を読んでいると、どうもこれ、ジョシュの死戦期呼吸であるらしいのだ
(※死戦期呼吸=人が死にかけている時にする異常な呼吸。デスボとか伽椰子の声みたいな感じ。この呼吸はすでに呼吸ではなく、この状態になると心肺蘇生が必要)

ホラー映画をそこそこ見ているが、犠牲者の死戦期呼吸は初めて聞いた。
これによって、ジョシュが助からない、ここで殺される、もう生きてはいないという絶望感が深く刻まれる。
ジョシュの退場が、強い現実感をもって知らされるのである。

そして最後のシーン。生け贄とともに神殿が燃やされるシーン。
生け贄を志願した村人の一人に火が移り、焼け死ぬシーンでは彼の悲鳴と悶絶が思いっきり描かれる。
これによって観客は、一瞬ホルガに疑いを持たされる。これによって、ラストのダニーの意味深な笑みの恐怖感が増す。
しかし、これはあくまでスパイスであり、観客を狂気に戻す必要がある。
そのため、燃えさかる神殿と美しい音楽が流され、生け贄たちが炎によって燃え落ちる様が、芸術的に描かれる。

ただ、ここでよく耳をすましてほしい。
音楽の後ろ、かすかにクリスチャンの断末魔が聞こえるのである。

ここでクリスチャンの断末魔が全面に出てしまうと、観客は狂気から覚めてしまう。
そうなれば、最後に微笑むダニーは狂人にしか映らなくなり、ここまで観客を狂気に没入させてきたことが無駄になってしまう。

しかしながら、音楽と映像美で全てを流してしまうと、それも観客を外へ追い出してしまうことになる。
あれだけ近くで燃えさかっている人間が、沈黙しているハズがないからである。

観客を狂気の中にとらえ、ホルガ村に取り込んでしまうための音演出。
この作品、これがずば抜けて恐ろしい。
クリスチャンの断末魔に気づいた時は思わず、ダニーより先ににやりとしてしまった。

やるな、アリ・アスター。というより、ここまで丹念に映像演出と音で狂気を作り込めるのが本当にすごい。
この人どうやって生きてきたんだろう……という気持ちにさせられた。

以上がその1、である。
その2では、「ホルガ村での死と生け贄」の話をしていきたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?