戦争を無意味化する「時間」――ドン・デリーロ『ポイント・オメガ』
米サンディエゴから車で約2時間半の砂漠の町、アンザ=ボレーゴ・スプリングス。そこに住む批評家ラリイ・マキャフリイを訪ねるため、評者も何度も足を運んでいる。
10年ほど前だったろうか。そのラリイが「この間、ドン・デリーロがここに遊びに来たのだよ」と教えてくれた。そしてこのアンザボレゴ(と本書では表記される)を主な舞台としてデリーロが書き上げたのが本書「ポイント・オメガ」だ。
映画作家ジムは、かつてイラク戦争に深く関わった政治学者エルスターの記録映画を作るため、今は第一線を退き、アンザボレゴに隠せいする彼を訪れる。そこにエルスターの娘ジェシーも加わり奇妙な同居生活が始まるが、ある日ジェシーがこつぜんと姿を消してしまう。
こう要約してしまうと、いかにも単純なサスペンス小説のようだ。だがジムによる一人称の語りとエルスターの瞑想(めいそう)的な述懐と独白、ジェシーとジムの思索的対話などは、物語を駆動するというよりは、読者の時間を引き延ばし物語の細部を拡大していく。まるで本書に登場する「二十四時間サイコ」のように。
「二十四時間サイコ」は、ヒッチコックの映画「サイコ」を12分の1のスピードで再生する実験的なビデオ作品だ。そこでは物語から意味や主題がはぎ取られ、純粋な映像体験が現出する。
それと同様に、アンザボレゴの砂漠も人間の営みとは隔絶した、人を圧倒する場所である。百万年から千万年単位という地質学的な「深い時間」の中でつくられた自然の風景。その純粋な美しさと崇高さの前には、国家や政治や戦争などは無意味でしかない。
本書のタイトルについては訳者の都甲氏による解説が詳しいが、神秘思想家テイヤール・ド・シャルダンによる用語で、人類がエゴを超越し究極の愛を達成するという、人類の最終進化段階を指す。それと同じく、本書を読むことは、人間的時間や感覚を超越した純粋な体験となるだろう
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