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改めてまして自己紹介と感謝


このブログを書きはじめて

まだ5記事程度になりますが、




沢山の方にお読みいただいたり

スキやフォローをしていただき本当にありがたく

嬉しく思っています。




皆様のおかげで表現するということを

続けていく勇気をいただいています。





このことを、

とても感謝と共にお伝えしたくなりました。

本当にありがとうございます。



お役に立てる記事を書いていけるように。

真心を込めて表現していきます。

このブログをはじめてから、
私の意識はすごく変化しています。




自分の『生きずらさ』をもとに。


それがあったから。


求めた事で与えられた。




見えると同時に

見えない世界があるということ。


そして外側の世界のみならず、

自分の内なる世界を変容していけるということ。


それを、


長い年月をかけて


日々実践して来たことで気づいた事。





それが自分の人生において


体感も創造する現実にも


心地よい方向へと実際に、好転したこと。







そして、もうひとつ潜ったところにある、


ここまでの自分の人生という現実を設定した。


"魂の理由"も自分なりにですが感じています。

(わたしのブログはこちらがメインです。)


それを、このようにブログを書くまで




自分の中に理解をしてはいたものの、


わたし自身

『生きずらさを抱えて生きる困難な環境』

を生きてきたゆえに。




自己否定や自己不信はヘビー級だったし、

自信も自己肯定もへっぴり腰級であり。笑


自分が変なのかもしれないw

という恐怖がとても強く。





そんな中で現実からもたらされた。

それでも今だ!という

タイミングを感じたためにブログを始めました。





それを現実に生きなかった自分から

それを現実に生きる自分は


全く違うパラレルの選択であるため。

行動した現実に引き合うように

意識の移行の変化も進んでいるようだと

感じています。

今回は自己紹介として、

わたしの生い立ちやスピリチュアルに至った経験な

どを紹介させていただきます。




(とても長くなりますので時間のある時にでも読みいただけたら嬉しいです^^)




現実や人生の認識が、

現代社会の営みの一部となり。

自分もまたそれを繰り返していくだけの存在であるとしか思っていなかった時。
(ある意味それは今も事実でもありますが。)



生まれながらにして勝ち組負け組なんて決まっていて、自分は明らかに負け組であり。
(昭和世代です)



友達の家に行くたびに、
自分の家には"ない"ということを
数えることになる事実を受け止めるはめになり。



理不尽な干渉で怒鳴る父と放任の母の

父の借金、母のパチンコ依存をテーマに

夫婦の暴言や喧嘩が行き交う緊張感が、

家庭の日常であり。



横暴な父と弱い母という家族の

調整役を担い。

母親のグチ聞き役を買っていたわたしは、




自分の想いや気持ちを親に、

打ち明けるなど発想すらなく。

全てを自分の中に溜め込んで、


生きるつらさを

夜空をひとり見上げることで解消していました。






それは小学生から中学生までずっとでした。



幼い頃から、


テレビで映る"ふつうの家族の風景"に


自分の生まれにコンプレクスを感じ。


自分に劣等感を深めたものでした。


(今ではその"ふつうの家族"もなければ、

その"形"を守ろうとするゆえにある苦しみや学び、

その形はあってもないものもあること、

などの理解があります。)



なので、気づいたときには


自分の個性が繊細気質であるのも手伝い


傷の数も深さもかなりあり。


絶望感みたいなものが自分を形成していました。






いつも自分のコンプレックスを

隠すように生きていて、




いい自分 正しい自分 理想を当てはめ。

自分を演じすぎていて。




気づけば親にも姉妹にも逆ばりにそうで、

(社会で見せている自分は親を反面教師にして
生きいる、いい自分と思い込みでいるので。)



安心してられる時間は誰も起きていない


眠る前の少しの時間と眠る時間のみでした。




それが何も気にしない自分でいられる、

1日の中のわずかな時間でした。



自分でも自分のことがよくわからない。


でもそのことさえもよくわかっていない。


それくらい、自分をこじらせていました。




誰にも知られてはいけない。

だから誰かに助けを求めることもできない。



ここを堂々巡るしかない。


それは自分で自分に強いた
生き地獄でした。




いつも地上から足が
1センチ浮いてるようなかんじで


顔では笑っていたりなにか話して
生活しているけど、

自分が生きてる感じが全くしないままで



自分が空っぽな感じでした。

そんな自分をひきずりながら生きていた自分に。

臨界点が来たのか。



ある日、激しい動悸に見舞われました。

バクバクする心臓と焦る意識、けれど

それすらも私の周りにバレてはいけない!

と思い込み、頼る発想が出来ないでいたため。




仕事も休まず、医者にも行けず。

ひとり不安と戦っていたのですが、





不思議と心の奥で『大丈夫』という声が

何度もリフレインしているのを感じていました。





それから数日後の仕事中に

突然のように、頭の中にズドンとした衝撃があり


頭の中にいつものしんどいおしゃべりではなく。

『メッセージ』のようなものを感じました。





自分の中に

自分とは"違う存在"が話しかけてくる感覚。


そのコトバが頭の中を埋めつくしてしまい。




"通常モードの情報処理ができないw"





これも伝える術がなくバレてもいけないし… 

けれど、このまま仕事の続行が不可能だったので。




『体調悪くて早退します』と告げたきり


わたしは、戻ることはなかったのですが。。
(強制終了)

帰りの電車の中でもそれはまだまだ続いていて。

とにかく、よく分からないけれど…

これは書き留めた方がいい気がすると思い。



ノートとペンを買って書いていくと、

"わたし"について話している内容で

その中に自分の琴線に触れるような内容があり


それは、自分の頭の中が

幼い頃からなぜだか?

いつも『心のこと』を考えていて。


わたしはそれをやめたくても

自分の力でやめられずにいた事で

自分の気が変だと思って悩んでいたのですが、


『それがわたしそのものなのだ』


というメッセージと感覚が全身を包んだ時

それでよかったのだという、



生きてきて感じた事のない安堵感に包まれ。



嗚咽を出して

大号泣しました。




その後からは、

わけもわからぬわたしにw

怒涛のようにメッセージが降り注ぎ


お茶碗の持ち方さえ何だったか?

忘れてしまう時があるような

思考状態であったため、

側からみたら危うい状態であったとおもいます。




意味があるのか?

何でこんなことを、しているのか?

わからぬままに書き留めていき


その度に、

自分の周りについている

『演じてきた自分』というメッキが

ボロボロととれていくように。




それがいい自分と信じてた自分や


"自分だと思っていた自分"が

無くなっていきました。




それは、自分がいなくなる感覚。




仕事もそうだしな…

がんばってつくった

いいと思っていた自分さえも

何もかもわたしにはもうない。





『あれもこれも自分じゃなかった…。

だとしたら、自分はいないのに死なない。

どうしてわたしは、

今ここにこうして呼吸をして生きているんだろう』






そう感じたと同時に


『全てがある』


ことがわかりました。



畳の上にうずくまる自分しかないのに


わたしには『全てがありました』





至福感に包まれ

空間とわたしは繋がれて

満たされて満たされすぎて

大号泣しました。



言葉でお伝えするには

あまりにも感覚的なことですが…



魂の自分に繋がったのだとおもいます。




そしてこれが本当の自分で    


自分の中に『全てある』ことが真理なんだと。


それをわたしは、

瞬発的に体験したのです。

そこにあったのは『良心』『愛』『感謝』

言葉にするとそのような感覚で。


わたしは何もないのに


幸せそのものでした。


今振り返ってわかるのは、



"自分がなくなる"と感じていた自分とは自我で



わたしは"自我だけが自分"と認識していた状態から
(思考の同一化)(傷の同一化)


自我と魂があるという認識に自分の状態が変わった


タイミングであったということ…




その出来事をきっかけに

わたしは見える世界と見えない世界は

同時にいつも存在していることを知り。


今までこうだと信じていた。

『生きることの意味』

が全く別物となり。


とても生きることが楽になって

好奇心で満たされた事を覚えています。



けれどまた、

第二ラウンドが始まるのですが。笑


やっぱりそんな現実的でないことだけで

生きていくわけにはいかない!と

ビジネスライクな生活へと

自ら真逆の方向に走っていきました。



そしてまた自分を生きずらくさせて。

再び、今度は自分の顕在意識を使って

自分のそのままを取り戻していき。
(10年着けて取ってで使いました。笑)



そして、

今に至ります。



今思うのは、

やたらと大変でしたが。笑

それでなければ分からないことがあって

それでよかったなということ。



それは人間としての
精神性です。


こうゆう精神世界の目覚めや

スピリチュアルなどって。


自己満足だったり

優越感になりやすい

ことだと思うのですが、

(実際わたしも劣等感を受容できていないときは
バンバンありました。笑)


人の心が弱っているときは

自分よりそうゆう人の方が

力があると思ってしまうものだし。

逆も然りです。



わたしも第二ラウンドで落ち入りましたし。笑

だからこそ、本当によかったのです。



そこをクリアしていくのが

精神性の鍛錬だと思っています。




実際に自分で、

自分の現実にある問題は自分の内側にある

と責任をもって回収するのは。、



見たくない自分を認めなくては

ならなかったり。



再び感じたくない感情を感じたりと。



心地よい言葉を並べて

済むことでは全然なく

むしろとても忍耐を要します。


そして、超しんどいです。笑


しんどい思いして着けて 

またしんどい思いして受容するのか?

ってなる時もあります。



それでも、

その先に『自分のそのまま』を。

魂の個性を"はじめて知ること"ができる。



わたしはそうでした。


全ての悪役も闇も

その光のために存在してくれている。

そこに感謝して生きれることは。


何もなくても幸せだった自分を

見出し続けてくれます。



わたしはようやくですが

自分の人生に感謝しています。



まだまだ未熟で、

もっとおかげ様に感謝して

生きられるようになりたいです。




人生のはじまりが

とてもつらい環境であったり、


自分をこじらせすぎて

自分がわからなくなって

生きずらくて仕方なくても。 


それを反転させる方法はあり

それが感謝に変わる生き方はできます。



そしてその自分だからこそできる


価値観からの創造があり


それが本当の待ちに待った

スタートなのかもしれません。



それが本当に魂の自分が

求めているものかもしれません。



わたしのブログが少しでも

お役に立つことができたら幸いです。



完璧などない学び最中な。
一生プロセスの自分なりにですが。



お役に立てれば幸いです。


お読みいただき
ありがとうございます。

そのままいがいからそのままにもどる"ことこそが
"そのままを創れる方法"だったとしたら?

"じぶんとじぶんいがい"を想いやる心を育むための闇と光はひとつ成るもの@調和クリエイター

SONOMAMA




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