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Life Story 3 何のために生きるのか、なぜ結婚したのか

何のために生きているのか?
鳥はきっとそんなことを考えずに、ただ生きていますよね、きっと。

人間は面倒臭い生き物です。

私は41歳の時に3人の子供(中3男子、中1男子、小3女子)がいる現在の夫と再婚しました。
夫の前妻も私の前夫も病気で亡くなりました。

「思春期の難しい年頃の子供が3人もいる人となぜ結婚したのか?」
再婚して12年、何度も聞かれます。
当時の上司からは「お前、馬鹿か?」と言われました(苦笑)

理由は二つあって、一つは子供のため。
こちらの理由は私の思い上がりです。当時、「ありがとう」も「ごめんなさい」も言えない、人が話していても話をかぶせてくるこの子たちを、もっとちゃんとした子に育てなければ!という意味不明な使命感に燃えました。
結果、育ててもらったのは私の方でした。ごめんなさい、そして、ありがとう。

もう一つは私のため。


当時、私は大手航空会社の営業部署で管理職。
時に夜中まで働き、早朝や週末に残った仕事を片付けるため出社。
体力では負ける男性管理職と対等にやっていかなければいけない。できないとは言えない、そんな思い込みの中、正直、ヘトヘトでした。


ある日の通勤時、京葉線東京駅の地下ホームから地上階に上がる長い長いエスカレーターに乗っている時に思いました。


「前にいるおじさんもグレーのスーツ、その前のおじさんもグレーのスーツ、後ろのおじさんたちもグレーのスーツ・・・みんな自分が無いみたい。
このおじさん達、絶対に会社でノーと言わないのよね、「御意!」でしょ?
・・・でも、それは守るべき「家族・家庭」があるからなのよね・・・。」

前夫をなくした強烈な喪失感と一人で生きている絶望感に襲われました。


会社では、総合職なのに「女」とか「女性管理職」とまとめられることの違和感を抱え、私は男性社会の構造に怒っていました。一方で、意識ばかり前のめりで成果を出せず、組織の中でも上手く立ち回れず、めっちゃ疲れていたのだと思います。


こんなに睡眠不足で疲れているのに、会社に向かっている私。
それは家族のためではなく、自分が生きていくためだけに。
でもその自分は全然幸せじゃない、こんなに疲ダルい・・・。

エスカレーター上の私は、

「私も守るべき家庭が欲しい」
「生きる目的が欲しい」
「絶対的な役割が欲しい」

と飛躍しました。

・・・アホやなぁ〜。

それから12年。もはや長男次男は家を出て、娘も自宅暮らしですが、ほぼ顔を合わさない日々。母の役割は終わりました。

夫も私がいないと生きていけないような人ではありません。
「妻」とか「主婦」とかの役割を求められてもごめんです。(別に求められてませんが)


そんな表面上の他者ありきの「役割」なんて手に入れたところで、時間が経てば変わるし、それが本当に自分らしくこれから100歳まで生きる本質的な目的にはならない。

人には誰しも固有の存在におけるお役目があり、存在しているだけで素晴らしい。
たくさんの人や物、出来事や自然と関係性を築き、知らないうちに大きな影響を与えている。
さらに、その人が自分の実現したい世界への願いとつながって、意図を持って一歩を踏み出すように生きていれば、こんなに幸せで豊かな人生はない。

私はみんながそれを感じられる世界を創りたい。

それを教えてくれたのも家族を含めた私に関係してくれた人たち。
ありがとう。
今度こそ、私が願っている世界をクリエイトする役割を担っていこうと思っています。



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