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デザフェス57の制作秘話など。

【ただ、ぼくたちに祝福を。】

「ただ、ぼくたちに祝福を。」という主題について

昨年末、デザフェス57の出展申込みの際に今年のテーマを考えた。ぼくがきみのために出来ること。それはきみの幸せを願うことだけだった。たまたま見た映像の中に、「最愛のあなたへ神の祝福のあらんことを…」というようなセリフが出てきた。祝福。その言葉が心に引っかかった。きみに祝福のあらんことを?違うな。みんなも、それからぼくにも。幸せがあればいいと思った。

それを強めるために頭にただ、という言葉を足して「ただ、ぼくたちに祝福を。」というテーマが定まった。

さて、何を描こうか?見た人が幸せになるような絵。
幸せを感じるような絵。幸せ。……幸せとは?

いろんな芸術に触れたり、家族と話をしたりした。でもあんまりピンと来なかった。ぼくが出来る表現で渡せる幸せが、どこにあるのかな…と。

きみに、会いに行った。幸せって何?ってずっと考えているって話をしたら、きみは うーん、と考え込んで、
「あんまり考えたことないかも」と言った。
それから、「小さいことかもしれないけれども、いい気分になるような、そんなことを重ねて暮らしているから、そうやって考えたら自分は幸せなのかもしれない」
と、言った。
その時ぼくは心の中で、それならたくさんいい気分になることが続けばいいな、と思って、帰路に着いた。

帰りの電車の中で、言葉が少しずつ紡がれてった。幸せのきらきらをたくさん集めて、花束みたいにして、きみに渡したい。そんな言葉を経て、その日の夜に出来たのが「祝福のワルツ」だった。

祝福のワルツ 歌詞

実は祝福のワルツには、踏襲した歌がある。それは、一昨年ぼくが書いた「最愛」という歌。(少年へ。EPの4曲目)

コード進行がほとんど同じで、間奏などには同じフレーズを入れている。最愛のラスサビの歌詞には、「どうか幸せでいて」という言葉がある。あの時からずっと、ぼくはきみの幸せを願い続けている、という密かなメッセージにしたかった。

歌が出来たら、それまで煮詰まっていたのが嘘のように、絵が思い浮かんだ。最初に思い浮かんだのはこんな絵だった。

最初のラフ

少女は夜に、少年は朝に。違う世界で、開いた距離で。
そんな絵だった。絵の中で少女はただ涙を流すだけで、思いを届けるのを別の存在に託していた。このラフを決めたのは4月に入った頃のことだった。

けれど、歌作りが佳境に入っていくにつれ、違う気がした。初めから諦めたような、その位置で彼女は幸せなのか?と。毎晩眠りにつくまでひたすら作りかけの曲を聴いて考え続けた。(眠れなかったことも何度かあった)

そんな時にふと、自分の今を思って、猛烈に悲しくなって泣いた。泣きながら自問自答した。私がどうしたいのか。何もかもを、「今は幸せだ」って受け入れられるのか?本当に?
それは無理だと思った。今が正解なんて、誰が決めたの?って。

涙が落ち着いてきた夜明けの頃に、ふとイメージが浮かんだ。それが今回のおおよその骨格になる、「ある少女がコマ送りになって未来に向かって動いていく」というものだった。

きっとぼくは立ち止まっていられない。だって世界はどんどん変わっていく。どうしようもない世界なら、きっとぼくから行く。

最終ラフ

当初表に出ていたクジラや羊は背景の1部になった。
背景というか、彼女の見ている世界の1部。彼女は彼女の足で、歩き始めた。彼女自身が花束を持って走っていく、そんなストーリーが組みあがった。

このイメージを元に、本番に臨んだ。

バッドエンドはもう嫌だ。

今回はライブペイント的なギミックとして、初めて目隠しを使ってみた。初めから少年はそこに居たのだけれど、彼女の目からは見えていない。ただ、幸せを望んでいたのは彼女だったのかもしれない。ここまでにあったのはひとりよがりな彼女の孤独だった。


星のあかりを拾い集める
それを花束にしていく
花束を持って、真っ暗な世界へ向かって歩き出す
躓く

彼女は暗闇の中で躓き、絶望する。この前後で長い三つ編みを失っているのは、彼女自身に大きな変化が起きてしまったことを表している。花束は手から滑り落ち、バラバラになってしまう。彼女はそれを自分で拾い集められなかったが、ふるみちゃんがそれを代わりに拾い上げて寄り添う。

空に浮かぶクジラたちを見上げる少女

彼女は空に想いを馳せる。群青色の空、鯨が游ぐ。寄り添うような羊の子――これは昨年5月のデザフェスで描いた絵に添えた歌の一節だ。まるでこの歌のように、彼女は寄る辺ない気持ちを抱えて空を見ていたのかもしれない。そして、ふるみちゃんが気がつく。

マアー!マァ〜!!と飛び跳ねるふるみちゃん

まるで、「見て!見て!」と言っているかのように、はしゃいでいる。

彼女はその存在に気がつく。
再び歩き出した彼女に、色がつき始める。

それまでずっと真っ暗な夜を歩いていた彼女に、朝の光が差し込み始める。そして、彼女が抱えた花束は次第にそのひかりを大きく膨らませ始める。


朝焼けの海に佇むきみに走っていく

少女は長い夢から醒めるように、朝の光の中で大きくなった花束を抱えて少年のもとに辿り着いた。

幸せそうに笑う少女

涙に灯っているのは、彼女の想い。それは星あかりのように、花束の一部に変わった。彼女の気持ちが花束を大きく、大きくしていく。

少年

しかし、花束のひかりの軌道を示した電飾のあかりは、彼の手前で留まっており、彼の表情を伺うことはできない。そして、彼自身がたっている場所がどこなのか、それは分からないのだ。

だから、彼女の想いが彼に届いたのかどうかは、この物語には描かれていない。


初めにバッドエンドはもう嫌だ。と書いた。
正直、この絵の結末がどうなるのかを私も予想ができていなかった。絵の構想はあるものの、色や表情、空気感は読めなかった。描いていくうちに、ああそうか、と。

彼女たちの結末は、彼女たちなりの「ハッピーエンド」なのだと思う。世界の言うハッピーエンドなのかは分からない。幸せの定義なんて人それぞれで、曖昧で、でもたしかにその感覚は実在する。初めに思い描いていた未来じゃないかもしれない。でも絵の中のふたりは、最後は幸せだったんじゃないかな、と思う。

神様は、幸せを作り出してくれる訳では無い。
でもその星のひかりの行く末は、きっと見守っていてくれる。ぼくの描いたツノ神様(って呼んでいるひと)は、穏やかな顔で遠くの空からじっと見ていてくれている。

ツノ神様

ツノ神様は元々描く予定にはなかったけれど、2日前くらいに「描いたほうがいいな」と思い立ち、絵の中に早い段階で描き込まれた。2年ほど前に木製パネルに描いたツノ神様は顔を隠していて、いまも我が家で布をかけられた状態で飾られている。写メは絶対ダメ。だって神様ですから…。

そんな訳で、絵のストーリーを追いかけるのはおしまい。

未来のことなんて分からないよね。

2人の未来がどうなっていくのかは今のぼくにも分からない。ただ、2人がそれぞれちゃんと幸せだって思える日々を歩んでほしい。そう願ってやまない。

そして、この絵を見つめる人々の目のきらめきが本物の星あかりよりも美しくて、このひかりを集めて花束にして、きみに渡せたらいいのに、と思った。


最後に、制作を見守り、完成を見届けて下さった全ての皆様に心からの感謝を。
本当にありがとうございました。
皆様に、この絵の祝福がありますように。


ふみもとこ

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