八千草薫さん アラフォーで15歳年下と再婚【私の可愛いひと】
55歳。アラフォーどころかアラカン間近で、15歳年下の青年にプロポーズされ結婚。
コメディードラマ「私の可愛いひと」、すごく面白かった、今でも忘れられない。
八千草薫さんの訃報を聞いて思い出した。
調べてみたら放送されたのは1986年、33年前とのこと。私が見たのは、もしかしたら再放送かもしれない。何歳の時に見たのかは覚えてない。
ただ、今とは違って、妻がそれほどに年上という夫婦は珍しく、
八千草薫さんもきれいではあるけど、若かった私から見れば立派な50代のおばさんで、違和感はぬぐえなかった。
素敵なカップルで、応援する気持ちがあったけど、やはり年の差のある2人がセックスをすることが現実に思えなかった、というのが本音。
夜に2人が寝室で、というシーンもあったように覚えているけど。あからさまなシーンはなかったような。手をつなぐ程度?
30歳代の男の人が、アラカンの女性と、見るからにおばさんの女性とセックスする?
好きという気持ちは理解できても、そこが若い私には全く理解できなかった。
そもそも、その年代の女性がセックスをすることが想像できなかった、、、のかも。
今、私がその年代になって、ああ、セックスするんだよなぁ、と思う。
でも、やっぱり、息子と同じくらいの青年には、少しも恋心が動かされない。
息子にしか思えない。
恋されるとも思えない。
裸も見せれない。
美魔女的な女性なら、まだわかるかもしれないけど。
令和になり、自分もおばさんになり、LGBTQもあり、ダイバーシティーもあり。何でも(理解できなくても)ありということは納得している。
違和感や拒否感があっても、それは自分の問題。
ただ、日本社会は、今も、33年前と変わっていない気がする。
「私の可愛いひと」では、子どもたちが「お父さん」と呼ぶのに抵抗があるという場面があった。
最近のドラマで言えば「大恋愛〜僕を忘れる君と」。
ヒロインの元婚約者が、色々あって、最終的にヒロインの母親と結婚するのだ。
草刈民代さんはお綺麗で、さほど違和感は感じなかったけど、
姑にあたる夏樹陽子さんを「お母さん」と呼び、許してもらえるのをひたすら待つ、というシーン。
なんで?
好きあう2人が結婚しても、「父」「母」は、それぞれで良いような気がする。無理して「お父さん」「お母さん」と呼ぶ必要はないのでは。
それは「兄」「姉」も同じで。
自分より年下の義姉が存在する不思議。
日本人は、家族制度に囚われ過ぎて、無駄な悩みを増やしているんじゃないかな、昔と変わらず。
そういえば、私の「相手」のお姉さんは私と同い年らしい。
会ったことはないけど。
そして、自分の姉になるとも思わないし。
「お姉さん」と呼ぶ予定もないし。
話は逸れまくったけど、八千草薫さん、安らかにお眠りください。
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