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酒脱戦争〜アルコール依存症やと言われてもうた
依存は依存を生む
生きづらさは日に日に増していった。
はっきりゆーて、父親に依存してたんや思う。
その父親がいなくなった。
だんなは、私に罵られようが、わめかれようが、会いに来ていた。
「顔2度と見たない!これ以上私の人生に関わって来るな!」
それでも来るんやな。何年経っても。
おとんはいなくなってしまった。
そこに依存先を変えてしまった。
共依存。
結局、自分で自立ということが全く出来やんかった。
借金は残ってたし、だんなの仕事はなんや上手いこといかんことばっかり。
雇い先から2ヶ月分給料もらわれへんかったりもした。
全てが敵に見えるようになっていた。
おかんと姉ちゃんの気付き
この頃から、身体の異変は起きていたと後でおかんと姉ちゃんに言われた。
自分のこの頃の記憶はあんまり思い出せやん。
長年勤めていた会社でも昼間から隙を見て飲むようになっていた。
朝は毎日のように吐く。
体調が良くないので、会社をやめて家でする仕事もしてみたが、これがかえって悪かった。
家でいるから、飲む量が格段に増えた。
仕事はうまくいくはずない。
また働きに出たけど、手の震えが出始めた。
何も持てない。
おかんと姉ちゃんがあの子様子がおかしいとなったみたいだ。
アルコール依存症
別の精神病院だと連れて行かれた病院で、アルコール依存症だと言われてしまった。
アルコール依存症専門の病院やった。
肝臓のy-GT数値は、女性の正常値が30以下のところを2000近くまであった。
その時は、「そうなんや。」とおもった。
病院に例会があって、すすめられた。
仲間がいるよ、と。
会に参加するようになって
「なんや、違うやん。私は依存症やないわ。
この人たちとは違う。」
思った。
すぐに、お酒は飲むのをやめた。
1ヶ月、2ヶ月と過ぎて行って、やっぱり私は違うやんと思った。
そして、出したらあかん一杯のお酒に手を出してしまった。
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