ここからが本当の「酒脱戦争」の始まり
外出に恐怖
なんとか2ヶ月ぐらいを過ごして、「外出してみよか?」と担当の看護師さんに聞かれた。
プログラムの中で、地域の断酒会やAAのミーティングに参加するというのがあり、私も例外じゃない。
入院仲間と自分たちで、行き帰りのバス代だけをもらい、バスに乗りミーティングに参加する。
はじめて出かける日は、恐怖しかなかった。
「酒の缶を見てもうたら、自分はどうなってしまうやろう・・・」
スーパーで見た酒缶は、当然何にも変わっていなくて、ただそこにあった。
以外にも何も感じなかった。
「これは手に取ってはならないもの」としか。
それよりも、感動したのは2ヶ月ぶりにみる(本当は入院するずっと前からになるが)野菜の陳列だった。
当たり前のように並んでいる野菜たちが買い物を普通にして料理をして家族でご飯を食べている自分を思い出させてくれた。
今度は一時帰宅の恐怖
外出でも問題なく1ヶ月を過ごして、今度は
「家に帰ってみよか?」とのお声。
これまた恐怖でしかない。
外出は仲間もいる。
帰る病院もすぐ近くにある。
家となると・・・
娘も上の子は入院当初に1度会いに病院へ来てくれたが、病院を怖がって来なくなっていた。下の子はおかんについてよく会いに来てくれていた。
家に帰ったら、来てくれるのだろうか。
毎日飲んでいた場所で同じ行動に出てしまって、あの子達にこれ以上悲しい目をさせてしまっらどうしよう。
病院で習ったことは、「お酒をやめることを決して諦めないこと」だが、それはこっちの勝手だから、子供達をがっかりさせてしまわないか不安しかなかった。
一泊の予定で一時帰宅。
下の子は迎えに病院まで来てくれた。
家に帰ると飼い猫たちが、よそよそしい態度をとっていた。
忘れちゃったの?
ほったらかしにしてごめんね。
元に戻るまで、退院してからしばらく時間がかかった。
上の子は、夜遅くにお酒を飲んで帰宅した。
今でもこの時のことは、上の子に怖くて聞けないでいる。
さらに退院する恐怖
上の子は私が入院してから、気が張っていたのが取れてしまい、以前から徴候のあった鬱病とパニック障害を発症してしまっていた。
一時帰宅の際にお酒を飲んで帰ったのは、私に対する無言の抵抗だったのだろう。
私が感じていた自分で生活をする上でお酒に対する「自分が無くなる恐怖」「子供たちをこれ以上悲しませてしまう恐怖」は「忘れてはいけない恐怖」であると思った。
この「恐怖」がお守りになってくれる。
「恐怖を忘れない」
「決してお酒をやめることを諦めない」
でも、さすがに退院する前日になると恐怖は増していった。
仲間もどんどん退院していったが、外の世界が怖くて泣いている人もたくさんいた。
退院しても、すぐに戻ってくる人もいた。
私も、これからの生活に恐怖しかなかった。
あんなに帰りたかった家に帰るのが怖かった。
でも、進むしかない。
ここから本当の酒から脱出するための戦争が始まるのだから。
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