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猫のひげ作戦〜自分を知る

2本目のひげ:自分とは?の問いを持ち続けること

2本目のひげは、「自分を知る」自分自身を見つめ直し、「自分」ってどんな人?を持ち続けること。

入院している時にもあったプログラムで、小さい頃からの「自分」を紙に書き出すこと。

これが結構「自分を知る」のに的を得たやり方だったりした。

まー、ゆーなれば「自分」の歩んできた道の中に答えを見つけるようなもの。

いったい今までどんな考え方の元に行動していたかがよくわかる。

紙に書き出すことで、外側から自分が見て取れる。

これがいわゆる「自分の棚卸し」ということだ。

「棚卸し」をしろ。「棚卸し」だ。

と先生や仲間の人はゆうが、これが退院当時は全く分からず、頭を抱えた。

しろと言われてもさっぱりわからない。

第一に自分のことはよく自分がわかっていると思っているのだから。(この後に及んでもそう思っている)

当時はもう頭が痛くて痛くて。

「自分てどんな人?」な問いを持ち続け、自分と向き合うことの中にしかその「棚卸し」の答えは出ないのだから。

弱い自分のオンパレード

「弱い自分」ばっかりじゃねーか!

この事実はさらなる自分との格闘をも連れてきたが、「自分を知る」ということはそういうことだ。

例えば私の場合

・「親になんでも助けてもらう、代わりにやってもらう」

このことなんかは、「それって、親が悪いんじゃない?ちゃんと教えてないからでしょ?」
みたいな。

そこがまず「弱い自分」が出てるところ。

自分に都合悪いと「人のせい」にする。


・人は大なり小なり自由になる「お金」という道具がないと「自分」を見失いやすい。

「お金がない」のはコントロールできていないからだ。

それだって一度も学ぼうとした覚えはなかった。

「なんとかるでしよ。」で終わってきたのは自分だ。


結局のところは、「自分が弱い」部分を知らないで生きてきているのだ。

弱い部分なんて脆いものと、かろうじて形を保っているものを合わせればかなりある。

その事実を知った時は、かなり落ち込む。
「弱い自分」に打ちのめされる。

まぁ、自分の中で格闘が始まるわけです。
いい訳を考えてみたり、それじゃダメでしょという自分がいたり。

天使と悪魔が戦ってるわけですよ(笑)


「弱い自分」よ、よろしく!

天使と悪魔の戦いは当然続くわけです。

この戦いの中にこそ、「弱い自分」を受け入れられる鍵がある。

天使と悪魔はどちらが欠けてもいけない。

「弱い自分」に、これからよろしく頼むわ

となってはじめて、弱い自分と向き合っていく鍵を手に入れられる。

実のところ「弱い自分」がいることなんて大した事じゃない。

「弱い自分」を知らなければどうしたって「困難」にぶちあたれば砕け散るしかない。

知っていれば周りを囲んであげる事もできるし
鎧だってつけてあげられる。

確かに「弱い自分」なんで知りたくないし、知らないフリだってしていたい。

それでなんとなくやり過ごせているうちはいいかもしれない。

「ぶち当たってしまう困難」など来ないなんて
保証はない。

「そんな困難来ないだろう」この考えこそ「弱い自分」なんだってこと。

無防備なままの「弱い自分」を知らないことの方が遥かに恐ろしいことだ。









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