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酒脱戦争〜攻撃が始まった瞬間、私には大事な人達の声が届かなくなった

この瞬間を待っていた

出してはならない「一杯の酒」に手をつけた。

酒は静かに静かに、じわじわと確実に奥深くに入り込んできてたんや。

この瞬間を今か今かと待ちわびていたんやろう。

攻撃ははじまった。

されるがままや。

防御できる術はなかった。

落胆

しばらくお酒をやめてたから、おかんも姉ちゃんも子供らも安心してたんや思う。

かなりの落胆だった。

下の子はまだ小学4年生やった。

酒を手に持つ私に、

「ママ、お酒飲まんといて。」

毎日のように、見るたびにゆうてきた。

その言葉聞くたびにに、自己嫌悪が襲って来る。

隠れながら飲むようになる。

嘘ついてお酒買うようになる。

お金も車も取り上げられても、家の中で売れるもんは全部売って酒に変えた。

酔って買いに出るもんやから、転けて顔の左半分づるむけの血だらけで帰って来る。

だんなと大げんか繰り広げて、「酒代かかるやろ?!やめえ!」言われたら「あんたが今までした借金に比べたら私の酒代なんかびびたるもんやろ!」を繰り返す。

「ごめん。もう家には帰らん。」言うて家飛び出す。

「ママ、行かんといて。お願い!」

言うた子の声が今も耳から離れやん。


子供を捨ててるんや。

下の子は耐えかねて、おかんとこへ出て行った。

おかんは、それでも様子見に来てくれてた。

無理やり病院へ引きずっていこうともした。

抵抗して突き飛ばしたり、裸足で外へ逃げたりとを繰り返した。

自殺未遂繰り返す中で

おかんは、言った。

「頼むから、死んでくれへんか。」

そして、ほんまに擦り切れたレコードみたいに

「お前なんか生むんじゃなかった。」

と言う言葉が繰り返し繰り返し聞こえた。

酒か死ぬことしか頭にない

上の子も中3から高1への時期やった。

あんまり、家事を手伝うことはなかった。

今までさしてへんのやから、当たり前やった。

ちょっとご飯作れるようになったら、嫌がっても何がなんでもご飯作らすようになってた。

お金も足らへんかったら、バイト代を借りたりもした。

もう何が何だかわからんくなっていた。

こんな自分が生きていては申し訳なかった。

飲んでは、手首を切る。

薬を大量に飲んで、救急車で病院へ担ぎ込まれる。

後で聞いた話やけど、友達のところに泊まりに行ってた娘は近くでなる救急車の音に不安になったそうや。

この時はだんなからの連絡で知り、夜中に家の前で処置の終わった私の帰りを待っていた。

夜中、車の前に飛び出して避けた車にフォンをならされる。

近くの空き家で首を吊ろうともしたが、ロープがそこにあった古いものでちぎれた。

川に飛び込もうと手すりを乗り越えたところで
通りすがりの人に声をかけられた。

「飛び込んでも冷たいだけやで。死なれへんよ。」

警察官が知らない間に近くまで来ていて、私を引っ張りあげた。

警察署に迎えにきたのは、バイト中だった上の子だった。

生きるのも死ぬのもやめた

「ママ、家に帰ろ。」

そう言った上の子の顔の表情を見た瞬間、私は生きることをやめた。

自分で死ぬのもやめた。

死にたくてもよう死なん。

それでも生きておられへん。



私には大事な人の声が、完全に届かなくなった。

下の子が家を出ても、上の子はこんな情けない親をよう見捨てやんかった。

でも、生きるのをやめた私を見るのは限界だっただろう。

上の子もおかんところへ出て行った。

私は呼吸して、酒を飲むだけ。

「死」が訪れるのを待つだけ。

ご飯も全く食べない、風呂にも入らない、何もしなくなった。

酒を飲むのと飲み疲れたら寝ること以外全て。

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