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猫のひげ作戦〜変わらないものと変えられるもの

変えられるものってなんだ?!

お酒をやめたからと言って、周りや自分が勝手に変わってくれるわけはない。

生活していると当たり前だが、いろんなことは起こる。

「お酒をやめていればなんとかできる」のは確か。

まぁ、この「なんとか」が曲者だけど、この「なんとかなった」ことに救われるのも確かなんだ。

でも、なんとかかんとかは長くは続かない。

お酒をやめ続けるためには変わってゆくしかないのだから。

ここでまた天使と悪魔の出番ですよ。

「どーやったって変わらないもの」が出てくる。

「変えたくない」ものかもしれない。

天使は言う

変わらないと今までと一緒だよ、頑張れ

悪魔が言う

変わったって周りは変わらないし、自分だけなんでそんなことしなくちゃいけないんだ?
別に今のままでいいだろう?
お酒さえ飲まなきゃいいんだよ!

こんなやりとりが延々と続く。

ある時ふと思った。

第一に「変えられるものってなんだろう?」

そこがまず、わかっていないことに気づいた。


3本目のひげ:変わるものを変えていける勇気を持つ


だいたい変わるものと変えられないものなんて自分にわかるはずがない。

人は「固定観念」と言う名の正義を持っている。

「こうであるべき」と言う大層な武器を振りかざしているんだ。

そこから解放されなければ、変えられるものも変わらない。

ただいつも自分に問えばいいんだ。

「自分の思い(固定観念)はどうなんだろう?」と。

少し見方を変えると見えてくるものはたくさん存在する。

自分は、相手はこうだから仕方ないという固定観念を捨てる勇気を持つことが必要。

その中で「今、変わるもの」もあれば「今は、変わらないもの」もでてくる。

それは、天寿をまっとうするまで繰り返されることだろう。

変わっているか変わっていないかなんて結果論にすぎない。

でも「変えたいもの」があるのならば、「変えていける勇気」を持ち続けることがI番の近道になる。


「思い」をほんの少し変えてあげる

幾人かの先人の言葉だ。

思いを変えましょう、思いが変われば言葉が変わる
言葉を変えるましょう、言葉が変われば行動が変わる
行動を変えましょう、行動が変われば性格が変わる
性格を変えましょう、性格が変われば運命が変わる

何も周りの人や環境全てに自分さえ変えたらいいとか、それが正しいとは思はない。

今まで自分の「思い」は「自分の固定観念」ではなかっただろうか?と疑問を持つだけでいいんだ。

親だから家族だから恋人だから友人だから、言わなくてもわかるだろう、許してくれるだろう、助けてくれるだろう、だってそれが当たり前なんだから

これは私の固定観念のひとつだった。

人は「人」それぞれに正義を持っている。

ということを忘れてはいけない。

親や家族の言葉を自分の思いや考え方(固定観念)でとらえてはいけない。

ほんの少し思いを変えてあげる。

そこにはほんの少し解放された自分がいる。










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