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自分自身の幸せを考える

生きることの意味

生きることをやめた時、ほんとを言えば楽だったかもしれない。

死ぬの待つ以外考えもしなくていいし、何もしなくていいのだから、そりゃそう。

今だって、生きていれば嫌なこともある、逃げたしたくなることが消えて無くなっているわけでもない。

「生まれてきたなら生きなきゃダメだ」なんて言う人かいるけど、そう言う人は必ずと言っていいほど「生きる意意味を探しなさい」とも言う。

意味がなきゃ生きてちゃいけないのかな?

だいたい「生まれてきたから生きている」ことなんて意味なんているのかな?

「生きているから生きている」でいいじゃない。

意味なんていらない。

でも「生きている」からこそ、より多くの喜びや幸せを感じていたいのかもしれない。


生きる喜びって、幸せってなに?


私が、お酒から脱出したいのは自分自身が幸せになるためだと思う。

幸せってなんだ?
生きることに喜びを感じるってなんだ?

を、考えたとき浮かぶのは娘たちといつも笑い声をあげていたいことだった。

今まで暗い暗い闇の中に追いやってきた娘たちと退院してから何ヶ月か経つうちに笑い声をあげることが増えた頃があった。

その時思った。

それまで私がなんとか立ち直り、あの子たちを幸せにしなければいけないと思い込んでいた。

なんとかしないといけないと思うことで、「生きる」ことに意味を持たせたかったのかもしれない。

でもそうじゃなかった。

あの子たちの笑顔が見たかったのは私自身。
私が幸せになりたかったからだ。
生きる喜びをあの子たちから与えてもらいたかったからだ。

やっぱり自己中心的だなと思うけど、そのことが私の今の「生きる喜び」であり、「幸せ」であり、「お酒から逃れる術」であるのは確かだ。

4本目のひげ:自分自身の幸せや喜びを見つけてゆく

自分自身が幸せになる。

子供ものため、親や姉のためにではなく自分自身が生きることに喜びを感じ、幸せになる。

私自身が幸せになりたいからあの子たちの笑顔が見たい、親や姉に安心してもらいたい。

今まで気付けていなかっただけの喜びや幸せはなんてない日常にたくさんある。  

私は音楽を聴くのが好きだった、読書も、ガーデニングも好きだった。

家に戻り何もすることもなく毎日を過ごしていた頃、もう10年以上していなかった好きなことをしてみた。

たったこれだけのことで喜びや幸せがこんなにも感じるられるものだったことを思い出した。

ちょっと忙しくなったり、うまくいかなくなったり、嫌なことがあると気付けなくなってしまう。

だからこそ焦らない、休む時は休む、ひとつずつ進む。

自分自身の幸せ、喜びをひとつでも多く見つけてゆこうと思う。










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