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「過去の自分」も含めた【人】と比べるのをやめたら、清潔な心を保てるようになった

 嫉妬という感情は厄介なものです。誰かを羨んだり、妬んだりしたくない人は多いと思います。とはいっても、誰もが情報発信できる今、他の人がどんな活動をしているか、どんな生き方をしているかは見えやすく、つい自分と比べてしまい、嫌な気持ちになってしまうことも。
 私も自分と誰かを比べたことはあります。誰かの発信を見て「活躍していていいなあ」「成功していていいなあ」という感情を抱いていたのです。自分の努力不足を棚に上げて「いいなあ」と思うことが、自身を苦しめたり、追い詰めたりしたわけではありませんが、心の動きとしては気持ちいいものではありません。本音としては、人に対して「いいなあ」なんて思いたくはないのです。
 ただ、人気のある人、知名度の高い人、素晴らしい仕事をしている人などを目にして、「いいなあ」と感じるのは自然なことだと思います。実際、自分よりも華やかで、うまくいっているように見えるのですから。

 しかし、あるときに気づきました。そもそも、比べる対象を間違えているのではないか、と。人は一人ひとりが違う個性を持っていて、得意なことや苦手なことも違います。たとえば、目の前に40歳の人がふたりいるとします。その人たちが40年もの間、どんな生き方をしてきたか、どんな人たちと関わってきたか、どんな思いを抱えて仕事と向き合ってきたか——何もかもが異なっていることでしょう。一人として同じ人はいません。
 そう考えると「自分」と「自分とはまったく別の誰か」とを比較するのは、意味のないことだといえます。
 では、比べる対象は何か。「過去の自分と比べる」ことを勧める人もいます。過去の自分よりも成長しているか、成長していないかという軸で見ればいい、というのです。確かに、それもひとつの方法です。ただ、どうしても比べたいのであれば、という条件付きです。

 私は自分自身を人と比べるという一切の行為をやめました。ここでいう「人」には「過去の自分」も含みます。自分と誰か他の人を比べるのをやめた代わりに、過去の自分と今の自分を比べるという領域には進まなかったのです。
 はじめに、誰かと比べるのをやめたとき、「いいなあ」と羨んだり妬んだりする気持ちをなくすことができました。それなのに過去の自分と今の自分とを比べて、たとえば「1年前の自分の方が良かったなあ」と思ってしまうと、「いいなあ」という不要な感情を抱くことになりかねません。
 もちろん、進化し続けている人であれば、過去の自分と今の自分とを比べて「今の自分の方がいいに決まっている」と感じるかもしれません。ただ、人生には上がったり下がったりと波があることも多いもの。私は自分の人生が右肩上がりだとは思っていません。ある部分では上がり、ある部分では下がる。けれども、おかげさまでバランスは取れていて、心地よく生きてはいますが。
 たとえば、収入という側面で見ると、声がかかった仕事をすべて引き受けて、休日もほとんど休まず仕事に費やした26〜27歳くらいの頃は、ひとりで1800万くらいの売上(年間)を出していました。周りと売上額の話をしたことがないため、フリーの編集・ライターとして、この金額が多いかどうかはわかりませんが、まあまあ稼いでいたのではと思います。
 以降は、自分が進みたい方向性に合わせて仕事を選択するようになり、そこまでの売上は上がらなくなりました。その分、人間らしい健康的な生活をしています。収入は当時より減ったことから、もし過去の自分と今の自分を比べると、「あの頃の私の方が(お金を稼いでいるという点では)いいなあ」という思いを抱いてしまうでしょう。

 自分自身に対しても「いいなあ」という感情は持ちたくありません。それはポジティブな感情でないことが多いからです。だから何者とも比べることはやめました。比べるのではなく、今できることを懸命に考えて、やり抜けばいいと考えています。比べてモヤモヤするよりも、すっきりした清潔な気持ちを保つことができるからです。

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