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「質問する役でいたい」と考える理由

意図的に「質問する役」を担うことが多かった。人は自分のことを聞いてもらいたい生き物だから、というのが大きな理由で、特に付き合った相手には問いを投げかけ続けた。

他人の話を聞きたい! という意欲のある人ばかりではない。自分の話をしたい側が多いと感じている。

また、私自身、面白い話ができるわけでもない。だから、基本的に質問して会話を広げていく形式でいい。そう考えてやってきた。モデレーター的な立ち位置がむしろいいと。

職業も関係しているかもしれない。長年、ライターとして仕事をしてきたから、人と会ったら話を聞く立場に回ることが、基本機能として備わっている。

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ある男友達はこう言った。「男たちは、園子さんに話を聞いてもらいたいんだろうね。それが気持ちいい状態なんだと思うよ」。

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距離の近い相手を気持ちよくしている、というのは自分にとって嫌なことではなかった。質問をして相手を知ることができるのは、いいことだとも思っていた。

(皆、何らかの専門性のある仕事に就いていたし、専門的な経験を積んでいたので、インタビュワーとして聞くことは山ほどあった)

逆に、相手が自分の話をした後、私について尋ねてこないのも、違和感はなかった。自分の情報を無闇に出さなくてもいい。ミステリアスな立ち位置でもいられて、むしろ好都合だとホッとした。「秘めた人」に憧れがあった私にはちょうど良かった。

時々、ふと思い出したように、「で、そっちは最近どうなの?」と申し訳程度に聞いてくる相手もいたけれど、あまりにも雑なフリに驚いて「まあ、ぼちぼちですわ(そもそも「そっち」っていう方向的な呼び方やめん?)」的な、雑な返しをしたこともある。雑には雑をぶつける、性格の悪い私。

「相手に話をさせておけばいい。求められなければ、自分の話はしなくてもOK」。そう、考えていた。

互いにそれほど多く質問をしない。代わりに、非現実的な設定(空想の世界?)の話をして楽しむ相手もいた。

それはそれでとても面白かったのを覚えている。くだらないけれど、すべての友人と話せるわけではない話題で盛り上がれる相手はとても貴重だったし、心地よく過ごせるその人のことは、男性としても人としても好きだった。

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現在のパートナーは私に質問をしてくる。はじめのうちは面食らった。そんなに知りたい? 私、そんなに面白い話題を持っているわけでもないのにな、と。

聞かれて、自分の話をしているうちに、相手が楽しそうに聞いてくれることがうれしくなった。

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私のことを好きだから、私に興味を持っていて、知りたがっている。その姿勢はかつて「質問役」を担っていた私とは違った。

純粋な「知りたい」に基づいた行動のように思われた。私はそうではなく、「この人に話をさせておこう。話しているとき、気持ち良さそうだし」という思いが強かった。このふたつは全然違う。

彼に質問されて答えるのは心地よい。このとき、ミステリアスな人であろうと意識することもない。

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とはいえ、これからも基本的には「質問役」でい続けたい。目の前の相手が心地良さそうにしているのを見るのは、私にとっても気持ちがいいからだ。

聞かれたら答える。それくらいでちょうどいい、とは思っている。

時間を取って語りたいことはnoteやMedyに書くので十分だし、時々親友と語り合うのもいい時間。

「質問役」がいないと、話というのは成立しない。だから私は進んで、その役を手にしていたい。

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