価値観の固定。

特に理由もなく、アメブロよりnoteに移行してみました。
理由は、、飽きた。。笑 あとこれくらい殺風景な方が好き。

2009年9月に作家デビューして今年の9月でようやく9年目です。
とは言ってもデビュー自体が27歳だったので大分遅い方なんですよねえ。。

一時期ブログをほぼほぼ書かないようにしたのはアウトプットを
歌詞なり曲なりに集中させた方が良いんじゃないか疑惑がありまして
それであんまTwitterだったりFacebookだったりSNS関連には
あまり積極的に関わらないようにしておりました。

僕は「総量」で物事を考える癖がありまして、
例えば文章を書く、という行為は外へと何かを出す行為なので
曲作りなり、歌詞なりに悪影響が出るんじゃないかな、なんて。。
基本的に自分の持ってる力はほぼほぼ仕事に注ぎ込みたいマンなので
色んな物に気を散らさない、という意図も含めて、でしょうか。

ただ日々色々と考え事をしている上で、これは吐き出したいな~なんて事が
徐々に増えて来たので、またちょこちょこ書いてみようと思います。

最近良く考えているのが今日のタイトルの「価値観の固定」です。

歳を取ると頭が固くなる、なんていうのは良く聞く話ではありますね。
昔はやだなぁ、頭が固くなりたくねーなぁなんて思ってましたが
最近は非常によく分かるようになってしまいました。。

と、言うのも人間生きてる上で色々な役割を年齢を重ねるごとに
「背負わなければいけない」という生き物なんですね。

皆様の「性別」、というのも一個の役割ですね。
それに加えて20歳を越えて社会人にでもなれば「大人」。
「社会人」も一個の役割なのかな。で、出世でもすれば「役職」
結婚をすれば「夫」であり「妻」。子供が生まれれば「親」。

そんな中でアイデンティティークライシスみたいなものが起こって来ます。
役割上で言っているはずの言葉が、まるで自分で言っているように
錯覚する瞬間が出て来てしまうわけです。

恐らく頭が柔らかい人ほどそういう感覚に陥る事は多いと思います。
「いやいや、そうは言ってもそれは頭固いだろ」と思った瞬間に
更に自分をメタ視点で見るもう一人の自分、みたいなものが誕生して
更なる混乱を生み、役割が多い人ほど自分を見失う、的な。

「大人」であり「社会人」であり、更に「夫」であり「親」であり
社会というカテゴリの中では「管理職」とかね。
息詰まりそうな雰囲気プンプンです。

そこで価値観の固定、という現象が起こりやすくなるのかなぁ、と。
ある意味一種の救済だとは思います。固定してしまえばその負担から
逃げる事も出来るでしょう。多分ね。役割が自分を乗っ取る、と言うか。

基本的に役割上で発する言葉っていうのは圧倒的な正しさがあります。
そして正論を放つという快感って結構上位に来ると思うんですよね。
ただ物事には必ず表と裏があるので、正論だけで成り立ってる事って
実はあんまり多くないと思ってます。清濁って言えばいいのかな。

なのであんま役割が増えても役割上の言葉を言ったら
その後で自分が本当に思っている事を言う場を作らないと
バランス取れなくなるな~なんて事を最近考えております。

多分場所なんでしょうねえ、それを解決する手段があるんだとすれば。
今年の頭に帰省した際に浪人時代の仲間とお酒を飲んだのですが
役割がほっとんどない時期の自分を知ってる奴らと話すのは良いな、と。
で、年齢を重ねる程にそこから解放される場所を確保すべきだ、という。

ほっとんど音楽と関係ないですね汗
音楽に関係する事もちょいちょい書いていきますが
基本こういうことばっか考えてる人間でございます。。

あ、最近人狼ジャッジメントにハマってます。

以上長文でした。。


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