孤独が伝わるデザイン


#毎日出す 20190929

昨日は、 WEデザインスクールのクラス最終日だった。「ベーシックコース」という事で、基本的なデザインの考え方と見方、感性の磨き方の基礎を学んだ。開始時の1ヶ月前とは違う見方を手に入れた手応えみたいなものを感じて受講生のみんなも嬉しそうだった。

自分も、新しい視点を手に入れたと思い満足だったけど、最後のワークショップの講評で次の段階を示されたのが印象的だった。

ワークショップについてはクラスで受講してみて欲しいが、基本を押さえたのを褒められつつ「ただ、(より深く考えると)日本人の感覚や文化には合わないね」と指摘された。
今まで具体的に個人に迫って考える事は経験があったけど、「日本人全体」の様な視点で感覚について考えたことが無かった。

デザインは感覚的なものを扱うが、アートとは違って「人の生活をより良くしていくために、その目的が伝わるようにモノやコトを整える営み」と、捉えることができる。つまり、相手がいて成立するものだ。

自分がデザインに惹かれるのは「人の生活を(終わりなく)より良く変えていく」という所だ。
だから、自分が世界からどれだけ偏っているかを客観的に理解して、相対的に世界を知る事で「人の生活」について感覚を磨くという事になる。

少し振り返りに力が入って脇道にそれたが、そういうデザインの力をまざまざと感じた記憶がちょうど最近あった。

今年の9月にニューヨーク(以下、NY)に初めて旅行で行った。そこで見た、「グランド・ゼロ」のモニュメント "Reflecting Absence(不在の反映)"を見たときの記憶が強く印象に残っている。

モニュメントについて書いてある一番わかりやすい記事はこれかも知れない。

https://jun-jun.hateblo.jp/entry/20160125/1453731861

文中にモニュメントを訪れた時の記述がある。この後に、筆者の感想や心の動きが続くが情報の部分だけ抜き出した。

‘’’
KPFから独立した若き建築家マイケル・アラッド(Michael Arad)の提案が5,201案中1等に選ばれ実現した。彼が"Reflecting Absence(不在の反映)"と呼んだ2つのヴォイドは黒の大理石で覆われ、滝が流れ落ちている。
‘’’

書いてある通り、倒壊したビルの跡には大きな四角い穴が空いて、その中にさらに奥の見えない穴に向かって水が流れ落ちている。奥の穴からはどこまでもどこまでも地の底にある別の世界まで水が落ちていきそうな雰囲気を感じる。

このモニュメントを前にした時に、その静かな存在感に圧倒された。そして、自分の中にある親しい人を失った悲しみを感じ、ただその時間を静かに受け止めたいと思ったのだ。
そこには悲しみを何かで埋めて解消しようというとも感じず、ただ失って二度と戻らない事を見つめる時間だけがある。

僕らも、周りの人も、ただ静かに水が流れ落ちる穴を見つめていた。

僕は「9.11」については、ほぼ傍観者だ。例えば映画『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』に出てくる家族のように何か哀しみを抱えたわけではない。

それでも、あの瞬間は当事者も傍観者だった人も等しく「孤独」で連帯した気がした。

誰かの「悲しみ」を感じるのではなく、個人の「孤独」を見つめる。とても現代的なテーマのデザインだった。

おわり。

読んでいて幸せになれたら、僕にも教えてください。きっと、僕も飛び上がるほど幸せです。 感謝の気持ちを、あなたの居るほうへ送ります💌