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新「仕事と私、どっちが大事なの」問題からマーケティング4.0まで

最近は、radiotalkで1日の振りかえりを収録するのにハマっている。録りためていたら、少し考えがまとまって来たので書いてみる事にする。

(Radiotalk, **聞いた方はイイねをよろしくお願いします!**)

考えていたのは、最近は新しい「仕事と私、どっちが大事」問題が出てきたのかなという事だ。

そう、あの伝説のワード。僕がまだ小学校に通うころ、それはモーレツに働いて家に帰ってこないお父さんたちに、そして新社会人として必死に頑張る彼氏に日常的に浴びせられる言葉として市民権を得ていた。その後、1990年代のバブル崩壊と共に久しく聞かなくなったが、今また新たな問題として現れているのではなかろうか?

考えた発端は、『野の医者は笑う: 心の治療とは何か?』の著者、東畑開人氏の文春オンラインでのこの記事だ。

(文春オンライン記事)

現代の会社に勤める人たちは、市場という超巨大で不可解な力に翻弄され、その中で個人として市場価値を高める行為が癒しになっている。そして、たとえ市場価値が高まっても、家族など身近な人々との関係性には別の力学が働き、市場と親密性との間で引き裂かれて生きづらさを感じると結ばれている。

自分のこれまでのキャリアを振り返ってみても、とても納得できる話だった。30才を目前にして、将来のキャリアがイメージできない不安から転職をした。その後も新しく生まれた業界(ソーシャルゲームだったり、ビッグデータだったり)に飛び込んで、足りなかったスキルを補い、成長するために社会人大学院に通い、悩む自分を変えたくて自己啓発のセミナーにも通った。少しづつ自分も変わって、生きやすさを少し感じていた矢先に、今度はこれまで家を空けすぎている事でヒビが入った妻との間で問題が起きる。まさに、現代の生きづらさを体現していた。

ただ、以前の決まり文句とは違う側面もある。

もはや思い出すのも難しいバブルの時代に言われていたのは、「仕事(の職場での親密性)」と「私(との親密性を深めるために時間をとる)」のどっちが大事なのかという問いかけだ。
年功序列に従って出世していき、上司は経験の深い兄貴のような先輩で、彼らが定年退職で手厚い企業年金が出る余生に向かい始めれば自分が跡を継ぐ。会社に死ぬまで面倒をみてもらう。社長は親父で、家に問題があれば号令一下で社員みんなで片付ける。昔の会社は、色濃く「家族」の関係性が組織の中にあった。一緒に時間を過ごした、「同じ釜のメシを食った」仲間との親密性を高めて、一致団結して市場に立ち向かう世界だった。
それと、家長の元に血の絆で結ばれる家族などの人たちとの関係性の間での選択だった。家庭ではなく仕事の顔をしていても、実際に市場(リスク)と向き合うのはトップだけで、つまるところ、絆を深める家族を二つ間でどうやってバランスを取るかが人生の全てだったのだ。

現代の問題は違う。市場と向き合うのは、自分である。容赦なく評価にさらされて、リスクを取る判断を迫られる。家族の中で育って、たいしてリスクを自分でとった事が無いのに、一定の年齢を超えると複雑なリスクの判断に迫られる。多くの場合は、想像できない未来に先延ばしする。絶え間ない緊張の中で、選択肢を増やすために狂おしいほど自由を求める。
一方で、自分を受け入れてくれる場での地位を保つために家族や恋人、あるいは(仕事外の)コミュニティなど自分を暖かく受け入れてくれる居場所作りにも時間を割く。
派手な言い方をすれば、「自由」と「愛」の間で揺れ動いている。どちらか一方というより、各人にあったバランスを見つけていく。人生の一時期を片方に振り切ることはあっても、長い目で見れば両方のバランスを取っていく事になる。
それぞれの時期、(限られた)自分のリソースをどんなテーマの自己成長や、場への貢献につぎ込むか、生き方を選ぶのが人生だ。

現代は、働く事も、恋人との時間も、勉強する事も、癒しの時間を過ごす事も、消費する事も、何もかもが「生き方」を選ぶ作業になっているんじゃないだろうか?

社会人大学院(経営学修士、いわゆるMBA)に通っていたころ、マーケティングの大御所、フィリップ・コトラー教授のフレームワークについても勉強した。
(かなり個人的な見解での理解だが、)学び始めた頃は「マーケテティング2.0」が声高に叫ばれていた。インターネットの広がりに合わせて顧客を個別に捉える事も可能になった時代に製品主導の大量生産ではなく、「顧客のニーズに応える」マーケティングの必要性が言われていた。その後に「マーケテティング3.0」が出て、「マーケテティング4.0」となった。3.0では「共創」が注目されて、潜在ニーズを満たし、顧客の関与度を高め、口コミで広がるのが注目された。背景には、ソーシャルメディアの広がりなどによるコミュニケーションの変化もあると思う。そして、4.0は「生き方」を提案する。物が満ち足りているが、先行きは不鮮明な世界で、様々な行動の全ては「自分らしく生きる」事に注がれていく。

(コトラーのマーケティング4.0)

甘い清涼飲料水は「幸福」を大事にする価値観を売り、化粧品は「自然なままの自分が素晴らしい」と言い、ダイエットプログラムは「理想の自分にチャレンジ」する事の尊さをうたう。
みんな、価値観を主張してコミュニティを作ろうとマーケティング予算をかける。それはスピリチュアルセミナーが受講生を集めてコミュニティ化する事との間に差はほとんど無い。
さらには、オンラインコミュニティやサロンも盛んに立ち上がり、みんなが一緒の時間を過ごそうと競争して「生き方」を売り込む。その「生き方」に家族共々つっこむ人もいれば、旧来からの家族や地元の仲間と過ごす事に価値をおく人もいる。多くの場合は、時間の一部をある生き方につぎ込み、他の一部は別の生き方に割いてポートフォリオを組む。

そんな世界で過ごす人は、入社時に企業理念について説明を受けた事などはすっかり忘れて、日々の会社では目の前の作業を完了するのに集中している。半年に一回の評価面談をしても、自分のキャリアや市場価値が上がるイメージがさっぱり見えてこない。困惑した彼は、転職サイトを眺めながら「生き方」を提示してくれる会社を探すか、癒しをもとめて何かのセミナーに通うか、自分を変えようとジムに通うか、クラウドファンディングで先進的なガジェットにお金を使うか、清涼飲料水を買いに行くかするのだ。

社員が一斉に会社から飛び出さないのは、飛び出した先もまた同じかもしれないという不安の方が大きいからだけだ。こんな状態で事業の継続性どころでは無い。新規事業開発をして成長するもなにも、櫛の歯がかける様にまた一人と社員が辞めていく。そんな混沌とした世の中に会社はいるのだ。

複雑な時代だと言ってしまえば、そこで試合終了だ。次回は会社の事についてもう少し深掘りして考えていきたいと思っている。


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