見出し画像

期待とのつき合い方

ふだんの仕事はデータ分析のコンサルタントをしている。

コンサルタントの仕事をしていると「期待(値)をコントロールする」ということを意識する時は多い。プロジェクトマネージャーとして、クライアントに品質を保証する立場の場合には特にそうだ。

コンサルタントという職業は自分の作業結果にそのまま値段がつく職業になる。いわゆる「(サービス)デリバリー」と呼ばれる職種だ。

今までに4回転職しているが、前職までは営業企画や営業、あるいは管理の仕事だった。出来上がった物を伝えたり、調べたり、調整する仕事だ。
7年前に、いまの会社に来たときに初めて自分自身の作業に値段がつくことになった。一つ一つの作業結果に対する品質への要求が厳しくなるのに、戸惑っていた思い出がある。

当たり前の話で、今は自分が商品そのものだからだ。前職までは、自分の作業結果は(別に卑下しているわけではなく)商品を詰めるダンボールや配送みたいな役割だからクライアントもあまり気にかけていなかった。それよりも、提供する出来上がった物の方が大事だった。

今は、作業結果は商品そのものだから、クライアントは期待に沿うものを提供されたのかとても気にする。なかなかシビアな所もあるが、直接反応が返ってきてやりがいもある。


コンサルタントの作業をクライアントに納める時に重要なのは、「期待」に対してどうだったかが気にされていることだ。

期待より高い価値があれば、驚きとともに喜ばれる。期待より低ければ、彼らは失望する。つまり、提供するものとあらかじめ持っていた期待との相対的な評価で決まる。
だから、提供する事と同じくらい、期待を調整するのは大事だ。実体の価値以上の期待があれば、きちんと適正なレベルに認識を合わせてから、納得して契約を決めてもらう。期待されすぎるのも防がなきゃならない。


そうはいっても、普通は支払う対価に対して何倍もの成果を期待される。そうでなければ社内より調整が面倒くさい外部の会社を使うわけはない。さらに、同じ案件を狙う競合もいる。その中で易々と低い期待値を保ったまま受注できる可能性はとても低い。
さらに、サービス業の特性もある。受注するときに明確に価値が定まっているわけではなくて、サービスを提供する時に(絶対的な)価値が固まるのだ。だから、高い期待に応えるために少し無理をした結果、成長して再現性もある形で、高い成果を出せてしまうことも「よく」ある。

そこが難しくて、かたや堅実な作業管理をしながら、挑戦も見すえて、クライアントの期待値も管理するのがプロジェクトマネージャーの腕の見せ所なのかもしれない。

+++

相手から自分への期待値について書いてきたが、本当に大変なのはここからだ。

まず、自分の他人に対する期待についてコントロールする必要がある。例えばプロジェクトのメンバーに仕事を任せたのに、期日になっても全然できない。むしろ、聞いてみると指示すらわかってなかった。あるいは、プロジェクトを引っ張ろうと頑張って音頭をとったら、誰もついてこない。それどころか、何も反応をしてもらえない。何かあるたびに、自身を失いそうになる。

だけど、これは自分が相手から期待をかけられる立場だとしたら容易に想像がつく。(あくまで自分の場合だけど。)

よく考えれば、自分以上にその人に関心を持つ事などめったに起きない。だから、自分の心地よい事にしか関心がわかない。仮に、他人の言葉で動いているように見えても、元々興味があって機会が訪れただけの場合が多い。

だから他人を動かせるとなんて期待してはいけない。万が一にも動いてくれたら、奇跡的な事だ。驚きと、喜びだ。

+++

そして、何より自分に対しての期待ほど高すぎて厄介なものはない。

期待のコントロールが最も大事なのも、本当は自分への期待値だ。一般的にも自分への期待はとても高い。統計心理学でも「自己中心性バイアス」と一要素に分類されるほどだ。
そんな高い期待をよせた自分は、だいたいいつも何かが足りない。それに迷い続ける人も少なくないのではないか。

あるいは、「素のままの自分が良い」と飾らない自分をかたくなに守るのも、暗黙的には「自分は人より優れている」と考えている。少なくとも、過去の自分はそうだ。
本当は、他人にはちゃんと丁寧に伝えた方が良い。他の人と違うなど、だいたい幻想だ。本当の差は、経験でしか磨かれない。これも自分の場合はだけど。
はたまた、何事にも楽観的なのだって、他人に対する自分の推測に対して期待が高いからなのかもしれない。

疑いだすと、なんて自分への期待が高いのだろうと気づく。どれだけ期待した自分に裏切られてきたのだろう。どれだけ、自分に失望しつつも、また淡い期待を積み上げてきたのだろう。
勝手に傷ついて、どれだけ立ち止まって時間を無駄にしてきたのだろう。そして、その時間を惜しんで後悔したのだろう。
抜け出すためには、ただ前に進むしかない。たぶん、経験だけが自分の未来を変えるのだから。

今は、少しだけ自分自身に期待をしないようになった。諦観だ。

学生の頃、何もない自分を高みに導くために、自分に期待することは勇気を奮い起こすのに必要だった。
でも、社会人としての期待値との付き合い方は、すべて諦観するのがより良い姿なんじゃないだろうか。


おわり。


#毎日出す 20191016 DAY24

読んでいて幸せになれたら、僕にも教えてください。きっと、僕も飛び上がるほど幸せです。 感謝の気持ちを、あなたの居るほうへ送ります💌