エルビスは連邦麻薬捜査官のバッジを手に入れた
ニクソン大統領は、前任のジョンソン大統領から二つの戦争を引き継いだ。ベトナム戦争と国内の薬物戦争である。
共通するのは、マリファナとヘロインだった。つまり、彼の前には反戦左派であるヒッピーと黒人という二つの敵がいたのだった。しかし、戦争に反対することも、黒人そのものも違法とするわけにはいかない。ただ、一般大衆に、ヒッピーはマリファナ、黒人はヘロインを連想させ、その両方を取り締まることでこれらの反対勢力を混乱させることができると考えた。彼らのリーダーを逮捕し、家宅捜索し、集会を壊し、毎晩中傷のニュースを流した。
1969年5月、ジョン・レノンとオノ・ヨーコはモントリオールのクイーン・エリザベス・ホテルで、「平和のためのベッド・イン」と呼んだメディア・イベントを開催した。このイベントで、反戦歌「Give Peace a Chance」が録音された。
その年の暮れに再びモントリオールを訪れたレノン夫妻は、「薬物の非医療的使用に関する調査委員会」のインタビューを受けた。レノンは、「マリファナについて言えることは、マリファナは非暴力だということだ」「もし政府がマリファナを使って人々を落ち着かせようとするなら、彼らは究極の武器を手に入れたことになる」とコメントした。
その後、ジョンとヨーコはニューヨークに移り住み、アメリカの市民権を申請した。二人は著名な過激派活動家と親しくなり、ベトナム戦争反対やマリファナの合法化など、左翼的な活動に没頭していった。
そんなとき、かつてのロックの帝王エルビス・プレスリーが突然アポなしでホワイトハウスに現れた。1970年12月のことだった。
「麻薬撲滅のために、連邦捜査官として協力したい」というエルビスに、ニクソンは面食らったが、面会に応じた。エルビスは、紫のベルベットのズボンとそれに合わせたマント、ボタンを大きく外した白いシャツ、そして琥珀色の大きなサングラスをかけていた。
かれは、ビートルズが若者の「反米精神」の大きな要因になっていると大統領に説明し、ニクソンは、「ドラッグをやっている者が、反米デモの先頭に立っている」と答えた。
エルビスはさらに、「自分は麻薬文化と共産主義の洗脳を研究していて、それが頭の中でつながっているようだ」と大統領に説明した。
喜んだニクソンは、かつてのロックンロールの帝王に連邦麻薬捜査官のバッジを贈り、エルビスはそれをお守りのように持ち歩いた。エルビスは、このバッジを見せびらかしながら、マリファナを使用していたビートルズを非難した。
その頃、エルビスはいつも凧のようにハイになっていた。バルビツールや鎮痛剤、アンフェタミン(現在、日本では覚醒剤に指定されている)などを常用していたからである。ただし、かれは自分が薬物依存症だとはみじんも思っていなかった。かれは、マリファナには厳しく反対していたが、飲んでいる薬は、政府の認可を受けた複数の医師から正式に処方されていたからである。それらは、ニクソンが撲滅を誓ったもっとも取締りの厳しい〈スケジュールⅠ〉のストリートドラッグではなかった。
結局、エルビスは、合法薬物の過剰摂取で1977年に亡くなった。(了)
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