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殺戮は裏庭でも行なわれた (ver.2.0)

南北戦争(1861-1865)の悲惨な戦闘、同胞同士の残虐な殺し合いは、しばしば民間人の裏庭でも行なわれた。

医療資源も技術も粗末なもので、戦場で手足に大きな傷を負った場合、壊疽(えそ)を防ぐために即座に切断されるのが一般的だった。激痛を伴う切断は、大量のモルヒネとアルコールで対処した。手足は現場で弓のこで切断され、馬車に積まれて別の場所に捨てられた。処理には民間人も動員され、女たちも裏庭に転がっている手足のちぎれた死体、腸が飛び出した死体などを処理した。

このような殺戮を目の当たりにすると、一般市民の精神も兵士と同じように深刻なダメージを受ける。

19世紀末に地方に住む女性の間でアルコールやモルヒネの依存症が急増したのはなぜかということが疑問であったが、原因の一つは、この頃に医療資源の乏しい地方で、偏頭痛や生理痛に効果があるとして無制限に売られていた「鎮痛剤」であるが、もう一つの原因は、同胞同士の殺戮を目の当たりにした、民間人のトラウマだったと思われる。

心的外傷後ストレス障害(PTSD)という用語はベトナム戦争後に登場したが、心的外傷が心理的、身体的、生物学的な症状を引き起こすという認識は南北戦争中には明確になっていた。当時は、「過敏性心臓」と呼ばれ、息切れ、動悸、胸痛、疲労、頭痛、下痢、めまい、睡眠障害などが特徴的な症状だった。このような症状は、現在ではPTSDや慢性疲労症候群など、慢性的で制御不能なストレスやトラウマにさらされることで生じる病気として認識されているものと一致している。(了)

補遺】(20221201)
1861年から1865年の間に戦闘で死んだ兵士の数は推定62万人で、これは独立戦争(1975年-1983年)、1812年の米英戦争米墨戦争(1846年-1848年)、1898年の米西戦争第一次世界大戦(1914年-1918年)、第二次世界大戦(1939年-1945年)、朝鮮戦争(1950年-1953年)を合わせたアメリカの総戦死者数とほぼ同じである。もしも現在のアメリカで内戦が起こり、同じような率で戦死者が出たとすれば、その数は600万人になる。

南北戦争では、死による喪失はどこにでもあるありふれたものとなった。死はもはや個別に遭遇するものではなく、死の脅威と現実は、兵士か民間人を問わずすべての者の戦争体験の中で広く共有されるようになった。

死は、もちろん人びとにその処理を強いる。それは比喩的な意味では、生者からの死者の切り離しであり、残された者は儀式や喪に服することで、家族や地域社会の裂け目を修復する。しかし現実的な問題としては、死の処理とは死体の処理を意味する。

野戦病院の外科医のテーブルの脇には、切断された手足が山積みになっていた。これらの腕や脚は、何万人もの識別不能者と同じように個性を失っていた。身体と個人のアイデンティティとの不可欠な関係性が、識別不能な死体と同じように粉々に破壊されていた。

戦闘と殺戮は、野原だけではなく、農場や裏庭などの日常空間でも繰り広げられたため、女や子どもまでもが死体の処理という戦争の暴力に巻き込まれていった。残された者たちは、変形し破壊された死体を、死んだ鶏のように束にして地面に埋めて、処分した。(了)

参考:DREW GILPIN FAUST:Death and the American Civil War(2008)


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