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正義の柱 ギロチン
フランス革命以前は、斬首刑が科されるのは特権階級だけで、庶民には車刑(車輪を手足に打ち下ろして骨を砕き、死に至らしめる刑罰)や火刑など、想像を絶する苦痛に満ちた殺害方法がとられていた。
革命のさなか、刑罰における「自由・平等・友愛」を実現する革新的刑具「ギロチン」が考案された。発明したのは、内科医で憲法制定国民会議議員だったジョゼフ・ギヨタン。囚人の身分や貧富の差にかかわらず、死刑囚の頸部を上から落とした台形の刃で一瞬にして切断し、瞬時にかつ無駄な苦痛を与えることのない、きわめて「人道的」な処刑方法を考案した。
設計図に描かれた緩くカーブした刃を見た国王ルイ16世は、刃は斜め台形の形状にすればどんな太さの首でも切断できると提案した。後に、かれはその切れ味を自らの首と妻のマリー・アントワネットの首で確認することになった。
この革命的な刑具のもとの名称は「正義の柱」だったが、発明者の名から「ギロチン」と呼ばれるようになった。ギョタンはこれに強く抗議したが、結局改められることはなかったので、家族はその不名誉な姓を変えた。
最初の公開処刑は、1792年4月25日午後3時のことだった。その後しばらくは、パリでギロチンの形をしたイヤリングや玩具が流行ったというから、この時の処刑ほど民衆に強烈な恐怖を与えたものはなかった。権力の恐怖をブラックユーモアで笑い飛ばすのは、いつの時代にも共通の民衆の知恵であった。
台形の刃は1976年まで死刑囚の首を切断し続けた。ギロチンが博物館に収められたのは、1981年、当時のミッテラン大統領が世論の反対を押し切って死刑廃止に踏み切ったときだから、ギロチンの刃を研ぐ必要がなくなってからまだ50年も経っていないのである。(了)
注)甲南法務研究第13号(201703)編集後記に加筆
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