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食卓に置かれた靴について
2018年5月に故安倍晋三首相(当時)がイスラエルを訪問し、ネタニヤフ首相の私邸でフォーマルな晩餐会が催された。イスラエルの著名なシェフが最後に出したデザートは、(金属製の)靴に入った「チョコレート・プラリーヌ」だった。これには内外のメディアが驚きをもって報じ、失礼を通り越して侮辱だといった批判がネットでも流れた。食卓に靴を置くことが許される文化は、世界中のどこにもない。
しかし、改めて旧約聖書を読むと、次のような文章があるのを発見した。
むかし、イスラエルでは、物を贖(あがな)う事と、権利の譲渡について、万事を決定する時の習わしはこうであった。すなわち、その人は、自分の靴を脱いで、相手の人に渡した。これがイスラエルでの証明の方法であった。
これは、古代イスラエルでは、贖罪や契約について一切の合意を確認するためには、当事者がそれぞれ靴を脱いで交換するという慣習法があったことをうかがわせる記述である。
晩餐会のシェフが、どのような考えでこのようなデザートを出したのかは分からないが、物事には深い意味が込められている時もある。安倍首相も苦笑いしているだけではなく、とっさに履いている靴を脱いで、渡そうとするポーズを取れば評価も上がったのではなかったか。ジョークには粋なジョークを返せるように、日頃から教養を積まなければと自戒した。
初出 甲南法務研究 編集後記(2019年3月)
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