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若い兵士はマリファナに救いを求めた

アメリカの東南アジアへの戦略的関与は、ヘロインの問題を深刻化させた。

すでにCIAは50年代、中国とビルマの国境付近に住み着いた反共産主義である中国国民党を支援し、アヘンを密輸していた。またCIAは、北ベトナム国境付近で共産主義者に抵抗するラオスのモン族も支援した。モン族の主な換金作物は喫煙用のアヘンであり、彼らの軍閥は反共産主義活動への資金提供を口実に栽培面積を拡大した。

CIAはこのアヘンをビルマ、ラオス、タイの国境が交わる「黄金の三角地帯(ゴールデン・トライアングル)」にある研究所に運ぶ手助けをした。ミャオ族は、アメリカの飛行機、ヘリコプター、ボートを使って、南ベトナムに高級ヘロインを供給し始めた。タイなどの生産国、ベトナムなどの消費国の軍幹部や政治家の多くが、この取引に参加した。CIAは同盟国の軍閥のヘロイン・ビジネスを保護し、その工作員がベトナムでヘロインを流通させた。

米軍に徴兵された兵士は、普通は19歳でベトナムに送られた。彼らの中に酒を飲まずに戦場に立ち向かえるほど勇敢な軍人はいなかったが、21歳以下の兵士には酒を売ってはならないとの規定があったため、若い兵士たちは他の薬物、多くはマリファナに救いを求めた。

多くのアメリカ兵がアメリカの郵便システムを使って本国の友人に物資を送った。負傷して帰国する兵士や、任務を終えて帰国する兵士も物資をアメリカに持ち帰った。ラオスやカンボジアの最高品質の種子を持ち帰り、儲かる換金作物を作ろうとした者もいた。それは金になるヘロインだったが、マリファナもあった。彼らは郵便サービスや物資・機材の輸送を使って、麻薬をアメリカに密輸していた。ボディバッグに入れられた戦死者の遺体も、中に隠されたマリファナとともに帰国した。

1965年から7年間に、ベトナム駐留米軍兵士のマリファナによる逮捕者は2千数百パーセントも増加した。1968年に米軍がマリファナの供給を厳しく取り締まると、麻薬市場はすぐに適応し、多くの兵士がマリファナよりもコンパクトで隠しやすいヘロインを使うようになった。1970年代初頭には、米軍兵士の8割は、ベトナムに到着してから1週間以内にヘロインを持ちかけられるようになった。

1973年にアメリカがベトナムから撤退した後は、アメリカに密輸されるヘロインの約3分の1はゴールデン・トライアングルの研究所が供給した。

  • Richard Daveport-Hines:The Persuit of Oblivion(A Global History of Narcotics)(2002)より

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