雑記06

”難しい表現や遠回しの言い換えは小説のような作品に適用されるものであって現実でわざわざそれを使って説明や会話を行うのはむしろ頭が悪い” みたいな理論、一見筋が通っているけど、これも思考放棄の一種なんだろうなと最近思うようになった。「長考は時間の無駄であり、瞬間的な理解へ導く簡易的な方法だけが時代に合ったスタイルだ」と主張する人々の中にある感性は、2倍速の効率消費を助長するもので、YouTubeのショート動画なんかはその現れなのかもしれない。丁寧じゃなくても、お洒落じゃなくてもいい、ただそこに求められるのは考える必要性の欠けた単純なコンテンツで、その分類は媒体だけに留まらず人や動物にも適応されていく。これってすごくこわい。わたしは学者でも、政治の知識に長けたわけでもないから解決手段や打破法を考えることは難しいけど… 無意識の拡散なのかな

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