日記 2024-06-30

美術予備校の体験に行ってきたりしました。
この記事のBGMは、チラーRhythm です。

4時間ほどデッサンをさせていただいて、諸々の相談などもしたのですが、やはり普段自分の居る『絵の世界』がインターネットで留まっている人間からすると、生身の空気に『絵』が溢れている、むしろ絵以外存在しない空間というのが逆に心地悪かったです。(刺激的、の意味で…)
肝心のデッサンは見る人が見ればすぐにどこのものか分かってしまうような特徴的な要素が含まれていると判断したので、この記事には載せません。自分の用意したモチーフで構図をつくることが出来るようになったら、載せられると思います。
今回の体験で得た気づきの一つでもありますが、多分描く行為そのものより、この"モチーフを用意し配置する"行為の方が難易度は高い気がする。結局はモチーフが危うければどれだけデッサン力があっても画面のバランスは悪くなるだろうし、絶対の土台・基盤なわけで・・・なんて4時間ぽっちしか学んでいない人間が言っていいものでもありませんが、ぼんやりと要素の重要性を知るいいきっかけになったと思います。
しかし、趣味にせよ受験にせよ、デッサンを学ぼうとするならこういう経験は必要不可欠だなと改めて思わされました。何の予備知識もなく、独学で本をかじった程度のときに制作したデッサンと、講師の人にアドバイスをもらいながら絵の空間で制作したデッサンを見比べてみたのです。どちらも素人作品であることには変わりありませんが、やはり絶対的な差がありました。本だけじゃ得られなくて、自宅では出せない力がある。無料体験の数時間でここまで目に見えて差が浮かび上がるなら、挑戦する価値しか無いと思う。
現状、絵を学ぶ上での優先順位として自分の中にあるのは、知識(座学)<環境<実技(経験) です。不等号より矢印(順番)の意が、解釈的には近いかも。
知識は確かにあるに越したことは無いのですが、十数年と絵を描いてきた実感から、重要視されるレベルでは下の方にあるものだと認識しています。不必要だとかそんな極論を言ってるわけではないのだけど、学校の義務教育みたいなものなんじゃないかな。数学なら足し算・引き算・かけ算・わり算の基礎の部分。それがあれば、後は習うより慣れろで十分絵が描けると思う。逆に、全てを学んでから絵を描くぞ!なんて実行したところですぐにプロみたいな絵が描ける人はまず居ないわけで。基礎に後々必要だと思った時に必要な部分の雑学や工夫を足していく感覚を持つことが大切で、自分の中で前提さえ出来上がれば知識は緩やかなアップデートがあるだけで十分なんじゃないかなー…みたいな気づきが沢山あった体験だったよ というお話でした。

ここからは予備校とは関係の無いお話です。
最近の日記。

・本を買いました

少し記事のボリュームに欠けるかなと思い本を買っただけの日には書きませんでしたが、直近で3冊新しい本を買いました!
ずっと気になっていた千葉雄也さんの『センスの哲学』と『黒の服飾史』。そして『ロリータ・ファッション』です。
ついに買ってしまった…。嶽本野ばらさんの著書…。でもこの本を読むにはまだ自分の考えを整理し切れていなくて、私は信念のある人が書いた文章や人格の見て取れる作品が本当に大好きだし尊敬しています。そして、きっとこの本からも確実に何らかの影響を受けます。だからこそ、"読む前"の考えをまとめた下書き記事がいくつかあるんです。そっちをちゃんと書ききって、現状の考えがまとまってからこの本を読みたいなと思っています。(過去の雑記と最近の雑記を見比べたときのような"考えの変化"を分かりやすく視覚化させる試みに興味が湧いているというのもありますが)本当は、『ロリータ・ファッション』よりも先にそれいぬが読みたかったのです。ただ古い本なので残念ながら店舗在庫は無いそうで、後々ネット通販で入手しようと思っています。
『センスの哲学』は、密林でブックサーチを行っていたときにオススメに出てきた本です。普段はレビューってあんまり参考にしていなくて、特に哲学系の本は読み手によってかなり差が出るので星3ついてれば十分…くらいの評価を受けがちだと思うのですが、これが絶賛のレビューだったもので、気になって買ってしまいました。(というより、タイトルや内容がそもそもマニアックではない=万人受けしやすい内容→好意的な評価が付きやすい なのかな) 何となくネットよりも現実の書店で手に取った時の方が達成感があって好ましいので、出先で偶然見つけたときすぐに手に取りました。
『黒の服飾史』はセンスの哲学と同時に買った本になります。私が黒いお洋服を着る理由や散らばった信念にまとまりを持たせたくて購入しましたが、黒いお洋服の歴史を知りたい単純な興味の方が大きいです。それと、帯のキャッチコピーが素敵だったので。
キャッチコピーといえば、『ロリータ・ファッション』に関しても同じことが言えます。「オメーラとは背負ったフリルの数が違うんだよ」の一文は野ばらさんの名前すら知らなかった頃からずっと頭に残っていたし、実際に本を買って、帯の後ろ側に書いてある「そのお洋服に袖を通した瞬間、泣いてしまうんだ。生きる為に必要なものだから」という台詞を読んだときに、私は絶対にこの人の書いた文章が好きになるな…という確証がどこからともなく湧いてきました。
普段は、素敵な文章を見つけると「自分もそこに到達したい!」というような、無謀ながらも冒険的な感情になるものが、私の中にある境界線のようなものを超えた先にある文章や考え方に関しては、憧憬から尊敬に変わるのをゾワゾワとして感じ取れるのです。そういった人や作品に対しては、そこに行きたいという感情よりも、それらをリスペクトすることによって自分の思想を深めるきっかけにしたい…と思うことが、正解のように見えて仕方がない。
だからとても嬉しいんです、私に成長の機会を与えてくれるのはいつも、尊敬している人たちの言葉・作品なので。偉人や尊敬に値する人物に対して、対抗心のようなものを湧かせるのが上手い人も居ます。だけど私はそれが下手で、"戦う"だとかそんなことを考えるのも失礼なくらい尊敬している人と私の間には明らかな差があることを自覚してしまっている。これが無くて、衝突の回数が多ければ多いほど燃えるような反骨精神に満ちた人はきっとまた違いますが、私は素直に相手のいい所を認めてしまったほうが楽になれる気質で。もちろん敗北感を感じることもあるけど、そこを過ぎれば案外冷静に相手を分析するプロセスに移ることが出来るので、そうすると感情的なときよりずっと相手の解像度が上がります。人が知れるということは作品をより深い視点で見られるようになるということで、これ以上嬉しいことも無い。
『理解』を最終目的にすると人は何時までもさ迷うし、勝手に区切りをつけるので結局相手の何も分からずに浅い知識で満足する人間になってしまうけど、分かろうとするのではなく、知って糧にしようと考えていれば、相手のいい所を自分の長所に引っ張ってくることが出来るようになるかもしれない。理解はできないよ、だって他人だから。相手は数式や問題ではない、一人一人が全く異なる思考をする生き物なので。好きなのだから、今より好きになろうと必死に相手を知ることだけを考えていればよくて、でもそれが理解に繋がることはなくて、ただ世界でいちばん深い愛に満ちたリスペクトに変わっていくと信じている。

・アニメイトに行きました

田舎に住んでいるので、おうちの近くのアニメイトでは好きなグッズが売っていない→赴く頻度も減っていたのですが、少し都会のアニメイトに寄ったら欲しいものが売っていて嬉しかったです。東方外來韋編、ポストカード、アクリルスタンド を購入しました!各写真です🛐

東方外來韋編
サークル:玉乃露 さんのフランちゃん『哀』
カズさんのポストカード

例大祭には何度か参加しているのですが、大きめのアクスタを買ったのは初めてでした。このフランちゃんは4種類あって、そのうちの1体がこの哀フランドールです。かわいい
ポストカードに関しては普段全く購入しないのですが、カズさんのイラストだと一目で分かり即購入しました。2018~2022年くらいまで追いかけていた好きな絵描きさんで、本当に嬉しくて。キラキラした色彩と鮮やかな発光の中に垣間見える美しい闇の表現は、褪せるどころか更に魅力的になっていて、東方Projectコーナーでひとり感極まっていました。
右のフランちゃんの配色を参考に絵を描いてみたりもしました、能動的に高彩度を生み出すのがとても苦手なので、難しかったけど新鮮で楽しかった。余裕があったら完成させたいな…
(合同誌用の寄稿絵を描かなきゃいけないので、本当はこんなことしている場合では無い)

大分長くなってしまいましたが、このくらいで。
次はお洋服の記事を書ければいいなと思っています。
ありがとうございました

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