雑記14

自分が今絵を描くという行為に求めているものは、恐らく単純な憶測通りの線をなぞる行為に過ぎないし、同時に、表現の追求を止めない固く信じたものに対する執念に似た信仰心と敬愛の現れでもある。しかし、それは理想論を超えることのない戯れで、客観視してみれば現実は怠惰に塗れた缶ジュースがあちらこちらに点在しているだけの6畳にも満たない空疎なお話。そういえば、丸ペンを買いましたか?紙も減っているような気がしました。丸ペンは買うのを忘れたし、明るい色の紙の束が引き出しからいくつも飛び出た。画鋲の穴だけが空気を通しているような二酸化炭素のこの部屋で、インクに浸されたキャンバスアートを飾ることは密封とも呼べる行いなのかもしれない。乱れた秩序を狂いのない四角形で正しているだけ。狂いようがない。だからこそ感情もなく、コピーらしい単調な声で話しかける。そろそろ美術解剖学の学習を再開したいなあと思っていたけど、印象派展に行ってしまったもので、しばらくしていなかった色の勉強の方がずっと面白くみえた。彼らの扱う色への感情は複雑でありながら、酷く素直だと思った60分。自分が印象派の存在を知ったきっかけなんてただの憧れ。それでも3時間かけて見に行く価値があるよ!なんて安っぽい感想を残してあの場所を去ってしまったことには流石に後悔しているけど、あの場所に立って数秒絵画と目を合わせたらすぐに下がった人間のほとんどは「美術館に行った」という既成事実が欲しかっただけのように見えたから。もちろんわたしはCO2で絵画の表面を穢したし、「この額縁いくらするんだろ?」なんて会話をしていた女の子たちは私のやる気を傷つけた。身勝手な発言と立ち回りの下手な思考は相性が良くない。作品集とキャンバス片手にカフェへ寄ってもあの声が消えず、今も消えていない。肉が一欠片しか入っていないボルシチを食べたせいで!というのは冗談にしても、りんごジュースが美味しくなかったのは本当。ただこの世界には鉄則があって、りんごジュースが美味しくないお店はコーヒーが美味しいし、りんごジュースが美味しいお店はパンが美味しい。

P.S.
今日からクロッキーがんばります

P.S その2
明日は雨だと嬉しいです

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