雑記13

『部屋』というものは、「壁、間仕切り、襖、床、天井などで仕切られ、生活の場などに用いられる、住居などの建物内部の隔てられた空間の区画」という定義のもと成り立つ。人が暮らすための設備が備わった空間は当然部屋と呼べるし、そうでない空間や敢えてそう呼ばない空間(物置、廊下、風呂など)も一括りに部屋と呼ぶ場合がある。もっと人間的な仕組みでは、建築基準法で「居住、執務、作業、集会、娯楽その他これらに類する目的のために継続的に使用する室」を居住と定義される。…というのは前知識で、部屋について思考したいわけではない。偏食家が故にいつの間にか視点も傾いてしまった自分の心を探っていると、”自分にとって部屋とは何か”という疑問をふと持ち始めた。最初はなんとなく「そういった系統」のものを集めて並べて、それだけで気持ちよくなっていたものだけれど それって何か心理的な感覚が働いているような。無理やり理由をつけて自己暗示の世界に取り込まれたいわけではないけど、前に書いた記事で「黒と白のコントラスト」について話したあの瞬間をふと思い出したことからこの記事は始まる。わたしは自分の正体が嫌いで、グロテスクで汚れた生々しい内容物 決して純粋には戻れないそのこころが、肉体的にも そして精神的にも切り離せないところで自分の中に溶け込んでいるその事実が何よりも苦手で。より透明に近い存在になろうと足掻いても、結局辿り着くのはいつも黒くて苦い泥水のような終点。屈辱的で、ご最もで、逆らう気力も湧かないほど当然の形・色。それでもわたしはフランドールという存在を誰よりも身近で感じてみたくて、自我なんてない息もしない、そして誰も掴めない、認識できない、空気のような浮遊物になりたい。それは自分の持つ色とは程遠く、少女時代に失ってしまった欠片のような記憶。それでも今の黒を愛したいと思うことがあって、それをより顕著に理解するため、自分のことを分かってあげられるように 信じてあげられるようになるため わたしは黒い衣装を好き好んで着ている。お洋服とは本来、身に纏う芸術作品だとわたしは考える。特に自分の好んでいるようなゴシック・ファッションは、作り手の感情や精神が丁寧に紡がれてひとつの形になっている紛うことなき実体。わたしはそれを着る、あるいは自分の一部として認識することで、黒い部分を愛せるような感覚を掴もうとしている。事実、自分の持っているお洋服はどれもとても可憐で美しい。一枚一枚が繊細に重なり合った軽いレースや、黒の主張をより黒へと近づける毅然とした組紐。そうして何より、現世に存在する多くの衣装の形態に組み込まれながら、その美しさの本領を発揮する場面が限られているパフ・スリーブ。これらの要素は単なる「黒い洋服」で終わらせられるほど単純なものではなく、それぞれに歴史と魂が篭っている。なのでわたしは特に黒いお洋服のことを概念だと思っているし、それを着ている間は心做しか所作に美しさの片鱗が現れるような気までしている。それくらい、黒いお洋服に込められた精神は気高い。こんなふうに熱弁しても、きっとわたしが黒いお洋服を着る理由はそんなにわかって貰えない。百も承知の上でこんな記事を書いているけど、これはとんでもない自己満足で、同時に残したい記録でもある。自分の浅い経験上では、考え方なんてのはすぐに変化してしまうもので、お風呂に入っているとき思いついた数多くの名案は湯気と共に空気へ溶けてそのまま午前2時辺りには忘れ去られてしまう。自分の頭で思いついてメモ書きするために何度も暗唱したはずなのに、案外他人の適当な一言が何年も自分の中で渦巻いていたりする。それくらい曖昧で脆いものを、こうして電子機器に頼ってでも文字に残すことはわたしにとって大きな一歩であり、大切だと信じた感情を書き残したことが分かる唯一の証明でもある。…少し脱線したので話を戻すと、それほどまでに執着をしている黒いお洋服と部屋の関係性についてだ。これは先に書いておくべきだったかもしれないけど、インテリアに関しては基本的に白を基調としたテーマがすきだということ。言いたいこととしては、ここからが本題かも。そんなに黒が好きなのにどうして黒い部屋にしないのか?というのは、最初は自分でもよく分からなかった。近所の家具屋さんには白いアイテムが多いからとか、元から所持している小物が白っぽかったからとか、何年も過ごしてきた部屋の壁色が白だということにようやく気づいたからだとか、要因みたいなものは多くある。でも、コントラストを意識したのが最初のお話なのは事実。特に複雑な理由でもなく、黒に身を包んだ人間と白一色の部屋に生まれるコントラストは見ていて楽しいものだと思ったから。わたしがずっと追いかけている一人のひとが「部屋という空間に自分の魂が存在することへの気色悪さ」を話していたことがある。衝撃的な話だったし、その考えに撃ち抜かれてからしばらくは自分もなんとなく部屋でスマホをポチポチとしているこの実体が嫌で嫌で仕方なかった。(それくらい今までの考え方に影響を及ぼしているひとで、尊敬や憧憬の気持ちが止まない方なので)これはあくまでも今から書く考えの基盤が作られるきっかけとなった出来事というだけで、直接は関与しない。今も自分は白い部屋にいて、白いものに囲まれて、なんとなく白いなあと思いながら過ごしている。その白を見つめ、深く吸い込んだあとに意味を見出す。これは自分への戒めであり、抗うこころの現れなのだと そう解釈する。部屋は服と同じくらい心の内が大きく反映される部分で、生活スタイルや家具の趣味は特に内面性を顕著に表す。混じり気のない純粋で無機質な透明になりたい。けれど、深く渦巻く黒い部分を信じてあげたい。それが自身の服装と部屋に、対比という形で表れているのだとしたら。元々着る服に関しては一種の表現とその過程だという捉え方をしていたけど、心の赴くままに飾りつけて特定の印象を与えるこの部屋という存在も、紛れもない表現なのかもしれないと、そう思うことにした。統一性のある一色がテーマになった部屋は印象としては清潔感を与え、本人にとって余計な要素を排除している感覚や、精神的な部分でのこだわり故にその色ではないというだけで取り除きたくないものを自ら奪っていることもある。それくらい誠実で、純白な空間を創りあげたいから。そして、その裏にある複雑な感情こそが、なぜそうしたいのかという理由を思い出す大きなきっかけになるかもしれない…とか。

疲れたので、まだ白くなかった頃の過去紫色のベッドで寝ます。(はやく白にしたい!)

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