雑記04

人間の老化と好きなものを好きでい続けたいという話。ツイッターでは何度も話している話題だけど、精神の老化に伴う肉体の老化が重なると 今はこんなに愛おしくて大切でたまらないものに嫌気がさして、気づいた頃には自然と離れてしまうのが必然的…という話。そんな現象にはとても耐えられないし、想像するだけで毎日苦しい。実際にそういった人間を見てきたから言えることなのだけど。私の場合、絶対に自分の中から失いたくない熱や精神といったものは主に絵を主軸としたフランドール・スカーレットに関する思想で。ずっとずっと好きでいたい。今の熱量や感情を維持し続けることは難しくても、それを失うことだけは絶対にしたくない。わたしという人間の人生を構成している重大なもの。そんなに大事なら歳をとったって失ったりしない、と言われればそれに頷くしかないけれど、こんなこと考えてしまっている時点で 自分にはずっと好きでいられる自信なんか無いんだ、ということを自覚させられるのが本当に苦しい。これは願いで、もしかしたら祈りかもしれない。好きでいたい、好きでいさせて欲しい、どうかこのまま好きであれますように。自分にしか決められないことをそこにない何かに委ねて楽になろうとして、そんなことしている間にも私の中から大事なものが遠のいていく感覚がしていて、こんなに好きなのに、愚直なまでに”どん底”を歩み続けていて。見て見ぬふりをするように、気づかないように、やり通そうとしている。打開するにはきっとこれら全ての事実や感情と和解するしかなく、でもそれって今はまだ知りえないくらい大きな未来を潰す可能性もある行為で、じゃあこのままここで足踏みし続けていればいいって、そういう話でもない。(むしろ、留まれば留まるほど暗転していく気がする…) 歳をとった自分が想像しにくいのも理由の一つなんだろうな。不健康な生活で最近肉体的にもあまり体調が良くなく、ストレス的な要因から来ていたはずの腹痛が内臓の不調から来ている可能性もあって。体重も増えないし、栄養不足で倒れる回数も多くなった。誰がどう見ても長生きはしなそうな体なのもあり、自儘な考えだけれど 好きが途絶える前に死んじゃえればいいのに、なんて思ってもいて。そんな理想論に倒れ込んでいるようじゃ結局何の解決にもならないのは分かっているはずなんだけど、どうしても現実を直視できない。何か一つ失ったとしても、何か残っている人はまだいいと思う。でも、それを失ってしまったらもう何も残らないからこんなに必死なわけで。もし自分からそれが無くなったらどうなるのかな まず生きがいが途絶えて、仕事に影響して、働けなくなるか廃人になる? 元々不安定なのもあるし生きれなくなるかも 自分の信じたものを失うって、裏切られたわけでもないのにおかしな話だけど そうとしか表現出来ない、ごめんなさい むしろわたしが裏切ってしまうのかな 考えたくない この先どう生きていけば失わずに済むかより、この先どういうふうに死にたいかを考えて、失う前にいちばん好きを一番好きなまま抱えて落ちることを想定すれば、多少は楽になれる気がする がんばりたい ちゃんと

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?