見出し画像

ベルモンド四十九日


和田誠の『勝手にしやがれ』


 ジャン=ポール・ベルモンドが亡くなって四十九日。ベルモンドはたぶん、もちろん仏教徒ではないだろうし私も仏教徒ではないけれど、死んで最後の審判が行われる日という意味ではキリスト教とも関連があるような。
 大学でフランス語を取っていた時に、隣町の映画館で「勝手にしやがれ」と「気狂いピエロ」の二本立てがかかり、課外授業みたいな感じで担当教授や学生で連れ立って観に行った。先生はアンナ・カリーナファンだったようで、彼女のデンマーク訛りのフランス語がとてもキュートでそこが聞き所と言っていたけれどフランス語そのものが聞き取れていなかったので先生の思い入れは全く理解できなかった。それよりベルモンドに魅せられたが、母と同い年だとはあの頃は知らなかった。
 「勝手にしやがれ」の最後でベルモンド演じるミシェル・ポワカールが警官に撃たれて走って逃げるカンパーニュ通り。まだ聖地巡礼なんて言葉もなかった1980年代の終わり頃、パリ出張の夫に同じ所走ってもらって満足していた。
1992年、ベルモンド主演のシラノ・ド・ベルジュラックの東京公演も観に行った。

画像2

 ベルモンドはヌーベル・バーグのアイコンと、その後のルパン三世やコブラのモデルになったと言われるようなコメディアクション両方のイメージがあるけれど、新宿武蔵野館のベルモンド傑作選の観客は派手なアクションに快哉を上げるおじいさんだらけでやっぱり後者のイメージのほうが強いんだなーと思った。
 ゴダールと袂を分って以降はスタント無しの個性派アクション俳優として活躍したけれど、その時代のスタンダートとか演出とはいえ女性を平然と平手打ちするような場面を見て引いてしまい、マッチョすぎるベルモンドからは距離を置いていた。
でも、付かず離れずベルモンドはずっと好きな俳優として心の中にあった。

 家の壁の「モラン神父」のポスター。ヘラヘラ女好きキャラを封印して、でも昔ちょっとボクシングやってたんだとおどけてみせたり、ピアノが無くても葦笛でも吹きますって淡々と言う、人の心を翻弄する若き日のベルモンド。
次に会うのは天の上で。

画像3



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?