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ちょっと手紙を書いてみたくなった - 『少女たちのお手紙文化 1890-1940』展

郵便料金、今年の秋にまた値上げするらしい。
年賀状書くのをやめて久しいし、事務的な送付以外に日常の通信手段で郵便を使うことは殆どなくなっているので「また値上げか〜」と嘆くのもおこがましいが。

昔、パソコンもスマートフォンもなかった頃は、それなりに手紙書いていたなあ。どの切手を貼ろうか迷うのも、レターセットやシールを集めては友だちと交換するのも楽しかった。

町田市民文学館ことばらんどで「少女たちのお手紙文化 1890 - 1940」展。

初めて行った町田市民文学館ことばらんど。町田駅からちょっと歩く。町田の土地勘がそもそも全くないので、地下や道路をまたぐ歩道橋など入り組んだ駅周辺から正しい方角に出るのに一苦労。
iPhoneを逆さにしたり斜めにしたりしながらGoogleマップの経路を辿る。

建物は駅の喧騒から離れた住宅街にひっそりとあった。レンガタイルのこぢんまりした建物で、入口にはカフェも。なかなか雰囲気のいい場所。

展示室は2階。

ちょっと文化祭っぽいアプローチだけど
展示室はちゃんとしていてきれい。

1890 - 1940とあるように、明治から大正、昭和初期までの女学生文化、封筒や便箋類、女学生たちが交わした実際の手紙が展示されている。(撮影不可なので、以下画像はフライヤーより)

東京女子高等師範学校附属高等女学校
(現 お茶の水女子大学附属高等学校)の1934年頃の制服

女学校があちこちにできたことによって、少女文化は花開いたそう。

少女雑誌も続々と刊行。
雑誌といえば、少女向けに限らず昔の漫画とかの読者のページには「ペンパル募集」コーナーが必ずあって、実名や自宅住所が載ってたな。
本の後ろにも、直接自宅にファンレターを送れるように著者の住所がしばしば記載されていた。
今では考えられないけれど。

当時女学生たちから絶大な支持を得ていたという京都京極さくら井屋の封筒。東京では榛原や伊東屋が人気で、原稿用紙を便箋として使うのも流行っていたらしい。

封筒、カラフルでデザインも凝っているけれど、当時の封筒のサイズにびっくり。
どれもポチ袋ですか?ってくらいに小さい。
当時の便箋自体、薄くて小さかったからこのサイズで充分だったのだろう。

封筒のフタ(?)を閉じたところに貼る封緘シールの展示もあった。松本かつぢのシリーズとかも。こういうの、たくさん集めたくなる〜。

実物の手紙も沢山展示されていたが、達筆すぎたり旧仮名遣いだったり字が小さ過ぎたりで解読に苦労。
でも、最後の方にそれらを全て書き下したものをファイルして、ゆっくり座って自由に閲覧できるコーナーがあって有り難かった。
一つ一つプリントアウトして注釈もつけてあって、学芸員さんgood job!大変な作業だったでしょう。お陰で細かい部分を楽しめた。
ありがとうございます。

「乱筆にて、失礼致します、サラバ」
「では此れでお別れ致しませう アバヨ」

大正や昭和初期の女学生らしく、基本すました「てよだわ」話法なのだが、たまにぶっきらぼうに締めくくるのが面白い。
さよならを「小夜奈良」と暴走族みたいな漢字にしてみたり、封緘部分に「√3」と記して割り切れない思いを込めたり色々遊んでいる。

「今日はね 一時間目が体格検査よ、"ズロースをはいて来い"ですつて 無茶でせう、」
なんてどうでもいい学校生活の一コマ、かわいいなあ。

女学生だけでなく、詩人の八木重吉が婚約者の富子に送った膨大な数のラブレターも展示されていた(こちらも学芸員が書き下したファイル有り)。
う〜ん、ちょっと重い…。いや、私に送られてきたわけではないけれど。とみ子さんが嬉しくて幸せだったのならいいじゃん、外野はお黙り!なんだけど。八木重吉は富子とめでたく結婚し子も授かったが、結核で29歳という若さで亡くなった。
ギュッと凝縮された日々で綴られたラブレターだったのか。
でも、自分が書いたプライベートな手紙が展示されるのってどうなんでしょ。それをしっかり見た私が「どうなんでしょ」と言えた立場じゃないけれど。

ところでこの展覧会のポスターデザイン、いいなあと思った。

フライヤーも4種類ある

イラストレーター石田和幸のデザイン。色や線にインパクトがある。今どきの絵柄なんだけど、あずき色?海老茶色?やウグイス色が当時の女学生のイメージでレトロ。

展覧会は3/23まで。ガラスペンのワークショップや、昭和レトロな紙ものの魅力を語るトークショー等のイベントも。

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