見出し画像

ランニングと膝と骨切り術4

<大田原でサブ3.5>
 2015年3月の横浜マラソンはその後距離不足で記録は公式として残らなくなりチェッと思ったが、2回目のフルマラソンで3時間40分いけたのでこうなるとますます欲が出てきて次は3時間30分切りだ!とまた鼻息が荒くなる。でもサブ3.5はそれなりの練習をしないとそう簡単には達成できませんよとジムのパーソナルインストラクターにも釘を刺され、日々のランにも坂道練習やインターバル、ビルドアップをこの頃からやっと取り入れてみるようになった。
 横浜の次の大会をどこにしようか迷っていた時に、記録が出やすいと聞いたのは秋の筑波。でも「栃木の大田原は参加者もそう多くはないから走りやすくてオススメ!」と前年の大田原の大会で初フルにして3時間14分で完走したインストラクターが猛プッシュしてきた。参加者少なくて走りやすいのは失礼ながら筑波ほど知名度が高くないからだろうと思っていたら、制限時間が4時間だからと知ってびっくり。そんな恐ろしい大会は…と尻込みしたが、号砲が鳴っても全く前に進まなかった横浜の時のスタートの長い長い待ち時間はもういやだなと思っていたので、恐る恐るエントリー。HPのトップも炎がメラメラ燃え盛っていて「のろまはエントリーすんな!」と言っているようで本気度を試されている気分。

画像1

 参加者が少ないので希望すれば7箇所に自分のスペシャルドリンクを置くこともできる。こんな経験はめったにないので、100円ショップで容器やモールを買って作ってみた。中身はポカリにアミノバイタルとか気の抜けたコーラ。

画像2

サブ3.5のペース配分がまだ体に入っていないので、腕にも準備。
 そして当日2015年11月23日、大田原は底冷えのする曇り空だった。会場の女子控室は畳敷きの武道場でストレッチや着替えもしやすくとても快適。列は後方だったが号砲と同時に動いて確かにストレスのないスタートが切れた。3時間半のペーサーについて前半は気持ちいいくらい順調。でも大田原のコースは高低図を見るときれいなVの字でハーフまでは下り、残りはずっと上がるという帰りはこわいパターン。しかも雨が降り出し気温がぐんぐん下がり、給水所に置いてもらっていたスペシャルドリンクは手がこわばったりすべったりして2本取り落し、ポケットのエナジージェルもパックが開けられず歯で噛みちぎるぐらい指先の感覚がなくなった。だんだんペーサーの背中が小さくなっていき、腕に書いた時間よりもGarminの数字が大きくなってきたころやっと平地になって最後の力を振り絞ってゴール。
 結果は3時間29分6秒という首の皮一枚のサブ3.5だった。走り終えて控室に戻り靴紐をほどこうとかがんだら、脚や腹筋がつり全身が硬直して起き上がれない。スタッフに肩を借りて医務室に行き、15分ほど休ませてもらった。車椅子で運ばれて来たり抱きかかえられたりとヘロヘロのランナーたちがその間も次々とやってきて、改めて大田原の怖ろしさを目の当たりにした。ゴール付近で待っていた夫と娘からも「顔が青ざめて悲壮感漂わせて帰ってきた」と言われ、高揚した気分でフィニッシュしたホノルルや横浜の時とは違い、マラソンの厳しさを痛感。
でもこの頃は、練習すればちゃんと速くなるということがわかりランの面白さに目覚め、体力も脚も絶好調で走るのが楽しくてしかたない、まだ幸せな日々。
(その5に続く)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?