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ランニングと膝と骨切り術3

<3ヶ月後にサブ4>
 2014年12月、初めてのマラソンで4時間7分23秒だったので、次は以外と4時間切りいけるんじゃない?思うようになり、どんどん練習量を増やしていった。ジムでは自身もランナーであるインストラクターについてパーソナルトレーニングを受け始めた。
もともとスポーツジムは、スイムのために入会した。学校の体育でしか水泳を習ったことがなかったので、平泳ぎならいくらでも泳げたけれどクロールは50mが精一杯。きれいなフォームでゆったりとクロールでまず100m泳ぐことを目標にジムに入会した。当時そのジムは成人向けのスイムレッスンがとても充実していて、泳法やドリルやレベル別にたくさんのクラスがあり、同じ内容のレッスンでも違うインストラクターが教える場合もあったのでいくつか取ってみて、キックならこの人、ストロークはあの人、と選択肢が色々あった。その後ジムは経営方針を転換してキッズスイミングスクールに力をいれるようになってしまい、成人レッスンがどんどん消滅したうえにフリーで泳げるコースもキッズスクールとぶつかる時間は減らされ、大人の会員はプールで肩身の狭い思いをするようになった。
とにかく、良き時代の成人レッスンのおかげで、地道に浮身から始めて無事クロールで1000mでも2000mでも泳げるようになり、昔のカエル足ではないアップデートされた平泳ぎやバタフライも教わって、トレッドミルで走ったり筋トレをしたりスタジオレッスンに出たりした後、プールでゆったり泳いでクールダウンができたのはとてもよかったし、泳ぐことで心肺機能も鍛えられていたのだと思う。ランの方は、だいたい平均ペース5'45"で月間250kmぐらい走っていた。
 

 そして初マラソンから3ヶ月後の2015年3月の横浜マラソン。エントリーした時点ではまだ最初のマラソンも走っておらず自己記録を持っていなかったので、予想タイムは5時間にしておいたらナンバーカードのブロックはE。スタートラインが全然見えないはるか後方で「ありあけのハーバー」のCMソングを何度も聞きながら待ち、号砲から10分ぐらいしてやっとノロノロスタート。コースは高速下に入るまでと折返して高速に乗る以外は横浜の名勝が見られてウキウキするし応援も賑やかで、豪華な給食も色々あってホノルルの時と同じように楽しみながら走れた。が、今回は4時間切るという目標があったので、折返しからはペースを上げ、前を走る人たちのナンバーカードのアルファベットがC、Bが多くなってきたなと思ったら、4時間のペースメーカーを抜いていた。
高速を降りて山下公園まで来たら友人や家族の応援もあり、前回のように失速することなくフィニッシュ、記録は3時間40分36秒。
ただし、この年の横浜マラソンは距離計測ミスで42.195kmに100mぐらい足りなかったことが後でわかり、公式記録として扱われないことになってしまった。それでも一応4時間は切れたので、54歳、2回目のマラソンでめでたくサブ4を達成できた。
 そして、ますますランにのめりこんでいく…。(4に続く)

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