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ランニングと膝と骨切り術5

<そして膝壊れる>
 2015年の大田原マラソンで命からがらサブ3.5できたが、あまりにも苦しかったのでその後はしばらく無理せず時間にこだわらずに走ることにした。南は沖縄から北は北海道までの色々な大会では、途中立ち止まってご当地名物の給食をゆっくり食べたり沿道の応援を楽しんだり、まさにファンラン。それでもランニングクラブではトラック練習も続けていたので、3時間40分台から大崩れすることはなかった。ハーフマラソンや駅伝形式のリレーマラソンにも出て、チームでたすきを繋いて走る楽しさも知った。
 次の記録更新の目標は3時間25分、走るのは2016年11月のさいたま国際マラソンと決めて、その前の慣らしとして同年8月末の北海道マラソンにエントリー。暑かったがコンディションは良くて前半は抑え気味で3゜28’37’’。もうちょっと頑張っておけばよかったと思ったが、さいたま国際で本気を出せば目標いけるだろうと甘く考えていた。この北海道でのタイムが最後の記録となるとはこの時はもちろん知らない。

 2016年10月10日、ジムの屋外ランニングレッスンに出て下り坂を走っていた時に、左膝に激痛が走った。今までに経験したことのない痛み。でもこれまで縁石の段差で足首を捻った以外足の故障とは無縁だったので、すぐに治るだろうとペースを落として走ったがますます痛みがひどくなる。走るのが無理になり、足をひきずりながら歩いて帰宅。夜になると熱を持って腫れてきたので翌日整形外科を受診した。膝まわりを触診して関節液溜まってるねと水を抜き、炎症止めを注射しておしまい。医師はスポーツドクターと言っているわりにはフルマラソンが何キロなのかも知らず、私が「来月の大会は無理ですよね」と聞いたら「大会?マラソンレースね。そりゃちょっと厳しいよ。レースはパンティだけにしときなさい」と、今の時代にまさかのセクハラ発言。横で控えている看護師は、あさっての方を向いて遠い目をして黙っていた。
何回かの注射で腫れは引いて歩くのは問題なくなったが、玄関三和土の掃除でしゃがむと痛いし、正座もできない。水抜くだけのセクハラ医師はもう嫌なので病院を変えようと紹介状を頼んだら「あそこの病院はライバルだから僕は不本意」とふくれっ面。はぁ〜〜?
その後晴れてライバル病院に移ってMRIを撮り、そこで「変形性膝関節症」と診断結果が出た。ついに来たか。

 変形性膝関節症…ジムのロッカールーム近辺で時々耳にはしていた。そして、新聞の健康系雑誌や書籍の広告などでも脊柱管狭窄などと共にやたら漢字が多い整形外科系の名前として目にもしていた。でも、それはシニア世代から上の人たちが罹るものだと思っていた。考えてみたら私はもうシニア世代の入り口にいたのだった。
診断を下した2つ目の病院の医師は、今の状態であればまだストレッチや筋トレで膝に負担をかけないような方向にもっていけると思うが、深刻化したら手術になると言う。「どんな手術ですか?」と恐る恐る尋ねると「人工関節置換術か、骨切り術」との答え。人工関節は知っている。これもロッカールームでおなじみだ。この手術をしたジムのお姉様方は何人かいらっしゃる。でも、骨切り術というのは初めて聞いた。人工関節置換術と比べてめちゃくちゃ原始的な名前。字面だけでも思いっきり怖い。説明してもらうと、脛の骨に切り込みを入れて人工骨の楔みたいなのを打ち込んでボルトで締めて…と、名前のまんまやないですか!そして痛そう!そんな手術は絶対に回避したい!
まあ、でも今はまだ即手術というわけではないということで、当分様子をみることになり、筋トレはジムのパーソナルトレーナーとも相談して、大腿四頭筋・ハムストリングス・中殿筋と、体幹強化のメニューを増やしてもらった。

 11月13日さいたま国際マラソン当日、ランニングクラブのメンバーも多数出場するので応援に行った。秋晴れの下、風を切って目の前を駆け抜けるランナー達が眩しかった。エントリーキャンセルはできなかったので、実は大会前日さいたまアリーナの受付に行き、自分のナンバーカードやノベルティのサングラスはもらってきていた。付けることが叶わなかったゼッケンのアルファベットはS。大田原の記録が反映されて代表チャレンジャーB枠が取れていたのだった。無念!

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受付会場にいた川内選手(の、等身大看板)と記念写真。

(その6に続く)

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