散文集#23 中毒についての私見と自己分析

 活字中毒という単語が存在する。小説、評論、論文、百科事典など、内容は問わず活字でできているものを定期的に摂取しないと落ち着かないという状態、あるいは性質を指す。
 「活字」を求めて中毒症状を起こすから「活字中毒」なのだとするならば、私は「芸術中毒」と定義できるだろう。
 「芸術」とは書いたが、何も高尚な趣味を持っているわけじゃあない。もちろんクラシックコンサートに行くことや美術館に行って鑑賞することも好きだが。私が定期的に欲するのは漫画や小説、はたまた演劇や舞台演奏など、広義で芸術に入るもの全般である。そのなかでもとくに、なろう原作の漫画や小説は大好物だ。なぜなら、運が良ければWeb版と言う名の前編無料作品にありつけるからだ。(とても失礼な物言いなのは承知である。)
 書籍化されたもので面白いものは購入して作者を応援したいし、漫画アプリで公開されているならできる限りのハートを押して電子版購入もしていきたい。全てにそうすることは残念ながらできないが・・・。
 そして、私は雑食なので、様々なものを食べてきた。一次創作も二次創作も、ゲームやその他様々な媒体で表現される物語、あるいは世界を求めてさまよっている。
 気になった本は片っ端から読んで見るし、漫画も小説も全年齢から成人向けまで興味が向いたものは何でもとりあえず見てみる。合わないと思ったものもいくつかあるが、それでも面白いものに出会えたことは数多くある。
 だからこそやめられないのだ。きっと芸術に魅入られているのだろうと思う。いや、もっと正確に言うなら、「表現すること」に魅入られているのだろう。そして、表現の幅を広げるために色々なものを取り入れようとしているのだろう。
 何かを形作り、表現し、伝えることを諦められない。どうしようもなく芸術という表現媒体にすがりついてしまう、そんな人間なのだろう。魂に染み付いてしまったシミのように、二度と戻れはしない。それでいいかと思ってしまうあたりがもう、手の施しようがない気がするが。

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