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20240822

人生には眠くても寝られない日がある。今日はそう。


①イニシエーション
お盆の間中、今まで仕事に対してやる気がありすぎたのを反省していた。人生がそれに飲み込まれるのは本末転倒で良くない。

仕事は楽しいが、毎朝目覚めた瞬間に「働かなきゃ……」という焦りがくすぶり始める。
今まではエイヤッと声をかけ頑張って起き上がっていたが、最近はまず、目を閉じて「ダリィ〜〜〜!!なんもしたくね〜〜〜!!!」と絶叫する。

そのまま1時間置物のようにベッドに横になり、焦りと苛立ちを十分噛み締める。最高に嫌な気分が、孫悟空の緊箍児みたいに頭を締めつける。

頭の働きが鈍ってくる。もうなんでもいいや、とりあえずパソコンの前に座ってそれらしいことやりゃあいいだけなんだ、と捨て鉢な気分になってくる。
もっと働かなければ、よりよい社会人でいなければ、などという理想からくる焦りは失望にとって代わっている。

毎朝、この理想への失望という儀式をしてから仕事に臨んでいる。



②なぜ燃え尽きてしまうのか
なんでこんなことをしているのかというと、私は仕事が(休職に追い込まれるほど最悪な状況でも)まあまあ好きなのだが、それはつまり「誰かのためになっていると感じることで、自分が嬉しくなれる」からである。

基本的に、自分が自分であるというもっともシンプルな事実に心を蝕まれ続けている。

自分の存在に引け目があるので、誰かが喜んでくれると、それによって自分の価値も高まる気がする。

でもそろそろそういうの、卒業してもいいかなって。
自分が存在することの重み(原罪的なもの)と向き合って、それでもなお、私ってスーパーイケてるじゃん?ギャハハ! って思える人間でいたいから、お手軽な存在承認ツールとしての仕事を遠ざけている。

承認欲求ツールとして仕事を利用するのがイヤなんだよね。そう思ってると、仕事上のちょっとした対立とかで完膚なきまでに自己否定された気分になるから。


③こたつでみかん
最近はメンバーに権限移譲するように心掛けているのだが、めちゃくちゃ上手くいってる。

っていうか……私は社会人6年目ということもあり、マネージャーの肩書を持ってはいるが、当然各メンバーの方が諸々詳しい。
彼らが業務上困ってることに対して、私は完全に無力である。

ゆえに「こういうことで困ってるんですよね」と相談されても、毎回「そうですか……何もできないので、せめて応援します!」としか言えない。

リーダーとしてこんなんでいいのか? と思うのだが、逆にそんなもんの方がいいのか、最近はメンバー間でかなり和気あいあいと会話している。
こたつでみかん食べてるときみたいな安心感とゆるやかさがある。

仕事が自己承認ツールになってるのはそれはそれとして、でもこういう関係性の人々と毎日顔を合わせられるのは幸せだな、と思う。


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