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20240718

毎日書きたいなどと言っておきながら、更新が滞りすぎている。でも書きたくない(まだ言語化したくない、不透明さと向き合っていたい)ことを書くのも違うので、悩みどころですね。


①東京のよいところ
東京生まれ東京育ち(悪そうなやつらは全員友達)なのだが、この街が好きになれない。
自分の人生第一部に、やすりのようにザラついた部分が多すぎて、どこを歩いてもその記憶が呼び覚まされる。
特に中高があった街に行くと、いつも俯いて、恐ろしくて世界に顔を上げることすら出来なかった頃を思い出して、完璧に絶好調な気分もぶち壊しになる。ハブの駅なので行く機会は結構ある。

加えて、この感覚が私だけにあるものなのか、東京に来た人がみんな感じるものなのかわからないが……「何者かであれ」と絶えず言われている気分になる。
この街に、駅に、道に、目が眩むほどいる他の人間とは違う誰かでいなきゃ、と思わされる。私はそんなこと思ってなくて、その人が幸せで心地よく暮らすのが最もすばらしいと心から思っているのに。

京都に暮らすのはたしかにすばらしいアイデアで、あの歴史と自然にあふれる、完璧で調和した街に暮らす幸せは計り知れない。
でも結婚して夫を愛しており、家庭を作ることを考えると、どうしても東京に妥協することを考えないわけにはいかない。(夫が京都に来る案もあるが、それは彼に今までの人生とキャリアを捨ててくれと願うことに他ならないので、無理強いはしたくない)

なので、この街を愛してみることにした。
よいところを探す。頑張れば愛せないではないところを探す。
何者かであれ、というこの街から発せられるプレッシャーを無視する。というより、私が周りの人をまったく気にしないようにする。漫然と歩いて漫然と暮らす。

今日のところは、近所にブランコ漕ぎ放題の公園を見つけたのでよしとする。自分専用のブランコがあると考えれば、愛せない街でもない。


②Not Immersive読書
最近、以下の小説を読んだ。

  • 三体2 黒暗森林

  • ロシア文学の教室

読みながら、自分の無意識のクセに気がついた。

私の人生第一部の反省として、「本の世界に入れ込みすぎる」がある。
その時読んでいる本の思想・思考方法・文体に没入すぎて、自我を失って精神状態が滅茶苦茶になってしまう。本来的にそういう人間ではないのに、思考がジャックされてしまい、「自分もそういう人間である」と誤解する。

興味深い本であればあるほどその傾向が強かった。
三島由紀夫はまさにそうで、私の人生に多大な影響を与えたと思うし、一時私の座右の銘は『若さが幸福を求めるなどというのは頽廃である』だったんだけど、それがどこまで本来の自分の性質に合致していたかは疑わしい。

18のとき(大学に入るとき)に、これからはもっと自分独自の思考・思想を打ち立てていこうと思って本を読むのをやめた。というより、本ではなく現実の世界にもっと向き合おうと思った。

色々経て、自分の人生の決定権を握るとはどういうことかわかってきて読書を再開したんだけど、それでも「ヤバい、これ以上読み続けると入り込んでしまう」と思った瞬間に読むのをやめていることに気づいた。

これがなければ、自分のことを三体2の章北海だと思って生きているヤバい人になるところだった。危ない。


③映像
昔は映画・アニメ・ドラマ、その他映像作品を見るのが苦手だったんだけど、最近は大丈夫になってきた。年取って落ち着いてきたのかもしれない。
鬼滅の刃をイッキ見できてうれしかった!

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