stand.fm 13 :: 『即興の拡張概念“Creface”、”現象する音楽” 』
即興的創造を拡張する概念 "Creface"
引き続き佐々木敦さんを迎え、Uozumi (Pf)が用いる即興的創造を拡張する概念 “Creface” (くれふぇいす , 創造を意味する creo と 表面を意味する face の造語) について話題にします。
即興的な創造には、(演奏や作曲などの)概念的なルール以外にも、物理法則、身体や空間、エージェント(演奏者やロボット、プログラミング)に観察者(観客)などが暗黙または明示的に関わっており、これらを意図的にhackすることで、巻き起こる即興を設計可能になるというものです。
※その実践として、SjQ++や2021/2/28の公開実験などが挙げられる
Crefaceについては、Keio SFC Journal の招待論文として 2021年3月に出版予定
現象する音楽
そこから対話はさらに深い角度で突き進み、「現象する音楽」に話題は及びます。
これは端的に言うと、音楽とは個々人の中に現象するものである、ということです。人が音楽を聴くとき、決して脳内に音楽が耳を通して入力されている訳ではなく、ひとりひとりが音を聴いて心の中に、音楽という体験を創り出している。つまり、同じ音や楽曲を聴いていても、人によって全く異なる音楽を聴いているのだ、ということです。
詳しくは放送内で語られているように、ジョン・ケージの “4’33”などを端緒に、サウンドウォークやリスナーの思い込み、リスナーの存在が即興演奏者に与える影響など、多面的に言及されています。
Appendix
マルチエージェントシステム
システムのモデル化技法のひとつ。歯車のようなシンプルな振る舞いをする部品群ではなく、自律して動作するエージェントと呼ばれる要素を複数組み合わせてシステムを構成する。ここでいう自律とは、入力に対する反応、パラメータなどによるエージェント毎の個性や多様性、内部状態など。単純なルールをエージェントに与えておくことで、様々な挙動が生まれる。コンピュータサイエンスで、社会や群衆の振る舞いなど、挙動を数式などで一般化しにくいものを扱う時に有効である。そもそも即興性のある現象はエージェントモデルで捉えるべきで、わざわざ言及しなくても非イディオマティックな即興演奏はそもそもマルチエージェントシステムである(と筆者は思う)。SjQでは、この手法をリバースエンジニアリングする形で、演奏者にもルールとして与えたり、演奏が巻き起こるルールや環境をジェネラティブな映像として用いるSjQ++などのプロジェクトを行ったりしている。
外部参考:Wikipedia
コンロン・ナンカロー (1912~1997)
メキシコの現代音楽作曲家。ただし生まれは米アーカンソー州。
ピアノロールと呼ばれる、紙に孔を開けることで楽譜情報を転写したロールを用いる「自動ピアノ」の可能性を追求。自動化技術により、人間の身体的な限界を超越する楽曲を構想した。
タブララサ
白紙の状態。アプリオリ(生得的)な知識がなく、経験による知識もまだない状態。放送内では、音楽やそれに関連する知識がない者が、それを活かして「真に自由な即興」を試みようとしても、それを実現する段階で環境・道具・演奏者などの要素に絡み取られ、真の自由には至らないという意味で用いられている。即興におけるこのような自己言及性は、この分野の取り扱いを迷宮的でそれ故に魅惑的にしている。即興が時折、精神性や魔法的な概念と結びつけられるのもここに起因(していると筆者は思う)。
この辺の近傍の話題として、ダグラス・ホフスタッターによる "Gödel, Escher, Bach: an Eternal Golden Braid" (邦題:ゲーデル、エッシャー、バッハ―あるいは不思議の環)が非常にエキサイティング(スティグマジーの事例にある蟻のコロニーの話題も出てくる)。即興的創造についての話だと捉えると随所で妄想が止まらなくなる