電人少女マリ

電人少女マリ

第一回
登場人物
矢口まみり 私立ハロハロ学園に通うぶりっ子、トランジスターグラマー

矢口つんく 街の発明家、夢遊病者

モーニング娘っ子 不良 矢口まみりの同級生
  
ダンデスピーク矢口 矢口家で飼っている三百年間生きている猿

ゴジラ松井くん 落ちこぼればかり集めたハロハロ学園のヒーロー、ハロハロ学園内の不良女たちにモテモテ

富家多恭子  ゴジラ松井くんの母親。むかし、矢口つんくと恋愛関係にあった。

警視庁刑事 王沙汰春 むかしナボナのコマーシャルをやっていた。正論を言うが誰からも相手にされない。この男の同類で長縞重尾というのがいるが、この男の名前が出てくると今だに涙ぐむ馬鹿がいる。馬鹿の代表(狂言役者、徳光ぶす夫、ぶすを演ずるのが得意)

ハロハロ学園
赤煉瓦で出来た校舎だけは立派な学園、私立ハロハロ学園は知らない人が見れば、ちょっと見にはまるで国の由緒ある記念的建造物のようである。感じとしては東京駅を小さくしたように思われる。校舎の真ん中にはヨーロッパの中世の町並みにあるような針がこったかたちをしている時計台が立っていて、校庭も赤煉瓦の壁で覆われている。赤煉瓦の壁の外にはプラタナスの並木が続き、秋になれば恋人たちが寄り添って木の葉の敷き詰められた歩道の上を散歩をするのがふさわしい。
 しかし立派なのは校舎だけでその内実はともなっていなかった。このハロハロ学園に通って来る高校生はどの高校からも入場を拒否されたものたちばかりで、落ちこぼれの集団だったのだ。この学園には入学試験はなくてただ試験のときに答案用紙に名前を書けばいいだけというだけのお粗末さで、入学金さえつめば誰でもこの学園の門をくぐることが出来たのだった。それも正規の入学金は一万円ぽっきりでどうにもはしにも棒にもかからない生徒だけがやって来て、それに諸雑費の一万円を積むと入学を許された。
 こんなべらぼうに安い入学金でも生徒が集まらないのは若年人口の減少ということもあったが、この高校を出るということが恥にはなってもどこででも誇ることが出来ず、就職や進学をするときにはあのハロハロ学園と聞いただけで採用担当者が眉をしかめるという渋い現象が実像だったからである。
 このハロハロ学園の三階の三年馬鹿組の教室で落ちこぼれたちが授業を受けていた。
 まだ二十代半ばの井川はるら先生が黒板の前に立つとチョークをとって花の雄しべと雌しべの縦割りにした図をすいかの三倍よりも大きな図で描いた。
 「それではこの花の雄しべに当たっているものは人間の男性でいうと何に当たっているのでしょうか」
井川はるら先生はねっとりした目で教室内の生徒たちを見回すと、ある女子生徒のところでその視線は釘付けになった。
「やっぱり、当てたよ。当てたよ」
「やっぱり、はるら先生のお気に入りのまみりに当てたぜ」
男子生徒たちは声を潜めて苦笑していた。
しかし、女子生徒のまみりに向けた瞳には憎悪の炎が宿っていた。とくにこの教室にいる落ちこぼれの最右翼、不良集団、モーニング娘っ子たちの表情には険しいものがあった。まみり、本名、矢口まみり、背が低い、いわゆるトランジスターグラマーだが、最近、女っぽくなってきた。井川はるら先生のお気に入りの生徒であるが、本人にはその深い意味はわからない。
「質問をされたら、まず立ってちょうだい」
そう言われて、矢口まみりは席を立った。井川はるら先生は自分の楽しみのために矢口まみりひとりを立たせた。しかし、その意味を本人はわからない。でもほかの生徒たちは知っている。
「まったく教室をなんと心得ているのかな。教育者としての自覚が足りないんじゃないかな」
男子生徒が下の方でぼりぼりとつぶやいた。井川はるら先生はそんなことにも頓着しない、ただ自分の欲望のままに従って矢口まみりを立席させて矢口まみりと対面している。この教室の中で井川はるら先生は矢口まみりとただの二人きりである。矢口まみりは自分が何で立たされたのかわからなかったが、井川先生はやっぱりじっとまみりを見つめている。先生の楽しみのためだけにこの教室の時間が使われ、ほかの生徒たちは辟易していた。
そんなことにおかまいなしに井川先生は雄しべの断面図の上をチョークでたたいた。
「矢口さん、これが男性のどこの臓器に当たっているかわかりませんか。答えてちょうだい」
矢口まみりには、それが何であるのか、わかっていた。でも、なんでこんなところでそんなことを答えさせるのだろう。井川はるら先生はきれいな人だが、ちょっと変だと思った。 そのとき、この教室の中でも少し異彩を放っている生徒が急に挙手した。
他の男子生徒と比べると一倍半ぐらい、身体が大きい。まるで巨人である。そしてどう見ても高校生には見えない。偉人のようでもあった。
「先生、矢口さんにそんなことを答えさせるのは可愛そうです。それは男性のREPURODUCTIVE ORGANです。答えがわかったんだから、座ってもいいでしょう。矢口さん、座れば」
矢口まみりはちらりと男子生徒の方を振り返って、また井川はるら先生の方を見た。井川はるら先生の瞳の中には一瞬、炎のゆらめぎがあった。
「ゴジラ松井くん、あなたとはライバルになりそうね」
すると男子生徒は照れくさそうに後頭部を掻いて青春スターのよう座った。
 ライバル、矢口まみりにはなんのことかわからなかった。ライバルってどういうことかしら。そしておもしろいことには不良少女たち、モーニング娘っこたちの矢口まみりに向けられた嫉妬の炎がこの男子学生が発言したときさらに高まったことである。
 この男子学生の名前はゴシラ松井くんという。この落ちこぼればかりが集まっているハロハロ学園に奇跡が起こった。ゴジラ松井くんは中学を卒業するときにすでに虚人軍から入団のオファーがあった。しかし、なぜだかわからないがこの最低の学園に入学して来たのである。
 そしてこの学園のヒーローになった。すべてのハロハロ学園の女の子はゴジラ松井くんにメロメロである。この学園の中でも最低の連中であるモーニング娘っこたちは自分をふりかえる反省もなく、ゴジラ松井くんにメロメロである。
 しかし、ゴジラ松井くんは意中の人がいるのだろうか。そのことを言わないが、矢口まみりに好意を持っているようなないような、なかなか本心をうち明けない。矢口まみりはこの学園に入園したときからゴジラ松井くんを好ましい人と認めていた。
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第二回
矢口まみりが放課後、廊下を歩いていると向こうから井川はるら先生が出勤簿を胸に抱きながら歩いてくる。井川はるら先生の歩く姿は女のまみりから見ても美しい。足のさきにまで美がつまっているみたいだ。
 すぐに井川はるら先生は立ち止まった。そしてほほえみながらまみりの方を見る。教室の中での厳しい表情とはだいぶ違う。
「矢口さん、さっきは変な質問をしてごめんなさい。矢口さんじゃなきゃ、答えられないと思ったの。矢口さんに答えさせたかったわ。横からゴジラ松井くんが答えたので興醒めだったでしょう。ねぇ、今日は先生は忙しくてね。放課後、生物準備室に来てくれない。化石の整理があるのよ。あなたの勉強にもなると思うわ。ねっ、きっと来てね」
そういうと突風のようにまみりが返事をする間もなく、白衣のはしをなびかせて廊下の向こうに行ってしまった。そして、その姿をただぼんやりと見ているまみりの肩を叩く人がいる。ふりかえると、憎からず思っているゴジラ松井くんである。
「ゴジラ松井くん」
「矢口くん、何をぼんやりと立っているんだよ」
「井川はるら先生に放課後、生物準備室に来いって」
「矢口くん、井川先生には気をつけないといけないよ」
「気をつけないとって、どういうことなの、ゴジラ松井くん」
「僕は学食でオロオロシーを売りに行かなければならないからこれでおさらばするよ」
「気をつけなければいけないって一体どういうことなのよ。それにしても、あなたって、昔、巨人軍にいて、オロナミンシーの宣伝をして、ヤンキースに入団した松井くんとどういう関係なのよ」
矢口まみりはよくわからなくなった。廊下の外に生えているツワブキの葉を見るとその葉の上でなめくじがうごめいている。ゆっくりとゆっくりと厚い油紙のような上でなめくじが動いている。矢口まみりは急に手を洗いたくなった。廊下のはじにある手洗い所に行き、取っ手のところが忍者の手裏剣のようなかたちをしている古いかたちの蛇口をひねるといきおいよく、水が流れ出した。そこでじゃぶじゃぶと手を洗うと自分の顔が鏡に映る。左右は逆になっているが事実、自分の顔だ。わたしの方がよっぽどあの不良たちよりは美しいと思う。でも不良たちはたくさんいる。それに異常に腕力が強い。でも、なんで不良たちはゴジラ松井くんがいるとあんなに嫉妬心を燃やすのかしら。きっとゴジラ松井くんが好きなのよ。きっと。ここで矢口はゴジラ松井くんと一緒に春の日に川端で日向ぼっこをしている図を心に浮かべてみる。ゴジラ松井くんはほかの男子よりも一倍半くらい大きい。でも自分と並んでも不釣り合いなことはない。ゴシラ松井くんならシロツメクサで首飾りを編んでくれるかしらと思った。
 そんなことを考えているときのことだった。うしろの方でスカートのすそを異常に長くたらした女たちの集団がせまってくるような感じがした。
「おい、矢口」
その集団の先頭に立っている背が高くてスカートの丈を廊下につくくらい伸ばしている女が声をかけた。その横にはやはり同じように高校生のくせに年を食っている女が立っている。そのうしろには高校生か中学生かよくわからない女たちがたくさん背後に控えている。
「おい、お前、生意気なんだよ。ちょっとぐらい可愛いと思って」
不良グループ、モーニング娘っこのひとり保田が声を荒げた。
「どこが生意気なんですか」
相手が不良だが自分は何も悪いことをしていないので矢口には反感がわいた。
「可愛い子ぶってるって言うんだよ」
唇をねじけて飯田が言った。
「うちには空手を習っている舎弟もいるんだからね。ちょっと紺野さん、見せておやり」
飯田がそういうと紺野さんが前に出て来て空手の型をやった。腕や手を動かすたびに息を吸ったり吐いたりする。
「これは単なる空手家だけじゃないよ。紺野さんはもっとすごい武器も扱えるんだからね。そしてそれだけじゃないよ。刑事をやっていた女もいるんだよ。おい、加護、出て来な」
すると丸まっこい顔をした女が前に出て来てヨーヨー芸をやり始めた。お前は隠し芸大会か。
「人、呼んで、スケバンデカ、愛」
ヨーヨーが回転して空気を切ってものすごい音を立てている。
「わかっているだろう。わたしたちの悪の実力が」
「それでどうしたというんですか」
「お前もわからない奴だね。可愛いこぶるなって言っているんだよ。つまりだ。わたしたちのアイドル、ゴジラ松井くんから手を引けと言っているんだよ」
「そんなことを言っても矢口はゴジラ松井くんとつき合っているというわけじゃないわ。ばかばかしい」
顎をしゃくりながら得意のポーズを作っていた飯田は急に癇癪を起こしてきっと矢口まみりの方をにらんだ。
「嘘、言うんじゃないよ。今日の井川はるら先生の授業のときだって可愛子ぶってもじもじして、*****って言わなかったじゃないか。もう、頭の悪い女だね。また、ひどい目に合わせてしまうよ。シャワー室事件を覚えているかい」
その事件を確かに矢口まみりは覚えていた。ハロハロ学園は落ちこぼればかり集めた、ばか学校だったが、その施設は日本一だった。体育の授業のあとで汗をかいたあとは個室のシャワーがあってそこで温水のシャワーが出てくる。矢口まみりが体育が終わってからシャワーをあびて外に出て来ると、自分の衣服がなくなっているではないか。矢口まみりは途方にくれた。矢口まみりがバスタオルを巻いて途方に暮れているとあまりに長いことシャワー室のドアが開かないことに不審に思ったすけべ教頭の蛭子が、この男はこの高校の教頭のほかにナンセンス漫画も連載しているのだが、見に来た。シャワー室の開き戸の戸越しに矢口まみりの美しい顔が見えるではないか。肩のあたりは素肌が出ている。
「矢口くん、どうしたんだい。その格好は」
「教頭先生、服を脱いで置いておいたらとられてしまったんです」
「そうかい」
そう言いながら教頭の蛭子は何もしようとしないで、タオル姿の矢口まみりの姿をニタニタしながらいやらしい目付きで見つめている。いいものを見つけたと自動販売機の釣り銭出口で客が持ち帰らなかった釣り銭を見つけたような気持になっているのかも知れない。
最初のわたしのバスタオルを巻いた姿を見る男性は私の好きな人よ。それなのに何よ。蛭子のすけべ親父。お金ちょうだいよ。
 矢口まみりには不愉快な思いでとして残った。飯田がふたたび口を開いた。
「バスタオル事件の犯人はわからなかったわよね。迷宮入りだったわよね。みんな私たちがやったのよ。矢口、お前が悔い改めない限り、また同じ目に会わせてやるからね」
「何を悔い改めるというんですか」
不良、モーニング娘っこたちが得意気に自分たちの戦績を語っているうちにそれを見ていた生徒のひとりが職員室に教師を呼びに行った。しかし、その前にある男がやって来た。
飯田がはりせんを肩の上に上げて矢口まみりをしばこうとすると、上に上げた手首をつかまれたそしてどうしても動かない。紺野さんがその男の足下に来るとすねのあたりをさかんに正拳突きをやる。そしてスケバンデカ加護がヨーヨーをさかんに男の脇腹にぶつけていた。まるで巨人ガリバーと小人の戦いのようだった。アンドレア・ジャイアントと二流プロレスラーが戦っているようでもあった。
「やめないか」
コジラ松井くんは飯田の手首を強く握った。飯田ははりせんを落とした。
「やめろ。やめるんだ。矢口さんをいじめるなら僕が相手をする」
すると飯田の目から涙がこぼれ落ちた。新垣は廊下の上の方、空中をポワポワと漂っている。飯田ははりせんを下に落とすとじっとゴジラ松井くんの方をうるんだ瞳で見つめた。
「ゴジラ松井くん、あなたのことが、あなたのことが・・・・・・・」
飯田が泣きながら駆け出すと娘っこ軍団はそのあとを追って廊下からいなくなった。しかし、新垣はとり残されてしまった。まだ空中をプヨプヨと浮遊している。ゴジラ松井くんは落ちていたはりせんをとると新垣の頭を思い切りしばいた。飛んでくる軟球をバットで叩き割ってしまうゴジラ松井くんのことである。新垣はゲジゲジゲジゲジゲジと意味不明なことを言いながら廊下に落下する。廊下の上でまだゲジゲジゲジゲジとぐたぐだ言っている。普通の人間だったら、死んでしまうか、けがをするだろう。大変な生命力である。しかし瀕死のようでもあるが仰向けになって顔だけはニタニタと笑っている。
「松井くん、ひどいわ」
「だって、矢口くんをいじめた相手だぜ」
「保健室につれて行きましょう」
「でも、汚いよ」
「そこにちりとりと箒があるわ」
矢口まみりは廊下にへばりついている新垣を箒とちり取りで取ると、保健室に連れて行った。そこには看護婦姿の安倍がいた。安倍は消毒薬の入っている洗面器で手を洗っている。
「ゴジラ松井くん、誰を連れてきたの」
ちりとりの上に載っている新垣を見て安倍は声を上げた。
「きみたち、なんて事をするの。これは天然記念物じゃないの。これで理事長が生徒募集の目玉商品にしようとたくらんでいることを知らないの」
安倍はちり取りの上の丸まっている新垣を取り上げるとベッドの上に置いた。新垣は安倍になついているのか、安倍の動きを目で追ってほほえんでいる。口からは喜びがあふれてよだれをたらした。安倍は新垣の耳の裏の付け根のあたりに赤チンを塗った。矢口まみりは保健室の中の消毒用のホーローびきの洗面器を網膜の残像残しながら水色の保健室の入り口のドアをしめた。
「先生、お願いします」
矢口まみりはゴジラ松井くんと一緒に帰ることにする。赤煉瓦の塀を出るとプラタナスの並木が続く歩道に出る。秋になると黄金色の道になる。赤煉瓦の塀には蔦が絡まっている。
「一緒に帰らなくても結構ですのにの」
「また、あの性悪、不良集団が君をいじめにやってくるかも知れないから、送るよ。でも、これまでにもこんなことがあったの」
「わたしって可愛いでしょう。だから、飯田とか、保田とか、新垣とか、辻とか、みんなねたんでいるみたいですの。この前なんか、シャワーを浴びていたら服を隠されてしまったの。犯人が誰だかわからなかったんだけど、今日犯人がわかったわ。あの性悪不良グループ、モーニング娘っこだったのね」
ゴジラ松井くんはいかがわしい想像をたくましくして、にやついている。
「君って、身体は小さいけど出ているところは出ているね」
そのときゴジラ松井くんの夕焼けで出来ている陰のかたちは狼のかたちをしていた。それからふたりは川のはしを歩いた。土手に生えている背の高い草が川風に揺れ、川になかばつかっている漬け物石みたいな大きな石の上にやごが飛び乗った。それからふたりはいい感じできつねの社のあるところを右に曲がって広い道に出る。その道を歩いて行くとどこも同じような建て売りが立っている。その並びに変なかたちをした家が一軒、立っている。まず家のかたちがゆがんでいる。長方形ではなくて平行四辺形である。そして、いろいろなところから青や赤の太い、管がたっていて、家の側面からいくつもパラボラアンテナのようなものが出ている。その家よりもおかしいのは、オズの魔法使いに出てくるような銀色のブリキの服を着た男が立っていることだ。その家より少し前で矢口まみりは立ち止まると斜め上方にあるゴジラ松井くんの顔を見上げた。
「ここでいいわ。今日はありがとうございます」
矢口まみりはゴジラ松井くんにペコリと頭を下げた。
「あの変わった家が君の家」
「そうです。寄って行く」
「いいよ。今度にする」
そこで沈黙があった。
「目をつぶってくれる」
矢口まみりは目をつぶった。
すると唇のあたりに暖かい感触があった。矢口まみりが突然、目を開けるとクレーターのようなゴジラ松井くんのにきびのあとが飛び込んでくる。あっけにとられている矢口まみりをあとに残してゴジラ松井くんはもう百メートルを十一秒を切る俊足を生かして百メートルさきにいた。
矢口まみりがあの奇妙奇天烈な家の中に入るとあとから玄関のドアを開けてブリキのきこりの格好をした男が入ってきたそして応接間のソファーにどっしりと腰をおろす。
「今のはまみりの恋人かい」
「そんなんじゃないわ。あれがゴジラ松井くんよ」
「ああ、中学卒業の時点で虚人軍に入団が決まっていたのに、どういうわけか、ハロハロ学園に入学したという物好きはあいつかい」
「ハロハロ学園はわたしが通っている高校よ。そんなに悪口を言わないで。それより何よ。いつまでそんな格好をしているのよ。家の中に入ったら脱ぎなさいよ。パパ。そんなもの何の役に立つのよ」
「まみり、パパの発明を馬鹿にするものじゃないよ。物騒な世の中だからね。このモビルスーツが完成したら、どんな強盗に会ってもこわいことないさ」
矢口まみりのパパは発明家である。名前は矢口つんく。発明家らしくなく、髪を金色に染めている。矢口まみりの母親はまみりの小さい頃に死んでしまった。
パパつんくはテレビのスイッチをひねった。そこに警察関係の人間が登場した。
ここ最近、大変な銀行強盗が出没しているそうである。決して警察につかまらないし、どんな金庫でも開けてしまう。
ブラウン管の画面の中では警察関係者がテレビ局のアナウンサーと対談していた。
「こちらが警視庁、警部、王沙汰春氏です。今度の一連の銀行強盗事件は同一の人物の犯行だと睨んでおられるようですが。警部、どうでしょうか」
すると警視庁、警部、王沙汰春の顔が大写しになった。
「おい、人の女房の遺骨を盗んで何が面白いんだ。犯人、君の母親の遺骨が盗まれたら君はどんな気持ちになるか考えて見てくれ、君を決して罰さないから家族の気持ちを考えて遺骨を返してくれ」
そして王沙汰春は沈痛な面もちになった。
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第三回
警部
ソファーに深く腰を沈めている矢口まみりは身体を乗り出して、その警部の顔をよく見た。世の中には大変な目にある人間もいるものだと矢口まみりは思った。
 それから襲われた銀行の金庫の中が大写しになる。札束や有価証券類がばらぱらに散らばっている。犯人は足のつかない金塊や宝石だけを持ち去ったものらしい。
 向かいのソファーに座っている矢口まみりのパパの矢口つんくは足を組んで唇を尖らしながらそのニュース現場の映像を見ながら、
「僕の発明した、どんなことをしても壊れない金庫だったら、平気だよ」と言った。
矢口まみりは自分のパパながら、この人が発明家だなんて信じられない。どこから見ても銀座のホストである。髪の毛を金髪に染めて眉を細く削っている発明家なんているだろうか。発明家というのは薄汚れた白衣を着て、頭はぼさぼさでなければならないんですと矢口まみりは思うんです。それにもうひとつ気に入らないことが矢口まみりにはあった。
 明治の文豪は です、ます、であると文末を結んでいる。バカボンのパパはいいのだと文末を結ぶ。矢口まみりの思う発明家の理想の姿は なるなりで文末を結ばなければならないと思う。まみりのパパもなるなりで文末を結ばなければならない。そう約束したでしょう。
「矢口のつんくパパ、家にいるときはなりで言葉を結ぶって約束したじゃないですかなり、矢口さんはそれが希望なるなり」
「まみりがそう言うならそうするなり、それがママのいない寂しいまみりへのパパつんくの贈り物なり」
「パパつんく、矢口さんはうれしいなり」
「それで、矢口さんを送ってきた大きな同級生は矢口さんの恋人であるかなり」
「そうでないなり」
「でも少なくても、友達かなり」
「そうなり」
「学校は楽しいかなり」
「学校は楽しいなり、ハロハロ学園は最高なり。でも、いじめっ子がいるなり。矢口さんが可愛いもんだから、ねたんでいるなり。その筆頭がモーニング娘っこなり」
「なんだって、まみり、ハロハロ学園の中でまみりをいじめる子がいるのかい」
「つんくパパ。矢口さんって可愛いじゃない。それで男子生徒にモテモテじゃない。だから、飯田とか、保田とか、辻とか、へちゃむくれたちが矢口さんのことをいじめるんです」
「それでどんなことをされたんだ」
「更衣室でシャワーを浴びていたら服をかくされちゃったんです」
「それはひどい。まみりにはママもいず、可愛そうな子なのに」
「でも、ゴシラ松井くんが今日は不良、モーニング娘っこをやっっけてくれたんです」
「それは大変なことだなり。そんなことが重なったら、まみりはゴジラ松井くんのことが好きになってしまうなり」
「つんくパパ」
矢口まみりはじっと自分の顔を見つめているつんくパパの背後の方を指さした。
「バナナが欲しいと言っているなり」
矢口まみりの指さした方には小さな猿がつんくパパの背もたれのうしろから顔を出している。目のまわりに菱形に白い毛がおおっていて、身体は貧弱である。赤ちゃんの猿のようにもすごい年寄りの猿のようにも見える。上唇を差し出して歯茎を剥き出しにしてさかんにバナナを要求している。これが矢口まみりが小さい頃にはすでにここにいた年齢不詳の猿、ダンデスピーク矢口だった。つんくパパも矢口まみりもその年齢がわからないのだが、すでに三百年間生きている。つんくパパはダンデスピーク矢口にバナナを差し出すと奪い取るようにしてむしゃむしゃと食った。その次の朝、矢口まみりが朝起きてくると、ドリルやグラインダーの音がして、つんくパパはガスバーナーから目を守るためのサングラスをして矢口まみりに朝の挨拶をした。
「矢口さん、期待していてね」
矢口まみりにはなんのことだかさっぱりとわからなかった。
 ハロハロ学園へ行くと、ハロハロ学園野球部が来日したヤンキーズハイスクールとの親善試合をするために壮行会が開かれる手はずになっていた。
 教頭の蛭子は矢口まみりに花束を持たせてゴジラ松井くんに渡させた。ゴジラ松井くんたち一向をのせたバスは試合会場へと向かった。
 矢口まみりがお昼のお弁当を食べ終わって校舎の記念講堂の前にある水道で水を飲んでいるとまたスカートの裾をだらだらと引きずった女の集団の影を背後に感じた。矢口まみりが江戸時代に生きているなら、懐の中から懐剣を出して「近寄るとただじゃすませませぬぞ」というところである。しかし、矢口まみりは懐剣を持っていない。それに矢口まみりの騎士、ゴジラ松井くんもいない。
 「矢口、やってくれるじゃねえかよ。ゴジラ松井くんに花束なんか、渡して」
「教頭先生がやってくれって言ったんです。矢口さんが自分からやりたいと言ったんではありません。きっと矢口さんが可愛いから、教頭先生が適任だと思ったんです」
「言ってくれるじゃないかよ。自分で自分のことを可愛いと言っているぜ。おい、紺野さん、見せておやり、飛竜剣を」
不良たちのうしろの方にいた紺野さんが前の方に出てきた。そして革ひものさきにダイヤモンドを尖らしてような形のナイフのついている得物を頭上で回転させる。それは五メートルくらいの革ひもの両端にダチョウの羽飾りのついた武器だった。
「紺野さんはこれを少林寺で十五年修行したんだよ」
保田が得意そうにいうと紺野さんはそれを回転させたままでんぐりがえしをして、起きあがる直前にしっと叫んで、ナイフを放すと記念講堂の塀の上から顔を出している桃の実の中心をにぶい音をさせてつらぬいた。まみりはそれがあたかも人間の頭でもあるかのように無気味な感覚がした。
そして紺野さんはまだそのナイフを、それもふたつも頭上の上でヘリコプターの羽のように回転させている。紺野さんの表情は地獄から来た殺しやのようだった。
飯田はまた顎をしゃくりあげる得意のポーズをとった。
「これでも、矢口、自分のことを可愛いなんて、血迷ったことをいうのかい」
紺野さんの回している飛竜剣はさらに回転をまし、空気を切り裂く。おそろしい紺野さんのわざである。辻が矢口まみりのそばに来ると矢口まみりの後ろ髪をつかんだ。そして押し倒して、飯田の足下にひざまずかせる。
「わたしの足をお舐め」
辻がぐりぐりと矢口まみりの頭を地面に押しつける。
「矢口さん、どうしたらいいの」
矢口まみりは自問自答した。
するとどうしたことだろう。空のいっかく、木々の隙間から見える青空の中からセーラー服姿の女の子が降臨してくる。地上、十メートルの空中から自分の首に巻いているスカーフを下になぎると紺野さんの飛竜剣にからんだ。地上の紺野さんと空中の少女との引き合いになった。紺野さんの身体が地面から離れる。不良少女たちは紺野さんの足をつかんだ。そして驚いたことに不良たちは紺野さんにからまったまま空中につりあげられてそのままどこかに運ばれていった。まるで家を一軒まるごと持ち上げて運んでしまう大型ヘリコプターのようであった。
 矢口まみりがみんなはどこに行ってしまったのかと思っているとふたたび少女は戻ってきた。そして空中から矢口まみりの前に静かに降り立ったのである。
「あなたは。わたしは矢口さんです。あなたは誰」
矢口まみりの目の前にいる少女は矢口まみりと同じくらいの背の高さである。そして出るところは出ている。
矢口まみりがよく見るとどこかで見たような気がする。しかし、仮面を被っている。
矢口まみりの言葉に反応した。
「ヤグチマミリ、ニゴウデス」
機械的な音声がその肉感的な唇から発せられた。
そしてピカソの作った銅像みたいなものの陰からつんくパパが顔を出した。
「矢口さん」
「つんくパパ」
「矢口さんへの贈り物だよ」
「えっ、贈り物ですか」
「ハロハロ学園に通う矢口さんを不良、モーニング娘っこたちから守るためにつんくパパが作ったスーパーロボなんだよ」
つんくパパはどう見ても発明家に見えないのになんでスーパーロボなんて作ることが出来るのだろう。矢口まみりは自分のパパではあるが本当に不思議だ。なにしろ一ヶ月に数度は夢遊病で交番のお世話になってしまうような人だからだ。
「矢口さん、これからはいつもスーパーロボ、ヤグチマミリ二号と一緒に行動するんだよ」
「いやだ。なんてみんなに言ったらいいの」
「親戚の子だと言えばいいよ」
そして矢口まみりの背後にはいつもスーパーロボ、ヤグチマミリ二号がついていることになった。

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第四回
もうすぐ墨田川で花火大会が開かれる。矢口まみりはその花火大会を楽しみにしている。今度の花火大会はゴジラ松井くんが一緒に行こうと誘っている。どんな浴衣を着て行けばいいのだろう。ゴジラ松井くん強力な印象を与える浴衣を着て行かなければならない。ゴジラ松井くんが、うーん、可愛いと言って思わず抱きしめたくなるような浴衣をである。矢口まみりは銀座に浴衣を買いに行くことにした。いろいろな浴衣を着てみるのは楽しみである。自分がどんなふうに変身するのだろうかと思う。自分が浴衣のデザインによってどんなふうに変わるかということをである。それが期待である。玄関にチャーミー石川の呼ぶ声が聞こえる。
「矢口さん、来たわよ」
「チャーミー石川、ちょっと待って」
お気に入りの服を着た矢口まみりが玄関から出ようとすると後ろから仮面の少女がついて来た。言うまでもなく、スーパーロボ、ヤグチマミリ二号である。
「矢口さん、スーパーロボもつれて行かなければ」
つんくパパが言った。ロボもうなずく。そしてつんくパパもでかける準備をしている。
「つんくパパも行くの」
「もちろんだよ。矢口さん」
「つんくパパもスーパーロボも出かけたら、家の留守番は誰がするの」
「ダンデスピーク矢口がいるじゃないか」
矢口まみりが振り返ると老猿のそれでいて見ようによっては赤ちゃん猿にも見える、ダンデスピーク矢口が中世の異端審問官のような顔つきで乾燥バナナをボリボリとかじりながらちらりと矢口さんの方を一瞥した。
「その仮面を被っている女の子は誰なの」
チャーミー石川が手を差しのばすとスーパーロボは手を握り返した。
「誰かに似ている」
チャーミー石川が言った。
「その仮面をとれないの」
「だめです。矢口さんが許しません」
「でもどこかで見たことがあるような気がする」
「親戚の女の子ですよ」
矢口まみり、チャーミー石川、つんくパパ、スーパーロボの四人は地下鉄に乗った。ふたりの女の子の華やぎが地下鉄の車内の中を満たした。
「どんな浴衣を買おうかしら」
矢口まみりはピンク系統の浴衣を着ようかと思っている。ゴジラ松井くんはどんな浴衣を着てくるのだろうか。
「チャーミー石川。どんな浴衣を買うの」
つり革にぶら下がりながら、横にいるチャーミー石川に聞く。矢口まみりは石川の耳たぶについているイヤリングが小刻みに揺れているのが可愛いと思う。仮面を被ったスーパーロボはトンネルの壁面にかかれた行きすぎる広告を瞬間的に全部、自分のコンピューターの中に記憶している。つんくパパはつり革にぶら下がっているふたりの前で一人だけ腰かけてふたりの乙女の顔を顎のあたりから見上げている。つんくパパは発明家らしくもなく、サングラスをかけていた。
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第五回
夏に着る浴衣を買った矢口まみりの一行は昔は歌の文句にあるように柳並木が続いていたであろう、歩道を歩く。柳の木の代わりには宝くじを売る小さなボックスが建てられていてその中で宝くじが売られている。宝くじの紙が何枚も重ねられてきれいに並べられている。遊園地の入場券に似ていないこともない。その図柄は大きな観覧車を中心にそえてその間を飛行機とか、ロケットとか、人工衛星とか、いろいろな空中を飛ぶ乗り物が飛んでいる絵が描かれていた。右手の方には瀬戸物屋とか小間物屋のビルが続いている。銀座の交差点のあたりから築地の方へ抜けて行くと気持ち下り坂になっている。その微妙に下り坂を降りていく。測量器具でなければ感じられないくらいの微妙な傾斜であろう。しかし、その下り坂もまた微妙に途中から上がっていくということをつんくパパは知っていた。
 小間物屋の隣はカメラ屋になっていて大きなショーウィンドーの中にはピカヒピカに磨き上げられたカメラがガラスの板の上にモデルのように立っている。つんくパパはそのカメラをのぞき込んだ。カメラの軍艦と呼ばれる上部の巻き上げレバーやシャッタースピードのつまみのところは金色にメッキされている。そして手にふれるところは何の皮だかわからないのだが、やはりつやつやと磨き上げられている。値札のところの丸の数を数えている。つんくパパはその中の一つを近日中に買うのかもしれない。つんくパパがその中を見ていると自分の顔が映っている横に女の子の顔がひとつ加わった。矢口まみりの顔である。そしてその横にも一つ顔が加わった。チャーミー石川の顔である。そしてさらに横に仮面を被った女の子の顔が加わった。スーパーロボ、ヤグチマミリ二号の顔である。その四つの顔がショーウィンドーに映ると誰が決めたというわけでもないが四つの顔は同時にほほえんだ。やぐちまみりはそのとき幻影を見ていた。四つの並んだ顔の背後にその四つの顔を縦に並べたよりも、もっと大きなゴジラ松井くんの顔がじょじょに浮かび上がってくるのを。しかし、実際にはそこにはゴジラ松井くんはいなかった。ガラス窓には行き交う自動車が映っている。
 チャーミー石川が突如、素っ頓狂な声を上げた。
「見て見て。財布が落ちている」
矢口まみりたちがその落ちている財布を見ようとするとすでにチャーミ石川はその財布を拾い上げていた。財布と言っても小さなぺらぺらな茶色の皮の剥げかかったペラペラの小銭入れだった。チャーミー石川は激しく息をしている。何日も食事をしなかった無人島に漂着した髭ぼうぼうの漂流民が砂浜に埋まっている亀の卵を見つけて随喜の涙を流しているようだった。そしてしきりにその小銭入れのチャックを開けようともがいている。チャーミー石川の目は寄り目になってその薄っぺらな小銭入れに吸い寄せられていた。つんくパパはそのあまりにも常軌を逸したチャーミー石川の表情に無言だったが、矢口まみりは石川の下心を察していたので、叱責の眼を石川に飛ばした。
「チャーミー、拾ったものは交番に届けなければならないなり」
スーパーロボも同意した。
「ソウナリ」
しかし、石川は眉の間に三本の縦皺をたてるとそのしなびた小銭入れを胸に抱いていやいやをした。まるでネアンデルタール人のようである。北京原人のようでもある。たまたまはじめて今までは食べられないと思われたものを食べて意外とうまく、滋養もあったので随喜の涙を流している原生人類のようである。
「矢口さん、チャーミー石川にその小銭入れを開けさせてやればいいじゃないか。きっと捨てて行ったんだよ。ぺらぺらで中には何も入っていないようじゃないか」
チャーミー石川の瞳の中に喜びと感謝の色が広がった。まるで初めてバチカンに巡礼に来た熱心な信徒が目の前で天におわします大いなる神の奇跡を眼前で見せられて宗教的恍惚感に身を浸している人のようである。
 しかし、世の中には両面がある。砂浜に産み落とされた亀の卵を見つけて涙を流す人も親亀が涙を目にためながらその卵を産み落としていることは知らないだろう。小銭入れを落としたのが海亀だったら恨みのこもった目で石川の方を見るだろう。海亀の恨みを買うチャーミー石川。
 チャーミー石川はその薄っぺらな小銭入れとそこに入っている中身にすっかりと心を奪われていたのだった。
「おまわりさんが通りがかればいいなり」
「ソウナリ」
猫舌の熱いものが食べられない人が急に熱いおでんを口の中に入れてしまったように、お手玉をしているように小銭入れのチャックを開けた石川だったが。
 矢口まみりもスーパーロボ、ヤグチマミリ二号もその結果に満足しているようだった。「石川はやはり馬鹿なり」
「ソウナリ」
「お友達にそんな悪口を言うもんじゃありません」
とつんくパパ。
 薄っぺらな小銭入れの中にはやはり何も入っていなかったのだ。ご苦労さま、石川。いや、待てよ、何も入っていないというのは間違いである。雨に濡れて茶色の染料の落ちている小銭入れの中には丁寧に折り畳まれている紙片が一枚だけ入っている。それも染料で白い色が染まっている。
「矢口の馬鹿。やっぱり財布の中にお宝が入っているじゃありませんか。でも、矢口、矢口組、つまりミニモニのことだけど。矢口組、ひらがなで書くとやぐちぐみ、やとぐの間にまを入れて、変換キーを押して、山口組。まあ、なんてことでしょう。矢口ってやっぱり怖い人だったんだ」
「余計なことを言わないなり。それより中にはやっぱり、紙切れが一枚だけ、お金なんか入っていないなり。石川の目論見はまんまとはずれたなり。アハハハハハなり。石川はやはり馬鹿なり」
「だから矢口は考えが浅はかなのよ。きっとこの紙切れは重要なものよ。そうだ。そうに違いないわ。これは一億円の宝くじの当たり券なのよ。前後賞を合わせて二億円だわ。素晴らしい」
チャーミー石川はオペラの歌姫の扮する洗濯屋の娘っこが恋人のことを語るように両手を胸の前で合わせてねじるように上に上げた。そのあいだにつんくパパはその紙切れを取り上げていた。
「石川さん、残念なことなんだけど。これは宝くじの当たり券なんかじゃないよ」
「じゃあ、なんですの。つんくパパ」
「喫茶店の割引券だね。二十周年記念でなんでも半額だって。喫茶、地球儀って書いてあるよ」
「パパ、場所はどこなり」
「矢口さん、ここのそばだよ晴海通りに抜ける十字路を左に曲がったところにあるみたいだ」
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 その喫茶店は昭和四十年前後に作られたものだった。店の名前は地球儀。スモークのガラス窓の向こうには葉の厚い南方の鑑賞用の花鉢が並んでいる。前は大きな建物が建っている。その建物の空調用のパイプや従業員の控え室かも知れない窓が白い壁の間にぽっかりと開いている。四人が店の中に入ると木彫な独特な感じがした。あとで聞くとよく知らないが北海道のアイヌの人で彫刻の方で有名な人が室内をデザインしたそうである。二十周年の割引券を配ったわりには店内の客の入りはばらばらとしていた。
 四人が木目を強調したテーブルの前に座ると少し離れた席から矢口まみりの方をじっと見ている美しい人がいる。
 その人は自分の席から立ち上がると矢口まみりたちの方にやって来た。
「矢口さん、偶然ね」
「そうなり。ここで井川先生に会うとは思わなかったなり」
「初めまして。私が不肖、矢口のつんくパパです」
「ハロハロ学園で生物を担当している井川はるらと申します」
「先生、わたしもいます」
チャーミー石川が顔を出した。
「先生、わたしたち、道端でお財布を拾ってその中にこの喫茶店の割引券が入っていたんです。それでここに入ることにしたんです」
「チャーミー、余計なことなんか言わなくていいなり。チャーミーが牛のうんこを踏んだ話をするなり」
するとどうしたことだろう。矢口まみりの横に座っていた スーパーロボが急に笑い出したのだ。
「どうしたなり。うんこ」
するとまたスーパーロボ、ヤグチマミリ二号は笑い出す。
矢口まみりはまたうんこ、うんこと繰り返すとスーパーロボは笑い続けた。
「矢口さん、やめなさい」
「パパ、このロボットはおかしいなり。パパの設計ミスなり」
「ロボット」
井川はるら先生が仮面の女の子のほうを見た。
「この人はロボットなんかじゃありません。親戚の女の子なんです」
「どこから来たんですの」
「マダカスカル、ナリ」
「変なところから来たのね」
「この子は冗談が好きなり」
井川はるら先生は矢口まみりの瞳を見た。隣に座っていいかしら。矢口まみりは一瞬、躊躇したが何も知らないつんくパパは井川先生に席を勧めた。つんくパパはここで井川先生が矢口まみりに生物の点を甘くしてくれるとでも思っているらしかった。
「もう、パパは何も知らないんだからなり。井川先生は矢口さんに変な思いを抱いているんだからなり」
「井川先生、今度わたしたち花火大会に行くんです。それで浴衣を選びに来たんです」
チャーミー石川が身を乗り出した。
「あなたたちが、浴衣を着ている姿を想像すると今から楽しみだわ。とっても可愛いと思うわ。とくに矢口さんは」
そう言いながら井川先生は矢口まみりがテーブルに上げている手を片手でぽんぽんと叩いた。しかし、つんくパパにはその意味がわからない。
「矢口さんはわたしのお気に入りの生徒なんですよ」
「まみりのことをよろしく頼みます。まみりのことをいじめる生徒たちがいるそうなんですよ」
そのとき喫茶、地球儀の入り口のドアが開いて、柄の悪い男たちが三、四人入ってくる。つんくパパの座っている後ろの席に腰をおろした。そして顔を近寄せると何やらあやしい話を始める。
「それで、その話は確かなんだろうな。全く同一人物に違いないと」
「確かですよ。現場に置いて行ったコインと同じものが郵送されて来たんですから。あのキプロスコインが現場に残されていたということはどこにも漏れていないはずですからね。当事者という結論しか引き出せません」
「しかし、随分な自信だな。犯行場所を予告するなんて」
「警部いいじゃありませんか。相手の油断にほかなりませんよ。今度は必ず捕まえられますよ」
「今までは名無しの権兵衛だったが、わざわざ予告文には犯人の名前まで書かれていた。爬虫類最強、隠密怪獣とはな。あんみつ怪獣の間違いじゃないのか。とにかく、予告文は警視庁だけに届けられたのだな。ほかには絶対に漏れていないと。東京都築地七丁目やぶさか寺裏のなごみ銀行が襲われるということを」
「警部、そこ」
部下のひとりが男の背後を指さした。そこではつんくパパとチャーミー石川が身を乗り出してソファー越しに男たちの話を聞いていた。つんくパパの座っているソファーと男の座っているソファーはくっっいていたのである。
「王沙汰春警部」
つんくパパは男に声をかけた。
「最近、納入した足跡測定機は順調に働いていますか」
「誰かと思ったらきみか」
王沙汰春警部の顔に苦々しい表情が浮かんだ。
この男は矢口まみりの家のテレビのニュースにも出ていた、銀行強盗事件を担当している王沙汰春警部である。昔、ナボナのコマーシャルにも出ていた。顔が野球のベースボールに似ていて、目がぎょろりとしていて、口がゴム風船の口みたいな男である。算盤の一級の免状も持っていた。
 謎の銀行強盗の事件にかかりっきりで満足に家にも帰っていない。
 発明家のつんくパパは犯罪捜査のための発明品を警視庁に卸している。そして王警部はその発明品を使っている。しかし、ほとんど実用には供しなかった。
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第六回
そのとき王沙汰春警部の背広の内ポケットの中からベルの音がして、警部は背広の内側
をのぞき込み、警察無線の機械を取り出すとイヤホンを耳にはめようとしたがソファーの背もたれ越しに刑事たちの方を見ていたチャーミー石川がそのイヤホンを鷲掴みにすると思い切り強く引っ張ったのでイヤホンは機械本体から抜けてスピーカーの方から本部の方からの連絡が丸聞こえだった。
「君は何をするんだ」
王沙汰春警部は顔を真っ赤にして怒った。
するといつものように身をよじってチャーミー石川が絶叫した。
「警察は市民に全部の情報を提供する義務があります」
「なにを言うんだ。君はこの切羽つまった状況において」
「もうわたしたちは銀行強盗の情報をつかんでしまったんですわ。私たちにももっと詳しい話を教えてくれるべきですわ」
矢口まみりの隣に座っている井川はるら先生は王沙汰春警部の顔を非難している表情を向けると、矢口まみりもその隣に座っているスーパーロボ、ヤグチマミリ二号も同意して首を同時に傾けた。
「そうなり」
「ソウナリ」
ここでヤグチマミリ二号の容姿のことを詳しく語っていないのでもう少し詳しく話すと姿形は矢口まみりにうり二つである。そして出かけるときの服装もまみりに合わせているので仮面がなかったら、まるで矢口まみりである。しかしスーパーロボの方は仮面を被っている。仮面というとリオのカーニバルで目のまわりを隠すものを想像するが、怪傑ゾロのようなものでもなく、それは頭の上半分をすべて覆い尽くすヘルメットのようなものである。かたちとしては手塚治虫のビッグエックスの被っているものを想像して欲しい。頭を覆っていれば目が見えないわけであるが、ヘルメットの前部には目の玉の見えるようにふたつの穴があいている。そこからまみりと同じ神秘的な黒い宝石のような目がのぞいている。もっと感じをつかむためには藤子不二夫のパーマンに出てくるパーマン三号を想像してくれればいいかも知れない。しかし、パーマンと言ってもわからない人も多いかも知れない。パーマンというのは宇宙人が地球平和のために地球上で五人の子どもを選び、そのうちの一人は猿であるが、スーパーマンに変身するアイテムを与えたものである。そのヘルメットを被ると怪力を生じ、マントをあおると空を飛び、海にもぐるときは胸につけたバッジを口にくわえて呼吸する。そのヘルメットはスーパーロボのヘルメットに似ている。そしてそれらのアイテムがなくてもスーパーロボは人間を越えた物理的能力を備えているのである。
「返してあげないわよ。もっと詳しく銀行強盗の計画について教えてくれなければ」
ボーイが刑事たちの方を急に振り向いた。刑事たちを銀行強盗の犯人だと思っているのかも知れない。狂信主義のチャーミー石川はイヤホンをつかんだまま放さない。手のひらの中に丸まったイヤホンが入っている。
「ピー、王沙汰春警部、王沙汰春警部、やぶさか寺包囲の布陣は配置し終わりました。どうぞ。ピー」
スピーカーの向こうから本部の割れた声が入って来た。警部はマイクを握ると怒鳴った。
「これから重要な交信は一切するな。わかったな」
「ピー、どうしてですか。ピー」
「どうしてもだ」
「ピー、隠密怪獣についてもですか。ピー」
ここで警部は癇癪を起こして無線機を机の上に叩きつけようとしたが急に思いとどまった。ゼリーのような透明な赤紫色をしたぶよぶよの手の平くらいの大きさの人型のものを取り出すと喫茶店の床の上にめんこのようにして叩きつけると、ペチンという音がしてブルブルと揺れている。
「あー、すっきりした」
これがつんくパパが警視庁に納入した発明品の中で唯一、役に立っている、鬱病解消のためのペッチンプルプルめんこというものだった。
「警部、わたしの発明品を使ってくれましたね」
つんくパパがまだ床の上でプルプル揺れているゴム製品を見ながら満足気につぶやいた。それからすぐに顔を上げて警部の顔を見た。そのゴム製品の顔は新垣の顔をしていた。
「君が警視庁に納入している発明品の中で役に立っているものはこれだけだよ」
「すごい、矢口のパパ、警視庁の捜査の役に立っているんだ」
チャーミー石川が相変わらず物事の本質を理解していない皮相な海の上にもやっている霧や風が巻き起こすさざ波を見てこれが海そのものなんだと思うように素っ頓狂に声を上げた。チャーミー石川の愚言を聞いて矢口まみりとスーパーロボヤグチマミリ二号はげっぷをした。この前もある男とチャーミー石川たちと酒を飲んだとき、石川が酔っぱらって矢口の家のソファーで二時間の熟睡のあと、急に目を覚まして、体温計を持って来てほしいと叫んで、あわてて上着を脱いで鶯色のモヘヤのセーターの下から腋の下に体温計を滑り込ませて、妊娠したのではないかと大騒ぎをしたときと一緒ではないか。チャーミー石川は男と手を握り合っただけだと説得したときと同じようにプッチンプルプルめんこに感動するチャーミー石川に冷水を浴びせてやりたい気持ちのする矢口まみりなのであった。
 しかし、つんくパパはこの事実に十分な意義を見いだしているらしい。
「警部、やはりわたしの発明は役に立っているらしいですね」
「まあな」
「井川先生も仰っていますが、警部が私たちが漏れ聞いた今度の銀行強盗事件の計画について教えて欲しいものですね。そうしないと今度の捕り物騒ぎのことを大騒ぎで街中で言いふらしてしまいますよ。僕は口が固いんですが、ここにいるチャーミー石川は何でもへぼらべらとしゃべってしまいますからね」
「全く、ナボナのコマーシャルをやっていた頃が懐かしいよ。街を歩いていても子どもが近寄って来て、ナボナのお菓子をちょうだいと言って手を差し出して来たものだ」
王沙汰春警部は感慨深いようだった。チャーミー石川だったら、柿の種を手のひら、一握り差し出しただけで口封じをすることくらい簡単だろう。ちなみにここでわけのわからない事をほざいている私目はナボナから一銭も貰っているわけではありませんから、あしからず。
ホームベースのような顔をした王沙汰春警部は苦り切って話を続ける。本当に親から生まれ持った顔の輪郭が野球のホームベースになっているなんて生まれながら野球をするために生まれたような男であるなり。ホームランを渇仰する原初的プログラムが顔の輪郭をホームベースにしてしまったのだろうかなり。
「つんくパパ、まあ、いいだろう。君は一応警察関係者であることだし、君の知り合いなら今度の捜査の邪魔をすることもないだろう。君たちは一連の銀行強盗事件を知っているかい。ニュースでもよく報道されているわけだからな。全く捕まらない。それでいて証拠は十分に残して行くのだ。クルーガーランド金貨とか、スワジランド金貨とか、浅草の人形焼きとかだがな。もしかしたら警察の捜査を撹乱しようとしているのかもしれない。しかし、手口は簡単で単純だ。銀行の金庫の床の下までトンネルを掘って床を破って金目のものを奪って逃げて行く。犯人に計画性など見られない。防犯ブザーの電源を切ろうという算段すら立てていないからだ。しかるに防犯ブザーが鳴り出して警備員が駆けつけるとそこには床に大きな穴が開いているだけで金目のものはなくなり、犯人もいなくなっている。ものの五分もたたない犯行なのだ。それにここは東京である。パリではない。地下水道が縦横無尽に掘られているというわけではないのだ。地下から穴を掘って銀行の金庫の真下まで掘り進んで行くなら、どこかで地上から穴を掘り始めた地点がなければならない。それは大変な時間と労力がかかっているに違いないのだ。とにかくわれわれはその現場の穴の入り口から入って行き、穴を掘り始めた地点を特定することを試みた。そして驚くべき事実を発見した。現場から約三キロ離れた国に一級河川として指定された川の土手にその入り口があったのだ。そしてもっと驚くべきことには十二時間前にはそこには何もなかったことが確認されている。つまりだ。十二時間以内に三キロのトンネルを掘って十分以内にそのトンネルを移動したことを意味している。これが果たして民間人の手によってなされる犯行であろうか。そして警察ではある結論を下した。これは最新の軍事技術を用いたものに違いないと。そこで現在は自衛隊、及び、諸外国の軍隊にこの穴掘り技術についての情報を打診しているところなのだ。そしてこの特異な事件の特異性から同一犯の犯行と断定して日本珍味協会公式認定事件、第百十号事件と呼ぶことにしたのだ。そしてこの事件の匿名の犯人が自ら名乗り出たのだ。自分は隠密怪獣王と名乗ると、そして襲う銀行の場所まで宣言した。やぶさか寺裏、なごみ銀行を襲うと。そこで警察は最大規模の人員を配置した。機動隊、千五百人をだ」
「機動隊、千五百人ですか」
つんくパパはチャーミー石川にも負けないくらい素っ頓狂な声を上げた。
「千五百人もどうやって集めたんですか」
「それは秘密だ。無限機動車を二十台。その上には地上攻撃用ミサイルも載せている。自衛隊、四谷大隊の協力もあおいでいるのだ」
「まあ、素敵。そんな大捕物に参加できるなんて」
チャーミー石川がピンク色の声をあげる。
「チャーミー、不謹慎なり」
「そうなり」
矢口まみりは夢遊病者のような石川のそでを引っ張った。
そのとき、王沙汰春警部の前に座っていた刑事のひとりが急に真面目な顔になって、王警部の方を向く。
「警部。隠密怪獣王包囲大作戦の準備が整ったそうです。なごみ銀行に向かってくださいという報告です」
「よし」
王沙汰春警部は首をろくろく首のようにゆらゆらと揺らして立ち上がった。それはまるで亡くなった林家正蔵のようだった。人情噺をよくし、林家彦六と名乗っていたが正蔵をついだ頃から枯淡の味にさらに磨きがかかり、落語の世界を支えていた老人である。芸の隔世遺伝という話はあるかも知れないが全くの他人にこの首をゆらゆらと揺らしながら、水死人が幽霊となって頭を上げていくというわざをよく受け継いだものである。王警部の首は大まかに巻かれたばねで出来ていて、その頭は中身が空っぽのはりこで出来ているようだった。よしと言った言葉にもビブラートがかかっていて、まるで病の床でふせっている百才の老人のようでもあった。
「ついてくるならついてこ~~~~い」
五人が警視庁のパトカーに乗ってなごみ銀行のそばまで行くとそこには世にも異様な光景が広がっていた。
「これはなんなり」
矢口まみりは絶叫した。
「こんなブルドーザー。パパも見たことがないよ」
そこにはキャタピラがあって前の部分に土を押しのける部品のついているブルドーザーが道路の中央にも、駐車場の中にも、それに人家の庭の中にも、やぶさか寺の墓地の中にも停まっている。その様子は偉観であった。そしてそのブルドーザーの大きさも半端じゃなく、第二次世界大戦のときにドイツ軍が血迷って制作したキングタイガー戦車並の大きさだったのだ。
「なんで、ブルドーザーを用意しているなり」
「フランス人形ちゃん、これがブルドーザーに見えますかな」
王沙汰春警部は得意気だった。
「これが現代の軍事技術の粋を合わせて作られたもぐら退路遮断無限軌道車であります。全部で十八台あります。敵が地下本営にトンネルを掘って進んで来たとき、そのトンネルを遮断するために制作されたのです。これで三百六十度。隠密怪獣王がトンネルを掘ってなごみ銀行の金庫までやって来てもこのもぐら・・・・で退路を遮断するのだ。この全面にある超硬質遮断板で地下十数メートルのトンネルまで二分で達することが出来る。銀行の金庫の防犯ブザーが鳴ったらこの十八台のもぐら・・・が隠密怪獣王の退路をふさぐのです。隠密怪獣王はふくろのネズミでありま~~~~す」
王沙汰春警部はいつのまにか、林家正蔵師匠になっていた。
「素晴らしいわ」
チャーミー石川は腕をねじってあこがれの人にでも出会ったように喜んでいる。
「この歴史的捕り物にまみりちゃんと一緒に立ち会うことが出来るなんて幸せだわ」
井川はるら先生は矢口まみりのの手を握った。つんくパパは発明家としての興味からか、もぐら・・・・のそばに行ってこまごまと観察している。
矢口まみりは人の家の庭にまで、寺の墓地にまでこんなものを置いていいのかしらと思った。
「警部、東京都や国土交通省の許可を得たのですか」
「そんなものを取る必要があるか。相手は十二時間で三キロのトンネルを掘る怪物だぞ。それより、こっちへ」
王沙汰春警部のあとについて行くとテントが張られていて観測機械が置かれている。まわりには迷彩服を着た自衛隊の隊員が忙しく機械をいじっている。
「このステックをいじくると」
王沙汰春警部がテント小屋の中に置かれている機械をいじくると自走車に積まれている地対地ミサイルが自由に位置を変える。上下に動いたり、くるくると回転したりする。その横にはDANGERと書かれた赤いボタンが置いてあってふだんはアクリルのカバーが被さってあるのがそのカバーもはずされている。ちょうどそのときチャーミー石川の足下にバナナの皮が落ちていた。しかし、その皮も少し厚みがある。チャーミーの乞食根性にむらむらと火がついた。「そうよ。この厚み。バナナは半分しか食べられていないのだわ。半分はバナナが入っている。とらなければ。とらなければ」チャーミー石川は落ちているバナナを拾い食いしようと思って身をかがめた。それをスーパーロボが横から取ろうとした。チャーミー石川は取られまいとして足でバナナの皮を踏む。落ちている十円を見られずに取るとき足で踏んづけるあれだ。しかし、真実はバナナは皮だけだったのだ。皮を踏んだチャーミーの重心はゆがんだ。「おっととと」チャーミーはよろけた。そして転ばないために前に移動する。その方向には地対地ミサイルの発射ボタンがあった。チャーミーはボタンの上に手をついた。
「やっちゃった」
矢口まみりが振り返るとミサイルの噴火口からジェット噴流がほとばしり、筑波山の方に飛んで行った。
王沙汰春は渋面を作った。
「この事実はここにいる者だけが知っている。このことはなかったことにしよう」
こういうのをチャーミー的健忘症というのだろうかと矢口まみりは思った。井川はるら先生は何事もなかったように雑巾で機械が置かれているテーブルの上を拭いている。その次の新聞には筑波山の方にある健康牧場というところにある牛小屋に謎のミサイルが飛び込んで牛が十数頭、死んだという記事が出た。 「それより、こっちに来て」
王沙汰春警部が開けっぴろげになっているテント小屋の隣に中が見えないようになっているもうひとつの方のテント小屋の方に連れて行った。
「潜水艦の中みたいなり」
その中はまるで潜水艦の司令室のよう。
丸いレーダーが置かれてコンパスの針がくるくる回るようになっていてときどきピカピカと光る。
「これが地下探索レーダーである。なごみ銀行の周囲十キロの範囲の異常をすべて映し出す」
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第七回
太陽の光を遮断した空間の中で緑や赤のネオンの機械の表示器が妖しい光を放っている。今にも未知の生物の誕生の機会に立ち会っているような気が矢口まみりにはする。
「この前の襲撃事件のときには川の横手の石垣の中から隠密怪獣王はトンネルの入り口を掘りはじめている。今度はどこから地中に進入するのだろう」
王沙汰春警部はぽつりとつぶやく。そのつぶやきには何故か重みがある。王沙汰春は生涯最大の敵手に出会う予感を第六感で感じているのかも知れない。矢口まみりには王警部が英雄のように見えた。レーダー装置の前に異常音を拾うためにヘッドフォンを被っているオペレーターが身を震わせて驚いた顔をして王警部の方を振り向いた。
「異常音が微かではありますが聞こえます」
王沙汰春警部はオペレーターの顔を食い入るように見つめた。
「レーダーには映っていないのか」
「レーダーの捕捉できる範囲外にあります」
「ホワイト雑音ではないのか」
王警部は彼特有のぎょろ目をむいた。
「雑音ではないんですか」
何も知らないチャーミー石川はその気になって自分もその会話に参加している。しかし、チャーミーは何もわかっていないのだった。
「雑音ではありません」
オペレーターは緊張から末尾を切りつめるようにして言葉を放った。オペレーターの感情には不安と恐怖がないまぜになった要素が混じっている。確かに過去に自分はこんな経験をしている。それは福井の寂れた漁村から数キロ離れた離れ小島に秘密裏におかれた自衛隊のレーダーソナー装置の捜査をしているときだった。このような雑音が聞こえたときがあった。そのときは最悪の結論が待っていた。その波形もそのときとそっくり同じである。最初はそれが機械自体や自然状態により消えない雑音に重なっていてどんなものなのかよくわからなかった。微かに聞こえるものだった。それが大きくはっきりと対象物の存在が明確になろうとしたときすべては終わっていたのだ。漁村は世紀末の様相を呈し、地面は転変地異といってもいいほどめちゃめちゃになり、家々は破壊されつくしていた。とてつもない破壊力を持った何者かがこの漁村を完全に破壊しつくしたとしか言いようがなかった。オペレーターは自分の顎のあたりから首筋に冷や汗が流れてくるのを禁じ得なかった。結局、防衛庁内部でもその事件は何もなかったようにうやむやとなり、上層部だけでもみ消されたのだった。
「王警部、これはあの事件のときと同じ対象とわれわれは接しているのでは」
「えっ~~~~。そうなの。あいつの仕業なの」
何も知らないチャーミー石川はやはりその会話に参加していた。そして得意のあのポーズ、腕をよじって、それと同時に身もよじってイタリアの方にあるねじれたワインのガラス瓶と同じような格好をした。
 もちろん、王沙汰春警部はあの事件を知っている。それはどうしても隠し通しておくことが出来ずに自衛隊の上層部から漏れて警視庁の王警部の耳にも入って来たのである。
「あいつのしわざか。ということは隠密怪獣王とはあいつのことなのか」
「あいつの名前はレインボーーマーーン」
チャーミー石川はまた余計な合いの手を入れた。
王沙汰春警部はもちろんその全貌を知っているわけではない。しかし、それがどのくらい巨大な相手かということはわかる。隠密怪獣王。
 「両頭裁断すれば一剣天に・・・」
王沙汰春警部は蒙古の大軍を一人迎え撃つ北条時宗のことを思った。いにしえの将軍が身近なものに感じられる。蒙古軍の襲来に苦慮した北条時宗は無学祖元の言葉を聞いた。王沙汰春警部もまた同じだった。ひとり静かに警察無線のマイクをとった。
「トンネル遮断無限軌道車、全部のエンジンを始動せよ」
「警部、そんなことをしたら騒音で地区住民から苦情が殺到します。できるかぎり短時間しか、無限軌道車のエンジンはかけられません」
「今がそのときではないか、確かに敵は近づいている。今、それをやらずにどうする」
刑事のひとりが各車両の無線に連絡をした。
「各車両に告ぐ。エンジンを始動せよ」
するとどういうことだろう。地面が重く振動し始めている。その振動は深く矢口まみりの頭蓋骨にまで伝わる。物理的振動が時間を含めた四次元空間の中の実在として運命を具現化していた。数え切れない力の象徴が足並みを揃えてこの地を揺らしているのだ。矢口まみりはつんくパパの腕にすがった。
「どうなるなり」
「わからん」
つんくパパは答えた。
ただ感情を持たない、自分が完全に破壊されつくす寸前まで対象に向かっていくだろうとおもわれるヤグチマミリ二号だけは平静に立ち尽くし、自分の頭部に内蔵されているコンピューターにあらゆる情報を一寸の間隙もなく収集していた。
しかし、この足下を揺らす振動に感情を揺らしている哀れな存在があった。
「こわい」
それはチャーミー石川である。今でこそアイドルらしい呼び名がついているが前の名前は貧乏石川。石川梨佳のことである。
 貧乏石川の過去は悲惨なものだった。父親はパンツのゴムひもの行商で生計を立てていたが、いまの時代、パンツのゴムひもなんかを買う人間はいない、コンビニもスーパーもないような寂れた寒村をまわり、涙ながらに妻と哀れなふたりの子どもを残していることを訴え、おもに哀れみを誘うことによって、パンツのゴムひもを取り替えることが楽しみな年寄りの哀れみにつけこみ、一本、二本とゴムひもを売って生計を立てていた。その金の仕送りを受けた石川の一家は即席ラーメンで糊口をしのぐとい生活を続けていたのだ。その貧乏だったが肩を寄せ合うような石川の一家にも変化が起こった。こづかいの余裕などないような石川の父親が女を作って家を出て行ったのだ。一説には金を持っている女のところで愛人になったとも言われている。
 父親を失った一家は仕方なく、母親が働きに出た。母親はいつも憎悪を込めて父親の悪口をチャーミー石川に吹き込んだ。石川はふたつ年下の弟と働いている母親の帰りを待ってボロ家で待っていた。家のガラスはすべてひびが入ってセロテープでつぎはぎがされていた。夏はよかったが冬には木枯らしが家の中に吹き込んできた。電気を止められ電気こたつもたてられなかった石川は弟と抱き合いながら暖をとったものである。
 それはある冬の日に起こった。
母親のパートの仕事が遅くなり、夜遅くなっても帰って来ないときだった。冷たい木枯らしが家の中に吹き込み、石川は鼻をたらした弟と抱き合いながら暖をとっていた。そのとき家のガラス戸がガタガタと鳴った。
「お姉ちゃん、こわいよう」
石川は鼻をたらした弟をぎゅっと抱きしめた。
「こわくないわよ。きつねの子供が挨拶に来たのよ」
「ごんぎつねのこと」
「そうよ。ごんぎつねが会いに来たのよ」
「僕、その話、知っているよ。きつねの子供が人間の子供のまねをして手袋をしてくるんだね」
「そうよ。きつねの子供よ」
するとまたガラス戸ががたがたと鳴った。
「きつねさん、きつねさん。ここには何も食べるものがありません」
石川は大声で叫んだ。
心の中で石川はこわい人がいるのではないかと思った。石川の家のまわりには家がない。強盗だったらどうしようと思った。ごんぎつねのことを持ち出したのは弟を怖がらせないための方便だった。
するとまたガラス戸ががたがたと音がする。そこで石川は羊の子供と狼の話を思い出した。羊の子供たちが留守番をしていると狼が来て羊の子供たちを食ってしまい、隠れていた子羊たちが食われなかったとい話である。そこで石川はどこかに隠れることにした。するとうまい具合にボロ家の床の一部が壊れていて床の下に隠れることが出来る。石川と弟は床の下に隠れた。いくら待っても出て来ないと思った侵入者は家の中に上がり込んで来た。石川は恐怖した。そして頭上でなまりの入った声が聞こえる。
「石川さん、石川さん、担任の田舎ずうずうだよ。もう給食費六ヶ月も滞納しているでないか。払ってもらえるように相談に来たんだよ」
その侵入者が石川の担任の先生だということがわかって石川は安心したのだが、それがわかるまでの石川の緊張と恐怖は筆舌には表しがたかった。
 そのときの思いでがチャーミー石川の前頭葉の皮下組織に作用した。
「こわい」
チャーミー石川はよろよろとよろめくとつんくパパの腕にすがりついた。矢口まみりはずかずかとチャーミー石川の前に進み出ると石川の胸ぐらをつかんで往復ビンタをした。
「見境のない女なり、これはまみりのパパなり」
石川はよだれをたらしながらへらへらと笑っている。
「うるさい。敵が近寄っている。静かにしろ」
王警部が叫んだ。見物人たちはきょとんとしてひとかたまりの八百屋で売っているりんごのやまのようになって王警部のほうを見た。闇夜の中で彼らの目玉だけが妖しく光っている。
またレーダーのオペレーターから鋭い声が挙がった。
「北東七キロ地点に未確認物体発見」
「かちどき橋のあたりか」
「そうです」
大きな船が通るときは交通を遮断して跳ね上がる仕組みで有名なかちどき橋のあたりから敵はトンネルを掘りはじめているらしい。いまはその橋が跳ね上がることはないが有名な場所あたりから進入をはじめたものである。
見えぬ敵、隠密怪獣王。
「トンネル遮断無限軌道車の出力を最大規模に上げろ」
王沙汰春警部が叫ぶと静かな地鳴りみたいだった状態から確実に感じられる振動が矢口まみりの身体に伝わった。見境のない女、チャーミー石川はまたつんくパパの腕をつかんだが、この状態の変化に気を取られて矢口まみりは気にもならなかった。テントの入り口から頭のタオルを巻いた風呂上がりの六十くらいの女が洗面器を持ちながら怒鳴り込んで来た。
「一体、何をやっているんだね。この振動はなんなんだい。工事の許可はどこで下りているんだよ」
そこへ警官たちが寄って来て女の両腕をつかむとどこかへつれて行った。
 頭上でヘリコプターの爆音がする。
「なごみ銀行の全貌をうつせるか」
「ヘリコプターが到着したので可能です」
「なごみ銀行をうつせ」
するとテレビには上空のヘリコプターのカメラから映されているなごみ銀行の姿が映った。
ソナーに映っている侵入物は全然、速度も変化させず、方向もほぼ直線で目標のなごみ銀行の金庫に吸い寄せられるように向かって行く。ソナーの画面にはその侵入物、そして位置がまったく動かないのは銀行の金庫とトンネル遮断無限軌道車だった。そのトンネル遮断無限軌道車を結ぶ線は金庫を中心としている円のようになっている。この侵入者を拒むものは何もなかった。
「信じられない。時速三十キロで地下を進んで行く」
発明家つんくパパは絶句した。
「こわいわ」
チャーミー石川はつんくパパの腕にもたれかかった。
「お前はワンパターンなり」
矢口まみりは苦々しくつぶやいた。
王沙汰春警部は時間を見ていた。その時間は一つしかない。トンネル遮断無限軌道車の台数は限られている。トンネルを遮断するまでに要する時間も有限である。包囲網の境界の内側のある距離に来たとき遮断板を地下に打ち込まなければならない。警部は握っていた拳の中の手の平の汗がにじんでいくのを感じた。地面の震動は相変わらず続いている。
円の内部、ソナーの画面の数センチのところに侵入物が到達した。
「今だ。遮蔽板を打ち込め」
「ラジャー」
すると地面がひっくり返るような轟音が響いた。
ドドドドドトトーーーー
奈落の底に地球の表面が落ちて行くようである。地面が切り裂かれる。遮蔽板についたジェツト噴射機が天上に向かって高温ガスを噴射する。
「三メートルに達しました」
「五メートルに達しました」
「地下十五メートルに達しました」
**************************************************

第八回
そして遮蔽板に付属しているジェット噴射機の轟音がぴたりとやんだ。空中に間断なくジェット噴流が噴出される音が止まり、今は巨大戦車よりもさらに大きなトンネル遮断無限軌道車数十台の地を揺らすような振動が聞こえるともなく地面を揺らしているだけである。
「侵入対象物が停止しました」
防御線内に入ったそれは一点に停止したまま動きを止めている。
「この怪物が知性を持っているということか」
ソナーの操作員の言葉を受けて王警部はつぶやいた。まるで動かないことがかえって無気味である。矢口まみりは井川はるら先生のところに行くと先生の前に立ってはるら先生の差し出された手を握ってみる。
「まみりちゃんこわいことはないのよ」
井川はるら先生もソナーの画面をじっと見つめていた。
「侵入対象物が入って来たトンネルを遮断したのはどの機なのだ」
「八号機であります」
「八号機を映すことが出来るか」
「出来ます」
「カメラを切り替えろ」
現場付近上空を飛んでいる二台目のヘリコプターがその機を上空から映し出す。ちょうどやぶさか寺の横の七メートル幅の道路の中央で停車している機の全貌が映し出され、巨大な遮蔽板が地中深く打ち込まれ、道路は完全に横断されている。
「この道の下に奴がトンネルを掘ったのだな」
その奴はソナーの画面の上では全く動こうとしない。
「キャー」
チャーミー石川がピンク色の叫び声を上げた。遠くからソナーの画面をのぞき込んでいた矢口まみりも思わず顔を前に出す。その場にいた他の連中も顔を前に出した。
「対象物がバックし始めました」
ソナーのオペレーターの声には緊張とも恐怖ともつかない調子が混じっている。
「大丈夫だ。大丈夫だ」
警部は自分に言い聞かせるようにつぶやいた。みるみる間に遮蔽板に近づいている。侵入してきたときよりさらに速度を上げている。テレビには機が映っている。
「キャアー」
チャーミー石川がまたピンク色の声を上げた。しかし、矢口まみりは石川の過剰反応を叱責する気にはならなかった。
「あれを見て」
はるら先生がテレビに映ったヘリコプーから見た映像を指さしたとき、ソナーの画面では遮蔽板に対象物が今まさに衝突しようとしている。
ドドドドト、ドンと低い音がどこからともなく聞こえる。地面から出でいる遮蔽板の上部の部分とトンネル遮断無限軌道車が左右前後に小刻みに揺れる。
「大丈夫でしょうか」
つんくパパはそのカメラに映った巨大戦車がどうなるのかとあやうんだ。
「大丈夫です」
そう言った王沙汰春警部も自分の言葉に半信半疑だった。
「よし、生物凝固剤注入を始めろ」
「ラジャー」
ソナーの機械の横にいた操作員がスイッチをひねった。
「生物凝固材とは」
つんくパパは発明家としての興味から王沙汰春警部に質問した。
「それは第二次世界大戦中に日本の軍部が開発した、秘密兵器です。もし、対象の組成が蛋白質で成り立っているなら、その可動部分はすべて硬化して動きを停止させることが出来ます。日本の軍部は保管や使用の危険性からその開発を途中で断念しましたが、戦後、一部の技術者がその完成を成し遂げていたのです。ついにその兵器を使う機会がやってきました」
王沙汰春警部は感涙にむせんでいた。
「凝固剤、一トン注入完了」
「二トン注入完了」
「三トン注入完了」
「四トン注入完了」
「・・・・・・」
「他の機からタンクを移すのだ」
遮蔽板はもう振動を止めていた。
「隠密怪獣王は死んでしまったのでしょうか」
つんくパパはおそるおそる警部に聞いてみた。
しかし、警部は無言で何も答えない。
「うそだ」
ソナーのオペレーターが素っ頓狂な声を上げる。今度の叫びはチャーミー石川でないだけに信憑性がある。
「警部、侵入物はまた方向を転換しました。なごみ銀行金庫へ向かいはじめました」
「なんだと、トンネル遮断無限軌道車につながれた生物凝固剤のタンクをすべてなごみ銀行の金庫に集中させろ、逆方向から薬剤を注入するのだ」
チャーミー石川は王警部の腕にむしゃぶりついた。
「そんなことをしたら、そんなことをしたら。金庫の中のお札がすべて台無しになってしまいます」
「うるさい」
王沙汰春警部はチャーミーをふりほどくと三メートルも吹き飛ばし、チャーミー石川は小屋の中にある機材の箱にうちつけられて腰をさすりながら立ち上がったが誰も石川の方を振り向く人間はいなかった。
マイクを取った王警部はソナーの一点を凝視しながら叫んだ。
「金庫に生物凝固剤を集中させるのだ。早くだ。早くだ。一刻も早くだ」
警部の叫びにもかかわらず侵入物は金庫に近づいて行く。
「間に合わないなり。金庫に入ってしまうなり」
矢口まみりも叫んだ。
「心配ない。金庫の中は地中の泥の中を掘るのとは訳が違う。金庫の周囲は厚さ五センチの鉄板で出来ているのだ。金庫に達してその中に入るには少なくとも五分間は必要なはずだ。その間に生物凝固剤のタンクは届くだろう」
確かにソナーを見ていると対象物は金庫に達したらしいがその地点で停止している。
「やはりな」
王警部は満足気につぶやいた。
「嘘だ」
ソナーのオペレーターは冷や汗を脱ぐった。
「対象物は金庫の壁を通過しました」
「嘘だ」
興奮した王警部はチャーミーの頭をぼかりとやった。
「けふ」
チャーミー石川はげっぷが漏れたような声を上げる。
「仕方ない。機動部隊をなごみ銀行のまわりに集めろ。地対地ミサイルを打ち込むのだ」
「間に合いません」
なごみ銀行の全貌を映しているモニターを見ている操作員がモニターの画面を見ながらその銀行を指さしている。テントの中にいる人間はみなその画面のほうを見る。はるら先生もまみりもパパも、スーパーロボも、・・・・そして王警部も。
なごみ銀行の屋上に載っている銀行のロゴマークになっている看板が小刻みに震える。ネオンを点灯する高圧の電源装置がショートして煙りを上げた。さらに看板が振動する。建物の上部もゆっくりと振動しているのがわかる。そして、現れた。
屋上に大量の爆薬を仕掛けたようにビルの上部の部分が打ち上げ花火が開くようにコンクリートの大きな固まりや鉄材が空中に飛翔して、その立ち上がる破砕物の煙の中から、渡世人の姿格好をしながら顔だけは奈良東大寺の南大門に立っている金剛力士像のような仮面を被っている。ビルの上に上半身が出ていることからこの怪物の大きさは十五メートルの姿はあるに違いない。
 この渡世人の怪物はあたりを睥睨していた。
「あれが」
「あれが」
「隠密怪獣王なるなりか」
誰が言うこともなく、テントの本部にいた連中は外に出た。銀行の方を見ると怪物は大空を背景にして立っている。そして怪物の左手には金の延べ棒が多数、手のひらの中に握られている。つまようじの頭をたくさん握っているように見える。おもしろいことに渡世人の姿格好をした怪物だったが着物の背中と胸に五十五の数字がぬいこまれているのだ。
「あれはなんなり」
矢口まみりがその姿をさしながら指摘した。
「まみりちゃん、やめなさい。こっちを睨んでいるじゃないの。目を会わせたらだめよ」
はるら先生が矢口まみりを叱責した。
「撃つのだ。撃つのだ」
王沙汰春警部が絶叫している。
「地対地ミサイルを撃つのだ」
怪物のまわりを取り囲んでいたミサイルの自走車が火を噴いた。ミサイルは次々と怪物をめがけて飛んでいく。地面が地震のように揺れる。硝煙のにおいがたちこめ、空から金属性の落下物が落ちてくる。鼓膜は破れるようだ。空には小型の太陽がつぎつぎと爆発しているようだった。全部で四十発以上のミサイルが打ち込まれた。煙であたりは何も見えなくなっていた。矢口まみりたちは装甲車の陰に身を隠していた。そして煙が少し晴れたとき、怪物は何もなかったようにその場に立っていたのである。
「撃つのだ」
「ミサイルはもうありません」
「なに」
興奮した王警部は自分の背広の内ポケットから三十八口径のピストルを取り出すと怪物をめがけて引き金を引いた。何発かが流れ玉となって何発かが怪物のみけんに命中した。隠密怪獣王はその仮面の下のぎろりとした目を地上にいる哀れな子羊たちの方に向ける。王警部は仁王立ちになって弾のなくなった拳銃を怪物の方に構えていたが、他の連中はこそこそとその場を警部に知られないように逃げてお寺の地下倉庫の入り口の怪物の目の届かないところに逃げた。
「王警部が危ないなり」
命を捨てた王警部の方を心配気に矢口まみりが見ているとつんくパパは
「ひとりが死んじゃうのと、五人が死んじゃうのと、どっちがいい」
と言って指を立ててしーと発言を控えるように言う。そしてその場に隠れている五人は沈黙を守った。
 ミサイル攻撃によってビルはあとかたもなくなっていたが怪物はその場に無傷で立っている。そして林家彦六師匠は拳銃を構えたまま、怪物と退治している。こういうのを年寄りの冷や水というのだろうかとまみりは思った。
「どんなときでも、正義は勝っ~~~~う」
彦六師匠は首が自由に動く東北の民芸品のように頭をふった。そして怪物はどんな気まぐれを起こしたのだろうか。王警部の方に近寄ってくるではないか。しかし、王警部はその場をまったく動こうとしない。ずんずんと怪物は寄ってくる。そして片足を上げて王警部を踏みつぶそうとした。
「キャァー」
またチャーミー石川がピンク色の声を上げる。
「警部はふみつぶされるなり。一人が死ぬより、五人が死ぬほうがいいのかと言ったパパが悪いなり」
矢口まみりは王警部が踏みつぶされると思って目をつぶった。
「みんな自主的にここに退却したじゃないか。みんなの自由意志じゃないか」
つんくパパはぶつぶつと夢遊病者のようにつぶやいた。年寄りが飯をもっと食わせろと文句を言っているようだった。
「もう、つぶれちゃったかしら」
井川はるら先生が鍋の中に入っているホットケーキの焼き具合を調べるように地下倉庫の入り口から顔を出してぺちゃんこにつぶれちゃっただろう王沙汰春警部の方を見て、
 あっ と声を上げた。
他の四人も顔を出した。そこには驚愕すべき光景が広がっていたのである。
怪物の足は中空で停止している。王警部の頭上、数メートルのところで停止している。
ただ笑ったのは警部は頭上に自分の両手を捧げて怪物の足の裏を数千トンはあるだろう怪物の全体重を支えている気になっていることである。そして怪物は異様な行動を取り始める。王警部を踏みつぶそうとした足をもとに戻すと、今度は大空に向かって立ち、牛乳瓶の牛乳を飲むように左手を拳のかたちにして腰の横に添えると右手を頭上におき、空中にあたかも巨大な看板があるように人差し指で五十五の数字を書いたのである。そして天上に向けて指さした。王警部の存在がないようにその動作を繰り返している。
「先生、あれはなんなり、なんで空中に五十五の数字を書くなり、それに股旅の衣装の裏表に五十五の数字が書いてるのはなんなり」
「きっと馬鹿なのよ」
井川先生は一刀両断に決めつけた。
王警部はまだ怪物の全体重を両手で支えているつもりになって両手をあげている。
「チャンスだわ。王警部から怪物は関心を離している。助けに行きましょうよ」
チャーミー石川が叫んだ。
「でもな、自分の自由意志だから」
つんくパパはまだぶつぶつと言っている。
「矢口くんは行くなり」
矢口まみりは飛び出した。
「まみり、まみりが行くならパパも行くぞ」
五人が王警部のところに行くと怪物はまだ空中に五十五の数字を書いて、天を指すという単純作業を繰り返している。てこでも動こうとしない警部を地下倉庫の入り口まで運んでも、王警部の興奮はまだ冷めやらなかった。
「俺はひとりでも戦うぞ。自衛隊の奴らはどうしたんだ」
まだわめいている。
「みんな退却したなり。矢口くんたちだけが取り残されたなり」
「戦うと言ってもミサイルはすべて撃ちつくしましたよ。さっき電話を自衛隊の方にかけたら、ミサイルを撃ってもいいけど警部の退職金からその費用を払って欲しいと言っていました」
はるら先生が冷ややかな口調で言った。
王警部は五目玉の算盤を取り出すと算盤一級の腕でそろばん玉をはじいた。そして尖った鉛筆のさきをなめると電話を所望した。
「電話かかるよね。今晩は鍋焼きうどんにしようかな。みんな何を食べる」
王警部の横には築地三丁目にある田舎そばおかめ屋と書かれたそば屋のメニューが置かれている。
「そんなことより怪物がまた動き始めたわよ」
入り口から顔を出しているチャーミー石川がそのほうを見ながら言った。怪物の眼中にはこの五人の姿はなかった。晴海通りに抜ける方の道路をまたぐと築地の卸売り市場の方に入った。職務熱心なヘリコプターの隊員はまだ怪物の姿を映している。何故、築地市場なんかに入って行くのだろう。早朝なら仲買人なんかのためにラーメン屋や寿司屋が開いているのだが、時間的にはもうそれらの店はしまっている。一体なんの目的が。
ヘリコプターから送られてくる映像を見ながら、矢口まみりたちは首を傾げた。しかし、その目的はすぐにわかった。築地市場の中には白い建物がいくつも建っている。そこは人が住むために立てられたものではない。そこには遠洋漁業の漁師さんたちが他の国の領海ぎりぎりの海で捕ってきたまぐろや越前蟹が冷凍されて入っている。怪物はその大きな冷蔵庫の前で立ち止まるとビルの窓の中に指を入れた、そして指をはじくようにすると窓は壊れた。さらに金属製の二重扉を破壊する。扉からは冷気が漏れて白い煙となって立ち上る。中から怪物は人差し指と親指でコンテナごと冷凍されてかちかちになった越前蟹が数千個固まってキューブになったものを取り出すとひとくちで口の中に入れた。まるでエビのカクテルを食っているようである。ひとつの冷蔵庫で食い尽くすと次の冷蔵庫に向かう。
「食べてるなり」
ディズニーの動物記録映画を見ているように矢口まみりはつぶやいた。それは全く自然の神秘にほかならない。こんな感動をまみりが味わったのはシロナガスクジラの水中での出産映画を見たとき以来だった。他の連中も同様だった。自然の営み、神の霊示、六十億年の生物の営み、進化の歴史、その場にいる連中はすべて神々しいものに身を震わせていた。チャーミー石川なんかは涙さえ流していたのである。
 そのとき、電話がけたたましくなり始めた。
つんくパパが出ると横柄な調子で警視総監だと言った。つんくパパは自分のことではないので警部に電話を渡す。井川はるら先生がコンパクトを出して化粧をしようと立ち上がって電話の線に引っかかったのでその電話の声がスピーカーに切り替わってその場にすべて流れている。
「王沙汰春警部、今度の件をどうするつもりだ」
「総監。なにしろ相手は怪物です」
「怪物はいいよ。君。築地市場に行ってまぐろや蟹を食いまくっているそうじゃないか。どうするんだよ。君。お寿司屋さんにまぐろを卸せないじゃないか。東京の物価指数があがっちゃうよ。君」
「ミサイルを撃つ金をください」
「そんなこと自分でなんとかしろよ。君、頭上を見てごらん」
警視総監がそう言ったので五人は外に出た。空中を見るとジェット戦闘機が一機とんでいる。
「君がなんとかしないと、君のいるところにミサイルを打ち込むよ。みんな死んでもらうよ。そうすれば証拠が残らないからね。今回の事件も未確認飛行物体から宇宙人が来てやったことにするからね」
警視総監はがちゃりと電話を切った。
「パパどうするなり。矢口くんはこのお馬鹿たちと一緒に死んでしまう運命かなり。怪物は手に負えないなり」
チャーミー石川は数珠を握って念仏を唱えている。警部は蝦蟇蛙がトラックに踏んづけられたような表情をしている。井川はるら先生がまみりの方を見て気味悪く笑っているのが気持ち悪かった。
「ちょっと、こっちに来なさい」
つんくパパは矢口まみりをつれて墓場に立っている木の隅につれて行く。
「まみり」
「なんであるか。パパなり」
「これを」
つんくパパはボケットの中から何かとりだした。
「まみり、これをはめなさい」
「パパ、プレゼントをくれるかなり、まだ誕生日は早いなり」
それは女ものの腕時計だった。ピンク色の腕バンドがついていて文字盤にはうさぎの絵が描いてある。矢口まみりはその腕時計をはめた。
「まみり、これはパパとふたりだけの秘密だよ。でも天国にいるママには報告してもいいよ。スーパーロボヤグチマミリ二号集合というのだよ」
矢口まみりは腕時計を口のそばに近づけると叫んだ。
「スーパーロボヤグチマミリ二号、集合」
****************************************************

第九回
集合と言ってもヤグチマミリの前にやって来たのは一人だった。それは飛んで来た。地表から一メートルぐらいのところを飛んで来た。飛んでくる途中で銀杏の木を一本なぎ倒して来た。まみりの前で方向を転換して地上に降り立った。さっきのごたごたしているあいだにいつの間にかロボットの姿が見えなくなっていたことも気づかなかった矢口まみりだった。
「きみは空を飛ぶこともできるかなり。きみのことを忘れていてごめんなり。きみは矢口くんの分身なり」
「どうだ。すごいだろう。まみり。このロボットは空を飛ぶことも出来るんだ」
「でも、なんでスーパーロボを呼び寄せたなり。パパさんなり」
つんくパパはおごそかにのたまった。
「スーパーロボヤグチマミリ二号はまみりがハロハロ学園でいじめられているのを救うよりももっとおおががりな仕事も出来るのだよ。まみり。パパの頭の中にはある事件の記録が残っている。一九七二年にニューメキシコ州のサウスダコダで怪事件が起こり、村の住民がすべていなくなったという現象が起こった。その村には保安官がいなくて、隣の村の保安官が消え去った村へ行くとインディアンの血を引く九十才になる老人がひとりだけ残っていて空から大きな固い殻を被った丸いさそりが降りて来てみんなの姿を消してしまったと言った。その土地のインディアンの古老の間ではそういう伝説が昔から何代にもわたって語り継がれて来たからその話とこんがらがっているのだろうと地方新聞の記者は書いた。たまたま何かの機会でパパはその記事を読んでことの重大性を認識した。固い殻を被った丸いさそり、いろいろな国にその伝説はある。しかし、それは伝説なんかじゃない。空飛ぶ円盤を宇宙人の乗り物だと言って、その中に宇宙人が乗っているなどと悠長なことを言っている人間がいる。空飛ぶ円盤はそんなものではないんだ。まみり、なんだと思う。それは手術室なんだ。遠隔手術がおこなわれる。ああ。パパは考えただけでも恐怖で身が凍るよ」
「パパの言っていることはよくわからないなり」
「こんなおそろしい事実が公になったら世の中はどうなるだろうか。ああ。おそろしい。ただ言えることは円盤の中には宇宙人がいるなんてことはあり得ないということなんだ。まみりの心の中に暗い影を落とすのは嫌だからこれ以上のことは言わないけど。みんなが宇宙人を見たなんて言うだろう。しかし、それはみな地球人なんだ。ああ、恐ろしい。だから円盤はみな破壊しなければならない。そうしなければ地球は滅亡してしまう。そのための機能もスーパーロボヤグチマミリ二号には持たしてある」
「矢口くんにはパパの言っていることはよくわからないなり」
まみりはまた同じ言葉を繰り返した。
「空飛ぶ円盤も隠密怪獣王も同じものだということなんだ。その腕時計でスーパーロボヤグチマミリ二号を呼び寄せることが出来ただろう。今度はスーパーロボヤグチマミリ二号、巨大化十二メートルと腕時計に向かって言うんだ。それがスーパーロボの操縦機なんだからね」
「パパ、ありがとうなり。スーパーロボットヤグチマミリ二号、巨大化十二メートル」
と矢口まみりは叫んだ。するとどうしたことだろう。目の前にいるスーパーロボはどんどんと巨大化して五階建てのビルくらいの高さになった。矢口まみりの前にはスーパーロボのブーツのさきの方が見える。そのブーツも矢口まみりの履いているものとすっかり同じである。
 そのとき墓地の地下倉庫の中に隠れていたお馬鹿三人は何をやっていたのだろうか。まず王警部はやはり五目玉の算盤をはじきながら、腕を組み、また腕を組みながら、五目玉の算盤をはじいている。そしてときどき天井のほうを見上げて何か考えている。そして紙のはし切れにちょこちょこと数字を書いて、また鉛筆のさきをなめる。そしてため息をついて、それから何かに憤っているように口をふくらませる。自分の退職金の中からミサイルを撃つ費用を捻出しようとしているようである。
チャーミー石川は村のはずれの辻堂でひとり仏様を守っている尼さんみたいに数珠をがちゃがちゃさせて神仏に祈りをあげている。その姿はまるで自転車に乗せられたETのようだった。
井川はるら先生にいたっては見物だった。「羊の血を、羊の血を」と叫びながら地下室の中を彷徨っている。はるら先生は最近、黒ミサにこっていた。床の上でぶつぶつと言っている他のふたりの間をぬって、いつの間にか魔法陣を描いていた。その魔法陣の上に王刑事もチャーミー石川も座っている。「あの悪魔を鎮めるためには羊の血が必要だわ。羊の血が。羊の血がなければ、処女の血が必要」そう言ってチャーミー石川の方をぎろりと睨んだ。井川先生とチャーミー石川の目があった。「きゃぁー。あの人。わたしを殺そうとしている」チャーミーは叫んだが、何故か井川はるら先生は矢口を求めて外に出て行った。
「スーパーロボ、右足をあげて、そしておろして」
矢口まみりが腕時計をとおして命令するとスーパーロボはそのとおりにした。どしんと地響きが起きた。地上にまみりを捜しに井川先生が出て来ただけではなく、王警部もまみりのところにやって来た。チャーミーはまみりの腕にからんだ。
「まみり。あれは。あれは、まみりの親戚の女の子じゃないの」
スーパーロボは五人の前に威風堂々と立っている。
「もう冷凍キングサーモンもたらば蟹も越前蟹もまぐろもほっき貝もあわびもさざえも伊勢海老もオマール貝も、隠密怪獣王、ただでは食べさせないわ。そんなことをしたら物価指数が上がっちゃうでしょう。このスーパーロボと矢口さんが許さないわよ」
「まみり、格好いい」
「僕もひとまず応援するよ」
王警部も付け加えた。
黒ミサに凝っている井川先生だけは悪魔に対抗するには近代科学ではだめ。地下からデーモンを呼び出さなければと、とひとり自分にだけ聞こえるようにつぶやいて、にやにやとまみりの方を見つめている。
「みんな、離れて。スーパーロボが発進するから」
五人はスーパーロボヤグチマミリ二号から離れた。
「はっっっしん」
矢口まみりが命令すると巨大ロボットのブーツの底からジェット噴流が吹き出した。そして重力に逆らってスーパーロボは空中に上がっていく。千メートルくらい上空に上がってからまた逆噴射しながら降りてくる。そして五十メートルくらい前方にある築地市場に降り立った。
「さあ、スーパーロボがいれば怖いものは何もないなり。わたしたちも築地市場に行きましょう」
「まみり、前に見たテレビでは巨大ロボットの手の平の中に操縦者が入って空中を移動して行くというのがあったけど、そういうのはないの」
走りながらチャーミーがぶつぶつと言った。「チャーミー、そんなことでは二十四時間テレビの司会者にはなれないなり」
「なれなくってもいいわよ。まみり」
とっくの昔にスーパーロボは降りたってまみりたちが来るのを待っている。まみりは走りながら汗が出てきた。首筋から汗が出る。まみりの頸動脈が浮き上がる。それを見て黒ミサの井川先生が無気味に笑った。
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第十回
築地市場の中には二人の巨人が存在している。ひとりは直立し、ひとりは学校から帰ったばかりの小学生が台所の食器棚の中から奥の方に隠されている饅頭を盗み食いしているみたいである。ふたりのあいだはまだ没交渉である。これがただ一色で出来たブロンズ像だったらどこかの建物の前庭にも置いていいようなみごとな組み合わせだ。ひとりが立っていておいしいものが出てくるのを待っている人、そしてひとりが立っていてひとりが森の中の根本にあるうつろの中にある隠されている蜂蜜を手探りで掘り出そうとしている人。そんな自然の中に置かれたふたりの人物の自然に対する営みを表現しているようにも見える。造形的にも量感のバランスが完全にとれている。しかし、ふたりは敵対関係にある。森の中に住むふたりの兄弟だというわけではない。その上、穴を掘っているほうは立っている方に無関心だ。そしてふたりの胸のあたりには空があり、頭はビルの高さよりも上にある。大きな冷凍倉庫が子供のおもちゃ箱のように見える。その地面にありのようなごま粒が移動してきた。
「まみり、あいつ、まだお金も払わないくせにボタン海老をむしゃむしゃ食っているわよ。それになに、あの変な格好。まるで渡世人じゃないの」
巨人を見上げながらチャーミーが個人的感情をむき出しに言った。チャーミーは自分のポケットの中を探った。するとYの字をしたものが指先に当たった。二股に分かれているほうのさきにはぶよぶよと太いミミズのようなものがついている。チャーミーは思い当たるものがあった。「こんなものがあったわ」弟がくれたパチンコだった。すぐにチャーミーはそこいらに落ちている石を探す。適当なものを拾うとゴムをぎりぎりと伸ばして片目をつぶって照準を合わせた。
「チャーミー、そんなものは全く効果がないなり」
「こんなことでもしなければ、気分が晴れないわ」
矢口まみりの言ったとおり、石川の放ったパチンコの弾は空中をゆるゆると飛んで行った。が、そこで奇跡が起こった。ゆるやかな放物線を描いた小石はちょうど食事に熱心で横を向いていた巨人の耳の穴の中にうまい具合に入ったのである。そして築地市場の空気が大きく振動した。
「ふははははは。ふははははは」
耳の穴に入った小石がくすぐったいのか、巨人は立ち上がると笑い人形のように笑い出したのである。その笑い声は文字で見ると人間の笑い声と同じであるがそれを文字という表現手段をとるならば何十倍の大きさの活字を使わなければならないだろう。それから変なところをくすぐられて顔の筋肉が弛緩している巨人はプールで耳の中に水が入った人のように片足でちんちんをして小石の入った耳のあるほうの顔の側面を下に向けると耳の穴から小石が落ちて来た。もちろん巨人の縮尺からすれば、その小石はほとんど見ることが出来ない。そして普通の表情に戻ると小石が飛んで来たほうの地面を見つめた。そこにありのごときものがうごめいているのを見つめた。
「まみり、お前の友達は馬鹿だ。馬鹿だ。最低の馬鹿だ。合宿に入れて再教育だ」
「こんな奴、友達じゃないなり。チャーミー、責任をとりなさいよ」
振り返るとそこにはもうチャーミー石川の姿はない。そして王警部の陰に隠れている。巨人はまたぎろりと睨んだ。東大寺南大門の阿吽の仁王像からかりた仮面の下からのぞく瞳が浄瑠璃の人形のように矢口まみりの方を向く。その目の玉もまみりなんかよりはずっと大きい。巨人はほっぺたを膨らました。そして口を尖らすと息を吐いた。市場のその一角だけに最大規模の台風が襲来した。まみりは地面にはいっくばって駐車場の車止めを力いっぱい目を閉じながらつかんでいたが頭上から天を割くような笑い声が聞こえる。
「ワハハハハハ。ワハハハハハ。クェ、クェ」
「くじら太くんだわ。くじら太くんだわ」まみりは遠い昔のあこがれの人に会ったような気がした。まみりは小さかった。子供のときから小さかった。小さかったまみりは大きなものに憧れていた。その憧れの人がくじら太くんである。くじら太くんは現実の人ではない。連続テレビドラマの主人公だった。くじら太くんは大きい。身長が三メートル、体重は五百キロあった。ドラマの中でくじら太くんは中学校に転校してくる。まず給食の時間に五十人前のランチを食べた。それから腹ごなしのためにお昼休みにやる草野球でバットのかわりにそこいらにある電柱を引き抜いてきてバットがわりに使った。飛んで来たボールを撃とうとして手をすべらしたくじら太くんの電柱は飛んで行き、中学校の正面の時計台に突き刺さり、時計台の上部、三分の一が崩れ落ちた。しかし、それがテレビドラマでくじら太くんが実在しないとまみりは五歳のときに気づいた。
 まみりは工事現場も好きだった。そこでまみりは第二の初恋をしたのである。その人はつるはしを親指と人差し指のさきで竹細工のようにして持ち、片手で砂が山盛りになった猫車を持ち上げることが出来た。その人が歩くと小山が歩いているようだった。そして夜になると中華どんぶりの中にさいころを入れてふっていた。小学校の行き帰りにその人の姿を見るとまみりの胸は震えた。その人と一度だけ話したことがある。工事現場に作られた物干しの上にしなびた太い昆布のようなものが干してある。それは長かった。そのはしっこの方にぶら下がっていると憧れの人が向こうからやって来た。
「嬢、ふんどしに興味があるかい」
その昆布の端には名前が縫い込んであった。おにぎり山。
「それがおいらのしこ名だよ」
まみりは怖くなってその場を逃げ出した。そしてまたその憧れの人に会いたいと思ったが工事は完成して工事現場もなくなっていた。「だめ、好きになっては、相手は無銭飲食を常習にしている悪人よ。まみり。好きになっちゃだめ」
矢口まみりはきわめて冷静になろうと思って他の連中はどうなったのかと思って振り返ると巨人の息に吹き飛ばされて向こうの方へ行って腰をさすっている。まみりは自分の体容積が小さかったから吹き飛ばされなかったのだと思った。
 そのとき空中から四つ足の黒いヒトデのようなものが降りてくる。まみりの前に着陸するとヘルメットを被ったヘリコプターのパイロットのような男が出て来た。
「王警部は」
どうやらまみり達の味方らしい。そこへ腰をさすりながら王沙汰春警部もやってくる。
「だいぶ、待ったぞ」
「警部、残念ですが。この件に関しては警視庁は手を引くそうなので、自衛隊が受け持つことになりました」
「きみ、じゃあ、僕の扱いはどうなるんだね」
「出向扱いということになります」
そこへ巨人の息に吹き飛ばされた連中も集まって来た。
「きみらもこの艇に乗り込むんだ。これは空中でも水中でも三百六十度自由に進むことの出来る自衛隊の新型偵察機なんだ」
四人がその艇に乗り込むといろいろな計測器がピカピカと点滅している。艇の前面はガラス張りになっていて五人が座ることが出来る椅子がついている。床には黒いゴムシートが貼られている。真ん中の席だけは前面にハンドルだとか、エンジンの始動装置だとか、ナビゲーターだとかの表示器がついている。
「椅子に座ったら安全ベルトをしめてください。前後左右上下に自由に進みますから、そして裏返しにもなりますから大変危険です。機器類もみんな据え付けになっているでしょう」
五人が椅子に座って安全ベルトをしめると偵察機は静かに上昇した。そして巨人を見下ろすことの出来る高度まで上がった。巨人にとってはこの偵察機の存在など眼中にないのか、今は大型の冷凍トラックをおはじきのように指ではじいてトラック同士をぶつけたりして遊んでいる。
「矢口まみりくん、きみの出番だ。つんくパパの作ったスーパーロボを使ってあの巨人をどうにかしてくれ」
王警部がいまいましそうに巨人を睨んだ。
「でも、警部。ここで巨人とスーパーロボの戦いを繰り広げさせるつもり、ただでさえ。ビルをいくつも壊して高級食材をたくさん巨人は食べてしまったわ。これ以上、損失を広げるのはどうでしょうね」
チャーミー石川は社長秘書のかけるようなさきの尖っためがねをかけてやすりで爪の手入れをしている。
「ここでふたりの巨人を戦わせることはまずいか。でも、どうしたら」
王沙汰春警部は頭をひねった。
「人が慣性誘導装置を使って空中移動の道標にするように動物は本能で測地線を選択することが出来ます。磁石にN極とS極があるのはなぜでしょう。この小さな磁石を小さく小さく分割していってもやはり磁石の両端にはふたつの極があらわれます。むかしは空間の中はエーテルで満たされていと思われていましたが、今はそんなことを信ずる人はひとりもいないでしょう。でも小さな磁石が無数に空間に張り巡らされているという比喩はあながち当たっていないということもいえません。動物はこの微少磁石の存在をいつも感じています。動物はそれを移動のための道標にしているのです。だからこの道標を狂わせてやれば巨人はここを去るに違いありませんわ」
井川はるら先生は生物として見た巨人について語った。
「五分の四は何を言っているのかよくわからないんですが、要するに巨人対策としてどうすればいいんですか」
「地磁気を狂わせてやればいいのです。そのためには大量の電磁波を発生させればいいのです。それの一番簡単な方法はここで核爆発を起こさせるのです」
「ここに核兵器は置いてあるのですか」
「いや、そんなことをしたらわたしたちは死んでしまう」
チャーミー石川が黄色い叫び声をあげた。
「なにを言っているの。チャーミー、人類が滅亡したあとで、大魔王さまがあらわれて地上に新たな秩序を与えてくださるのよ。ほほほほほほほ」
「そんなことまでしなくても、地磁気を乱すだけなら、この艇の推進装置の一部を使うだけで可能です」
パイロットは冷静に言った。
「この艇の推進装置でそれが可能なら、それでもいいですわ」
「井川先生、もっと具体的にその方法を教えてください」
「強い地磁気の下にいると動物は不安定な精神状態になります。だから、周囲に強い地磁気の乱れを作ってその中に安定した地磁気の領域を作るんです。そうするとその中に生物は逃げ込みます。その円を移動させれば巨人も移動するでしょう」
「明快なお答え、ありがとうございました」
「ちっとも明快ではないわ」
チャーミー石川はぶつぶつと言った。
「でも、推進器をその目的で使うということはこの艇が失速するということです」
パイロットが付け加える。
「それなら、心配はないですよ。まみり、説明しておあげ」
「スーパーロボを使うなり。スーパーロボにこの艇を持ってもらうなり。そして地磁気の隙間を作りながら巨人を移動させるなり」
「素晴らしいわ。まみり」
「よし、決まった。その作戦を遂行する。まみりくんスーパーロボに命令してくれ」
「スーパーロボ。この艇を支持するなり」
艇ががくりと揺れた。
「では艇の前方、半径二十メートルに安定した地磁気をつくります」
ヘルメットを被ったパイロットが報告した。そして機械のスイッチ類を操作する。
矢口まみりは腕時計に向かって叫ぶ。
「スーパーロボ。隠密怪獣王を誘い出すなり」
スーパーロボは艇を持ったまま巨人の方に近寄る。動物園のオラウンターの中に新入りのオラウンターが入って来たような反応を示している。巨人は状況の変化を微妙に感じているのだろうか。小刻みにあたりを見回している。
「スーパーロボ。少しずつバックをするなり」
まみりが言うとスーパーロボもバックする。状況が変わったことを巨人もわかっているのだろうか。耳を両手で押さえて不快な表情をした。そして艇につられるように前進する。
「成功だわ。まみり」
チャーミー石川がパチパチと拍手する。
「わたしのアイデアだわ」
井川先生は少し不機嫌だった。井川先生の隣に座っているのが王警部だからかも知れない。
「うまくいくな」
王警部は眼下にある巨人の頭部を見ながらつぶやいた。
「スーパーロボ。その調子だわ。そのままバックするのよ」
スーパーロボは慎重にバックする。パイロットは遠い昔にざるを逆さにしてひもでそのざるが落ちるようにして、下に米をまいて雀を捕獲しようとしたことを思い出していた。
「まみりくん、もっと速くバックすることは出来ないか。巨人はこの艇につられるようにしてついて来るではないか」
「スーパーロボ。バックする速さをあげるのよ」
スーパーロボのバックの速さは倍加した。ロボは後退りしながら築地市場の南の端にある神社を一またぎに越えた。しかし、巨人は人間の作ったそんなものを踏みつぶすことを躊躇しなかった。巨人の一足でその神社はつぶれてしまった。
「この罰当たりめが」
王警部は吐き捨てるように言った。
「仕方ないなり」
矢口まみりはつぶやいた。五歩くらいでスーパーロボも巨人も築地市場を出てしまう。交通規制がおこなわれていて自動車は一台も端っていない。
「まみり、大変」
チャーミーが叫んだ。他のみんなは前面の巨人しか見ていなかったがチャーミーは床のそばにある艇の後方を映し出すモニターを見ている。チャーミーの目には勝ちどき橋が寸前の距離で迫っている。
「遅い、遅いわ」
チャーミーが叫んだ。艇の中はひっくりかえり、天と地がひっくり返った。そして地震のような音がしてスーパーロボは勝ちとき橋の上に倒れかかり、橋は完全に破戒されてしまった。
まみりはひっくり返ったままである。
「スーパーロボ。立ち上がるのよ」
艇の中はまた上を下への大騒ぎでまた立ち上がった。
「良かった。まだ巨人は気づいていない」
「このコースで進むのはまずいですよ。警部」
「どうしてだ」
「こちらは交通規制がなされていないです」
「では、どうやって巨人を始末するのだ」
「対策本部が立てた計画を遂行してください」
「どうするのだ」
「この道を右に曲がると石油精製工場が一面に広がっています。そこに巨人を誘導するのです。その工場街には人間はみな退避させてあります。そこで石油タンクを爆発させて巨人を焼き殺すのです」
「まみりくん、聞いているか。方向を転換するんだ。工場街に向かわせるのだ」
「スーパーロボ。右に曲がるなり」
スーパーロボが右に曲がると巨人も右に曲がった。広い産業用道路は人っこ一人いない。艇につられるように巨人は工場街に足を踏み入れる。巨人はいつか石油タンクに取り囲まれるようなところで立っている。
「ここまで来れば地磁気で巨人をとらえている必要はないわね」
井川先生が言った。
「よし、われわれは上昇しよう」
艇はスーパーロボの手から離れて上昇し始める。
「警部、石油タンクにミサイルを打ち込みます」
「よし」
空中の艇からいくつもの石油タンクにミサイルが打ち込まれて炎上を始めた。あっという間に巨人もスーパーロボも火の海に包まれる。
「スーパーロボ。ご苦労なり。つんくパパおは素晴らしいロボットを作ったなり。巨人は酸素不足で窒息するか。熱で焼け死ぬなり。スーパーロボ、ご苦労なり。逃げるなり。発進するなり。スーパーロボ、はっししん」
矢口まみりは爽やかに宣言した。しかし、あれっと首を傾げる。
「おかしいなり」
「まみり、おかしいわよ。まみりの親戚の女の子が飛び上がらないわ」
つんくパパは弁当箱のようなものをしきりに眺めている。
「まみり、だめだ。ジェット噴射装置が故障している」
その弁当箱はスーパーロボの状態を確認するための装置だった。
「まみり、大変」
チャーミー石川がまたピンク色の声を上げた。巨人がスーパーロボに飛びついて倒してしまった。
「隠密怪獣王のエッチ」
チャーミー石川が言った言葉は的を得ていない。スーパーロボの衣服は完全防火性を持っているどんな火炎の中でいても周囲の温度を下げることが出来るのだ。巨人にはどうにかそういう判断の出来るくらいの知性があるようである。スーパーロボに抱きついているあいだは巨人は焼け死ぬことはない。巨人とスーパーロボは抱き合ったままごろごろと転がった。まわりの石油施設をなぎ倒して行く。そして輸送船をつなぐ内海と接しているへりまで来ると抱き合ったままその海の中に落ちて行った。そのとき大きな津波のような波が起こった。波も大きなマスで見るとゼリーのように悠長な動きをする。空中に停止した艇の中でその様子を見ていたまみりはスローモーションのフィルムを見ているような気になった。
「スーパーロボ。巨人を追うなり」
巨人はさらに外海の方へ向かっているらしい。空中からでは海の中がどうなっているのかわからないが海上からふたつのくじらよりも巨大な陰がもつれているのがみえる。
「ここからでは操縦出来ないなり」
「まみりくん。この艇は海の中でも自由に進めると言ったではないか。パイロットくん、海の中に突入してくれ」
「ラジャー」
「素敵だわ」
艇は海の中に侵入した。暗い海の中で巨人とスーパーロボはもつれ合っている。
「もし」
「はるら先生、もし ならなんですか」
つんくパパが井川先生の方を見ながら言った。
「巨人がわたしたちと同じ構造の呼吸器官を持っているなら、水上に出さないようにするだけで巨人は水死するでしょう」
「先生、なぜ、そんなことがわかるのですか」
「わたしは実は水中都市ラー帝国の生き残りなんです」
「わたしは信じないなり。とにかくスーパーロボ、巨人を逃がさないなりよ」
「見てごらん、まみり。巨人は確かに苦しんでいるようだ。空気を求めてもがいている」
「ふふふふふ。もう少しで水死人が一丁あがるわ」
チャーミー石川はにたにたした。しかし、巨人は力を秘めていた。海中で手を振るとスーパーロボのヘルメットのような仮面に手をかけたのである。スーパーロボはいやがった。まみりは巨人はメキシコプロレスを見たことがあるに違いないと思った。覆面をとられることは覆面レスラーにとっては最大の屈辱である。試合中に覆面をとられたレスラーは試合を放棄してロッカールームに戻ってしまうのである。巨人は仮面をはがそうとする。スーパーロボはそれをいやがる。しかし、一瞬のすきを見計らって巨人はスーパーロボの仮面を剥いでしまった。艇の中にいた人間は矢口まみりとつんくパパを除いては驚きの声を上げた。その顔は矢口まみりにそっくりだったのである。
「親戚の女の子って、親戚の女の子って」
ここでチャーミー石川は一呼吸おいた。
「まみりにそっくりじゃないの」
「ふん、偶然の一致なり。ねぇ、パパ、そうなり」
「まみりの言うとおりだよ」
スーパーロボは泣きながら巨人に向かっていく、そして仮面を取り返した。そして今度は巨人の顔をかきむしる。今度は巨人が不利だ。
そこへ巨人よりもさらに巨大な影が近づいてきた。なんとそれは巨大なたこだった。たこは艇の方に向かってくる。艇に攻撃の対象を変更しているらしい。
「スーパーロボ。艇を守るなり」
スーパーロボは艇を守るために巨人から離れた。巨大なたこは近寄ってくる。巨大なたこと見えたものはどうやら人工のロボットらしかった。たこの一角には透明な運転室がついていてその中からひとりの女がこちらを見ている。空気太りしたような顔だ。その顔を見てつんくパパは言葉を失った。
「パパ、あの女を知っているのなり」
「うんにゃ。知らない」
つんくパパは首を振った。
「あっ、巨人が泳いでいく」
チャーミー石川が指さす方を見ると巨人がはるかさきを泳いでいく。巨大たこも海上に出て空中に出た。そして巨大たこは巨人をつかむとどこか空中に飛んで行った。ジェット噴射の故障したスーパーロボには追うことが出来なかった。
 一日でこんなに大活躍をした矢口まみりだったがハロハロ学園に行くと普通の女の子だった。下駄箱で上履きを代えているとスターのゴジラ松井くんがあとから来た。まみりの胸はときめいた。しかし、おかしいことにゴジラ松井くんは地下足袋を履いている。それも土に汚れた地下足袋をである。そしてつるはしを肩に担いでいる。つるはしの先も土で汚れている。
「おはようなり」
まみりは自分で一番可愛いと思う笑顔を作ってほほえんだ。しかし、ゴジラ松井くんの挨拶は素っ気ない。ちらりと見て、おうと言っただけだった。そのまま校舎の中に入って行く。まみりは肩すかしを食ったような気持がした。あとからチャーミー石川が来た。
「見てたわよ。見てたわよ。ゴジラ松井くんと顔を合わせたじゃないの。まみり。うまくやったじゃないの」
興奮して聞く。
「でも、それほどでもないなり」
「何よ。まみり。ゴジラ松井くんに一番近距離にいるのはまみりよ。ゴジラ松井くんのアタックに成功したら、まっさきにわたしに知らせてね。あの不良たちが地団駄を踏んで悔しがる姿が目に浮かぶわ。辻なんかまみりの頭を持って飯田の足をなめさせようとしたじゃないの」
「でも、そんなにうまくいっていないなり」
矢口まみりの答えは力なかった。
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第十一回
月夜の怪獣
「だから、教育の目的が何かということになれば、生きる力を養うことにあります。生きる力とは狭義の解釈ではありません。生活上、経済的な道具というものをさらに越えています。それは自分の人生を肯定的にとらえて困難を乗り越えていく力を養うことでもあります」
公民の授業を受け持っている五十半ばになる頭の上の方がすだれのようになっている役場の受付に座っているような室町が黒板にチョークで生きる力と書くと教室の中にいた辻は大きなあくびをした。公民の教師、室町は鍬と呼ばれている。それは日本史の教科書に室町時代の市の絵が載っていて鍬を売っている貧相な商人にそっくりだったからだ。そしていつも週末になるとこの男がハロハロ学園と駅を結ぶ道にあるうなぎ屋でうなぎを食って帰ることを生徒たちは知っていた。
 教室の窓は明け放れられていて窓の外には青空が広がっている。石川りかは窓際の後ろの方に座っている。抜けるような青空の中には薄く溶いた白い絵の具をはけでさっと横に拭ったように絹雲が浮かんでいる。石川りかは外に広がる青空と教室の周囲を交互に見渡した。矢口まみりの方を見ると矢口まみりは教室のほぼ中央に座っている。それなのにまみりのまわりには不良たちの主要なものたちが取り囲むように座っている。まみりの前には飯高かおりが、両脇には辻と加護がうしろには保田が座っている。包囲網である。そして離れ小島のように紺野さんと新垣が座っている。石川りかは担任の先生もこんな席順にしなければいいのにと思う。まみりのまわりはまみりのいじめっ子ばかりではないか。ゴジラ松井くんを隣に座らせてあげればいいのにと思って廊下側の一番後ろのほうに座っているゴジラ松井くんのほうを見ると松井くんは黒板のほうを見てノートをとっている。後ろの方に座っている紺野さんは教科書をくの字のかたちに立ててそこに隠れてアルミ製の弁当箱を開けて弁当を食っている。弁当箱には飯がぎゅうぎゅうに詰め込まれている。紺野さんははしをその中に立てている様子は土の中に埋まっている化石を掘り出そうとしている考古学者のようだった。紺野さんはピンポン玉くらいの大きさの梅干しをご飯に埋もれているのをはしで取り出すと口の中に放り込んだ。すっぱいはずなのに表情を少しも変えない、まるで殺しやのようだった。その横には新垣がやはり机の上に教科書を立てて彫刻刀を使って何か掘っている。石川りかはこのふたりには生きる力があると思った。新垣は彫刻家になれるかも知れない。と思った。さらに石川りかは首を伸ばして新垣の彫っている彫刻がどんなものなのだろうかと思って顔を伸ばしてのぞき込むとそのレリーフはどこかで見たことがあるような気がする。そこで思い出したのだがアンデス山中にある正体不明の大きな鳥の絵のようでもある。それが何であるか、現代では謎である。ある女性歴史学者は古代マヤ人は空中遊行が可能な方法を持っていてそれが飛行場だという説を唱えている。よく見ると新垣は古代マヤ人のような顔をしている。石川りかはさらに首を伸ばしてその絵をよく見ようとすると新垣は歯をむき出しにしてウーと低くうなり威嚇するような表情をしたので石川りかはかみつかれるのがいやなのであわてて首をひっこめた。矢口まみりのほうを見るとまみりは何か手持ち無沙汰のようである。まみりの前の飯高かおりはプラスチック消しゴムを机の上にこすりつけて消しゴムの滓を大量に生産している。これが何を意味しているのかはよくわからない。無理を言えば生きる力を涵養していると言えないこともない。そのうち消しゴムに彫刻をし出すかも知れない。そしてエッセーを書き始めるかも知れない。
 矢口まみりは公民の教師の話すのを聞きながら何か物足りないものを感じた。矢口まみり二号をつんくパパが作ってから不良たちがまみりをいじめることがさっぱりとなくなった。そして、まみりの心の平安は保たれているはずなのに何故だろう。そこにはいつもあるべきものがないという日常をみだす何かがある。それがまみりに対する不良たちのいじめという負のものだとしてもいつもあるのになぜないのかという部品の足りなくなった時計のような空虚感がある。それと同時にまたその行為があるのではないかという不安感がある。あるかないかわからない不安感である。まみりはその不安感から逃げ出したい気持がむくむくとわき起こってきた。まみりは手に持っていたシャープペンを手にとるとそのシャープペンの先が飯高かおりの方を向いている。そして気がつくとシャープペンの芯のさきで飯高かおりの背中をつついていた。飯高かおりが長い髪を振って後ろを振り向いた。
「このボケ、何やっていやがるんだよ。いてぇだろう」
矢口まみりは首を引っ込めた。
「おい、飯田、うるさいぞ」
公民の教師が叱責した。
 下校の時間になると赤レンガで出来た校門の門柱のところで石川りかが矢口まみりが来るのを待っていた。石川りかは大きなビニール袋をぶら下げている。
「お待たせ、まみり」
「石川、何を持っているなり、そんな大きなビニール袋をぶらさげて」
「まみり、君は音楽を専攻していたんだよね。わたしは美術。美術の授業のとき、作ったのよ。それより、まみり、ずいぶんと大胆な行動をとるじゃない。あの飯田の背中をシャープペンのさきでつっくなんて。でも不思議だわ。まみりがあの不良グループたちにのされないというのが」
「きっと、わたしのボディガードがいるからに違いないなり」
「まみりのボディガードって」
「僕の親戚の女の子なり、この前の事件のとき活躍したじゃないかなり。りかは健忘症なり」
「ああ、あの女の子。でも、あの子、まみりにそっくりね。本当にまみりの親戚の女の子なの」
「そうなり。まみりは嘘をつかないなり。でも、なんか物足りないなり。本当にあの不良グループはまみりをいじめなくなったなりか」
石川りかはまわりを見渡した。いつも矢口まみりに影となり日となりついているあの親戚の女の子がいない。
「そうだ、まみり、試して見ればいいじゃない。いい方法があるわ。さっき下駄箱のところで不良グループたちが靴を履き替えていたから、まもなくここに来るわよ。いい方法があるの」
石川りかは大きなビニール袋の中をごそごそとさぐると中から小さな人形を取り出した。まみりは一瞬それが呪いのわら人形なのではないかと思った。
「石川、それはなんなり」
「よく見てよ。まみり、この顔を」
まみりがその顔を見ると番長、飯田の顔が照る照る坊主のように布を丸めた頭部に描かれている。
「手と足をこうやって縛って」
石川りかがその人形の手と足を縛るとそれはまるで呪いのわら人形のようになった。
それから石川りかは校門の門柱の金具のところに手足がエックス型になるように縛り付けた。
「ふふふふ、これでいいわ」
石川は片手に持っていた雨傘の石突きのキャップをはずすと鋭利に尖った本当の石突きが現れた。
「石川、いけないんだ。傘のさきを尖らしていたらいけないと先生が言っていたなり、凶器になると言っていたなり」
「いいのよ。まみり」
石川りかはまみりを手で制した。そして校舎のほうに目配せをする。校舎の中央の出入り口のほうから軍団がぞろぞろとやって来る。みんなスカートの裾を地面に引きずるように長く伸ばしている。異様な光景である。邪悪な霧が立ち上っているようである。先頭にはあの飯田かおりがいる。保田もいる。辻もいる。そして少し、遅れて殺し屋、紺野さんも遅れてついて来る。新垣だけが地上、九十センチぐらいのところをプカプカと浮きながらやって来る。軍団はぞろぞろと歩いて来て、五メートルの距離に近づいた。
「今よ。まみり、やるのよ」
石川りかが矢口まみりに先が鋭利に尖った雨傘を渡す。
「まみり、刺すのよ。その傘で憎い飯田の人形を」
「りか、矢口さんは出来ないなり、そんなこと」
そう言いながらまみりの持った雨傘のさきは飯田のわら人形の方に近づいて行き、飯田のわら人形の胴体の真ん中のあたりを刺した。するとまみりの気持は楽になり、その先を引き抜くと傘のさきでめった突きにし始めた。
まみりは自分でも何を言っているのかわからないくらい、わめいていた。人形の胴体は破れて中から詰め物が出て来た。
「てめぇら、何をやってやがるんだ。番長の人形に」
保田が喚きながら走ってきた。軍団はすぐに戦闘態勢に入って陣容を整えている。少し離れたところで殺し屋紺野さんは仕込み杖を取り出して居合いを抜くと刀身は見えなくてきらりと閃光が走った。
「手が勝手に動いちゃうの」
まみりがそう言って傘のさきを人形のところに走らすとちょうど切っ先が人形の首のところに刺さり、首はもげてごろりと地面に落ちた。そしてコンクリートの地面の上を数回転して止まった。飯田のわら人形の首は白目を出していた。
「お前ら」
メリケンサックを拳にはめた保田がまみりに飛びかかろうとした。ここでメリケンサックとは何であるかわからない、いい子たちにその説明をしよう。これは艀で暴れるギャングが考え出したもので金属製の四つの輪が連なっていて手にはめる、中にはとげとげのついているものもあり、殺傷能力もあるのである。矢口まみりは殴り殺されてしまうのであろうか。
「待った」
飯田かおりが暴発しようとする手下たちを制した。
「やめとけ、こんなきちがいたちを相手にしているんじゃないよ」
「でも」
飯田かおりはぶるぶると震えている。内心の怒りを抑えているとしか思えない。
「行くんだよ。お前ら」
「でも、おやびん」
そして飯田はすたすたと歩き出した。殺し屋紺野さんはこの処置に不満があるらしく、仕込み杖を空中にさっと払った。すると空中からまっぷたつになった雀が落ちて来た。
ふたりの横を通り過ぎて行く軍団を送りながら石川りかと矢口まみりは顔を合わせた。
「どうなっているの。まみり。ちょっと信じられないわ。あの不良たちが何もしないで行っちゃうなんて」
「石川、矢口さんも信じられないなり」
飯田の首をけっ飛ばすと校庭の方にころころと転がって行った。
「どういうことかしら、まみり。やっばり不良たちはまみりの親戚の女の子のことがこわいのよ」
「パパの作った矢口まみり二号が怖いのかなり、臆病者、不良たちなり、でもまだ安心出来ないなり。もっと調べなきゃならないなり」
「まみり、調べるって何を調べるのよ」
「とにかく、あの不良たちのあとをついて行くなり」
矢口まみりはすたすたと歩き出した。
「待って、まみり、まみりが行くならわたしも行く~」
矢口まみりは不良たちのあとをつけて行った。不良たちは道路を我が者顔で歩いている。本当に街の愚連隊のようである。しかし、まみりたちがうしろをつけていることには少しも気づかない。駅前の商店街の中に入って行った。商店街のちょうど入り口のところにいい匂いがする。鯛焼きを売っているのだった。
「まみり、鯛焼きを食べない」
石川りかはビーズのがま口を取り出す。これは石川の死んだおばあちゃんの形見だった。だから市販はされていない。
「だめ、一銭も入っていないわ」
「予想したとおりなり。矢口さんが買ってあげるなり」
ふたりは熱々の鯛焼きを頭から囓った。不良たちはゲームセンターの前にいた。そして不良たちはゲームセンターの中に入った。
「わたしたちも入るなり」
まみりたちがゲームセンターの中に入るとテレビゲームの機械がずらりと並んでいる。不良たちは奥の方に行ったらしい。まみりたちが入っても気づいていないらしい。テレビゲームの横に大きなサンドバックのようなものが置いてある。これも遊具である。その後ろにメーターのようなものが置いてあり、このサンドバックを蹴ることにより、そのキック力が測れるのである。石川りかも矢口まみりもそのゲームの方に目がいった。それはそのゲームに興味があるというよりもその前でゲームセンターの従業員がなじられていたからである。従業員は青い顔をしている。その前には見るからに怖そうな大男が立っていてその横にはスタイルのよい十代前半くらいの女が立っている。
「まみり、あいつよ」
「あれなりね」
「藤本よ」
この辺ではその少女は有名だった。ここいらを仕切っている広域暴力団の組長の愛人に十六才の若さでなった女だった。いつも黒い高級車の後部座席にふんぞり返って移動していた。前はハロハロ学園に通っていたが、いつのまにか学園に来なくなっていた。その描写はあまりにもリアル過ぎて筆者にはすることが出来ない。お笑い物語が急に実録物になってしまうおそれがあるからである。
「どうするんだよ。この落とし前は」
少女の横にいるやくざが低くうなった。少女、つまり藤本は無言である。
「かみさんはこんな遊具はおもしろくないと言っていなさるんだよ」
ゲームセンターの支配人の額からは冷や汗が一筋たれた。
「まみり、いい考えがあるわ」
「なんなり、石川、やくざの相手は警察にまかせておけばいいなり」
「いい考え」
石川りかはそう言うといつものように胸の前で手を合わせてうっとりした。矢口がとめるのも聞かずすたすたとその方向に行く。
「まったく、石川りかの脳天気」
石川りかはもめごとのあいだにいつのまにか入って行った。
 ふたつのあいだに入って石川は両方の顔を見上げた。
「お前はなんだ」
やくざが低くすごんだ。
「あの、こちらの女のかたのわたしたち、後輩なんです。私立ハロハロ学園に通っています」
石川はさかんに媚びを売っていた。
「さっきから話を聞いていたんですが。このキックマシーンがおもしろくないんでしょう。
おもしろくする方法があるんです」
石川はそう言うと例のビニール袋からがさごそと何か取り出した。
それはさっきの校門のときの二十倍の大きさのある飯田そっくりの人形だった。
「先輩もきっと気に入ってくださると思いますわ」
石川りかはそう言うとその大きな人形を手際よくキックマシーンのサンドバッグのところに結びつけた。
「さあ、先輩蹴ってみてください」
今まで無言だった藤本はためしに飯田の人形の土手っ腹に蹴りを入れた。すると。
とってもおもしろい調子でキューと人形がしゃべったのだ。また藤本は蹴りを入れる。
するとまたキューと鳴く。無言だった藤本は石川のほうを向くとにやりとした。
気に入っている証拠である。
「好きなだけ蹴ってください」
石川りかはうしろに下がった。
「石川、どういうつもりなり」
「いいのよ。まみり。隠れるのよ。隠れるのよ。早く」
「また、変なことを始めたなり」
石川りかは矢口まみりの腕を引っ張ってゲームセンターの倉庫の中に隠れた。
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第十二階
「石川、こんなところに隠れてどうするというなり。ぬいぐるみがたくさんつめこまれていてちくちくするなり。早くここを出たいなり」
「まみり、ちょっとぐらい我慢しなさいよ。あいつらの本性が現れるはずよ。その本性というのは、あの不良軍団がまみりをいじめたがってうずうずとしているということなんだけどね」
ぬいぐるみのつめこまれた倉庫の中でまみりと石川りかはじっとしていた。そして石川りかの目は倉庫の中の暗がりの中できらきらと輝いている。藤本はサンドバッグにしばりつけられた飯田の人形に相変わらず蹴りを入れている。藤本のハイヒールのつま先が飯田人形の腹部にめり込むたびに飯田人形はキュキュと腹話術の人形のような声を上げる。
「おもしろいことが始まるわ」
暗闇の中で石川りかが悪魔のようににやりとほほえんだ。まみりは倉庫のドアの空気抜きのところから漏れ差し込んでくる光が石川の横顔を照らしたのでその表情がはっきりと見えた。石川の日本人にしては薄い髪の毛が繭玉の表面についている絹のようにきらきらと輝く。ゲームセンターの二階から螺旋状の鉄の階段をこつこつと連続して叩く音が聞こえてぞろぞろとハロハロ学園の不良たちが飯田かおりを先頭にして降りてくる。そしてぎょろりとした飯田かおりの目がその光景をとらえた。不良たちはただちに戦闘態勢に入ると、藤本とそのボディガードであろうやくざをとりかこんだ。
「オヤピンの人形になにするんだ」
加護が甲高い声で叫んだ。するとヤクザがつばを下に吐いた。やくざのつばが薄いピンク色に塗った床の上にぺちゃりとついた。
「ここにいらっしゃる方を誰だと心得てるんだ。女狐たちが。おい、こりゃ」
倉庫の中でまみりはその様子をじっと見ていた。
「始まったわよ。始まったわよ」
石川りかはとろんとした目をして口のはしにはよだれまでたらしている。
「石川、しっかりしてよ」
矢口まみりは石川りかのそでをひっぱった。しかし、りかはまだこれから始まろうとしている修羅場に心奪われて口を半ばあけている。
「お前はおかしいなり」
矢口まみりは心の中でつぶやいた。ハロハロ学園の中で唯一の友達がこんな女だなんて嘆かわしいとまみりは思った。
「ここにいるのはな、*****組のおかみさんだぞ。それを承知でこんな無礼なまねをしようとしているのか。おい、こりゃ」
「へん、やくざが怖くて、ハロハロ学園で番をはれると思っているのかよ」
飯田かおりがふてぶてしく捨てぜりふを吐いた。
「うちにはな、ボクサーがいるんだぞ。辻、やってお見せ」
飯田かおりに言われて辻が前に出て来た。辻はにやにやと笑っている。
「ふふふ、伝説のパンチを見せてやる」
そう言うと辻はボディガードのそばまで行くと膝を曲げて身を縮めて右の拳を天に向けて突き伸ばした。
「天に向かって打つパンチ~~~~」
そのパンチのいきおいはすごかったが、ヤクザの顎に命中することはなかった。ヤクザの顎の前、数センチを離して空気を切る音を立てて上空に飛んで行ったことに驚いた。しかし、ヤクザは甘く見ていた女子高生が象をも殺す殺人パンチを持っていることに警戒心を抱いた。
「てめぇら」
ヤクザは背広の内ポケットから短刀を取り出すと鞘を払って、きらりと刃を見せた。
「てめぇ。女子高生相手にドスを使うのかよ」
保田がヤクザに負けないぐらい下品な言葉でなじった。
するとこの集団から離れたゲームセンターの隅でまるでスペードの十三のカードのようにしゃがんでいた暗い影が死に神のようにくつくつと笑った。それは本当に死に神のようであった。そして幽鬼のようにその影はふらりと立ち上がった。
「へへへへへへへへ」
それは気味悪く笑った。
不良軍団たちも味方でありながら背筋が凍り付くような恐怖を感じた。それは氷のような長刀を右斜め下に構えた。矢口はその切っ先から血がしたたり落ちているような幻覚を感じた。
「とうとう紺野さんを怒らせたな」
保田が目を丸くしてつぶやいた。
「まみり、紺野さんが刀を抜いたわ」
「石川の馬鹿、殺人事件が起こっちゃうじゃないの」
そう言いながらまみりはゲームセンターの外の道に人だかりがしているのを感じた。支配人が警察に通報したのかも知れない。そしてまみりはゲームセンターの建物を遠巻きにしているやじうまの中に懐かしい人の姿を見たような気がした。しかし、それはまみりの潜在願望であり、勘違いかもしれなかった。
紺野さんはふらふらとヤクザの方に向かって行く。過去の歴史のいろいろな殺人鬼が幽霊になってその背後に立っているようであった。
「殺し屋紺野さん、またの名を人斬り紺野さん、もうすでに七人の人間を斬り殺している。この前の出入りでは三人のヤクザの腕を切り落としている」
保田がぶつぶつと言った。
「また、紺野さんの長ドスは人の血を求めている」
保田は物狂おしくつぶやいた。
「何をわけのわからねぇことを言っているんだよ」
ヤクザが短刀を突いて来た。そのとき、奇跡が起こったのだ。短刀のさきが切り落とされて宙に飛んだ。
「紺野さんはわざとはずしたのよ。そう、最初は短刀のさき、そしてつぎは担当の握りを切り落とし、次には腕を切り落とすの」
ヤクザの顎はがだがたと震えた。紺野さんは血走った目をしてヤクザを見ている。まるで蛇が巣の中の卵を見つけたように。
「てめぇーがいくら、剣の達人だって、これには歯が立たないだろう」
ヤクザの目の中には恐怖が漂っていた。そう言ってヤクザは内ポケットから何かを取り出した。
それは二十二口径のピストルだった。黒光りした鉄の固まりがにぶく光った。
ゲームセンターの外にいるやじうまの中でざわざわと声があがった。
「もう、まったく、警察は来ねぇのかよ」
「石川、お前は馬鹿なり、大変なことになったなり、聞いているなりか。石川」
「まみり、これからよ。これから」
「石川」
まみりが外をちらりと見ると確かにそこにはあの懐かしい人の姿があった。
群衆の中に一人だけ抜き出た頭があった。ゴジラ松井くんがじっとゲームセンターの中の様子を伺っていたのである。
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第十三回
ゴジラ松井くんは日課にしているランニングをしているときにゲームセンターの前で人がきが出来ているから立ち止まったのに過ぎない。しかし、ゴジラ松井くんの身長は他の人たちよりも大きい。当然、頭ふたつ分ぐらい抜き出ている。ゲームセンターの中の様子もなんとなく見える。最初、ゴジラ松井くんはその中で人質立てこもり事件でも起こったのかと思って見ていたがどうも違うようである。ちらりと見える中にハロハロ学園の同級生に似た女の姿が見えるような気がする、でも、まさか、そんなこともあるまいと思いながらも、中の様子に興味があってその場を立ち去れないでいた。群衆の中にまぎれてゲームセンターの中での事件を遠巻きにして見ていた。
 紺野さんが長ドスを抜いた時点で死人が出る運命だった。人斬り紺野さんを止められる人間などこの世の中にはいない。紺野さんは血を求める殺人鬼だったからである。紺野さんの持っている刀も悪魔の魂を宿しているのだった。しかし、紺野さんの持っているのは白鞘を払った日本刀である。しかしヤクザは軍用拳銃を持っている。その軍用拳銃を使えば相手の頭を吹っ飛ばすことが出来る。いくら紺野さんが人斬りの権化そのものだとしてもヤクザの持っている軍用拳銃には太刀打ち出来ないはずである。
「へへへへ、お前がいくら剣の達人だとしても飛んでくる弾をよけることは出来ないだろう」
ヤクザが毒づいているのにもかかわらず紺野さんは死に神がとりついているようにへらへらと笑っている。仲間たちも紺野さんを気味悪がって遠巻きに見ている。
女王様同士の目があった。藤本と飯田かおりである。
「おやめ」
藤本の叱責する声が聞こえた。
「姉さん」
ボディガードが藤本のほうを訳がわからないという表情をして見た。
「相打ちになるよ」
「姉さん、こっちは拳銃を持っているんですぜ。あの妖怪は長ドスだけだ」
「馬鹿いうんじゃないよ」
藤本がしなる腕でヤクザの横つらをはたいた。びしゃりと音だけでも痛そうな音があたりに響いた。
「剣道三倍段という言葉を知っているかい」
藤本が暴力団の女親分らしい威厳を見せて両腕を組みながら語った。
「空手の有段者が剣道の有段者と戦うとき、相手は剣を持っているので三倍の段位を持っていなければ太刀打ち出来ないという言葉なのさ。ふっ、つまり剣道初段の相手を空手家が戦うとき、三段の実力がなければならないということなのさ。あたいはこれを一世を風靡したスポ根漫画、空手バカ一代で知ったのさ。(漫画の読み過ぎ)そして拳銃千倍段という言葉がある。これは剣を持った剣士が拳銃を持った相手と戦うときは千倍の段位がなければいけないということなのだよ。そしてお前が拳銃一段ということをあたいは知っているんだよ。ふっ、そして人斬り紺野さんの剣は剣道千段なのさ。これがどういうことかわかるかい。お前が拳銃の引き金を引くと同時に紺野さんの長ドスはお前の首を切り落としているんだよ。そして人斬り紺野さんの心臓にも弾丸がぶち込まれる。ふっ」
「しかし」
「あねご、しかし、なんですかい」
「もし、剣道千一段の人間がいたらどうなると思う。ふっ」
藤本はゲームセンターの外のやじうまの方を指さした。そして、じっと見つめた。その方向には誰であろうゴジラ松井くんが立っていたのである。ゴシラ松井くんは騒動の当事者が自分の方を指さしたので何がなんだかわからなかったが、どうやら自分のことを言っているらしいので自分で自分の胸のあたりを指さした。そして中にいる連中を見回すとどうやらハロハロ学園の不良たちだということがわかった。
「でも、どうして、あの不良たちがあの中にいるのだ」
ゴジラ松井くんが疑問を感じているとゴジラ松井くんの立っている横からにょきにょきと土筆が生えて来たみたいで、松井くんの肩のあたりまで頭が伸びてくると声をかけて来た。
「ゴジラ松井くん」
「きみは」
「中で大変なことになっているの」
「石川くん」
チャーミー石川はいつの間にか矢口まみりの入っていた倉庫から抜け出していてゴジラ松井くんの横に立っていて今度はやじうまになってゲームセンターの中をのぞいている。
「ハロハロ学園の不良たちと****組の女親分とけんかをしているのよ」
「なんだ、そんなことか」
「でも、中にはまみりもいるのよ」
「矢口まみりが」
ゴジラ松井くんは下唇をかんだ。
「石川、大変なことになってきたわ。石川、どこにいるなり。石川」
ぬいぐるみのつまっている倉庫の中でまみりはあたりを見回した。
「石川、どこに行ったなり、こんな騒動を起こしておいて」
藤本と飯田かおりの間にはサンドバッグにくくいつけられた飯田人形がとうもろこし畑のかかしのように無表情で両方の顔を見ている。
「そもそも、この人形をここにくくりつけた女たちがいた」
藤本はそう言うと急に体勢を変えてくるりと後ろ向きになると倉庫のドアをばっと開けた。そして女とは思えない怪力を見せると矢口まみりの金髪を鷲掴みにすると倉庫から引きずり出した。
「こいつがやったのさ。ふっ」
まみりは対峙している飯田かおりと藤本みきのあいだに投げ出された。まみりはわけのわからない女として両方の顔を見つめた。
「松井くん、大変、まみりが不良とヤクザの両方からのされちゃう」
石川はゴジラ松井くんの太い片腕にしがみついた。松井くんは無言でその様子を見ている。そこへまた辻が進み出てきた。
「矢口、いい格好だな」
そしてまた矢口の金髪を怪力でつかんだ。
「今日は女王様がふたりいるよ。えへへへへ。まず、礼儀として藤本みき様の足をなめるんだよ」
怪力の辻はまみりの頭を押さえつけると藤本のハイヒールに押しつけた。
「ひど~~~い」
石川りかがその様子を見て悲鳴を上げる。そしてゴジラ松井くんの片腕にむしゃぶりつてた。
「助けてあげて、助けてあげて、まみりを助けてあげられるのはゴジラ松井くんしかいないわ」
しかし何を考えているのだろう。ゴジラ松井くんは。藤本がさっき、まみりを助けることが出来るのはゴジラ松井くん、ただひとりだと言ったではないか。
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第十四回
辻の怪力にあがなえるまみりではなかった。辻のコッペパンのような片手で床の上におしつけられている。
「いい格好じゃないか。まみり、えへへへへ」
飯田かおりはへらへらと笑いながら自分のセーラー服の内ポケットから十五センチのセルロイド製の線引きを取り出すと矢口まみりの前にうんこ座りをしてしゃがんだ。そしてそのしなる定規でまみりの額をピタピタと叩いた。
「うっ、うっ」
まみりは低くうめいた。
やじうまの一群としてその様子を見ている石川りかはまた、悲鳴をあげた。
「まみりが、まみりが、飯田とヤクザの女からリンチを受けている~~~~」
そしてゴジラ松井くんの顔を見上げる。しかし、依然としてゴジラ松井くんは無表情である。飯田はまたまみりの額をピタピタと叩いた。そのたびにまみりは声にならないうめき声をあげる。
「御同輩、見たかい。こいつの好きな男が外でこのぶざまな格好を見ているんだよ。へへへへへ」
「そうかい」
今度は藤本が舌なめずりをした。
「こいつの好きな男が外で見ているのかい。この位置からでは見えないだろう。見せてやるよ」
藤本の美貌が今度はその持って生まれた残忍さを倍加する。ハイヒールを履いたままの足をまみりの頭の上にのせる。そしてまみりの頭をきなこ飴を作っている職人のように前後にごろごろとさせる。きなこ飴を作る職人はこうやってちぎった飴の材料をまん丸にするのだ。藤本が足を前後に動かすたびにまみりの頭はきなこ飴が出来ていく過程のようにごろごろと回転する。まみりの頭は丸まっていくきなこ飴と同様なのである。
「こんなみじめな格好を憧れている男に見せてどんな気持だい。ふっ」
藤本がやじうまの中にいるゴジラ松井くんと金髪がくしゃくしゃになっているまみりの顔を前後に見比べる。
「うっ、うっ、うううう」
まみりは苦しさに呻くことしか出来ない。
外でその様子を見ていた石川の瞳には涙がにじんでいた。
「松井くん、助けてあげて、助けてあげて、まみりが死んじゃうわ。ねえ、松井くん。あなたはハロハロ学園のヒーローでしょう」
チャーミー石川は泣きながら松井くんの腕にむしゃぶりついた。石川の涙が松井くんのトレーニングウェアーの筒袖にしみこんでいく。まみりの瞳にはぼんやりとゴジラ松井くんの姿が見えていた。
「オヤピン、こいつのボディガードの例の空飛ぶ奴が姿を現さないでしょうかね」
加護が不安気にオヤピン飯田の顔を伺った。
「これだけまみりを痛めつけているのに出て来ないんだから、永久に出て来ないさ」
そのときまたゲームセンターの中に閃光が走った。人斬り紺野さんが仕込み杖で空気を斬った。それからスケッチブックを取り出すと黒いサインペンで何かを書いた。
「なになに、今度出て来たら今度は殺す」
紺野さんの周囲に妖しげなかげろうが立ち上る。
辻は紺野さんの殺気にぞっとした。頭を藤本の美脚にごろごろとされながらまみりはスーパーロボ矢口まみり二号を発進させればいいんだということに気づいた。なんだ、まみりは馬鹿なり、スーパーロボを呼べばいいなり。呼ぶなり。不良たち、パパの作ったロボにのされちゃうなり。飯田お前なんかは足利の田んぼの中のこえだめに落っことしちゃうなるなり。そしてあの言葉を言えばいいんだ。スーパーロボ矢口まみり二号発進せよ、と。藤本のハイヒールの裏で頭をごろごろさせられながら、自分の腕時計を探した。ない、ないなり。スーパーロボの無線操縦機がないなり。
「いい黄粉飴が出来るよ」
保田が飯田同様、うんこ座りをしながらごろごろしているまみりの頭を見ながら小枝を使ってまみりの頭をつつっいてみる。まみりは呻きながらやじうまがたむろしている中に石川の姿を見つけると石川はまみりの無線操縦の腕時計をしているではないか。まみりはリンチを受けながら、自分の携帯をとりだした。
「もしもし、チャーミーです」
「ど阿呆、お前はどういうつもりなり、お前のしているのはまみりの腕時計なり」
「まみり、平気、平気、隣にはゴジラ松井くんもいるからね。松井くんに頼んでいるのよ。まみりを助けて下さいって。ゴジラ松井くんと代わろうか」
「そんなことはいいなり。緊急を要しているなり。チャーミーの馬鹿でもいいなり。その場で、こう言うのよ。ご主人様が大変なり、スーパーロボ矢口まみり二号、発進って」
「おい、携帯で何をごちゃごちゃ言っているんだよ。きなこ飴ごろごろ攻撃にも屈しないのかよ。お前は。じゃあ、次の手だ。小川、来るんだよ」
すると白い洗いさらした柔道着を着た小川が前に出て来た。小川は女のくせに柔道着の下には何もつけていないようだった。
「小川はね。不良グループに入る前には柔道部に入っていたんだよ。はるばるロシアまで行ってイゴール・ボブチャンチンの下で六ヶ月間、総合格闘技の修行を積んできたんだからね。小川、必殺のあの技をまみりにかけておしまい」
飯田が興奮して叫んだ。ああ、このいじめはどこまでエスカレートするのであろうか。やはり、落ちこぼればかり集めた馬鹿学校であった。ハロハロ学園は。こんな問題児ばかりを集めているのだから。
「かおりお姉さま、やっていいんですか。あの技を」
「いいよ。やっておしまい。こんな女、死んだって構わないよ」
小川の湯上がりのような湿った黒髪がゆらりと揺れた。小川は柔道の構えをした。
「必殺、雪見大福」
小川はそう叫ぶと、何と、何と、柔道着の前をばっとはだけたのである。するとその場に雪国のスキー場のような光が広がった。雪国特有の白いもち肌に包まれた、ぷりんぷりんとしたふたつの乳房があらわれたのである。そして助走をつけて飛び上がるとまみりの上に落下していった。ダイビングボディプレス。小川の乳房はちょうどまみりの顔面の上に落下した。その柔らかさからまみりは最初の衝撃はあまりなかったが、これがおそろしい結末を待っているということがやがてまみりにもわかった。まみりの顔面全体を覆い尽くす小川の乳房。
「雪見大福、変形縦四方固め」
小川がまみりの顔に乳房を押しつけながらわきを固めてきた。まみりは少しも動くことが出来ない。
「うっ、うっ、うううう」
「まみり、聞こえる。聞こえる。どうしちゃったのまみり」
携帯に必死になって話しかけている石川の姿を見ながら、ゴジラ松井くんがはじめて言葉を発した。
「あれ、あれ」
ゴジラ松井くんの指さす方にはまみりが柔道着の下でばたばたと足をもがいている姿が見える。
「死んじゃう、死んじゃうわ。まみりが死んじゃう。松井くん、助けてあげて。助けてあげて。まみりは松井くんに憧れているのよ。それだけじゃない。松井くんはハロハロ学園のヒーローでしょう」
石川は松井くんの胸のあたりに顔を押しつけて泣き崩れた。そして銅像のように動かないゴジラ松井くんの胸をその非力な両手でどんどんと叩いた。
 どういう具合だかわからないが小川の乳房を密着させられていて呼吸困難に陥っていたまみりだったが片手が自由になって携帯に話しかけることが出来た。
「石川、何をやっているなり。げほ、ごほ」
「まみり、平気、今、松井くんに頼んでいるの。あなたの憧れの松井くんの目の前で死ねればあなたも本望でしょう」
「石川、げほ、ごほ、馬鹿丸出し。げほ、ごほ、スーパーロボを呼ぶなり。げほ、ごほ」
「まみりがそんなに言うなら呼ぶわよ。せっかくまみりと松井くんが仲良くなれるチャンスだと思ったのに」
「げほ、ごほ、そんなこと言っている場合じゃないなり、早く、スーパーロボ矢口まみり二号発進と叫ぶなり。十五メートルバージョンとつけくわえることも忘れないで欲しいなり。げほ、ごほ」
「まみりがそう言うなら、そうするわ。スーパーロボ矢口まみり二号、発進、十五メートルバージョン~~~~~ン」
石川りかは天井の宇宙の中心にでも叫ぶようにその叫びを発した。すると頭上に広がる青空の一角に灰色の点のようなものが見えた。その点はみるみる大きくなって有名な菓子やの前に立っている人形みたいなものが空からやって来た。そして地上に降り立ったのである。その怪物はカラオケやのウインドーの前とやじうまの前に降り立った。その怪物はやはり秘密パーティで貴婦人がするような仮面をかけている。そして巨大な腕を動かすとカラオケやのショーウインドーをぶち破り、その手で藤本や飯田たちを鷲掴みにした。その様子はまるで大魔人のようであった。
解放されたまみりはチャーミー石川が立っているやじうまの中に走って行った。
「この間抜け、なんで早くスーパーロボを呼ばないなり、それよりもなんで矢口くんの時計をしているなり」
「不良たちはどうしたの」
「今頃は足利の畑の中の肥溜めの中に浸かっているなりよ」
「本当、まみりをいじめた罰よ」
ふたりの会話をゴジラ松井くんがじっと見ている。
「松井くん」
まみりは石川の隣にゴジラ松井くんが立っているのを改めて気づいた。松井くんの姿を見るとまみりはなぜだか、涙があふれてきた。小学校のとき大好きな先生に叱られて頭をこつんとやられたときと同じ気持ちだった。
「まみり、まみりの言いたいことはわかるわ。なんで、助けてくれないのって気持でしょう。わたしは松井くんのことが大好きなのにってことよね」
まみりは涙目になりながら石川の横腹を肘でこづいた。石川は平気な顔をしている。するとゴジラ松井くんは
「きみは本当は強いんだろう。それに僕はハレンチ学園に入ったんじゃない」
そう言うとすたすたと歩いて行ってしまった。

 二階の自分の部屋に上がったまみりは自分の椅子に腰掛けながらハンドルのついた鉛筆削りをくるくると回す。この前、日光に行ったときみやげに買ってきた三角の金の刺繍をしたペナントが目の前に見える。本棚の上にはスピッツの白いふわふわしたぬいぐるみがこちらを向いている。
「まみり、ご飯が出来たよ」
階下からつんくパパの声が届いた。
「いい、食べたくないの」
まみりは誰にも会いたくなかった。
「まみりは、みじめな子になってしまったんだわ。だって失恋しちゃったんだもの。松井くんはわたしのことをやっぱり嫌っているのかしらなり」
今度は手鏡を取って自分の姿を映してみた。自分でも最近、女らしくなってきたと思う。前より胸の膨らみも出てきた。
「なんで、こんな美人をふっちゃうのかしらゴジラ松井くんは」
するとまた下の方からつんくパパの声が聞こえる。
「まみり、まみりが頼んでいたケータリングのピザが届いたんだよ。今、そっちの方にダンデスピークが運ぶから」
ピザと飲み物を持ってダンデスピーク矢口が上がってきた。
「おう、ご苦労なり」
矢口まみりはダンデスピーク矢口からピザを受け取った。そして一切れとるとダンデスピーク矢口に手渡す。白い毛むくじゃらの手でその動物は受け取るとむしゃむしゃと食べた。
 ダンデスピーク矢口は白い猿である。学術名はわからない。チンパンジーにもオラウンターにも天狗猿にも見える。しかし、確かなのは百才以上の年齢であるということだ。まみりが生まれたときにはすでにこの家にいた。そしてつんくパパが子供のときにもこの家にいたそうだ。
「ダンデスピーク、松井くんの気持をまみりのものにすることは出来ないかなり」
まみりがそう言うとダンデスピークはもう一切れ、ピザに手を伸ばしてむしゃむしゃと食べた。
 翌日、ハロハロ学園に登校した矢口まみりは探偵とあだ名されている高橋愛が石川りかと一緒に図書館の書庫の前で立っているのを見かけた。ふたりはカストリ雑誌の変遷という大きな本を広げて見ていた。
「まみり、探していたのよ」
まみりの姿を見てふたりは同時にまみりの方を見上げた。
「ふたりともこんなところで何をやっているかなり」
石川りかがただ開いていただけの本を閉じると棚にしまってまみりの方に手招きをした。まみりはその方に行く。書棚と書棚のあいだに挟まれている空間に三人は入った。
「まみり、探偵高橋愛がおもしろいものを見つけたのよ。これからそこに行かない」
「面白いものって何なり。そこに行ったら飯田たちが待ち伏せをしているなんていうのはいやなり」
「矢口さん、そうではありませんわ」
「そうではないって、どういうことなりよ」
矢口まみりが大きな声を上げたのでそこにいた上級生がしっと大きな声を立てないように叱責した。
「ここではまずいですわ。とにかく図書室を出ましょう」
まみりは探偵高橋愛に促されて図書室の外に出た。図書室もまるで北海道の農学校を思わせるような立派な建物だったが、ハロハロ学園は建物だけは立派だった。図書室の外には歩道に趣のある石が一面に張られている。
「内庭の外のところよ」
探偵高橋がまみりに言った。
「まみり、内庭の外がおかしいんですって」
石川りかも興味津々である。
 この学園の創立者が変わった内庭を作っていた。矢口まみりはそこに行ったことはない。ハロハロ学園のすべての生徒もそこに行ったことはない。創立者がどういう意図で建てたのかわからないが、私立の学校にはよくそういう施設があるようである。何かの歴史的意味があるのかも知れない。その内庭は赤レンガの壁で囲まれていて、その外側はさらに学園全体を取り囲んでいる赤レンガの壁で囲まれている。その二つの壁の間は数メートル離れている。
「みんなは駅を出て、学園の南門から登校していますわよね。わたしは北から南門の方にまわって登校していますの」
「へぇ、あんな方から探偵高橋愛は登校しているの。うちの学園でそんなコースから登校しているなんて探偵高橋愛ひとりだわよ」
矢口まみりもうなずいた。そのとおりである。ハロハロ学園の北側は深い川が流れていて断崖絶壁になっている。川の側壁が石垣になっていてその上に赤レンガの壁が続いている。深い川で断絶した向こうには墓場が広がっていてその方向から歩いて行くには墓場の中を歩いて行かなければならない。そんな物好きは探偵高橋愛しかいない。
「いつも、墓場の中を歩いてハロハロ学園にやって来ているのかなり。まるで墓場の鬼太郎みたいなり」
「みなさんには墓場の中を歩いて行くとき向こうに見えるハロハロ学園の靄にかすんだ爽快な姿を見る快感がわかりませんのよね」
「そんなもの、わからないなり」
「まみり、押さえて、押さえて。これから探偵高橋愛がおもしろいものを見つけたというんだから」
「何を見つけたなり」
「ハロハロ学園の外周になっている赤レンガの壁の一部がくさび型に壊れているのを見つけたんです」
「なんだ、そんなことなりか」
「まみり、それはあなたの過小評価というものよ。うちの学校は備品の破損なんかには相当厳しいじゃない。壁を壊されて黙っているなんておかしいわよ」
「そういうものなりか」
「そういうものなりよ」
「そこで現場に行ってみないか、チャーミーさんを誘ってみたのです。そうしたら、矢口さんも一緒につれて行くとチャーミーさんが言うんですの」
「探偵高橋さんの言うところによると学園長が生徒たちを近づけない内庭があるわよね。ちょうどその内庭の外側の壁に当たっているらしいのよ」
「内庭って何があるなりか」
「それは今、探偵高橋愛が調査中よ」
「内庭の中に入るのはむずかしいかも知れませんが内庭と外壁の間のところに行くのはむずかしくありませんわ」
三人は大きな竈のような焼却炉のある方に向かった。焼却炉は今さっきまで何かを燃やしていたらしく変な臭いがした。そこを通るとハロハロ学園の北側に行く。ハロハロ学園の敷地を半分にわけている赤レンガの壁にぶつかった。しかしそれは五メートルぐらいの石垣になっていてその上に赤レンガの壁が載っているのだ。その石垣の北のはじには階段がついていて上に上がれるようになっている。階段の下に行くと錆びた鉄条網で入り口は封鎖されていて、生徒は入るべからずと立て札が立っている。しかし、鉄条網は錆びて壊れていた。
「わたしは入っていくつもりですわ。お二人はどう」
「わたしはもちろん、入って行くわよ。まみりも行くわよね」
「高橋の物好きに矢口もつき合うなり」
入り口は壊れていて階段を上がっていけるようになっていた。人が一人上がって行けるような狭い幅の石の階段だった。しかし、高さは五メートルぐらいある。階段の上のところの門は壊れていない。しかし、簡単に乗り越えられる程度の高さだった。探偵高橋愛が、それから石川りかが最後に矢口まみりがその鉄の門を飛び越えた。その中庭の壁と外壁のあいだには特別なものはない、下にはコークスの殻が一面にしかれ。くぬぎや楢の雑木が生えている。中庭を囲んでいる壁は三メートルほどの高さがある。外壁の方はまみりの通学路と同じように二メートルぐらいの高さしかない。
「あっ、あれを見て」
何もないと思っていたその場所の異常を石川りかがみつけた。それはまみりの視野の中にも入っていた。
「あれですわ。墓場を歩いているときに見たのは」
外壁の一部が確かにくさび型に壊れている。崩れた赤レンガの側面が見える。三人はその現場のそばに行った。
探偵高橋愛は現場検証を始めた。まみりも石川もそのあたりを見てみる。まみりはその壁の崩れたところに行くと向こうの方に探偵高橋愛がいつも通っているという墓場が見える。さらに近づくと絶壁になっている川底が見える。川にはとうとうと水が流れている。矢口まみりは壊れた壁の隙間から首を出して川底を見るとくらくらとした。
探偵高橋愛は赤レンガの壁の崩れた壁の側面をじっと見ている。
「おかしいと思いませんか」
「なにが、なにが」
石川りかが首を伸ばして探偵高橋愛のそばに顔を持って行った。
「この断面を見てください。まだ新しい。そして毎日わたしがこの壁を見ながら見ているのに壊れていなかった。少なくとも一昨日までは私はこの壁があるのを知っていた。そして今日の朝、墓場から見たとき、ここがくさび型に壊れているのを発見したわけです。ということはこの壊れた赤レンガの破片が見つからないということはおかしい。つまりこれがどういうことだかわかりますか。チャーミーさん」
「わからないわ」
「これを壊した何かが壊れた赤レンガを全部持ち帰ったという可能性があります。そしてもうひとつ、この内側から外に向かって何かが突進して行ったということも」
探偵高橋愛は絶壁の下に広がる川の流れを見ながら深々とため息をついた。
「壊れた赤レンガの破片は川に落ちて行ったということも考えられます」
「なるほど」
石川りかが感心してつぶやいた。
「何がなるほどなり、そんなことは少し考えればわかるなり。チャーミーの単細胞」
矢口まみりはあほくさくなってあたりをぶらぶらするとならの木の根本のところにソフトボールぐらいの大きさのきらりと光るものを見つけた。まみりがそばに行って拾い上げてみると大きな金で出来たペンダントだった。しかしついている鎖はちぎれている。そしてペンダントの表面には何か彫ってある。それに気づいたふたりが矢口まみりの方にやって来た。
「まみり、何を見つけたの」
「これ」
まみりは石川にちらりと見せた。
「まあ、金じゃないの」
「真鍮かもしれないなり」
「ちょうだい、ちょうだい。一生のお願い」
「ふん、どうせ、お前は質屋に売るつもりなり」
「へへへ、ばれたか」
「ちょっと見せてくださる」
横から探偵高橋愛が首を突っ込んだ。
「何か彫ってありますわよね」
「本当、まみり」
しかし、三人ともその文字らしいものがなんであるかはわからなかった。
************************************************************ その金のペンダントに書かれているものは確かに文字らしいものだが、まみりにも探偵高橋愛にも理解出来ない。見たこともない。しかし、その文字らしいものには確かに何かの内容を表しているように思える。

第十五回
「まみり、わたし、こんな文字、見たことないわ。古代エジプト文字でもないし、インカ文字でもないし」
「お前が理解出来ないのは当たり前なり。でも、似たようなものなら教室の机の上に彫られていたのを見たことがあるなり」
「まみり、あれでしょう。あれ」
「矢口さん、言わないで、わたしも知っているんだから」
三人はお互いの顔を見ながら指をさしあった。同時に同じ言葉が三人の口から発せられた。
「あの女でしょう。新垣」
「そう、そう」
三人は古代マヤ文明の生き残りのような新垣の顔を思い出して笑いあった。
「ああ、苦しい。苦しい」
「石川、どうしたなり」
「わたしには霊感があるの。ここには霊が浮遊しているわ。それも新垣の生き霊がよ。新垣の悪口を言ったから新垣が呪いをかけてきたんだわ」
「馬鹿もやすみやすみ言うなり。笑いすぎて、腹の皮がよじれただけなり」
「そう」
石川はそう言うとパーマ屋に行った母親がセットの乱れを気にしているように自分の髪を手のひらで整えている。矢口まみりはこんな馬鹿の相手をしていても仕方ないと思い、探偵高橋の姿を探すと高橋愛は内側にある方の壁のところに行っている。外側の壁から垂直になっている場所である。
「矢口さん、こっちに来ていただけません」
探偵高橋がそう言うので矢口まみりとチャーミーは探偵のいる場所に行った。高橋愛は内庭の壁の上の方を指さした。
「御覧になってわかると思いますが、塀の上の方に泥がついていますよね。内側の塀と外側の塀はほぼ同じ高さです。つまり、内側の塀の上のところからジャンプした人物が失速して外の壁にぶっかって外の壁を壊したのだと推理出来ます」
「でも、外の壁と内の壁の間隔は七メートルもあるなり、助走もせずにその距離を飛ぶことなんて人間業ではないなり」
「うちのクラスには空中浮遊の出来る生徒がいるじゃありませんか」
ここで探偵高橋愛は矢口まみりに何かを連想させるように沈黙をした。
「新垣」
「そう、新垣です。あの何者か、なんのためにこのハロハロ学園に来ているのか、よくわからない新垣の仕業だとしか思えません。だいたい、あれが人間か、どうかもひどく疑問ですわ」
「はげしく同意」
その内側の壁のところで地面のあたりをアイスキャンデーの棒でつついていた石川が変なものを拾い上げ頭上の太陽にすかして見ている。すると探偵高橋愛がつかつかと走りより、石川りかが手に持っているものを怒りながら取り上げた。
「あなたはこんな重要なものをどうするつもり」
激しく詰問しながら自前のピンセットとチャック付きのビニール袋を取り出すとそれを入れた。
「わたしが拾ったものなり」
石川は抗議しながら、探偵高橋愛にむしゃぶりついて行った。
「わたしが拾ったものなり」
「僕の喋りをまねするんじゃないなり、と言ってもまみりもきてれつ君のまねだけどね」
「まみり、高橋が、りかが拾ったものを横取りしたあ~~~~」
「拾い乞食、少しは黙るなり。何を拾ったなりか」
矢口まみりがのぞき込むと雲母のはがれたようなものが探偵高橋愛の持っているビニール袋の中に入っている。
「これはなんなりか」
「貴重な宝石のかけらに違いないわ」
石川りかが断定した。
「ピピー。誤答、生物反応が出ています」
探偵高橋愛が冷たい視線でチャーミーを見下しながら、ポケットから虫眼鏡を出してそれを拡大して見ている。矢口まみりもレンズ越しにそれを見た。
「魚の鱗みたいだなり、でも、随分と大きな鱗だなり」
「わたしもそう思いますわ。でもこんな大きな魚がいるでしょうか」
「まみり、となると、この内庭の中がどうなっているのか、ますます興味津々ね」
「きっとこの中で高価なものを飼っているなり、理事長がそんなことをやって私腹をこやしているに違いないなり。これはどうしてもこの内庭の中に入らなければならないなり。高橋愛、はしごの用意は出来るかなり」
「焼却炉のそばの用具小屋の中にあったと思いますわ。これから持って来ましょうか」
「待って」
石川りかが向こうの森の茂みの中に目をやった。
「誰か、こっちの方に来るようよ」
「まずいなり。逃げるなり」
三人はこの秘密の場所に入ってきたと同じような経路をたどって校舎の中にあわてて帰って行った。

 教室に戻って来たまみりたちはこの冒険について全く黙っていた。まみりが窓際の石川りかのとなりの席に横座りして今度行く、社会見学の赤坂のネオン街の穴場について語り合っていると、おしゃべりでかつ、巷間の情報収集に非常な熱意を持っている吉沢ひとみが話に加わってきた。吉沢ひとみは不良グループでもなく、かと言ってまみりたちと特別仲が良いというわけでもないが、よく話す相手ではある。
「赤坂の某デザイン会社の裏のゴミ箱から、大量の**のタグをたくさん拾ってこれるという話題にあなた、ついて来れるの」
チャーミー石川が拾い乞食としてのプライドをかけて吉沢ひとみに話した。
「石川、また、ブランドのタグを拾って来てバッタ屋で買った服に縫いつけるという話かよ。それは犯罪だってことわかっている」
「ふん、犯罪じゃないもん。また、みんなで石川の家が貧乏だからってみんなでいじめるんだよね。ぐすん」
「そんなつまらない話、してんなよ。それより、おもしろい話があるんだよ」
「ふん、お前のおもしろい話なんて、きっと安いあんみつ屋の話なり」
「まみり、そうじゃないんだよ。なんか、あったらしいよ」
「なんかって、なんなり」
「理事長も関わっているらしいぜ。隣の三年、なでしこ組で無記名で犯人捜しをやったらしいぜ」
「なんの、犯人」
心にやましいことが大型ダンプ一台分くらいあるチャーミー石川が不安気な表情で吉沢ひとみの膝に手をやった。
「旦那、お許し下さい。もうしません」
石川りかは目をうるませている。
「お前のことじゃないよ。もっと大きなやまだよ。理事長の肝いりで密告騒動をやったんだから、もっと大変なことだよ。校庭のはじの生徒たちの入れない中庭があるじゃないか。あそこに侵入した奴がいるらしいんだよ」
そこへ今さっきまでその場所で探偵をしていた探偵高橋愛までもがそばにやって来た。
「あの中庭に関して密告までさせて何かの犯人を見つけようと理事長はしているのですか」
「そうだよ」
吉沢ひとみはぶっきらぼうに言った。
 そこで教室の中に七福神の布袋さんのような縦のものをつぶして横にしたような化学の教師の遠山が紙包みを出席簿と一緒に持って入って来たのでまみりはあわてて自分の席に戻った。
遠山はいつものように昨日何を食べたかなどという話をしながら持って来た紙包みを机の上にどさりと置いた。鈍牛を連想させる遠山が教室の中を見回すと紙包みを包んでいる風呂敷をほどいた。
「生物の井川先生から頼まれたんだよ。この前、生物のテストをしただろう。今日返してやるからね」
すると一斉に教室の中にざわめきが起こった。不良グループの加護愛なんかは机を叩いて不満の意思を表示した。
「そんなもの欲しくないです」
辻が立ち上がって抗議した。
「ゴミ箱に捨ててください」
採点された答案を返されることに何でこんなに反抗心をあらわにするのか、このクラスの住人にしか、理解出来ない。この場で冷静な態度をとっているのはゴジラ松井くんただ一人だった。このクラスは他のクラスが桜組とか、タンポポ組だとか、百合組だとか、サフィヤ組だとか呼ばれているのに、三年馬鹿組と呼ばれている。それはあだ名ではなく、正式名称でもある。
「先生、変な顔をしてください」
教室の中の誰かが甲高い声で叫んだ。
すると教室の中のみんなは音頭をとって叫びだした。
「へんな顔。へんな顔」
「へんな顔。へんな顔」
教室の中の生徒たちは足踏みをしながら要求している。あの人間だか、なんだかわからない新垣までもが机の下の足で足踏みをしている。
「へんな顔。へんな顔」
「へんな顔。へんな顔」
机竜之介と眠り狂四郎を足して千倍にしたような紺野さんも机を叩きながら
「へんな顔。へんな顔」
と要求している。まみりもわけがわからなかったが机の上を叩いていた。そして不良のリーダーの飯田かおりも指導性を発揮し始めていた。飯田かおりは突如として机の上に駆け上がると着ている服をすべて脱ぎ捨てて全裸になった。そして額に鉢巻きをして、三本の日の丸の描かれたうちわがあり、一本を額のところにさし、残りの二本を両手に持った。そして裸踊りをはじめながら、局部を見えるようで見えないという、荒技を使った。
「へんな顔。へんな顔」
「へんな顔。へんな顔」
ほとんど学級崩壊の状態だった。ここまで来れば遠山も変な顔をしなければならない。
「へんな顔を見たいか」
「見たい」
とくに大きな声で返事をしたのは不良グループではなくて石川だった。
遠山は観念して両手で自分の顔の両側面を押さえた。すると口がすぼまり。顔の中央のところに縦にしわが何本も出来た。
「あっ。変な顔だ」
裸踊りをしていた飯田かおりは片手で口を押さえながら遠山を指さして笑った。新垣も笑っている。紺野さんまでもが笑っている。教室の生徒たちの沸点は下がって冷静になった。
「もう満足したか」
「満足」
馬鹿組の生徒たちは一斉に声を上げた。そして遠山は生物の採点の終わっている答案用紙を配り終えた。授業が終わって廊下の水飲み場の前で矢口まみりは石川を呼び止めた。
「石川、何点だった」
石川の出した答案用紙には赤く大きな丸が描いてある。
「零点」
まみりも自分の答案を差し出した。
「零点」
まみりはその答案を細かに分析した。二者択一の問題で石川がばつになっているところがまみりの方もばつになっている。しかし、おかしいところは石川りかの選択肢とまみりの選択肢は違うところになっていることだ。つまり石川がばつだということはまみりの方が丸にならなければならない。
「絶対に抗議に行くなり。これは採点間違いなり。零点ではないなり。五点なり」
「まみり、すごい自信ね。そういうことはわたしの方が間違っているということ」
「当たり前なり」
「まみり、疑ってごめんなさい」
「石川も行くなりか」
「行くわ、井川先生のところに。まみり一人では行かせられないもの」
水飲み場のそばに生徒が作った節水キャンペーンのポスターが張ってある。その前でポスターをじっと見ていた女がまみりたちの方を振り向いた。探偵高橋愛である。
「矢口さんたちが、井川先生のところに行くならわたしも連れて行ってくださいますか」
探偵高橋愛がまみりたちの方にやって来た。
「探偵高橋愛、なんで行くの。あなたはなんの用もないんじゃないの。用はありますわよ」
さっき、内庭のそばで拾って来たビニール袋の中に入った魚のうろこのようなものをふたりの前に差し出した。
「井川先生の教室に行ったことはありますの」
「ないなり」
「わたしもないわ」
「校舎の一番はじにあるらしいですわ」
生徒たちが井川はるら先生の教室を訪れることはほとんどない。みんなが気味悪がって訪れないのだ。廊下の一番はずれのところの大きな扉の向こうにあるらしい。三人は井川はるら先生の教室の前に来るとその入り口の扉の大きさと無気味さに威圧される思いがした。扉の上の方には蜘蛛の巣がかかっている。矢口まみりがその年代ものの木製の扉をノックしても中からは何の返事もなかった。そこでその扉を開けるとかび臭い臭いが広がり、理科実験室の中が見えた。ここ数年この教室は使われていない。
「まみり、入りなさいよ」
「石川、言われなくても入るなり」
ドアを開けて中に入ると右手の方に大きな先生の机がある。机の横にはホーローの流しがついていて最近まで使っていたようだった。
「まみり、見て見て」
「矢口さん、見てください」
石川りかと探偵高橋愛が指さす方を見ると解剖皿が底の方に投げ出されている。解剖皿の木の底には血がついている。そしてばらばらになった生の鰺が血走った目でこちらを向いているのだ。教室のはじのところには人体解剖図が置いてあり、ほこりを被っているくせに目だけは生きているようにこちらを向いている。戸棚のところには小さくなったミイラも置いてある。
「まみり、こっちの方に生物教職員室と書いてあるわよ。ここにいるんじゃないの」
石川りかが教室の横にあるドアを指さした。三人はそろそろとそのドアの前に行った。まみりがドアをノックした。
「井川先生、矢口まみりなり。用があるなり。石川りかも探偵高橋愛も一緒なり。入っていいかなり」
「どうぞ」
生物職員室のドアの向こうから井川はるら先生のすゞやかな、その一方では無気味な声が聞こえる。
「入るなり」
まみりは他のふたりの顔を見た。扉の開くときの蝶番の音がしてドアが開いた。まみりにとって気になっていることはその蝶番が人間の関節のように見えたことだった。
「何であるか、この部屋は」
まみりを最初に驚かせたものは入った部屋の正面に山羊の胴体から切り離された首がぶら下がっていてその下に理解出来ない魔法陣が描かれていたことである。まみりは最初、中世の錬金術師の部屋に入ったような錯覚を起こした。
「石川、探偵高橋」
矢口まみりは一瞬ふたりを見失った。
「まみり、こっちなり」
「矢口さん、こっちよ」
「コーヒーもいれてありますわ」
まみりが横の方を向くとドライアイスの煙が出ているようなフラスコの机の前でコーヒーカップを前にしながら石川や探偵高橋愛や井川はるら先生が座っていた。コーヒーカップは四つ並んでいる。
「やっと来てくれたのね」
井川はるら先生は手招きをしている。ちらりと笑った井川先生の犬歯がきらりと光った。まみりもそのテーブルに座った。
「先生、これ、おかしいなり。石川の方がばつで矢口さんの方にもばつがついている。矢口の方の答えがあっているなり」
「どお」
井川先生は矢口まみりの隣に座ってまみりの答案用紙を見た。
「どうやら、わたしが間違っていたようね」
井川先生はまみりの答案用紙のゼロの上にばってんを引くと五と書き直し、えんま帳を出してその点数を記入した。
「井川先生、随分と変わった職員室ですね。あの山羊の首は模型ですか」
「あれは本物よ。首の切り口から血がしたたっているでしょう」
「きゃあー」
石川りかが黄色い叫びをあげる。
「石川さん、そんなことぐらいで驚くにはあたらないわ。呪いをかけるためにはどうしてもあの生首が必要なの。この部屋の中にはそれだけじゃないわ。もっといろいろなものがあるの。あそこの瓶に入っているのが、ノストラダムスの抜けた歯よ」
「先生は本当にハロハロ学園の生物の教師なんですか」
探偵高橋愛も矢口まみりと同じような疑問を持っているらしい。
「ここの生物教師というのは仮の姿よ。わたしはここで悪魔を呼び出す方法を研究しているの」
「でも、ハロハロ学園に採用されたなりね。理事長とも会ったことがあるなりね」
「先生、わたしたち疑問を持っているんです。生徒たちが入ってはいけないと禁じられている中庭がありますわよね。あの中庭には何があるんですか。先生は知っていますか」
「あなたたち、あの中庭の中に入ったんじゃないわよね」
「イエス」
石川りかがただ一つ知っている英語で答えた。
「そう、良かったわ。あの中庭に入った人間は誰もいないのよ。教師でさえ、あの中庭に何があるのか知らない」
「実は」
矢口まみりは探偵高橋愛が墓場からあの塀が破れているのを発見したことなどを井川はるら先生に話した。
「井川先生、これが何であるかわかるかなり」
まみりはあの金のペンダントを取り出した。
「先生、ここに変な文字らしいものが書かれていますわよね。わたしたち三人はこれが新垣に関係していると睨んでいるんですが」
「ふほほほほほ。新垣が。すると中庭の件にも新垣がからんでいるとの見解ね。ふほほほほ。でも、この文字は以前、どこかで見たことがあるような気がする」
「そうでしょうなり。新垣が自分の机の上にこんな文字を彫っていたような気がするなり」
「先生、それからこれなんですけど」
探偵高橋愛が例のビニール袋を取り出した。今度は前よりも井川はるら先生の目が爛々と輝いた。探偵高橋愛からそのビニール袋をひつたくるように受け取ると自分の顔に近づけてまじまじと見つめた。
「魚の鱗のように見えるんですが」
「ちょっと、待って、あの魔法顕微鏡で見て見ましょう」
井川はるら先生がそう言って机を離れてはじの方へ行ったので三人もそのあとをついて行った。井川はるら先生がピントを調整する。しかし、それは単なる光学顕微鏡だった。ピントを調整し終わった井川はるら先生は顕微鏡の接眼部から目を離した。
「見て御覧なさい。まず、まみりちゃんから」
まみりはその顕微鏡のレンズをのぞき込んだ。雲母のようにきらきらとしている。像を見やすくするために偏光装置を使って色がついているらしい。
「まみりちゃん、このしましまが見える。一年ごとにこのしまが一本づつ増えていくのよ。だから、このしまから数えてこの魚の年齢は二十代半ばというところね。このうろこがさかなのものだとしての話よ」
「もし、魚の鱗だとしたらどんな魚なんですかなり」
「これは極めてむずかしい問題ね。今までこんな魚の鱗を見たことはないわ」
「先生、鱗のある動物はほかにもいるんじゃないですか。アルマジロとか、センザンコウとか」
「うるさいわね。石川、どこでも見たことがないような鱗だと言っているでしょう」
「先生、本当にあの中庭のことを知らないんですか」
探偵高橋愛が疑問だという声を出した。
「噂があることはあるわ。あそこに、錦鯉がたくさん買われているという噂が。それで理事長が一儲けしようというね。くだらない人間の考えることだわよ。悪魔の力に較べれば。でも、生徒でも教師でもあの中庭に立ち入ったものは即、退学となるのよ。ふほほほ」
矢口まみりは何かを決心しているようだった。
「もし、それが錦鯉どろぼうだとすればまた、あの中庭に舞い戻ってくることはないかなり。泥棒は一度入ったところにはまた舞い戻ってくるというなり」
「まみりちゃん、その方法はないことはないわ」
井川はるら先生は気味悪くにやりと笑うと部屋の隅に置かれた妖気ただよう土饅頭のようなものを見つめた。
「沖縄の守神を知っている」
******************************************************
 

第十六回
井川はるら先生は薄気味悪い目をして土饅頭のようなものを両手に取ってなでながらまみりの方をいやらしい目をして話しかけた。目の中に床屋のくるくるまわるあの誰でもが知っている看板が入っているような気がする。
「沖縄ではシーサーという屋根の上に載っている守神があるわ。本州では狛犬というものがある。それはみなその家を災厄から守る守神だと思っている人が多いわ。でも、本当は違うの。家を建てた人は自分の敷地の境界に境界石を埋める。あれはその境界石なのよ。つまりここが自分の家の中だと示している。つまり自分の陣地ということね。そもそもそれらは黒魔術から起こったものなのよ」
「きゃー」
井川先生から無視されているチャーミー石川が叫び声をあげ、そのそばでは探偵高橋愛が机の上に置かれたビニール袋の中に入った採取した鱗をじっと見つめている。
「あなたたち、わたしがまみりちゃんと話しているのに、どうしたの」
井川はるら先生も悲鳴を上げた石川の方にやってきた。古びた実験机の上に置いてある採取した鱗がエメラルド色に輝いている。接している木の机の表面もエメラルド色に染まっている。
「先生、鱗が光っています」
探偵高橋愛が冷静に言うと、井川はるら先生は棚の上に置いてある薬瓶を指さした。
「月の光の粒の集まりが原因じゃないの。その鱗は月の光を浴びているから光っているのよ。あの瓶の中の月の光がガラス瓶の中からガラスを突き破って鱗に当たっているんだわよ」
井川はるら先生はなにごともないように棚の上に置いてあるその薬瓶に白山羊の皮を被せるとその鱗も光を失った。
「月の光の粒ってなんですの」
探偵高橋愛が当然の疑問を口に出した。
「月の光の粒と言ったら月の光の粒よ。海の中にいる生き物は月の光を浴びるときらきらと輝くでしょう。それで光ったのよ。きっと」
「じゃあ、あの鱗というのも海の中に住む生き物のものなんですか」
「そんなことはわからないわ。わたしはまみりちゃんと話しているんですからね」
井川はるか先生はまみりの前にやって来てまた座った。
「あのふたりがうるさいから話を中断してごめんなさいね。さっきまでなんの話をしていたかしら」
「境界石のはなしなり」
「まみりちゃん、そうね。守り神の話ね。あの内庭の中は守り神に守られているのよ。こんな話をしてもよくわからないでしょうが。みんな人にはそれぞれの守り神がついているの。もし、まみりちゃんが休みの日にどこかに遊びに行くとする。まみりちゃんが自分の自由意思で道を歩いていたとしてもそれはまみりちゃんの守神が見ている道を歩いているだけなの。そしてその守神はまみりちゃんの陣地の境界の塀の上あたりでいつもまみりちゃんを見つめているのよ。よその家の塀を御覧なさい。霊感のある人ならその塀の上にその家の守神が腰掛けているのがわかるから。そしてにやにやしたり、怒ったり、守神が表情を動かすのがわかるから。そしてあの内庭の中はある守神が見つめているのよ。この学校の職員があの内庭の中に入ることが出来ないといのは守神があの内庭の塀の上で見張っているからなのよ。それもただの守神ではない。白魔術の庇護を受けた守神なのよ。だから黒魔術の使い手のわたしにもあの結界の中に入って行くことは出来ない。白魔術と黒魔術は敵対関係にあるからね。そこでは術の力の闘いとなる。その白魔術は私の黒魔術よりも力が強い。わたしの黒魔術を使ってもその結界を破ることは出来ない。しかし、白魔術の力を逆に使うことは出来る。さっきまみりちゃんが自由に行動出来るわけではなく、いつも守り神が守っている境界の中で行動していると言ったけど、この世界にはそれぞれの守り神が歩く道がわたしたちの目には見えないけどあるのよ。そしてこの土饅頭のような人形もその守神が姿を変えた姿なの。そしてこの守神でもある土人形はその境界線の上を自由に動けるのよ。黒魔術を勉強しているわたしには空中にあるその境界線がはっきりと見えるのよ」
「信じられませんわ」
「信じられないわ」
人の話にすぐ不和雷同する石川りかが探偵高橋愛に同意して言った。ふたりもまみりのそばに来て井川はるら先生の話に耳を傾けていたが、石川りかの侮蔑したようなせりふを聞くと井川はるら先生は目尻を青くして怒りを表した。
「このあまっこめが」
井川はるら先生は怒鳴り声をあげたがすぐ自分の姿に気づいてもとの表情に戻った。
「いつもなら、黒魔術の力を借りてふたりとも身体をばらばらに引き裂くところよ。でもまみりちゃんの悲しむ顔を見たくないからそんなことをしないの」
怒りの表情をまだ浮かべている井川はるら先生は立ち上がると蛙や鶏の骨格標本のたくさんのっている机のところに行くと引き出しを開け、その引き出しの中から何かを持って来た。まみりはそれがちょっと高級な紅茶の木製の箱だと思っていたが石川りか達の前に置かれたものは違うものだった。おもむろにその木製の箱のふたをとったはるら先生は枯れた木の葉色のものを取り出した。
「一本いただくわ。火をつけてちょうだい」
井川先生がかたち良い指にその挟んだものを探偵高橋愛の前に差し出すと机の上にぱっと小さな炎が上がり、探偵高橋愛の机の前には銀色のライターがあらわれた。
「火を点けてちょうだい」
アンニュイな雰囲気を漂わせて井川はるら先生が葉巻をさしだした。
石川りかは目をぱちくりさせて何が起こったのかわからない様子だった。
「これが黒魔術の力よ」
そしてはるら先生は探偵高橋愛がつけたライターの火にハバナ産の葉巻を差し出した。
「別にわたしが葉巻を吸いたいということじゃないのよ」
はるら先生は火のついた葉巻を土饅頭のほうに近づいた。するとどういうことだろう。土饅頭が動き始めたのだ。はるら先生がさらに葉巻を近づけると不思議なことに土饅頭は空中に浮遊している。
「この土饅頭が空中に浮いていると思う、違うのよ、まみりちゃん。この土饅頭は葉巻の臭いが嫌いなの。そしてこの部屋の中にある境界の上の道を歩いて逃げているの。あなたたちにはその塀が見えないかも知れないけどわたしには確かに見えるのよ」
はるら先生は薄気味悪くにたにたと笑った。
*************************************************
 

第十七回
「この土饅頭が何で出来ているかわかる」井川はるら先生が葉巻で空中に追い払った、そしてまだ空中に浮遊したままの土饅頭を見ながら葉巻のさきでそれを指さした。
「この土饅頭は生まれてから五日目に死んだシーズ犬を焼いた灰を混ぜて作ったのよ。ふふふふ。黒魔術の力を使えば守り神を作ることは自由なのよ」
「さっき、先生があの内庭の中は白魔術で守られていると言いましたよね。ではこのハロハロ学園の中に白魔術を使う人間がいるということですか」
探偵高橋愛の疑問はもっともなことである。その質問に井川はるら先生はコーヒーカップを胸元まで持ち上げながら、魔女のようににやにやとした。
「ハロハロ学園の理事長よ」
「ええっ」
「ええっ」
「ええっ」
三人の生徒たちが同時に変な声を出す。自分たちの学園の理事長が白魔術の使い手だったなんて。
「じゃあ、理事長に頼んで、内庭の中を見せてもらうか。内庭の中に何があるか、教えて貰えばいいじゃない」
石川りかがそう言って首をこきこきと右左に動かした。
「この馬鹿。尻軽女が」
井川はるら先生はそう言うとそばにあった今度のハロハロ学園の学園祭でやる芝居の台本を石川りかに投げつけた。
「きゃー」
「理事長は白魔術の使い手だよ。黒魔術の使い手のわたしがそんなことを出来るわけがないじゃないか。それに誰も理事長の姿を見たものはないんだよ。誰もだよ。白魔術の力で誰の目にも見えないように姿を隠しているからだよ。ほら、そこに理事長が立っているかも知れないんだよ」
「じゃあ、誰も内庭の中を見ることは出来ないなり。でも、あの中に侵入したものはいたなり」
「まみりちゃん、白魔術、黒魔術にかかわらず霊力の強いものはその中に入ることが出来るのよ」
井川はるら先生は言葉の調子を変えてまみりに言った。
「まみりちゃん、黒魔術の力をあなどるのではないのよ。理事長のつむじの毛を持って来て黒魔術の秘法を使えば人間でも守り神に姿を変えて白魔術の結界に入ることは出来るのよ。まみりちゃん、先生はその魔術を使えるのよ」
「でも、理事長の姿も見えず、どこにいるかもわからないなら、その魔術を使うことは出来ないのではないでしょうか」
「ふふふふふふ」
また井川はるら先生は不気味に笑った。こんなこともあるかと思ってよりしろを用意しておいたのよ。
 そのとき生物準備室の古ぼけた柱時計が夜中の十二時の時を刻んだ。
「時間もちょうど良い頃ね」
矢口まみりは今まで気づかなかったが部屋の隅の人の内臓とか、ねずみの死体とかがホルマリン漬けになったガラス容器の横に彫像が置かれていることに気づいた。
「キャー」
いつもなら冷静なはずの探偵高橋愛が大きな声を上げる。そこには目をつぶった教頭の蛭子がほこりにまみれて立っている。
「先生、蛭子教頭を殺してしまったかなり」
「ふふふふ、眠らせてあるだけよ。欲望にまみれている人間ほど黒魔術のよりわらにはふさわしいのよ。わたしが黒魔術で教頭をよみがえらせるわ。しかし、彼は生きていながら死後の世界の架け橋ともなるのよ。彼の見たものがわたしたちの瞳にも映るのよ。ククチュルチルル、クチュクラククク」
井川はるら先生が呪文を唱えると生きているのか、死んでいるのかわからない蛭子教頭が静かに目を開けた。
「キャー」
石川りかがハンケチを出して顔を覆いながら、おそるおそる、生き返った蛭子の顔を見ている。
「まみり、まみり、あれ、あれ」
まみりも気味が悪かった。生き返った蛭子の目はゆであがった卵の白身のように瞳がなかったからである。やがてゆっくりと水死人のような蛭子が動きはじめた。
「まみり、変なものが見えるわ」
石川りかの目にはさっきの土饅頭の下に道が出来ているのがたしかに見えた。まみりの目にも探偵高橋愛の目にもその道はたしかに見えている。
「三人とも何をしているの。すぐ、理事長の姿を探すのよ」
四人がハロハロ学園の校庭に出ると夜中の静けさしか、そこにはなかった。水死体の蛭子が自動人形のように歩いて行く。ところどころにそれぞれの守り神が歩いて行く道といものが見えるが、それをのぞけば夜中のハロハロ学園の校庭でしかない。これが死後の世界というものだろうかとまみりは思った。
「あれを見て、まみり」
石川りかが校庭の片隅を指さした。まみりも探偵高橋愛も黒魔術をかけられた蛭子教頭の目を通してそれを見ていた。百姓の隠居の離れのような藁葺きの家が一軒ぽつりと建っているではないか。
「見つけたわよ」
井川はるら先生が血のしたたるビフテキでも噛んでいるように不気味に言った。
「あの中に理事長が住んでいるんですか」
「住んでいるばかりではないわよ。この時間だったら寝ているはずよ」
四人、(五人という表現をとってもいいが、今は彼の目を道具とされて生きているとい表現は当たらないかも知れない)
四人はそのぼろい農家みたいな中に入った。家の中には一部屋しかない。入ったとたんに貧乏石川が歓声をあげた。
「クストー博士が、クストー博士が寝ていらっしゃるわ」
そこには海洋学者、今は死んでこの世にはいなJacques-Yves Cousteau博士がせんべいぶとんに寝ていらっしゃったのである。
貧乏石川にとってクストー博士は神と同じ響きを持っていた。
「クストー博士がハロハロ学園の理事長でいらっしゃったのだったわ」
貧乏石川の瞳は感動の涙があふれ出た。いつの日か、この方に会いたい。貧乏石川はそう思い続けて生きて来た。
貧乏石川は地中海の青い海が好きだった。それは正確なことではない。石川りかはその地中海の海に集まってくる大型クルーザーの住人が好きだったのだ。石川は鼻を垂らした弟とどんぶりの中にチキンラーメンを入れ、お湯を注いで麺がほぐれるとそれを啜りながら、ゴミ捨て場から拾ってきたもうすでにこの時代には死滅していた真空管式の白黒テレビで地中海の富豪たちの寄り集まる姿を見ることが崩壊寸前にある貧乏石川一家の生きる支えだった。
綺羅星のごとき富豪たち、オナシス、ロックフェラー、ケネディ、カーネギー、歴史に名を残す富豪たち、畳の破れた部屋の中で石川はそれらの人たちの姿に瞳を洗われるような気持がした。もしそれらの人たちがこの世に存在しなければ貧乏石川はその悲惨な生活のために自殺していたに違いない。
飛び交うシャンパンの杯、きらきらと輝く、金銀の装飾品、ダイヤの指輪、自分自身の空虚で絶望的な日々の中でそれだけが神の恩寵を現しているように石川には思えた。そして過ぎ去った日々の中で富豪の中で少し毛色の変わった富豪を発見した。その男は銀髪で地中海に浮かべたボートの上で独特の潜水用具を開発して青い地中海の海の中に潜ることを仕事にしていた。その神秘の海を記録映画にすることを仕事にしていたのだ。世間一般の人たちにはこれがアクアラングという潜水用具を開発して深海潜水艇を開発し、沈黙の世界を著した海洋学者であることを知っていたが、少し頭の弱い石川は地中海の上で船を浮かべている人間ならたとえ漁師であっても大富豪だと信じ切っていたから、この海洋冒険家を大富豪だと信じ切っていた。そしてその誤った認識が現在まで続いているのだった。
「クストーさま」
貧乏石川はせんべいぶとんで寝ているハロハロ学園の理事長、白魔術の使い手、クストー博士の枕頭で手も身もよじりながら感動に身をよじっていた。
「なにをぐずぐすしているんだい。あと、五分で理事長は目を覚ますよ。理事長のつむじの毛を三本引き抜くんだよ」
「そんなひどーいこと、やるの」
石川りかが悲鳴をあげている最中に探偵高橋愛はもうすでに身をかがめて理事長の頭のつむじから三本、髪の毛を引き抜いて、その手の中には銀色の髪が三本入っていた。名残をおしむ貧乏石川を無理矢理、連れ戻して生物準備室に戻ると蛭子教頭もリモコンの電気が切れたように壁に戻った。
「やっと、白魔術の結界を破るための材料が手に入ったよ。今夜のうちにその薬を作っておくからね。あの内庭の秘密を知りたかったら、明日の同じ時間にここに来るのよ」
そして三人は闇夜の中をハロハロ学園を出て自宅にもどった。探偵高橋愛は墓場を通って家に帰ったのは言うまでもない。
 次の日ハロハロ学園に登校した矢口まみりはあの内庭の秘密がわかると思うとそわそわした。教室の中には憧れの人のゴジラ松井くんがいる。あのカラオケ屋で失恋の痛みを知ったまみりだったが、まだゴジラ松井くんのことを愛していた。たとえ相手から嫌われていたとしてもゴジラ松井くんに恋している気持は少しも変わらない。消すことは出来ない。まみりは自分の座っている席から振り向いてゴジラ松井くんの姿を見ると、腹が減っているのか、クリームパンを囓っている。しかし、ゴジラ松井くんのことをなんでも知っている矢口まみりはゴジラ松井くんの顔色が少し悪いと思った。明日は亀有老人クラブとの野球親善試合があるというのにどうするつもりだろうか。矢口まみりがゴジラ松井くんのことを心配していると、吉沢ひとみが瓦版やの格好をして入ってきた。
「いいアルバイトがあるよ。いいアルバイトがね。交通量調査だよ。一晩で五千円もらえるよ」
教室の中の生徒たちが集まって行く。貧乏石川が駆け寄って行くのはわかるが探偵高橋愛までもがその人だかりの中に入って行った。
 あの薄気味悪い生物準備室に入って行くと井川はるら先生が地獄から来た猫のようににやにやと笑っていた。
「まみりちゃん、ひとりが、来たのね。これで石川りかや探偵高橋愛の黒魔術に対する不遜の念がはっきりしたわね。ここに白魔術の結界を破るための薬が出来ているわよ」
井川はるら先生の立っている後ろの席には薬瓶の中に入ったカレー粉の粉のようなものが置いてある。
「それが、その薬なりか、昨日、引っこ抜いてきたクストー博士のつむじの毛も入っているなりか」
「もちろんよ。まみりちゃん。でも、まみりちゃんが気持悪くなると困るからこの薬の材料については全部言うことは出来ないわよ。でもこの薬を飲めば、白魔術の結界の境界を見ることが出来るだけではないわ。その結界の上を自由に動くことが出来るのよ」
「すごいなり」
矢口まみりは驚嘆の声をあげた。
そのとき昨日と同じように生物準備室の中の古時計が薄気味悪く夜中の十二時の時を刻んだ。
「この薬は歴代の王たちも使ったものよ。でも、この薬の効用が現れているあいだはもとの姿のままでいることは出来ないわよ。まみりちゃん」
「じゃあ、何の姿になるのかなり」
「生まれ変わる前の姿よ」
井川はるら先生はさらりと言った。
「飲んで見る。そして、あの内庭に何があるのか、知ってみる」
「先生はもう、知っているのかなり」
「三十分前にもう試してみたわよ。あの内庭に何があるのかも知っているわ」
「教えてくれなくていいなり。自分で見てくるなり」
矢口まみりははっきりと断言した。
「まみりちゃん、じゃあ、この薬を飲んでみるだけね」
井川はるら先生が前を向いたまま薬瓶をとると矢口まみりに瓶の口をあけながら手渡した。矢口まみりがその薬のにおいを嗅ぐとやはりカレー粉のにおいがする。やっぱりこれはカレー粉なんだなり。矢口まりはうなづいた。瓶の口を口に当てて一気に口の中に流し込んでみる。するとまみりは薬の味を感じる前に身体がむずがゆいような感じがした。
「ふほほほほほほ」
井川はるら先生の薄気味悪い笑い声が聞こえる。
「まみりちゃん、可愛いわよ。これがまみりちゃんの生まれる前の姿よ」
そう言って井川はるら先生が持っている鏡には自分の姿が写っている。まみりは自分の目を疑った。自分の腕が素焼きのかけらで出来ている。そして鏡の中に写っているのは昔、子供番組で見たはにまるくんではないか。自分の本当の姿ははにわだったなりか。
矢口まみりは絶句した。
「この部屋の中にあの内庭の塀の上に続く結界の境の道が続いているわよ。まみりちゃんが知りたいなら、この道を進むのよ」
まみりは埴輪の格好でその道を歩き始めた。その道は生物準備室の窓の外に続いている。まみり、こと、はに丸くんはその道を歩いて行く。外には中天に丸い月がかかっている。魔術の力を持っていない人間が見れば空中を月の光を浴びながら埴輪が粛々と空中を進んで行くのが見えるだろう。まみりの目からは例の墓場も見える。そしてあの中庭にも達した。はに丸となったまみりは中庭の塀の上に立つと眼下には中庭の全貌が見渡すことが出来る。
 その中庭の中には
青黒いぬねぬねしたものが数え切れないくらいうごめいていたのである。
 中庭はプールのようになっていてうなぎのお化けのようなものとか、変なえらのあるものだとか、気味の悪い魚が無数にうごめいていた。まみりは知っていた。これは昔、見たことがある。地球上の深海魚をすべて集めたように深海魚がうごめいていたのである。そのときはに丸くんの背後を飛び越えて何か巨大なものが空中を飛来した。そしてプールの中に降りると醜悪な深海魚を鷲掴みにしてむしゃむしゃと食い始めた。その怪物は長い尾を持ち、口は爬虫類のように裂けていた。しかし、エメラルド色の皮膚を持っていた。月の光を受けてその鱗がきらきらと輝いた。はに丸くんこと、まみりはその鱗が探偵高橋愛が現場で拾ったものと同じことに気づいていた。太古の時代の肉食獣が深海魚を食っている姿にまみりはすっかりと心奪われていた。と同時にこの怪物がゴジラ松井くんに違いないと心の中で直感した。そう思いながら、月の光に照らされエメラルド色にうろこを輝かしている怪物を見つめた。
 するとこの肉食獣も塀の上に置かれた埴輪に気づいたようだった。両手にとげとげのたくさんついた大うなぎを両手に持ちながら、怪物は振り返った。月の光に照らされながら見詰め合う両雄ふたり。そしてまみりの心の中に誰かが話しかけてきた。
「矢口くん、見たな。君は僕が松井だと気づいているな、そうさ。ハロハロ学園のヒーローである、これが僕の本当の姿なのさ。深海魚が僕の命をつないでいるのさ」
この怪物の目に一瞬悲しい光がよぎったような気がまみりにはした。そしてプールの中に仁王立ちになっている怪物は飛び上がるとまみりの頭の上を越えた。まみりの頭の上に深海水が降り注いだ。ちぎれた深海魚たちが頭の上に降り注いできた。ばらばらになった深海魚の肉片と血ではに丸くんになったまみりの頭はずぶずぶになり、怪物は川の中に落下するとその姿は見えなくなった。
 なぜハロハロ学園のヒーロー、ゴジラ松井くんがこんな姿をしているのか、まみりには理解できなかった。ハロハロ学園に入ったのはこの深海魚を食べるためだったかも知れない。
ゴジラ松井くんのこの本当の姿を見て、矢口まみりがゴジラ松井くんのことが嫌いになったかというと、まったくその逆だった。矢口まみりは薄気味悪いもの、妖怪じみたもの、怪物のようなものが昔から大好きだった。「呪いの猫屋敷」「よみがえったミイラ男」「へび女の逆襲」「夜飛びにまわるまさかり」「直径三メートルもある死んだ大首」これらのものがまみりの幼児期の精神を形作っていたのである。
「ゴジラ松井くん、まみりは、まみりは、・・・・・・・・・・・・。ますます、ますます。・・・・・・・・・・。ゴジラ松井くんのことを好きになったなり。好きよ松井くん」
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第十八回
弁当箱を包んできた新聞の死亡欄の記事を読みながらまみりは足をぶらぶらさせて、それからデザートのオレンジをかぶりついた。そして口からオレンジの種を出してちり紙の中に包んだ。そして石川りかが売店で紙パックのコーヒー牛乳を買ってくるのを待ちながら目の前に地面の上でありんこが落ちているクッキーのかけらを自分たちの巣に運ぶために隊列を組んでいるのを感心するような労をねぎらうような不思議な気持で見ていた。
「遅いなり。石川、階段の途中にある売店でコーヒー牛乳を買ってくるくらいで、そんなに時間がかかるものかなり」
ハロハロ学園のテラスのやしの木の下のベンチで弁当を食べていた矢口まみりはチャーミー石川がコーヒー牛乳を買ってくるといいながらなかなか戻って来ないことにいらだっていた。そこへ石川りかがスカートのひだをひらひらひらさせながら走ってやって来た。
「御注進よ、御注進。まみり。御注進よ」
石川りかは息をはあはあさせながらまみりの前に来ると言った。
「なんなり、石川。そんなに緊急を要する問題かなり」
「そうよ。まみり。早くクラスに戻って、新垣ひとりがクラスの中にいるから」
あわてて石川りかはまみりの手をひいてクラスのうしろの出入り口のところにつれて行った。
「見て、見て、まみり」
そう言った石川りかの指さす方をまみりが見ると教室の中には新垣しかいなかった。新垣はひとり机に向かって座っている。不良グループの有力な一員でありながら今は不良グループたちもいない。リーダーの飯田かおりもいなかった。
「あれよ。まみり」
石川りかがまみりの注意を促すように新垣の机の上を指さすとにたにたしたり、変な思いでに耽ったりしながら、結局は自己陶酔に浸りながら身体を前後に揺らしている新垣の机の上にはたった一つだけ筆箱が置かれている。
「ねえ、でしょう」
石川りかが言うとまみりの心の中に動揺が起こった。あの筆箱は見たことがある。まみりはずかずかと新垣のそばに行くと新垣の机の上の筆箱を取り上げた。そして筆箱の裏も見た。その裏には見たことのある筆跡で新垣さんに捧ぐ、ゴジラ松井と書かれている。その文句を見るとまみりはかっとした。思わず新垣の頭の毛をつかんで前後に揺らした。前に五回、それから横方向に三回揺らした。新垣は声にならない声を上げる。うぎゃ、ぎぎとまるで知性を持っている人間の声には聞こえない。
「あんた、なんでこのふで箱を持っているなり。ゴジラ松井くんと同じ筆箱なり」
今度はまみりは新垣の首を絞めてみた。新垣はうらめしそうな目をしてまみりを見つめた。しかし、新垣は何の声も出さない。いじめられっ子のまみりがいつの間にかいじめっ子になっていた。
「あんた、本当のことを言うなり。あんた、松井くんとどんな関係なり」
新垣はうめくだけでなんの言葉も発せようとしない。そう言えば、矢口まみりがこのハロハロ学園に入学してから新垣が人間語を発しているのを聞いたことがない。たまに食べ物の前へ行くと聞いたこともないような外国語の単語が新垣の口から出てくるのだけどどこの国の言葉か何をさしているのか、まみりにはさっぱりとわからなかった。
「新垣、何か、話すなり。お前は松井くんとどんな関係なりか。喋るなり。喋るなり」
まみりは新垣の首を絞めながら前後、左右に振り回した。
「グホ、ゴホ、キキキキ」
チャーミー石川はそのまみりの鬼気せまる姿に背筋が凍った。
「まみり、こわいわ」
そこへ体育の教師の村野武則が入ってきてまみりの背中を羽交い締めする。
「矢口、何をするんだ。新垣が死んでしまうぞ。おい、やめろ。矢口」
村野武則が無理矢理にまみりを新垣から引き離すと新垣は教室の床の上でうつぶせに倒れてぴくりとも動こうとしない。村野武則はハロハロ学園の生徒がひとり死んでしまったかと思って倒れている新垣のそばに行って声をかける。すると倒れている新垣の手といい足といい、頭の側面から蜘蛛のような毛がわさわさと生えてきて、むっくりと起きあがった新垣はしなびた顔でケケケケケケケと笑いながら廊下のすみをものすごい速さでごきぶりが逃げるように走り逃げてしまった。チャーミー石川はちがった意味で背筋が凍った。
「一体、どうしたんだ。誰にでもやさしい、矢口、お前が、新垣を殺すところだったぞ」
「だって、だって新垣が変な筆箱を持っているなり」
「筆箱ぐらいどうだって、いいだろう」
前後の事情を知らない村野に石川が説明した。
「まみりは焼き餅を焼いているんです。先生。あの新垣がゴシラ松井くんと同じ筆箱を持っていて、その上、新垣さん、好きなんて書いてあったからなんです」
「好きなんて書いてないなり」
まみりは口を膨らまして抗議した。
「でも、先生、あの新垣って何者なんですか。わたし、この学園に来てから一度も新垣が人間語を話しているのを聞いたことがありません。そもそもあの女、いや、生物はなんなのですか」
チャーミー石川は興味津々である。
「先生、それにこの学園の理事長がクストー博士だって、知っていましたか」
「なんだって、そのこともずっと僕の疑問の一つだったんだ。ふたりにお好み焼きをおごってやろう。ついて来るかい。そのことは僕にとっても初耳だったよ。君たちの方がこの学園について詳しいことを知っているかも知れない」
ハロハロ学園の体育教師村野武則は大白神社の参道口にあるお好み焼き屋にふたりの生徒を誘った。村野自身、この学園について知らないことが多すぎるからだ。
 村野は鉄板の上でじゅうじゅうと音を立てながら焼けているお好み焼きを切り分けながらふたりの生徒たちの顔を見た。
「そもそも、なんで、新垣の首を絞めて殺しかけたのだ」
「だから、先生、新垣がゴジラ松井くんと同じ筆箱を持っていたからと言っているじゃありませんか」
「同じ筆箱を持っていれば首を絞めるのか」
「まみりはゴジラ松井くんが大好きなんです」
「恥ずかしいなり、石川」
「恥ずかしいことはない」
村野先生は湯気を立てているお好み焼きを切り分けている。
「先生、そもそも、新垣って何者なんですか」
「知らん。俺がハロハロ学園に入ったときにはすでにいた。だからもう五年になるが、いまだにハロハロ学園にいるんだ。進級もせずに」
「ゴジラ松井くんはどうしてハロハロ学園なんかに入学したんですか」
「先生は理事長が生徒集めの目玉として無理矢理、入ってもらったと聞いているぞ」
まみりは皿の上のお好み焼きにソースを塗りながら、その上にマヨネーズをかけていた。「先生、理事長がクストー博士だって知っていましたか」
「知らん。この学園に入ってから一度も理事長の姿を見たことがないんだ」
「理事長は白魔術を使うなり。魔法使いなり。そうじゃなきゃ、もう死んでいる人間が理事長をやっているなんてことがあるわけがないなり」
「このお好み焼き、おいひい」
プアー石川の口のまわりには青のりがついている。
「井川はるら先生は黒魔術を使うんですよ」「井川先生がか」
そこへ形の良い生足が入ってきた。
「三人ともわたしの噂をしているようね。まみりちゃんも来ていたの」
はるら先生もそこに腰をおろした。
「井川先生、このふたりがハロハロ学園の理事長はクストー博士だと言っているんですが、本当ですか」
「そのとおりよ。わたしも最近、その事実を知ったんです。ある男性のおかげでね」
「誰です」
村野先生は身を乗り出して井川はるら先生に聞いた。だいぶ興味があるようである。もちろん、その男性というのが降霊のためによりわらとされて生物準備室にミイラのように放置されている教頭の蛭子であることは言うまでもない。
「そうだ、まみり、あの内庭に何があつたの。わたしまだ聞いていないわ。交通量調査のアルバイトに行ったからね。まみりは行ったんでしょう。黒魔術の力を借りて」
「内庭ってなんのことだ」
「村野先生は校庭の中に内庭があることを知らないんですか」
「そう言えば、そんなものがあったなぁ。入ったこともなければ、そこに興味を持ったこともなかったけど」
「それもみんな、理事長の白魔術の力のためよ。博士が白魔術をかけているから、結界を生じてそこに入ることも出来ないの。それにハロハロ学園の中の人間にも博士の白魔術の力でそれに関心が生じないように心の中に働きかけているの」
「それにしても僕は幽霊から給料を貰っているというわけなのか」
「幽霊ではないわ。白魔術の希代の使い手よ」
「それで、内庭の中には何があるんだい」
井川はるら先生はまみりの方を見てほほえんだ。まるで自分の弟子を見るような表情である。
「まみりちゃんも見たわよね」
「見たなり」
まみりはそこで自分がゴジラ松井くんだと信じているエメラルド色の肌をした肉食獣も見たのである。まみりの心の中にその怪物もそう話しかけたではないか。しかし、まみりはそのことを言うべきかどうか迷っていた。かってに井川はるら先生はお好み焼きをほおばりながら話した。
「あの中には水深五千メートルと同じ状態のプールが白魔術の力で作られているの。世界中のありとあらゆる気味の悪い深海魚がうじゃうじゃとうごめいているのよ。まみりちゃんも見たでしょう」
まみりはゴジラ松井くんのことが出て来ないかと思ってひやひやしたがはるら先生も壁を乗り越えてゴジラ松井くんがその深海魚を食べに来たことは知らないらしかった。
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第十九回
超古代マヤ民族
「先生、明太子焼きも食べていい」
石川が服に鉄板の汚れがつかないように袖の肘のところをつまみながら鉄板の上の切り分けられたお好み焼きに手を、箸を、伸ばしながら膝でささえている重心が微妙なバランスを保っている。
「お前が明太子焼きを頼むなら、まみりは餅チーズを頼むなり」
餅チーズはチーズと餅の両方が入っていてまみりはまだ食べたことがない。ブッチャー石川が頼んだので対抗心を見せて頼んでみたのだ。
「それは僕らには見えないものなのか」
村野先生はそれらを見てみたいと思った。少なくと自分の勤めているハロハロ学園の中にそんな自分の知らないものがあるなんて驚きだった。はるら先生は村野武則の無知をあざ笑うかのようだった。鼻のさきで軽蔑の意思を表示した。
「黒魔術、もしくは白魔術の力を借りなければ見ることは出来ないわよ。それを見たのはまみりちゃんと私だけですわ」
「先生、そうだ。探偵高橋愛が先生に渡した金のペンダントがありましたわよね。そこに書いてある文字がなんだかわかりましたか」
石川が箸を立てながらはるら先生の顔を見つめた。
「そうそう、これね」
はるら先生はバッグの中から探偵高橋愛があの場所で拾って来た例の金のペンダントを取り出した。
「はるら先生、これが純金だったらたいそうな金額になりますよ」
村野武則もはるら先生の持っている金であろうペンダントをのぞき込んだ。
「うちのクラスの新垣がよく机の上にそんなような文字で落書きをしているのを見たことがあります」
石川の表情はいつもより真剣だった。
「そんなことばかりしている新垣は停学にしたほうがいいなり」
矢口まみりは断言した。
「それでですね。そこに何が書いてあるかわかったんですか」
村野武則がはるら先生の持っているその金のペンダントに触ろうとするとはるら先生はあわてて引っ込めて叱責の目で村野先生を睨んだ。
「汚らわしい。白魔術や黒魔術に精通していないものはこれに触れることも許されないんです。これは大変なものです」
「そうですか」
村野先生は頭を掻いた。それから井川はるら先生はその金のペンダントを三人の前に差し出すと文字の書いてある表の面をさししめした。そこには二行、わかち書きで文字らしいものが書かれている。もちろん、矢口まみりにも、チャーミー石川にもそれがなんであるか理解出来ない。ただ新垣のいつもしている落書きに似ている文字が書かれているような気がした。
「こほん、結論をもうしますと、この二行のうち、上の方は何とかわかります。しかし、下の行には何と書かれているかわかりません」
「先生、上の方にはなんて書かれているんですか」
石川が割り箸を口にくわえながら聞く。割り箸に染みこんでいるお好み焼きの肉汁を啜っているのだ。
「水の上の世界、及び水の下の世界において・・・・・。これが上に書かれている文句なのよ。そして、下の方には何と書かれているのかさっぱりとわからない」
はるら先生は口をつぐんだ。
「でも、はるら先生、どうしてそう書かれていたかわかったなり」
言っていのか、悪いのか、はるら先生は迷っていたようだったが、思い切って話し始めた。「この言葉はある民族の言葉と文法的、修辞学上極めて類似点が認められるのよ。どこの言葉だと思う。黒魔術に精通していないあなたたちに聞いても無駄ね。超古代マヤ民族の使っていた言葉と極めて似ているのよ」
「超古代マヤ民族」
村野武則先生も割り箸のさきを噛んだ。
「古代マヤ民族ではないわよ。超古代マヤ民族よ」
そしてはるら先生はかばんの中から羊皮紙に包まれた極めて妖しい書物を取り出した。
「これをあなたたちに見せるのは気がひけるわ。あなたたちがこの魔法を使ってどんな悪事をたくらむかも知れないから」
するとプアー石川は両手のひらで自分の顔を覆って指の隙間から井川先生のおごそかな顔をのぞき見た。
「これは十九世紀の偉大な魔法学者にして犯罪者、グレアム・グロウスターが著した悪魔大全よ。グレアム・グロウスターはケジントン街にある高級宝飾店からすべての宝石を盗み出した。そして絶対に脱出不可能といわれるビーチャーハム刑務所の監獄の中で百余人の警官に見張られていたのにもかかわらず夜が明けるとその姿は忽然としてなくなっていた。なんの痕跡も残さずにね。今もってその消息もわからない。そこにはなんのまやかしもない。黒魔術を使ったからよ。もしかしたらグレアム・グロスターは黒魔術の魔力を使って十七才の少女に姿を変えてこの街にいるかも知れないのよ。ほら、そこに」
「きゃぁー」
井川はるら先生がお好み焼き屋の壁に貼ってあるビール会社のポスターを指さすと石川が素っ頓狂な声を上げた。まみりはすぐに石川に往復ビンタをした。
「この情緒不安定女が。尻軽女が。浮気女が。落ち着くなり」
石川はまみりに張られた頬を押さえながら雨に打たれた野良犬のようにまみりに抱きついていた。
「暑苦しいなり」
「だって怖いんだもん。まみりキスして」
そこでまみりは再び石川にビンタを加えた。
「この見境のない女」
「なにやってんだい。この神聖な場所でふたりとも。ふたりとも魔法をかけて蝦ガエルの姿に変えてしまうよ」
村野先生は災厄が及ぶのをおそれて部屋の隅に縮こまった。
「この書物の中には超古代マヤ文明のことに言及しているのよ。超古代マヤ文明の簡単な言葉については解明されている。その金のペンダントに書かれているのは超古代マヤ文明に極めて近い言葉なのよ」
「じゃあ、そのペンダントの持ち主は超古代マヤ文明に関係ある人間なのかなり」
「まみりちゃん、そうは言っていないでしょう。超古代マヤ文明に近い言葉だとしか」
「超古代マヤ文明。そんな言葉は初耳だ。それは紀元でいうと何年頃なんですか」
村野武則先生も会話に加わってきた。
「年号なんて人間の考えたものでしょう。黒魔術にはそんなものは関係ないわ。なにしろ悪魔が考えたものですからね」
井川はるら先生はまた薄気味悪くニタニタと笑う。
「あいつよ。あいつよ。この犯人は新垣よ。古代マヤ人なんて、あの新垣にそっくりじゃないの」
「石川、お友達を悪く言うもんじゃ~~~~~~~~~~ないなり~~~~~~~~~~~~。」
矢口まみりは策略をこめて新垣を弁護した。その表情には新垣に不信感を持っているということを明らかに表現していた。
「どうして古代マヤ語との類似が見られるか。グレアム・グロスターは黒魔術を使ってどんな過去にも霊魂を飛ばして行くことが出来たのよ。そしてこの悪魔魔術師は遠い過去に霊魂を飛ばしたの。そこにはアトランティス文明よりもさらに前の海底文明があったのよ。遠い昔、人間とは別にどんな海中でも自由に生活のすることの出来る海底原人がいたの。海底原人たちは高度な文明を持っていたし、肉体的にも遙かに人類よりも優れていた。そして人類たちが火を起こせるようになっていたとき、海底原人たちはこの地球の運命について危惧を抱いていた。愚かな人類がこの地球を滅ぼしてしまうのではないかと、だから海底原人たちは決めたのよ。人類を数万年後に滅ぼしてしまおうと」
「いやだ。死にたくない」
現実と空想の世界の区別のつかない石川が悲鳴を上げた。そしてまみりに抱きついた。しかし、矢口まみりも今度は石川を無碍にすることはなかった。まみりもまた人類の将来を危惧していたのである。
「しかし、海底原人たちの決定に納得しない原人たちもいたのよ。人類との共生を計ろうという。それらの海底原人たちは深海の生活を捨て地上に進出した。その場所が今の南米の山岳地帯にあるのね。そこで海底原人たちは超古代マヤ帝国を作り上げたの。海底原人の帝国はゴモラと呼ばれているのよ。わたしたちはいずれどんな方法かわからないけど海底原人に滅ぼされてしまうのよ。そう、わたしたちは皆、死んでしまうの」
壁によりかかりながら、その話を聞いていたまみりと石川だった。石川はうっとりとしたように目を半ば閉じて矢口まみりの胸に手をまわした。
石川りか「わたしたち死んでしまうの」
石川りかは矢口まみりの胸に顔を当てながらまみりの顔を陶酔した表情で見上げた。
矢口まみり「そんなことはないなり。たとえ、地球が滅びても、まみりがりかのことを守ってあげるなり」
石川りか「うれしいわ。まみり。キスして」(レズねた)
「嘘だ。そんなことうそっぱちだ。とにかく、矢口、石川、いつまでも抱き合っているんだ。離れろ。離れるんだ」
隅に固まっていた村野武則先生が大声を上げた。
「はるら先生。村野先生は黒魔術を信じていないなり」
「井川先生、今の話は先生の作り話なんでしょう。常識のある人間だったらそんな話、信じられませんよ」
「先生、少なくとも、わたしたちの話は本当です。まみりも見たんだから。ねえ。まみり。絶対、新垣は怪しいわよ」
「そうなり。自分の学園の生徒のことを信じないなりか」
そこで四人はハロハロ学園の自分たちの教室に行くことにする。少なくとも、新垣が超古代マヤ語で机の上に落書きを書いていることは明らかになる。さすがに探偵高橋愛が通学路に使っている墓場の道は通る気がしない。駅の道を通ってハロハロ学園に着いた。夜の闇の中にハロハロ学園の校舎は威厳を保って建っている。校門には鍵がかかっていなかった。まみりにはこの校舎が悪魔の住みかのように見えた。
「この校庭のどこかでクストー博士が寝ているなんて信じることが出来ないよ」
村野先生が呟いた。校舎の裏口に行くと鍵がかかっている。用務員室の入り口のドアを叩くとジャガイモも叩いて作ったような用務員の顔面乱打右衛門が出てきた。
「これは村野先生に井川先生、こんな夜中になんですか」
ランプを照らしながら老人が気味の悪い顔を出した。
「馬鹿組の中に大事な忘れ物をしてね。どうしても取りに行かなくてはならないんだ」
「忘れ物ですか。くくくくく」
用務員はまた薄気味悪く笑った。
「どうぞ、上がってください。夜中に電気をつけることは理事長から禁止されていましてね。このランプで我慢してください。くくくくく」
井川先生よりもこの用務員の方が黒魔術をしているような気がする。
「まみり、気味が悪いわ」
「しっ、りか、聞こえるなり。怖かったらオイラの手を握るなり」(男役)
井川先生は無言で最後尾についてくる。まみりはもしかしたら、この用務員は悪魔ではるら先生は悪魔の手先でまみりたち三人を悪魔の儀式の生け贄のために騙してつれて来ているのではないかと思った。
そう思うとまみりも怖かった。石川の情緒不安定を笑うことも出来ない。
「あのきみは」
村野先生の声も震えている。
「きみはハロハロ学園の創立当時からここにいるんだろう」
「はい、理事長のお引き立てで」
「新垣という生徒を知っているかい。ずっとここの生徒なんだけどね。卒業もせずにここにいるんだ」
「知っていますよ。けけけけけ。興奮すると顔中、手足中に蜘蛛みたいな毛が生えてくる女の子でございましょう。けけけけけ」
「そうだよ。でも、なんで卒業もせずにハロハロ学園に居着いているんだい」
そんな話を用務員は聞いていないようだった。
「馬鹿組の教室に着いたでございますよ。けけけけけ。ランプはふたつありますからな。ひとつお貸ししましょう。気の済むまでお探しください」
用務員は長い廊下の闇の中に消えて行った。「矢口くんが嘘を言っていないことがわかるなり。新垣は落書きをいっぱい書いているなり。あいつは超古代マヤ人なり」
矢口まみりは教室に着くと一目散に新垣の机に向かった。相方の石川もそのあとに着いて行った。
「まみり、死ぬときはふたり一緒よ。まみり一人を死なせないわ」
石川がまた頓珍漢なことを言った。
「あっ」
闇の中でまみりの大きな叫び声が聞こえる。「矢口、どうしたんだ」
村野先生もランプを持って走って行った。まみりはいつも新垣が座っている机を見つけだした。
「きれいなり」
「きれいだわ」
「何も書いてないじゃないか」
「ふふふふふふふふふふ」
勝利したように井川はるら先生の高らかな笑い声が聞こえる。
「ふははははははは。黒魔術に無知な人たちはこれだから困るわ」
はるら先生はスカートのひだ中から野球のグローブぐらいの蝦蟇ガエルを取り出した。そして机の上にその蝦蟇ガエルをなすりつけた。蝦蟇ガエルは苦しがって体液を新垣の机の上になすりつけた。
「生徒の机にあんなことをしているなり」
「あれでも教師なりか」
ぐったりした蝦蟇がえるを捨てると井川先生は机の上を指さした。
 すると机の表面が波打ち、教室のどこからか、苦しそうなうめき声が聞こえる。そしてその声は三百六十度、教室のあちこちから聞こえる。
「まみり、きもい。あれを見て」
「うううう」
村野先生もうめいた。机の表面に毛だらけの新垣の顔が浮かび出てにたにたと笑っているのである。
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第二十回
机の表面に浮かび出た新垣の顔は文字どおり悪魔にとりつかれた顔だった。目は赤く血走り、顔中が毛だらけだった。しかし、その顔はレリーフのようになっていて机の表面から飛び出すことはない。それから新垣は口を開くと赤い舌をペロペロと出した。そして新垣の顔が消えて今度はまたわけのわからない文字が机の表に現れた。
「これは、これは」
井川はるら先生はその机の表面に書かれた文字を見つめた。
「超古代マヤ文字だわ」
「なんて書いてあるんですか。先生」
石川りかが不安を顔中に浮かべて曲げた人差し指を唇のあたりに持って来た。
「わからないわ」
机の表面には次から次へといろいろな超古代マヤ文字が浮かんでは消えて行く。そして文字が消えたかと思うと今度は毛だらけな顔がふたつ浮かび出た。
「今度は新垣がふたり」
チャーミー石川が甲高い悲鳴を上げる。
「よく、見るなり。新垣によく似ているど違うなり。これは新垣ではないなり」
机の表面では新垣によく似たげじげじの蜘蛛のような顔がやはりにたにたと笑っている。矢口まみりは大きな登山ナイフをとりだすとその顔をナイフで刺そうとした。
「やめなさい。まみりちゃん。そんなことをしても効果はないわ。新垣は黒魔術も白魔術の両方のらち外の生き物よ」
「そうだ。俺は生徒の机にそんなことをすることは許さない」
村野武則先生も全く意味不明なことを言った。
「そんなことを言っていたら、悪魔が新垣のコピーが増殖するなり」
まみりが絶叫すると今度はそのふたつの顔も消えて、誰も揺らしていないのに新垣の机だけがぐらぐらと揺れ、また悪魔のような叫び声が誰もいない教室のあちこちから聞こえる。そのとき鶏の朝を告げる鳴き声が聞こえた。すると机はまた静まった。誰かが校舎の中の電源を入れたのか教室の中がぱっと明るくなった。
教室の入り口のところであの不気味な用務員がテープレコーダーを持ちながら立っている。
「また、あの化け物が出たんでごぜぇますかな」
用務員は無表情だった。
「この鶏の鳴き声を聞かせると収まるんでごぜぇますよ。けけけけけけ」
用務員は自分の指でテープレコーダーを指し示した。
村野先生は憤って用務員のそばに行くと喰ってかかった。
「君、こんなことが夜な夜な起こっているんだったら、なんで学校に報告しないんだ」
「おかど違いでごぜぇますな。理事長が報告しないでいいと仰ったんで。けけけけけけけ」
用務員は薄気味悪く笑う。
「やめて。やめて」
教室の隅で女がしゃがみ込んで耳をふさいでいる。思わず、まみりはその女のそばに行った。女はやはり半狂乱である。
「安心するなり。新垣はここにはいないなり」
「やだ。やだ。まみり。わたしはこんなところ、やめてやる。ここは学園なんかじゃないわ」
石川りかは絶叫した。
「ここはハロハロ学園なんかじゃない。ここは、ここは、妖怪、妖怪学園じゃないの」
石川りかはあまりのショックのために耳を押さえると泣きじゃくりながら、しゃがみ込んだ。
 しかし、このような珍奇な現象はこれだけで収まらなかったのである。
 警視庁捜査一課、王沙汰春警部は警視庁内部の休憩室で大きなソファーに腰掛けながら新聞を読んでいた。そこ捜査二課の同期の警部が入って来た。
「世の中、だいぶ、変なことになっていますな。今朝の新聞を読みましたか。おお、読んでいましたか。隠密怪獣王の事件も解決しないというのにね」
ここで王沙汰春警部がぴくりと眉を動かしたので、同期の警部は王警部が隠密怪獣王の事件を担当していたということを思い出した。王警部はその警部の方を振り返る。
「隠密怪獣王の方はなかなか良い情報があるんで解決も近いかも知れませんよ」
王はそう答えたものの、何の有力な情報も得られはしなかった。しかし、あの事件のとき、隠密怪獣王と戦ったのは何者であったのだろうかという疑問は常に残っていた。あの巨大ロボットのことである。あの発明家、つんくパパもそのことを言わない。隠密怪獣王と巨大ロボが戦ったとき、海中の中で何かが起こったことを期待していた。あの事件のとき、あの時間ではもしかしたら、海中に作業船がいたり、潜水夫が何か作業をしていたのではないかと期待していた。もし、そうならもっと情報が得られるのである。
「人類の誕生する前に古代文明が存在していたというじゃないですか」
「何がですか」
「王さんが読んでいる新聞ですよ」
「ああ、これですか」
王沙汰春もこの新聞の記事を信用することは出来なかった。新聞の発信地は南米のアンデス山中の中である。
「信じられませんね」
「同感です」
新聞によると、一般紙であったが、南米のアンデス山中でインカ文明の研究者が偶然にも地中の発掘作業をやっていると吸血鬼の棺のようなふたつの材質のわからない棺を発見した。それを大学の研究室に運び調査を続けていた。そして蓋をあけたところ、手も足も毛だらけの人間らしい生物が入っていた。蓋を開けた時点で生きているようだったが、蓋を開けてから二分五十秒後にこのふたつの生物は目を覚まし、かってに棺から出て来て言語らしいものを話し始めた。その言葉というものも全くわからない言葉だったが、その国に超古代マヤ文明の研究者というのがいて、当時、それは全く信じられなかったが、名乗り出て研究室にやって来た。そしてこのふたつの生物の話す言葉を翻訳し始めたのである。そして信じられないことだが、その生物のいうことには、自分たちは数十億年前に栄えた超古代マヤ文明人である。そして日本という国のハロハロ学園というところに自分の娘がいるから会いに行きたいという話だった。
「超古代マヤ人ってどんな顔をしているんですか」
この話をまだ信じられない王沙汰春警部は当然の疑問を口に出した。
「顔中、手足も毛だらけらしいですよ。そして顔はインカ人、いや、日本人に似ているという噂です。ほら、そろそろワイドショウが始まるので、それが出て来ますよ」
警部は休憩室のテレビのスイッチをつけた。ワイドショーのタイトルが出てくる。
「超古代マヤ人、アンデス山中から出現、日本のハロハロ学園に娘がいるから会いに行かせろと要求」
ブラウン管いっぱいに大きな文字が浮かび出た。そしてそのつぎに顔中、手足中、毛だらけの生き物が映し出され、きょろきょろとカメラのある部屋の中を見回している。そしてカメラがとらえたその顔はハロハロ学園の不良グループの一員、新垣にそっくりなのだった。
「これが超古代マヤ人なのか」
「そのようですね」
この時点で王沙汰春警部は自分にこの超古代マヤ人は関係のない存在だと思っていたのだ。そのとき休憩室のドアが叩かれ、部下の刑事が顔を出した。
「王警部、警視総監が呼んでいます」
王沙汰春警部は警視総監の部屋をノックした。この部屋に入るのは大昔、警部に昇格するとき、辞令を貰いに行った大昔に一度だけだった。
ドアを開けると警視総監がいきなり言った。
「君が隠密怪獣王の事件を担当している王沙汰春くんか」
警視総監の横には大阪の南にあるホストクラブのホストみたいな男が立っている。
「王警部、ここにいるのがエフビーアイから派遣された日系二世の新庄芋くんだ。独自に隠密怪獣王の事件を捜査するためにやってきた」
王沙汰春警部はあからさまな敵意をこのホストみたいな男に抱いた。
「隠密怪獣王事件は日本の事件ですよ。こんな安ホストクラブのホストみたいなのが日本くんだりまでわざわざやって来て、何をするというんですか」
「王さん、あなたの認識は甘いデス。隠密怪獣王は人類の敵デス。エフビーアイには独自の捜査力がアリマアス。ワタシ、隠密怪獣王、トラエマアス」
王沙汰春はこのホストみたいな男に敵意を感じた。敵意と言えば、ハロハロ学園も敵意があふれていた。新垣の机のまわりに不良グループがたむろしている。新垣を取り囲むようにしている。
「まみり、飯田たちが新垣を取り囲んでいるわよ」
石川りかは何事もないように旅行ガイドを身ながら、横目で不良グループの方を見ていた。「新垣だって、不良グループじゃないなりか」
「まみり、知らないの。新垣って人間じゃないんだって。超古代マヤ人なんだって。ニュースを見なかったの」
「そんなこと知っているなり」
「それでわかったわ。新垣のまわりに変なことがたくさん起きるのも。新垣の机を生体反応を調べたらあの机は生物だとい結論が出たそうよ。ほらほら、飯田のいじめが始まるわよ」
石川りかが本のあいだから盗み見た。
「おらおら」
不良グループのリーダー飯田かおりは箒の竹の杖を使って机にへばりついている新垣の頭をこづいていた。
新垣は富士壺や磯巾着が岩にへばりつくように机にへばりついている。
飯田は机にへばりついている新垣をはがそうと竹の箒でごりごりとやった。新垣は超古代マヤ語で何かぽつりと言うと悲しそうな目をして不良たちを見つめた。
「飯田のいじめは陰湿ね」
隣の席に座っているまみりに話し掛ける。
「ああやって市井さやかをいびり出したのよ。あの悲しそうな目を見るのは二度目だわ」
「お前、人間じゃないんだってな。超古代マヤ人なんだってな」
加護愛がよたって新垣に侮蔑の言葉を浴びせた。
「まみり、このままじゃ、新垣がいびり殺されてしまうわ。あのまみりの親戚の女の子を呼んであげましょうよ」
矢口まみりは無言だった。矢口まみりは新垣に対して複雑な気持ちを持っている。松井くんとただ一人、同じ筆箱を持っている女。ゴジラ松井くんが新垣に対して特別に優しく接している場面を何度も見ている。
「ゴジラ松井くん、なんで新垣に優しくしているなり」
矢口まみりは何度も煩悶した。ゴジラ松井くんと新垣のあいだに何か秘密があったら。
「そのときは、そのときは、まみりは・・・・・・・・」
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 まみりが新垣とゴジラ松井くんとの関係において煩悶しているあいだも飯田の執拗ないじめはやまなかった。身長九十センチの新垣はあの不気味な机の両はじに指をかけ、飯田が箒の柄で頭をごりごりと押しても首の筋肉でその攻撃をよけたり、箒の柄をやり過ごしたりした。
 新垣の目からは下等生物のくせに涙がにじんでいる。そのときバンと机を叩く音が聞こえて
「やめろよ。きみたち」
と清冽な声がして、身長一メートル九十の野球のユニフォームを着た好青年が立ち上がった。つかつかとゴジラ松井くんはそのいじめの現場の中心に分け入って行き、新垣のそばにその長身を折り曲げると耳をそばに近づけた。すると新垣は超古代マヤ語をボソボソと言った。ゴジラ松井くんは新垣の身体を両足の膝の裏を持って向こう向きに抱きかかえると三階の教室の窓際につれて行った。新垣のパンツは丸見えだった。ゴジラ松井くんが新垣を抱きかかえているその格好は便所が見つからない親が小さな子供がおしっこがしたいと言ったとき、道のはじっこのところでそうした格好でおしっこをさせるのと同じだった。ゴジラ松井くんは校庭に面した窓際で新垣のパンツを脱がせると新垣は校庭に向けて放尿を始める、そのおしっこは放物線を描いて、校庭の土の中に吸い込まれていく、おしっこの途切れた新垣はゴジラ松井くんと顔を見合わせるとにやりとした。ゴジラ松井くんもにやりとした。その一部始終を矢口まみりは見ていた。
「きみたち、いいかげんにしろよ」
三階の窓ガラスのふちに新垣を座らせながらゴジラ松井くんが言ったときだった。新垣はバランスをくずして十メートル下の校庭に落下していった。
「あっ」
ゴジラ松井くんは叫んだ。振り向いたゴジラ松井くんのその腕にはエメラルド色の鱗が光り、するすると伸びて行くと新垣をつかんでまた教室の中におろした。しかし、教室の中にいた生徒たちには死角になっていたので何が起こったのかわからない。落ちて行く新垣をゴジラ松井くんが救ったということしかわからなかった。
「きみたち、何をしているんだ」
ゴジラ松井くんに怒られた飯田はすっかりと悪びれた様子で言い訳をする。
「井川はるら先生から、頼まれたんだよ。新垣の机を悪魔コレクションに加えたいんだってよ」飯田の目には明らかに恨みの感情がこもっている。それはゴジラ松井くんへの愛を拒否された恨みである。しかし、その現象においてはもっと深刻な女の子もこの教室の中にいるのだが。ゴジラ松井くんはまた新垣のそばに顔を近づけると同意を得たようだ。
「新垣くんはその机を持って行ってもいいと言っているよ」
ゴジラ松井くんは言った。
 「ねえ、ねえ、まみり。見た、見た。ゴジラ松井くんもあんまりじゃない。まみりも飯田もゴジラ松井くんのことが好きだって知っているのかしら。あの新垣に対する態度はなんなのよ」
ランチのいちご牛乳を飲みながらプアー石川が感情を押し殺している矢口まみりに話し掛けた。するとバチンという音がして牛乳が吹き上がった。まみりがガラスの牛乳瓶を握りつぶした音である。
「石川、今夜、決行するなり」
「まみり、決行するって何をするつもりよ」
「石川、協力してくれるなりなりね」
「まみりがそう言うなら、そうするけど。でも、お金のかかることはだめよ」
「お金なんてかからないなり。低予算で出来るなり」
矢口まみりがあの発明一家の家に戻ると実験室でつんくパパは金色の大小いくつもの金属製の筒に囲まれて実験に励んでいた。金属製の筒にはいくつもメーターがついていて筒の側面には手を差し込める穴が開いていて、中にはまみりにはわからない機械がたくさん詰まっている。ときどき、筒の横に開いている管から蒸気らしいものが出てくる。つんくパパの横では老猿のダンデスピーク矢口がバインダーに挟んだ紙に実験記録を書いている。
「つんくパパ、出かけてくるなり」
「まみり、今、何時だと思っているんだ。夜中の一時だよ」
「夜中だからいいなり。パパ、理科の宿題があるんだなり、やっておいて欲しいなり」
「まみり、宿題は自分でやりなさい」
「時間がないなり」
まみりはいつもパパは発明家のくせになぜまみりの理科の宿題が出来ないんだろうと思う。しかし、夜が明けると宿題をやって置いてくれてはいるのだが。
「つんくパパ、水戸納豆は冷蔵庫の中にあったかなり」
「藁で包んであるやつやろう。まみり。あったがな」
「つんくパパ、それで安心したなり」
「まみり、今日の昼間、王警部が来たんや。あの警部には気をつけるんやで」
「なんでなり」
「警部はスーパーロボ矢口まみり二号に関心を持っているみたいや。あのロボを使って隠密怪獣王を捕まえるつもりや。でも、まみり、あのロボはまみりのボディガード用にパパが作ったんだから、まみりとは関係ないと思わせるんやで」
玄関のチャイムが鳴って玄関の防犯カメラにミザリー石川の顔が映った。
「まみり、来たわよ」
まみりは冷蔵庫の中から水戸納豆を二個取り出すと玄関で待っているトワイライト石川のところに行った。
「まみり、こんな夜中にどこに行くの」
「丑密山へ行くなり」
「ええ、あんなところに行くの」
フアーガソン石川は驚愕の声を上げた。
「あそこには行ってはいけないという話じゃないの」
「石川が行かないなら、まみり、ひとりで行くなり」
矢口まみりはひとりすたすたと歩き出した。
「まみりが行くなら、わたしも行く」
丑密山の鬱蒼とした石段をあがりながら、がちゃがちゃと音を立てているまみりの持ち物に石川は気が気でない。丑密山の中腹のあたりに来たとき、ハロハロ学園の校庭が眼下に見えた。
「まみり、提灯がゆらゆら揺れているわ。ハロハロ学園の中に誰かが尋ねて行っているんじゃない」
矢口まみりも足を停めた。
「まみり、あいつよ。探偵高橋よ」
「たしかに、探偵高橋なり」
小さく見えるが提灯の明かりに照らされた顔は確かに探偵高橋である。こんな夜中に探偵高橋はなぜハロハロ学園に行くのであろうか。
「そんなことは関係ないなり」
またまみりは丑密山の中を歩いて行った。そして誰もここには来ないという丑密山の頂上にある神社まで来た。
「ここには用はないなり」
青白い顔をしたまみりの顔はまるでおしろいを塗ったようである。
テラー石川がさかんにまみりに話し掛けるがまみりは答えず神社の裏の方にずんずん歩いて行く。神社の裏には杉木立が控えている。その中の不気味なかたちをした二本の杉にまみりは目をつけた。
「ここでいいなり」
まみりは不気味ににやりと笑って背負っていた風呂敷包みを地面の下におろした。ばらけた包みの中には木槌に五寸釘、それに水戸納豆がそれぞれふたつづつ入っている。
「まみり、まさか、ここで呪いの儀式を」
「そうなり」
「でも、なんでふたつも」
「石川、お前も協力するなり。ふたりでやれば呪いの力も二倍になるなり」
「誰を呪うのよ」
「新垣なり」
「まみり、協力するわ」
貧乏石川も新垣を憎んでいた。貧乏石川もゴジラ松井くんのことが好きだったのである。それをあの教室でゴジラ松井くんと新垣のぶっとい、何本ものしっかりとつながれた絆を見てしまったのである。ゴジラ松井くんへの思慕の念が新垣への憎悪や怨念に変わるのも当然だった。まみりは藁で包まれた二個の水戸納豆を取り出した。それに藁きびで手と足と頭をつけた。そして半紙で新垣りさと書いた紙を付けた。
「石川、はじめるなり」
まみりはぎろりとした目で石川のほうを見た。テラー石川もまた片手に木槌、片手に水戸納豆を握っていた。水戸納豆を杉の木に押しつけながら右手に持った五寸釘を新垣の水戸納豆に突き刺した。
「死ぬなり。新垣」
「死ね。新垣」
カーン、カーン、五寸釘を打ちつける音が森閑とした漆黒の闇の中に響く。まみりが木槌を打つと藁の中の水戸納豆が一粒落ちた。たらりと糸を引いて。
「新垣の内蔵が出て来たわよ。まみり~~~~」
クレージー石川が手を叩いて喜ぶ。がんばり屋のまみりは鼻孔を広げて、鼻の穴から息を出した。
「こんなものでは気がすまないなり」
まみりはその呪いの水戸納豆の前の方へ行き、助走距離を取ると突然走り出した。
「ドロップキ~~~~~ク」
まみりの揃えた両足は空中を浮遊して新垣の藁人形に命中した。すると中の納豆が糸を引きながら空中に飛散した。
「まみり、やったわよ。新垣の内蔵が全部、出ちゃった」
石川はまたパチパチと手を打った。
がんばり屋のまみりはまた肩で息をしている。そのとき、杉の木の陰からにゅっと顔を出した男がいる。
「殺したいほど、憎んでいる人間がいるみたいじゃないか。なんなら、警察が協力してあげてもいいんだよ」
「人に見られていたら、呪いが効かないなり」
「法律に基づいて行動を起こせばいい」
「なんで、いつもついて来るなり」
「君はあの隠密怪獣王と戦ったロボットの正体を知っているんだろう。警察に協力して欲しい。あの隠密怪獣王を倒せるのはあのロボットしかいない」
「矢口くんはなんの関係もないなり。あのロボットを誰が作ったかなんて知らないなり」
杉の大木の影から身を出したのは王沙汰春警部だった。
 しかし、まみりたちが呪いの儀式をやっているあいだハロハロ学園を尋ねたのはやはり探偵高橋愛だったのだろうか。しかし事実はそのとおりである。探偵高橋愛は井川はるら先生の黒魔術の部屋を尋ねたのである。あの気味悪い魔術の部屋をである。探偵高橋愛は入り口のドアの髑髏の呼び鈴を叩いた。
「お入りなさい」
ドアが静かに開くと水晶球を睨みながら井川はるら先生がこちらを向いた。
「あなたがここに来ることはわかっていたわ」
井川はるら先生が薄気味悪くにやりと笑った。
「先生、なんで、まみりばかり可愛がるんですか。先生、前から、わたしは先生のことが」
探偵高橋愛が井川はるら先生のところに行くとはるら先生は探偵高橋愛の顎のあたりを指で触れた。
「可愛い顎をしているわね」
「先生はこんなふうにしてまみりのことも」
はるら先生の手が飛んで、探偵高橋愛は床に倒れた。
「ふほほほほほほほ。見え透いた手はわたしには通じないわ。あなたが何を考えているかは、わたしにはわかっているのよ。ほほほほほほほほ」
倒れたままの探偵高橋愛は井川はるら先生の顔をじっと見つめた。
「でも、あなたの相談に乗らないこともないわ。あなたが悪魔とこのわたしにすべてを捧げてくれるつもりならね」
探偵高橋愛はこくりと頭を下げる。
「あなたがわたしのことをどのくらい好きになってくれるか、少しづつあなたの願いを叶えてあげるわよ。おほほほほほほ」
そして井川はるら先生は立ち上がるとさっきから変な臭いのしている大釜の方へ歩いて行った。
「こっちにいらっしゃい。これがいもりと墓場の死体から生えてくる人面草をすりつぶした粉末よ。これを大釜の中に入れると」
はるら先生がその粉を大釜の中に入れると変な煙が立ち上がった。その煙のかたちは本当に奇妙だった。
「ふふふふ、わかったわ。すべての鍵は新垣にあるわ。新垣を殺すような危険な目に会わすとき、隠密怪獣王は現れるはずよ。そのとき、隠密怪獣王を殺すのよ。ただし、隠密怪獣王はいくつかの姿をしているということを忘れないでね。あるときは高校三年生の姿を、そして、あるときは野球選手の姿を、そしてあるときはエメラルド色をしたイグアナの姿をしているのよ」
この不思議に目を見開いている探偵高橋愛の額に井川先生はそっとキッスをした。
「今日は額にキスをしただけで許してあげるわ」
数時間後、探偵高橋愛の姿は高級ホテルのスウィートルームの中にあった。それもダブルベッドの中にである。この探偵高橋愛という女、ハロハロ学園の不良グループの中に入っていない、真面目グループの中の一員だと見られているが、この女こそ不良の中の不良だったのだ。それも仕方がないというべきか、複雑な家庭環境を持った女の子だったからだ。ふたりの両親は実の親ではなかった。そのことについて詳しく書いているわけにはいかないのだが。
 ダブルベットの中で隣の男がコニャックの入っているグラスを口に運んだ。
「隠密怪獣王は三つの形態を持っているというのデスカア。高校三年生と野球選手の姿とエメラルド色をしたイグアナの姿と」
「あの魔法使いの女はそう言っていたわ。あなたが見たのはどんな形態」
「イグアナの形をしているときデスタ」
「そう」
探偵高橋愛は隣の男の胸毛に指をからんだ。
「それから」
「それからね。まだ、知っていることはたくさん、あるけど教えてあげない、なんて、言うのよ。あの女は意地悪をして」
「まあ、いいデス。隠密怪獣王は始末しマスデス。エフビーアイの名において」
「それから、隠密怪獣王はうちのクラスに新垣という名前の女がいるんだけど。その女の命の危険がせまったとき、現れると言っていたわ」
「ニイガキ。あの超古代マヤ人デスカ。そう言えば、南米の奥地で超古代マヤ人が生き返ったといニュースを聞きマシタ」
「でも、ふたつ問題があるじゃないの。ミスター新庄芋。新垣が命の危険に当たっているという状況を作ってそれがハロハロ学園中に伝わるという手はずをどうやって、整えるの」
「ミーの目を見てください」
エフビーアイ捜査官、日系二世、新庄芋は探偵高橋愛の目をじっと見つめようとした。
「きゃー。やめてよ。あはははは。あなたの催眠術にはかからないわよ」
探偵高橋愛はシーツをはねのけてベッドから出ようとした。高橋愛の胸の突起がちらりと見えた。
「アハハハハ。あなたには催眠術をカケマセン」
「集団催眠術を使うのね」
「ソウデス。でも、隠密怪獣王をどうやって倒すノデス。隠密怪獣王は大変に強い奴デス」
「ミスター新庄芋。ハロハロ学園にも神竜真剣というティラノザウルスをも倒すことの出来る剣の使い手がいるわ。それに秘宝剣、南紀白浜丸を持っている。たとえ、隠密怪獣王だと言ってもあの女の剣の前では敵ではない」
「ダレデス」
「人斬り紺野さんよ」
「これで隠密怪獣王の脅威から人類は救われマス」
「ミスター新庄芋、わたしの願いも聞いてくださるわね」
「アレデスカ」
「全米デビューよ。わたしはもう、高橋愛ではないのよ。ブリトニー高橋愛と呼んでちょうだい」
「でも、何で全米デビユーにこだわるのデスカ。タカハシアイは」
「あなたなんかに、わたしの惨めな子供時代なんか、わからないわよ。わたしの両親は実の両親ではないのよ。モーニング娘なんて単なる踏み台よ。合宿でわたしがどんなにいじめられたか、あなたにはわからないのよ」
次の日、探偵高橋愛は不良グループたちとコンタクトを取っていた。
「それで、いくらくれるんだい。新垣の処刑をもっとも派手にやったら」
「三十五円よ」
その金額を聞いて辻は涙を流して喜んだ。
「そして怪獣が現れるはずよ。その怪獣を殺したら、さらに十五円、上乗せよ」
「本当に五十円、くれるんだろうな」
教室の隅で紺野さんがしゃがんで薫製になったニューギニアのミイラをしゃぶっている。気味が悪かった。新垣は自分が殺されることも知らずに机の上でチョロ急を走らせている。
「まみり、探偵高橋愛が不良グループと話しているわよ。探偵高橋愛は不良グループの仲間になったのかしら」
「石川、そんなことは関係ないなり。ほら、加護がこっちの方を睨んだなり、目を会わせないようにした方がいいなり」
矢口まみりも石川りかもこの札付きたちが新垣、殺害計画を立てていようとは想像もつかなかった。
 「まみり、学校へ行こう」
貧乏石川がまみりの家に呼びに来た。
「まみり、お友達が呼びに来たよ」
「お弁当を詰めているなり。待ってもらうなり」
「まみり、早くしなさい。お友達を待たせてどうするんや」
「つんくパパ、ししゃもがうまく弁当箱の中に入らないなり」
「そんなの簡単やろう。ふたつに折り曲げればいのやろう」
「待たせたなり。石川」
いつものようにまみりとチャーミー石川がハロハロ学園の校門の前に行くと校内には異常な雰囲気が漂っている。
 実は遅刻して来た矢口まみりとチャーミー石川には影響がなかったのだが、エフビーアイ捜査官、日系二世、新庄芋が校内の放送施設を使って集団催眠を全校生徒と職員のすべてにかけていた。いや、正しく言えばそれは違う。不良グループたち、そして探偵高橋愛、黒魔術師、井川はるら先生を除いてである。校門のところで石川が悲鳴を上げた。校庭の真ん中に巨大なやぐらが組まれて新垣がぐるぐる巻きにされて頭上高くつり下げられていたのである。新垣の真下には乾燥したくぬぎの木がたくさん積まれている。日系二世、新庄芋が校内の人間に対してどんな催眠をかけていたかというと自分たちは古代人で祭りをしているという仮定である。そして祭りのクライマックスとして黒豚の薫製を作るという行事が待っている。さらに新庄芋の催眠術の巧妙なところは新垣と神に供える生け贄の黒豚がイコールで結べるように暗示をかけているところだった。つり下げられた新垣は無力な山羊のように空中でゆらゆらと揺られながら助けてくれる者もないと観念して悲痛な表情をしている。
「ひど~~~~い。みんなで新垣を蒸し焼きにして食べちゃうつもりよ。ほら、全校生徒たちがたき火のまわりで狂気の踊りを踊っている。ほら、あの不良グループたちだけが冷静になっている。こんなことを計画したのはあの飯田かおりたちに違いないわ」
探偵高橋愛は三階の教室からこの様子を眺めていた。
「ふふふ、これでわたしの全米デビューは決まるわ。モーニング娘の連中、随分、わたしのことをいじめてくれたわよね。もう、高橋愛なんて言わせないわ。ブリトニー高橋愛とわたしのことを呼ぶのよ。ふははははははは」
探偵高橋愛はこの世界を支配したように高らかに豪傑笑いをした。
 神流真剣の使い手、紺野さんだけは悲しみをたたえていた。秘宝剣、南紀白浜丸を抱きながらしゃがんでいる。
 保田がその様子を見た。
「紺野さんはこんなきちがい騒動が嫌いなのね」
「そうじゃないよ」
飯田かおりが否定した。
「泣いているのは、紺野さんだけではない。秘宝剣、南紀白浜丸も泣いているんだよ」
ニューギニア人、直伝の乾燥ミイラの頭を紺野さんはしゃぶっている。
「紺野さんは神流真剣と秘宝剣、南紀白浜丸を使う機会がないのを悲しんでいるのさ。ほら北風がぴゅうぴゅう吹いている。紺野さんのまわりには。ああ、神の域に達した紺野さんの剣のわざは空しく錆びていくんだろうね」
「姉貴、紺野さんの好敵手は現れないでしょうかね」
「もう、出ないだろうね。紺野さんがしゃぶっているミイラの頭、信じられないだろうが、一つは柳生但馬の守のものさ。そしてもうひとつは宮本武蔵のものだよ。おっと、あたいも余計なことばかりしゃべっちゃったかな。そろそろ始めるか。辻、薪に火を点けるんだよ」
「へい、オヤピン」
辻が薪に火を点けた。そのことがわかるのかつり下げられている新垣は苦しそうにくるくるとまわった。
「まみり、大変、新垣が蒸し焼きにされちゃう。でも、ちょっと食べて見たい気がする」
紺野さんは秘宝剣、南紀白浜丸を抱いたまま無表情だった。
「まみり、ほら、見て、新垣が苦しんでいるわ」
そのときである。血をゆするような笑い声がハロハロ学園にこだました。
「石川、あそこを見るなり」
まみりの指さす校舎の屋上には身長三メートルの隠密怪獣王が仁王立ちでこの様子を見つめていたのである。静かで荘厳な雰囲気がハロハロ学園を包んだ。
そして例のパフォーマンスをしたのである。つまり空中に五十五の指文字を三回やると十五メートルの屋上からひとっ飛びに地上に降り立つとつり下げられている新垣のロープを引きちぎり、地上に降ろした。
「石川、行くなり。新垣を助けるなり」
矢口まみりは夢遊病者のような生徒たちのあいだをかきわけると新垣のところに走った。
「まみり、まみりが行くならわたしも行く~~~~~~~」
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「新垣、平気かなり」
まみりが聞いても新垣は虫の息で何も答えなかったが、身の危険を感じたときのあの現象、顔のまわりや手足に体毛がわさわさ生えてくるという、によって新垣の顔は蜘蛛女のようだった。あわてて矢口まみりと石川りかが新垣の身体中に巻いた縄をほどくと、うつろな瞳だった新垣の両眼はぱっと開いて、チャーミー石川の背中に抱きついた。
「キャー」
石川は恐怖のために大声を上げた。新垣の手足の爪は伸びて石川りかのスリムな身体に食い込む。ふりほどこうとすればするほど、新垣の鋭利な爪が石川の身体に食い込んで行った。
「まみりーーー。この気持悪いのをひっぺがして。ひぇ~~~~」
新垣はその言葉が理解出来るのか、ますます爪を立ててきた。
「離れないなり」
まみりが引き離そうとすると新垣の頭が百八十度回転して、薄気味悪くまみりににたにたとして不気味な笑いを投げかけ、新垣の重さは二倍になった。
「重たくなってる~~~~」
白痴(差別用語)石川が悲鳴を上げる。
「そんなことより、石川、見るなり。狂ったハロハロ学園の生徒たちが迫ってくるぅぅぅ。きっと新垣を奪還しようとしているなりぃぃぃぃぃ」
「やだぁ、まみりぃぃぃぃぃ。あいつらの目つきも異常だよ」
「とにかく、逃げるなり」
ゾンビのようになったハロハロ学園の生徒たちが墓場から生き返って追ってくるようだった。しかし、石川が新垣を負ぶったまま走り始めると新垣の重さは軽くなった。石川に負ぶわれた新垣が行く方向を指さす。
「きっと、安全な場所を矢口くんたちに教えているなり。いちかばちか、その方へ行くなり」
まみりは校舎の中に駆け込んだ。三階の誰もいない教室からその様子を見ていた探偵高橋は
「新垣は蒸し焼きにならなかったみたいだね。まあ、いい、隠密怪獣王だけが仕留められれば、わたしの全米デビューは決まるからね。ふはははははは」
探偵高橋愛は豪傑笑いをする。その隠密怪獣王は新垣を蒸し焼きにするために立てられたやぐらの横に立っていた。やぐらの高さと同じ身長、隠密怪獣王の頭は地上五メートルにあった。ゾンビのようになった生徒たちはまみりたちのあとを追って行ったのでその場にはいない。その前には不良グループたちが立っている。
「お前に恨みはないが、十五円のために死んでもらうよ」
飯田かおりはそう言うとしなびたきゅうりを空中に投げ上げた。すると昼日中に電光が走った。数百枚の千切りにされたきゅうりが地上に降りてきた。人斬り紺野さんは秘宝剣をおさめた。そして紺野さんのまわりには北風が吹いた。秘宝剣、南紀白浜丸を使うまでの相手ではあるまい。紺野さんはそう呟くと巨人、隠密怪獣王を見上げた。
 紺野さんは生まれたときから人斬り紺野さんと呼ばれたわけではない。紺野さんは江戸時代の人である。備前藩剣道指南役、紺野紺紺の介の長女として生まれた。紺紺の介には子供が一人しかいず、養子をとることも考えられたが、紺野さんは生まれて三ヶ月にして道場の木刀を手にとると師範代を一撃のもとに撲殺した。この子供は宮本武蔵以来の剣の使い手になると信じられていた。そして紺野さんの剣の精進は続いた。しかし、時代は太平逸楽の道を歩んでいた。備前藩で毎年行われている剣聖、今泉伊勢の守を鎮める儀式が行われなかったとき、紺野さんは怒りに身を震わせた。
「剣の道はますますすたれつつある」
紺野さんはこの儀式を取りやめた城代家老を切り捨てた。そして紺野さんは秘宝剣、紀伊白浜丸とともに国を捨てたのである。そこで武者修行を続け、並み居る武芸者を斬り捨てて行った。紺野さんの敵となるものはいなかった。しかし、紺野さんの心の中には北風が吹きすさんでいた。紺野さんの剣は殺人剣である。相手を殺して自分を生かす剣である。また、紺野さんが武芸者を斬り捨てるたびに剣の世界を支えるものもまた一人いなくなるのであった。
「剣の道は廃れて久しい」
紺野さんは酒に頼るようになった。しかし、死に神のように死を求める紺野さんの剣はますます妖気を帯び、殺人剣と化していったのである。秘宝剣、紀伊白浜丸が敵の身体をかすると相手は倒れた。そこに毒が塗ってあるのではないかと噂が立った。しかし、そこに何の手品もなく、紺野さんと秘宝剣は死に神、そのものとなったのである。
「また、ひとり武芸者が土と化す。しかし、この秘宝剣を使うまでもあるまいに」
紺野さんの表情は今日も暗かった。紺野さんの神の域に達した剣のわざを使うまでの相手に出会うこともなかったからである。紺野さんは気味悪く笑うと剣を一振りした。するとつむじ風が起こって、あのやぐらと校庭の隅にある体育倉庫が斜めに切り落とされ、宙に舞った。紺野さんは当然、あの隠密怪獣王も胴体を真っ二つにされているに違いないと思った。しかし、隠密怪獣王の姿はない。血しぶきも飛ばない。どうしたのだ。剣聖紺野さんは振り返った。すると隠密怪獣王は校舎の方に飛んで行き、校舎の正面を両足で蹴ると横飛びに剣を頭上に掲げ、紺野さんの方に飛んできた。それも幅三十センチ、長さ五メートルもある、斬象剣という象を真っ二つに叩ききる剣でもってである。
 三角飛び
伝説の技である。人斬り紺野さんもこのわざを見るのは初めてであった。紺野さんは秘宝剣を振動させると自分の周囲にバリヤーを張った。隠密怪獣王の剣がそのバリヤーに衝突して雷鳴が届いた。その雷鳴に紺野さん自身も吹き飛ばされた。そして紺野さんは地面に倒され、頬には土がついていた。しかし、紺野さんの表情にはほほえみが起こった。
紺野さんの顔に土が付くなどということは紺野さんが生まれてから初めてのことだった。隠密怪獣王は斬象剣を回転させる。すると渦巻きのような真空の空間が紺野さんの方に飛んで行き紺野さんの髪は逆立った。そのとき、紺野さんの周囲の土はバキューム作用によって宇宙まで運ばれた。
「ふふふふふふ」
紺野さんは笑っている。
「これからが本当の勝負だよ」
紺野さんの秘宝剣、紀伊白浜丸の握りをはずすとそこにはスコップが出てきた。紺野さんの剣は見てくれではない、実戦剣である。剣の歴史の中でこの境地に達しているのは紺野さんしかいない。紺野さんはスコップで地面に穴を掘り始めた。
「オヤピン、紺野さんが地面に穴を掘っていますぜ」
「紺野さんが本気になった」
飯田かおりが恐怖に顔をゆがめた。飯田かおりの背後には恐怖のために朦朧と妖気が立ち上った。
「地遁、水遁、火遁。紺野さんだけがこの三つのわざを自由に扱える」
************************************************************
 紺野さんは地面に穴を掘り始める。温泉が吹き出すように地面から土が吹き上がっている。すぐに紺野さんの姿は地中に消えた。
「オヤピン、紺野さんの姿が消えた。紺野さんは逃げたのか」
辻があほのようにその様子を見て言った。しかし、飯田の額にはふたたびたらりと汗が一筋流れた。そして辻の頭をしばいた。辻の頭にはぺちりと変な音がした。
「ばか、これから紺野さんの殺人ショーがはじまるんだよ。ああ、紺野さんは地中を自分のものにしてしまった」
 新垣を背負ったチャーミー石川と矢口まみりは新庄芋の集団催眠によってゾンビのような生きるくぐつとなったハロハロ学園の暴徒たちに追われて、校舎の中の階段を上へ上へと上がって行った。
「いたいぃぃぃぃぃ~~~~。やだぁぁぁぁ。まみりぃぃぃぃぃ。新垣がわたしの後頭部に噛みついたぁぁぁぁぁ」
「石川、あそこに鉄製の扉が開いているなり。あそこに入れということなり」
まみりと石川がその鉄の扉の中に飛び込み、あわてて鉄のドアを閉め、中から鍵をかけると逃げて行った三人を求めて催眠術に操られている狂った生徒たちが大挙して鉄のドアを拳で叩く。鉄のドアがぼんぼんと音を立てるが壊れそうな様子はない。どうやらこのあやつり人形たちはドアを叩いたり、蹴ったりという単純な動作しか出来ないようだった。しかし、それでもみんなでそれを繰り返しやっているのでどうなるのかわからない。ふたりがしきりにそのことを気に病んでいるのに、毛だらけな顔をした新垣はあらぬ方向を向いたまま、にたにたとしているばかりだった。「あなたたち」
声のする方を見ると探偵高橋愛が立っている。三人は三階まで上がって来ていた。
「探偵高橋、なんでここにいるなり。ハロハロ学園は大変なことになっているなり」
「あなたは集団催眠にかからなかったのね」「きっと、ウサギ小屋の餌当番で誰よりも早く来ていたから、わたしは放送を利用した集団催眠術にかからなかったんだわ。それより、下を見て、巨人が校庭に立っているのよ」
探偵高橋愛が嘘を言っていることはもちろんまみりたちにはわからない。
探偵高橋愛は窓際に行くと、校庭の中で殺人剣、紺野さんの姿を見失ってきょろきょろしている隠密怪獣王の姿を指さした。まみりも新垣を背負ったままのプアー石川も窓際のところに行き、その姿を見た。
「見て、見て、まみり、前に勝ち鬨橋のところで巨大ロボットと戦った怪物があそこに立っているわ」
泥から生まれたような新垣もそれに興味を示して毛だらけな顔の中に爛々と光る瞳を輝かしてその巨人を見つめている。
 まみりはそれが何者なのかわからなかったが、何故か懐かしい気持ちがした。それはあの校庭の中の秘密の深海魚のプールの中であのエメラルド色の巨大な爬虫類に会ったときと同じ気持ちだった。
「まみり、なに、ぼんやりして見つめているのよ。まみりって馬鹿みたい」
現実の生活は貧乏紙風船なのにベルサイユの薔薇を熱読している石川がまみりの前で手を振った。まみりは夢の中の世界から現実に引き戻される気持がした。
「やだぁ、こいつ、よだれをたらしているぅぅぅぅぅぅ」
新垣は石川の背中にへばりついたままよだれをたらしていた。
 校庭の中では土中に剣聖紺野さんの姿を見失った隠密怪獣王があたりの姿を伺っている。隠密怪獣王は五感を研ぎ澄まし、紺野さんの姿を伺っているようだった。そのときである、光る剣が土中から飛び出し、隠密怪獣王の土につけている足の甲のあたりから飛び出し、隠密怪獣王のふくらはぎのあたりをかすめた。隠密怪獣王のふくらはぎから鮮血がほとばしる。隠密怪獣王はその瞬間、飛び上がり、土中に巨人剣を突き刺す、しかし、手応えはなかった。
「オヤピン、あれは」
「紺野さんの秘剣のひとつ、土中剣」
飯田かおりの普通の人よりも大きい目はさらにその恐怖によって見開かれていた。
「紺野さんが土中に隠れた時点でこの勝負は決まってしまっているのさ。紺野さんは土の中を水の中を自由に動きまわるように移動して相手には覚られない、そして土中から敵に対して、剣を突き刺す」
「紺野さんは土遁、火遁、水遁の術を自由に扱うとオヤピンは言っているけど、どういうことなのさ」
「さっき、紺野さんの剣はやわな剣ではないと言ったろう。それはまるで藤本のピンタのようなものなんだ。たとえば暗殺をしようとする相手が釣りが好きである池に来ることがあると紺野さんが聞けば、紺野さんは竹筒で空気抜きを作って呼吸出来るようにして、池の中に何日も潜んで相手が釣りに来るのを待っているのだよ。もちろん、水の中で食事もうんこもするというから驚きじゃないか。そしてある日、相手がボートを漕いで沖の方にこぎ出して来たら、水の中からボートに近づいてボートの底に穴を開けてしまうのさ。それだけじゃない。もっとすごかったのはある大名を斬り殺したときだ。まず、紺野さんはインテリアコーディネーターとしてその城の中に入った。そして大名の寝室を見て、この寝室では開運が出来ないといちゃもんをつけ、工事業者を紹介してやるといい、今度は畳職人になり、畳を取り替えさせた。そしてあらたに運ばれた畳は厚さが五十センチもあったんだよ。大名は天井が低くなったようだと苦情を言ったが、その方が照明効率がいいんだと畳職人になった紺野さんは言い張った。実は厚くなった畳の一枚の中に紺野さんは隠れていたのさ。大名が布団をしいて紺野さんが隠れている畳の上に来るのを何日も待ち続けた。そしてある日、その秘密の畳の上に布団がしかれたのだよ。紺野さんはただ剣を上に突き立てただけだったのさ。大名はいちころだよ」
「じゃあ、紺野さんの土遁の術を破る者はいないのでちゅか」
加護が下唇をつきだして飯田の顔を見上げた。
「オヤピン、見て、見て、あれを」
それは信じられない光景だった。背番号五十五の隠密怪獣王はハロハロ学園の校庭に降り立ったとき、背中にエックスの文字を背負っていた。しかし実は二本の巨大剣をさしたいたのである。
不思議な光景がそこに広がっていた。隠密怪獣王の姿は空中浮遊のマジックのように空中に静止しているではないか。その様子は三階にいる探偵高橋愛たちの目にも映っていた。
「まみり、見て、見て、隠密怪獣王の姿が空中に浮かんでいるよ」
「石川、お前は頭が悪いだけではなく、近眼でもあったのかなり。両手に持った二本の剣で身体を支えているなり。剣のほうは土に刺さっているなりが、身体は空中に浮いているなり」
隠密怪獣王のすごい技である。もうばらしてしまえば隠密怪獣王の正体はゴジラ松井くんなのであったが、ゴジラ松井くんは二本の刀を下に向け、突き刺し、刀の鍔のところを下駄をはくようにしてまたがり、つかの上部を持っている。簡単に言えば、刀を下向きにして、竹馬のようにして乗っているのだ。でも、つかは短いのでゴジラ松井くんは背を丸めて乗りにくそうにしている。そしてこの手製の竹馬で移動しながら校庭の中をぶすぶす刺しているのだ。しかし紺野さんも負けていなかった。土中から剣を飛び出させる。しかし、お互いに相手がどこにいるのか、わからないので、お互いの攻撃はまったくかみ合わなかった。「紺野さん、破れたり」
また、紋白蝶石川が素っ頓狂な言葉をほざいた。そして石川は感動していた。このような名勝負を見るのは、巨人の星で長屋の前で星一徹が打ったガソリンをかけた火だるまのボールを星飛馬が捕球して投げ返したときのようだった。良い子のみなさんはこの漫画を読んだこともないという人もあるので少し詳しく話せば、星一家という貧乏人が花形モータースの御曹司、天才バッター、花形満と対決する物語である。中学生時代にこのふたりの永遠のライバルは出会った。中学生のとき、花形満は殺人ライナーというわざを持っていた。花形の打ったライナーボールを捕球した内野手はグラブをはじき飛ばされて即死してしまうのである。花形と対決する投手、星飛馬は花形の殺人ライナーに殺されてしまうのであろうか。かっての名三塁手、星一徹は貧乏長屋の前で自分の息子に課題を与えた。ボールに布を巻き、ガソリンをかけ、火をつけ、星一徹は言った。これを飛馬、これを花形の殺人ボールだと思うんだ。手を触れたら死ぬぞ。そして火だるまのボールが飛馬のところへ飛んで行った。そしてボールは返球されたのである。一徹は言った。飛馬の姉に対して、お前は大変な弟をもったのだぞ。しかし実態はこうなのだった。火だるまのボールが飛んで来たとき、飛馬は逆立ちをして履いていた下駄の裏でボールを捕球して返球したのだ。アメリカシロヒトリ石川はこの話しに身をふるわせるほど感動した。どこに感動したのかと言うと飛馬のすごいわざではなく、貧乏星一家が花形モータースの御曹司をうち負かすことにあった。ちなみに石川はキンニクマンも好きだった。
「校庭がめちゃくちゃになっちゃうなり。お互いに校庭を耕しているだけなり」
そして地上から攻撃しているだけではだめだと思ったのか、ゴジラ松井くんもものすごいいきおいで校庭を堀はじめ、地中に消えて行った。地中はもごもごと巨大な何者かがうごめき、ビニールハウスが縦横無尽に掘られているように、盛り上がっていた。
そのとき、三階の部屋の中の電話がけたたましく鳴り始めた。
「まみり、わたしがとるわ」
貧乏石川が電話をとると、水道局と名乗る男が出てきた。
「あなた、ハロハロ学園の人、困るんだよね。水道管を破裂させちゃ。道路を走るとき、重量制限というのがあるのを知らないのかい。こっちは水道管の修理工事で大変だよ。運転手に聞いたら、ハロハロ学園の関係者って言うんだからね。ねぇ、聞いているの」
「間違い電話じゃないの。ここは警察よ」
ガチャン、石川は電話を切った。
「まみり、水道局からよ。水道管を破裂させるなって」
「ふたりとも、こっちに来てください」
窓際から外を見ていた探偵高橋愛が校門の方を指さした。バリバリという音がして校門がなぎ倒される音がする。
「まみりちゃ~~~ん」
矢口まみりを呼ぶ声がして黒い蒸気機関車が校門の入り口の中から入って来た。D51という機関車名である。運転席には王沙汰春警部が乗っている。窓から身を乗り出してまみりは叫んだ。
「警部、何で、ハロハロ学園に来たかなり~~~~。それも蒸気機関車に乗って」
「隠密怪獣王が出たんだろう。それにこれは蒸気機関車じゃないんだよ~~~~~。隠密怪獣王を退治する新兵器なんだよ~~~~~。これで地中の隠密怪獣王の堀ったトンネルを埋めて、隠密怪獣王を生き埋めにするんだよ~~~~~~~~」
王沙汰春警部はD51のクランクを接続した。蒸気機関車は校庭を我が者顔で縦横に走る。校庭中に穴ぼこが開いているのはトンネルが陥落している証拠だろう。
「予定に入っていない、邪魔者が出て来たわね」
探偵高橋愛がちぇっと舌打ちをして振り返ると、いつ入って来たのかそこには黒魔術師井川はるら先生が立っていた。
探偵高橋愛は下唇をかみしめた。はるら先生がいつの間にか、この部屋に入ってきたのか、まみりも石川も気づかなかった。
「先生、ハロハロ学園の校庭が畑のようになっていまーす」
「もう、体育の授業は出来ないなり」
「わたしの生物の授業を毎日、受ければいいわ」
「先生、ゾンビたちはこの部屋に侵入して来ないでしょうか」
「平気よ。あと数時間も経てば集団催眠術が解けて、自分たちが何をしていたのだろうとあたりを見渡すに違いないわよ」
「先生、見て見て」
石川が指さす校庭の中にじょじょに気味悪い魚の死体が浮かんでいる。その数もしだいに増えて行った。まみりはもちろん、それが理事長が秘密のプールで飼っている深海魚だということはわかった。何も言わずにはるら先生はまみりのそばに立つと
「見て御覧なさい。三つの侵入者たちがハロハロ学園の中を荒らしているから理事長の張った結界が切れて、あの秘密のプールの中で飼われている深海魚たちも死を迎えているのよ」
理事長の名前が出て来たので庶民石川は耳をそばだてた。石川が無理にまみりとはるら先生の間に入って行こうとするとはるら先生は石川を肘で押し出した。
「ひど~~~~い。はるら先生」
そのときまたしてもハロハロ学園に異変が起こった。ハロハロ学園の上空を黒雲が覆ってハロハロ学園の中だけは昼なのに、夜中のように暗くなってしまったのである。王警部も自分の運転している蒸気機関車を停止させて上空を仰ぎ見る。
「見てください」
いつもは冷静な探偵高橋も校庭の上の空中を指さした。そして石川はひざまずき、両手を合わせて涙を流していた。
校庭の上には十メートルもあろうかと思われる、クストー博士のデスマスクが宙に浮かび、人類の愚行を悲しむように涙を流していたのである。
「クストー博士が泣いていらっしゃる」
黒魔術師井川はるら先生はじっとその御姿を見つめた。祈りを捧げていた石川はケケケケという声を聞き、背中が軽くなるのを感じた。ピョンピョンと飛び跳ねながら新垣が三階の窓のへりに飛び乗ってクストー博士と対話でもするように校庭に面して立った。
 すると黒雲の中から雷鳴がとどろき、突如として激しい雨が降り始めた。雷と雨の両方がハロハロ学園の校庭に降り注いだ。
「クチヤユニラセ、ハロラセヒコミ、マノリスカンテイ、サラレケサルサルケレ、チタテタタテウエ、ユヨヤユユヤキハスカ、・・・・・」
毛だらけの顔をした新垣が雷雨に向かって超古代マヤ語で何か、唱え始めた。それは明らかに魔法の文言に違いなかった。
罪悪感にいつも押しつぶされそうになっている石川はまみりのそばに行くとまみりに抱きついた。
「新垣が呪いの呪文を唱えている~~~~。わたしたち、呪い殺されてしまうわ。まみりが悪いのよ。新垣を呪い殺そうと言ったのはまみりでしょう。わたしはただついて行っただけよ」
「ふたりとも、なにを言っているの。少なくとも、あれは呪いの言葉ではないわ」
「じゃあ、先生。何の言葉なんですか」
「わたしにもわからない」
新垣は雨に打たれながらまだ呪文を唱えている。空中に浮かぶクストー博士のデスマスクも雨にうたれながら満足そうなほほえみを浮かべ、やがて消えて行った。部屋の中にいる四人は気味悪く新垣のまわりに輪を作っている。
「あれを見てください」
探偵高橋が校庭の方をゆびさした。
「どぶネズミよ。どぶネズミ。どぶネズミの大軍よ」
「どぶネズミはお前なり。石川。それにあれはどぶネズミではないなり」
「ひど~~~~~い。まみり」
「そうよ。あれはドブネズミではないわ。あれはモグラよ」
校庭一面を何万匹というモグラが覆い尽くしている。
「新垣が、あのモグラたちを呼んだのよ。やだ~~~~~。もう、いやだあああああ。まみり、ここは人間が通う学校じゃないわよ。化け物たちが通うモンスター学園よ~~~~~~~~」
石川は崩れ落ちるとおいおいと泣き出した。
新垣はまだ窓の縁に仁王立ちになったまま、呪文を唱えている。
「気味が悪いからと言って化け物だとは限らないわ」
はるら先生がぽつりと言った。
「じゃあ、新垣はこのハロハロ学園を救う側なりか。新垣は善玉なりか」
探偵高橋愛は冷ややかにまみりの方を見ている。
 雨に打たれたモグラたちはもぞもぞと動いている。土に潜るもの、蒸気機関車の方に登って行くものいろいろだった。そして蒸気機関車に登って行ったモグラたちは蒸気機関車を囓り始めた。王警部はあわてて蒸気機関車から降りると校舎の方にモグラを踏みつけながら退散していった。鉄を囓り切るモグラなどこれは地上にいるわけがない。これがモグラのかたちをしているがモグラでないことは明らかだろう。やがて、蒸気機関車の方はぼろぼろになっていく。地下の方からは切られて血を流しているモグラが数え切れないほど吹き上がってくる。やがて蒸気機関車はあとかたもなくなった。川の中でピラニヤに襲われた牛のようだった。今度はモグラたちは自分たちの持っているスコップのような手で地面をならしている。新垣の呪文は相変わらず続いている。地面がほぼもとのとおり平らになるとまたクストー博士のデスマスクが空中に現れ、満足そうにほほえんだ。すると新垣はくるりと向きを変えた。まみりが驚いたのは新垣はパンツも履いていず下半身がスッポンポンだったのである。ぱっと窓枠から飛び降りた新垣は閉じられていた鉄のドアを開けるとケケケケケケケと気味悪く笑いながら、正気を取り戻して自分たちが今何をしていたのか、自問自答しているハロハロ学園の生徒たちのあいだをすり抜けてどこかに行ってしまった。
「あなた、どんな、動物に囓られたの」
ハロハロ学園の保健室で保険の先生の安倍なつみが紺野さんの額に綿棒でオキシフルを塗っていた。
「なに、モグラに囓られただって。モグラに囓られるなんてことはないでしょう。どっかで転んで引っ掻いたのよね」
「絶対、モグラに囓られただって。おかしいわね。ゴジラ松井くんも同じことを言っていたわよ。あいつがそのモグラたちを呼び寄せただって。何万というモグラだって。嘘、おっしゃい」
安倍なつみは廊下にあるゴミ箱で給食のパンの残りをあさっている新垣の方を見ながら、否定した。
「ときどき、蜘蛛女に変身することはあっても何万匹ものモグラを自由に操るなんてねぇ。あとは焼酎でも塗っておけば直るって、たくましいのねぇ。あなたは」
保健室から出て行く、紺野さんを見ながら石川がいやねぇという顔をしてまみりの方を見た。
「紺野さん、あんな騒ぎを起こしながら平気で学園に来たわよ。あつかましいったらありゃしないわ。でも、隠密怪獣王って格好いいわねぇ。うちのクラスのゴジラ松井くんとどっちが格好いいかしら」
「ゴジラ松井くんって、もしかしたら」
矢口まみりが心の中に抱いている疑問を口に出そうとすると向こうからゴジラ松井くんがやってくる。やはり、額に紺野さんと同じように絆創膏を貼っている。しかし、どことなく、元気がない。
「来るわよ。来るわよ。松井くんが来るわ」
「来るなり、来るなり」
石川とまみりはひそひそやりながら、にたにたした。しかし、ゴジラ松井くんは無言で行ってしまった。
「ゴジラ松井くん、元気がないみたいじゃない」
「そうなりか」
「そうそう、まみり、あのクストー博士の造った秘密の内庭も昨日の騒ぎですっかり跡形もなくなっちゃったわよね。残念だわ。私も見ておけばよかった。結局、何があったの。まみりは見たんでしょう」
「見なかったなり」
そこへ探偵高橋愛が向こうからやってくる。
「探偵高橋愛、あの壁が壊れていた事件、どんなことだか、わかった。でも、秘密の内庭も壊れてしまっちゃったし、もう、調べることは出来ないわよね」
まみりは知っている、あの夜に現れたエメラルド色の怪物はゴジラ松井くんに違いないと。まみりはそう信じていた。
「あなたたち、こんなところで時間をつぶしていて結構ね。わたし、ちょっと用事があるから失礼ね」
探偵高橋愛はまみりたちにそう言うと廊下のはしへすたすたと歩いて行った。廊下の突き当たりには遺跡が飾ってある棚があって古代人たちの使っていた土器なんかが飾ってある。まみりたちが見ているとそこを右に曲がって行った。
 探偵高橋愛はふたたび、あの気味悪い部屋を尋ねた。髑髏の呼び鈴を押して黒魔術師、井川はるら先生の生物準備室の中に入った。
「肉があって、その中に骨がある。もしかして、この骨の中に肉があったら」
するとはるら先生の持っている髑髏がはるら先生が何もしないのにケタケタと笑った。
「キャア」
探偵高橋愛は思わず悲鳴を上げた。
「あなたのびっくりした顔も可愛いわね。おほほほほほ」
「でも、先生の意地悪。隠密怪獣王についてもっと教えてくれないんだもの。隠密怪獣王はどこに住んでいるんですか」
「意外と身近なところよ」
「えっ、どこ、」
「それは言えないわ」
「どうして」
「どうしてでもよ。そのことを言ったらあなたはここに来なくなるじゃないの。でも、もっといいことを教えてあげるわ。隠密怪獣王はだいぶ弱っているはずよ。隠密怪獣王はある食べ物をいつも食べていないと元気がなくなるの。エネルギー保存の法則ね。そしてその食べ物を供給する場所がひとつなくなったのよ。隠密怪獣王は困っているに違いないわ」
「隠密怪獣王は何を食べているんですか」
「深海魚」
「深海魚」
探偵高橋愛は聞き返した。
「隠密怪獣王は深海魚を食べて育ったのよ。だから、深海魚を食べ続けなければ生きていけない。そして今のように弱っている隠密怪獣王だったら、これで命を奪うことも可能よ」
はるら先生は手の平に何か握っている。
「それを下さいと言うんでしょう。でも、あなたはわたしと悪魔に何をくれるの」
探偵高橋愛は身をこわばらせた。
「この前はあなたの額をくれたわよね」
はるら先生は静かに探偵高橋愛の方に近づいて来た。そして手を握った。はるら先生は膝を曲げると自分の唇を高橋愛の方に近づけた。何か柔らかい感触といい匂いがする。高橋愛の手に冷たいものを握らせるとぱっと身を翻した。
「ふほほほほほほほ。それは銀の弾丸。今のように弱っている隠密怪獣王にそれを打ち込めば隠密怪獣王は死ぬわ」
探偵高橋愛は唇と引き替えに銀の弾丸を手に入れたのである。もちろん、その弾丸には黒魔術の呪文がかけられていた。
 強羅の高級温泉旅館のテラスで安楽椅子に腰掛けながら日系二世、エフビーアイ捜査官新庄芋は風光明媚な景色を愛でていた。そこへ仲居が入って来てお茶を置いた。
「妻はもう来てイマスカ」
「奥様ですか。もう、いらっしゃって、お風呂に入っていらっしゃいますよ。随分と可愛い奥様ですね」
「まだ、十代ナンデス」
新庄芋はニヤニヤした。
「現代板の幼妻といところですわね。おほほほほ」
「それはなんですか。よくワカリマセン。浴室には誰も入って来ませんヨネ」
「借り切りでゴザイマスヨ。景色もよく見える部屋でございますよ。おほほほほほ」
仲居は含み笑いをして出て行った。
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「高橋さん、今、入浴中デスカ。ちょうどヨイデス」
エフビーアイ捜査官、新庄芋はにやにやしながら浴衣を着たまま立ち上がった。焼き杉の壁に囲まれた廊下を通ってプライベート用の浴室の入り口のドアのところに行くとお湯がこぼれる音がして浴室特有の音の反射がしてその音が共鳴している。磨りガラスの向こうの御影石の浴槽の中に白い人影が見える。
「入ってもいいデスカ」
新庄芋がその入り口の引き戸を静かに開けると、透明なお湯の中から髪を上げてかたちの良いうなじの線を露わにしている少女がこちらを向いた。
「いいですわよ。ミスター新庄」
探偵高橋愛は浴槽の中で強羅の景色を愛でながらお湯の中で身体をほぐしていた。新庄芋もその横に腰をおろした。
「いい景色デスネ。高橋愛」
「でも、こんなかたちで連絡を取り合うなんて不自然ですわ」
探偵高橋愛はしばらくお湯につかっていたのでぬるめの温泉だったが、額のあたりに汗がにじんでいる。
「こうしないと外部にわたしたちの密談が知られてシマイマス。これしか方法はありません」
「でも、あなたと合うときはいつもダブルベッドの中か、バスタブの中なんですね」
「これも、仕事上の必要性から出た必然デス。でも、ワタシ、あなたに恋してしまうかもシレマセン。あなたはウツクシイ」
新庄芋の口調はまんざらでもなかった。
「ご冗談を」
探偵高橋愛の方は極めて冷淡だった。肩のあたりの汗が一粒、高橋愛のつるつるした肌の上を滑り落ちて行った。
「随分といやな思いをしながら、あの女から隠密怪獣王の話を聞きだしているんですよ」
「はあ、どんなことをされたんですか」
「言いたくありませんわ。あの魔女のことは」
「でも、残念でした。紺野さんの剣でも隠密怪獣王は倒すことが出来ませんデシタネ。でも、あの女の言うことが本当だということはワカリマシタデス」
「あの女は言いました。きっと、もっといろんなことを知っているに違いありませんわ。隠密怪獣王は深海魚を食べなければ死んでしまうそうです。その深海魚のプールが一つ、なくなったそうです。それで、あの女の言うことには、隠密怪獣王はだいぶ弱っているらしいようです」
「深海魚がパワーの源デスカ。やっぱり、隠密怪獣王は宇宙人かそんなようなものナンデスネ」
「わたしに二十二口径のオートマチックの拳銃をくれませんか」
「ブッソウデスネ。またどうして」
「あの女が黒魔術をかけた銀の弾丸をくれたのです。今のように弱っている隠密怪獣王の身体にこの弾丸をぶち込めば隠密怪獣王は死ぬといいました」
「本当デスカ。州兵が一個師団を持っても退治出来なかった隠密怪獣王デスヨ」
「あの女はそう言いました。それより、わたしの全米デビューの話はどうなるんですか。あの女に気に入られるために随分と嫌な思いをしているんですよ」
「あなたが、隠密怪獣王を始末してくれるなら、モータウンからデビューさせますよ。バッグバンドでヒット間違いなしという実力派グループがあるんです。そこのボーカルをやればいい。そうしたら、高橋愛、あなたはビッグスターの仲間入りスル。間違いナイ。モーニング娘なんて目ジャアリマセン。うわはははははは」
お湯につかっていた高橋愛は思わず、新庄芋に抱きついた。そして新庄芋の胸毛に指をからめた。
「ミスター新庄、あなたの胸毛って ス・テ・キ」
そして高橋愛は野望に胸のうちをめらめらと燃やした。
 全米デビューの野望に燃えてスパイ活動に励んでいる探偵高橋愛がいるかと思えば、初めての軽微の熱病、つまり初恋に自分の身の置き所をなくしてただおろおろしているカナリヤもハロハロ学園にはいた。
「わたしはどうしたなり。自分自身、おかしいなり。なんでこんなにおかしくなっちゃったなり。みんなゴジラ松井くんが悪いなり。たぬき蕎麦に七味をちょっとかけるつもりが一瓶かけてしまったり、窓の外のアカシヤの木に見とれて二駅も乗り過ごしてしまったのもみんなゴジラ松井くんのためなり。好きなり。ゴジラ松井くんcc。まみりはラブラブなり」
それに誰にも言わないけれど、あの大の仲良しの貧乏石川にも言わなかったことだが、ハロハロ学園の内庭で見た怪物、あのエメラルド色の爬虫類、それが気味の悪い深海魚をばりばりと食べているところを見ながら、まみりはそれがゴジラ松井くんに違いないと思い、ますますとゴジラ松井くんが好きになってしまったのである。まみりは気味の悪いものが好きだった。それが気味の悪い場所で出会ったのだからなおさらだった。この気持を伝えたい。当然の帰結である。
 まみりは校門のところでゴジラ松井くんが来るのを待っていた。朝、まみりはゴジラ松井くんの下駄箱にラブレターを入れて置いたのである。その中身はこんなのだった。
ゴジラ松井くん、ゴキゲン ヨロシイホウでケッコウです。まみりもますますげんきだす。あさは早くきますたです。ウサギ小屋のうーちゃんにえさをたべさせるためだす。うーちゃんはいつも元気だす。にんじんをばりばりばりばり食べるだす。そしてまるまっちいうんこをころころ出します。まみりの趣味は読書だす。毎日、はろはろがくえんには ころころこみっくを持って来ていますだす。ジュギョウチュウニ呼んでいて むらのせんせいにとりあげられますたです。きっと しょくいんしつでよんでいるのダス。ムラリセンセイは死刑だす。まみりはころころこみっくをよんでひとつりこうになりますただす。おなべのおこげをとるほうほうだす。ゴジラ松井くんのおかほさんにもおしえてあげるといいだす。おなべにあぶらをいれてこんろでよくやくといいそうだす。まみりはゴジラ松井くんとおともだちになりたいだす」
まみりは全力を使って身体中の全知識をしぼってこのお手紙を書いた。そして早朝にゴジラ松井くんの下駄箱の中に入れておいたのである。まみりがどきどきしながら校門で待っていると斥候として下駄箱でゴジラ松井くんを待っていた岡っ引き石川が片手の人差し指と親指で丸を作った。まみりの手紙はゴジラ松井くんの手に届いたようだった。どきどきしているまみりの方にゴジラ松井くんと子分石川が一緒に歩いてやってくる。偉人ゴジラ松井くんはまみりの前に立った。フリルスカート石川は今度はまみりの方に並んでたった。
まみりは意を決して言った。
「あの手紙、ゴングール賞はとれますか」
ゴジラ松井くんは即座に首を振った。
「ゴングール賞は無理なようだね」
するとまみりは落胆して首をうなだれた。倒れそうになったまみりを子分石川が支えた。そのあまりの落胆の様子に悪いと思ったのか、ゴジラ松井くんは
「ゴングール賞は無理かも知れないけど、八景島市民文化賞はとれるかも知れませんよ」
と言った。
まみりは一瞬喜んだが、その賞の対象年齢が幼稚園児だということを思い出した。
「あれは幼稚園児が対象なり」
まみりはすねて言った。ゴジラ松井くんは無言だったが、内心、怒っているようだった。そして自分の鞄の中を開けて逆さにすると中からハートの模様の入ったのだとか、ピンク色のだとか、キティちゃんのだとか、封筒が山のように出てきた。すぐに阿呆の石川がその手紙のたばのところに行くとその封筒を拾い上げた。
「まみり、これ、みんなラブレターよ。どれどれ、誰が出したのかしら。飯田、保田、小川、辻、加護、・・・・・、ハロハロ学園中の女の手紙じゃない。イワン・コロフやハンス・シュミットの手紙まであるのはどういうことよ。まみり、どうしたの。聞いているの」
石川りかが手紙の差出人を読んでいるうちにゴジラ松井くんはすたすたと行ってしまった。銅像のように固まっているまみりの前で石川が手を振った。
「まみり、どうしちゃったのよ。まみり~~~。まみり~~~~~~。聞こえているのお」
石川がじっと動かないまみりの顔を見ると、あのいつも強気のまみりの下瞼はほんのりと濡れていた。電柱の影で王沙汰春警部はじっとその様子を見ていた。感情を押し殺してゴジラ松井くんは歩いていた。あたりはほんのりと暗くなっている。川の土手を歩いていると急に呼び止められてゴジラ松井くんははっとした。後ろには王沙汰春警部が立っている。王警部は紙に包んだ大判焼きを持っている。
「そこの角で買ったんだ。きみと一緒に食べようかと思って」
ゴジラ松井くんは王警部と一緒に川の土手に腰掛けた。向こうにはやまなみが墨絵のように見える。川の中の水は焼き物を焼く泥のようだった。ゴジラ松井くんは自分が隠密怪獣王だという疑いを王警部が持っているのか、そうでもなければ隠密怪獣王に関係があると思って自分を呼び止めたのだろうかと疑いを持ち、緊張した。
「警部、この前はハロハロ学園で隠密怪獣王が暴れて大変でしたね」
「D51が一台、新垣の呼び出した悪魔のもぐらに食い尽くされてしまったよ」
「警部が隠密怪獣王と出会ったのはそれが初めてなんですか」
「いや、もう何度も隠密怪獣王には煮え湯を飲まされている。もうすでに十以上の銀行を襲われて、大変な被害を受けているわけだ」
泥棒と逮捕するほう、変な組み合わせだった。
「どういう目的があって隠密怪獣王がそんなことをしているのかわからない。もうすでに百億以上の蓄財をしているのに違いないんだ」
王警部は悔しそうに手元にある雑草をむしると川の方に投げた。
「きっと隠密怪獣王は莫大な資金が必要なんですよ」
「なんで、個人的には十億もあれば一生優雅な生活を送れるだろう」
「家族が多いんじゃないですか」
「家族が多いからって人を殺して金を盗んでいいことはない。日本では幸いなことにまだ誰も殺していないが、アメリカで暴れまくっていたときにはすでに十数人の人間を殺している」
ゴジラ松井くんの顔色が少し曇った。
「実は隠密怪獣王を追ってエフビーアイの捜査官がひとり、来日しているんだ。日系二世で新庄芋という、いけすかない男なんだけどね。ハロハロ学園の新垣を餌にして隠密怪獣王をおびき出したのもあいつのやったことなんだ。部下をあいつに張り付かせている。それで僕もハロハロ学園に向かったということなんだよ」
「警部は隠密怪獣王が新庄につかまると思いますか」
「つかまるのはいいことだが、自分自身で捕まえたいとい気持もある。それで話は変わるんだけど、僕の知り合いで矢口つんくという発明家がいてね。その娘で矢口まみりという女の子がいるんだ。なかなか、元気ないい子なんだよ。どういうわけかその女の子はハロハロ学園に通っているんだ。そしてハロハロ学園には学園中のヒーローでゴジラ松井くんという人気者がいるんだけど、矢口まみりはゴジラ松井くんのことが好きで好きで仕方ないんだ。そして、僕の見たところゴジラ松井くんもその女の子を憎からず思っているようなんだ。今日も矢口まみりがゴジラ松井くんにラブレターを渡すのを見た。しかし、ゴジラ松井くんは彼女の申し出を断った。矢口まみりの目には触れなかったがゴジラ松井くんが苦しそうな表情をしていたのを見たんだ。僕を警視庁の殺人課の刑事だなんて思わないでくれるかい。近所の世話好きのおじさんだと思ってくれればいい。愛のキューピッドを気取りたいけど、キューピットというには年を取りすぎているけどね」
ゴジラ松井くんは無言で王警部の言うことを聞いていた。泥のような川の流れをじっと見つめている。
「ハロハロ学園には確かにヒーローとしてみんなに騒がれているゴジラ松井くんがいます。しかし、彼が本当にヒーローなのか、もしかしたら、彼は隠密怪獣王のように人を何人も殺しているのかも知れない。決してヒーローではないかも知れませんよ」
王警部も無言で川の流れをじっと見ていた。
「僕もこの年になるまでいろいろなことがあった。八百号のホームランを打つまで調子のいいことばかりじゃなかった」
なぜか、一警部が野球談義まではじめていた。
「でも、自分は清らかでつるぴかな人間だという人を信用しないことにしている。人間はそんなに強く、絶対的なものではないと思うからだよ。御覧。あの川の流れを。暗い中で見ているからなおさらだと思うんだけど、まるで泥水が流れているようだね。でも、向こう岸の少し、土手が凹んでいるところがあるだろう。あそこから清水が流れ出しているんだよ。泥水の中に清水が流れ込んでいる。だからこの川の中はただの泥水ではないというわけだ」
ゴジラ松井くんも同じように川の流れを見ていた。
「まみりちゃんが好きなら、まみりちゃんを受け入れてあげてもいいんじゃないかな。僕はいい組み合わせだと思うんだけどな。これも近所の世話好きの隠居のたわごとだと聞き流してくれたまえ」
「警部、いつか本当のことがわかる日が来ると思います」
ゴジラ松井くんはぽつりと言った。
 ゴジラ松井くんは海岸にある断崖絶壁のぼろい小屋の中にいた。あたりには人気もない。割れている窓ガラスを通して月の光が射し込んでくる。するとどうした不思議だろう。ゴジラ松井くんの高校三年生のような学生服は見るまに月の光を受けてエメラルド色に輝いているではないか。そして身体のかたちも変化し始めていた。見るまにゴジラ松井くんはエメラルド色をした巨大な爬虫類に変わっていた。古代の恐竜と化したゴジラ松井くんは人間の言葉も忘れたように月に向かってガオーと吠えた。それから小屋を出ると荒れ狂う眼下の海の中に飛び込んだ。それから海の中にずんずんと潜って行く、さきには奇妙なかたちをした巨大な深海潜水艇が待っている。巨獣と化したゴジラ松井くんが近寄って来たことに気づいて巨大潜水艇のハッチが開かれた。この巨大潜水艇がゴジラ松井くんである隠密怪獣王が矢口まみり二号と戦って負けそうになったとき助け出してくれた船だということはあきらかであろう。あのときの水ぶきれしたような運転席にいた女はやはりまだ運転席にいる。やがて船内に入ったゴジラ松井くんはすっかりと人間の姿になっている。
「おかあさま、帰ってまいりました」
「秀喜、そのおかあさまというのはやめてくれないかい。海の中にいるときは恭子ちゃんと呼んで欲しいわ」
「じゃあ、おかあさま、恭子ちゃんと呼びます。恭子ちゃん。今度はどこの銀行を襲うのですか」
「秀喜、その計画はもう立っているわ。それはいいけど、あのペンダントはどうしたの」「ハロハロ学園のどこかに落としたようですよ」
「まあ、いいだろう。秀喜、あそこに書かれている文句を読める人間が地上にいるわけがないのだから。それより秀喜、あの女の写真をまだ破りすてていないじゃないか。矢口まみりの」
ここで府下田恭子は顔面を蒼白にして怒りだした。
「あの女はわれわれの敵なんだよ。あの父親はわれわれの仲間を捕まえて実験材料にした。われわれが地上に進出したとき、まず真っ先に血祭りにあげるのはあの一家なんだからね」
「でも、母上、あの矢口まみりというのが、そんなに悪いことをやっているとは思えないのですが」
「それが、お前の甘いところなんだよ。あの父親はわれわれの仲間をつかまえてメスで切り刻んだ。相容れない敵なのだ」
ゴジラ松井くんは唇を噛んだ。
「母上、ハロハロ学園の深海魚を養殖しているプールの一つが壊されました。地上ではわたしは大量の深海魚を食べないかぎり生きていくことは出来ません」
「もうすでにまだ深海魚が飼われているプールは調べてあるよ。心配することはない。わたしたちは大きな目的に向かって進んでいるんだからね。こんな娘に惚れるなんてことは絶対にわたくしが許しませんからね」
ゴジラ松井くんはまた巨獣に変身すると海中の中に出て行った。ゴジラ松井くんの口にはすでに深海魚が何匹もくわえられている。
 まみりと石川りかが売店でパンと牛乳を買ってから裏庭の方で食べていると木刀が風を切る音がする。見ると紺野さんが素振りをしているのだった。
「紺野さんは張り切っているなり」
「まわりの人間に永遠のライバルに出会ったと言っているそうよ。酒浸りだった日々からすっかり抜け出して、紺野さんは剣の修行に明け暮れているわ。また、隠密怪獣王に出会う日が楽しみだと吹聴しているって」
まみりは紺野さんが話すのを聞いたことはないが、きっとまわりの人間にそう言っているのだろう。そこから少し離れたところで新垣がシロツメクサを摘んで首飾りを編んでいる。
「なんで、新垣のまわりにあの不良グループたちがいないのなり」
「この前の一件でクストー理事長はすっかりとお怒りになって新垣をいじめた者は即、退学だと言明したそうよ。まみり」
超古代マヤ人の新垣がシロツメクサを編んでいるのは少し変だった。
「まみり、なんか、ゴジラ松井くん、元気がないように見えない」
そう言われれば、たしかにそんな気がする。まみりはあのプールで見た怪獣がゴジラ松井くんに違いないと信じているから、あのプールが壊れたことと、ゴジラ松井くんが元気がないことは関連しているのではないかと思っていたが、それがどういう理由かということは判然としなかった。そのときまみりが内緒でハロハロ学園に持って来ている携帯が鳴り出した。
「まみりちゃん。僕だよ。王沙汰春だよ」
携帯にかかってきた電話は意外にも王警部だった。
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 「王警部、どうしたかなり」
まみりは自分の携帯で王警部に話し掛けているとその声がどんどん大きくなる。そしてまみりとランチ石川の座っているヒマラヤ杉の幹の裏から、携帯をかけながら王警部が現れた。
「王警部、うしろにいるなら、わざわざ携帯で電話をかけてくることもないなり。でも、どうやってこのハロハロ学園の中に入ったなりか」
「わたしも、驚いたわ」
給食王石川もアンパンを囓りながら王警部のほうを振りむいた。
「ふたりとも、これがあれば簡単さ」
王警部は自分の警察手帳をまみりと石川に見せた。王警部もまみりと石川の横に腰掛ける。
「探偵高橋愛がいないみたいだね」
「あの女、最近、モータウンとか、ミュージックティービーとか、そんなことばかり言っているなり」
「それにこの前は強羅の高級温泉旅館に行って来たと言って温泉饅頭を持って来たわ」
貰うものならなんでも貰う石川はあの温泉饅頭の独特の苦みを思い出して、また食べたいと思った。
しかし、そんなことには興味がないという様子で、王沙汰春は少しむずかしそうな顔をした。
「最近、不思議な事件が起こっているのを知っているかい」
「急にそんなことを言われてもわからないなり、矢口くんは警察関係者じゃないなり」
「そうよ。そうよ。まみりの言うとおりだわ」
都内にある深海魚を飼育しているプールがつぎつぎと壊されているんだよ。プールに毒を入れられたり、網で救われた深海魚がアスファルトの道路に放置されたりで、都内から深海魚が姿を消そうとしている」
「都内で深海魚が飼育されているなんて初めて聞いたわ」
石川は知らなくてもまみりはその事実を知っている。ハロハロ学園の内庭で見たものがそれだったのだから。
「それで、この人物を知っているかい」
王警部は服の内ポケットから男の写真を出した。石川はその顔をのぞき込んだ。
「結婚詐欺師みたいじゃないの」
「そうなり」
矢口まみりも同意する。
「誰なりか」
「実は日本人じゃないんだよ。日系二世、新庄芋という男だ」
「警部はこの男を追っているなりか」
「そうだよ。まみりちゃん」
「その深海魚が関係しているプールが壊される前には必ず、この男の影がある」
「じゃあ、この男が深海魚を殺して歩いているんですね。警部」
「そうだろう。でも、何故、この男がそんなことをしているかということだ。実はこの男の身元を僕は知っているのさ」
「何者なり、警部」
「同業者だ。しかし、やり方は僕らとはだいぶ違っている。それに興味のあるのはこの男が現れるときにはいつもハロハロ学園の女子生徒が現れることだ」
新庄芋の写真をしげしげと眺めていた石川はあわてて王沙汰春の顔を見上げた。
「誰、誰なんです。警部」
「探偵高橋愛だ」
「うっそう」
「信じられないなり」
びっくりしたびっくり坊主石川は手に持っていたあんぱんのあんこを地面に落とした。すると新垣が近寄って来てあんこを口に運んだがあまりにもびっくりしていたので矢口まみりも石川もそのことに気づかなかった。しかし、新垣は目に喜びをたたえてあんこを自分の巣に運んだ。
「探偵高橋愛の変化に君たちは気づかなかったかい」
「そう言えば、探偵高橋愛は最近、おかしいなり。ブリトニー高橋愛と呼べと新垣に宣言していたなり」
「探偵高橋愛が悪の道に進まねばいいが」
石川りかはまるで小悪人を見つめる正義の味方のように呟いた。
「理事長のお知らせだよ。理事長のお知らせだよ」
瓦版やの吉沢が声を張り上げてまみりたちの横を通った。
「理事長は深海魚を集めていらっしゃる。深海魚をハロハロ学園に持って来た者にはどんな深海魚だったって三十円を下さるというおふれだよ」
吉沢はちらしをまいていた。
「ここでも深海魚か」
王警部はつぶやいた。
「きみたちに新庄芋のはなしをしたろう。その新庄芋が探偵高橋愛と一緒にある男のところを頻繁に訪れているのだ。その男というのも疑いのある男でね」
「どんなふうに疑いがあるなり」
「墨田の方で釣り堀やをやっていた男なんだが、十年以上前にその釣り堀やも廃業している。そしてその空き地を使って毒蛇だとか毒とかげだとかを飼い始めたのだ。その直後に殺人事件があってね。それには毒蛇の毒が使われていた。警察内部でもその男が関わっていたのではないかという噂が立ったが、証拠もなかったのでその男は網の外に逃げた。何年か前からか大きなステンレス製のタンクを買い込んで、中で何かを飼い始めたらしいんだよ。そのタンクの外側には空気ポンプがつながれていて酸素を送り込めるようになっているんだ」
「あやしいなり」
矢口まみりも同意した。
「その男のところに新庄芋ときみたちの同級生の探偵高橋愛が足繁く訪れているんだよ。それだけじゃない。その男は最近、新聞広告を出しているんだ。深海魚のご用命は当方まで、毒蜘蛛育成園ってね」
「まみり、探偵高橋愛に問いつめなければだめなんじゃない」
「そうなり」
「もし、探偵高橋愛が何かやましいことをしようとしているなら、そんなことをすればかえって逆効果だ。とにかく、毒蜘蛛育成園に行ってみようと思うのだがきみたちも来ないか」
「行くわよ。もちろん」
暇をもてあましている石川りかが答えた。
「矢口くんも行くなり」
「まみり、あれ、ゴジラ松井くんが帰って行くわよ。珍しいじゃないの。クラブ活動もしないで。なんだか、ゴジラ松井くん、疲れているみたい」
校門を出て行く、ゴジラ松井くんを見ながら石川りかがまみりに同意を求めた。
 三人が行った毒蜘蛛育成園は年代物の鉄道の高架をくぐった畑の中にぽつんと雑木の中に囲まれてあった。中に入ると平屋の横に生け簀をコンクリートの蓋でうめたような跡があって、その上にステンレス製の大きな円柱のかたちをしたタンクが横に三本並んで置かれていた。三本とも上の方に潜水艦のハッチのような蓋がついていてそこからタンクの中に出入り出来るようになっているらしかった。
「まみり、気味の悪いところね」
石川りかが毒蜘蛛育成園と書かれた木製の看板を見ながらつぶやいた。
「どんな人間が出入りするか、あそこに建設業者がうち捨てて行った小屋があるから、あそこに隠れて観察しよう」
ふたりは王警部の提案を入れてその小屋の中に入った。三人がその小屋の中で身を潜めて毒蜘蛛育成園の方を伺っていると、入り口のドアのところに人影がにゅうと立った。
「はるら先生」
石川りかが井川はるら先生を見て小さく声を上げた。
「ここにいるととにかく目立つ、中に入ってください」
王警部に言われてはるか先生も作業小屋の中に入った。
「なんで、はるら先生はここにいるんですか」
「わたしの悪魔コレクションのひとつ、月の光投影機を買って行った人間がいるのよ。その人が何をするのかと思って、こに来るのか、わかっているから待っているのよ」
「月の光投影機ってなんなり」
「まみりちゃん、それは月の光と同じ光の粒をふりかけるものなのよ」
「それを買って行ったのは誰なり」
「まみりちゃん、あなたたちのお友達よ。探偵高橋愛なのよ」
「それは奇遇ですな」
王警部も話に参加してきた。
「実はわれわれも探偵高橋愛の行動を監視しているのですよ」
そこで四人はその小屋の中でやはりそこを見張っていることにした。すると一時間くらい経ったところで昼日中だというのに黒装束に身を固めた集団が手にスパナやナット回しを持って現れてあのタンクの上に上がるとあのハッチのようなものを開けようとこころみた。すると平屋の中から百道三太夫みたいな顔をした老人が出て来て、どなりつけた。するとその集団は雲散霧消して畑の方に逃げて行った。畑の方で、今はやばい。夜になって暗くなってから決行しようというような声が聞こえる。それなら喫茶店で夜になるまで時間をつぶそうなどと言っている。そして首領らしい人物が黒頭巾を脱いだ。子分たちも次次と黒頭巾を脱いでいく。驚いたことに首領は飯田だったのだ。保田も小川も辻も加護もいた。そしてその中には剣聖紺野さんもいた。不良グループたちは駅の繁華街の喫茶店にでも行ったようだった。それから小一時間が経った。
「あれを」
井川はるら先生が指さした毒蜘蛛育成園の玄関のところには探偵高橋愛が立っている。そしてその横にはエフビーアイ捜査官、日系二世、新庄芋も立っているではないか。そこで彼らは立ち話をしてから家の中に入って行った。
 数時間が経った頃だろう。畑の方でたき火の煙が上がっている。また見ると黒装束に身を固めた怪盗たちがたき火にあたっている。みんながそれぞれ棒みたいなものを持っていてそのさきにはさつまいもがついていた。怪盗たちは焼き芋を焼いていた。
 あたりが暗くなったあたりでトレンチコートを来て、帽子を深々と被った男がひどく疲れた足取りで毒蜘蛛育成園の玄関を尋ねた。すると中から探偵高橋愛と新庄芋が出て来て二言三言話して、急に探偵高橋愛が懐中電灯のようなものを取り出すと光を当てた。すると、男のトレンチコートはエメラルド色に輝いた。探偵高橋愛は今度はポケットの中から銀色に輝くものを取り出すと男に向けた。男は両手を挙げて降参の意思表示をした。そして探偵高橋愛と新庄芋は男を裏の畑につれて行った。畑のやぶの中では怪盗たちが身を潜めている。四人は小屋を飛び出し、畑の方に行った。
「やめないか。探偵高橋愛、きみはまだ高校生だろう。拳銃をかまえているのは、きみは殺人者になるつもりか」
王警部が大声で叫んだ。騒ぎが起こったので茂みの中から黒装束の集団も出てくる。
「きみたちもくだらないことはやめろ。きみたちが誰かわかっているんだぞ」
黒装束の連中のなかでひとりが頭巾を脱いだ。
「オヤピンがクストー理事長が深海魚を買い上げてくれるから、盗もうと言ったピン」
「加護、余計なことを言うんじゃないよ。でも、正体がばれたみたいだね」
怪盗たちは頭巾を脱いだ。そこにはハロハロ学園の不良グループたちが立っている。剣聖紺野さんも秘宝剣、紀伊白浜丸を背中に背負ったまま立っている。
「誰から何も、言われる筋合いはないよ。実際にはハロハロ、不良団は何もやらなかつたんだからね」
「紺野さんは凶器準備集合罪にとらわれるなり」
まみりはつぶやいた。
「王さん、ソレナラ、探偵高橋愛とわたしはなおさらのことデス」
「民間人がピストルで人間を撃っていいという法律は日本にはない」
王警部が断言した。
「ニンゲン」
「フハハハハハハハ」
新庄芋と探偵高橋愛はこんなにおもしろいことはないというように声高らかに笑った。誘われて石川も笑った。探偵高橋愛はやはりまだ銃を構えている。フロックコートの男は黙ったまま立っている。
探偵高橋愛は男に銀色のコルトを構えたまま王警部の方を向いた。
「この銀のコルトの中にふつうの弾丸がこめられているならこの男もすぐに、このブリトニー高橋愛に飛びかかってくるわ。でも、この中にははるら先生が呪いの術をかけた銀の弾丸が入っている」
探偵高橋愛は拳銃を構えたまま男がかぶっていた帽子を引きちぎるように取った。
その場にいたものは一斉に声を上げた。なんにでもサポーター石川はいつもやるように手を合わせ身もだえをするように歓声をあげた。
「ヒーロー、ゴジラ松井くんだわ。ゴジラ松井くんだわ。ハロハロ学園のヒーローのお出ましだわ」
黒頭巾を脱いだ不良たちもうっとりとモテモテゴジラ松井くんを見つめた。
その中でももっとも熱い目を持ってゴジラ松井くんを見つめていたのはもちろん、矢口まみりである。その場にいた女たちがうっとりした視線をゴジラ松井くんに投げかけていたのを探偵高橋愛は冷ややかな目で見つめていたが、今度は懐中電灯のようなものを取り出した。
「探偵高橋愛は月の光、投影機を取り出したわね」
井川はるら先生がぽつりと言った。
「この男がヒーローだって」
また探偵高橋愛はこの世界を支配したように笑い出した。新庄芋も薄気味悪く笑っている。「人間をピストルで撃てば罪に問われるでしょうが、人間でないものを撃ち殺してもなんの罪にも問われないわ。ほら、見て」
探偵高橋愛はその懐中電灯のようなものの光をゴジラ松井くんに当てる。するとどうだろう。ゴジラ松井くんの身体はエメラルド色に輝きはじめたではないか。その輝きもじょじょに明るくなっている。そしてゴジラ松井くん姿は変わっていった。まず、あの隠密怪獣王に変わったのである。それからまみりがハロハロ学園の秘密のプールで見たエメラルド色の爬虫類に変わった。ゴジラ松井くん自身にパワーがないのか、あの巨大な姿ではない。人並みの大きさである。そして光が当たっているあいだゴジラ松井くんの姿は隠密怪獣王の姿や、ヒーローゴジラ松井くんの姿や、あの気味の悪い爬虫類の姿なんかにくるくると変わっていった。そして爬虫類の姿に変わったとき、ゴジラ松井くんの前に小さな野ネズミが走ると理性を失っているゴジラ松井くんはその野ネズミをぱっと飛びついてひとのみにしてしまったのである。
「きゃあー」
その姿を見てフリフリスカート石川が叫び声を上げた。その場にいた女たちも悲鳴を上げた。
そして女たちのあいだにざわざわとしたささやきが聞こえたとき、不良たちのあいだから抗議の声が上がった。
「金、返せ」
「ゴジラ松井って本物の怪獣じゃねえのかよ」
加護愛がよたった。
「もう、お前なんか、ハロハロ学園のヒーローじゃねえよ」
「怪獣映画にでも出ていろ」
不良グループたちの罵倒は相変わらず続いている。
探偵高橋愛は得意気な表情をした。
「もう、おわかりだね。ゴジラ松井くんの正体も、一般のみなさまのお考えも。ここで怪獣が一匹、死んだところで誰も悲しまないんだよ」
探偵高橋愛は得意気に笑った、そしてゴジラ松井くんの心臓に狙いを定めてコルトの引き金に指をかけた。あやうし、ゴジラ松井くん、「やめるなり~~~~~~~~~」
大きな叫び声がして矢口まみりが飛び出す。もうすでにこの矢口まみりの奇妙な性癖についてながながと話してきたから明らかなことだが、まみりは気味の悪いもの、奇妙なものがたまらなく好きだった。あの秘密のプールでエメラルド色の肉食恐竜を一目、見てからすっかりと心を奪われていたまみりだったが、その正体がゴジラ松井くんだと知ってますますゴジラ松井くんのことが好きになってしまったのである。そのゴジラ松井くんが野ネズミを一のみにしたときなど胸がふるえるほど感動したのである。しかし、探偵高橋愛の構えた銃の弾道のゴジラ松井くんの前にはまみりがいた。まみりの前で火花が散った。剣がひらめいた。まみりは死んだと思って地面を見ると銀の弾丸がふたつに切り落とされて地面に落ちている。そばには鞘の中に秘宝剣を収めた剣聖紺野さんが立っていた。
「ライバルが弱っているとき、倒そうとは思わぬ」
紺野さんは一言だけ喋ったが、まみりはこのときはじめて紺野さんの話す声を聞いたのだった。すっかりと弱った様子のゴジラ松井くんは片膝を立てながらまみりに言った。
「矢口くん、僕はきみのことを好きになるのは許されないのだ。きみのパパは僕の仲間をメスで刻んだ」
「うっそなり。うっそなり」
「いや、本当だ」
「そうよ。まみり、本当よ。この恋、あきらめなさい」
ロンリーウルフ石川が口を添える。
「いやだなり。いやだなり。まみりは、まみりは。ゴジラ松井くんと結婚するなり~~~~~」
そのとき、畑の横の農業用水の管の中から変な生き物が顔を出していた。毛だらけな顔をした新垣である。新垣はさかんに手招きをしている。その様子を見てゴジラ松井くんは新庄芋や探偵高橋愛の目をかいくぐってその農業用水の管のところにいった。そしてたった直径が二十センチしかない管の中に入ると新垣とともに消えてしまったのである。
 その次の日からゴジラ松井くんはハロハロ学園に姿を現さなくなった。
 あの元気だったまみりはすっかりと暗くなった。まみりのお婿さん候補ナンバーワンのゴジラ松井くんがハロハロ学園からいなくなったからである。
「パパ、パパはメスでゴジラ松井くんの仲間を切り刻んだことがあるかなり」
「なんや、急におそろしいことを聞いてくるんやなあ」
「パパ、正直に答えてなり。まみりはまみりはもし、そうだったら、パパと親子の縁を切るなり」
横のソファーでジェスチャークイズを見ているダンデスピーク矢口がにかにかしている。「まみり、まみりの悲しい気持はわかるでぇ。まみりはゴジラ松井くんとお似合いだったからなあ。でも、本当のことを言おう。パパは金髪でホストみたいななりをしているけど正真正銘の発明家だ。発明家がそんなアホなことするか。発明家というのは魚をさばいたり、鶏肉を切り分けたりなんてことは、よう、しない。機械油で手を汚しているものや」
「つんくパパは死ぬほど好きになった人がいたかなり」
まみりはダンデスピーク矢口を無視してつんくパパの方を見た。しばらく、つんくパパは物思いに耽っているようだったが、昨日見た甘美な夢の世界を思い出すように話し始めた。
「パパもそんな昔があったがな。まみりのママと違う女の人を好きになったことがあったさ。ママと知り合う前のことやがな。ママも死んでしまったからまみりに話してもいいやろう。その人の名前は府下田恭子ちゃんと言ったんやで。可愛い子やった。しかし、府下田恭子ちゃんはもう死んでしまったんや」
「パパ、どういうことなり、もっと詳しい話しを教えて欲しいなり」
ダンデスピーク矢口は皮肉な顔をして笑っている。
「府下田恭子ちゃんはミュージカルが好きだった。パパと二人でニューヨークにミュージカルを見に行くことにしたんや。ふたりで船旅をすることにしたんや、楽しい旅やった。夜中にふたりでベッドに入って寝ていると急に船がぐらぐらと揺れ、船室の前の廊下を人が行き交っている。パパは眠い目をして起きると府下田恭子ちゃんを起こした。船の中は大混乱やった。その船旅にはここにいるダンデスピーク矢口もつれて行ったんやけどな」
老猿、ダンデスピーク矢口は歯をむき出しにして笑った。
「船の底に穴が開いたぞう。船が沈むぞ」
「パパはそこで府下田恭子ちゃんの手を取って甲板に上がって行った。しかし、途中で府下田恭子ちゃんとははぐれはぐれになってしまったんや。そのあとすぐに近くを航行していた貨物船にパパたちは助けられたんやけどな。恭子ちゃんの姿は見つからなかったや。恭子ちゃんはきっと海の底に沈んでいるはずや」
つんくパパは沈痛な表情をした。
(小見出し)ほ-ちゃん く-ちゃん
 それからハロハロ学園にも平和が訪れた。あの隠密怪獣王が姿を消したわけだから当然だったが、そしてハロハロ学園のヒーローモテモテゴジラ松井くんも三年馬鹿組の教室から姿を消した。一階にある校長室の掃除を村野先生から頼まれた矢口まみりと石川りかは校長室の豪華なソファーに腰掛けた。実は三人でこの部屋の掃除をしているのである。新垣はふたりがさぼっているのにもかかわらず窓のさんのところを雑巾がけしている。ソファーに座っているふたりには背を向けている。
「探偵高橋愛、今日もハロハロ学園に来ていないみたいじゃない」
「探偵高橋愛はモータウンからレコードを出すと言っているなり、その準備で忙しそうなり」
「でも、まみり、探偵高橋愛もあんまりじゃない。あの女のためにゴジラ松井くんはハロハロ学園からいなくなったわけだしぃ」
「ゴジラ松井くんはどうしているなり」
まみりは遠くを見つめるような目つきになった。
「またまた、まみりはオセンチになってる。もう、ゴジラ松井くんのことは忘れた方がいいわよ。まみり、人間と怪獣が結婚出来るわけがないなり」
「ゴジラ松井くんは怪獣じゃないなり。恐竜なり、まみりの大事な大事な初恋の人なり」
「まみり、あんまり思い詰めない方がいいわよ。テレビでもつけるわね」
石川りかはそう言って校長室の少しだけ立派なテレビのスイッチをつけた。まみりも石川もそのニュースにあまり興味がなかったのだがその内容はびっくりするものだった。つい一週間前にアンデス山中から超古代マヤ人が掘り出され、彼らが息を吹き返したという信じられないニュースを聞いたばかりだったが、そのふたりの超古代マヤ人が姿を消したというのである。
「まみり、あの超古代マヤ人が姿を消したんですって」
ブラウン管の中では超古代マヤ人の研究者でもあり、通訳でもある日系南米人の徳光ぶす夫が涙ながらに訴えている。
「ほーちゃん、戻って来ておくれ~~~。くーちゃんも戻って来ておくれ~~~」
「勝手に超古代マヤ人に名前をつけているわよ。この男」
石川りかがブラウン管に映っている日系南米人に向かって指さした。
「もう、狂言を仕込んだりしないから」
やはり徳光ぶす夫は涙目である。
「まみり、この男が超古代マヤ人に狂言を仕込もうとしたから超古代マヤ人は嫌がって逃げちゃったのよ」
「石川、あれ、あれ」
まみりは石川に窓の方を見るように目で合図した。さっきまで新垣が窓のさんを掃除していたはずだと思ってその方を見ると、新垣にそっくりの、それでいて新垣よりも少し年をとっている毛だらけの顔をした人間がこちらを見ている。最初新垣だと思ったのだが新垣は向こうを向いている。彼らはまみりたちのわからない言葉で何か話している。まみりと石川がそのそばに行くとその侵入者ふたりは首を引っ込めた。まみりと石川は新垣のところに行き、窓の下のところを見たがその姿はもうなかった。
「あんた、誰かと話していたでしょう」
石川が新垣に詰問した。
「嘘を言うとためにならないなり」
まみりが新垣の肩を持って激しくゆさぶった。新垣は首を振る。新垣の目は涙目になった。
「まみり、前のニュースで言っていたじゃない。あのふたりの超古代人はハロハロ学園に自分たちの子供がいるって、それで会いに来たのよ」
「でも、どうやって会いに来たのかなり。何千キロも離れているなり」
そのとき新垣のまわりは無重力状態になり、ふらふらと新垣は空中に浮かぶと窓から外に出て行った。
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 美術室のあの独特な油絵の具のにおいや石膏の冷たい感触を感じながらまみりと石川りかが大きな作業用の机の前に座っていると後ろのドアを開けながら遅刻した新垣が入ってきた。
「まみり、やっぱり、新垣は遅刻したけど、やって来たわよ。新垣は美術の授業が好きだからね」
新垣は一番うしろの席にちょこんと座った。
美術の教室は大きな正方形の机がいくつも並べられている。その机に四人の生徒が向かい合うように座って絵を描いたり、彫刻刀で版画を彫ったりする。新垣の机には新垣ひとりしか座っていなかった。まみりは何週間か前に新垣が色とりどりの千代紙で貼り絵を夢中でしているのを見たことがある。一心不乱にやっていたのだ。
 そして矢口まみりは目の前の席を見つめた。目の前の席は空席である。かつてはここにゴジラ松井くんが座っていて、まみりは美術の時間になるとゴジラ松井くんとの距離が縮まるのがいつもうれしかった。いろいろな話をした。まみりの方が一方的に話すのだが、ときどきゴジラ松井くんが合いの手を入れてくれるのだ。あのゴジラ松井くんが椅子を傾けながら顔をこっちに向けてくれたのが懐かしい。初恋の人、ゴジラ松井くん。
 「おい、まみり、なにをぼっとしているんだ。粘土は机の前にあるだろうな」
「あるなり~~~」
ぼっとしていたまみりは美術担当の村野先生にそう言われてあわてて大きな声で答えた。
「まず、粘土を充分ねることだ。そして中の空気を抜く」
村野先生は机の上に粘土の固まりを叩きつけた。
「こんなこと、やってられねえよ」
「あたいたちの大事な右手が汚れちゃうじゃねえか」
不良グループたち、飯田、保田、辻、加護たちは向かい合わせに座っている。不良グループの一員でありながら紺野さんだけは白装束に身を固めて美術教室の後ろの方で正座をして秘宝剣、紀伊、白浜丸を研いでいた。
 二十一にもなって不良グループたちは男もいなかった。そして欲求不満である。世界一のモテモテ男、ハロハロ学園のヒーロー、ゴジラ松井くんがいた頃は不良女たちはゴジラ松井くんを夢想しながら、自分の右手で手陰に励んでいたのだった。
「ああ、おもしろくない。身体がほてる。なんだよ。こんな粘土」
飯田がかんしゃくを起こして粘土を机の上に叩きつけた。
なにを勘違いしたのか村野武則先生は
「いいぞ、不良たち、土に自分の魂を込めるのだ」
「ばかっ教師」
保田が小声で囁いた。
「まみり、見て、見て、不良たちが欲求不満になっているわよ。いやねえ。二十一にもなって男がいないなんて」
「そういうお前はなんなり」
「ふん、まみりだって、ゴジラ松井くんがハロハロ学園からいなくなって欲求不満なんでしょう」
「もしかしたら、石川、お前もゴジラ松井くんが好きだったなりか」
「いいでしょう。過去のことは」
どうでもいいようなことを話しているあいだも新垣だけは粘土を黙々と練り、紺野さんは銘刀をひたすら研いでいた。土をこねながら石川はお団子を作りはじめている。石川りかの前には団子のようにした粘土のかたまりが二十個ぐらい出来ている。
「まみり、いいこと考えた。この固まりの中に親指をさすとへっこむわよねぇ。そしたらそのまま窯で焼くのよ。いいぐい飲みが出来るわ。これを土産物屋に卸すの。一個三十円に価格を設定して、まず、二十個のお団子を作るのに、十分かかるとして、親指で凹みをつくるのに十二分、一時間で百個のぐい飲みができるわ。いろいろな行程を考えても一日で二百個のぐい飲みが出来るわ。まみり、わたし、陶芸家になろうかしら。まみり、どこかに土産物屋の知り合いいるぅぅぅぅ」
「勝手になれ」
まみりはいらいらして答えた。
生徒たちのあいだを巡っていた村野武則先生があたりを見回しながら大きな声をあげた。
「おい、誰か、新垣を見なかったか」
あんなに熱心に粘土をこねていた新垣だったが、新垣の姿も粘土の固まりもなくなっている。しかしハロハロ学園の中では新垣の姿が授業中でも給食のときでも急に見えなくなっても、誰も何も言わなくてもいいとい不文律があったのでその事件はそのままになった。
 その日、たまには帰り道を変えるのもいいということになり、まみりは石川りかと一緒に探偵高橋愛が使っているあの墓場の帰り道を使うことにした。
 墓場の中を夕暮れに歩くことは怖いことだがまみりは石川りかと一緒だったので、何とか我慢出来た。西洋のようなアンドレとかニコライと書かれた墓の間の大きな石段の道を歩いて行くと一メートルほどの高さの木の茂みががさこそと揺れている。
「まみり」
石川りかがまみりの腕をつかんだ。
「あそこに何かがいるみたいよ」
「石川の意気地なしなり」
「意気地なしでもいいよ」
「行ってみるなり」
「行くの」
「そうなり」
まみりと石川はその茂みにおそるおそる近づいた。さらに茂みががさごそと音を立てる。
まみりと石川が茂みの中をのぞき込んだときだった。
「きゃあ」
「きゃあなり」
茂みの中から新垣が三人、いや、ひとりは新垣なのだがもうふたりは新垣そっくりな蜘蛛人間のような奴がふたりの方を見てげらげらと笑い出したのである。
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 そして突如、ものすごいジャンプをして石川とまみりに飛びついた。
「きゃあ」
「きゃあなり」
水死人のわかめのように濡れた髪の三匹の化け物に飛びつかれたのだから、気持悪いことこのうえない。三匹の新垣と新垣もどきはまみりと石川の頭をひとかじりしてそのままどこかに行ってしまった。
「もう、きもい。新垣、あんな化け物、どうして理事長はハロハロ学園に入学させたのよ」
そう言いながらチャーミー石川は新垣の唾液で汚れた頭をハンケチでふきながら茂みの下あたりを見るとちぎれた粘土の固まりがばらばらになって落ちている。
「まみり、見て、見て、新垣たちはこんなところで粘土遊びをしていたのよ。この粘土、美術の時間にこねていた粘土に違いないわよ。新垣って最低ね。ねえ、まみり。あの新垣の兄弟みたいのなんなの」
「石川、校長室を掃除していたとき、見たじゃないなり。兄弟じゃないなり。新垣のパパとママなり、はるばる南米から数万年の眠りを経て来たに違いないなり」
「どっちにしても、新垣って最低ね」
それから、ハロハロ学園の周辺では奇妙な事件が起こり始めた。近所の公園に突如として葦や真菰の生い茂る沼が発生したり、あるレストランの地下倉庫が水浸しになったり、下水管が詰まって市役所の待合室が水だらけになるという不思議な現象が連続して発生していた。
 まみりたちがハロハロ学園の地下食堂で餡パンを囓っていると少し離れた席で不良たちがこそこそと密談をしている。イゴール・ボブチャンチンの下で格闘技の修行を積んできた小川が秘密をばらすときの誰でもする奇妙なバランスの上に立っている表情で不良たちに話し掛けた。
「新垣の奴、調子に乗っているからしめたほうがいいですぜ、オヤブン」
その中に新垣はいなかった。
「新垣の奴、あたいたちのグループから抜けようとしていますぜ、オヤブン」
「そう言やあ、最近、新垣を見ないね。新垣は一人遊びをしているのかよ」
「そうじゃないんですよ。オヤブン。この前、あたいが神社の賽銭を盗もうと思って、針金を曲げて神社の本殿のあたりに行くと新垣が自動販売機からジュースを三本買って小走りに裏の雑木林の方にかけて行くのを見たんですよ。それであたいは新垣に知られないようにそのあとをつけて行ったら、大木の根本がほこらになっているところがあって、あたいはそこで見たんですよ」
「小川、何を見たんだよ」
「新垣が三人、いたんですよ。オヤブン」
「あんな化け物がこの世に三人もいるわけがない」
「でも、オヤブン、いたんですよ。三人の新垣が、そこで三人が車座になって何をしていたと思います。粘土をこねていたんですよ」
 不良グループのひとり小川が見たという話も奇妙なものだった。
 「今日で日本語でする授業は終わりです。明日からは超古代マヤ語で授業をします」
井川はるら先生が黒板の前で棚の中に置いてある黒板消しを取り上げて蛙の解剖図を消していると新垣、ひとりがパチパチと拍手をした。黒板の中の図を消し終わって振り向くと、井川はるら先生はペロリと舌を出した。
「へへへへへ、嘘よ」
そのとき、教室の前の方の入り口のドアが開いて、探偵高橋愛が教室の中を見回した。それからそのうしろからあのいけすかない日系二世が入って来たのである。
「ニイガキ、あなたを逮捕しに来ました」
探偵高橋愛と新庄芋はずかずかと教室の後ろの方に行くと新垣の両手にがちゃりと手錠をかけた。教室の中はざわめいた。
「みんな心配しないで、これは理事長の許可も取ってあることだから」
新垣はしきりに低く呻いている。
「まみり、新垣が逮捕されちゃったじゃない。まあ、不思議はないけど、理事長の許可を取ってあるなんて本当かしら」
「石川、これは王警部に聞いてみる価値があるなり」
まみりはホットラインで繋がっている王警部のところに携帯をかけた。
「王警部、まみりなり」
「まみりちゃんか」
「ハロハロ学園の三年馬鹿組は大変なことになっているなり。今、探偵高橋愛とエフビーアイ捜査官の新庄芋が入って来て新垣を逮捕したなり。きっと警視庁に連行するなり」
「まみりちゃん、俺はそんな話しは聞いていないぞ。新庄芋の独断専行に違いない」
「王警部、矢口くんと石川でとにかく、後をついて行くなり」
廊下に出て行った新垣たちを追ってまみりと石川も廊下に出た。
「待つなり、ふたりとも」
まみりが言うと手錠をかけられた新垣を連行して行こうとする新庄芋と探偵高橋愛が振り向いて何の用があるのかという表情をしたので、まみりはポケットの中から警察手帳を取り出した。
「矢口くんたちはついて行く権利があるなり。矢口くんたちは警察に所属しているなり。石川も警察手帳を見せるなり」
まみりにうながされてごそごそとポケットをまさぐっていた石川りかも警察手帳を取り出した。黒字に金のバッチが燦然と輝く、まみりが王警部におにぎりを一個上げたらくれたものである。パトカーの中にまみりも乗り込んだ。新垣は自分がやましいことをやったという自覚があるのか、すっかりと神妙に反省の色を顔に表している。
 警視庁の入り口に着くと、王警部が仁王立ちになって一行を待っていた。パトカーがついた途端、王警部は叫んだ。
「新庄芋、この逮捕を俺は認めないぞ」
それを無視して新垣の捕縄を持ちながら通り過ぎようとする新庄を王警部は力ずくで止めた。
「ナニするんですか。わたしはエフビーアイ捜査官デスヨ」
「エフビーアイ捜査官だか、なんか、知らんが、そんな勝手なまねは許さん」
中から警官が出て来て、
「王警部、やめて下さい。これは警視総監からの許可も出ています」
警官は王警部を羽交い締めにした。王警部はばたばたともがいたが警官も王警部がそれ以上何もしないようなので腕を放した。よっぽどくやしかったのか、王警部は二の腕でぎょろりとした濡れた目を拭った。そしてつぶやいた。
「おれはくやしい」
そんな王警部に頓着せずに新庄と高橋愛は新垣を縛っている縄を引っ張ってエレベーターの中に入って行く、新垣の頭にはすっぽりと毛布が被せられている。そのうしろを王警部と矢口まみりと石川りかがぞろぞろとついて行った。
 新庄は警視庁の中の取り調べ室の中の一室に新垣を無理矢理連れ込むとパイプ椅子に投げつけるように座らせた。新垣の前にはカツ丼が置かれている。矢口まみりたちもその部屋の中に勝手に入って行った。新垣の前には四人が座った。一対四の取り調べである。しかし事実は一対五であった。新垣の前には新庄、高橋愛、王警部、矢口まみりが座っている。そうすると石川りかはどうしたのだろうか。不思議なことに石川りかは新垣のうしろに立っていたのである。新垣の頭頂を舐めるように見ていた石川りかの目がきらりと光った。
「わたしをいじめられ役キャラだと、あんた思っているかもね」
また、石川りかの目がきらりと光った。まるでダイヤモンドのような輝きである。と同時にその光の中には無気味な要素があった。
「こうやって首の下に腕を入れて」
石川りかのすらりとかたちの良い腕が新垣のあごの下あたりに入れられる。背後から腕を伸ばした石川はもう一方の手を新垣の後頭部に入れると回した方の腕のさきの手をもう一方の肘の裏に引っかけた。新垣の頭部は固定されて全く動かない。こうやって力を入れると新垣の顔色が見るまに青くなっていく。ごほごほと新垣が咳をしている。
「やめろ、石川、新垣を殺す気か」
「石川、モーニング娘の私生活を出すんじゃないなり~~~~~~~」
「わたし、何をしていたの」
シンデレラ姫、石川ははっとわれに戻った。モーニング娘の中ではプロレス技の掛け合いが流行っていたのである。それで最近、メンバーの一人が死んでいる。
「だって、このぐらいしなければ、新垣は泥をはかないわよ。まみり」
「わたしは日本の捜査に準拠シマス。まず、カツ丼を食べなさい。新垣」
そう言われて、新垣はカツ丼をがつがつと喰った。むさぼるように喰った。飯粒をひとつも残さなかった。それからお茶を飲み終わるまで、みんなは新垣の行動を見つめていた。謎と神秘と非科学的というものが全て凝縮されているような新垣をである。新垣はお茶を飲んだあとで爪楊枝で歯をシーシーとやっている。そのあまりのふてぶてしい態度にいらいらして新庄芋はテーブルをどんと叩いた。
「ニイガキ、いいかげん吐いたらドウナンデス。この悪党」
どこ吹く風というように新垣は今度は付け合わせの沢庵をぼりぼり囓っている。
「強情な悪党ダ。探偵高橋愛、あれを用意シナサイ」
新庄にそう言われて探偵高橋愛は部屋を出て行くとステンレス製のシャーレを持って戻ってきた。まみりの瞳に金属製の光沢が入った。
「仕方ありマセン、これを使うしかアリマセン」
探偵高橋愛は皿の中から大きな注射器を取り出すと注射器を構えた。針の先から薬液が飛び出す。
「やめろ、いくら犯罪者だからって、それはやりすぎだ。それは自白強要剤だろう」
王警部は立ち上がって抗議したが柔道王石川はさっきと同じように新垣に裸締めをすでにかけている。
「あなたは、モンダイを小さく考えすぎてイマス。このニイガキは人類を絶滅させる可能性がアリマス。セニョール徳光ぶす夫、出て来てください」
取調室のドアが開くと中からはじかれたように日系南米人が入ってきた。さっきから出る機会をうかがっていたに違いない。そして涙目になると新垣に飛びかかり、激しく肩をゆすぶって叫んだ。
「ほーちゃん、くーちゃんを返せ、返してくれよ」
「やめなさい、セニョール徳光ぶす夫」
新庄芋に止められてこの日系南米人は涙を拭きながら冷静さを取り戻した。
「この人、見たことあるなり」
「まみり、わたしも見たことあるわ。テレビの中でもほーちゃん、くーちゃん、戻って来てくれよと言って泣いていたわよ」
「この人が説明してクレマス。このニイガキがどんなに危険な存在カトイウコトヲ。セニョール徳光ぶす夫、話してくれますか」
「まず、お茶を一杯、下さい」
徳光ぶす夫はテーブルに着くとお茶を啜ってから話し始めた。心臓の持病もないくせにその人のように話した。
「まず、わたしのことから話さなければならないでしょう。わたしは競艇が好きです。長島滋雄も好きです。でも、それは私生活のことですからいいでしょう。わたしのおじいさんは日本人です。その人が南米に渡りました。そしてわたしは最初、古代アステカ文明を研究していたのです。それから必然的に超古代マヤ文明に到達したのです。しかし、最初、誰もわたしの説を支持するものはいませんでした。ご存知のように南米には大きな鳥の絵が古代からあります。これを飛行機の滑走路だという人がいましたが、人々はそれを笑いました。しかし、実際はそうだったのです。数万年前、空中遊泳をする民族が南米にはいたのです。それが超古代マヤ民族なのです。そしてここにいる新垣がその生き残りのひとりなのです」
あまりのことにその場にいた者たちは皆、言葉もなかった。そして新垣をじっと見つめた。その目の光の力で疑問が氷解するとでもみんなは思っているようだった。
新垣は突然、霊にとらわれたように目は血走った白目になり、髪の毛は竹箒のように逆立ち、顔中しわだらけになって、口が裂け、首がぐるぐると回転し始めた。そしてあたりにはひんやりとした空気と死臭がひろがった。新垣の肉体はみみずが前に進むときの伸縮運動のようなものも始めている。その首は回転するだけでなく、一メートルくらい首も伸び縮みし始めたのである。その様子というのも首が伸びきったところで水の中にドライアイスを入れたように裂けた口からは白い煙が出て、墓場から掘り出した骸骨についているような、口に較べて異常に大きな歯には血のりがべったりとついている。そして眼球は今にも眼孔から飛び出しそうになっている。そのくせ瞳は針のように小さくなっている。舌をぺろぺろと出すと空中の飛んでいる蠅をその舌で捕獲した。
「新垣は自分のことを話して貰っているのがわかるのですね。喜んでいる」
「変な喜びかたなり」
「まあ、いいでしょう。そのうち、新垣は喜びのあまり、おしっこをしますよ。この超古代マヤ人というのも、最初から南米の山中に住んでいたわけではないのです。最初は海に住んでいたのです。しかし、それでは正確ではありません。海中に住んでいたのです。古代海中人、ラーの一族なのです」
「ラー」
王警部はあまりのことに言葉もなかった。
「あなたたちはすでにラーの一人に会っているかも知れませんよ」
「誰なり、誰なり、激しく聞くなり」
矢口まみりは徳光ぶす夫に激しく問いつめた。そのとき、取調室のドアが開き、麗人が姿を現した。その間も新垣の床屋のトーテムポールのような喜びの表現は続いている。
「これであのペンダントに書かれている文字の秘密もわかるわね」
そこには黒魔術師井川はるら先生も立っていたのである。
「こんなに早く、超古代マヤ文明研究の創始者に会うことが出来るとは思わなかったわ。黒魔術界でもあなたには注目していますわ。これです」
井川はるら先生は探偵高橋愛が拾った例の金色のペンダントを徳光ぶす夫に渡す。
徳光ぶす夫はそのペンダントを熱心に見ている。そして徳光ぶす夫は金色に曰くありげに首に付けるための鎖もついている古代の光を放っているような、そのペンダントを見ながら自分の受けている怪訝な感情を誰かに肩代わりしてもらいたいという表情でまわりの人間に話した。
「これは超古代マヤ語に近いものですが、そのものではありません。でも、ほとんど解読することは可能です」
「水の上の世界及び、水の下の世界において、と言うところまでは読めますわ。その次なんですわ」
はるら先生も黒魔術の力を使ってもお手上げというような表情をまわりの人間たちに投げかける。
「そう、水の上の世界および、水の下の世界において、ええと、ええと、あっそうだ、文法的にはまったく同じだな。ええと」
そして徳光ぶす夫の顔はひどく驚きと喜びに変わっていた。
「これは誰が持っていたものなんですか。水の上の世界および、水の下の世界において、この男は王の中の王なり。これは海底王国、ラーの王位を表すものです。この所有者は海底王国ラーの王位継承者であります」
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徳光ぶす夫のその言葉の作用はその場を時間が止まった氷の宮殿のようにしてしまったが、新垣だけは違う状態にある。あの無気味な蒸気機関車の動輪を動かすピストン運動にも似たエネルッギッシュな首っ玉の上下運動は続いている。取調室の天井から吊されている蛍光灯が微妙に振り子運動をした。時代錯誤と言ってもいいような取調室の柱にぶら下げられている振り子が動くことによって時間の調整をしている柱時計がちょうど昼の二時の時報を打ったがこの取調室には窓ひとつ、なかったので中にいたみんなには今が昼なのか夜なのかもさっぱりとわからなかった。天井から吊されている照明の光が斜めから新垣を照らして大きな影を作って、新垣の存在をさらに無気味にそして大きく巨大に見せていた。
「高橋愛、あの用意がデキテイマスカ。持ってキテクダサイ」
新庄芋がそう言うと探偵高橋愛は白衣の看護婦のように頭をこっくりと傾けた。王警部はふたたび彼女が変な薬の入った注射器を持ってくるのではないかと思い、緊張したが
「王警部、あなたの考えているものが来るわけではアリマセンヨ。フハハハ」
と新庄芋は不敵に笑った。王警部は新庄芋に挑戦状を突きつけられているような気持がした。そしてますます新庄芋に敵意がふつふつと沸いてきた。
「ワタシの可愛い人、高橋愛が準備をするまで、徳光ぶす夫、これを新垣にシテクダサイ」
石川りかとまみりは顔を見合わせた。
「まみり、いつの間にか、高橋愛が新庄芋の愛人になっているわよ」
「ずうずうしい男なり、高橋愛を愛人にしたつもりになっているなり」
ふたりのささやき声もこのエフビーアイ捜査官には聞こえないようだった。
新庄芋が差し出したのは赤ん坊のするあぶちゃんだった。
「いやです。こんな化け物なんかに、なんで僕があぶちゃんなんかさせてやらなきゃならないんですか。ほーちゃんやくーちゃんが行方不明になったのもこの化け物のせいかも知れないんですよ。狂言を仕込ませてくれるというなら話は別なんですけどね」
「セニョール徳光ぶす夫、そんなことは言わずニ、さあ」
新庄芋がそのタオルケットで出来たよだれかけを無理矢理差し出したので、仕方なく徳光ぶす夫は受け取った。
「噛みつくなんてことはないでしょうね」
徳光ぶす夫はおっかなびっくりそのよだれかけを受け取って新垣の後ろにまわるとあわてて新垣の首のまわりによだれかけのひもを回した。普通の被疑者よりも高い椅子に座らせられている新垣は後ろに誰かいる気配を感じて凶暴な声を一瞬上げて振り返ろうとしたがまた目を半ば閉じて、口も鼻の穴も大きく広げてあくびをした。それはまるで腹いっぱいにしまうまの肉を喰って眠くなってしまったサバンナのライオンのようでもあった。
「まみり、わたし、悔しい。新庄芋は新垣にごちそうを食べさせるつもりよ。それだから、食べ物をこぼしても服が汚れないようにあんなよだれかけをさせたのよ。まみり、新垣は被疑者でしょう。ねえ、王警部もそう思うでしょう」
「結論を出すのは早いなり」
「そうだ、まみりちゃんの言うとおりだ」
矢口まみりは石川の貧乏人のひがみ根性をいさめた。
「きっと、そうよ。新垣だけおいしいものを食べるのよ。きっと、そうに違いないわ。みんな、わたしが貧乏人だからって馬鹿にして」
そのときドアが開いてワゴンの上に何かを載せて高橋愛が押してきた。矢口まみりも踊り子石川もそのワゴンの上に載せられているものを見てびっくりした。王警部もびっくりした。
「これはどこかの街の立体模型じゃないか」
ワゴンの上には紙粘土で出来たどこかの街の立体模型が載っている。中学の文化祭でよく生徒が作るものだ。五千分の一くらいの模型かも知れない。高橋愛はよだれかけをかけてうつらうつらしている新垣の前にその紙粘土で出来た模型を置いた。王警部や徳光ぶす夫よりもまみりや石川たちの方がその模型に対する情報は多く持っていた。それはこのハロハロ学園のある街だったのである。しかし、なんでこんなところにそんなものを持ってくるのだろう。みんなはその模型をじっと見つめた。新庄芋はゆっくりとその部屋の後ろの方に下がって行った。そして今さっき高橋愛が開けたドアをさっと開けた。そのドアの外から光りが漏れて来て、その光の影から妖精のようなものが姿を現した。その光に照らされて徳光ぶす夫の顔がみるみると輝きだしてさらに目が潤みだし、感動に身を震わせているようだった。
「うーちゃん、くー、くーちゃんんん」
徳光ぶす夫は手をだらりとさせて、その妖精みたいなものの方に走り寄ろうとしたが、妖精たちは新庄芋の長い足の影に身をさっと隠した。
「セニョール徳光ぶす夫、大部嫌われているようデスナ。あなたが悪い。超古代マヤ人に狂言を仕込もうとするカラデス」
徳光ぶす夫はまた涙目になって悔悟しているようだった。
「そんなに狂言が嫌いだったのかい、くーちゃんも、うーちゃんも。もう太郎冠者、次郎冠者なんてきみたちに言わないからね」
それでも新庄芋の影にふたりの超古代マヤ人たちは隠れて警戒の色をあらわにしていた。
「まみり、いたわよ。いたわよ。やっぱり、この街に来ていたのね。美術室で見たのも、墓場で見たのも幻ではなかったんだわ。あいつら、わたしたちの頭をかじりやがって」
石川りかが目を見開いて新垣、そっくりのこの化け物たちを見つめた。しかし、怪訝な顔で見たこともない生き物を見た驚きを感じていたのはここにいる人間たちだけで、新庄芋たちは予定通りの進行だという表情をしている。取調室の壁に立てかけられている折り畳み椅子ふたつを新庄芋は持ってくると新垣の座っているスチール製の机の前に置いた。すると何もしないのに、あのふたりの新垣の同類みたいのがするすると走り寄って来てその椅子にちょこんと腰掛けた。あの前もって用意していた、この町の模型を挟んで新垣とその同類ふたり、うーちゃんとくーちゃんが座ったということである。
「セニョール徳光ぶす夫、あなたから説明してくれますか。この悪党たちがどんなんにキケンな存在でアルカトイウコトヲ」
そう言った新庄芋の手の中には赤ちゃんの頭ぐらいの大きさの粘土の塊がある。新庄芋はあきらかによく練った丸くなった状態の粘土を両手で持っている。王警部もまみりもその意味するところは全くわからなかった。
「いいです。わたしから説明しましょう」
徳光ぶす夫はそう言うと新庄芋の持っていた粘土の塊を受け取った。
「ねえねえ、まみり、徳光ぶす夫は何をするのかしら」
好奇心の強い石川はこれから何が始まるのかと徳光ぶす夫が手に持っている粘土と机を囲んでちょこんとよだれかけをしながら囲んでいる三匹の化け物をじっと見つめた。
「わかるわけがないなり」
と言いながら矢口まみりは不安というものを運命というふた文字に関連づけながら感じていた。そんなまみりの気持にも忖度せずに徳光ぶす夫は手にしていた粘土の塊を三つにわけると三匹の化け物の前に置いた。その様子は陸上競技の公式審判員のようでもあった。すぐに変化があらわれた。目の前に置かれた粘土を見て、三悪党たちが行動を開始したのである。三悪党たちは自分たちの目の前に置かれた粘土を見るとおいしく暖められたミルクを発見した熊の赤ん坊のようにその粘土に飛びつくと、それらをこね始めた。彼らの目は潤んだように生き生きしている。それらはじょじょに形が出来て行き、長い巻き貝のような形になった。そして不思議なことが起こった。巻き貝の口から水がちょろちょろと流れ始めたのである。そして出て来る水がこの町の模型の上に流れ出し、その模型の町はあっという間に水浸しになった。
「もうイイデショウ」
模型の町から水があふれて床を汚すことを怖れた新庄芋はまだ粘土をこねたがっている三匹の化け物から粘土を取り上げると、それらをひとかたまりにしてくちゃくちゃした元の形に戻した。彼らはもっとやりたかったらしく、恨めしそうな目をして新庄芋を見上げた。
「セニョール徳光ぶす夫、あなたから説明してクダサイマスカ」
徳光ぶす夫の周囲に霊的なかげろうがもやもやと立ちのぼった。
「ここにいる三匹はみなさんの推測したとおりに、人間ではありません。人間とは発生の歴史を異にした生物です」
徳光ぶす夫の額のあたりに三本ほど横線が増えたようだった。新垣たちは粘土を取り上げられた不満からか、折り畳み椅子のパイプのようなところを持ってがたがたと音をたてた。
「彼らは、そう、超古代マヤ人なのです。しかもこの三人は超古代マヤ人の中でも神官の血をひいています。彼らには特殊な能力があります。どこから土を持って来たとしてもその土で粘土細工を作り、そこから水を発生させることが出来ます。この町で原因のわからない出水が何カ所もあったのではないですか、みんなこの神官たちが行ったことです」
まみりは倉庫の中が水道管が破裂もしていないのに水浸しになったり、公園の砂場が小さなプールのようになった事件はみんなこの三悪魔がやっていたことなのかとはじめてその原因がわかった。いつのまにか来ていたのか、黒魔術の井川はるら先生もこの取調室の中にいて壁によりかかりながら腕を組んで徳光ぶす夫の話を聞いている。
「超古代マヤ人が最初からこの地上にいたというわけではありませんでした。人類が地上に姿を現す前にラー人と呼ばれる知的生命体が深海に古代ラー帝国を建設して繁栄を享受していました。ラー人は海底人です。海底でとくに深海で自由に行動することが出来ます。それは人類が地上に出現したときよりもずっと前のことです。彼らは人類の歴史も見て来たのです。そして古代ラー帝国にも大事件が起こりました。人類を観察していた海底原人ラー一族は人類が地球に及ぼす影響について深刻な危機感を抱いていたのです。このままでは地球を人類が破滅させるかも知れない、そう考えたラー一族の中では人類を滅ぼす計画を立てました。その一番簡単な方法はこの地球を完全なる水の惑星に変えてしまうことでした。海底原人ラーたちはそれを容易に行うことが出来たのです。海底原人ラーの中には神官と呼ばれる種族がいます。彼らは粘土細工から水を無制限に出す置物を作ることが出来るのです。その実例をあなた方は今目撃したばかりだと思います。それらの置物を大量に作ることにより、陸地は大洪水が起こり、地上の全てのものは水中に沈み、地球は完全なる水の惑星と化するのです」
新垣たちはまだ粘土を取り上げられた不満をあからさまに示していた。椅子をがたがたと揺らしている。
「しかし神官たちはこの事態に承伏しませんでした。神官たちは人類を滅亡させることは望んでいなかったのです。海底王国ラーの中で内紛が起こりました。神官たちはラーを出て地上に新しい国を作ろうとしたのです。彼らは現在の南米のあたりに上陸しました。そして超古代マヤ帝国を作り上げたのです。超古代マヤ人たちは空中を自由に飛ぶことが出来、水も無尽蔵に作り出すことが出来ました。そして巨大な滑走路を作ったり、巨大な石造建築物を作ったりしたのです。しかし彼らは生殖能力もなく、最初は数万人いた超古代マヤ人たちは数十万年のあいだにどんどん数が減って行き、今はここにいる三匹だけがこの地球上に生き残ったのです」
「この三匹が人類を絶滅させる可能性があるということがワカリマシタカ。この三匹は地球上のあらゆるものを水没サセルノデス」
新庄芋は冷徹に新垣たちを睨み付けながら言った。三匹はそのあいだもふてぶてしく綿棒で耳掃除をしている。
 ここで壁に寄りかかっていた井川はるら先生はすべてのことがわかったというように壁から離れた。
「超古代マヤ帝国のことをわたしは知らなかった。海底帝国ラーのことは知っていたけどね。ふたつの国にはそういう関係があったのね。海底帝国ラーのことは私の方が知っているかも知れませんわよ、セニョール徳光。海底帝国ラーにも最近、大変化があったらしいわ。もしかしたら何かが原因でラーも滅亡寸前なのかもしれないわよ。そう、海底原人ラーはもう数人を残して生きていないのかも知れない」
「セニョリーナはるら、どうしてそんなことがわかるのでスカナ」
すると徳光ぶす夫が急に変な踊りを踊りだした。
「わかったぞ、わかったぞ」
「何が、わかったんですか。狂言師」
隣にいた石川が徳光の変な踊りに辟易しながら聞いた。
「わかったんだよ。くーちゃんもほーちゃんも、そしてこの奇獣新垣と隠密怪獣王の接点が、もともとみんな海底原人なんだよ。そして三人は超古代マヤ人でもある。そしてあのメダルだ。隠密怪獣王、つまりゴジラ松井くんこそが海底王国ラーの正統な継承者だってことなんだよ。ゴジラ松井くんは海底王国ラーの王様か少なくとも王子様に違いないのだ」
ああ、やっぱりゴジラ松井くんは海底王国の王子様なんだなり、わたしの初恋の人はやはり高貴な生まれだったなり、矢口まみりは目頭が熱くなる気持ちがした。
「しかし、そんな王子様が銀行強盗をしたり、人を殺したりスルノはナゼデスカ、セニョール徳光」
新庄芋は苦々しげにまみりの方を見た。
「これはわたしの仮説にすぎませんよ。仮説に。今、はるら先生の話によると海底王国ラーは滅亡寸前にあるという。きっとゴジラ松井くんは全地球、海底王国ラー化計画を建てているに違いない。つまりです、この三匹の奇獣を使って陸地をすべて海に沈める。そして突然変異で人類が海底原人になることを計画しているのです」
「馬鹿げている。人の命をなんとこころえているのだ」
王警部は激怒した。
「わたし、海底原人になんかなりたくない」
熱帯魚石川は不満を現した。
「なりたいなり、なりたいなり」
まみりはよだれをたらしている。
「くだらないわ。モータウンに較べたら」
探偵高橋愛は不興な表情をした。
「セニヨール徳光、そうしたら、ゴジラ松井にとってこの三匹の奇獣は絶対に必要だとイウコトデスカ」
「もちろんです。人類ラー帝国化のためには」
「でも、まみり、隠密怪獣王、じゃなかった、ゴジラ松井くんが今度新垣たちを奪いに来たらどうしたらいいの。剣聖紺野さんだって勝てなかった相手よ」
すると突然新庄芋は王警部の前に行くと床をばんと叩いて土下座した。
王警部はその意味もわからず戸惑った。
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 王警部はひざまずいた新庄芋の頭頂部を見ながら突然のこの嫌みなエフビーアイ捜査官に何が起こっているのかわからず、とまどいを隠せなかった。
「ミーは決して人に頭を下げたことはナイデス。しかし、ミーは頭をサゲマス。つい四五時間前にも海底原人ラー王子ことゴジラ松井は台湾沖、二十キロの海上を航行中の巡洋艦を一台、襲いマシタ。爆雷を大量に投下スルモ、その効果はなく、その上空をパトロール中の大型監視ヘリコプターがその場所に行くと、すでにその場所は油の海となり、救命ボートのみが、波間に漂ってイタノデス。乗組員は全員、死亡したに違いアリマセン。ゴジラ松井は今は地上にいたときとは違います。海に戻ったゴジラ松井はそのパワーを数十倍にも増しているにチガイアリマセン」
いつもへらへらと人を人とも思わないような新庄芋の表情には血を流し、肉を裂いた人のような真剣な調子があった。そしてその中には運命にひしがれた人間の苦悶があった。
「ミーはエフビーアイの秘密捜査官をしながら、ハッピーなファミリー、マイワイフの名前はスーザンと言います。そしてドーターがイマシタ。ドーターの名前はシンシア、トイイマス。大きなリボンの似合うドーターでした。ハッピーファミリーを持ってイマシタ。家はアルバカーキーの田園地帯にあったノデス。しかし、ゴジラ松井、海底原人ラー王子のためにミーの家族は悲劇のどん底に落とされたノデス」
そう言いながら新庄芋の瞳には復讐に燃えている炎があった。
「ミルバカーキーを横切る大河がアリマシタ。その大河の上流はダムでせき止められて発電所がアリマシタ。そしてダムの中には水がまんまんとたたえられ、その中にはにじますが大量に自然発生的に生息シテイタノデス。海底原人ラー王子ことゴジラ松井はそれを狙っていたのです。マツイは河の中を人知れず潜水しながら泳ぎ、上流へ上流へと向かいマシタ。そして自分の食欲を満たすため、信じられないコトヲシタノデス」
新庄芋はまだ王警部の前でひざまずいたままだった。その話をまみりは複雑な思いで聞いていた。そしてまた王警部も無言だった。
「やがて河の水がせき止められている堤の前に来ると海底原人は直径五メートルのこぶしを振り上げて厚さ十メートルの堤防の壁にその拳と同じ大きさの穴を開けたノデス。堤防にたたえられた水の全圧力がその穴の部分に集中しました。その穴からものすごい勢いで水が噴出して、それと同時ににじますが吹き出してきました。ただラー原人は口を開けて穴から飛び出してくる、にじますを待っていればいいのです。しかし、あの巨大な建造物が精緻な計算の上に成り立っているということをあの悪魔はシリマセンデシタ。その小さな穴から決壊を始めたダムはクライシスが待ってイマシタ。ダムの壁面にはひびが縦横無尽にはしりはじめ、巨大なゴジラ松井のさらに何百倍もの水がダムの決壊と同時に下流に流れました。ゴジラ松井の無量大数といってもいいような巨体も水に流されました」
そこで新庄芋は感極まったのか、言葉がとぎれた。
「そこにはミーのマイファミリーがありました。ちょうど、マイワイフのスーザンがドーターのためにホットケーキを焼いているトコロデシタ。ゴジラ松井と大量の水がマイファミリーを汚泥の中に流してしまったのです。そのあとには何も残りまセンデシタ。ちょうど洪水は海までゴジラ松井を流してしまい、州兵一個大隊が海に面した崖の上に集結したトキニハ、マツイは頭にキャデラックを一台乗せながら悠々と暮れかかる夕日に包まれながら、大海に向かって平泳ぎで遠のいてイキマシタ。ミーはミーはゴジラマツイを決して許せない。アメリカの名誉のためニモ」
土下座したまま王警部を見上げる新庄芋の瞳は潤んでいた。
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やはりまみりはその言葉を複雑な思いで聞いていた。まみりが飯田たちにいじめられていたときもゴジラ松井くんはまみりを助けてくれたではないか、きっときっと何かの間違いに違いないなり、あのゴジラ松井くんとこのゴジラ松井くんは違うなり、ゴジラ松井くんがそんな悪行の限りをつくすはずがないなり。
 「ミーはこのハロハロ学園に来てから、海底原人ラー王子ことゴジラ松井が正義の盾となる人たちと戦うのを見てキマシタ。なかでもミーが感心したのはハロハロ学園の紺野サンデス。ほとんど互角にあの悪魔の申し子と闘いマシタ。しかし、さらにミーが感銘を受けたのはミスター王、あなたもあのときいたのではないですか、あの勝ち鬨橋での闘いデス。あのときはほとんどあの悪魔は負けてイマシタデス。そう、あのどこから現れたのかわからない、あの巨大ロボットです。あれこそが、人類を滅ぼそうとしているあの悪魔からわれわれ人類を守る神の使いに違いアリマセン」
王警部はあのできごとをやはり思い出していた。自分もそう考えている。あらゆる近代兵器を使用しても阻止できなかった、あの海底原人の蛮行を止められるのはあの正体不明の巨大ロボットしかないと。しかし、自分はある予想を立てている、あの巨神はまみりちゃんに危険がせまっているときに現れるのだ。きっとまみりちゃんと何か、関係があるに違いない、それというのも自分は確かな証拠となるものをつかんでいるのだ。
王警部は土下座して、協力を仰いでいるこのエフビーアイ捜査官の手を取った。
「新庄さん、その頭を上げてください、悪を憎み、平和や人の幸福を願うのは太平洋をあいだにはさんでいても同じことです」
新庄芋は立ち上がると何物もすべて了解しているようにほほえんで、王警部の瞳を見つめた。
「わたしもあの海底から来たデーモンを退治出来るのはあのスーパーロボットしかいないと睨んでいました。わたしはいい情報をつかんでいます。ここを映写室に変えてよろしいかな」
王警部はそう言って椅子や机を後ろの方に並べるように部下を呼んで指図した。机が片づけられ、取調室にいたすべての人間、新垣やそのファミリーも含めてである、のための椅子が運ばれて部屋の片方の方に並べられてその反対の壁には試写のためのスクリーンがたらされた。
「まみり、映画会がはじまるわよ。どこに座る。うきうきするわね」
もう全く、石川の馬鹿、人の気も知らないで。うきうきしているハッピィ石川に心配事のある矢口まみりはいらいらした。
スーパーロボの正体がわかるのはよくないなり、王警部も新庄芋もゴジラ松井王子様を殺すためにスーパーロボを使おうとしているのは明らかだなり、わたしの大事なゴジラ松井王子にそんなことをさせたくないなり。まみりは王子と結婚の計画を立てているなり。ぶつぶつぶつ。手を合わせて身をよじってこれから始まる映画会を楽しみにしている、ただならなんでも行列に並ぶことにしている石川梨佳の横でぶつぶつとまみりの表情は雲っていた。そんなまみりの思惑も知らずに王警部の部下たちは椅子を並べて、映写機まで運び込んでいる。
「まみり、ここ、ここ。ここに座ろう」
パープリン石川は映写機の横の椅子に腰掛けてまみりを呼んでいる。探偵高橋も井川先生も腰掛けた。一番前の席には椎の実のような頭が無言で三っ並んでいる。新垣とその同類たちだ。その横には徳光ぶす夫が座っている。
「始まるわよ、始まるわよ」
隣に座っている芯から貧乏な石川がまみりにわくわくしてはなしかけた。
「ぶつぶつぶつ」
まみりはまたぶづぶつとつぶやいた。映写機にフィルムをセットしていた警察の人間が出て行くとその横に立っていた王警部がぎょろりとした目で当たりを見回して言った。
「みなさん、座ってくれましたか、では、始めましょう。申し訳ないが、そこに電気のスイッチがあるから消してくれますか。井川先生」
部屋の照明スイッチのそばにいた井川はるら先生がスイッチを切ると取調室の中は真っ暗になり、それと同時に王警部が映写機の電源を入れたのでレンズの筒から光りが発せられて前に座っていた新垣たちの頭の上の方の尖った部分を照らした。
「これはあの隠密怪獣王、つまり海底原人、ゴジラ松井がなごみ銀行を襲ったときの映像です。自衛隊の係りのものがその様子を映していました」
映像を記録していたとき、隠密怪獣王の破戒活動のためだったか、土ぼこりが立っているのか、画像のはじの方にもやもやしたものが映っている。
 そこには自然の神秘、象やくじらよりも巨大な有機生命体、ゴジラ松井が映って破戒活動をやっている。鉄塔を壊し、大型貨物をひっくり返している。
「見て、見て、映っている。映っている。わたしよ、わたしよ」
石川が横でまみりの横腹を肘でつついた。自分の姿が映っているのを見て喜んでいる、石川のことは納得がいく、しかし、なんだと思ったのは、あの三匹の奇獣たちである。そもそもの原因はあのラーの神官たちにある。少しは責任を感じるべきだろう。それなのにあの三匹たちは画面を食い入るように見ている。完全に楽しんでいる。興奮するとあの椎の実のような頭のさきをゆらゆらと揺らす。ときとして、この記録映画の音声に合わせて音頭をとりながら足でステップを踏んだりする。ときとしてよくわかりにくい場面になると、横に座っている徳光ぶす夫が上半身を折って、三匹の奇獣に説明していたりする。するとその内容がわかっているのか、わかっていないのか、ふむふむと頭をうなずいている。工場の生産設備の見学に来た外国の高官でもあんなふうにはしないだろうとまみりは思った。みんなお前たちのせいでゴジラ松井くんが変な方向に進んでいくんだなり、まみりは三匹の奇獣のところに行き、頭をひっぱたいてやりたくなった。
いらいらしているまみりにまた、トッティ石川が話しかけてきた。
「見て、見て、まみり、わたしがあの隠密怪獣王にパチンコ玉をぶつけるところよ。まみり、聞いているの、わたしの勇姿よ」
「うるさいなり、ロナルド石川、お前のせいで、まみりまで馬鹿に見えちゃうじゃないなり」
「ひどい、まみり。まみりと梨佳は友達でしよう」
「考えておくなり」
「静かに」
王警部の叱責する声が聞こえた。
「ここまでは地上での隠密怪獣王と巨大ロボットの闘いです。ここから彼らは石油の備蓄施設に向かいます。ここに映っている巨大ロボットが持っている宇宙船のような乗り物の中に僕らはいるのです」
石油タンクをつぎつぎと爆発させながら隠密怪獣王と巨大ロボットはもみ合っていた。そしてふたりとももみ合いながら海中に侵入した。そしてあきらかに違うカメラで撮られていることがわかるように画像が変わった。王警部の顔が映写機の中のハロゲンランプから漏れてくる光に照らされて妖しく光った。
「隠密怪獣対策班は海中にも撮影班を用意しておいたのです」
無数の泡の中で揺れる海草のようなふたつの海獣の影はお互いに優位な体勢をとろうと、相撲でいうところの差し手争いのようなことをやっていたが、明らかに巨大ロボットの方が数倍強いように思える、それはそうだろう、いくら巨大で途方もない筋力を持っていたとしても、金属で出来た機械とタンパク質で出来た体表面を持った生物が渡り合えるはずがない。
「あっ」
その場にいたこの記録映画の観客たちはみな、一斉に声をあげ、矢口まみりの方を指さしたのである。最前列にいた三匹の奇獣たちも振り返るとまみりを指さした。まみりの額からは冷や汗が流れた。
 巨大ロボと戦っていた隠密海獣王は苦し紛れに巨大ロボットがはめていた仮面をはがしたのである。巨大ロボツトの素顔が大写しになった。その顔は矢口まみりそのままであったのである。取調室にいた全員はその顔を見た。そこで映像を止めると王警部は部屋の照明をつけた。部屋の中が明るくなっても、まだまみりの顔をじっと見ていた。その中でももっとも真剣に見ていたのは、最前列に座っていた新垣たちでその表情をなんと説明してよいのか、たまたま洗い熊が思いもかけなかった餌を道で拾って、あとでゆっくり食べようと思って自分の巣に持って来て、巣から出て水を飲みに川にいき、戻って来たら、野ネズミがその餌を盗んだあとで、犯人もわからないまま、そこには何もなかったというような表情に似ていた。
「このことをまみりちゃんに説明してもらいたいのです。なぜ、この巨大ロボツトの顔がまみりちゃんにそっくりなのか、つまり、まみりちゃんはこのロボットが何者か知っているのか、そのことが知りたいのです。これは人類存亡の危機なのですぞ」
王警部の表情はいつになく、真剣だった。
まみりは言いよどんだ。
「それは、それは」
ここでスーパーロボの正体を明かすことはゴジラ松井王子に死を与えるに等しい。王警部にスーパーロボの正体をあかし、海底原人ラーの攻撃の先鋒をまかせることになったら、ゴジラ松井王子はその機械に殺されてしまうことになる。いやだ、いやだなり、ゴジラ松井くんはまみりの未来のお婿さんなり、ふたりで幸せな家庭を築くなり。
「それは、それは」
まみりはまだ言いよどんでいた。いつも一緒にいるペレ石川の顔がぼんやりと煙って見え、はるか遠くにいるような気がする。
「このままでは、海底帝国ラーの王子はますます殺戮と破戒を繰り返す。まみりちゃん、きみたけが人類を破滅から救えることが出来るのだ」
王警部はぎろりとした目でまみりを見つめた。しかし、その目の集団は王警部を中心にしているというだけで、取調室にいる全員の目を含んでいた。
あの奇獣たちも人類の範疇に入らないくせに非難めいた表情をして、まみりを睨んだ。
とんとんとそのとき、取調室の入り口を叩く音がした。ドアが開くとそこにはまみりのつんくパパが立っている。
「矢口、心配することないで、すべて正直に話してしまえ」
パパのくせにつんくはまみりを名字で呼んだ。まみりはパパの方を見た。まみりは何も考えることが出来なかった。
「パパの方から話そう。実は王警部、あの巨大ロボット、スーパーロボ、ヤグチマミリ二号を作ったのは僕なんです、ハロハロ学園の中で矢口がいじめられているというのを聞いて、僕が作ったんです。矢口、矢口の言いたいことはわかる。スーパーロボがゴジラ松井王子を殺すための道具に使われるのではないかということだろう。王警部、スーパーロボを海底原人ラーの逮捕のために協力させましょう、しかし、そのためにラー、ことゴジラ松井くんを殺すことがないと保証してくれますか」
その問いには王警部が答えずに井川はるら先生が答えた。
「もし、剣聖紺野さんがゴジラ松井くんと戦えば相打ちになるか、ゴジラ松井くんが斬り殺されるのか、どちらかです。しかし、スーパーロボだったら、ゴジラ松井くんは生きたまま逮捕されるでしょう。そのことはわたしの黒魔術の研究からも結論づけられます」
「そのことを聞いて安心だ、なあ、矢口」
つんく博士はまみりの方を見た。
「わたしもそのことを保証しましょう。まず、多くのの罪を犯した、隠密海獣王は自分のおかした罪のつぐないをしなければなりません。そして罪をつぐなったあとに、社会復帰をするでしょう。そのあと、まみりちゃん、きみはラー王子と結婚して幸せな家庭を築けばよい。待てますか、まみりちゃん」
今までの不安に押しつぶされそうになっていたまみりは王警部の一言で救われた。心が自由になり、大空に解き放たれたようだった。
「待てるなり、待てるなり、まみりは待てるなり。ゴジラ松井くんと結婚できるなら、まみりは何年でもゴジラ松井くんが刑務所から帰ってくるの待つなり、そして幸福な家庭を作って赤ちゃんをぽこぽこ産むなり」
隣でその言葉を聞いていたマミーポコ石川はもらい泣きをしている。
「まみり、幸せになってね」
これでスーパーロボがゴジラ松井対策に使われることが決定したのである。
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 夜の国道を覆面パトカーが快適にとばしている。運転しているのはあの王警部である。そしてその横の助手席にはまみりが座っている。王警部はまわりの景色がうしろに流れて行くのを見ながら、まみりに話しかけた。
「きみのパパには感謝しているよ。スーパーロボを使えば、今度のあの悪魔対策もばっちりだよ」
王警部は少し言い過ぎたかと思った。
「ごめん、ごめん、悪魔だなんて言って、まみりちゃんの未来のだんな様だったな」
「仕方ないなり、そう言われても、海底原人ラー王子はまみりにとっては王子様だけど、ほかの人にとっては悪魔なり、でも、ハロハロ学園にいたときはまみりのだんな様はヒーローだったなり、まみりが飯田たちからいじめられていると助けてくれたなり、それにあのハロハロ馬鹿学園のフットサル大会で優勝に導いたなり。まみりは応援に行ったなり」
「ゴジラ松井くんと会えなくなってどのくらいが経つ」
「三週間ぐらいなり、まみりはあの暴れん坊の怪獣とハロハロ学園のゴジラ松井くんが同じ人間だとは信じられないなり」
王警部の心の中にも感慨深いものがあるようだった。
「まみりちゃん、まみりちゃんはゴジラ松井くんにラブレターを渡したんじゃないのかい」
するとまみりはびっくりしたような顔をしてハンドルを握っている王警部の横顔を見つめた。
「いいんだよ。まみりちゃん、何も言わなくて。スーパーロボの正体を知りたくて、まみりちゃんには悪いけど、いつもまみりちゃんのことを僕は尾行していたんだよ」
矢口まみりはあのゴジラ松井くんに校門でラブレターを渡したときのみじめな気持を思い出していた。確かにまみりはゴジラ松井くんのことが死ぬほど好きである。ゴジラ松井くんが王警部に逮捕されて、裁判を受け、刑務所に収監されても、罪のつぐないが終わるまで、まみりは何年でもゴジラ松井くんが出所してくるのを待っているつもりである。何年でも何十年でも、なぜならゴジラ松井くんはまみりにとって運命の人だからである。でも、でも、まみりは不安になる。まみりは確かにゴジラ松井くんのことを死ぬほど愛している。でも松井くんは。
 そう思うとまみりは悲しくなった。王警部はほほえんでいる。しかし、それは人を馬鹿にする微笑みではない、冷笑ではない、王警部もある意味ではまみりを愛しているのかも知れない。でもそれは男女の愛ではない、親が子供を、親鳥が雛を、そうなんの見返りもつかない無償の愛だった。
「まみりちゃんが松井くんにラブレターを渡しているのを僕は見ていたよ、そう、突き返されたね、それから松井くんのかばんの中からは無数のラブレターが出てきた。僕はそのあと松井くんと一緒に川の端を歩いたんだよ」
まみりは何で王警部がこんなことを言うのかわからなかった。自分を笑い者にしているのかと思った。
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王警部は夜の街をハンドルを握りながら疾走して、自分の若い頃を思い出していた。鏡子夫人にみかんのへたをとってもらったこともあった。そしてそのときのグラビアがみかんのへたを夫人にとって貰って口に入れている王選手というタイトルでグラビア紙の見開きに載ったこともあったことを思い出していた。若いっていいな、と王警部は思った。そして若いから不安にもなる、そう、お互いに愛し合っているのに。
「まみりちゃん、僕の話している人物はラー帝国の悪魔王子のことではないよ。ハロハロ学園のまみりちゃんの同級生のゴジラ松井くんのことだよ。まみりちゃんはラブレターを渡したのに、ゴジラ松井くんのかばんの中からは飯田さんや、安田さん、それにイワン・コロフやハンス・シュミット、それにルー・テーズのラブレターが出て来たことや、きみは本当は強いんだろうと言われたことに不安になっているんだろう」
まみりは無言で正面を向いたまま、王警部のほうを見ないでうなずいた。
「そう言ったときの、ゴジラ松井くんの気持の中がわかるかい、そう、いつもハロハロ学園のヒーロー、ゴジラ松井くんの中にはあの隠密怪獣王としての行動が心に影を落としていたんだよ。自分は人間ではないんだ、海底原人ラーの生き残りなんだというね、それに、ゴジラ松井くんはあの勝ち鬨橋で戦った巨大ロボットがまみりちゃん、そのものだと思っていたのかも知れない、だから、きみは本当は強いんだろうと言ったのかも知れない、でも、まみりちゃんからラブレターを貰っても素っ気なく、それを返したゴジラ松井くんの本当の気持ちがどんなものなのか、まみりちゃんにわかるかい」
「ゴジラ松井くんは迷惑そうだったなり」
王警部はまた慈愛に満ちた目で矢口まみりをちらりと見ると微笑んだ。
「そのあと、僕はゴジラ松井くんと川の端を歩いたんだよ、そのときのゴジラ松井くんの様子は苦しげだった。きっと何か、心の中に葛藤があるようだった」
まみりはちらりと王警部の顔を見上げた。
「それから、僕と松井くんは土手に座って少し、語ったんだよ。僕は、まみりちゃん、きみのことを誉めておいたんだよ。松井くんのお嫁さんには君が一番ふさわしいってね。きみが本当はまみりちゃんのことが好きなら、まみりちゃんを受け入れて欲しいってね、そうしたらに、ゴジラ松井くんは今までで一番苦しそうな表情をしたんだ。・・・・・・
そして僕は確信したよ、松井くんは、ゴジラ松井くんは、世界中の誰よりもまみりちゃんのことを愛しているってね」
「・・・・・・・・・・・」
しばらく、長い沈黙が続いた。横にいてもまみりの表情に輝きの戻って来たことを王警部は感じていた。フロントガラスにぼんやりと映った矢口まみりの瞳はきらきらと輝いている。王警部は期待していた。まみりは第二の父親として自分に甘えてきて、たよりにするだろう。そして自分と鏡子夫人の新婚の頃を、きっと自分の参考にするためにまみりは、その日々のことを聞いてくるに違いないと、どうすれば、もっと仲良く出来るかというような秘訣を聞いてくるに違いないと思っていた。しかし、まみりは違うことを聞いてきた。
「王警部」
まみりの声ははずんでいた。
「なんだい、まみりちゃん」
「王警部は算盤が一級なりか」
「そうだけど、まみりちゃん」
「まみりにも算盤を教えて欲しいなり、ゴジラ松井くんと結婚したら、まみりは家計簿をつけるつもりなり」
そのとき、運転している王警部の目の前で大きく手を振っている男がいて、びっくりした王警部は急ブレーキを踏んだ。止まった覆面パトカーの運転席の横に手を振っていた男が走り寄って来て、顔には困惑と懇願の色が表れている。
「助けてください、助けてください、石が倒れて、石が倒れて、友達が挟まれて動けないんです」
車が止まった横は大きな大木がたくさん植えられている公園になっている。王警部もまみりもそのただごとでない様子に驚いて車から降りた。
「友達が岩の下敷きになって動けないんです、血も出ているんです」
森のような公園の中にその男のあとについて、王警部とまみりはその中に入って行った。男は森の中をずんずん入って行く。そのうちに男の姿は見えなくなった。王警部とまみりは名前もわからない男を呼んでみた。
「騙されたか」
王警部は舌打ちをした。
「戻るか」
王警部は公園の入り口の戻った。
「ちくしょう」
王警部は叫んだ。覆面パトカーは走り出して向こうの方へ行った。
「王警部、そこに」
まみりはすぐそばに千シーシーの排気量のオートバイが止まっているのを発見した。うまい具合にキーも差したままになっている。
「王警部、後ろに乗るなり」
まみりがオートバイにまたがって叫んだ。あわてて王警部が後ろに乗るとオートバイはものすごい勢いで発進した。王警部は思わずまみりの背中に抱きついた。まみりのドライビングテクニックはすごかった。あらゆるロードレーサーやモトクロスレーサーも凌駕するものがあった。あっという間にふたりを乗せたオートバイは逃走車両の背後、五メートルくらいまで近づき、最後はカーブになっている崖の側面をほとんど水平になって走って行き、覆面パトカーの前方に回り込んだ。まみりに抱きつきながら、王警部は後ろの逃走車両に威嚇射撃をすると、その車は止まった。王警部はこのトランジスターグラマーが世界チャンピオンも顔負けのドライビングテクニックを持っていることを発見した。驚愕の発見だった。
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(小見出し)悲しい石川
 右側を見ると鉄条網の中の空き地に雑草がたくさん生えているところを過ぎて崩れかけた
お稲荷さんの門を抜けると石畳みが不定に浮いたり、沈んだりしている道を井川はるら先生と
チャイニーズ石川が歩いていた。この幽霊屋敷の中の細道みたいな石畳の横は赤い錆止め塗料を
縫ったトタン板の倉庫が続いている。その小道の行き着くさきには神社とも稲荷ともはっきり
言うことのできない、ちょっと無気味な感じのほこらが建っている。そのほこらの中には
ほこりや汚れでなんだか判然としない霊的ないわれを持つものが奉られている。
「とうとう、ゴジラ松井くんも警察に逮捕されちゃうのね。ゴジラ松井くんというよりも
海底原人ラー王子と呼んだほうがいいかしら、わたし、ラー王子がまみりちゃんに
近づいているときから、なんか、あの巨人については不信感を持っていたのよね。
やっぱり人類の敵だったのね」
「はるら先生はゴジラ松井くんが嫌いなんですか」
「嫌いというわけではないけど、まみりちゃに近づいているときから、
何かいやな感じがしたのよ。わたしの黒魔術の占いでも、そう卦が出ていたわよ。
でも、スーパーロボを使うというのはいいアイデアだわ。はやくスーパーロボに
こてんこてんにやっっけられちゃえばいいんだわ」
「はるら先生、お言葉ですが、ゴジラ松井くんをやっっけるためにスーパーロボを
使うのではないですわ。海底原人ラー王子として逮捕するんですよ」
「でも、コリアン石川、わたしもあなたもあの巨大ロボットを見たことがあるけど、
あんなん大きいものをどこに隠しているのかしら、あなた、知っている」
「はるら先生、これは内緒ですよ。まみりのパパのつんく博士から、警視庁は借り受けて、
あの鋳物工場の空き地を知っていますか、鋳物で客船を作るという変な計画を
立てていたことがあったじゃないですか、あの工場の施設がそのままになっているので、
スーパーロボはあそこで寝ているんですって、王警部に教えてもらったんですけど、
あの工場の屋根がなかったら、もし、上空から飛行機か、ヘリコプターで見たら、
あのスーパーロボットがそこで寝ているのが見えるはずですよ」
井川はるら先生もその工場のことは知っていた。その工場へ大型の高圧線が何本も
引き入れられている。そういえば、あの巨大ロボットが仰向けに寝て、ちょうど良い、
大きさだ。
「刑務所で刑期を終えて、ゴジラ松井くんは出所したら、まみりと結婚するんでしょうか。
はるら先生」
「そんなことはありえないわ。まみりちゃんはわたしのものですもの。アレクサンダー石川、
でも、なんで、そんなことを聞くの。そうだ、まみりちゃんが結婚してあなたと遊んでくれず、
幸福な家庭を築くことをあなたは怖れているのね」
「そんなことじゃないです。はるら先生」
「じゃあ、どんなこと、グレムリン石川」
「最近、まみりが輝いているように思えるんです。何か、宝を手に入れているみたいに。
まみりは大切なものを手に入れたということでしょうか」
貧乏石川はあえて永遠の宝という表現はとらなかった。
「ふん、そのうち、まみりちゃんも目を覚ますでしょうよ」
井川はるら先生にも微妙なムーニーズ石川の内心は推し量ることは出来なかった。
ふたりは話しているうちに、あの四次元世界の想像物のようなほこらの横を通り過ぎると
古い木がたくさん並んでいる参道のようなところに出た。昔の家がたくさん並んでいる。
茶店や仏壇屋なんかがあった。その人が三人も並べば手狭になるような細道の
並びに駄菓子屋があった。その駄菓子屋の老婆が小学生の耳をつまんで激しく叱責していた。
「この、どろぼうが、まったく、どんな教育を親がやっているというんだい。この貧乏人が」
 ***特別出演・・・・石川の弟***
青ばなをたらした小学生が駄菓子屋の老婆の餌食になっていた。
小学生は耳をひっぱられながら暗い顔をしてうつむいている。
「梨佳男」
その小学生を見て、ミザブル石川は思わずその小学生のそばに駆け寄った。
はるら先生はどういうことかわからずにその場に立ち尽くした。
「この子が何をしたんですか。おばあさん」
「何をしたかだって、このガキがここにあるくじつきの黄粉飴を突然、
わしづかみにすると口の中にほうりこんで、逃げだそうとしたんだよ」
「本当、梨佳男」
梨佳男と呼ばれた正統貧乏石川の弟は黒い顔をしてうつむいたままだった。
「この子を許してください」
「お姉ちゃん、あんた、誰だい」
「この子の姉です。実はこの子も私も親がいないんです。
人さらいにさらわれてただで働かされているんです」
「ふん、そんな言い訳は通用しないよ。どろぼうはどろぼうだからね。この貧乏人」
その言葉を聞くと、れっきとした貧乏人の貧乏石川の瞳には涙があふれてきた。
なんで、弟をせめることが出来るだろう。自分も盗みを働いたことがある。
それは小学生のときだった。クラスで自由時間のとき、みんなが自分の家から
好きなおもちゃを持ってきていいと担任の教師が言った。
小学生たちは好きなおもちゃを家から持って来た。おもちゃのミサイル、
ままごとセット、大型自動車、子供たちはそれぞれ好みのおもちゃを持ってきた。
しかし、貧乏な石川はおもちゃ、ひとつも持っていなかった。小学生石川は
三っ離れた席に座っている金持ちの女の持っているミルク飲み人形を触りたくて仕方なかった。
その女が便所に行ったので思わず、その人形のそばに行って、そのミルク飲み人形をいじっていると、
その金持ちの女が戻ってきて、
「どろぼう」
と大声で叫んだ。何度も何度もどろぼうと叫んだ。
「違う、違う、ちょっと触っただけだわ」
貧乏石川の抗議は聞き入れられなかった。担任の教師はわたしはいじきたないどろぼう娘です、
というサンドイッチマンの看板のようなものを作るとプアー石川の首に通して、
校庭を一時間歩かされた。そのあいだ校舎の窓から、
それを見ていた全校生徒たちは腹をかかえてげらげらと笑っていた。
 そのときの思い出を石川は思いだしていたのである。
「ひどい、貧乏人だなんて」
仕置き人石川はポケットの中にある小銭を取り出すと駄菓子屋の
老婆に投げつけてやろうと思ったがポケットの中には何もなかった。
「・・・・・」
「わたしが出すわ」
井川はるら先生が三十円を老婆に渡すと、老婆はまだぶつぶつと言っていたが、
石川の弟を解放した。
「あんた、どろぼうなんてして、どうするの。おなかが減っているなら、
わたしが家でインスタントラーメンを作ってやると言っているでしょう」
石川の弟は無言だった。
「いいの」
井川はるら先生はそう言ったが何がいいのか、よくわからない。
他人にはわからないことがあるのかも知れない。
そこで駅のそばに来たので井川先生はその場を離れた。
 ふたりの兄弟はとぼとぼと家路に向かった。
「姉ちゃん、僕みたいな弟を持って恥ずかしいかい」
「ううん、そんなこと、姉ちゃんが玉子の入ったインスタントラーメンを
作ってあげると言っているのに」
「姉ちゃんに心配をかけたくなかったんだ。最近の姉ちゃんは少し、おかしいんだもの」
「どう」
「夜中に寝言でまみり、殺してやる、なんて言ったり。
台所で泣いていたりするじゃないか。それにこの前なんか、寝言で松井くん、
行かないでなんて、言っていたよ」
清純派貧乏石川はどきりとした。
ああ、弟は、いくら、偽っていても本当の自分を見ているんだわ。
*****************************
************************************
 家に帰って乏しい生活費の中から支出したものを家計簿につけていると、天井からぶら下げられた裸電球がゆらゆらと揺れ、天井裏でねずみがごそごそと動いた。肥後の守で削った鉛筆で弟に買ってやったインスタントラーメンの値段を記帳する。ここ、二三日、インスタントラーメンしか買っていなかった。
そんなインスタントラーメンでも石川の弟は貧乏人らしくうまそうに食べた。父親が女をつくって家出してから、母親は夜の勤めに出て、客に媚びを売り、酒をついで生活費を得ていた。母親は清純派貧乏石川と同じようにスレンダーな体型を保っていたから、それなりに客はついた。母親は酒のにおいをぷんぷんさせながら、化粧も落とさずによっぱらったまま、家に帰ってきた。そして家でも寝酒だと言ってコップ一杯の安酒をあおってからふとんの中に入る。
 ときとして見も知らない男の肩を借りて建て付けの悪い戸をがらがらとさせて家の中に入ってくる。そんなとき、薄倖少女石川は母親に殺意を抱くこともあるのだった。
 この家を出たい。貧乏石川はそう思うと開いている家計簿の上に一粒涙が落ちた。そして石川はほつれた髪をかき上げると、ところどころ、ひびの入った鏡で自分の顔を映してみた。十九才になったわたし、なんで、なんでなの。石川は自問した。
 まみりにごじら松井くんというラー帝国の王子様の恋人が出来て、運命の恋に身を焼いて、それなのに、わたしは、わたしは・・・・・。・。
あああ・・・・・・・
   男が欲しい、おとこが・・・・
さむいわ。・・・・・・・
石川は横を見るとぼろぶどんの中で弟がすやすやと寝息をたてている。薄倖石川はふとんの中に静かに入って行った。そして弟の体温が感じられるくらいそばに近づくと、いとおしそうに弟の顔をじっと見つめた。
ああ、これがゴジラ松井くんだったら、どんなにいいことか。
チャーミー石川は本当は道化のようにまみりとゴジラ松井くんの橋渡しをしていたが、あの海底王国、ラーの王子に対して激しい恋の炎を燃やしていたのである。
 誰かが自分のふとんの中に入ってきたことを石川の弟は感じた。そして目を開くと月明かりの中に自慢の美人の姉の顔がある。しかし、その姉の頬は濡れている。
「姉ちゃん」
しかし、姉は無言だった。
石川の弟は小学生だったが、姉の本当の気持ちを知っていた。
「姉ちゃん、僕は姉ちゃんが自慢なんだよ。みんな、僕のことを貧乏石川って馬鹿にしているけど、みんな僕にはきれいな姉ちゃんがいるって有名なんだよ、僕を馬鹿にしている奴らも僕の横に姉ちゃんが立っていると恥ずかしくて声もかけられないで通り過ぎて行くんだよ」
「梨佳夫・・・・・」
ふたつの枕に頭を横たえた兄弟が話している。
「僕、姉ちゃんの日記を読んじゃったんだ」「梨佳夫・・・・」
石川梨佳はふとんの中のなま暖かい弟の手を強く、握りしめた。
「ハロハロ学園のゴジラ松井くんのことばかり書いてあったのを、僕、見ちゃった。姉ちゃんはゴジラ松井くんのことが好きなんだね。それに」
「・・・・・・・」
「姉ちゃんは本当は矢口まみりのことが大嫌いなんだね」
笑われ者石川は頭を強く、ぶたれたような気がした。
「今度、スーパーロボを使って、ゴジラ松井こと、海底帝国ラー王子を逮捕するという計画が立っているんだってね、そしてラー王子は刑務所に入れられて罪の償いをする、そうしたら出所して矢口まみりと結婚するんだって、そしてそれはかなり確実なんだって」
その言葉を聞くとゴジラ松井くん一筋石川はまた悔し涙がこぼれてきた。
「そんなの、ずるいよ。なんで、そうなるの、矢口まみりなんかより、お姉ちゃんのほうが何百倍も素敵だよ。お姉ちゃん、そうでしょう。僕は、僕は、お姉ちゃんに幸せになって、もらいたいんだょーーーーん」
男のいない石川は弟の身体を思い切り、強く抱きしめた。
「苦しい、お姉ちゃん、やめて。それより、これを見て」
寝ていた弟は手を伸ばすと森川のチョコボールの金の缶を手元に引き寄せた。弟が自慢の姉ちゃんの次に大事にしている宝物である。「姉ちゃん、これ」
そう言って石川の弟は金の缶のふたをあけると、その中にかまどうまみたいなものがうごめいている。
「きゃー、田中れいなみたいに気持悪い」
ソフトクリーム石川は思わず、声を上げた。「姉ちゃん、よく見て、これ。首に何か、書いてあるでしょう。ほら虫眼鏡。学校の帰り道で拾ったんだ」
「なになに」
なになに坊主石川は弟から虫眼鏡を借りるとその気味の悪い昆虫を拡大して見た。首に確かに何か輪ゴムで但し書きが書かれている。石川はその文句を見てみた。
「この生き物は宇宙で一番、歯の丈夫な生物です。なんでも囓りきります。ただし、餌は砂糖水です。わたしには飼いきれないので捨てます。拾った人は大事に育ててください。エルゴート星、ペット大好き、宇宙人より」
「姉ちゃん、これ、本当なんだよ。理科の準備室に人造ダイヤがあるんだけど、それに砂糖水をつけたら全部、食べちゃったんだから」
「梨佳夫、あなたは何を考えているの」
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 海底一万マイル、奇態な深海魚が我が者顔で泳いでいる海の底に水晶で出来たような海中宮殿都市があった。深海の底は夜中のように闇の中にたたずんでいるはずなのに、金属の化学反応で使う炎色判定のように青い光で輝いている。それだけではない、宮殿の中はいろいろな光が交叉していた。そこはまるで巨大なステンドガラスの見本市のようでもあった。その巨大な宮殿の中で古代帝政ローマ時代のカエサルのような服を着たゴジラ松井くんことラー王子は誰もいない光の宮殿の中を進むと透明な大理石で出来た机の前に腰掛けて、そのだぶだぶの服の中から手紙を一通取り出した。それはハロハロ学園を最後に離れるというとき、奇獣新垣の手をへて、ゴジラ松井くんのもとに届けられた矢口まみりの手紙だった。ゴジラ松井くんはその巨体を大理石の椅子の上におろし、くつろいだ表情でその手紙を見つめた。
「松井くん、これで松井くんには当分会えないかも知れません。やっとの思いで奇獣新垣がこの手紙をあなたに届けてくれることを承知してくれました。わたしは奇獣にも人の心があることを知りました。
 わたしがハロハロ学園に入学したとき、人よりも半分も高いあなたの上半身がすっくりとハロハロ学園の生徒たちが集っている中にあることを見つけて、思わず、あの巨人は誰と、隣にいる石川に聞くとあれが噂のゴジラ松井くんよと答えてくれました。そのときは、あなたはまだわたしの憧れの人でしか、なかったのです。
しかし、あなたのことを知ってからは高い塔にとらわれの身になっている姫君のようにあなたの姿を追い求める身になったのです。この思いをあなたに伝える空を自由に飛ぶ羽根があればと、あなたの姿を恋焦がれました。わたしは駅の雑踏の中にあなたの姿を探すようになりました。わたしは不安に日々、悩まされるようになりました。
 しかし、ある吹雪の吹いた晩のことです。夜が明けると吹雪はやんでいました。雨戸を開けると一面は銀世界に変わっていました。朝日が白い雪にきらきらと反射していました。わたしはその日を境にそんな不安から解放されていたのです。それまでわたしはあなたのことで心の中はいっぱいだったのです。そんなわたしの願いを神様は聞き届けてくれたに違いありません。夢の中にあなたは現れました。そして永遠の愛をあなたは誓ってくれたのです。
幸福とはなんでしょうか。わたしはもう不思議と不安ではありません。どんな孤独に置かれていてもわたしはあなたのことを思うと春のひだまりの中にいるように、遠い場所にいるあなたがすぐそばにいるように感じられます。あなたはわたしの隣に立って、やさしく声をかけてくれるのです。わたしは何も入りません。あなただけがそばにいてくれたら、それで幸せです。まみりはゴジラ松井くんに一生ついて行きます」
その手紙にはまみりの宝物だという幼稚園のときに見つけたせみのぬけがらが一緒に入っていた。
ゴジラ松井くんはその手紙を握ると海底に面している大きなガラス窓のそばに行った。すると奇妙な深海魚が泳ぎ回っている中で深海のさらに奥底から地獄の怨霊のようなうめき声が低く仏教の声明のように響いた。それは本当に地獄からのうめきのように聞こえた。「まみりくん、もし、僕がラー帝国の王子として生まれなければ、そしてきみが人間の女の子として生まれなければ」
ゴジラ松井くんは暗い海底を見つめながら低くつぶやいた。
 その水晶の宮殿の中の大廊下の向こうから七色の深海魚の鱗や色とりどりの珊瑚を使った豪華な衣装を着たみずぶくれをした女が歩いてくる。その姿を見るとラー王子、ゴジラ松井くんは片膝をついて敬意を表した。
「深田皇后」
「殿下、皇后という呼び方はやめてよ、ここでは恭子ちゃんと呼んで」
水ぶくれをした女はラー王子を見ると微笑んだが、その手元に握られている紙片を見ると表情が変わった。
「秀喜、まだ、あなたはあの女に未練があるの。あなたは人類すべてを憎まなければならないのよ。聞こえる、あのわが同胞のラー原人たちのうらみと苦悶の声が、ラー原人たちは人間によってほろぼされたのよ。ラー帝国はすでにあなたとわたししかいない。地球を完全な水の惑星にしてラー帝国を再建しなければならない、それがあなたのお仕事よ」
「恭子ちゃん、わかっています」
ゴジラ松井はまた巨大な身体をねじると、あの漆黒の海底の怨霊たちのうごめきを苦悶の表情をして見つめた。
「わたしが、このラー帝国に来て何年がたつかしら、そしてわたしはあなたを生み、あなたは成長した」
海底帝国ラーの生き残りのひとり、府下だ恭子はラー帝国の皇后でもある。そして府下だ恭子はむかし、つんく博士の恋人でもあった。「人類、すべてを滅ぼすのよ、まず、最初に血祭りに上げるのは、つんく博士、あなたよよ」
府下だ恭子はつんく博士を最後に見たときのことをはっきりと覚えていた。
それはニューヨークにミュージカルを見て、帰る船のちょうど太平洋の真ん中のできごとだった。夜中に火事が発生し、船の中の客たちは逃げ回った。府下だ恭子はつんく博士を捜して甲板に出た。そのとき急に船は内部の爆発で傾き、あやうく、氷の海上に投げ出されようとしたとき、偶然にも甲板の手すりをつかんだ。そのときである。あの恋人のつんく博士を見つけたのである。
府下だ恭子は恋しい恋人を見つけて安心した。つんく博士。しかし、つんく博士はカメレオンのような青い顔をして冷徹に府下だ恭子を見ていた。それはまるで地獄から来た悪魔のようだった。
 そして次に出てきたつんく博士の言葉は信じられないものだった。
「お前なんか、死んじゃえ」
府下だ恭子は自分の耳を疑った。さらに信じられないことにはつんく博士は手すりにぶら下がっている府下だ恭子のそばに行くと、落ちないように握っているその手の指を力ずくで一本一本ずつはがしていったのである。
「なぜ、なぜ、つんく博士」
府下だ恭子は悪魔のように笑う、つんく博士の道化顔を見ながら、氷の海に落ちて行ったのである。
 そして気づくと半魚人が自分の顔をのぞき込んでいた。それが海底帝国ラーの第八代皇帝、ラー松井八世だった。氷の海に落ちた府下だ恭子は命を失ったが、海底帝国、ラーの高度な科学力により、海底原人として生き返ったのだった。そして海底原人恭子はラー松井八世と結婚して、王子、ゴジラ松井くんを生んだ。しかし、海底帝国ラーには悲劇が待ち受けていた。ある国が生物兵器を開発して海中に不法投棄したのだ。深海まで到達した、細菌は増殖して海底原人たちを襲った。海底帝国には奇病が発生した。人間の遺伝子を一部残していた府下だ恭子皇后とゴジラ松井王子だけが生き残り、ラー帝国に住むラー原人たちはみな死に絶えた。
 府下だ恭子皇后は人類に復讐を誓った。人類を滅ぼし、陸地をすべて水没させ、地球をラー帝国化することを心に誓った。そのためには超古代マヤ帝国の神官、奇獣新垣とそのパパとママ、くーちゃとほーちゃんがどうしても必要だったのである。
***************************************************************
 一日の仕事、つまり太平洋の五百メートル海面下を航行中の原子力潜水艦を破壊したコジラ松井ラー王子は疲労を感じながら、水底宮殿にある自分の寝室に戻って来た。疲れた身体をベッドの上に投げかけようとすると、幔幕の影に人影を感じた。
「誰だ」
ゴジラ松井くんは叱責した。
幔幕の影から人が現れた。
「お会いしたかったです」
そこには薄絹を来たスタイルのいい女が立っていたのである。薄絹の下には裸身を感じさせる身体の線がある。ラー王子ゴジラ松井は緊張と同時に驚きがあった。ここは海底下五万マイルである。誰もここにはやって来られないはずである。
「ゴジラ松井くん」
身体の半分を幔幕に隠しながら、その影が王子に声をかけた。
「きみは、なんで、ここにいるんだ」
そこには身体の線があらわれる薄い布の服を着て石川梨佳の生身の身体があったのである。石川は髪を洗い晒したようにほどいていた。
「会いに来たんです」
情熱的な瞳でじっとゴジラ松井くんを見つめた。
「きみは・・・・・」
群よるハロハロ学園の女の子たちの中でゴジラ松井くんは、その名前を探していた。矢口まみりしかゴジラ松井くんの眼中にはなかったから、他の女の子の名前を覚えている余裕はラー王子にはなかった。こんな女の子がハロハロ学園にいただろうか、ラー王子の大きな頭の中では記憶の鍵を探すこびとが走り回った。そして、シノブスのある突起をさぐりあてた。そう言えば、まみりちゃんの横で使い走りのように走り回っていた女の子がいた。背中に貧乏を背負ったように目立たない感じの女の子だったが、今は身体の中に何かを住まわしているように光り輝いている、どうしてなんだ、こんないい女がいただろうか。でも、どうして、ここにいるんだ。人間がここに来られるわけがない。
「ラー王子、あなたに会いに来たんです。そう、あなたの好きなまみりの横にいつもいた、石川梨佳です。わたしはあなたが海底王国ラーの高貴な血筋をひく王だということを知っていました。そのときから、わたしはあなたをお慕いしていました」
ゴジラ松井くんは面食らった。しかし、半魚人としての食指が動いた。
「ここは海底五万マイルだよ、どうやってここに来られたんだよ」
「あなたに会いに来たんです」
石川梨佳の表情にはある決心があるようだった。
「ラー王子、あなたは知らないかも知れませんが、わたしは不幸な星の下に生まれました。いつもボロ家のすぐ裏では電車の騒音に悩まされ、近所ではおしめをぬらした赤ん坊が泣き騒ぎ、一升瓶をかかえたヒロポン中毒の親父が道路の真ん中で誰かれかまわずけんかをふっかけていました。そして、父親は女を作って家出し、母親はキャバレーでうば桜と罵倒されながら酒浸りの日々を送っている、そんなところでわたしは生まれ育ったのです。そこで、あなたがハロハロ学園に来たとき、わたしは心の中に灯火がともったのです。あなたを見ることは梨佳の幸せでした。わたしの心の中のほっかいろみたいなものだったんです。でも、あなたは高貴な生まれ、海底王国ラーの王子さま、そのうえ、あなたには矢口まみりという意中の人が、あなたのことなんか、忘れてしまいたいと何度思ったか、でも、忘れられなかった。それはあなたが何か不幸を抱えていたから、住む場所も身分も違っていても、梨佳と同じだからと思ったからなんです。わたしはただのハロハロ学園のお馬鹿たちたとは違います。わたしはこの不幸な境遇から抜け出したいという強い気持がわたしを超能力者に変えてしまったのです。わたしは百八十八の超能力を使うことが出来ます。そのひとつ、テレポーテーション、それを使って、あのお馬鹿たちばかりのハロハロ学園からこの海底王国に瞬間移動したのです」
「でも、なぜ」
すると、アダルト石川は恥ずかしそうに目を伏せた。
「あなたに、わたしが大事とっていたものを最初にあげたかったの」
その言葉を聞いてゴジラ松井くんの半分の魚の血がふつふつと沸きかえった。ラー王子は座っていた大理石の椅子から飛び上がると、大きなベッドの横に立っていたアダルト石川のほとんど裸体の身体をベッドの上に押し倒した。アダルト石川は巨大なゴジラ松井くんの重量を感じて喜びの中で半分、目を閉じた。次にくることを期待していたアダルト石川だったが、また、身体の上が軽くなっているのを感じた。アダルト石川はベッドの中で身を起こすと、ゴジラ松井くんが頭をかかえてしゃがみ込んでいる。
「だめだ、だめだ」
ラー王子は頭をかきむしっていた。
ゴジラ松井くん用の巨大なベッドから降り立ったアダルト石川はゴジラ松井くんのそばに行くと声をかけた。
「何がだめなの、わたしの愛しい人」
するとゴジラ松井くんは四十センチもある巨大な顔で菩薩様のようなアダルト石川の顔を見上げた。
「ラー帝国には、伝説がある。それは海底おきあみ大量発生伝説というものなんだ」
「それは何、わたしの愛しい人、ゴジラ松井くん」
「こっちに来たまえ」
ゴジラ松井くんはアダルト石川の手を引くと神殿のような場所につれて行った。その神殿には生け贄を捧げるような巨大な大理石の台が置かれていて、その前には巨大なルビーのダイヤルのようなものが置かれている。
「ラーの伝説なんだ。ラーの王と永久の契りを結ぶものはふたりでこのルビーのダイヤルを回さなければならない、ふたりがもし、運命のふたりだったら、そのダイヤルは回転して、それを載せている台からはずれる、すると海底に大量のおきあみが発生して、魚貝類がますます繁栄するだろうということなんだ」
「私の愛しい人、それなら心配はいらないわ。わたしと、この不肖、アダルト石川は運命の人ですもの。さあ、手をとって」
アダルト石川は情熱的な目でラー王子を見つめるとその手を取ってそのルビーのダイヤルを回そうとした。しかし、どうしたことだろう、ルビーのダイヤルは全く動こうとしない。アダルト石川とゴジラ松井くんはあせった。しかし、巨大船舶を片手で持ち上げることの出来るゴジラ松井くんにしてこんなものがはがせないというのはどうしたことだろう。
「ちょっとおかしいわね」
アダルト石川はばつが悪そうに苦笑いをした。
「でも、心配しないで、こんなこともあるわよ。さっき言ったでしょう。わたしの愛しい人。わたしの百八十八の超能力ひとつ、顔面なんでも変換を使うわ」
そう言って超能力者、石川梨佳は猫が顔を洗うように顔をごしごしした。するとどうしたことだろう。顔が矢口まみりに変わってしまったのだ。
「これでよしと」
石川梨佳はひとり納得していた。まるでゴジラ松井くんとの結婚による生涯設計プランを組み上げたようだった。
「さあ」
アダルト石川はゴジラ松井くんの手をとるとそのルビーのつまみに軽く触れてみた。するとどういうことだろうか。少しも力を入れないのにつまみは自然とはずれてしまったのである。そして生け贄を晒す台のようなものが五十センチほどせり上がった。そしてどこから来たのか知らないが神殿の隅の方から数え切れないほどのさざえが現れい出て、歓喜の鳴き声を合唱し始めた。
「これでいいわ」
身体はアダルト石川、頭部は矢口まみりとなったアダルト石川はその台の方に近づくと肌の上に直接つけていた薄絹を脱ぐと輝かしい裸身が現れた。しかし、石川の身体に矢口の頭部をつけているので多少アンバランスの感は拭えない。アダルト石川はその台の上に横たわると、静かに目を閉じた。
「さあ、ゴジラ松井くん、来て」
この地球上のいたるところでおきあみが大に発生した。
一時間後にやっちゃった女、石川の姿は石川のボロ家の台所にあった。鼻をたらした弟の石川梨佳夫はいつものようにやっちゃった女石川が台所のごま油をなめているのかと思い、声をかけたが暗闇の中で石川は嗚咽
している。
「ねえちゃん、どうしたの」
振り返った石川の瞳は涙で濡れている。
「梨佳夫、わたしは悔しい。矢口、殺してやる」
弟に抱きついた、やっちゃった女、石川の嗚咽は止まらなかった。
「貧乏人だって、貧乏人だって、運命の人と大恋愛をしたいわ」
貧乏石川は叫んだ。そして台所の隅で泣き崩れた。
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 「今日は、歌姫、高橋愛、ユーの労をねぎらおうと思って、招待シマシタ」
エフビーアイ捜査官、新庄芋は六本木の高級ステーキ店に探偵高橋愛を招待した。探偵、高橋愛は来たくもなかったのだが、自分の依頼をしている相手なので無碍にことわることも出来なかった。それと、最近、妻ゃ子供をなくしたばかりの男性ホストみたいな男が自分に好意を持っているということが疎ましかった。高橋愛にはモータウンでデビューして全米進出を計るという大きな夢がある。このモーニング娘もその踏み台にしか過ぎない、自分に近寄ってくる男もすべて邪魔者でしかない。なんで、こんなところで足踏みをしていなければならないだろう。そんな内心の気持が出ているのか、店内のムードを高めるために落とした照明も、少しも気にいらない。高橋愛の眼中にはひとりの男もいなかった。自分に寄ってくる男はすべて道具に過ぎない。手持ち無沙汰で探偵高橋愛はテーブルの上にあるダイヤモンドのようにカットされた塩の瓶をいじくった。
「相変わらず、君はきれいだ。高橋愛」
「お上手ね」
その言葉を聞いて高橋愛は温泉に行き、新庄芋と同じ湯船につかったことが思い出されて不快になった。
「誰にでもそう言うんでしょう」
「勘違い、ミーはめったにそんなことは言わない。そんな言葉が出て来たのも、ミーの亡くなったワイフと、ユーだけだヨ」
「それは光栄ですわ」
「ユーは真面目にミーの言葉を聞いてクレナイ。カナシイヨ」
「そう」
探偵高橋愛は少し悪い態度だったかなという気持にもなった。しかし、その言葉がどこまで本当なのか、探偵高橋愛にも新庄芋の本気度を測ることが出来ない。
「ミーもユーの気持が何か、わかるような気がする。ミーもゴジラ松井憎しの気持で凝り固まってイマシタカラネ、アハハハ」
新庄芋は少しキザっぽくワインを口に運んだ。探偵高橋愛もワインに口をつけた。
「タカハシアイのハロハロ学園のお友達のおかげでスヨ。これでゴジラ松井を完全に逮捕することが出来る。しかし、こんな身近なところにゴジラ松井退治の特効薬があるとはオモイマセンデシタ。アハハハハ、これで亡くなった人たちの思いも晴れますデス。エフビーアイの仲間も枕を高くして暮らせます。アハハハハハ」
なんだ、やっぱり、ゴジラ松井退治にわたしを利用しているに過ぎないんだわ、このいけすかない男は。そう思うと探偵高橋愛は少し物足りない気持も感じた。
「わたし、つき合っている人はいないんですよ、ミスター新庄」
「えっ、本当ですか、ユーはアメリカで暮らす気持はありますか」
やっぱり、この人、わたしに惚れているのね。
探偵高橋愛はまた揺れ動いた気持が少し逆の方に揺れた。
「最近、わたし、悩んでいるんです」
「なにをデスカ、ミス・タカハシアイ、ミス・ビューティー」
「歌のことなんですが」
高橋愛のその話の内容は音楽に関係しているものにとっては常識的なことなのだろうが、一般の人にとってはあまり理解の出来ない技術的な問題だった。自分がなぜそんな話をしているか、高橋愛にとってはよくわからなかった。自分でもよくわからないことについて悩んでいるのだから、新庄芋もよくわからないに違いない。しかし、新庄芋はその話をよく聞いてくれた。もしかしたらこの人は昔、歌をやっていたのではないかと、探偵高橋愛は思った。もちろん、そんなことはないのだが。そして意外とこの人の自分に対する気持は本当なのではないかという気もするのだった。しかし、自分自身の問題として、その歌に関する問題は高橋愛の頭の中を悩ましていた。
「ミス・ビューティ、今日、あなたを食事に招待したのは、これまでのあなたの働きに対する感謝デス。あなたにいいプレゼントがあります」
そう言って新庄芋が手を振ると、少し離れた席に座っている大柄な黒人がこっちを見てにやりと笑った。そして席を離れると探偵高橋愛の方にやって来た。思わず、探偵高橋愛は大きな声を出して新庄芋をその場もわきまえずに抱きついた。
「サンキュー、サンキュー、ミスター新庄」
そこにやって来たのはモータウンで実質的に新人の発掘と契約を行っている高名な音楽プロデューサーだったのだ。
新庄芋に抱きついて飛び跳ねている探偵高橋愛の抱きつき攻撃に絶えられなくなった新庄芋はあわてて横に立っている音楽プロデューサーを見ながら言った。
「あわてないでください。ミス高橋、彼がまだ、あなたをモータウンからデビューさせるというわけではないのですから。有望なアーティストを彼は探しに来たノデス。でも、心配しないでください。あなたのデモテープを聞かせたら、彼はひどくびっくりして、そして満足していました。あなたがモータウンからシーデーを出す可能性は非常に高いデス」
「ありがとう、ミスター新庄」
探偵高橋愛は新庄芋の手をとるとまた飛び跳ねた。新庄芋とこの音楽プロデューサーと探偵高橋愛の三人は楽しく会談を続け、そのうちに超古代マヤ人の話が出て来た。
「この話は誰にも言わないでクダサイ」
と新庄芋は釘をさして、そもそも、このハロハロ学園のお馬鹿たちを巻き込んだ騒動の根本原因の神官たちの話題をその音楽プロデューサーにすると、その超古代マヤ人たちを是非にも見たいと言いだした。
最初は渋っていた新庄芋だったがその音楽プロデューサーを警視庁につれて行くことにした。探偵高橋愛も久しぶりに、かつてはハロハロ学園の同級生だった新垣を見たいと思った。いったい、あの新垣はどうしているのかしら。
三人が警視庁の玄関に行くとそこから王警部が建物の中に入るところだった。
「また、会いましたネ。ミスターオウ」
「君たちは」
「超古代マヤ人の神官たちを見にキマシタ」
「王警部は今日はどうして」
探偵高橋愛が言うと
「君たちと同じだよ」
と言ってそそくさと歩いた。
そしてエレベーターの前で下へ行くボタンを押すと振り返って
「今日のことは、絶対に他言無用だよ」
と言って厳しい表情をして探偵高橋愛たち三人を見つめた。
警視庁の内部には極秘情報がある。それは地下秘密五階にある秘密のフロアーである。そこはいつもエレベーターは通過して誰も降りることが出来ない、エレベータの操作盤のある暗号によってだけ開けることが出来る。それは指紋照合システムで可能だった。王警部は他の三人が籠の中に乗り込むと早速その指紋照合システムを使うために操作盤のふたを開けた。新庄芋もその秘密五階のことは知っていたが入ったことはなかった。
さては超古代マヤ人の神官たちは秘密五階にいるノデスネ。新庄芋は納得した。
その秘密五階というのは仲間が奪回に来そうな犯人を収容しておくための階だった。その奪回の方法というのも軍隊を想定した大掛かりなものである。そしてその階全部がその目的で作られていたが実際に犯人を収容するのは秘密五階のフロアーのちょうど中央の位置に六畳間くらいの部屋がつくられ、四方を厚さ三十センチの何層にも張り合わされた強化ガラスで覆われている。三百六十度どこからでも死角はなかった。
その秘密五階に降りると自小銃を構えた兵隊が十メートルごとに立っていて、その廊下を通って、その収監室に入った。探偵高橋愛は自分が動物園のパンダを飼育している恒温室に入ったのではないかと疑った。そしてそのガラス張りの部屋の中には光が満ちていた。「新垣」
探偵高橋愛は絶句した。その部屋の中に奇獣新垣とその仲間の二匹が入っていたのである。王警部が入って来たことを知るとガラスの窓にじっと顔をつけていた徳光ぶす夫がこつちを向いた。
「王警部」
その顔は無気力だった。
「決して粘土は入れていないな」
「もちろんです。王警部。砂しか、入っていません」
「粘土を入れてみろ、このビル中が水浸しになってしまう」
そのガラスの飼育室みたいな部屋の天井からは大きなマジックハンドが二本垂れ下がっていて、外から操作するらしい。そして部屋の中にはビニール製の芝生みたいなものがはられていて、部屋の中央は砂場のようになっていて、赤青黄色、原色の砂場遊びセットが放り投げてある。新垣はプラスチック製のやつでで砂を掘っていた。
「徳光さん、何か、変わったことはありませんか」
「ほーちゃんもくーちゃんもいい子ですよ。みんな、あの新垣が悪いんだ」
徳光ぶす夫は憎しみのこもった目で奇獣新垣をにらみつけながら防弾ガラスに顔をつけた。あの音楽プロデューサーは超古代マヤ人たちを見つけると喜びの表情を浮かべて飼育室のところに走って行き、やはり顔をガラス窓にくっっけた。
「みんな、新垣が悪いんですよ。くーちゃんとほーちゃんに悪いことを教えるから」
徳光ぶす夫はまたぶつぶつと言った。
「王警部、ほーちゃん、くーちゃんの処分が決まったんですか」
「今日は重大な日です。決定的な権限を持つある人が来ます」
探偵高橋愛は誰がくるのかと思った。そして部屋の中に緊急事態を知らせるサインが低くうなった。
「どうやら到着したようだな」
「ここか」
「ここだな」
「思った以上に広いな」
探偵高橋愛はどこかで聞いたことのある声を聞いた。
探偵高橋愛は自分の目を疑った。向こうから内閣総理大臣、小泉純一郎が横に小泉光太郎を従えて、そして二三歩、遅れて石原慎太郎東京都知事がやって来るではないか。
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「これが、人類を絶滅させるかも知れない、奇獣たちか」
石原慎太郎都知事は強化ガラスの中の化け物たちを見ると嘆息したようにつぶやいた。
三匹の奇獣たちは砂漠に住むという有袋類の小動物のように立ち上がって宇宙からの通信を感受しているようだった。そして頭を狂人のようにさかんにふっている。その動作を数秒してからまたしゃがみ込んだ。くーちゃんとほーちゃんはこちらを向いたまましゃがんで砂を掘ってみみずでも探しているようだったが、新垣一匹は向こうを向いたまま見物人から一番、遠いところで両手をついて砂の表面を哲学者のようにじっと見つめていた。そして、ときどき鼻くそをほじくりはじめた。
「これが珍種の生物なのか、貴重なものを見せてくれて、ありがとう。安倍官房長官の話によると粘土細工が彼らは得意だと聞いたが」
「とんでもありません。総理、こいつらに粘土を与えたら、東京中は水の底に沈んでしまいます」
王警部はあわてて否定した。
「王警部、見たところ、少し、人間のような外見をしているが」
飼育室の中にいる三匹にその声が聞こえたのかも知れない。三匹の顔中のいたるところから毛がもしゃくしゃと生え始め、毛だらけの毛虫のようになって救いを求める病人のように哀れっぽい顔をして小泉総理の方に悩ましい瞳を向けた。
「彼らは救いを求めているのではないかね。粘土の二百グラムでも与えて見たら」
「とんでもない、小泉総理、私は東京都民一千万の生命を守る義務があるんですよ。そんな不法なことが出来ますか」
石原都知事がそう言うとその声が聞こえているのか、三匹はふてくされたように畳の上で仰向けに大の字になった。
「お父さん、やっぱり、退屈しているのですよ。神官たちは」
「そうだ、考太郎、彼らに読書をさせよう。米百俵をもっているか」
小泉総理が横にいる小泉光太郎に催促すると彼はたまたま米百俵を持っていた。
「読書ぐらいなら、いいでしょう」
王警部は三冊の米百俵を受け取るとガラスの飼育室の小さな窓から、その三冊を差し入れた。そしてマジックハンドを操作して、くーちゃん、ほーちゃん、そして神官新垣のところに運んだ。その間中、徳光ぶす夫は彼らが神官たちの処分の決定権を持つということを知っていたのでさかんに揉み手をして媚びを売り、神官たちの寛大な処分をするようにと努力していた。くーちゃんとほーちゃんたちは米百俵をとり上げると、その持ち方は上下逆だったが、非常に興味を持っているようだった。
 しかし、新垣は違った。その本を取り上げると憎しみのこもった目をして秘密地下室に降りて来た三人に投げつけたのである。そして凶暴な表情をしてうなり、歯をむき出して威嚇した。そのあまりの勢いに三人は驚いた。「この神官たちは驚くべき、凶暴性を秘めている」
それはこの三匹の処分の方向を決定づけたようだった。そのとき、すすり泣きが聞こえて、誰かが床にひれ伏し、おいおいと泣き声を上げた。
「みんな、みんな、新垣が悪いんだ。ほーちゃんとくーちゃんに悪い影響を与えているんだよ。みなさん、みなさん、ほーちゃんとくーちゃんを新垣と一緒にしないでください」
そう叫ぶとおいおいと泣き出し、小泉考太郎の腕をつかむと哀れ乞いをした。徳光ぶす夫の顔は涙まみれになり、くちゃくちやになった。腕をつかまれた小泉光太郎はとまどいの表情をかくせなかった。
「くーちゃもほーちゃんもいいところがいっぱいあるんです。どうか、くーちゃんとほーちゃんを助けてください。この徳光ぶす夫が病気で寝ていたときはベッドの横にじゃがいものスープを作って持って来てくれたんです。ほーちゃんもくーちゃんも本当はいい子なんです」
言葉の語尾は涙声で聞き取れなかった。
中にいるほーちゃんとくーちゃんはその様子をじっと見ていたが新垣一匹は一番離れたところで鼻の穴を広げたいだけ広げてあくびをしていた。
「二匹はあなたの実の子供ではないじゃありませんか、二匹は地球外生物かもしれないのですよ。人類共通の敵かも知れません」
小泉総理は泣き崩れている徳光ぶす夫の手をとった。
「二匹とも、本当に本当にいい子なんです。動物園の人気者になるかも知れません。あの二匹を生かして置けば良い子たちのお友達になるに違いないんです。だから、総理も都知事もあの二匹を殺さないでください。そうだ、あの二匹は芸が出来るんです」
そのことに気づいた徳光ぶす夫は飼育室の厚いガラス窓のところに行くとガラス窓をこつんこつんと叩いた。
「ほーちゃん、くーちゃん、こっちにお出で」
芸という言葉を聞いてモータウンのプロデューサーも金沢で二歳のときから母親につれられて三味線を習い、門付けをして給食費を稼いでいた高橋愛も近寄って来た。
二匹はかつての自分たちの飼い主の変な表情に興味を抱いて近寄って来た。
「誰か、バナナを持っていますか」
徳光ぶす夫は後ろに控えている観客に要求すると、たまたま探偵高橋愛はポケットの中に乾燥バナナを持っていたので、そのしなびた果実を徳光ぶす夫に渡した。
「ほらほら、ほーちゃんもくーちゃんも、ここにバナナがあるよ。バナナ食べたくないかい。きみたちが狂言をやってくれたら、バナナをあげるからね」
徳光ぶす夫が手を叩くとほーちゃんとくーちゃんは所定の位置に立った。そしてへんな節回しで狂言ぶすを演じ始めた。人数がたりないので一匹が二役を演じる場面もあった。その場にいた者たちはみんなその舞台に釘付けになった。わずか数週間しか、修行しなかったのに、この二匹は芸道の深奥をつかんでいたからである。そのことは三味線を習っていた高橋愛にもわかった。高橋愛は同じ芸道を進む者として背筋が凍り付くような衝撃があった。神官新垣は相変わらず、向こうを向いたまま、肘枕をしながら鼻くそをほじっている。この一代の名舞台、ぶす、に何よりも感銘を受けていたのは、モータウンのプロデューサーだった。あまりの感動のために彼の四肢は硬直し、開いていたチャックを閉めることも出来ないほどだったからだ。
「オー、ビューティフル、ブラボー」
プロデューサーはその言葉を連呼した。
「オー、わたしは決めました。モータウンに連れて行くべき素材を」
彼のつぶやきは探偵高橋愛を凍らせた。モータウンに行くのはわたしじゃなかったの、わたしは三歳のときから三味線を習っているのよ。そのわたしが、二週間しか、ぶすを習っていない、超古代マヤ人に負けるはずがない。そんなことは絶対にありえない。絶対に。モータウンに連れて行くのは一組しかいないと彼は言っていた。するとこの珍獣カップルをつれて行くことは、わたしの芽がなくなる、どうしたらいいの。どうしたら、あっ、そうだ、こいつらが犯罪者だということにすればいのよ。いくらなんでも犯罪者をモータウンの人気者に仕立て上げるなんてことが出来るわけがないわ」
探偵高橋愛はポケットの中を探すと新聞の切り端が出て来た。
「ここにいる皆さん、騙されてはいけません。そんな子供騙しの芸で、ここにいる三匹は極めて凶暴で危険な存在です。ここにハロハロ学園内で起こった殺人事件の記事があります。その犯人は誰あろう、この三人なのです」
探偵高橋愛は副業に探偵をしている利点を生かしてもつともらしい理屈をつけて三匹たちを殺人犯人に仕立て上げる理屈を述べた。
「なんて、こと、言うんだよう」
徳光ぶす夫が泣きながら抗議して探偵高橋愛につかみかかろうとすると新庄芋がそれを止めた。
「嘘だ、嘘だ。ほーちゃんもくーちゃんもそんなことをやるわけがないんだ。もし、そうなら新垣がそそのかしたんだ。死刑にするなら新垣だけにしてくれよー」
徳光ぶす夫はまたしても泣き崩れ、その態度が探偵高橋愛の創作を半ば認めているのも同様だった。そして、小泉総理は電話をとった。「もしもし、安倍官房長官を頼む。直接、見た。この三匹は人類と相容れない存在だということがわかった」
その決定を知ってか知らずか、くーちゃんとほーちゃんは乾燥バナナをうまそうに食べているし、神官新垣は肘枕をしながら、うたた寝をして、ときどき鼻毛を抜いて、うつらうつらとしながら、南海の楽園でのバカンスでも夢見ているのか、ときどきにやにやしている。
秘密地下室を出て行くとき、新庄芋は探偵高橋愛に、これでモータウンデビューは決まりマシタネと言ってにやりとした。奇獣が三匹死ぬくらい、あなたの幸せに較べたらタイシタコトデモアリマセンとも言った。
神官たちの運命は死刑というにもその根拠もはっきりとしないので、石川県にあるゴジラ松井記念館の横に宇宙ロケットの発射台を作って、そこから宇宙に追放しようということになった。
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 ハロハロ学園の裏山の笹の茂みの影で不良たちがつるんでいると、見たことのある影が裏山の木の杭で出来た階段を上がって行く姿が見えた。
「オヤピン、あれは矢口の使い走りの石川じゃないあるか」
「そうだ、石川だ。何、あんなところを上がったり下がったりしているのじゃろう、オヤピン。さっきから、ずっと、あそこを上がったり、下がったりしているだべ」
「あの階段を上がったところには神社があるべ」
「あの神社かい。何でも、お百度参りをすれば願いがかなうなんて言っているけどな、あんなのは作り話に決まっているさ、あんなぼろ神社」
飯田かおりが笹の葉を引っ張った。
「でも、もう貧乏石川は一週間もお百度参りを繰り返しているって言いますぜ、オヤピン」
「あの、バカのやりそうなことだよ。きっと、金を拾えますようになんて願をかけているんだろう。あのバカのやりそうなことだぜ」
「オヤピン、それにしてもゴジラ松井くんはどこに行っちゃったんでしょうね。あたいなんか、ゴジラ松井くん目当てでハロハロ学園に来ていたんですからね」
「まあ、いいさ、ゴジラ松井くんがいなくなって、矢口まみりとつき合う芽がなくなったってことだからな。ゴジラ松井くんはみんなのものだからよ」
飯田かおりは不良らしく笹の葉を唇で挟んだ。
「オヤピン、石川もゴジラ松井くんが好きだったみたいですよ」
「どうして、そんなことがわかるんだよ。石川は矢口の使い走りでゴジラ松井くんにまみりのラブレターなんかを渡していたりしていたじゃないかよ」
「それがですね。オヤピン、本当はゴジラ松井くんと話したくて、まみりをだしに使っていたんですぜ、オヤピン。それが証拠に石川の筆箱の裏にはゴジラ松井くんと石川の相合い傘を自分で彫っていたらしいですせ」
「きっと、自分を矢口と同一視してゴジラ松井くんとつき合っていた気になっていたんだね。俺達もそんな石川を笑うことは出来ないけどな、あははははは」
飯田かおりが乾いた笑い声を立てた。
悲恋石川は自分のお百度参りを不良たちが見ているということは全く知らなかった。
 椎の木に覆われた手作りの参道を登って行くと半ば壊れた神社がある。そこには神主も住んでいなくて鬱蒼とした森の木に覆われている。最近、浮浪者がここで寝泊まりしていたのか、ペンキで落書きが書かれたトタン板が木に立てかけられていて、その下に落ち葉を集めて燃やした後がある。こんなところに来る人間は誰もいなかった。神社の背後はどうしたものか、火山岩の大きな塊になっていてそこを掘ったようになっていて、そこに神殿が立てられていた。神殿の奥の方は伺い知ることは出来ないが荒れ果てているようだった。そこからカラス天狗が出て来てもおかしくないような妖気が感じられる。
 「きっと神様は私の願いを聞き届けてくださるに違いない」
悲恋石川は固く、そう信じていた。
生物の授業が終わったとき、早めに教室から出て来た石川梨佳は黒魔術師井川はるら先生を待っていた。教室の前の扉が開き、出席簿を胸に抱いた井川はるら先生が出て来た。
「石川さん、いつも、まみりちゃんと一緒のはずなのに、今日はひとりなの」
「先生、先生に相談したいことがあるんです」
「なんですか。まさか、世界征服の方法を教えてくれというわけではないでしょう」
井川はるら先生がそう言って笑うと、はるら先生の肩の上から見たこともない生物が顔を出してけたけたと笑って、すぐ引っ込んだ。「先生、そんなものじゃありません」
石川梨佳の瞳は真剣味を帯びている。
「わかったわ。生物準備室で話を聞きましょう」
はるら先生は白い実験着のすそをひらめかして廊下をさきに歩いた。
前に来たときと同様に生物準備室の天井からは山羊の首や髑髏がぶら下がっている。ふたつ並んでいる大きな机の中に入っている田舎の診療所にあるような椅子の一つを引くとそのくすんだ青いモールの布張りの上に腰をおろすように勧め、はるら先生自身も座った。
「先生は黒魔術を使って何でも出来るんでしょう」
はるら先生はじっと石川の方を見つめた。
「好きな人がいるんです」
石川はぽつりと言った。
「その人を誰にも渡したくない」
石川の瞳はうるうると潤んだ。
「その人が誰だか、私は聞かない、でも、あなたがどのくらいの思いでいるかということよ。わかる、梨佳ちゃん」
「その人のためなら、わたし、死ねます」
石川梨佳ははるら先生の顔を見上げた。
「あなたの願いは叶うわ。ハロハロ学園の裏山に朽ち果てた神社があるじゃない。あそこに七日間お百度参りをするのよ。きっとあなたの願いは叶うわ」
石川梨佳は黒魔術の大家、はるら先生の言葉を信じて、七日間お百度参りを続けている。今日がその七日目である。もちろん、その様子をハロハロ学園の不良グループたちが見ていることは知らない。
 神殿の前に立つと石川は目をつぶり、手を合わせた。
「神様、お願いです。スーパーロボの弱点を教えて下さい。スーパーロボが出動することになればゴジラ松井くんは王警部に逮捕されることになるでしょう。そして、ゴジラ松井くんは矢口と結婚してしまいます。わたしが初めて好きになった人・・・・・・・」
石川梨佳の頭の中にはあの人間離れしたゴジラ松井くんの姿が思い浮かんだ。
貧乏石川は男を好きになったことがなかった。自分にはそんな資格がないと思っていた。毎晩、飲んだくれて男をつれて帰ってくる母親、その男というのも、石川の母親がキャバレーからくわえ込んでくる男だった。
石川と石川の弟が別の部屋で寒さにかじかんでいると、障子を隔てた向こうで男と女のあえぎ声が聞こえ、建て付けの悪い家具がぐらぐらと揺れた。そして夜が明ける前に男は出て行く、男は母親に金を渡しているようだった。
 だからハロハロ学園に初めて来たとき、ひときわ一頭地飛び抜けて背の高い、ゴジラ松井くんの颯爽とした姿を見たときは演歌のハイセイコー藤正樹を初めて見たときのような衝撃を覚えた。
 スポーツ万能、百人力の怪力、二百人分のカレーライスをペロリと平らげる姿、すべて石川の憧れだった。
 そのときから梨佳はゴジラ松井くんをお慕い申し上げていたのです。たんなる、あなたはわたしの憧れに過ぎませんでした。でも、あのことがあってから。
 石川の心の中にはあのときの感動が再び戻ってきた。
 全ての授業が終わってから、三年馬鹿組に担任の村野孝則先生がひょっこりと顔を表した。教室の入り口のところで、石川を呼んだ。
「石川、こっちに来い、ちょつと用があるから」
馬鹿組の連中は帰る支度を初めていたときだった。教室のみんながひそひそと囁いた。
「きっと、家庭の事情というやつだろう」
石川は恥ずかしくて耳が赤くなった。もちろん、すべての教室の連中が知っていたわけではない。家庭の事情なんていうことを知るには子供のようなクラスメートもいる。案の条、職員室に行くと、事務の先生も待っていて、
その話の内容は今度の遠足費を分割で払うかどうかという問題だった。石川は職員室を出るとき、誰かが笑っているような気がしたが、遠足に行ったときにはそのことは忘れて、すっかりと楽しんでいた。しかし、お昼の時間になって、自分は弁当を忘れていたことに気づいた。馬鹿組の連中は豪勢な弁当を広げていたが、石川は下を向いてうつむいたままだった。そのとき、うしろから、急に肩を叩かれるとそこにゴジラ松井くんが立っていた。ゴジラ松井くんは透明なパックの中におにぎりがたくさん入っているのを抱えている。それは先生やバスの運転手やバスガイドさんたちの昼食用で、それを持って来たらしい。
「きみと食べようと思って」
ゴジラ松井くんは微笑んだ。ゴジラ松井くんは石川をつれて馬鹿組から離れた河原にある大きな木の根方でふたり並んで白い塩味だけのおにぎりを頬張ったのである。横にはたくあんが三切れしかついていない、大きな塩むすびをである。ゴジラ松井くん、梨佳はあなたの優しさに凍り付いた心を溶かされたのです。そのときから梨佳はあなたが単なる憧れの人だけではなくなりました・・・・。
ゴジラ松井くん。
******************************************************************
「神様、神様、ゴジラ松井くんを誰にも渡したくありません。ゴジラ松井くんの赤ちゃんはわたしが生みます。このまま行けば、ゴジラ松井くんはスーパーロボットに逮捕されて、そして矢口と結婚してしまいます。神さま、ゴジラ松井くんはわたしの運命の人です。スーパーロボの弱点をスーパーロボの弱点を、そうしたら、この場で雷に打たれて、命を絶たれても文句はありません」
石川は手を合わせて神様にお願いをした。するとどこからか笛の音が聞こえ、おごそかな雰囲気があたりに漂い、まるで時代が古代に戻ったようになり、霊的な霧があたりを包んで、笛の音につれて雅楽の調べが流れ始めた。
「どうしたの」
霧に包まれてはっきりとは見えなくなっているあたりを見回した。
すると朽ちた神殿の奥の方から出涸らしのお茶みたいな衣装に全体を覆われた小柄な得体の知れない人物が現れた。そのねずみ男のような衣装に包まれて、その顔は見えなかった。「あなたは神様ですか」
神殿の中から現れたその人物に向かって恋に燃える女、石川は尋ねた。
「神ではないが、そのようなものだ」
声はしわがれている。
「黒魔術のはるら先生に教えられて、やって来ました」
石川はまだ手を合わせていた。
「お前の言いたいことはわかる。スーパーロボの弱点を教えろということじゃろう」
「そうでございます。神様」
「しかし、石川、スーパーロボが稼動しなければ、ゴジラ松井を逮捕することは出来ない。したがって、矢口まみりとゴジラ松井の結婚はなくなる。矢口まみりは、石川、お前の友達ではなかったのかな」
すると石川梨佳は苦しげな表情をしたが、はっきりと、また、顔を上げた。
「貧乏人だって、一生に一度は運命の恋に身を焼いても、天はお許しになるでしょう。わたしは自分を偽っていました。いつも、まみりの使い走りをして、自分の本当の気持ち、ゴジラ松井くんに対する気持を隠して生きていたのです」
神さまは衣装で顔が見えなかったが、無言だった。
「しかし、その恋、すべてを犠牲にしても投げ出す価値があるのかな」
「石川はその気持でここに来たのです」
そしてその顔のわからない神様はいやらしく、石川の身体をなめまわすように見つめた。
「わしは神の国で連れ合いが亡くなって、どのくらいの月日が経ったかわからない、ただではスーパーロボの秘密を教えることは出来ない、一体、お前はわしに何をくれるのかな」その言葉の意味は恋に燃える女、石川にもわかった。
「そのくらいの覚悟は出来ています」
石川はそう言って目をつぶった。
神殿の朽ちた階段をみしみしいわせて、神様が自分の方に降りてくることを石川は感じていたが、目をつぶっていたので何も見えなかった。そして神さまは自分の前に立っている。神様の腕が伸びてくるのを感じた。神様の手は石川の上着に触れた。神様は石川の着ているカーディガンを脱がせようとしているらしい。石川は身体を支えている力を抜き、だらりと下に腕を下げると、神様はカーディガンを下におろした。腕に絡んでいる袖が手首まで下りた。
ああ、わたしはゴジラ松井くんのために神様にこの身を捧げてしまうんだわ。
 と思うと、何かが飛ぶ気配がして神殿の中に着地する音がする。そして、からからと笑い声が起こった。
「ふはははははは、結構、結構、石川梨佳、お前の決心はよくわかった」
やられそうになった女、石川梨佳は目を開けると、神殿の上手の方に神様が立って大声を上げて笑っている。
「石川梨佳、スーパーロボの弱点を教えてやろう。ほかの部分は壊れてもすぐ修理をすることが出来るが、首のところに小さな穴がある、そこにスーパーロボのエネルギーを潤滑させる装置がある、そこを壊すとスーパーロボは二ヶ月は修理不能だろう。しかし、スーパーロボの外壁は地上のあらゆる工作機械を持ってしても穴を開けることは不可能だ。あとは自分で解決しろ。あははははは」
神様は高らかに笑いながら光の渦となって天上に昇って行き、見えなくなった。
 ハロハロ学園の向かいにあるファミリーレストランで三年馬鹿組の不良たちがたむろしていると、少し離れた席で見たことのある目のぎょろりとした男が静かにコーヒーを飲んでいる。保田がまっさきにそれを見つけた。
「見て、見て、桜田門が来ているよ」
その声が聞こえたのか、その男は不良たちの方を見るとぎろりと睨んだ。
「ばか、保田、聞こえるだろう」
リーダーの飯田が叱責した。
「それより、あのウェーター、ちょっぴり、可愛くない」
とろんとした目をして小川が最近、入ったウェーターを見つめた。不良たちはいつも男を狙っていた。ウェーターは蝶ネクタイを直しながら、不良たちの視線に気づいたようでちらりと彼女たちを見た。
「あっ、あいつ、気づいているよ。からかってやろうか」
不良たちの中でこそこそ笑いが起きた。
「でも、ちょっと見たことあるような顔だな」
「勘違いだよ、オヤピン」
剣聖紺野さんだけは不良たちの後ろの席で宝刀、紀伊白浜丸を抱きながら、居酒屋で買った一升どっくりをテーブルの上に置きながら、手しゃくで、ひとりちびちびとやっていた。それを見た、このファミリーレストランの店長が
「飲食の持ち込みは困るんですけど」というと一閃、刀を払って、店長のもみあげ三本と胸につけていたネームバッジに一筋あびせると、店長は何も感じなかったのに、スローモーションフィルムを見るように、それらの物がゆっくりと床の上に落ちて行った。店長は恐怖に歯がガタガタと揺れて何も言えなかった。
ファミレスの入り口の方から入り口のドアについている呼び鈴が鳴って、大きなショルダーバッグを肩にかけて矢口まみりが入ってきた。そのことに気づいた不良たちは一斉にまみりの方を見たがまみりはあっかんべーをして返した。
 奥の方に座っていた王警部が手を挙げると、まみりを呼んだ。
「まみりちゃん、こっち、こっち」
「はーーーい」
その様子を見て、飯田が、なんか、すっごく、むかっくと言うと、剣聖紺野さんの剣がふたたび一閃、光って、空中を飛んでいる蠅をまつぷたっにして落ちて来た。
「王警部、待ったかなり」
まみりは座席の上に大きなボストンバッグを投げ出した。
そこへ例のウエーターがやって来てまみりの前にコーヒーを置いた。
「まみりちゃん、今日はいい知らせだ」
「何だなり、王警部」
「隠密怪獣王を逮捕出来る」
「ええっ」
「あいつは、きっと来る」
「どういうことなり、まみりはよくわからないなり」
「隠密怪獣王の餌を手に入れたんだよ」
「餌」
「そう、餌。つまり、超古代マヤの神官たちさ、きみのかっての同級生の新垣も含まれる。隠密怪獣王はきっとあいつらを取り戻しにくる。実はあの三匹を宇宙に追放することが決まった」
「ええっ」
まみりはあまりの突然のことに、声も出なかった。
「あの三匹は日本の重要機密として、警視庁の秘密地下フロアーに収監されていたが、小泉総理と石原都知事があの三匹を御覧になった。そして、あの三匹の凶暴性と危険性を認識されたようだ。あの三匹は地球を滅ぼす。直接、断を下された。あの三匹は、現在、石川県にあるゴジラ松井記念館の横に建設中の火星探査無人ロケットの燃料タンクをひとつはずして、そこに乗せて宇宙に追放することが決まった。発射日時も決まっている、ゴジラ松井記念館は、まみりちゃんも知っているとおり、海のそばにある、あの海底生物が上陸するのはもっともなことだ。あの三匹をロケットに乗せたとき、スーパーロボで隠密怪獣王をつかまえればいい、そうして、隠密怪獣王は罪に服すのだ。そしてまみりちゃんと結婚する」
まみりはテーブルの上にずり上がってくると王警部のあの何百万回とバットを降った手を握った。
「ありがとうなり、ありがとうなり、王警部、これでゴジラ松井くんは晴れてまみりと結婚出来るなり」
「実はロケットを打ち上げる日も決まっているんだ。十月十五日だよ」
王警部と矢口まみりがその話をしているあいだ、ずっとあのウェーターは王警部の後ろの開いている席に座ってナプキンを折っていた。話が終わるとウエーターは立ち上がり、厨房の中を通って、休憩するといい、レストランの裏手の駐車場に出た。あたりは薄暗がりで、人の顔もそばに行かなければよく見えない。そこにひとりの女が立っていた。
「姉ちゃん、聞いてきたよ。聞いてきたよ。十月十五日、その日にゴジラ松井捕獲のための大捕物が行われるんだって」
「梨佳夫、ありがとう。わたしもスーパーロボの破壊法がわかったのよ」
「姉ちゃん、姉ちゃんには苦労をかけたからね。姉ちゃんには幸福になってもらいたいんだ。この恋、成就してね」
「梨佳夫、ありがとう」
石川梨佳の瞳はもう濡れることはなかった、力強く夕闇の空を見上げたのである。
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 ハロハロ学園の北の方に鉄道の車両基地があり、その背後には灰色のなだらかな山が控えている。その鉄道基地がある関係からだろうか、その地域には大きな発電所があり、巨大な送電線が一本、その発電所の中心になるところに立っていて雷雨があると、その送電線のてっぺんに雷が落ちて、七色の虹のような火花が鉄塔のてっぺんから渦巻き状に発射される。
 その発電所の隣にスレート屋根の巨大な工場があって、屋根の真ん中から発電所の太い送電線が引き込まれている。そして工場のまわりは三メートルもある大きな壁で囲まれていて、出入り口は壁の真ん中ぐらいの高さの位置にあって、中世の城が城門が開いて中に出入りできるように、その出入り口が前に面している道路に橋が渡されて出入できるようになっていた。
 ここが鋳物で巨大な客船を作るという計画に使用されていたことはかって週刊誌で暴露されたことがある。しかし、その計画も頓挫して、知らない機関で管理されていたが、そこに何も変化はないようだった。しかし、最近、この廃棄されたような工場で変化があった。自動小銃を持った兵士のような人間が工場の中をうろうろしていることである。しかし、外部の人間はこの中に入ることが出来ないので、誰もこのことを知らなかった。
 最近、井川はるら先生が石川梨佳に語ったように、ここに巨大なスーパーロボが仰向けに保管されているのである。
 夜の十時、あたりには誰も人影がいない大きな産業道路を横に入った小道でこの工場の高い壁に面して、ふたりの兄弟がその巨大な壁を見上げている。
「姉ちゃん、ここだね」
「ここだよ。梨佳夫」
ふたりの兄弟はまるで鱗のない蜥蜴のような、黒いエナメルのスーツを着ている。
「どうやって入る、姉ちゃん」
「あの送電線を使って中に入るのよ」
「十万ボルトの高圧の流れる、電線の中をか、姉ちゃん」
「そうよ、梨佳夫、わたしたちは電気に姿を変えるのよ。それより、あのかまどうまのような虫を持ってきた」
「持って来たよ、ねえちゃん」
石川梨佳夫は森永のチョコボールの金の缶の蓋を開けてみせた。
「いいわ、梨佳夫、じゃあ、わたしたちは電気に姿を変えるのよ。わたしが身に付けた百八十八の超能力のひとつ、電気変換を使うわ」
すると超能力者、石川梨佳は胸の前で指を変なかたちにして呪文を唱えた。
 するとこのふたりは青紫色の浮遊する電荷の塊のようになるとうさぎが飛び跳ねて人参をつかむように高圧電線の中に吸い込まれて行った。そしてその瞬間には彼らは工場の内側に入っていた。そして青い炎のようなふたりはやがてその姿をスーパーロボの頭部を固定している作業のための骨組みの上に立っていた。
「姉ちゃん、ここに穴を開ければいいんじゃないの」
弟の梨佳夫はスーパーロボの巨大な頸部を見ながら指さした。梨佳夫はロボットの頸部のところに砂糖水を塗った。そしてあの宇宙人が捨てたペットのかまどうまみたいな虫を放すとその塗った部分に行き、五ミリくらいの大きさの穴をがつがつと開け始める。足場の下の方で靴がこつこつと音を立てた。
「姉ちゃん、誰か来たよ」
エスパー梨佳が下の方を見ると自動小銃を構えた兵士が下を歩いている。ここでふたりがスーパーロボの破壊工作をしていることには気づいていないらしい。
石川梨佳は魔女のような表情をすると右手の人差し指を一本立てた。するとどうだろう、魔女石川の指からは不思議なオーロラのようなものが発生した。それも、その形は南米の蝶のようだった。その青く発光する蝶は空中をゆらゆらと揺れながら、下の方に降りて行き、その兵士の首のあたりをちくりと刺すと兵士は眠り薬をもられたように、その場で眠ってしまった。
「梨佳夫、もう平気よ」
「姉ちゃん、この虫も、頭の中を食い荒らしたみたいだよ」
小さな穴の中から、また出て来た小さな虫を缶からの中に入れると、魔女石川梨佳は満足して、また、電気の塊のようになると、送電線の中に入って行った。
 ホームルームの担任の村野孝則先生が教壇の前に行ってもまだ、教室の中は騒がしい。不良グループたちは椅子に横座りに座って、カップラーメンでどこの銘柄のものがうまいか、なんてことをだべっている。
 その不良グループの中には当然のことながら、新垣は含まれていなかった。
「静かにしろ、静かに」
村野先生は教卓の上を出席簿でばんばんと叩いた。
「おい、加護、こっちを向け」
村野先生は髪を大きな櫛でとかしている加護の方に向かって叫んだ。
「今日は理事長からのお話だ」
めったに理事長からの話なんて、ハロハロ学園にはなかったので、みんなは聞き耳を立てた。
「今度、うちのクラスの新垣が火星探査ロケットで打ち上げられるという話しを聞いているな」
それは秘密事項のはずだったのに、ハロハロ学園の全員が知るところとなっていた。
「新垣の見送りをこのクラス全員でやることになった。うちのクラス全員がゴジラ松井記念館の横にあるロケット発射センターに行くことになった。クストー理事長はそのための特別専用車両も用意しているそうだ」
クラスの中ではざわめきが起こった。
「石川県まで行くのか」
「そうだ」
「なんで新垣は火星探査ロケットで火星まで送られてしまうのよ」
瓦版屋の吉澤が尋ねると、担任の村野先生はもっともらしいことを言った。
「宇宙人が新垣にプロポーズしたそうだ。なんてな、はっきりしたことはわからない」
うそだなり、新垣は危険物質として宇宙に追放されるなり。大人は嘘つきなり。
矢口まみりは心の中でそうつぶやいたが、発言しなかった。
「クストー理事長の特別なおはからいで父兄の方も新垣見送り列車に乗り込んでいいそうだ」
まみりはこの事実をパパのつんく博士に伝えることにした。
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「変な格好なり」
まみりが叫ぶと小川がこっちを見て振り向いた。
「似合うでしょう。この帽子」
小川はスペインの貴婦人が被るような変な帽子を被っている。東京駅の十七番ホームに長大な貨物列車が止まっていて、客車の入り口のところで村野武則先生と井川はるら先生が何か話している。飯田かおりが弁当売り場の前で立ち止まって牡蠣弁当というものをじっと見ていた。加護と辻は駅の売店で買ったスポーツ新聞の格闘技欄を読んでいる。もう列車の中に乗り込んだのか、保田が窓から首を出してホームの方を見ていた。どういう手づるか知らないが、藤本までもが子分をつれて列車の中に乗り込んだ。
 「動物までつれて来ていいの」
吉澤にそう言われて、まみりが振り返るとつんくパパの横にはダンデスピーク矢口が立っていた。
「つんくパパ、なんでダンデスピークまでつれて来るなり」
「矢口、こいつが行くと言ってきかなかったんだよ」
つんくパハは言い訳めいた寝言を言った。だいぶ眠たいらしい。
「まみり、おはよう」
横を見るとやられちゃった女、石川が横に貧乏な弟を立たせてこっちを向いた。
「石川、弟をつれて行くなりか」
「まみり、弁当も出るんでしょう。弟のごはんを作ってやらなくてもいいじゃない」
その言葉のあとで石川がゴジラ松井くんを取り戻してやると言った声は聞こえなかった。
「おーーーい、みんな、もうそろそろ列車の中に乗り込まないとだめだぞ、みんな来ているか」
村野武則先生が列車の中、外を見ながら、そう言うと、小川が紺野が来ていないと叫んだ。
「なに、紺野が来ていない」
村野先生がつぶやくと、横で低くくぐもった声が聞こえた。
「来ているべし」
そこに剣聖紺野さんはいた。今日は背中に宝刀、紀伊白浜丸をたすきに背負って、その背後からはいつものように殺気と怨念のかげろうがゆらゆらとゆれている。
「来ているべし」
剣聖紺野さんはふたたびそう言った。これ以上、何かを言ったら、斬り殺されるかも知れないと思った村野先生は紺野さんから顔をそらしてホームに残している生徒たちや、父兄に対して叫んだ。
「あと五分で列車は発車します。みんな、乗り込んで、乗り込んで」
村野先生は生徒たちのおしりを押した。
「乗るべし」
紺野さんは再び無気味につぶやいた。
まみりは列車の入り口から中に入るとき、ディゼルの動力車が前方に三台も積まれているのが不思議だった。列車に乗り込んだ生徒たちは自分たちの荷物を網棚の上に置いた。
「先生、お弁当は出るんですか」
まみりの隣に座っている石川が突然、立ち上がると素津頓狂な声を出して尋ねた。そのうしろの席で、石川の弟が不安気な表情をして石川の座っている背もたれに手をかけながら前を見ている。
「出るよ」
「父兄にもでるんですか」
「出るよ」
「ゆで玉子も出ますか」
「出るよ」
「オレンジジュースも出ますか」
「出るよ」
それを聞いて安心したように石川は腰掛けた。
やがてごろりと列車の鉄輪がまわって列車は石川県に向けて出発した。
 まみりはヘッドフォンをかけて音楽を聴いていると、辻が揺れる電車の中を揺れながらやって来て、さきいかの袋をもって来た。
「喰う」
辻はそう言いながらさきいかをひとつまみ取り出すと口の中に入れた。
「そんなもの、うまくないよ」
辻のあとを追いかけるようにして、今度は加護がやって来て、加護はえいひれの乾燥したのをひとつまみすると口の中に入れた。
前の方では村野先生に保田が向かい合わせに座って、熟考している。それをとり囲むように安倍が見ている。村野先生はビニール袋を持っていて、その中には白と黒の碁石がたくさん入っている。村野先生と保田の前には携帯の碁盤が置かれている。ペロペロキャンディを舐めながら、その様子を見ていた吉澤はそのあまりの白熱した様子にひやかす気にもならなかった。
まみりは後ろの方を見ると藤本がさっき子分に買いに行かせたサンドイッチをつまんでいる。座席のうしろの方で刀のつかだけが飛び出していて、そこからは妖しい妖気が漂っている。そこは剣聖紺野さんの座っている席だった。まみりはさっき飲んだジュースのせいでトイレに行きたくなった。
 そして前の方の席によろよろと歩いて行った。新聞をめくる音が連続して聞こえる。一番前の席の右側を見ると、あの三匹の奇獣たちがいたのである。三匹は三匹とも経済新聞を広げて読んでいた。その横ではあの徳光ぶす夫がタオルケットを持って、ときどき、くーちゃんとほーちゃんがよだれをたらすとそれをふいていた。新垣は一番窓際の席に座っていて、窓のところには瓶入りのヨーグルトが置いてあった。
「まみりちゃん」
突然、声をかけられてまみりは驚いた。一番前の席で王警部が石川県の旅行ガイドを見ながら、こっちを向いたからである。列車の横には田んぼが途切れて今度は畑が続いていた。鉄路は緩やかな傾斜に入っている。今までよりもその進行して行く音は大きくなった。まるで前方に三台、つながれている機動車が唸っているようだった。
「ディーゼル機関車が唸っているなり」
「まみりちゃん、ホームにいるとき、気づかなかったのかい、後ろの方にホロの被さっている車両があっただろう。あそこにスーパーロボが眠っているのさ」
「スーパーロボもこの列車で運ばれているのかなり」
「そうだよ。まみりちゃん」
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 「まみりちゃん、これで隠密怪獣王はスーパーロボに完全につかまってしまうね。これで、ゴジラ松井くんは完全に監獄に収監される。もう、暴れ放題に暴れるなんてことは出来なくなる。まみりちゃん、きみはゴジラ松井くんとどんな結婚式を挙げたいと思うんだい」
王警部がからかうとまみりは照れくさそうに頬を赤らめた。
「いやだなり、恥ずかしいなり、王警部、照れるなり、まみりは、まみりは、ゴジラ松井くんをつかまえたら、もう絶対に離さないなり。まみりのちっちゃな両腕でゴジラ松井くんを抱きしめるなり」
まみりが恥ずかしがって嬌声をあげて、身をよじると、通路を隔てて向こうの方に座っている神官たちと徳光ぶす夫は顔を乗り出して王警部たちの方をびっくりした顔をして眺めた。徳光ぶす夫の斜めに折った身体の影からそっくりな顔をした新垣たちがきちんと扇子の骨のように折り重なって顔を出した。
 そして、別に自分たちが呼ばれたのではないことに気づくと、最初に徳光ぶす夫が愛想笑いをして、つぎつぎと神官たちも重なるようにして愛想笑いをした。このときはあの凶暴な新垣までもが同じ動作をして、それから窓際に置いてあるガラス瓶入りのヨーグルトを木のスプーンですくうと、満足したように口に運んだ。彼らの顔は前に張ってある鉄道線路図にぼんやりと映った。
 「ある意味ではゴジラ松井くんを収監する、もっとも強力な監獄というのはまみりちゃんかも知れないな」
「王警部、何を言うんだなり。まみりは怒るなり」
まみりは口を尖らして、ちょっぴり、怒った。そこへ吉澤が通路を通って、やって来た。
「矢口、矢口、見たことのない男がいるよ」
「どこなり」
吉澤が車両のうしろの方を指差すと、列車の振動に少しだけ、ゆらゆらしながら、男がすぐ後ろの方の席からやって来た。
「王ケイブ、また、アイマシタネ。話は聞いてイマシタデス。まみりちゃんが監獄なんて、いい表現デスネ。愛の監獄というワケデスカ」
「矢口、この人よ。この人」
吉澤はまたこの男を指し示した。
「吉澤、この男は、エフビーアイの捜査官なり、まみりのことをゴジラ松井くんの監獄なんて、失礼なり」
「ミーも、そんな監獄に入ってミタイデス」
そこへ探偵高橋愛がやって来た。
「オー、わたしの女神さまがキタデス」
「わたし、あなたの女神さまでもなんでもないですわ」
探偵高橋愛の返答は素っ気ないものだった。
「高橋、噂は聞いているわよ。こいつと温泉に一緒に入ったんだって」
「入っていない」
すると吉澤は今度は、新庄芋の方に問いかけてみた。
「ノーコメント、デース。でも、マイ、ビューティ、高橋愛、あなたがわたしの愛の監獄になる可能性は充分アリマスデス」
と言ってにやりとした。
「ねぇ、矢口、高橋愛はやられちゃったの、やられちゃったの」
「そんなこと知らないなり」
この列車はほんの少しだけ斜面になった鉄路を走っているのかも知れない。桑畑の前に立てられているホーローびきの電気炊飯器の看板がうしろに流れていく。
 飯田かおりの前には辻と加護が座っていた。窓の景色を見ている飯田の目の前に信州の澄んだ景色が広がった。峻厳な稜線を見せる蒼い山が緑色の畑の向こうに見える。
「お城がある、お城がある」
「どこ、どこ」
畑の向こう、山並みの手前の街並みがほんやりと見えて、その中に美しいお城が見えた。
飯田かおりもそのお城を確かに見つけた。
「手前に見えるのは、松本市にある平城、松本城でございます。五層六階の大天守閣を持っています。慶長年間のはじめ、石川氏によって現在のお城が造られました。深志城とも呼ばれています。長野と言えば、武田信玄公は人は石だし・・・と言いましたが、信玄公の父親の信虎公は暴政を引き、甲斐の国から追放されました」
飯田かおりがバスガイドのように、城を見ながら解説を加えると、辻と加護は怒った。
「石だしじゃ、尿結石だわ」
「慣用句って途中まで覚えていても、後ろの方をよく、忘れちゃうのよね。辻も加護も宿題よ、調べておいて」
「やだべ」
辻と加護のふたりはアカンベーをした。
 この車両の前後にはトイレがあってまみりは前の方のトイレに行ったが、安倍なつみはうしろの方のトイレに行くことにした。矢口つんくパパはダンデスピーク矢口と一緒に座っていたはずだと思ったが、そこにつんくパパの姿は見えなかった。ひとりでダンデスピーク矢口が一号瓶の菊正宗を抱きかかえるように持って、手しゃくをしている。つんくパパがいないと思ったのは席から立ち上がったところだった。安倍なつみはさっきから尿意をもよおしていたので、そんなことよりもトイレに入りたいと思った。トイレのドアのところに行くと、使用中の看板が出ている。本当に中に入っているのだろうか。ハロハロ学園の馬鹿組の連中のことだから、いたずらをして看板だけ出しているのかも知れないと思った。保健の先生の安倍は前にも同じような経験をハロハロ学園の中でしたことがあったのだ。
 きっと誰かがいたずらをしているのだと思って、ノックをしてみると、中から、入っているわよ。と小川の声が聞こえた。
「誰」
「小川です、その声は安倍なつみ先生ですか。前の方にも、先生、トイレがあるんですが」
安倍なつみは小川のその声を聞いて、仕方がないと思って、前の方のトイレに行くことにした。そして通路をよろよろと歩いて行くと自分の座っている隣の席には井川はるら先生が座っている。その前には矢口つんくパパが座っている。ダンデスピーク矢口をひとり残して、この席に移って来たようだった。矢口つんくパハは片手に柿の種の入った袋を持って井川はるら先生に何か、話している。不思議だったのは、トイレに入っていた小川がそこに座っていたことである。しかし、尿意を催していた安倍なつみは前の方のトイレに駆け込むと、用をたしてから、また元の席に戻って来た。そこでは矢口つんくパパがさかんに井川はるら先生に話しかけていた。そのあいだに割り込んで、安倍なつみ先生ははるら先生の横に腰掛けた。目の前には小川が座っている。安倍なつみ先生はおかしいと思った。小川、あなたは後ろのトイレに入っていたんじゃないの。
「先生、ずっと座っていました」
「本当」
「本当です」
「安倍、どうしたんだ。ほら、柿の種、喰えば」
つんくパパが柿の種を出したので、安倍なつみ先生はそれを口の中に入れるとぼりぼりとかみ砕いた。
「本当に、娘が先生にお世話になっています。はるら先生、柿の種もう少し、そうだ、缶チューハイもあったんだ。飲みます」
つんくパハはもうかなり飲んでいるのか、少し、顔が赤くなっている。
 そこに酒乱石川がやって来て、つんくパパに文句を言った。
「矢口のパパ、ずるい、はるら先生ばかりにお酒を勧めて」
「石川、お前はまだ、未成年だろ」
口をすぼめて缶チューハイを飲みたそうにしている石川の手の甲をぴしりと叩いた。
「いたーい、矢口のパパ、矢口みたいに性格、悪い」
その声を聞いて、座席の上の方に刀のつかだけ出している、剣聖紺野さんの、その宝刀のつかがぐぎりと動いた。剣聖紺野さんの向かいには藤本が座っている。ふたりは国家転覆の方法について語り合っていた。
 そこには、矢口まみりを一生の敵と思い、ゴジラ松井くんへの思慕の炎に身を焼いて、恋の情熱にもだえ苦しむ、貧乏石川の姿はなかった。横に座っている弟に酌をさせて、少し、酔っぱらっているらしかった。
 「先生、はるら先生、なんで、ハロハロ学園に入ったんですか」
「はるら先生、わたしもその話は聞いていませんでしたわ」
横に座っている安倍なつみ先生も横を向いて是非聞きたい、という表情をしている。つんくパパも別に聞きたいとは思わなかったが、井川はるら先生が話しをするのは賛成だった。はるら先生の手元には古色蒼然とした箱型のカメラが置いてある。
「別に、わたしがどうして、ハロハロ学園に入ったかなんて、聞いてみたって仕方ないじゃない」
「はるら先生、知りたい」
つんくパハの横に座っている小川まことも首を突っ込んだ。
窓から見える松本のまちは通り過ぎて行った。
「わたしの家は西洋骨董屋をやっていたのよ。家の中にはギロチンの模型とか、西洋の呪いの道具とか、一見、普通の懐中時計だけど手に持っていると必ず、嵐の夜にその持ち主に雷が落ちる、時計なんかがあったのよ。その中で一番、興味があったのが、子供のサイズに合わせた真鍮の鎧があったのよ。一番、わたしはその鎧に興味を持っていたのよ。ある日、その兜の中の目が光ったような気がした。わたしはその頃、まだ、子供の時分だったけど、黒魔術を習い始めた頃だったから、幽霊の存在は知っていたわ。きっと、その鎧の中に幽霊が住み着いていると思っていた。するとその兜の仮面をその鎧の主が自分で開けたのよ。すると、その幽霊はどんな姿をしていたと思う」
はるら先生は小川の顔を見た。
「死人の、そう髑髏だったんですか」
前に座っているつんくパパが聞いてきた。
「それが、わたしにそっくりな女の子だったのよ」
「じゃあ、はるら先生には双子の妹がいたんですか」
「そうだったのよ。その子の話によると、わたしの実の妹だったのよ。わたしはその頃、黒魔術を習いはじめていたけど、わたしの黒魔術の力は父親がわたしの妹を悪魔に売ったので得た力だったのよ」
「ひどーーーぃ。妹が可愛そう」
座席の椅子のところに顎を載せながら、やじうま石川が叫び声を上げた。しかし、まだ柿の種をぽりぽりと食べていた。
「いつも、その真鍮の鎧を着た、妹と遊ぶのが、わたしの楽しみだった。でも、魔法学校から帰って来たとき、わたしの妹はいなくなっていた。父親がその鎧を売るのと同時に売り払ってしまったの。わたしは泣いて、父親に抗議した。その日からわたしは世の中を呪って黒魔術の世界に耽溺しはじめたの。魔法学校でわたしが泣いていると、黒魔術の力で、妹を捜し出すことが出来ると悪魔博士は言ったわ」
悪魔博士という名前が出て来たので、小川は無気味だと思って、ぶるっと、肩をふるわせた。
「そう、わたしは実の妹を捜すために、黒魔術の勉強をしたのよ。そして、どういうわけか、真鍮の剣だけは残っていたの。わたしは大人になって、黒魔術のある術を身につけた。そして、その真鍮の剣に呪文をかけると、その剣がわたしを実の妹のところに、導いてくれたの。それはハロハロ学園の校門のすぐそばにある古道具屋よ。そこのショーウィンドーに妹の鎧は飾ってあったのよ」
「先生、あの店ですか」
石川もその店を知っていた。
「あの気味の悪い、店主のいるところ」
「そうよ、小川さん。店の店主にわたしは訊いたのよ。その店主がわたしの家から妹を鎧と一緒に買っていった男だったのよ。でも、妹はいなかった」
「あの店主が殺したのよ、きっと」
安倍先生も口を揃えた。
「それは、わたしには判断出来なかったの、鎧を買っていったときには、妹は入っていなかったと、あの店主は言ったのよ。そして、その鎧と同時にわたしの家から買っていったものが、これよ」
そう言ってはるら先生は自分の膝の上に置いてある古色蒼然としたカメラをさししめした。
「その男はカメラもわたしの家から買って行ったと言ったわ、でも、売り払ったと」
「どこに売り払ったんですか」
そう言ってつんくパパは柿の種をぼりぼりと囓った。
「それを買ったのが、ハロハロ学園の理事長クストー博士のおいで、生物担当のコ・クストー博士だったの。それまではわたしはハロハロ学園なんていう学園があるなんて知らなかったわ。わたしは例の生物準備室にコ・クストー博士を訪ねた。そこに、このカメラを抱いたコ・クストー博士が座っていたの」
「ハロハロ学園には、そんな先生もいたんですか」
保健室の安倍にとっても意外な話だった。
「そう、コ・クストー博士は言ったわ、あなたは黒魔術をすべて身につけましたかって。だから、妹を捜すために黒魔術を勉強したと答えたのよ。すると、その、コ・クストー博士は言ったわ。ずっと、長いこと、あなたを待っていたわって。そして、今日からあなたはハロハロ学園の生物を担当してもらうって。そして、そのカメラでわたしの姿を映したの、すると、わたしと同じ、もうひとりのわたしがその場に現れたのよ。その双子の成人したわたしはわたしに向かって微笑んだ。そして言ったのよ。あなたが妹だと思っていたのは、この不思議カメラで映した幻だよってね、そして、コ・クストー博士は姿を霧のようにして消えた。そして、出席簿にも名札にもコ・クストー博士に代わって、井川はるらの名前に変わっていたのよ」
「不思議だ」
「不思議だわね」
「でも、ハロハロ学園らしい」
そこへ、王警部がまみりをつれてやって来た。「みんな、何を話しているんですか」
「井川はるら先生の身の上話を聞いたんですよ」
つんくパパは目を丸くして王警部の顔を見上げた。
「パパ、はるら先生にお酒を飲ませちゃだめなり」
「まみり、パパは公明正大だ、はるら先生にお酒なんて、飲ませていないぞ」
「まみり、でも、わたしに飲ませたわよ」
自分で勝手に酒を飲んだ、石川が抗議した。
「そんなことより、王警部、石川県に着いたら、どこに泊まるんですか」
はるら先生のハロハロ学園就任の裏話で盛り上がっているところにやって来た飯田が訊くと、王警部は顔を上げた。
「石川県の日本海側に押水というところがあるんだけど、そこにほとんど使っていない葬儀場があるんだ。飯も温泉もある。そこが宿だよ」
「ええええ」
「ええええ」
「えええ。葬儀場に泊まるんですか」
一斉にブーイングが起こった。
「飯も温泉もついているって言っているだろう。蟹雑炊もついているぞ。蟹も食い放題。温泉は白鳥風呂だ」
「そもそも、白鳥風呂って、なんだよ」
列車の中の馬鹿組のほぼ全員、そして父兄からもブーイングの嵐が起こった。実質的には死刑を待っているに等しい、新垣や、くーちゃん、ほーちゃんも文句を言った。ただ、満足そうに微笑んでいるのは、剣聖紺野さん、ただひとりだった。紺野さんは何がうれしいのか、ひとり、宝刀を抱きながら、にやにやしている。
「これもクストー理事長の決定だ」
王警部は叫んだ。
 列車は昼の一時頃、金沢に着いた。夜まではだいぶ時間があったので、馬鹿組の連中は兼六園を見学した。
 兼六園、日本三名園の一つである。裏京都とも言われる城下町金沢の雅な回遊式庭園である。前田公が開園して、池、灯籠、桜、松などを巧みに配している。
 日系二世、新庄芋はさかんにビューティフル、ブラボーを連呼しているが、それは横にいる探偵高橋愛を意識して言っているのかも知れない。新庄芋は本当に高橋愛と結婚するつもりかも知れない。お金を払うとお茶を飲ませる、抹茶だが、ところがあって、徳光ぶす夫はそれにひどく興味を持っていて、くーちゃん、ほーちゃんをつれてお手前を楽しんでいたが、ほーちゃん、くーちゃんも満足しているようだった。飯田や辻、加護、保田、小川たちは池の前でうんこ座りをして、池の鯉を見ながら小石を池に投げ込んで、管理人に注意されていた。庭園の一郭に秘宝館があって、銘刀が飾られているらしい。紺野さんと藤本はその銘刀を見に行った。まみりはここを何度もゴジラ松井くんは尋ねたのかも知れないと思うと感慨もひとしおだつた。
 それから自由時間になり、みんな金沢の町にてんでんばらばらに放たれたが、王警部は、井川はるら先生と安倍なつみ先生を誘った。「はるら先生、列車の中で旅行案内を見たんですよ。金沢で有名なラーメン屋があるそうなんです。安倍先生も行きませんか。矢口のつんくパパも」
「パパも行くなら、まみりも行くなり」
「まみりが行くなら、わたしも行く」
生涯の敵、石川もついて来た。そして、
石川の弟もついて来たのである。
石川の特殊な才能によって、石川と石川の弟のラーメン代は王警部が出すことになった。王警部の連れて行ったラーメン屋は金沢の街の大通りにあって、前は日本料理屋をやっていたそうである。少し高級な感じがした。個室があって、まみりたちはその中に通された。はるら先生たちがラーメンを啜っていると、吉澤があわてふためいて入って来た。
「はるら先生、大変です。大変なことになっています」
まみりはあわててチャーシューを飲み込みそうになった。
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「なによ、突然に、ラーメンを飲み込みそうになっちゃうじゃないの。吉澤さん」
実際、井川はるら先生はむせかえりそうになり、あわてて、コップの中の水を飲み込むと少し、咳き込んで、吉澤の方を見上げた。テーブルを囲んでいる、まみりや石川もあわてふためいている吉澤の顔をじっと見つめていたが、石川の弟だけは貧乏人が久しぶりに食物にありついたように黙々とラーメンを喰っていた。
「村野先生も向かっています」
「どこに向かっているのよ。吉澤さん」
安倍なつみ先生も額から汗を吹き出し、息を切らしている吉澤がなにを言っているのか、よくわからなかった。
「だから、飯田たち不良グループが地元の不良高校の連中に、何校もやって来ているみたいなんですが、囲まれているんですよ」
「そりゃ、大変だ」
王警部はそう言ったが、もちろん別の意味がある。
「金沢市民公会堂の前の大きな道ですよ」
「よし」
「行くなり」
井川はるら先生たちは椅子を勢いよく引くと立ち上がった。石川の弟だけはまだラーメンをずるずると喰っている。
「あなたも来るのよ。いつまでもラーメンを啜っているのよ」
石川はそれから、また、わけのわからない事を言った。
「一宿一飯の恩義という言葉があるでしょう」
石川は弟の手を引っ張ったが弟は小池さんのようにまだラーメンの丼を抱えていた。
みんなが外に出ると、村野武則先生が金沢の街の商店街の中を走っている。
「こっちですよ。こっちですよ」
つんくパパの走っている姿は金髪の頭髪で上着は銀ラメという一般人から見たら、正体不明な人物らしく、異様だった。まみりもある心配を持っていた。
囲まれている中に剣聖紺野さんが入っていないかということである。その中に剣聖紺野さんが入っていたら大変なことになる。
「まだ、だいぶ、あるのか、吉澤」
「もう、すぐですよ。村野先生」
村野武則先生は大部、息を切らしている。
「そもそも、原因はなんなんだ」
「バス乗り場で地元の高校生たちが礼儀正しく並んで乗り込もうとしていたら、飯田たちが無理に割り込もうとしたんですよ」
吉澤も息を切らしていた。
「小川が二、三人を投げ飛ばして、加護がヨーヨーでぽかりとやったんです」
「じゃあ、まるっきり、うちの方が悪いじゃないか」
「そしたら、殴られた高校生たちがそれぞれの高校の番長グループを呼びに行ったんですよ。だから複数の高校の不良たちが集結して、飯田たちを取り囲んでいるみたいですよ」
「ちぇっ」
村野先生は舌打ちをした。飯田たち不良グループを連れて来るなら、当然、こんなことは考慮しておかなければならなかったのに。
飯田たちはいつも外につれて行くとこんな不祥事を繰り返す。
前にもこんなことがあった。だからあいつらを繁華街につれて行くのは嫌なんだよ。つい最近も横浜に連れて行ったとき、同じようなことがあった。それをたまたま地元のテレビ局が取り上げて、本人たちは英雄気取りになっているんだからな、あのテレビ局の名前は何だっけ、そうだ、横浜太陽テレビって言ったけ、村野先生はますます苦々しい気持になった。ただ、祈るのは、剣聖紺野さんがその中にいないことだけである。
「あそこじゃ、ないですか」
王警部が人混みでごたごたしている場所を指さした。遠くから見ても、そこは人混みでごちゃごちゃと、まるで歩行者天国の中で、日本で一番人気のあるバンドが演奏しているようだった。
 その場所では交通標識の信号機だけがその集まりの上に姿を現している。人だかりがしている前にあるのが金沢市民公会堂らしい。その人だかりの輪の中にハロハロ学園の不良グループがいるらしい。そのやじうまの輪の一番、外側のところで無責任に中の様子を見ようと立っている四人がいる。その中の一番大人らしいのが振り向くと、徳光ぶす夫ではないか。徳光ぶす夫は夕方の散歩に自分の子供を連れている団地住まいのパパのようにくーちゃんやほーちゃん、そして新垣の手をつないでいた。
「徳光さん」
井川はるら先生が声をかけると、つぎつぎと芋の子のようにこっちを向いた。
「剣聖紺野さんは中にいますか」
「えっ、ハロハロ学園の生徒が中にいるんですか」
徳光ぶす夫はそんなことも知らないようだった。どうやら、地元の不良高校の複数の生徒たち、数百人に囲まれているらしい。その外側をさらにやじうまが取り囲んでいる。
「ああ、こんなときに、ゴジラ松井くんがいてくれたら、双方が丸く収まるなり」
まみりがそう思うと横にいる邪恋女、石川も祈りを捧げている。まみりの心にめらめらと怒りがこみ上げて来た。
「この見境のない女、石川、誰がいればいいと思っているのだなり」
「誰だって、いいでしょう」
石川の頭の中にあるのはゴジラ松井くんに決まっているなり、
「ふん」
「ふん」
王警部と村野先生は人垣を押し分けて、中に入ろうとした。
「おい、入れろ、関係者だ」
「うるさい」
「黙れ」
罵声と怒声でこの場は騒然としていた。
「入るなり」
まみりは四つん這いになると、人の足のあいだを抜けて、その中に入って行った。
飯田、保田、加護、辻、不良グループたちが円陣を組んで、地元の不良たちと向かい合っている。そしてなぜだか、わからないが藤本までいる。それに加えてダンデスピーク矢口までいるではないか。そしてダンデスピーク矢口はひどく好戦的になっていて、何かわめいている。気がつくと横にただ食い女石川がいた。
「まみりの家の猿まで参加しているじゃない。はちまきまでしているじゃないの。猿のくせに何をわめいているのかしら、でも、言葉の話せる猿って、はじめて見たわ。それにしても、あの声、どっかで聞いたことがある」
でも、石川はどこでその声を聞いたのか、どうしても思い出せなかった。
そして、いた、いた。その円陣と地元の不良たちのあいだのところに剣聖紺野さんが背中に負った剣のつかに手をかけながら、あたりを睥睨している。まみりはやばいと思った。剣聖紺野さんに剣を抜かせたら大変なことになる。死人が出る。それも半端な人数ではない。全員が紺野さんに斬り殺されてしまうかも知れない。
「紺野さん、だめなり。剣を抜いたら」
まみりは叫んだ。
そのとき、パトカーのサイレンが鳴り響き、消防自動車まで、やって来た。
「君たち、交通の妨害となっています。ただちに解散したまえ」
パトカーの中にいる警官が十数人、降りて来てその集団を分け始めた。実は徳光ぶす夫が手をつないでいた、くーちゃんが街路灯のところにあった緊急非常ボタンを押したのだった。
 そのあと、村野先生も安倍なつみ先生も井川はるら先生も警察署に呼ばれると厳重注意を受けた。もちろん、飯田たち、不良グループたちもである。そのあいだじゅう、剣聖紺野さんは警察署のビルの中で窓のさんのところに横座りして草笛を吹いていた。その姿を金沢の夕日が照らした。
さんざんしぼられて警察署を出た一行だった。出るとき、もう騒ぎを起こしませんという誓約書を書かされた。
 「ここだわ、ここだわ」
みんなの先頭の方を歩いていた石川が小さな畑みたいなところを抜けて行った向こうに、焼き場の煙突がひときわ高く、すっくりと立っているのを発見して言った。エベレストの登坂隊員みたいな集団がたどり着いた宿は焼き場というよりも、ふるさと創生資金の使い道も考え付かなかったので、とりあえず、地方美術館でも作ってみようかと言って作ったような建物だった。
「おう、よし、よし」
その建物の入り口のあたりに、巨大な幌を被された荷物がある。それが確かにあることを確認して王警部は満足そうに呟いた。もちろん、その幌で包まれた中にはスーパーロボが横たわっている。
「まみり、いたわね、いたわね」
恋敵石川は自分の目論見も覚られずに、その大きな荷物を見ながら、まみりの方を見た。しかし、飯田や保田なんかの不良グループはそんなスーパーロボなんかに興味はない、列の後ろの方をやって来て、さかんに腹、減ったなんて、繰り返している。
「ここも、クストー理事長が手配したのですか」
つんくパパが横を歩いている井川はるら先生に尋ねたが、代わりに王警部が答えた。
「そうですよ。ここもクストー博士が手配したのです」
「おーい、飯田、お前達、早く、来い。どこまで、俺達に迷惑をかけるんだーーー」
村野先生がそう言うと、後ろの方を歩いている不良グループたちはぶつぶつと文句を言った。
「うるせぇ、先公」
剣聖紺野さんは剣の道を究めるために上洛した武士のように、あたりを見回している。
まみりがダンデスピーク矢口の手を引っ張って歩いているように、徳光ぶす夫はほーちゃんや、くーちゃん、そして神官新垣と横一列に手をつないで歩いていた。不良たちがまだ、入り口につかないあいだに、村野先生たちはこの葬儀場の入り口に達していた。
旅館みたいに大きな玄関に立つと、村野先生は大きな声で来意を告げた。
「ハロハロ学園、三年馬鹿組です。今、到着しました。誰か、いませんか」
すると磨き上げた檜の床の奥の方から、和服を着た三人の女たちが出て来た。三人は横に一列に並ぶと、ふるさと怪奇館の自然に髪の伸びる人形のように挨拶をする。
「今度、ハロハロ学園のみなさんのお世話をすることになりました。亀井えり、百十七さい、道重さゆみ、百十六才、田中れいな、百十五才」
聞かれもしないのに自分たちの年齢まで宣言すると蛇女のように気味悪くまみりたちの方を見つめたのでまみりのみならず石川まで気味悪く感じた。
「あーあ、大変だった。大変だった。まったく、変な生徒たちをつれていると大変ですよ。夕飯の用意は出来ていますでしょうか、思わない騒動があって、疲れてしまいましたよ。うちの学園は女子高なんで、生徒たちはみんな同じ部屋でいいと思うんですが」村野先生が亀井えりたちと話していると、不良グループたちも玄関に到着した。
「じゃあ、こちらの田中れいな百十五才が案内します。いいわね、田中れいな百十五才」
「じゃあ、こっちに来てくださる、みなさんのお部屋のお世話をする、田中れいな百十五才、おばあちゃんです」
「お世話になりまーす」
一斉に声が上がって、馬鹿組の生徒たちは下駄箱に靴を入れると、玄関のスリッパに履き替えた。このときばかりは玄関に美しい花が咲き誇ったような華やかさがあった。
「まみり、不思議ね、見た目はわたしたちよりも若いように見えるのに百十五才だなんて、どうしたわけがあるのかしら」
ぞろぞろと田中れいな百十五才のあとをついて階段を上がって行くと、急に視界が広がって、階段を登りきったところで、広い階段が広がっていて、片側は大きな窓ガラスのついた外に面しており、また、片側は白い障子の部屋が三つ、並んでいる。田中れいな百十五才は廊下の途中で振り返ると、偉そうに宣言した。
「あなたとあなたは、ここ、あなたはここ」
それぞれの部屋を割り振った。
まみりはプロのボッケー選手のように持っていた荷物を畳みの上に投げ出した。石川も荷物を畳みの上に投げ出した。そしてもうひとりの同室者は吉澤だった。吉澤は畳の上に足を伸ばすと、屈伸運動をしている。
「あああ、疲れた」
吉澤が手を伸ばしてあくびをしたので、まみりもあくびをした。そして、部屋の奥の方を見ると、誰かの影が見える。
「男が入っているなり、男が入っているなり」
まみりは喚いた。すると、情けない顔をして、石川にそっくりな顔をした小学生がこっちを向いた。
「田中れいな百十五才がこの部屋で寝ろって言ったんだよ」
とずぶ濡れになった子犬のような目をしてまみりの方を向いた。
すると、石川梨佳は弟のところに行くと弟を抱きしめた。
「田中れいな百十五才がこの部屋で寝るように言ったのよ、まみり、弟を追い出すなら、わたしもこの部屋を出て行く」
「小学生でも、男がいるのはいやなり、吉澤もそう思うなりか」
「そうよ、そうよ」
「お姉ちゃん、じゃあ、僕、押入で寝るよ。いつものように炊事洗濯が出来る道具を僕は持って来ているからね」
「まみり、それでいいでしょう」
「どうするなり、吉澤」
「まあ、小学生だから、いいか」
「矢口さん、僕、ずっと矢口さんに憧れていたんだよ。矢口さんは僕の憧れの人ですよ」
石川の弟は矢口にごまをすった。
「隣のへやには誰がいるなりか」
「飯田、加護、辻、保田がいるみたいだよ」「なに、しているか、見たいなり」
「まみり、覗いてみる」
「わたしも覗いてみたい」
石川県の地図を広げて社会科の勉強を続けている石川の弟を残して、三人がとなりの部屋の不良グループの部屋を覗いて、障子を開けると、飯田ががんたれた。
「矢口、そこ、閉めろよ、先公に見られるだろう」
不良たちはそこで車座になるとトランプをしていた。四人は四人ともあぐらをかいている。
そしてカードのつきがまわってくると立て膝をつく。まみりは隣の部屋の冷蔵庫はどうなっているかと思い、冷蔵庫のドアを開けてみようとしたが、思ったとおり、その小型の冷蔵庫のドアには鍵がかかっていた。
「ああ、腹、減ったな」
保田が向こうずねをぽりぽりかきながら言った。
「下の調理室があっただろう、ハムか、なんか、入ってねえのか、辻と加護、ちょろまかして来いよ」
飯田が不良の親分らしく言うと、辻と加護は階段を下りて下へ行く、まみりが少し不安気な表情をしていると、
「お前達の分も持って来るから心配すんなって」と言って、トランプの札を畳の上に投げた。
しばらくすると、なによ、なによ、と甲高い声が何十回も繰り返し階下の方から海の底からわき起こる海底温泉のように、聞こえてきて、それから障子が急に開いて、そこに田中れいな百十五才が立っている。両手で辻と加護の耳を引っ張っている。
「おなかがすいただって、おなかがすいただって、情けないねぇ、あんたたちは。おばあちゃんは梅干しとご飯があれば、いくらだって、生きていけるんだから」
辻と加護は部屋の中に入った。田中れいな百十五才の後ろには道重さゆみ百十六才が立っている。道重さゆみは大皿に海苔の巻いたおにぎりを山盛りにして持って来た。そのおにぎりを見ると部屋の中のみんなはそれにかぶりついた。
まみりもそのおにぎりにかぶりついていたが、その隣の部屋がどうなっているかというのも疑問として残った。部屋に残って、みんながおにぎりを食べているのを見ている、道重さゆみ百十六才と田中れいな百十五才に、隣の部屋はどうなっているのかと訊くと、
「もう、おにぎりを差し入れているから心配はないわよ」
と言った。
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「そうだ、紺野さんが心配なり」
「まみり、なんで、紺野さんが心配なのよ」「うちのクラスのみんなは生徒同士で組まされているからいいけど、きっと、紺野さんの部屋には父兄がいるなり、先生もいるかも知れないなり」
「紺野さんを見に行こう」
吉澤が言った。
「あたい達も見に行くよ」
飯田がそう言うと保田も加護も辻も立ち上がっておにぎりを頬張ったまま、紺野さんが寝ることになる部屋を見に行くために立ち上がった。
廊下に出ると、実際よりも一倍半くらい大きく、千住のお化け煙突みたいな田中れいな百十五才、おばあちゃんがお盆を持って立っていたので、石川は急に部屋に残して来た、弟のことが心配になったので、
「れいなおばあちゃん、弟におにぎりをやった」と訊くと田中れいな百十五才は
「やったわよ」と言ってそそくさと階下に降りて行こうとした。
廊下に面している窓からは外の景色が見える。廊下に飛び出した保田がこの二階の窓から外に立っている大きな焼き場の煙突の方を見て、何かを発見して叫んだ。
「ほら、見てよ、焼き場の窯の隣に古農家みたいな一軒家があるよ」
大きな森の木がふたつ、みっ、重なっている手前に焼き場の煙突と窯、そしてその横に古い農家がぽつりと建っている。
すると辻や加護なんかの不良たちはどれどれと言って、その方を首を伸ばして見たので、まみりや石川たちもその方を見た。二階の窓から突き出した顔の目のさきの方にうち捨てられた藁葺きの農家があって、まるで廃材を使って作られた民芸品の模型のようでもある。

まみりや不良たちが一列に並んでそのなんとなく気味の悪い一軒家を見ると、田中れいな百十五才、おばあちゃんもそのあいだに顔を割り込ませてその古い家を見た。
「あれは、わたしたちの住んでいる家だわよ。れいなおばあちゃんも、えりおばあちゃんもさゆみおばあちゃんもあそこに住んでいるんだよ。くくくくくくくくくく」
田中れいなおばあちゃんはさもおもしろいと言うようにこの世でもないような薄気味悪い声を出して笑ったので、石川もまみりも不良たちも気味が悪かったが、とうのれいなおばあちゃんはその笑い声を残して、階下に降りて行った。
 「みなさん、いる」三番目の部屋の障子を開けると高橋愛、井川はるら先生、安倍なつみ先生が顔を出した。藤本もいる。それぞれ自分の荷物を整理していたが、みんなは紺野さんはどうしたのだろうと思って、部屋の奥の方を見ると、自分の座っている座布団の四方に竹を立てて、しめ縄を張り巡らして、自分の頭には四つ墓村の殺人鬼のような鉢巻きをして手には変なおいのりに使う棒みたいな物を持ってさかんにふっている。紺野さんの前には、古木を使って作った変な人形が三体、横たわっている。そして、剣聖紺野さんの愛刀はそこらへんに投げ捨ててあった。その三体の人形はどことなく、あの無気味な三婆に似ていた。
 「紺野さん、何をしているなり」
まみりが紺野さんに話しかけると、紺野さんは、きっとした目をしてにらみ返した。そして前に置いてある、人形をにらみつけた。東北の方ではもっこさまとか言って、呪う相手の魂をそこに封じ込めることが出来るそうだ。
「まみりちゃん、紺野さんに何を話しかけても無駄よ、紺野さんはこの宿についたと思ったら、外へ行って竹藪で竹を切ってきて、和紙を切ってしめ縄まで作って、あの変な呪いの祭壇みたいなものを作って、お祈りを始めたんだから、紺野さんに何を言っても無駄よ」
「そうそう」
井川はるら先生の隣にいた安倍なつみ先生も同意した。そのとき、しゅっ、と音がして鴨居のところに短刀が突き刺さった。藤本が短刀を投げたのだ。
「ふぉ、ほほほほほほほほほほほほほほ」
まるで象が密林で雄叫びをあげるような声がして、障子の入り口のところに亀井えり百十七才が立っている。亀井えりおばあちゃんは海苔の巻いたおむすびをたくさん持った大皿を大きなお盆に入れて、持って来た。お盆の中にはお茶の道具も入っていた。
「みなさん、おなかがすいたでしょう」
そう言ってお盆を入り口のところに置くと、食事を勧めた。部屋の中にいたみんなはつぎつぎと手を伸ばした。片手におにぎり、片手に湯飲みという出で立ちだった。隣の部屋でたらふく食べたはずの不良たちも手を伸ばしている。
「そこでご祈祷をしている、お方もお上がりなさい。ふぉ、ほほほほほほほほほほほほほ」
亀井えりおばあちゃんが紺野さんの方に話しかけると、また、紺野さんはきっとえりおばあちゃんの方をにらみ返した。そこにはふぉほほほほほほほほほという笑いときっとにらみ返す目力の闘いがあるようだった。
「このお茶はおいしいですわね」
探偵高橋愛がそう言ってお茶を啜っていると、えりおばあちゃんは特別なものがあるんだという顔をして寿司屋で使う大きな湯飲みを取り出して、「昆布茶もあるんですよ」と部屋の中の方ににじり寄って来て、紺野さんにさしだすと、始めはおそるおそるだったが、紺野さんはその昆布茶をえりおばあちゃんから受け取ると、それに口をつけ、おいしいとわかるとぐびぐびと飲み干した。部屋の中にいるみんなは飯田も加護も辻も保田もはるら先生も、もちろん、まみりも石川もその様子を見ていたが、紺野さんの目はしだいにとろんとして来て、うつらうつらとすると急にばたりと座ったまま、後方に倒れて、口からはよだれをたらして大の字になって寝込んでしまった。大きな瞳は閉じられ、寝息をたてている。
紺野さんがこんぶ茶に口をつけたときから部屋の中のみんなは興味深いと思い、紺野さんに釘付けになったが、その様子をスローモーションフィルムを見るように部屋の中にいた連中は見ていたが、紺野さんが倒れた瞬間に声にならない声を上げた。
その様子を亀井えりおばあちゃんは氷のような瞳で見ていたが、その背後には道重さゆみ、おばあさんも、田中れいなおばあさんも立って見ていた。
「どういうこと、まみり」
「わからないなり、石川」
まみりが横に座っている石川に話しかけると、
「これで、いいんだ、矢口」
という声が聞こえて、隣に変なめがねをかけたつんくパパが立っている。下の階から、いつのまにか、王警部も村野先生も上がって来た。そこにはダンデスピークもいた。
「つんくパパ、いいんだということはどういうことなり、紺野さんはよだれをたらして、寝てしまったなり」
高橋愛が紺野さんのそばに行って、その眠っている紺野さんの頭部をゆすって見たが紺野さんは目をつぶったまま、少しも動こうとしない。
つんくパパの横に王警部もやって来た。
「みんなで相談して、決めたんだよ、まみりちゃん。こんな紺野さんのような危険な存在は今度のプロジェクトが終わるまで、眠っていて、もらうようにしようということになったんだ。紺野さんが突然、剣を振り回してしまったら、大変なことになってしまうからね。このおばあさんたちが協力してくれたんだよ。紺野さんの飲んだこぶ茶の中には三日間、眠り続けるという、三日眠り坊主という不思議な薬が入っているんだ。ありがとう、無気味三姉妹」
王警部が軽く頭を下げると、無気味三姉妹も気味悪く笑った。そのあいだ、馬鹿組の連中は紺野さんの寝ているところに行き、紺野さんを突っいていたりする。小川は倒れている紺野さんの耳たぶを人差し指と親指でつまんでマッサージしてみたが、少しも動かなかった。
不気味三婆姉妹はにやりとして村野先生の方を見た。
「みんな、みんな、ずっと、列車に乗っていたからつかれただろう。お風呂に入って、汗を流してくれ、そのあとにゴジラ松井捕獲プロジェクトの成功を祈ってお祝いをしよう。下で宴会の準備をするからね」
村野先生が言った。
みんなは何事もないように部屋に戻って行ったが、無気味三姉妹はその場に残った。
 部屋に戻ったまみりは自分のバッグの中を探った。
「まみり、何、さがしているの」
「バブル・ベアー・ソープを探しているなり」
まみりはようするに石鹸を探していた。
「あったなり、あったなり」
まみりはバッグの奥の方から。ガスボンベみたいなものを取り出した。
それはガスボンベのようなかたちをしているが、石鹸であり、ノズルのところから石鹸の泡が出て来て、その泡が自由に象さんにも、バナナにも、お団子にも、かたちを作れるものだった。
「いいわね、まみり、バブル・ベアー・ソープを持っていて」
石川がうらみがましい顔をしてまみりの横顔を見つめた。
吉澤も、まみりの方にやって来た。
「まみりもバブル・ベアー・ソープを持っているの、わたしはさくらんぼ味のバブル・ベアー・ソープを持っているのよ」
ふたりがその話で盛り上がっていると、石川は悲しい瞳をして沈黙した。その部屋の押入の中でこの女たちを観察していた石川の弟はさらに悲しい瞳をして自分の姉を見つめた。
「お風呂の準備が出来たってよ」
小川がそう言いに来て、部屋の中の三人は小川の方を振り向いた。
********************************************
(小見出し)白鳥風呂
 石川は大きな櫛で髪をとかしながら、まみりの方を向いた。
「まみり、王警部が白鳥風呂とか、言っていたけど、なんのことかしら」
「知らないなり、それより、なんで葬儀場の中に温泉があるのか、よくわからないなり」
「さっき、ちらりと聞いたんだけど」
洗面器の中にタオルやスポンジを投げ込みながら吉澤がまみりと石川の方を向いた。
「ここは、最初から葬儀場だというわけではなかったらしいよ」
「どういうことなり、吉澤」
「あの不気味三婆姉妹がいたじゃない、あのひとり息子の家だったそうよ。その息子は変な芸術家で、ここに自分の別荘を建てたのよ、つまり、ここね、でも、途中でその息子が原因不明の死を遂げたの、ここの建設も途中でとまった。それを石川県が買い上げて、葬儀場に変えてしまったんですって、それで不思議なことに、その死んだ息子というのの、死体がまだ見つからないんですって」
「まみり、やだー、不気味だよ。不気味なのはあのおばあちゃんたちだけではなかったんだ」
「ふふふふ、石川の心配しすぎだなり。みんなで、お風呂に入るなり、吉澤も用意が出来ているなりか、きっとそのお風呂も立派なのに違いないなり、だって、もともと別荘のお風呂なりだから」
吉澤は洗面器を持ち上げた。
石川もふたりに遅れないように立ち上がった。
「まみりー、待ってー。梨花夫、お風呂に行ってくるからね」
「いいよ、姉ちゃん、僕はここで、ガラスの仮面を読んでいるから」
石川の弟はせんべいを囓りながら、漫画を読んでいる。
「白鳥風呂って、どんなものかしら、きっと、美しい風呂に違いないわ、ねえ、まみりもそう思うでしょう」
「そんなこと、知らないなり」
まみりたち三人が階段を下りて行くと、玄関のホールにあるソファーのところで、つんくパパがホールに備え付けてある戸棚のところで、さかんに、何か、読んでいる。戸棚の上には三婆葬儀場図書とか書いてある。小川もこの葬儀場が出来た由来が書いてある、古文書のようなものがあるが、それが一階に置いてあるとか、言っていたから、それがたぶん、そうなのだろう。
 つんくパパはまみりが一階に降りて来たことにも気づかずに、その本をずっと見ていたが、まみりたちが一階に下りて来たことに気づくと照れ笑いをした。風呂場は一階を左に折れて、裏の細い廊下を通って行くようになっている。
「あの不気味三婆の住んでいる家を横に見ながら、お風呂場に行くなんて、気味が悪いわね。やだわ」
「ほら、あの骨踊り庵が見えるわよ」
吉澤は裏の廊下の窓から見える、あの気味の悪い古家を指さした。
「骨踊り庵ってなんなり」
「石川を怖がらせようと思って、勝手に考えたんだよう」
「やだぁ、吉澤」
白鳥風呂に変な期待を抱いている石川が吉澤の二の腕を叩いた。
「見てみるなり」
まみりは、吉澤が骨踊り庵と勝手に名前をつけた古家を指さした。
その古い農家の戸は薄汚れた障子になっていて、中は蝋燭の明かりだけで照らされているように、ぼんやりと明かりがともっている、そのともっている明かりで映し出された影はきわめて異様なものだった。
巨大な照る照る坊主がぶら下がっている影が映っている。
「気味が悪いなり」
「まみり、何よ、あれ」
「ああ、寒気がする、早く、お湯に浸かろうよ」
吉澤が催促した。
三人が唐竹を巧みに組んで、風呂場らしい感じを出している廊下の突き当たりに行くと、そこには女風呂という看板が出ている。
その女風呂の隣はマッサージ室と書いてある。
「まみり、入りましょう、入りましょう」
白鳥風呂という言葉に変な期待を持っている石川は脱衣場の中に入ると、上着を脱ぎ始めた。すると石川のレース刺繍で縁取りされた下着が現れた。横では吉澤もズボンを脱ぎ初めて、立派な足があらわになっている。まみりも丸首のシャツを首から抜くと、金色の髪がぱらぱらとばらけて、完全に首が抜けると、櫛を入れたように整った。まみりはまだ、パンツを脱いでいなかったが、石川も吉澤も生まれたままの姿になって、タオルで前の方を隠している。まみりは自分では気づかないがそこに女のにおいがするような気がした。
「わたし、一番」
石川が風呂場の戸をいきおいよく、開けて飛び込むと、大きな叫び声をあげた。
中には浴槽がいくつもあるのだが、その一番、大きな浴槽のへりに首をのせて、徳光ぶす夫とくーちゃん、ほーちゃん、そして新垣がこっちを見ていたのである。
「きゃあー、何、男が入っている、それに、あの化け物たちも、まみり、まみり」
洗い場の方に飛び込んだ石川はバスタオルで前の方を隠しながら、脱衣場の方にやって来た。そこにあわてて小川が入って来た。
「ごめん、ごめん、みんな、徳光ぶす夫が、ほーちゃんとくーちゃん、それに神官新垣をつれて最初にお風呂に入ることになるって、言うのを忘れていたよ、ほーちゃんもくーちゃんも新垣もひとりでお風呂に入れないからね。徳光ぶす夫がいなければだめなんだよ」
「早く、そのことを言って欲しいなり」
「でも、洗い場に飛び込まなくてよかったわ」「わたし、最初に入って、損したわ」
石川はかんかんに怒った。もう一度、服を着て、自分たちの部屋に戻ろうとすると、細い廊下を通って、つんくパハや王警部、新庄芋、それに村野先生が向こうから、やって来る。なんか、照れ笑いをしているが、内心、うれしそうだ。
「パパもお風呂に入りに来たなりか」
「そうだよ。矢口」
やはり、男たちはうれしそうだった。
************************************************
 下のホールで籐で出来た安楽椅子に腰掛けながら、競馬新聞を読んでいたまみりは男たちがぞろぞろと奥の廊下の方へ歩いて行くの
見た。
隣でスリッパを脱いで、自分で足裏マッサージをしている石川もその様子を見ていた。
「みんな、お風呂に入るのかしら、王警部も矢口のパパもいるわよ。女風呂の奥の方に男風呂があるらしいわよ。まみり、でも、あいつら、なんか、うれしそうじゃない、なぜかしら」
「そんなこと、知らないなり、それより、明日の三レースはコメダワラキントキが固いわよ、馬券を買っておけば良かったなり」
まみりは新聞をぱらぱらとめくりながら、横にいる石川に話しかけた。
「ふん、まみり、また、無駄金を使うのね」
馬券を買う金もない石川が鼻でせせら笑った。
「その言い方はなんなり、石川、お前、お茶を飲んでいてもそわそわしているし、途中で、ちょっととか、言ってトイレに行くなり、電話をかけているなりか、石川、男が出来たなりか」
「なによ、まみり、邪推よ」
石川の心の友はもちろん、ゴジラ松井くんである。
「まあまあ、ふたりとも」
そのあいだに吉澤があいだに入った。
「まみり、まあ、いいじゃないの、石川に男が出来たって、だって、石川はアダルト石川なんだもの」
「なーに、吉澤、なんなのよ、その言い方は」
吉澤は石川の怒った顔を軽くいなすと、あの気味の悪い、三婆姉妹のことに話頭を変えた。「それより、あの気味の悪い三姉妹の方が心配だわ、あんな気味の悪い、三姉妹はいないわよ、さっき、出された味噌肉入りのおにぎり、変な味がしなかった」
そう言えば、まみりもあのおにぎりの中に味噌肉入りのものもあって、それが変な味がしたのを覚えている。
「剣聖紺野さんはどうしたものなりか」
あの部屋には剣聖紺野さんとあの三婆だけが残されている。
「でも、心配ないなり、あの三婆と紺野さんとは同じにおいがしないなりか」
「する、する」
今まで喧嘩をしていたまみりと石川もそのことでは意見が一致した。
「吉澤、それよりも、あの気味の悪い三婆たちの息子は死んだのに、死体が見つからないとか、言っていたじゃない、どういうことなのよ」
「この建物の建設中に息子が殺されたということはまわりの状況から考えて確実なのよ、それなのに、その息子の死体が見つからないのよ、って、この建物の記録に書いてあるのよ、息子の死体はこの建物のどこかにあるから、見つけたら、夏みかんを三個、プレゼントするって、葬儀場の利用パンフレットに載っているのよ」
「ふん、馬鹿みたい」
「ふん、馬鹿みたいなり」
この点においてはまみりも、石川も意見が一致した。
 そこへ小川がやって来た。
「さっきは、ごめん、ごめん、徳光ぶす夫たちが先客で入っていたということを、言うのを忘れていたのよ、あの、神官たちは頭を洗うときも、石鹸が目に入っちゃうと言ってうるさいのよ、だから、徳光ぶす夫が一緒にお風呂に入らなければだめなのよ。徳光ぶす夫たちも、いいお湯だったと言って、出て来たから、みんな、お風呂に入れば」
「待っていたなり」
まみりは競馬新聞をロビーのデスクの上に置くと腰を上げた。さっきの廊下を通り、またもや、あの気味の悪い、一軒家の前を通ると、さっきのてるてる坊主の影がすすけた障子に映ってゆらゆらと揺れている。
「まみり、また、あの巨大てるてる坊主がゆらゆらと揺れているよ」
石川はまみりの二の腕をつまんだ。
「きゃあ」
吉澤が急にびっくりした声を上げる。
それから吉澤は落ち着いて、非難した。
「もう、びっくり、させないでよ、急に出てくるんだもの」
その吉澤の非難の言葉も相手には聞こえなかった。廊下の窓の下から、あの気味の悪い、三婆、亀井えり百十七才、道重さゆみ百十六才、田中れいな百十五才が顔を出したのだ。
三婆は気味悪く、にっと笑った。
「行こう、行こう」
吉澤はそう言った。まみりと石川はまだ窓の向こうで、気味悪く、三人を見つめている三婆を無視して、廊下の突き当たりにある風呂場に急いだ。廊下を突き当たって、右に曲がると女風呂に通じる、左に曲がると男風呂の方に行く、女風呂の横にはマッサージ室と書かれて閉められている部屋がついているのは前説したとおりだ。
まみりが脱衣場の戸を開けると、騒ぎ声が最初に耳に飛び込んで来た。
「不良たちが入っているなり」
不良グループたちのはめをはすせした笑い声が聞こえる。
「いやね、不良グループたちって、わたしたちもあの人たちと同じように思われてしまうわ」
石川は女らしく、後ろ止めのブラジャーのホックに手をやっている。
まみりも上の方はまったく、いじくらず、下の方をすっかりと脱いで、少し大きめの上着の下から、素足が二本、出ていた。石川は上半身はブラジャーだけになった姿で横にいる吉澤の方を振り返ると、、吉澤の方はすつかりと脱いでいて、丸みを帯びた背中が見える。
「吉澤、そこに、ほくろがある」
「どこ、どこ」
吉澤が首だけ向けて、石川の方を振り向いた。まだ、浴室の方に入っていないのに、天井の照明が光のシャワーのように三人の女たちの裸身を照らした。
「入るなり、入るなり」
まみりが浴室のドアを開けると、そこには大理石の彫刻で形作られた神殿のようだった。浴槽が三つもあり、その中にはエメラルドグリーンやミルク色、そしてあるいは透明なお湯をたたえている。それらの浴槽の間にはギリシャの神殿のような円柱や彫刻が置かれている。その彫刻の中には滑り台もある。入り口に入ってすぐ横に巨大な鏡が取り付けてあり、その浴室の広さを二倍にも大きく見せていた。
まみりがそこに入ると、自分の裸身がそこに映っている。
「恥ずかしいなり、恥ずかしいなり」
まみりは首を振ると、金髪がさらさらと揺れた。
脱衣場で聞こえていた、騒がしい声の実体が確かに、その中にいた。下品な笑い声が聞こえる。
不良グループのリーダー飯田が浴室の隅に置かれていた木の桶を両手に持つと、いつだったかの、局部が見えるか見えないかの、裸踊りを、その木桶を使って、使って、やっている。一番大きな、透明なお湯をたたえた浴槽に浸かりながら、保田、加護、辻たちがげらげら笑いながら、見ている。飯田は得意気にそののびやかな手足を延ばして、大の字になると、片足をタイルの上につけて、片足を宙に上げ、おっとっとと、おっとっとととと、中年の親父が余興でもやらないような馬鹿踊りを得意になってやっている。そのあいだ、あの不良たちはげらげらと下品な笑い声をあげている。まみりたちはミルク色のお湯のたたえられている浴槽に身体をそろそろと滑り込ませた。彼女たちの身体の筋肉が微妙な神経の刺激によって、筋肉に緊張をともない、身体の稼働部に微妙なくびれを生じさせた。三人は白濁した湯の中に首だけ浸しながら、横のげらげら声を不興な顔をして見つめた。
「いやねぇ、不良たち、わたしたちはセクシー路線で行こうと思っているのに、評判が落ちちゃうわ」
吉澤と石川梨花が顔を見合わせると、まみりは
「お風呂場で走っちゃ、いけないなり、先生に怒られるなり、滑って、危ないなり」
と言って、不良たちの馬鹿笑いをにらみつけた。
「石川、さっき、バブルベアー・ソープを使いたかったみたいなり、使ってもいいなり」
「本当、まみり、ありがとう」
「いつまでも、お湯の中に浸かっていても身体がふやけちゃうなり、身体を洗うなり」
まみりがざぶっと湯の表面を波立てて、お湯の外に出ると、さきに石川は浴槽から出て、バブルベアー・ソープのボンベを抱きしめている。
「石川、いくらでも、使ってもいいなり、全部、使ってもいいなり」
「本当、まみり」
石川の顔が薔薇色に輝いた。
「うるわしい友情だわ」
浴槽のへりに頭を載せながら、吉澤が眠そうにつぶやいた。
バブルベアー・ソープの缶は中に石鹸が入っていて頭のところに熊の頭の人形が入っている。その頭のところのボタンを押すと口のところから、石鹸の泡が出てくるのだが、水の上にその石鹸の泡を浮かべてもそのかたちは変わらない。その泡のかたちを整えて、簡単なかたちを作ることが出来る。早速、石川は桶の中にお湯を張って、その中に石鹸の泡を入れてみた。
「まみり、ほらほら、見て、見て、雪だるまが出来たよ」
「石川、身体を洗ってあげるなり、この泡で、雪だるまの泡で」
「まみり」
腹黒石川は座ったまま、首だけを向けて、まみりの方を向いた。
何も知らない、まみりは雪だるまのかたちや、ひとでのかたちにして、泡を石川の身体に塗りつけた。
「まみり」
また、石川はまみりの方に声をかけた。それしか、言葉が出て来なかった。
あのスーパーロボに細工をしたことが石川の心をちくりと刺した。
「まみり、全部、使ってもいいの、泡を」
「全部、使ってもいいなり」
いつのまにか、石川の身体は泡だらけになった。
「石川、お湯をかけるなり。これで石川の身体はすべすべなり」
まみりはお湯を石川の身体にかけた。
「まみり」
「なんなり」
「これで、心もすべすべになるかしら」
「何を言っているなり、石川」
「まみりは・・・・・」
腹黒石川は思わず、自分がゴジラ松井くんとまみりの恋いの邪魔を計画していることを言いそうになった。
「石川、さっきから、白鳥風呂、白鳥風呂って言っていたじゃないか」
浴槽の方から吉澤が声をかけると、石川ははっとして吉澤の方を振り向いた。
「そうだわ、白鳥風呂のことを忘れていたわ。わたし、白鳥風呂に入りたいのよ」
「石川、お肌がすべすべになったから、石川は白鳥風呂に入れるなり、でも、どこに白鳥風呂ってあるのかなり」
「あそこよ、あそこ」
浴槽の中から吉澤が不良たちが集団で浸かっている、大浴槽の向こう側にある、白鳥の巨大な壺のようなものを指し示した。
「あれが白鳥風呂ね。まみり、行ってくるわ」
石川は立ち上がると、白鳥風呂の方に向かった。大浴槽の中では不良たちが首をのせている。
石川が雁首を並べている不良たちの前を通ると、保田が声をかけた。
「石川、どこに行くんだよ」
「白鳥風呂に入るのよ」
不良たちは声を上げて、笑った。
「白鳥風呂に入るだってよ、白鳥風呂に入るだってよ」
加護と辻はお湯を叩いている。
「白鳥風呂だって、ギャハハハハハハハハ」
飯田も声を出して笑った。そして、大浴槽の中でがばっと立ち上がると、白い白鳥風呂を指さした。
「あの白鳥風呂は確かに、白い、でも、それはお湯が白いからなんだよ、あははははは、そして、浴槽は実際はガラスで出来ている、そして浴槽の上には金で出来たふたがついている。見えるか」
「見えるわよ」
石川はじっと、白鳥風呂を見つめた。
「その横にある彫刻がなんだかわかるか」
そこには大きな四角い大理石のレリーフのようなものが立っている。そのレリーフのちょっと変わっているのは、表に彫った部分が浮き出ているのではなく、逆に凹んでいることである。不良たちも、まっ裸のまま、浴槽から出てくると、そのレリーフのところに行った。石川はそのレリーフのところに行くと、横に何か、書いてある。不良たちもぞろぞろと裸のままで、彫刻の横に立った。不良たちも石川もまるで自分たちが、一糸まとわない姿だったということを知らないようだった。
「ここに、書いてあるだろう、理想のプロポーションを持つものだけが、この白鳥風呂に入ることが出来る、われもと思う女性は、この中に入って見よ、ぴったりとサイズが合えば、白鳥風呂のふたがひらくだろうってな」
ここでまた下卑た笑い声がわき起こった。
「お前が理想のプロポーションを持っているだって。ガハハハハハハハハハハ」
「オヤピンもためしてみたけど、ぜんぜん、サイズが合わなかったんですよね」
「余計なことをいうな」
飯田が、辻の頭を叩いた。
「まあ、このゴジラ松井捕獲プロジェクの中でこの条件を満たしそうなのは、井川はるら先生と藤本ぐらいしか、いないだろうな。ガハハハハハハハハハハハ」
飯田がまた、豪快に笑った。
石川はまた、下を向くと、握り拳を強く握った。
 この石川、貧乏な出なれど、スタイルだけは自信がある、たとえ、母親がキャバレーで働き、父親が家を出て、住所不定なれど、遡れば、源氏の血が流れておる、飯田、目にもの見せてやるぞ。
石川の握られた拳はぶるぶるとふるえた。
裸身の石川はそのレリーフのところに行くと、背中を彫刻の方に近づけた。そして凹んだところに身体を押しつけると、凹んだところに身体がぴったりと収まるではないか、どこからかファンファーレの音が鳴り響き、七色の虹があたりを包み、白鳥風呂のふたがおごそかに開いた。
おめでとう、あなたはスタイルナンバーワンに選ばれました。
パチパチパチ、保田も加護も辻も我を忘れて拍手をした。
ありがとう、ミス石川女王はしずしずとレリーフの中から出てくると、不良たちに感謝の言葉をくだしおかれた。裸の石川は白鳥風呂のへりによじのぼると、どぼんとその中に飛び込み、ミルク色のお湯が飛び出した。
保田も加護も辻もまだパチパチと拍手している。
「なんだよ、お前たち、馬鹿か、出るよ」
飯田は怒って子分たちをつれて脱衣場に向かった。
ミス石川梨花女王は勝ち誇ったように風呂の中で自分の伸びやかな手足を伸ばした、その様子は紅茶ポットの中に入った人魚のようだった。
「わたし、お魚になった気分」
遠くの方でまみりと吉澤はその様子を見ていた。
「石川と不良たちが、なんか、やっているなり」
「不良たちがプリプリして出て行くわ」
「石川が紅茶ポットの中で泳いでいるなり」
ふたりは何がなんだか、よくわからなかった。
「もう、全く、いまいましいね。貧乏人のくせに」
飯田がバスタオルで顔を拭きながら、まだ、ぷりぷりしている。
「あのスタイル測定定規に合格出来るのは、はるら先生と藤本だけだと思っていたのにな」
「オヤピン、オヤピン」
脱衣場で身体を拭いていた飯田の耳に加護が大発見をしたという調子で声を上げた。不良たちは脱衣場の隅でかがんでいる加護のそばに行った。
「なんだよ」
不良たちは湯上がりに不良特有のジャージを着ている。
「オヤピン、オヤピン、大発見だっぴ、見てみ見て、ここ、ここ、ここだっぴ」
「よく、やったよ。加護」
飯田にも、その大発見の意味は分かった。
脱衣場の隅に変なスイッチがたくさんついていて、大浴槽排水スイッチとか、書いてある。
「オヤピン、白鳥風呂、排水スイッチといのもあるだっぴ」
「このスイッチを入れると、白鳥風呂のお湯がなくなっちゃうんだな、でかした。でかした、加護」
「オヤピン、これはなんだ。マジックミラー、電源と書いてあるだっぴ」
「なんか、よくわからないけど、両方、入れてみるか」
飯田は両方のスイッチを入れた。
ふたつのスイッチを入れたのだから、ふたつの現象が起こるのは当然である。
 まず、ミス石川梨花女王の方から起こった現象について、説明しよう。
石川梨花の入っている紅茶ポットのような浴槽の中からミルク色をしたお湯がだんだんひいていった。
「どうしたの、お湯がだんだんなくなって行く」
お湯はだんだんなくなって行き。白いお湯は石川の乳首の上の方までになった。
「どうしたの、お湯がなくなって行く」
石川はあせった。みるみる、お湯はなくなって行き、今度はへそのあたりまで来てしまった。ガラスポットの中に美神石川の裸体がある。浴槽が透明なガラスで出来ているので当然だった。そして、とうとう、お湯が一滴もなくなり、ガラスの底が見えたとき、美神石川は絶叫して気を失った。その底には気味悪く目を開いた、男性の死体が底から目を開いて美神石川を見つめていたからである。石川は裸体のまま、ガラスのカップの中に横たわった。
 そして、もうひとつの現象の方を言うと、浴槽の中につかりながら、まみりと吉澤は浴槽の壁に貼られている、大きな鏡をずっと見ていた。自分たちの顔が映っている。それが不思議な現象が起こっているではないか。ガラスの鏡がだんだん、その銀色の機能を失って、透明になっていく、そして、その鏡の向こうから勢揃いに並んだ、王警部、村野先生、新庄芋、そして、つんくパパ、それにどういうわけか、ダンデスピーク矢口と石川の弟が鼻の下を伸ばしてこちらを向いている。
「なんだなりーーーーー」
まみりは地球の裏にも聞こえるくらいの大声をあげた。
まみりの怒声と石川の悲鳴で、はるら先生、阿部なつみ先生、藤本が女風呂にやってきた。
男たちはこってりとしぼられた。
「ごめん、矢口、ちょっとした出来心だったんだよ。たまたま、あんな仕掛けがあるって、下の図書の中に資料があったから、こんな仕掛けを作った、あの三婆の息子が悪いんだよ。あいつ、変態だよ。自分の死体を白鳥風呂の下に樹脂付づけにしろなんて」
「つんくパパは犯罪者なり、自分の娘の裸を見て、何がおもしろいなりか」
男たちの面目は丸つぶれだった。
その様子を徳光ぶす夫はほーちゃん、やくーちゃん、神官新垣の手をつなぎながら、じっと見ていた。ほーちゃんもくーちゃんも神官新垣も何が起こったのか、全く、理解出来ないようだった。
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 下のホールでゴジラ松井捕獲プロジェクトの連中は明日の競馬の予想をやったり、今日乗った列車が途中で停まった駅で買ったあんず餅という名産品がどこで作られているかを話したり、高橋愛が今度、モータウンから出すシーデージャケットの表紙の話題になって、今度、撮影で高橋愛がグアムに行くんじゃないかという話題やあれやこれや、いろいろな話題で盛り上がっていたが、徳光ぶす夫とほーちゃん、くーちゃん、そして新垣の四人は二階の自分たちの部屋で今日、列車の中で見た信州の風景を残そうと思い、ちぎり絵の制作にはげんでいた。徳光ぶす夫はあまりにも熱心になりすぎて、額から汗が出て、ランニング一枚になって、ちぎり絵の色の要素となる色紙を細かく、ちぎって、やまとのりを紙の裏に塗って台紙となる画用紙の上に張っている。その様子をほーちゃんとくーちゃんはじっと見ている。ほーちゃんもくーちゃんもちぎり絵を見るのは初めてのようだった。こんなふうにして絵が出来るのだとは信じられないのかも知れなかった。むしろその絵をじっと見てこの作業に集中している徳光ぶす夫の視線のさきに何か素晴らしいものがあるのかも知れないと誘導されて、ほーちゃんもくーちゃんもそのちぎり絵の出来ていく様子をじっと見ているのかも知れなかった。
しかし、新垣だけは何もしないのに自分の歯が自然と自分でもわかるように生えていくのが、その中でも特に犬歯が生えていくのが、気になるのか、床柱をがりがりと首を斜めにして、かじっていた。
 そのちぎり絵の制作の途中で徳光ぶす夫は目をまん丸に開けて、手をぱんと叩くと、あたりを見回した。
「ほーちゃん、うす茶色が足りないよ、そうだ、台所にある、玉葱の皮を持って来ておくれよ」
そう言われて、ほーちゃんはまかない場に降りて行った。そこに行くと、亀井、道重、田中の気味の悪いおばあさんたちが湯気の他っている大釜の前で赤ちゃんの頭ぐらいの大きさのあるしゃもじで、鍋の中をかき回していたり、六十センチもある野菜包丁で骨付きのいのししの肉をきざんでいたり、草餅みたいなうどん粉の大きなかたまりを両手で持ち上げて、下にたたきつける動作を繰り返していた。
「玉葱の皮が欲しいだって、玉葱の皮なんて、いくらでもあるから、持っていきなよ。グフフフフフフ、なあ、田中れいなおばあちゃん」
「いい色だろうて、なあ、道重おばあちゃん、グフフフフフフ」
「よく、乾燥しているから、いい塩味が出るだて、亀井おばあちゃん、グフフフフフフフフ」
人間ではない、ほーちゃんだったが、あんまりにも気味が悪かったから、その乾燥した玉葱の皮を片手の手の平にいっぱいに握るとそのまま二階に駆け上がって行った。
 そして徳光ぶす夫の待っている部屋に戻るとき、剣聖紺野さんが騙されて眠り薬で眠らされている部屋の前を通ると閉められた障子の前から地鳴りのような低い音が微かに聞こえていた。そして紫色に微かな光が内部から発生している。
 徳光ぶす夫のいる部屋に戻ったほーちゃんは、そのことを徳光ぶす夫に報告した。
「なんだって、ほーちゃん、剣聖紺野さんの寝ている部屋で変な現象が起きているって」
徳光ぶす夫はほーちゃんとくーちゃんをつれて、見に行くことにした。何も言わないのに、神官新垣もついて来た。
 その部屋の前に行くと確かに障子はきっちりと閉められているが、低い地の底から聞こえるような祈り、いや呪詛のような声が聞こえる。それから、障子に紫色や赤色、青色、いろいろな光が投影される、それはまるで幻覚病者の頭の中のようだった。
徳光ぶす夫はぞっとした。
「徳光さん、宴会の準備が出来ました」
高橋愛が下から呼びに来たので、その気味の悪い現象の解明は遠慮して下に降りて行くことにした。
 下の宴会場のふすまを開けると、ゴジラ松井捕獲プロジェクトの連中は勢揃いしていて囲炉裏の前であぐらを組んでいた。障子を開けて徳光ぶす夫たちが、その宴会場をのぞくと、その場にいたみんなが徳光ぶす夫たちの方を見た。
 ちょうど王警部の隣の席が四人分、開いていたので徳光ぶす夫はその席に座ることにした。囲炉裏の中にはあの不気味三婆が用意したらしく、炭が赤々と燃えている。それぞれの席の前には田舎の料理屋らしく、なんの塗装もされていない木目のままのまな板が置かれて、その上に小皿に盛られた料理やお燗をしたとっくりがのせられている。囲炉裏の中の炭の前には串でさした海老や魚、そして肉が刺してあって、焼かれて、おいしそうな汁が灰の上にたれた。
 みんなが風呂に入っているあいだに不気味三婆が用意したのだろう。まみりの横には石川と石川の弟がいた。その横には吉澤が座っている。不良たちは箸で皿の中の料理をつっいていたりする。藤本の隣には井川はるら先生が座っている。やはり高橋愛の隣には新庄芋が座っている。新庄芋の隣にはつんくパパが、そしてその隣にはダンデスピーク矢口が座っている。ダンデスピーク矢口の隣には安部なつみ先生がいた。その横には村野先生が座っている。みんなが大きな囲炉裏を囲んでいる。そこにはもちろん、あの剣士はいなかった。剣聖紺野さんは自分の部屋で仰向けになったまま、寝たままだ。その紺野さんの部屋の異常に気づいているのは徳光ぶす夫だけだった。
 不気味三婆はその様子をうすら笑みを浮かべて眺めている。三婆は三人とも丸いお盆を持って、お盆の中にはとっくりが何本も立っている。
 まみりは灰の中に刺された蛸の足が炭火の熱で縮んでいくのを見ていた。
一同が揃ったのを見計らって、王警部は立ち上がると酒の入った杯を胸の前に上げた。
「みなさん、とうとう長い捜査のかいがあって、ゴジラ松井を逮捕する日が近づいています。エフビーアイ捜査官、新庄芋氏はゴジラ松井が日本に上陸する前からゴジラ松井の蛮行を裁く日を待っていました。その新庄芋氏の正義と平和を望む信念も報われようとしています。新庄芋氏は家族の尊い命も失われてしまいました。その尊い犠牲によって、ゴジラ松井も逮捕されようとしています。日本にゴジラ松井が上陸してから、われわれ警察は苦々しい日々を過ごしてきました。しかし、ここにいるまみりちゃんのパパの作ったスーパーロボによってゴジラ松井はわれわれに逮捕されることは確実になりました。それも、この超古代マヤ人を三匹も確保することが出来たという僥倖のおかげです。ゴジラ松井の魂胆はわれわれ人類を戦慄せしめるものです。この地球のすべてを水没させようという。しかし、われわれは枕を高くして眠ることが出来ます。まもなく、この人類の脅威は取り除かれようとしています。今宵はこの幸運と叡智に感謝して、杯をあげましょう」
王警部が杯を頭上に上げると、その場にいるみんなも杯を上げた。そして杯を飲み干した。「みなさん、みなさん、無礼講です。無礼講です、さあ、酒を飲んでください」
つんくパパが声を上げて、酒をついで回っている。つんくパパはどういうわけか、不良グループの方までに足を延ばしている。飯田と保田が小皿の中のひじきの胡麻和えをつっいている中に割り込んで入って行った。両人の顔を見上げながら、
「きみたち、お金、儲ける気、ない、きみたちなら儲けられると思うんだけど」
そう言いながら、飯田と保田が開けた杯の中に酒をついでいる。
「まみり、見て、見て、まみりのパパが飯田と保田にお酌しているよ」
それを見てまみりはむかむかした。
「パパは何をやっているなり、よりによって、飯田と保田なんかにお酌して、何をやっているんだなり」
「まみり、行って文句、行ってくれば」
「いいんだなり、そんなことまでしなくてもなり」
そのあいだじゅう、ふだん、食っていない石川の弟は飯台の上の料理をがつがつと食っている。つんくパパはやたら、活動的になっていた。飯田と保田のあいだに入っていたと思ったら、今度は加護と辻のあいだに割り込んで行って、そうでげしょ、そうでげしょ、などと言って、さかんに相づちを打っている。徳光ぶす夫はほーちゃんとくーちゃんに酒を飲ませたらしい。囲炉裏のあいだを駆け回っている。危ないことはなはだしい。となりのアダルト石川に話しかけようと思って、まみりは石川の方を見ると、そこには石川はいなかった。石川の弟が松の葉に刺した焼き銀杏を囓っているのが見える。
石川はどこだと思っていると、王警部の横に座っていた。
それも座っているだけではなく、足をくずして、王警部に酌をしている。
「王警部、王警部って、近くで見ると、いい男ね、わたしのお酌で一杯、どうですか。うーん」
アダルト石川はため息までもらした。
アダルト石川は唇を突き出すと王警部の方ににじり寄って行った。思わず王警部もあとずさりをしている。
徳光ぶす夫は新垣にも酒を飲ませたに違いない。新垣もよっぱらつて床の間の柱に何度もきつつきのように頭突きをかましている。新垣の心の中では自分は相撲取りになったつもりかも知れない。
 アダルト石川はどこからか、トランプを撮りだしてきた。
「王警部、指を出してくださらない」
王警部が手を出すと、アダルト石川は王警部の指のさきをふれた。意外と柔らかい。
「王警部、わたし、エスパー石川は相手の指に触れると、その人の運命を占うことが出来るんです」
そして指のさきを握ると目を閉じた。
「見えます、見えます。あなたの恋愛運が」
アダルト石川の占いは恋愛占い専門だった。そしてその運命の相手というのも自分自身、石川梨花だと結論づけるのだった。
さっきから小川の姿が見えない、どうしたのだろう、と、まみりは思った。
すると、ふすまが開いて、小川が姿を現す。それも、鈴の音がいくつも聞こえる気がした。小川は日本髪を結って、振り袖まで着ている。「日本舞踊をやります」
「やめちまえ」
「引っ込め」
不良たちから一斉に声が挙がる。
「やってー、やってー、小川ちゃん」
「見たい、見たい、小川ちゃん」
男たちが拍手をした。そして、小川が日本舞踊を踊り出した。髪にさしたかんざしがきらきらと輝いている。村野先生とダンデスピーク矢口はその様子をうっとりとした目で見つめている。
この田舎屋のかもいに槍が飾ってあるのをよっぱらった藤本が見つめた。すっかり酔っぱらった藤本ははるら先生の隣に座っていたが、超人的な能力を見せて猿飛佐助のように十メートルの距離の空を飛んで、かもいの長槍をつかむと見事に着地して黒田節を踊り始めた。槍の穂先がきらりと何度もきらめいてまみりの顔先をかすった。新垣も刺激を受けたのか、大きな囲炉裏の上、七十センチのところを部屋の隅から炭までロープウエーのように行ったり来たりしている。
 石川の弟に至ってはどこから持って来たのか、登山家が使う、ガスストーブをどこからか、持って来て牡蠣鍋を作っている。
安部なつみ先生はタッパーをかばんの中から取りだして、しらすおじやという離乳食みたいなものを中につめこんでいる。
「安部なつみ先生、なんで、そんなもの詰め込んでいるなり」
「矢口、わたしの赤ちゃんに食べさせようと思って」
「そんなこと、聞いていないなり」
安部なつみ先生は完全に想像妊娠をしている。
「わたしたちのお料理、満足したかや」
まみりはぞっとしてうしろを振り返ると三婆、亀井えり百十七才、道重さゆみ百十六才、田中れいな百十五才がエジプトの古代王がミイラから生き返ったみたいになって、じっとまみりの方を見ているので気味が悪かった。
それにもまして、この宴会の馬鹿騒ぎがいまいましかった。
それ以上につんくパパが不良たちのあいだだけではなく、安部なつみ先生のところに行き、なつみ先生を誘ってチークダンスを踊っているのは顔が赤くなるほど恥ずかしかった。
「パパ、やめてよ、よその女の人とチークダンスを踊るのは、やめてなり。まみりはママの子なり」
この宴会の馬鹿騒ぎから逃れ、夜風を浴びて、頭をすっきりさせようと思って、ベランダの方に出ると、そこには井川はるら先生が立っていた。
「はるら先生」
「まみりちゃん」
「また、石川が男を騙そうとしているなり。神様、アダルト石川に罰をお与えくださいなり」
「まみりちゃん、だめなのよ、石川はアダルトだから」
「だめなりですか、石川は」
「生まれつきの性癖ね」
「環境的なものはないなりですか」
「石川は横須賀の女よ」
「そうなりか」
「それより、あの馬鹿騒ぎに一番、重要な人がいないわね」
「誰なり」
井川はるら先生は夜の海の向こう、見えない敵を見ているようだった。深海の中でゴジラ松井はどんな力をたくわえているのだろう。
不気味だった。
「誰なり」
まみりはふたたびはるら先生に尋ねた。
「剣聖紺野さんよ」
そのとき、神のみぞ知る運命の調べを奏でる楽器が鳴り響いた気がまみりはした。
そうだ、剣聖紺野さんは不気味三婆の調合した眠り薬で眠らせられている。
そうだ、有機生物の中でゴジラ松井くんに対抗できる、地上生物は剣聖紺野さんしか存在しなかったのだと、まみりはあらためて思った。その紺野さんをこの一大事に眠らせていて、一体どうするというのだ。
「みんな、油断しすぎているかも知れない。絶対にスーパーロボがゴジラ松井くんを逮捕できるなんて、どうして結論づけられるというの、まみりちゃん」
「みんな、馬鹿騒ぎをして、何を考えているのかなり。同意なり」
「剣聖紺野さんをこのプロジェクトからはずしているということが吉と出るのか、凶と出るのか。この広大な海の向こう、数万マイルの海底の中でゴジラ松井くんはこの石川県のゴジラ松井記念館の横に急遽立てられた火星ロケット打ち上げ台に進入する機会をうかがっているのね」
黒い日本海が人間の能力では把握出来ない世界のようにうねっている。
「あれは、なに、まみりちゃん」
「どれどれ、はるか先生」
遙かかなたの日本海の向こうの方が青いオーロラのように輝いている。そして海の表面から点と見えるものが飛び出すと一直線にこちらに向かってくるではないか。
「なんなの、あれは、まみりちゃん」
「わかんないなり、なんなり、なんなり」
それはものすごいスピードでこちらに向かってくる。オートバイくらいの大きさのもののようだった。遠くにあったときはそれがなんであるか、全くわからなかったが、それは巨大なソフトクリームのようなものだった。それがものすごいスピードで飛んで来て、はるら先生とまみりの頭上を過ぎて、宴会会場につっこんで行き、どどーんとものすごい音がして部屋の中を見ると、すごい灰神楽がたち、みんなは何が起こったのかわからず、腰を抜かしている。
「平気なりか、平気なりか」
「みんな、平気」
まみりと井川はるら先生は部屋の中に飛び込んだ。
部屋の中の壁に垂直に巨大なソフトクリームみたいなもの、そう、それは槍のかたちをしたアンモナイト貝だったのだが、突き刺さってその中身の方が顔を出している。気味の悪い古代貝の目があたりを見回した。ゴジラ松井プロジェクトの連中はじっとそのアンモナイトを見た。するとアンモナイト貝は話し始めた。
「わたしは海底帝国ラー皇帝、ラー松井八世の使者である。明日の朝、ラー松井八世は石川県に上陸するだろう。いかなる抵抗も無意味である。ラー松井八世を妨げることの出来るものはいない。そして神官たちを奪回するだろう。そして地上のすべては水没して、地球はラー帝国となるのだ」
アンモナイト貝はそう言うと、自分の使命は終わったと小声でつぶやくと、ラー松井八世、バンザイ、ラー帝国永遠なれとつぶやくと、ぐったりして、そのまま死んでしまった。
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「なんだ、なんだ、ゴジラ松井ーーー、おれたちをどこまで、こけにしたら、気が済むんだあーーーー」
王警部はそう叫ぶと、壁に突き刺さっているやり型のアンモナイト貝をぶっこ抜こうとしたが、立ったままの姿勢ではいくら引っ張っても抜けないと思うと壁に自分自身、足の裏を踏ん張って、壁と垂直になって、巨大なさくら大根を抜くように全身の力を入れた。すると、アンモナイト貝は壁から抜けたのだが、王警部の屈強な身体も畳の上に落下した。しかし、その反動でその巨大なアンモナイト貝はオリンピックに出場した体操選手のように
、空中で三回転すると囲炉裏の赤々と燃えている炭の上に落下して突き刺さり、もうもうと灰神楽が立ち上った。
 畳の上に一メートルの高さから、落下した痛さも忘れて、王警部は立ち上がると、勝利したように腰に手を当てると、
「ゴジラ松井、変なものを使者にたてて、見ろ、こんな小細工をしても、こうなるんだ。ウワハハハハハ」
酒に酔っていることもあって、王警部は高らかに勝利したように笑い声をあげた。
「ゴジラ松井、お前がたとえ、深海内、最強だとしてもだ、まみりちゃんのパパが作ったスーパーロボの前では、こうなるのだ」
と言って炉端焼き屋の囲炉裏の中で焼かれている紋甲烏賊のみりん焼きのように、炭火で焼かれ、うまそうな肉汁をたらしている、アンモナイト貝を勝利者の特権として指さした。
吉澤もまみりも石川も小皿の中に、生大豆自然醸造しょうゆをたらして、そのアンモナイト貝が食べ頃に焼けるのを待っていた。
 「王警部、しかし、明日、新垣たち、神官をのせた火星ロケットがこの石川の地から、この危険な存在を追放するために発射されるのがどうして、海底原人、ゴジラ松井にわかったのでしょうか」
このあまりにも突然な海底からの訪問者に驚かされた村野武則先生がたずねると、王警部が答える前に、エフビーアイ捜査官、新庄芋が答えた。
「オー、それは当然です。神官たちが火星に追放される、それも火星ロケットに載せられて、発射されるということは衛星テレビでアナウンサーがここ、二、三週間、絶えず放送してイマスデス、人類よりも文明の発達した、海底帝国ラーがこの情報をつかむはずに違いありません、それにエフビーアイは海底帝国ラーが存在すると予想される能登半島北方、七十キロ地点の日本海上に大量の今回のプロジェクトのロケット発射の日時と場所が書かれたちらしを大量に投下シマシタデス」
横で新庄芋の話を聞いていた探偵高橋愛は、エフビーアイのゴジラ松井捕獲の並々ならない意欲を感じたが、石川梨花は醤油の入った小皿を左手にかかえ、右手には割った割り箸を持って餅が焼けるのを待つ子供のように死んだゴジラ松井の深海からの使者が食べ頃に焼けるのを待っていた。
 この乱稚気旅行の出発する三日前に、エスパー石川はその百十八の超能力のひとつ、テレポーテーションのひとつを使って、海底帝国を訪れていた。
大理石の玉座に古代ローマ王のような衣装を身にまとったラー松井八世は金のコップの中に深海葡萄から作った深海葡萄酒で唇をぬらしながら、地球陸地海底化計画のシナリオを練っていた。
 そこにセーラー服を着た、石川梨花は突然現れた。
「ゴジラ松井くん、いえ、王の中の王、海底原人、ゴジラ松井八世、会いに来ました」
セーラー服マニア石川は女学生が持つような革のかばんを持っていた。
 石川が横須賀のセーラー服パブでアルバイトをしていたときに、持ち帰ったものである。
石川の姿を見ても心の中には、いつも矢口まみりの姿が控えているゴジラ松井くんだった。そのことが石川には悲しい。しかし、このセーラー服をゴジラ松井くんに気にいってもらえるのではないかという期待もあった。「ゴジラ松井くん、わたしの姿を見てもあなたはあまり、うれしそうではないのね。今日はあなたを少しでも喜ばそうと思って、セーラー服を着てきたのよ」
やっちゃった女、石川はすでにゴジラ松井くんになれなれしく声をかけてきた。しかし、そのやっちゃったのも、変身鬼石川がまみりの顔に自分の顔を変えたからだということを石川は知っていた。
「たしかに、石川、きみの身体は素晴らしい、でも、好きなのはまみりちゃんの顔なんだ」
ラー松井八世はおごそかに言った。しかし、それはラー松井八世の本心ではない。
ラー松井八世が一番、おそれているのは、なによりも貧乏石川のその境涯である。ハロハロ学園在学中、何度も石川が色気を使って、金のために男を騙してきたのを見たことがある。たしかに、そのときの石川は美しかったが、また、何かに復讐しているようでもあった。
「僕はきみのハロハロ学園にいたときのことをすべて知っている」
そのことは深い意味があった。
もちろん、女詐欺師石川もその意味が分かっている。自分の外見にひかれて近寄ってきた男を騙した思いでが。しかし、ゴジラ松井くんだけは違っていた。おにぎり事件で凍り付いた石川の心は溶かされたのである。
「松井くん、今はわたしのことを信じてくれなくてもいいの、でも、わたしの、あなたに対する心は真実なの、これを見て、あなたのために変な虫を使って取ってきたの」
「これは」
ラー松井八世は目を丸くした。ラー松井八世の目の上のたんこぶである、スーパーロボの中枢装置ではないか、
「松井くん、今はこの石川の真心を信じてくれなくてもいいの、わたしはそういう女だから、でも、三日後、新垣たちは火星ロケットを使って、火星に追放されます、しかし、それはおとりです。あなたが新垣たちを奪還しようとすればスーパーロボが起動されるでしょう、しかし、スーパーロボは何の攻撃もあなたに対してすることは出来ません、わたし、石川はまみりとの友情よりもあなたに対する思いをとりました」
そして、またエスパー石川は超能力を使って海底帝国から消えた。
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 そのスーパーロボの中枢装置を手にとりながらゴジラ松井くんは、あの大理石のベッドの上で忍者石川と結ばれたときのことを思い出した。もしかしたら、本当に忍者石川は自分のことを思っているのではないかという、ぼんやりとした思いも頭の中をかすめた。
 しかし、生涯の中でただ一度、敗北した思い出、水中の中の格闘で仮面に手をかけて、その素顔、矢口まみりの素顔が現れた、スーパーロボとの闘い、最初はその仮面の中に隠された、素顔から、矢口まみりが巨大化した姿ではないかと思い、まみりを憎悪したこともあったが、やはり真実はそのスーパーロボがまみりとは別物の存在であることを知り、ゴジラ松井くんのまみりへの思慕の念はますます深まっていったのだ。しかし、それもふたりの運命によって、引き裂かれてしまった。ゴジラ松井くんの立つ場所は地球全陸地、水没化計画しかなかった。
その運命の日が来たら、まみりひとりを救い出して、海底原人として生まれ返らそうと思った。出来れば、まみりの人間としての記憶を消して、自分の母親の深田恭子ちゃんもそうだった。しかし、深田恭子皇后は人類、とくにつんくパパに対しての怨念をそのまま持ち続けている。
 とにかく、自分と恭子皇后の推進する計画に立ちはだかる、スーパーロボは忍者石川の行動によって阻止された。その石川の本心がどこにあるのか、わからなかったが、とくに喉元に刺さった棘が抜けたのも同然である。ラー松井八世の神官奪回計画に凱歌も上がったのも同然だった。
 ラー松井八世は純金で出来たコップの中に入っている海葡萄から醸造した海葡萄酒を飲み干した。
 「矢口、ここ、食え、ここ、ほら、焼けているぞ。いい焼き色だ」
誰も頼みもしないのに、つんくパパは囲炉裏の中にしゃしゃり出てくると、焼け頃になったアンモナイト貝を切り分けて、その場にいるみんなに分けている。
飴色を濃くしたような、その醤油にアンモナイト貝の肉をつけると、まみりは口の中に運んだ。
「うまいなり」
焼けた貝特有の香ばしさと海の香りが微妙に絡まり合って、さらに醤油の焦げた香りが色を添えて、鼻孔の中に入っていく。
矢口まみりは絶句して、感嘆したように顔をほころばせた。そして、つぎつぎと、吉澤も石川も辻も加護も、そしてはるら先生までも、その珍味に舌づつみを打った。そして、王警部はその貝を僕が引っこ抜いたんだよ、という顔をして得意気になっている。
「でも」
はるら先生は皿の中に入っている貝の肉を口の中に入れると、手に持った皿の上に割り箸を置くと、じっと王警部の顔を見つめた。
「王警部、安心しきってはいけません。相手は数万年の歴史を持つ、ラー帝国の嫡子です。たとえ、あの中に半分の人間の血が入っているとしてもです。それにわたしは感じるのです、ゴジラ松井には邪悪な母親がついていることを」
「はるら先生、御心配なく、たとえ、あの怪物が海中生物最強としても、つんくパパの作ったスーパーロボにかなうわけがありません。そうだ、今回のプロジェクトの最大の主役はスーパーロボですね、この祝杯はスーパーロボにこそ、捧げなければなりませんな。あはははははは」
と豪快に笑った。
ラー松井八世の最大のライバルは剣聖紺野さんじゃなかったの、ねぇ、矢口、横で王警部の高笑いを聞いていた吉澤はまみりの横腹をひじでつついた。そして石川と石川の弟は内心の邪悪な仮面をくつくつと笑わせていた。「そうだ、これから、スーパーロボの様子を見に行きましょう」
王警部のそのかけ声でぞろぞろと宴会場にいた連中は外に出て行った。
「さぶいよ。外は」
不良たちは筒袖に自分の手をつっこみながら湯上がりの温泉客よろしく、不満そうな声を出したが、内心では喜んでいた。
「ほらほら、行くぞ、行くぞ」
村野先生が不良たちのおしりを押した。そして最後尾には何あろう、あの無気味三婆たちものこのことついて行った。
 能登半島の田舎町の上を照らしている月は鉄道車両輸送用に載せられているスーパーロボの巨大な身体も照らしていた。
この宿の正面玄関にトレーラーは停められていて、客たちは宿の用意した下駄をつつかけて、その車の前に来ていた。あらためてこのロボットの大きさが感じられる。
「明日は頼むぞ、スーパーロボ」
王警部が荷台から出ているロボットの指先をぺたぺた叩いて言った。ここには徳光ぶす夫もいる。藤本もいる。不良グループもいる。つんくパパもダンデスピーク矢口もいたが、石川と石川の弟だけはその列から離れて、邪悪な企みに心を酔わせてにたにたしていた。
酔っぱらった王警部はさかんにロボットの超合金をぺたぺたと叩いていた。
「王警部、ミーたちだけで、祝宴をあげているのはわれわれの勇士に失礼デス。ロボットにもお酒をサシアゲマショウ」
「新垣が盃ととっくりを持って来ています」
誰かが言うと、みんなの視線は新垣の手元に集中した。いやがる新垣からみんなはそれを取り上げた。
「さあ、飲んでくれ、われらの勇士、そしてゴジラ松井を明日は捕獲してくれ、まみりちゃん、スーパーロボを動かしてくれ」
王警部はまみりの方をにこにこしながら見つめた。
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 いやがる新垣から無理矢理奪い取った杯ととっくりを王警部は受け取ると、胸よりも高い位置で杯に酒をなみなみとついだ。
「まみりちゃん、さあ、この杯はスーパーロボには小さすぎるかも知れないが、この献杯を受けて欲しいのだ、まみりちゃん、スーパーロボを動かしてくれ」
振り返った王警部と目が合ったまみりは、無線操縦の腕時計に向かって、叫んだ。
「スーパーロボヤグチマミリ二号、発進」
すると、ロボの巨大な身体は蒸気機関車が動き始めるときのように、内部の動力機関が振動して、身体をふるわせたが、かからないエンジンのようにぷすりと音をさせると、その振動は停止した。思いがけない事態に、その場に軽い動揺が起こった。それを鎮めるために矢口まみりは平静を装いながら、音のとぎれるところでさらに強い口調で繰り返した。
「スーパーロボヤグチマミリ二号、発進」
しかし、かかりの悪い、エンジンのようにそれは少し動いて停止した。
 矢口まみりは動揺した。そこへすかさず腹黒石川は近寄って行くと、
「どうしたの、まみり、どうしたの、まみり、ロボットは動かないの」
と、さも心配しているように、まみりの肩を揺すっていたが内心ではしめしめと舌を出していた。
「どうしたんだ」
目をぎょろぎょろさせて王警部もまみりのところにやってきた。
「わたしが調べて見ましょう、ダンデスピーク、来るんだ」
このロボットの発明者であるつんくパパはダンデスピーク矢口をつれて、車両輸送車によじのぼって行くと、首のあたりを見ると、絶望的な表情で両手を頭の上の方で交差させると、下を向いた。そして、車両輸送車から飛び降りると、王警部の方に思い足取りでやって来て、顔をあげた。
「壊れています」
その場に絶望的な雰囲気がひろがった。
「つんく博士、直せないのですか」
「もし、わたしが魔法使いでもなければ・・・・」
「えええ」
「ええええ」
不良グループでさえ、失望の声にならない、声をあげる。
「ああ、ここまで来たのに、ゴジラ松井を、ミーは逮捕することがデキナイノデスカ」
エフビーアイ捜査官、新庄芋は月の輝く空を眺めた。
ほーちゃん、くーちゃんも、そして神官新垣までもががっくりと肩をおろしている。
「なぜなり」
「信じられないことだが、超合金の首のところに穴が開けられている。現代の科学ではけして、この超合金に穴があけられるなんていうことはないはずなのだが」
「きっと、ゴジラ松井の子分がやったに違いないわ、海底原人がやったのよ」
吉澤が言った。
腹黒石川はおかしくておかしくて笑いをこらえるのが、やっとだった。
王警部は握った拳を下におろすと、その拳はぶるぶるとふるえている。空を見上げて、斜め上を向いているその顔の中の瞳は濡れているようだった。
「王警部、しかし、方法がないわけでもありません、こちらに来てもらえますか」
つんく博士はふたたたび輸送車両の上によじ登った。王警部もその上に上がった。新庄芋もその上にあがる、井川はるら先生もその上に上がった。あの気味の悪い三婆たちもその上に上がった。このプロジェクトのほぼ全員が上がったところで、つんく博士は手に持っている小型のリモコンのスイッチを押すと、スーパーロボの腹部が開いて、中から未来の乗り物のようなスクーターがせり上がってきた。その場にいるみんなは声を上げた。このスクーターのかたちは小型の潜水艇のようでもあり、ある意味ではなめくじのようなかたちもしている。そして座席がふたつあり、前の方の座席は運転手だろう、そして、うしろには砲兵手が座るようにレーザー機関砲がついている。そしてうしろの座席からレーザー機関砲を撃つように出来るのだろう。
「これは、つんく博士」
王警部はスーパーロボの腹部からせり出している未来兵器を見上げながら、言った。
「王警部、これはスーパーロボが故障したときのための用意です。スーパーロボが故障したときには、ここからこのスーパーなめくじ型迎撃宇宙挺が発進されるのです」
「しかし」
「なんですか、つんく博士」
「このスーパーなめくじ型迎撃宇宙挺は、時速六百キロで飛びながら、三メートルの旋回半径を保つことが出来ます、しかし」
「しかし、なんですか、つんく博士」
「運転手も砲兵手も人間を設定して作ったわけではありません、これに乗る運転手ロボも砲兵手ロボもまだ作っていません」
つんく博士はここで重く沈黙した。
「そうだ」
王警部には、ひらめくものがあった。いつだったか、まみりちゃんのすごい運転テクニックを見たことがあった、それはオートバイの世界チャンピオンもしのぐものがあった。
「つんく博士、運転手はいます」
「誰ですか」
「あなたの娘さんです」
いっせいにその場にいた人間の視線はまみりに集中した。
「まみりなりか、まみりなりか」
まみりは自分で自分のことを指さして、その場に何が、起こったのか、わからないようだった。
「ミーからも頼みます。このナメクジ型迎撃宇宙挺を操縦出来るのはまみり、あなたしか、イマセン。どうか、ゴジラ松井を捕獲してくだサイ」
「まみり、やってくれよ」
飯田も口を添えた。その場の雰囲気でまみりがこの超高性能兵器の運転手をやることになった。
「しかし、問題は後部座席に乗る、砲兵手ですな」
徳光ぶす夫はその兵器の後部座席をほーちゃんとくーちゃんの手を握りながら見つめた、その後部座席にはなんのとっかかりもなく、空中をすごいスピードで飛んだら、ふり落とされるに違いない、振り落とされずに、かつそれに乗りながら武器を使わなければならない。
「運転手はともかく、人間の能力ではこの後部座席に乗ることの出来るものはいません」また、つんく博士は絶望的につぶやいた。
「いえ、いますわ」
鈴のような声がして、みんなはその声のするほうを向いた。
「いますわよ、人間界、最強の剣士が」
ああ、自分たちはあの人のことを忘れていた、と探偵高橋愛は思ったが、その場にいた人間たちもみな同じことを考えていた。
「剣聖紺野さんの存在を忘れていた」
「ああ、剣聖紺野さんを眠り薬で眠らせておくのではなかった」
王警部はつぶやいた。
「とにかく、紺野さんがどうなっているのか、見にいきましょう」
みんなは紺野さんのことをほおっておいて、脳天気に宴会で馬鹿騒ぎをしていたこともすっかりと忘れている。みんなのうしろから、あの薄気味悪い、三婆、亀井えり百十七才、道重さゆみ百十六才、田中れいな百十五才も妖気を漂わせながら、ついてくる。
 紺野さんの寝ている部屋、つまり、井川はるら先生、安部なつみ先生も使っている部屋の前に行くと、なにやら生臭いにおいがして障子が紫や赤や青や、いろいろな色の光を受けて、妖しい色で染められている。そしてうめき声がしじゅう聞こえる。
「紺野さん、そこにいるの」
安部なつみ先生が障子を開けたとたんに、身体が烏、しっぽが蛇、頭が白髪の老婆の大きな化け物が飛び出して来て、徳光ぶす夫の頭を枯れ枝のような、足で蹴ると庭に面した窓から外に出て行った。
 その場のみんなは一斉に叫び声をあげた。その部屋の中もさらにおぞましいものだった。四隅に竹を立てて、注連縄をはりめぐらしたその中に、眠り薬で眠らされている紺野さんが仰向けに横たわり、苦しそうにうめいている。ほーちゃんと、くーちゃん、それに神官新垣は興味を刺激されたらしく、そのそばまで行って、紺野さんの顔をのぞき込んだ。紺野さんは額から汗を流し、うめき続けている。不良たちも、まみりもその竹で囲まれた前まで行ったが、その竹を取り払う勇気はなかった。
「噂には聞いていたけど、この儀式を見るのは初めてだわ」
黒魔術師はるら先生がぽつりと言った。
「なにするなり、なにするなり、紺野さんになにするなり」
まみりはあまりのことにわめきながら、その竹の呪いの道具みたいなものも、紺野さんもどうにかしようと突進して行くと誰かに、かんぬきでつかまれたように肩をつかまれて動くことが出来なくなってしまった。
「誰なり、誰なり、紺野さんが大変なことになってしまうなり」
振り返ると田中れいなが下から懐中電灯で顔に光りをあてているように無気味な顔をして、まみりの肩をつかんでいる。
「放すなり、放すなり」
うしろの方でこの様子をうかがっていた、亀井えりがやはり無気味な顔をして、人だまりを押し分けて、前の方に出て来た。
「ふへへへへへへ、おばあちゃんたちが、悪いことをしているとお思いかい、ふへほほほほほほほ、むしろ、いいことをしているんだよ」
ほーちゃんやくーちゃん、それに神官新垣たちがうめき声をあげているので、村野先生が紺野さんの顔を見ると、皮膚の下に何百匹ものミミズがうごめいているのが、見える。皮膚の下にそのミミズが透けて見えるのである。
ほーちゃん、もくーちやんも、そして新垣までもが自分自身を振り返りもせず、それを気持ち悪がった。
「ふへほほほほほほ、うまくいっているようだわね、おばあちゃんもうれしいわ」
「何が、うまく行っているようだなり、紺野さんをもとに戻すなりなり」
「まみりちゃん、このキモ婆たちの言っていることは本当だわ、むしろ、このキモ婆たちは紺野さんにいいことをしているのだわ」
「よくわからないなり、はるら先生」
「こっちに来てみるんだね、ふへほほほほほほほほほ」
亀井えり婆が手招きしたのでその場にいたみんなは廊下の方に出た。
「あれを見てごらん、ふへほほほほほほほ」
亀井えり婆は二階から見える、あの古家の障子の方を指さした。
石川も吉澤もぞっとした。風呂場に行く途中の廊下で大きなてるてる坊主のようなものがすすけた障子に映っていたのを思い出した。みんなが廊下に出て来てその古家の方を見下ろすと、障子が突然、開いて、中から道重さゆみ婆が顔を出した。
「まみり、やっぱり、照る照る坊主がぶら下がっていたのよ」
その照る照る坊主を見つめながら、石川が言った。
「たんなる、照る照る坊主ではないわよ、見て見て、あの照る照る坊主の顔には紺野さんの顔が墨で描いてある」
吉澤がそう騒ぐと、照る照る坊主の前にいる道重さゆみ婆がまた変な呪文を唱えだしている。すると、また紺野さんは苦しみだし、ミミズが一匹、顔の皮膚を食い破って、飛び出してきた。
「やめてなり」
「紺野さんはもうすぐ目を覚ますよ、ふへほほほほほほほほほ」
亀井えり婆はまた薄気味悪く笑った。
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「いくらなんでも、やりすぎなり、紺野さんの顔の皮膚を破って、みみずがもう一匹出て来たじゃないかなり」
二匹目のみみずが出て来たときは、加護と辻さえも大きな悲鳴を上げた。
「何を言うんだい、人間界のことしか知らないくせに」
亀井えり百十七才の髪は突然、白くなり、逆立った。
 **今、語られる、紺野さんの真実**
油汗を流している、紺野さんを横に置きながら、亀井えり婆も田中れいな婆もさも心外だという顔をして、恐怖のために小さくなってしまったようなゴジラ松井捕獲プロジェクトのメンバーの前で荘厳を表現するように立ちはだかった。
「紺野さんはお前らの考えでは理解出来ない進化を遂げようとしているんだよ、ふへほほほほほほほ」
「鬼婆、紺野さんの可愛い顔がミミズの巣みたいになっているなり、このままでは紺野さんは結婚出来なくなってしまうなり、鬼婆、紺野さんの顔をもとに戻すなり」
「ふへほほほほほ、この亀井えり、百十七才に向かって、鬼婆とはなんだい、これでも妖怪界では一番、美しい、姫君なんだよ、ふへほほほほほほほほほほほ」
亀井えりの言葉は無気味に響いた。
「百十八妖怪年前、わたしたち三人は妖怪界を統一した、王女だった。わたしたち、三人は妖怪界の伝説となる名君と呼ばれたのさ、ふへほほほほほほほほ、しかし、妖怪松浦あやや獣があらわれ、妖怪界に暴虐の限りをつくしながら、今もその世界を支配しているのさ、ふへほほほほほほほ。婆たちは、最強の剣士を求めていたのさ、しかし、妖怪界にその剣士は見つからなかった、仕方なしに、婆たちは地上に現れた。そこに、死臭に満ちた、呪われた剣士がいた。その剣士の行く先では多くの人間が死んだ、人間から見れば、まるで悪魔か、妖怪だった。それが剣聖紺野さんだったんだよ。すでに剣聖紺野さんは人間界、最強の剣士だったが、妖怪松浦あやや獣と、その一派を滅ぼすために、今から八十三妖怪年前に、妖怪界でも通用する剣士としての儀式をおこなっていたんだよ、婆たちは、しかし、手違いが起こって、その儀式は中断した。そして、運命によって紺野さんは婆たちの前にふたたたび、現れた。婆たちは紺野さんに妖怪儀式をふたたび、おこなっているんだよ、そして、ふへほほほほほほほほ、紺野さんが目を覚ましたとき、剣聖紺野さんは、」
「剣聖紺野さんは、なにになるなり」
「ふへほほほほほほ、剣聖紺野さんは、とてつもないものになる」
「ひどい、あんな顔にして」
石川が悲鳴を上げた。妖怪亀井えりはとろんとした、それでいて、凶暴性を秘めた目をして、まみりをじっと見つめた。
「妖魔剣聖紺野さん。そう、人間界、および、妖怪界で最強の剣士が生まれるんだよ。ふへほほほほほほほ」
ああ、こんなことが許されるのだろうか、人間界でも殺戮の限りを尽くしている紺野さんは、今度はさらに邪悪な妖怪を殺戮して歩き回るなんて・・・・・・・・・
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まみりだけではなく、その場にいたゴジラ松井捕獲プロジェクトの面々はみな、恐怖に鷲掴みされたように、ぶるぶるふるえながら、蝋人形のようになって、人間離れした様子の紺野さんと呪われた儀式を続けている亀井えり婆をじっと見つめた。このおぞましい連中の様子はとても正視にたえられないようなものだった。
 なにか、とんでもないものが生まれようとしていた、人間界、および妖怪界をまたにかけた最強の剣士が。ひとりのお菓子作りが趣味の十四才の少女のなかに同居しようとしている。
 「うぎゃゃゃゃゃゃ」
加護が人間離れをした悲鳴をあげた。
「変な声、出すなよ、それでなくて、気味が悪いんだから」
「オヤピン、オヤピン、あれを見てピン」
加護が指さす方をみんながいっせいに見ると、電源コードを抜いてある、十四型のテレビの画面にテレビを見ているときに、突然、アンテナを抜いたときのように、ブラウン管の画面に砂を横にはいたような雑音が生じた。スピーカーからもザーという音が流れてくる。まみりも石川もその画面を見つめた。やはり、紺野さんは死霊のようにうめいている。
「おかしい、電源コードが抜いてあるのに、なんで、テレビが映っているんだ」
村野武則先生が叫んだ。
じょじょに雑音が入っているのだが、テレビの画面に映像らしいものが浮かび始めた。粒子のあらいその画面にどこかの森のようなものが映っている。そこにはやはり、死のにおいがした。その森の中に何か、小さなものが見える。それがじょじょに大きくなっていく、どうやら、それはたくあん石を積み重ねた、古井戸のようだった。古井戸の画像はじょじょに大きく、なっていく、そして古井戸の入り口のあたりが写されると、白くみずぶくれした女の手が井戸の中から出てきて、井戸のへりをつかんだ。そして、海水に濡れてこんぶみたいになった、女の顔があらわれた。
「殺して、やる、殺してやる」
井戸のへりから頭を出した、こんぶみたいな頭の女は、薄気味悪く、そんな言葉をくりかえしている。しかし、顔は見えない。そのとき、急にこんぶ女の顔が大写しになった。
なんと、その顔は青く、蝋人形のようになった紺野さんの顔だった。
「殺してやる、殺してやる」
テレビの画面はまた切り替わり、やはり、画質は荒かったが、雨の日の中学校の校門があらわれた。
そこから女の子がスキップをして歩いていく、雨に濡れた道路の片隅に熊の人形が落ちている。女の子はその熊の人形を拾い上げると、顔を拭った。家に帰った、女の子は熊のぬいぐるみの水をタオルで吸い取ってきれいにしてやった。すると、熊のぬいぐるみが急に話しだした。
「ありがとう、僕を拾ってくれて、きみの名前は」
「剣聖紺野さんといいます」
「お礼になんでも、願いをかなえてあげよう」
「世界一、美しいお嫁さんになりたい」
「きみの願いはかなったよ」
熊のぬいぐるみはそう言うと薄気味悪く、笑った。
その日、女の子はりんごの皮をむいていると、指をナイフで切った。すると一滴の血が流れて、その血がダイヤモンドになった。
その様子をパパとママが見ていた。
女の子がベッドで寝ていると、誰かが寝室に忍び込んできた。そして、突然、大人がふたり飛びかかって来て、ロープで首をしめた。女の子は剣をとると、一刀のもとに切り捨てた。
顔を見ると、女の子の両親だった。
なんで、なんで、こうなるの。女の子は叫んだ。
「お前の血はみんなダイヤモンドに変わることを知ったんだ、パパとママはダイヤモンドが欲しかったんだよ」
部屋の片隅で熊のぬいぐるみが薄気味悪い顔をして見ていた。
パパとママは古井戸に行ったんだよ、熊がそう言うので女の子は熊のぬいぐるみについて行くと、古井戸の中をのぞいた。すると熊のぬいぐるみはうしろから女の子を押して、井戸の中に突き落とした。井戸の中から見ると、熊のぬいぐるみがたくあん石をつぎつぎと投げ込みながら、死ね死ねと、つぶやいている。
「なんで、こんなことをするの」
「人の死ぬのを見るのが楽しいんだよ、うししししし」
姿の見えなくなった、熊のぬいぐるみはつぶやいた。
「殺してやる、殺してやる」
たくあん石の下敷きになりながら、女の子はつぶやいた。
「まみり、なんなの、この紺野さんが出でくるドラマは」
「わからないなり、それより見てみるなり、紺野さんが眠ったまま、薄ら笑いを浮かべているなり」
すると、亀井えり婆と田中れいな婆は並んで、一同の前で薄笑いを浮かべた。
「へへへへへ、わからないのかい、これは剣聖紺野さんが深層の意識の中で見ている夢なんだよ、こんな夢をざっと百ぐらい見せれば、紺野さんの心は邪悪なものでいっぱいになっていくんだよ。紺野さんの心をこねて叩いて、いいものは全部だして、暗黒なものでかためていくんだよ、そば粉をこねるようにしてね。そして、紺野さんの心の中は邪悪なもの、そのものとなったとき、妖魔剣聖紺野さんとなるんだよ。うしししししし、そして、妖獣松浦あややを滅ぼすんだよ、くくくくくく」
亀井えり婆はその場面を思い浮かべるように笑った。
「ひどい、紺野さんはお菓子作りが好きな女の子なのに」
石川が悲鳴を上げると、紺野さんはその声が聞こえたように寝ている姿勢から急に立ち上がると、みんなの方を見て、気味悪く笑った。それに対抗意識を持った、神官新垣がぐるるるると低くうなった。
紺野さんはまた眠りについた。
古家の方から、道重さゆみ婆が完成したよと言って、了解の合図を送ったので、亀井えり婆は感動したようだった。
「紺野さん、起きるんだよ」
すると、あの顔の下をうごめいていたミミズは嘘のように、寝覚めの悪い女の子のように紺野さんは目を覚ました。
「紺野さんはぜんぜん、変わっていないように見えるわ」
吉澤は目をこすっている紺野さんを見ながら、隣の新庄芋の方を見た。
「ミー、にも紺野さんは変わっていないようにミエマス」
さっきから辻は首筋のあたりを誰かがさわっているような気がして、気持ち悪かった。
「だれだ、こんにゃくをボクピンの首筋につけるのは、やめろったら、おい、やめろったら」
「おい、辻」
保田が辻の方をおそるおそる、指さした。小川は気味悪がって、辻から離れた。不良たちは全員、辻から離れた。安部なつみ先生も離れた。
「おい、辻」
そう言った飯田の声は震えている。
「どうしたんですかい、オヤピン」
辻が振り返ると、手足は人間、身体は巨大ながま蛙の化け物が、舌をちょろちょろと出して、辻の首筋をなめている。しかし、それは半透明だった。
「おい、みんな、あれを見ろ、紺野さんの背後を」
目を覚ました紺野さんの背後には、日の当たっている部分には薄く、影になっている部分にははっきりと、部屋に入りきれないくらいの大量の妖魔がひかえている。
ぬらりひょん、青坊主、化けだぬき、まくら返し、釜なり、百年返し、お化けむじな、やわたのおろち、大首、牛鬼、小豆あらい、死に神、烏天狗、・・・・・、もう数え上げたらきりがないほどの妖魔たちが立て膝をついて紺野さんの背後に控えている。
「バンザイ、バンザイ、紺野さん、バンザイ。妖魔のほこり、紺野さん、バンザイ」
「バンザイ、バンザイ、文武の誉れ、紺野さん、バンザイ」
「バンザイ、バンザイ、われらが妖怪総大将、バンザイ」
「バンザイ、バンザイ、妖怪たちはみんな、紺野さんにしたがう。バンザイ、バンザイ」
「バンザイ、バンザイ、妖魔剣聖紺野さん、バンザイ」
妖魔たちは声を揃えると、紺野さんを褒め称えた。
「バンザイ、バンザイ、妖魔最強剣士、バンザイ」
「バンザイ、バンザイ、妖魔の最後の審判者、バンザイ、妖魔剣聖紺野さん、バンザイ」
地をはうようなときの声がその部屋に響いた。
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 妖魔剣聖紺野さんが、あくびをしながら、両手を上にあげてのびをすると、うしろに控えていた寝首盗みが手に持っていた陣馬おりを着せたので、紺野さんは昔の侍大将のようになった。もちろん、紺野さんのために軍師が座るような折り畳みの椅子を妖怪たちが差し出したのは、もちろんだった。
「べし」
妖魔剣聖紺野さんが一声言うと、やはり、うしろに控えていた苔蜥蜴が熊笹の葉に包んであるおにぎりを差し出したので、妖魔剣聖紺野さんは出来るだけ大きな口を開けて、それにかぶりつくと、さも、おいしそうに
「べし」
と一言、言った。
紺野さんは少しも、変わっていないわよ、顔からもあのミミズがいなくなっているし、もとのままじゃないの。そうよ、そうよ、紺野さんは少しも変わっていないわ、と、吉澤と小川がひそひそ声でつぶやくと、その声を聞いていた、妖魔剣聖紺野さんはそのひそひそ声を聞き漏らさなかった。きっと目を強く光らせて、小川と吉澤の方を見ると、竜巻のように回転して、空中を五十センチくらい上がり、またもとのように着席すると、一指し指を頭上に軽くあげた。すると、背後に控えていた烏天狗と韋駄天が空中を飛び、吉澤と小川の首根っこをつかんで、窓の外から空中に運び去った。そのあいだ、ふたりの絶叫を部屋の中にいた連中はずっと聞いていた。その絶叫が小さくなると、二匹の妖怪はふたたび部屋の中に戻って来て、ふたりをどさりと畳の上に投げ出した。
「妖魔剣聖紺野さん、この婆からもたのみますじゃ、この部屋に妖怪子分百千騎を控えておりましたら、おろかな人間どもは、こわくて何も、発言することは出来ませぬのじゃ、ひとまず、このものたちを魔界にお戻しくださりませ、この妖怪婆からのお願いじゃ、ぐふふふふ」
亀井えり婆がそう言うと、紺野さんは指をさっと斜めにふった。するとその場に控えていた妖怪たちは姿を消した。
「さあ、おろかな人間ども、妖怪子分百千騎たちは姿を消したぞ、何か、言いたいことがあるなら、妖怪総大将にお聞きしてもいいぞいな、へへへへへへへ」
すると、まみりの横にいた腹黒石川は前の方にしゃしゃり出てくると、もみ手をしながら「まず、今度、紺野さんが剣聖から妖怪総大将である、妖魔剣聖に昇格したことをお喜び申し上げます。石川は紺野さんがハロハロ学園に入学した当初から、妖怪界を統一するお方だと、思って、いつも応援していたんですよ、紺野さんは覚えていますか、紺野さんに学食であんパンをおごってあげたことを」
すると、紺野さんはへその胡麻をとるような仕草をした。腹がかゆかったのかも知れない。石川が自分の赤ん坊を見るような目つきで紺野さんを見ると、
「べし」
とまた一言、強く言って満足したように、唇をへの字に曲げた。
横で腹黒石川のこびへつらいを聞いていたまみりは胸がむかむかした。ハロハロ学園の学園生活の中では石川は紺野さんのことを、やれ、呪いの死人形みたいだとか、こんぶみたいな頭をしているとか、さんざん悪口を言っていたのである。石川の馬鹿、また取り入ろうとしているなり、どこまで馬鹿だなり、
それから石川は手に隠し持っていたヨーグルトを差し出した。
「妖魔剣聖紺野さんに差し上げようと思って、持って来ました。お召し上がりください」
と少ししゃれた入れ物に入っているヨーグルトを差し出すと、紺野さんはそれを奪うように受け取って、そのふたを開けようともがいていた。石川はその開け方を知っていたので、ふたをあけて紺野さんに差し出すと、紺野さんはがっくように食べ始めた。
 そのあいだじゅう、紺野さんに対抗心をむきだしにしている神官新垣は紺野さんに飛びかかろうとしていたが、徳光ぶす夫はそれを押さえつけるので精一杯だった。
 まみりは剣聖紺野さんがあんなに大事にしていた、銘刀、南紀白浜丸が部屋の隅にうっちゃられていたのをいぶかった。紺野さんが後生大事に持っていた刀である。いつも、手放さないようにしていたではないか。なんで、あんなに大事にしていた名剣を紺野さんはうっちゃっておくのだろう。
「紺野さんはどうして、南紀白浜丸を部屋のすみに投げ出しておくのだなり、なんでだなり」
まみりが質問すると紺野さんはまみりの方を見た。そして手を少しひねると、手に磁石がついているように南紀白浜丸は紺野さんの手に吸い付けられて、その剣を紺野さんは亀井えり婆に差し出した。亀井えり婆はうやうやしく、その剣を受け取ると、さやを払った。そこから出て来たのは、あの芸術品と言ってもいいような氷の刃ではなく、細く、針のようになった、安っぽい、木綿針を大きくしたようなものだった。
 ゴジラ松井捕獲プロジェクトの面々はそれを見て、剣の方は退化してしまったんだわと苦笑していたが、その場にいた妖怪の側の存在の亀井えりと田中れいなだけは感銘を受けたように、身をふるわせていた。
「ピロピロ剣を完成したのでございますのじゃな、ピロピロ剣を完成したのでごじゃいまするじゃな、妖魔剣聖紺野さんはピロピロ剣を完成しましたのじゃな、もう、わたしども、妖怪たちの範疇を妖魔剣聖紺野さんは越えてしまったのじゃな」
「べし」
また、強く、紺野さんはうなずいた。
「ピロピロ剣ってなんだピン。前よりも刀が貧弱になったピン、紺野さんは弱くなつたピン」
加護が妖怪子分百千騎がいなくなったもんだから、その貧弱になった刀を見ながら言うと、またしても、妖怪亀井えり婆はその白い髪を落雷にでもあったかのように逆立てた。
「黙れ、下郎、ピロピロ剣を完成した妖怪総大将にたいして失礼であろう」
ものすごいいきおいで怒鳴られて加護愛はたじろいだ。
「総大将、この下等生物たちに対して、ピロピロ剣のすさまじさ、美しさ、はかなさ、荘厳さ、その威力を見せて差し上げてくださりませ、この亀井えり婆からのお願いでございます」
「べし」
紺野さんはまた強く一言だけ、言った。
紺野さんはその火事場にあったような刀の鞘を払うと、それを頭上高く掲げて、言葉を発した。
「ピロピロピロピロ・・・・・・・」
そう言いながら紺野さんは剣を高く掲げた。その紺野さんの声はどこまでも山を越え、谷を越え、届いていくようだった。
「あれを見て」
探偵高橋愛が声を出して、畳の上を指さした。そこには何匹もの水くらげがぼんやりと姿を現し、そのぼんやりとした影はさらにはっきりとしていく。水くらげはうめいているようだった。それと同時にまみりはどこか、へそのあたりがかゆくなり始めた。飯田は我慢が出来ないのか、もう、ズボンの中に入れていたシャツを表に出すとへそのまわりをかき始めている。ちょうど、そのとき、テレビもついていてアナウンサーがニュースを読んでいたのだが、アナウンサーも我慢が仕切れないのか、ワイシャツのすそをまくりあげると、へそのあたりをかき始めた。そして畳の上では水くらげがのたうちまわっている。そのたいだじゅう、紺野さんは剣を細かく振動させてピロピロピロピロ・・・・・・と言い続けている。アナウンサーがあんな状態になつているということはこの地球上のすべてのものがへそのまわりがかゆくなり始めているのかも知れない。そして亀井えり婆も田中れいな婆もかゆがっている。まみりもかゆくてかゆくて仕方なくなり、シャツのすそをたくし上げるとへそのまわりをかき始めた。
「かゆいなり、かゆいなり、なんだか、無性におへそのごまをとりたい気分なり」
まみりはへそのごまをとろうと思ってへその中に指を入れた、まみりはこんなことをやつてはいけないと心の中で思った。汚い手でおへそを触ったら、腹膜炎になってしまうかもしれないなり、やめるなり、やめるなり、部屋の中にいるものはみんな、へそのごまをとろうとしてのたうちまわっている。
「妖怪総大将、やめてくださりませ、やめてくださりませ、婆は死んでしまいます」
「べし」
そこで妖魔剣聖紺野さんはピロピロピロピロ・・・・・と言うのをやめると、その針金みたいな剣を鞘の中にしまった。
妖怪亀井えりはまだせき込んでいる。
「見たか、妖魔剣聖紺野さんの恐ろしい技を、ピロピロ剣、この世もあの世もすべてのものが、そのへその胡麻をとりたくて仕方がなくなるんだよ、きっとラー帝国のゴジラ松井もへその胡麻をとりたくて、のたうち回っていたに違いないんだよ」
まみりはおそろしいと思った。剣聖紺野さんが妖魔剣聖紺野さんに進化したのは本当なのだと思った。
「お前たちは妖魔剣聖紺野さんにお願いしたいことがあるんだろう」
妖怪田中れいながそう言うと、王警部は妖怪総大将の前に進み出た。
「妖怪総大将、人間界と妖怪界をすべからく治める王者、わたしはたしかにホームランを八百以上打ちました。野球世界殿堂入りもしています、しかし、あなたに較べれば、妖怪総大将に較べれば、わたしなど、とるに足らない存在です」
「べし」
「べし」
「べし」
妖怪総大将はさかんに、べし、を連発している。なんか、妖怪総大将はうれしそうだった。「この世でも、あの世でも、あなたの力を借りるしか、ありません、妖怪総大将、この世のものも、あの世のものもすべて、あなたの力を必要としています、ゴジラ松井を捕獲する手伝いをしてください」
「べし」
「べし」
「べし」
「まみりちゃんという不世出のパイロットがいます、あとは砲兵手だけが必要です。どうか、砲兵手になってください、妖怪総大将」
「べし」
「べし」
「べし」
・・・・・・・・
最後は妖怪総大将は べし を百連発くらい連発してはなはだうれしそうだった。
こうしてゴジラ松井捕獲作戦の準備は整った。なめくじ型攻撃挺には妖魔剣聖紺野さんが乗ることになった。夜中の十二時頃になって、まみりがトイレに行くとトイレの中から、べし、べし、べし、・・・と連発した声が聞こえる。さかんにドアのノブをいじっているようだ。中の鍵をかけたまま、でられなくなつたのかも知れない。
「紺野さん、中にいるなりか」
「べし、べし、べし」
「鍵の横にボタンがついているなり、それを押すとバネ仕掛けで鍵がはずれるなり」
中でバネがはずれる音がした。そしてドアが開いて中から紺野さんが出て来た。
まみりはやっぱり、紺野さんの髪はこんぶみたいだと思った。
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 「ありがとうございました」
井川はるら先生が頭を下げると割烹着を着た妖怪三婆たちは割烹着のはじで今さっきまで水仕事をして濡れた手を拭った。
「妖魔剣聖紺野さんには、われわれの仕事を手伝ってもらいます、そして、みごとにゴジラ松井を捕獲したあかつきには、妖怪松浦あやや獣の成敗に乗り出してください」
「待っていますよ、ふぉほほほほほほ」
「本当に、ふぉほほほほほ」
「おなかをこわさないようにね、ふぉほほほほほ」
三婆は手を振った。スーパーロボを載せた大型トレーラーは動き始めた。
ハロハロ学園の関係者はみんなクストー理事長が借りた観光バスに乗り込んだ。妖魔剣聖紺野さんのためにもう一台のバスが借りられて、紺野さんはその一台だけに乗り込んでいる。一台目のバス、つまり、まみりたちや王警部と言ったこの世の存在が乗り込んだバスが動き始めると、二台目のバス、つまり、紺野さんひとりが乗り込んだバスも動きはじめた。まみりと石川はバスの一番うしろに乗っている。その横にはつんくパパと村野先生も乗っている。ダンデスピークは前の方の席に座って読書をしているようだった。
「まみり、でも、おかしいんじゃない」
横に座っている石川が聞いてきた。
「なにがなり」
「僕もおかしいと思う」
石川の弟も同意した。
「ふん、そんなことより、妖魔剣聖だか、なんだか、知らないなりが、紺野さんだけ、ひとりでバスを借り切るなんてずるいなり」
横でその話を聞いていた、つんくパパがたしなめた。
「矢口、お友達のことを悪く言うもんじゃありません」
「まみりも、なめくじ型迎撃挺に乗り込むなり、ゴジラ松井くんの逮捕活動のために鋭気を養いたいなり」
「まみりの言うことも一理、あるわね」
横に座っている石川が梅干しガムをくちゃくちゃ噛みながら言った。
「石川も、そう思うか」
「まあね、それにしても、おかしいと思わない、後ろのバス、運転手さん、乗っているのを見た」
「見てないなり」
「きっと、紺野さんが運転しているのよ、きっと」
「そうなりか」
「そうよ、そうよ」
「紺野さんが運転しているなりか」
まみりは紺野さんがバスの運転手さんの帽子を被って、大型バスの大きなハンドルを操作しているのだと思うとおもしろかった。
「見てみるなり、見てみるなり」
「見よう、見よう」
石川とまみりは後ろの窓から紺野さんの乗っているバスを見ると、たしかに一番前の席に紺野さんは乗っている。
「わたしたちの思い過ごしね、まみり、紺野さんは運転していないじゃないの」
紺野さんはただひとり一番前の席に座って不思議そうにこちらを見ている。バスの運転手の方はどこにでもいる特徴のないおじさんだった。つまり、バスに乗り込んだ客は紺野さんしかいない、バスの客席の方はがらがらになっている。いや、もう一人、いた。紺野さんのバスの方にはバスガイドが乗っているのだ。そのバスガイドが、まるで藤原紀香みたいな女なのだ。まみりたちの乗っているバスの方にはバスガイドが乗っていない、石川の弟はそのことをぼやいていた、観光バスって言ったら、バスガイドさんがつきものじゃないの、なんでバスガイドさんがいないの、姉ちゃん、なま言うんじゃないわよ、りか夫、こんなきれいな姉ちゃんがとなりに座っているんだから、いいでしょう。と石川の姉は言った。しかし、観光バスと言えば、バスガイドのお姉さんである。さんまの焼けた横に大根おろしがついていないようなものである。王警部も村野先生もつんくパパも、何か物足りないものを感じていた。観光バスにバスガイドのお姉さんの思い出があったら、もっと楽しいだろうと内心、感じていた。ただ、徳光ぶす夫だけは横にほーちゃんとくーちゃんが座っているので、すっかりと満足している。井川はるら先生は新しい黒魔術をマスターしようとして最近、謎の失踪を遂げた中国の黒魔術の大家、黄用然の書物をひもといている。
そこでうしろの窓ガラスから見える、この光景について石川の弟は大きな声をあげた。
「あっ、藤原紀香みたいなバスガイドだ」
その声につんくパパは振り返り、
「本当だ」
と叫び声をあげる。
「本当、本当」
村野先生も王警部も、そして不良たちもバスの後部の方にやって来た。
「紺野さんの乗っているバスの方には藤原紀香がバスガイドとして乗っているんだってよ」
藤原紀香のようなという言葉が、願望を交えて発せられたために、本物の藤原紀香がバスガイドとして乗っているということになってしまった。
「どれだよ」
保田が身を乗り出して、後ろの車両を見つめた。不良たちが身を乗り出している。
「重たいなり」
小川に上に乗られた、まみりはぶつくさと言った。
「たしかに、似ているが、本物ではない」
つんくパパが言った。一番前の席に座っている紺野さんは迷惑そうに、前のバスの連中をじっと見つめていた。そのうちにつかつかと前の方に来るとフロントガラスに紺野さんの顔面を自分で押しつけた。すると鼻も口もないように紺野さんの顔面は広がっていき、三倍になって、かつゴム細工のようになった。それから、運転手の姿は化け狸に変わり、あのバスガイドの姿は牛鬼に変わった。後ろの方の座席に集まっていたハロハロ学園の連中は悲鳴を上げて、何事もないように席に戻った。
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「気味が悪いなり」
まみりはつぶやいて、後ろを見ないようにと思ったが、一番、後ろの席についているので、つい後ろを見てしまう。それでちろりと後ろの席を見ると、紺野さんは侍大将の被るような兜を被って、例の鹿の角のようなものがついている奴である。顔がゴム製品のように八十倍も広がって、フロントガラスに顔をぴったりと押しつけ、フロントガラス全体の五分の三まで領有している。そしてやはりピンク色の歯茎をむきだしにして、窓ガラスにぴったりとくっっけて、にたにたしている。そしてバスの中でせまくるしそうにしている。それにはわけがある。バスの中がいろいろな生き物でいっぱいになっていたのだ。後ろの観光バスの空間の中は、紺野さんの子分、妖怪子分百千騎がぎゅうぎゅうに詰め込まれていた。そして、それらの気味の悪い妖怪たちがにたにたと笑いながら、舌をぺろぺろと出している。
まみりはやはり、後ろのバスに乗らなくて良かったと思った。
まみりたちの乗ったバスも紺野さんの乗った妖怪バスも日本海の方に向かって走って行く。日本海の荒海にもまれた天然の魚介類が行き先に待っているのかも知れない。つんくパパは目的地についたら、おいしい寿司屋に是非入ろうと思った。
 しかし、バスは地方都市の公道を走っているわけだから、それほどスピードを出せるわけがない。車道の横の歩道を黄色い学童帽子のようなヘルメットを被っている小学生が歩いている。
窓側に座っていた石川は小学生が物珍しいのか、あっ、小学生が歩いている、小学生が歩いていると言って指をさしたので、まみりも首を伸ばしてランドセルをゆらゆら揺らして歩いている小学生をのぞき見た。
飯田たち不良も首を伸ばして、小学生がきのこのお化けみたいな格好をして、歩いているのを見た。小川は小学生に向かって、ばーか、小学生なんて、侮蔑の言葉を投げつけた。小学生たちは不思議な顔をしてこちらを向いている。小学生たちの歩いて行くさきには校庭の大きな小学校の建物が建っている。
「ばかもん、不良たち、この小学校をどこの、小学校だと心得ているんだ」
王警部が顔を真っ赤にして、大声を上げて怒った。
「どこの、小学校なんだよ」
保田が一言だけ言うと、覚られないように首をすくめて、にやりとした。
前の方に座っていた、村野先生も椅子の背もたれから、身を乗り出すと、後ろを振り返って、あたりを見回した。
「おーい、みんな、あれが、ゴジラ松井くんが通っていた小学校だーぞ、聖地、第一号だ。ここで、ゴジラ松井くんは女先生のスカートをめくったんだぞー、それから、揚げパンを五十個、食うという快挙を達成したんだぞ」
「まみり、まみり、この小学校にゴジラ松井くんが通っていたんだって、ねえ、ねえ、まみり」
横で邪恋女、石川が話しかけてきた。探偵高橋愛はしきりにカメラのシャッターを押している。
「ここだなり、ここだなり、ここがまみりの未来のだんな様が通っていた小学校だなり」
横で石川がまみりの横腹をこずいた。
「まみり、何、考えていたの」
「何も、考えていないなり」
へへへ、石川は気味悪く笑った。
すると、バスの中の誰かが始めたのではないのに、誰かひとりがその小学校に向かって、敬礼をした。すると、次から次ぎへとバスの中の人間は全員が、その小学校に向かって敬礼をした。石川の弟がうしろを見ると、妖怪子分百千騎たち、全員が敬礼をしている。もちろん、妖怪総大将、妖魔剣聖紺野さんもそうしていた。
 「この、ウインナー、ゆで蛸のかたちをしているでしょう、わたしがウインナーのさきっぽのところを縦に四方に切り目を入れたから、こうなったのよ、味付けは塩味、王警部、食べますか」
ピンク色の弁当箱をあけて、塩ゆでにした、緑色のカリフラワーの横に入れてあるウインナーをつまようじに刺して、安部なつみ先生が王警部の口元に差し出したので、警部はカメレオンが蠅をとるように、そのウインナーを一口で食べた。そのとき王警部の胸ポケットのあたりが、じりじりと鳴って、携帯が着信していることがわかったので、王警部が携帯を取り出すと出て来たのは、ハワイにあるの航空宇宙研究所、分院のカウカウ研究所からだった。
「ミスター王、大変なことになっておりますじょ」
ただならぬ気配を感じた王警部は身を折り曲げて、小声で携帯を耳にくっっけた。
王警部の話しているのは、環太平洋航空宇宙研究所のアレクサンドル・ビット博士だった。彼は米ソの宇宙衛星打ち上げ競争の黎明期からその様子を間近で見てきた関係者のひとりである。ロシアのロケット研究の先駆者である、チオルフスキーやゴダートの下で勉強をしたこともあった。
今も軍事用および非軍事用の衛星が地球の上空を周回している。その中の軍事偵察衛星は地球の表面をかなりの精度を持って観測している。それらの衛星はもちろん、この石川の地方都市を常時観測していた。
とくにアレクサンドル・ビット博士はそれらの研究用として打ち上げられた初期の衛星から深く関わっていた。
博士は今回の神官新垣たちの地球追放プロジェクトのための火星一方通行巨大ロケットの立案、実行を指揮していた。彼は主に生命維持装置を内部に収めてある衛星、つまり宇宙ステーションの開発研究のためにNASAで重要な地位を占めていたが、それは表向きの顔であり、実はごく一部の科学者たちと共同で非科学的宇宙開発機構というものを組織していて、小国のGNPに匹敵する資金を動かし、その目的を遂行していた。今回の神官新垣火星追放プロジェクトというのも王警部やエフビーアイ捜査官新庄芋にとっては地球の危機を救うというものだったが、彼ら非科学的宇宙開発機構にとってはまつたく別な意味合いがあった。それは宇宙の霊を鎮めるためのものである。言うなれば、神官新垣やほーちゃん、くーちゃんが火星の真っ赤に燃える砂鉄の中に消滅していくことも、この宇宙に浮遊する、浮かばれない無数の霊を鎮めるための生け贄なのであった。
 まだ博士が若く、宇宙開発の意欲に満ちていたときはもちろん、こんな怪しげな活動をはじめていたわけではない。
米ソが国の威信と軍事的優位を求めて宇宙ロケットの開発に明け暮れていたときは、予算がいくらでもついた、まだ創世期の簡単な論理素子となる真空管式のコンピューターの前で、その発生する熱と、ヒーター電極切れに悩みながら、その精力の一方を注いでいたのは、動物園通いだった。そこで博士はめぼしい動物、ありくい猿、蟹甲良割り猿、芝犬、マントヒヒ、アルマジロ、ドラエモン、あり、ミミズ、山椒魚、ペルシャ猫、緋鯉、マウンテンゴリラ、さまざまな動物を実験用宇宙ロケットの生命維持空間の中に詰め込むと宇宙に向けて、とびださせた。それは科学の進歩のためという、大儀名分もあったが、博士自身、世界で一番、動物を宇宙に送り出した宇宙科学者という名声を渇望していたこともあった。そのなかには親戚の、ある郊外住宅の営業員を眠り薬で眠らせて、猿のぬいぐるみを被らせてそのまま、暗黒の宇宙空間に送り出したこともあった。
今回のブロジェクトでも、王警部の方に自分から積極的に近づいて行ったのも、アレクサンドル・ビット博士の方だったのである。
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 ビット博士がだいたい千匹の実験動物を暗黒の宇宙空間に放り込んだころ、ベッドの中で寝ていたビット博士はあまりにも寝苦しく、目が覚めると、すっかりと寝汗をかいていた。そして、時間を見ると、いつもの衛星観測の時間になっていた。博士が飛ばした衛星のほとんどすべては、周回軌道をはずれて、宇宙の藻屑となっていたり、質量の巨大な惑星の重力にひかれて、流れ星となって衝突したり、再び、地球に接近して、大気圏で摩擦熱のために燃え尽きたりしていた。
しかし、まだ十三個の衛星が実験動物をのせたまま、まだ、地球のまわりを回っていた。それを観測することが、彼の仕事でもあり、趣味でもあった。
 しかし、それらの中の実験動物はみなミイラ化し、白骨化している。
地球の各地から送られたそれらのデーターを合成して、博士ののぞきこんだモニターの中に十三番目の衛星の沈黙した姿が映し出された。
暗黒の空間の中にその日本の古典楽器の鼓のかたちをした衛星が写しだされた。博士はその中にどんな動物を生きたまま、乗せたか、すっかりと忘れていた。博士はただ世界一、実験動物を宇宙に送り込んだ科学者としての自負と満足感によいしれていた。
そして、じっとそのモニターをのぞき込んでいると、その衛星の背後に、もやもやした陽炎のようなものが、もえあがっている。そして、きつねとゴリラをたして二で割ったような怪物が赤い目をしてこちらを見ている。それが口を開けて、赤い舌をちろちろと出すと、モニターから、その姿は消えて、博士の前にあらわれると、博士の首をしめた。
「食わせろ」
「食わせろ」
「生き物をくわせろ」
そういうと、その怪物は博士の前から、姿を消した。
「食わせろ、食わせろ、変わった生き物を食わせろ」
それから、博士の娘が車を運転している途中で崖から落ちて死んだ。
博士は、うんと変わった生け贄を宇宙にあげなければならないと思った。そんな状態だったときに神官、新垣を火星に追放するという相談を受けたのである。博士は自分が飛ばした実験動物たちの霊を鎮めるには、こんな珍獣を宇宙妖怪たちの食物に供しなければならないと思った。そして素粒子科学やビックバン理論では解決出来ない、非科学的宇宙論に達したのである。そして、非科学的宇宙論の研究を進めるにしたがって、かって自分と同じ結論に達した民族がいたことを知った。
それが神官新垣が属している超古代マヤ民族である。
 「王警部、大変なことが起こってごじゃりますじょ」
「なんですか、神官新垣追放プロジェクトに支障が起きているとでも」
王警部はまた、声をひそめて、携帯を耳に押し当てた。
「観測衛星に、能登半島沖、五百キロ沖上に異変が起きているのが映っているのですじょ」
「どんなですか、ビット博士」
「高精度カメラには映っています、巨大な貝殻がおよそ、七百ぐらい、海の上に浮いています。その中には古代の生物、アロマロカロスが乗り込み、手には火矢を携えています。そして、その中の一番大きな貝殻の中には野球帽を被った青年が乗り込んでいますじょ」
「ゴジラ松井だ」
王警部は舌打ちをした。
しまった、王警部は自分の油断を責めた。ゴジラ松井はラー帝国が崩壊寸前という状態で当然、ひとりで来るものだと思っていた。しかし、王警部はゴジラ松井が海中生物をすべて、とくに深海生物のすべてを旗下に置いていることを忘れていた、だから、すでに絶滅したはずの古代生物とともにこの石川県のすべてを焼き尽くそうとしているのかも知れない。
なんてことだ。ゴジラ松井、非道だ。
王警部の持っていた携帯はぶるぶると震えた。
「王警部、どうしたんですか、聞いていますかじょ、わたしはこんなことが過去の歴史にあったことを知っていますじょ」
「わたしが、知識の源泉としている超古代マヤ帝国の歴史ですじょ」
「超古代マヤ帝国、それは神官新垣の故郷ではありませんか」
「超古代マヤ帝国の歴史を知ることは、われわれの過ちを正すことでもありますじょ、なぜなら、人類の進化の行き着く先に、超古代マヤ人がいるからですじょ」
王警部はその言葉をすぐに肯んずることは出来なかった。
「それはどういうことですか、博士」
「あなたはあの国の歴史を知っているか、どうか、わからないが、海底帝国ラーを逃れた神官たちが作った国ですじょ、そして建国から二十三年後に危機が起こった。ラー松井三世があの国を滅ぼすために、海底生物、一万騎を引き連れ、海上から、総攻撃をかけて来たのですじょ、迎え撃った、神官たちはわずか、七十三匹しかいなかったのですじょ、しかし、奇跡が起こった。そこに伝説の妖怪大将というのがあらわれたのですじょ」
「妖怪大将は、何をやったのですか」
「わしはそこまでしか、知りませんじょ」
「わかりました」
王警部はそこで携帯を切った。一号車のバスの中ではハロハロ学園の連中が勝利を確信しているように安心しきった表情をしている。能登半島沖にゴジラ松井王子にひきつれられた深海生物たちが大挙、襲来していることにも気づいていない。
歴史は繰り返すという、王警部はかがんでいた背中を伸ばすと、うしろについて来ている二号バスの方を振り返った。するとぬらりひょんがバスを運転している。その横にバスガイドの牛鬼が立っている。そしてバスの中には妖怪子分百千騎たちがいる。最前列でおぼろ車がひさげで紺野さんの杯に酒をつぐと紺野さんは一気にその酒を飲み干した。
「まみりちゃん、紺野さんの携帯の電話番号を知っているかい」
「知っているなり」
王警部は携帯で妖魔剣聖紺野さんに電話をかけた。
「べし」
二号車の最前列にいる紺野さんが携帯を耳につけているのが見える。
王警部は今の状況をまわりの人間に聞かれないように説明した。
「べし」
「べし」
「べし」
妖魔剣聖紺野さんはべしとしか、言わなかった。しかし、王警部の心の中に直接、いろいろなことを話しかけてきた。
王警部の顔色は少し、希望を見せて、明るくなった。
「誰か、ほたて貝のひもを持っていないか」
すると、みんなはバッグの中をさぐっていたが、辻が昨日の宴会で余っていた、つまみの残りをナプキンにくるんで持っていたのを差し出した。王警部はそれを受け取るとズボンのポケットの中に突っ込んだ。
王警部は揺れるバスの中で立ち上がると
「もうすぐ、火星一方通行ロケットの発射センターに到着する、その横にはゴジラ松井の実家である、ゴジラ松井記念館もある。そこが、第二の聖地だ。そこへ行ったら、ゴジラ松井が赤ん坊のときしていた腹巻きだとか、ドーナツ型枕だとか、見せられるだろう、しかし、わたしたちは、ゴジラ松井捕獲プロジェクトの一員だということは決してけどられてはいけない」
「じゃあ、どうするんだよ」
保田が言った。
「われわれはみな、ハロハロ学園子供新聞編集記者だということにしようではないか」
「正式部員はわたしだけよ」
その正式のクラブ員の吉澤はひどく不満そうにぶつぶつとつぶやいた。
「まみり、わたしたち、ハロハロ学園子供新聞編集記者だって、ハロハロ学園子供新聞編集記者だって」
横に座っている石川がうるさい。
「なんだって、いいなり」
まみりは聞いていなかった、ゴジラ松井くんの第二の聖地をたずねることなんて、コジラ松井記念館、そこはゴジラ松井くんの両親が管理している。
 あまりに早い進展なり、あまりに早い進展なり、このふつつか者、矢口まみりがゴジラ松井くんのご両親にお会いするなんてなり、結納をどうするかなり、なり、なり、なり、
横を見ると邪恋女、石川がそこらへんに落ちている紙ひもで水びきを結んでいる。その横では石川の弟が結婚式で歌う歌、一覧という歌集を見ている。
「あっ、あれは」
海からの風に吹かれて、たくましく育っている木々のあいだの道を走っていたバスの前方に巨大な鉄骨と円筒型のものが木々のあいだの隙間になっているところに見える。みんなは揺れているバスの中で、中途半端に立ち上がりながら、華厳の滝でも見るように、その最新科学技術の粋に見とれた。バスはゆるいユーの字のカーブを切りながら、下のさらに海岸に近い方に降りて行った。
「ここだ、ここだ」
一号車が止まって、村野先生が立ち上がった。
「さあ、降りるんだ、今日はここに泊まるんだ」
網棚の上に載せていた荷物を下ろし、バスの中の細い通路を通って、地面の上に降りたまみりは大きくのびをした。すると、二号車が止まって、中から妖怪総大将紺野さんを筆頭にして、つぎつぎと妖怪子分百千騎たちがおりてきた。そして、みんながみんな、首からカメラをぶら下げて、手には手帳とちびた鉛筆を持っていた。
 コンクリートで出来た普通の住宅の一方の出入り口のところに道場破りが持っていくような町道場のどぶ板で作った看板のようなものが張ってあって、そこにはゴジラ松井記念館と毛筆で書かれている。
「第二の聖地に来たんだわ」
石川は感涙にむせんでいる。
まみりはそれどころではなかった。ゴジラ松井くんのご両親にどういう挨拶をしたらいいのかと思い悩んでいると、横で井川はるら先生がまみりのひじをつついた。
「とうとう、来たわね、まみりちゃん、ゴジラ松井くんの実家に」
いつものゴジラ松井に対する反感も見せずにはるら先生はまみりが、彼の両親と家族ぐるみのつきあいをする段階まで来ていることを素直に喜んでいる。
「つんくパパ、そんなにへそを曲げないで、へそを曲げないで」
徳光ぶす夫がさかんになだめているが、つんくパパは少し不満そうな様子は隠せなかった。
妖怪子分百千騎たちは職務熱心に手にはカメラ、手帳を持って、そこらじゅうを写真を撮ったり、手帳で記録している。
「トイレ、トイレ」
飯田はそう叫ぶと走り出して、人の家に勝手に入り込んで、用をたすと、素知らぬ顔をして出て来た。
「なにをするなり、なにをするなり」
まみりは真っ赤になって怒った。
「飯田は馬鹿なり、飯田は馬鹿なり、ハロハロ学園の中で、ゴジラ松井くんの家の敷居を最初にまたぐのはまみりなり、まみりなり」
横では石川が同じように怒っている。
ゴジラ松井くんの家の前での喧噪に気づいたのか、中から夫婦らしい人が出てきた。ゴジラ松井くんのご両親である。
「見学の方ですか」
偉人の父親の方が尋ねた。すると、村野武則先生が松井くんの父親に詰め寄った。
「泊まらせてください、泊まらせてください」
ゴジラ松井くんの父親は恐怖を感じた。目の前にはざっと見積もっても、人間が二十人前後、それに加えて、化け物みたいなのが、千匹くらいいるではないか。
「あなた、誰か、勝手にうちのトイレに入って来たのよ」
母親の方はその犯人の耳を引っ張ってつれて来た。
「オヤピンは、もう済ましたって言っているピン、勝手に入っていいって言ったぴん」
加護愛がいいわけをした。
「加護さん、ハロハロ学園ではそんな教育をしたつもりはありませんよ」
安部なつみ先生が加護愛をたしなめた。
「もっちゃうピン、もっちゃうピン」
「勝手にもらしちゃえばいいなり、不良」
飯田のみならず、加護にまで先を越されたまみりは冷たく言い放った。
王警部は進み出た。
「いろいろと、ご無礼をお許しください、わたしたちはハロハロ学園子供新聞部の者です、今回、石川県をクラブ活動の一環として旅行して、そのクライマックスとして、ゴジラ松井記念館を取材して子供新聞にのせる予定なんです。ゴジラ松井記念館を見学させて頂けませんか」
「そういうことですか。ときとして、寿司を食わせろとか、変なことを言ってくる人がいるので困っていたところなんです」
寿司を食わせろと言おうと思っていた小川は出鼻をくじかれた。王警部の横で餌をねだつているみたいな表情の女がじっと自分の方を見ているので、ゴジラ松井くんの父親は気味が悪かった。
「あなたは」
ゴジラ松井くんの父親は聞いた。
「まみりなり、まみりなり、矢口まみりなり」
その様子を石川は黙って見ていなかった。
「まみり、出し抜いていないでよ、石川です、石川です、石川梨花です」
まみりに負けないぐらい、石川はゴジラ松井くんの父親にこびを売っていた。
「こっちは貧乏な弟がおまけでついてくるなり、まみりの方がお買い得なり、お買い得なり」
「ふたりとも、何、喧嘩をしているの、ハロハロ学園の品位が疑われるわ」
安部なつみ先生があいだに入った。
ゴジラ松井くんの父親はなんのことだか、さっぱりわからなかった。
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 「おーい、みんな、こっちだ、こっちだ、ゴジラ松井くんのご両親にご迷惑をかけるんじゃない、そっちはゴジラ松井くんのご両親が生活をしている家の玄関だぞ、記念館の玄関はこっちの方だ、みんなが迷惑をかけたら、ゴジラ松井くんのご両親は腹を立てて、泊まらせてくれなくなっちゃうぞ」
村野先生はまだ泊まる気になっている、そして、その声を聞いたので、一見、人間に見えるのとか、明らかに化け物なのが、ぞろぞろと記念館の玄関の方に移動した。
「先生、貧乏石川の姿が見えません」
探偵高橋愛が村野先生のところで立ち止まって、囁いたので、見ると、確かに、石川梨花がいない、そのとき、ゴジラ松井くんのご両親の住む住居の方から叫び声が聞こえた。
「知らない女がうちのぬか床に手を突っ込んでいるーーーーーうーーーーーー」
「あいつだ」
「あの馬鹿だ」
村野先生も王警部も井川はるら先生も安部なつみ先生もみんなぴんと来た。ご両親の住居の台所の方に急ぐと、ご両親がじっとその女の方を見ている。石川梨花がホーロー引きの大きなばけつの中のぬかの中に手を入れたまま、じっとゴジラ松井くんのご両親の方を見ている、その横では弟が手帳にメモを取っている、
「どんな漬け物を食べているか、調べているところなんです」
石川が自分の仲間が来たという表情で言葉を発したので、ハロハロ学園の教師たちはみんな、口を揃えて、うちの生徒ではないと断言した。
教師たちが害が及ばないようにと、何食わぬ顔で出てくると、石川とその弟はきゅうりを漬けたのをそれぞれ丸ごと、一本、囓りながら、出て来た。
 教師たちは不思議がったが、生来のペテン師の石川とその弟にして見れば、そんなことは造作もないことだった。
 いつだったか、瓦版屋の吉澤が体験したことだったが、馬鹿組の中で巨大な蝦蟇蛙をつかまえることの出来る沼がハロハロ学園の近くにあるという話になり、その場所を知っていると蝦蟇蛙ハンター石川は強く主張した。吉澤が瓦版の記事にしようと思って、ハンター石川に道案内を依頼した。吉澤はまみりと一緒にハロハロ学園の裏の方の沼地へと抜ける間道の入り口のところで待っていると、石川はやって来ていたが、そこには石川の弟も立っていた。そこで、吉澤とまみりと石川と石川の弟でその巨大な蝦蟇蛙の生息している沼へ歩いて行ったが、ハンター石川の言ったとおりに、そこには確かに、巨大蝦蟇蛙が多数生息していた。そして、時間を忘れた四人が帰る時間になると、あたりは暗くなり始めていた。これでは帰る途中ですっかりと暗くなってしまうと思った吉澤とまみりはバスを使おうと思った。しかし、バスの停留所がどこにあるのか、知らなかった。しかし、ハンター石川と、その弟はこの沼地を走るバスの停留所がどこにあるか、知っていたのである。
 そこで交渉人、石川は交渉を始めた。自分と弟のバス代を出してくれたら、バスの停留所の場所を教えてくれるというのである。そこで吉澤は怒った。なんで、勝手について来た弟のバス代まで出さなければ、ならないのかと、そこで、吉澤とまみりは歩いて帰ったのであるが、その横をどっかの農家の主人が運転する軽トラックの助手席に石川と石川の弟はちゃっかりと乗って、通り過ぎたのである。
 生来の詐欺師石川はすべてがすべてこうなのだった。
 王警部とまみりとはるら先生がゴジラ松井記念館の入り口をくぐったときは、すでに不良たちも妖怪子分百千騎たちもゴジラ松井記念館の中に入って、その展示物を鑑賞している。
「やっぱり、一倍半くらい大きいなり、大きいなり」
ゴジラ松井くんが生まれたばかりで、ドームのかたちをした透明な保育器の中に入っている写真が展示されているが、その大きさは隣に寝ている赤ん坊の姿に較べると確かに一倍半くらい、大きい。そして、その横にゴジラ松井くんの小学校入学当時の写真もあるが、たしかにそれも一倍半くらい大きい。
「やっぱり、ゴジラ松井くんは、昔から大きかったなり」
まみりは満足した。まみりの心の中では、ゴジラ松井くんはむかしから大きくなければならないと思っていたからだ。
その横には柔道着姿の松井くんの写真がのっている。
「むかし、ゴジラ松井くんは柔道をやっていたなりか、やっていたなりか」
まみりには新鮮な驚きだった。
「なんだ、まみりちゃん、そんなことも知らなかったのかい、みんな知っていたよ」
「王警部も知っていたなりか」
「わたしも知っていたわよ」
はるら先生も口を添えた。
その写真の横にはゴジラ松井くんが着ていたと思える、洗い晒しの柔道着も飾ってある。まみりはこの柔道着を着て、ゴジラ松井くんが一本背おいや払い越しや、受け身の練習をしたのだろうと思った。そして、鏡開きにはお汁粉を食べたのかも知れない。
 不良たちが少し離れたところで、固まっている。まみりはそこで何をやっているのか、わからなかった。そのとき、急に警報が鳴り響いた。
「どうしたんだ」
王警部が叫んだ。
不良たちのいるあたりの天井に下がっている赤いランプが点滅して、黄色の変なランプが不良たちを照らした。サイレンの音が鳴り響いている。その非常照明に照らされて、飯田たちがまみりの方を向いた。
「ご神体になにがあったんです、何があったんです」
ゴジラ松井くんのご両親が住居の方から、走って来た。飯田も保田も辻も加護も小川もこっちを見たまま、こわばっている。
「オヤピンが悪いんダッピ、ゴジラ松井くんのへその緒を記念に持って帰ろうって、言ったんだっぴ」
「まったく、ハロハロ学園では、どんな教育が、おこなわれているんですか」
ゴジラ松井くんのご両親はハロハロ学園のみんなにこんこんと説教をした。
 住居の居間の方で輪島塗りの器の中に堅焼きの煎餅を入れて、ゴジラ松井くんのご両親は、こたつの中に入りながら、朝の連続テレビ小説を見ていた。
「まったく、人の家へやって来て、他人の子供のへその緒を持って帰ろうとする見学者のいる学校なんて、はじめてだね」
「本当に、そうですね」
ゴジラ松井くんの母親は堅焼きの煎餅をかぶりとひと囓りした。
「東京のどこにある学校だって、言っていた」
「さあ、さっぱりとわかりませんよ、死んだ有名な海洋学者が建てた学校だと言っていましたよ」
「海か、海洋学者といえば、きっと海の中の研究をしているんだろう、最近、船に乗っていないな」
「今度、お隣が湯涌温泉に行ってから、舳倉島に遊びに行くと言っていましたよ、あなたもご一緒したら」
「いいよ、それにしても、このテレビ、写りが悪いな」
「電気屋さんにアンテナを直してもらうように、頼んでいたんですけど」
居間の窓のところに電器屋が現れた。
「おはようございます、アンテナの修理に来ました」
「ご苦労様」
電器屋は窓のところに収縮するはしごをかけて上に登って行った。
「屋上に上って行ったみたいだね」
「そうですわね」
ゴジラ松井くんのご両親が見ていると、中国の古代の占い師みたいな格好をした、女の子が、はしごで上に上がって行った。
「電器屋さんの助手ですか」
ゴジラ松井くんの尊父が言うと、その女の子は、べし、とだけ、短く言った。
そしてふたりが目を離しているすきに、妖怪子分たちが屋上に上がって行ったが、ふたりはまったく、そのことに気づかなかった。
屋上に上がった妖魔剣聖紺野さんはべしと一言、言うと電器屋は気を失ったので、妖怪子分たちは彼を地上に降ろした。屋上で妖怪子分たちは祭壇を建設し始める。
そのとき、さっきより西風が強くなったようだった。
妖怪総大将の長い黒髪はその西風に吹かれて、顔の下の方を隠したが、その姿は美しかった。
妖怪子分たちは、それぞれ妖怪語で紺野さんに随時、報告に参上した。風はさらに強く吹き始めた。
 妖魔剣聖紺野さんは、天にいる何者かわからないもの、それは天上の竜かも知れなかったが、そのこの世界の気象を支配するものを意識して、天上を睨んだ。
 「まみり、まみり、ゴジラ松井くん記念コインを弟が拾ったのよ、刻印機がそこにあるじゃない、今日の日付とイニシャルを押したいんだけど、お金、くれない」
「うるさい、石川、やらないなり」
「まみりのけち」
記念館の海側の方にベンチが置いてあって、その横にカップ麺の自動販売機が置いてある。その横で吉澤と探偵高橋愛が座って、カツプ麺をすすっている。
まみりはそこに行くと、さっきから、気になっていたことを吉澤に聞いた。
「紺野さんがいないなり、どうしたなり」
「そう言えば、紺野さんの姿が見えないわね」
そのそばでスマートボールをしている新庄芋にも聞いてみた。
「紺野さんが、いないなり」
「さあ、ミーに聞かれてもわからないデス」
「紺野さんはどこに行ったなりか」
「まみり、こっち、こっち」
小川が海に面したところに備えてある望遠鏡を見ながら、まみりの方に声をかけて来た。「十円、入れて、十円、入れて、望遠鏡が見えなくなっちゃう」
矢口まみりはポケットの中を確かめると小銭が入っていたので、望遠鏡の横にある、料金箱に小銭を入れた。
「大変だよ、まみり、大変だよ、まみり」
小川は同じ言葉を繰り返した。
「ふん、まみりはずるい、わたしと弟にはお金、くれなかったのに、小川にはお金、あげるのね」
「うるさいなり、石川」
「まみり、見てごらん、望遠鏡で海の方を」
あわてて、まみりは望遠鏡の方をのぞき込んだ。
そこへ、つんくパパもやって来た。
「矢口、おかしいぞ、おかしいぞ、妖魔剣聖紺野さんの姿も、妖怪子分百千騎の姿も見えない」
徳光ぶす夫は不安そうな表情をしている、ほーちゃんやくーちゃん、そして神官新垣の肩を落ち着かせるためのように押さえている。「大変だなり、大変だなり」
まみりは望遠鏡のはるか向こう、海上を見つめながら、絶句した。
 そのとき、雨がぽつり、ぽつりと降り始めた。
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(小見出し)海上大決戦
望遠鏡の前部の方についているレンズの方に雨だれがぽつりと当たった。
数十キロさきの水平線がゆらゆらと揺れている。そのさきに、何千という無数の貝殻が荒波の上に揺れている、貝殻の中には怪獣のような奇怪なかたちをした古代生物アロマロカロスが乗り込み、手にはそれぞれ、火矢をかまえている。
 そして、その貝の船の集団の真ん中に、まみりのいとしい人、ゴジラ松井くんが源平合戦の武将のような格好をして、貝の船に乗りながら、櫂をこいでいる。
「ゴジラ松井くんなりなり」
まみりはそのあまりにも凛々しいゴジラ松井くんの姿をうつとりとして見つめると、一人、その人の名を囁いた。
「見せなさいよ」
瓦版屋の吉澤がまみりが覗いている望遠鏡を奪い取ると、その中に映ったものを見て、大声をあげた。
「敵機、来襲よ、敵機来襲よ」
ゴジラ記念館の中は右往左往の大騒ぎになった。まるで公家政治の終焉の頃にさむらいがその貴族の館を襲ったような状態だった。
「敵、アロマロカロス、その数、七千、敵の総大将、ゴジラ松井くん」
「おい、みんな、紺野さんはどうしたんだ、紺野さんは、それに王警部もいないぞ、それどころじゃない、妖怪子分百千騎もいなくなっている」
「どうするんだ、どうするんだ、紺野さんがいなかったら、みんな、皆殺しにされちゃうぞ」
「アロマロカロスたちはみんな火矢を持っている、この石川県を火の海にするつもりだ」
「きゃあー」
「きゃあー」
混乱と動揺がゴジラ松井記念館の中に嵐のように吹きすさんだ。
「まみり、わたしたち、みんな、殺されちゃうの」
「まだ、死にたくない、まみりの花嫁姿を見るまでは」
「つんくパパ、どこにいるなり」
「ここだ、矢口」
「みんな、どうした」
「オヤピン、オヤピン」
「ちょっと、みんな、静かにして、静かに、二階の天井の上の方で何か、聞こえるわ」
「確かに、聞こえる」
「みんな、外に出るんだ」
ゴジラ記念館の中にいたハロハロ学園の連中はみんな、外に出た。外には雨が横殴りにふっている。ことの異変に気づいたゴジラ松井くんのご両親も外に出て、二階の屋上の方をゆびさしている。
「あれは、なんだ」
「あっ、紺野さんだ」
「王警部もいる」
ハロハロ学園の連中は雨の中を屋上にいる、紺野さんや妖怪子分百千騎たちを見上げた。ゴジラ松井くんの実家兼、ゴジラ松井記念館の上にはいつのまにか、陰陽道の祭壇がしつらえていて、その前で変な鏡を首に下げた、紺野さんが変な呪文をとなえている。
いつの間にか、その建物の上には、古代から連綿と続く道教の思想にもとづく、祭壇の火がもえていた。その上には妖怪子分百千騎と王警部も上がっている。
 雨は激しく降っているが、その祭壇の火は消えなかった。
空には激しい雨を表現しているターナーの絵のようだった。妖魔剣聖紺野さんの昆布のような黒髪は雨に濡れていた。
「バンザイ、バンザイ、紺野さん、バンザイ」
「バンザイ、バンザイ、紺野さん、バンザイ、バンザイ、バンザイ、天の竜、地の亀も紺野さんにしたがう」
「バンザイ、バンザイ、紺野さんは陰陽五気をすべて、その手にする」
「バンザイ、バンザイ、紺野さん、バンザイ」
「紺野さんは妖怪総大将、この世のすべてを統一する、バンザイ、バンザイ」
「妖怪総大将、バンザイ、紺野さんは火竜も水竜もすべて、てなづける」
妖怪子分百千騎と王警部がそうとなえたとき、紺野さんが呪文を唱えている、祭壇の火が、ばっと大きく、なって、竜のかたちになると、火を吹き、妖怪のひとりに火を吹きかけた。しかし、妖怪子分百千騎と王警部の祈りの言葉はとまらなかつた。
「バンザイ、バンザイ、紺野さん、バンザイ、われらが妖怪総大将バンザイ、嵐も地震もいかづちもすべて、紺野さんの手の中にある。バンザイ、バンザイ」
紺野さんは不思議な印を結び、指先をその祭壇の方に向けると、ダイヤのようなキラキラしたものが飛び出し、火の中に飛び込んで、空中に飛散して行った。
空には低く、怪しい色をした雲が立ちこめ、雲の中からはいかづちが、絶え間なく、地上を覆った。もしかしたら、ハロハロ学園の連中はまだ、生物が存在しない、生きた地球の誕生の様子を見ているのかも知れなかった。古代、地球は熱い、焼けた石で、そこに雨が大量に降りしきり、海が出来た。
妖魔剣聖紺野さんは背中に、例のピロピロ剣を背負っていた。かみなりが連続して、ゴジラ松井記念館の周辺に落ちたとき、背中に背負っていた、ピロピロ剣を天上に向けた。そのときかみなりが紺野さんの上に落ちた。
まみりは紺野さんは死んでしまつたのではないかと思ったが、紺野さんの身体からはイオンが放たれている、エネルギーのかたまりのようだった。
天上を覆う暗雲がまるで生き物のようにのたくっていた。その雲の波間のあいだに何者かが隠れているようだった。
「バンザイ、バンザイ・・・・」
妖怪子分たちと王警部の祈りの声はさらに大きくなる。すると、コバルト色をした、天の気候の支配者が首を出した。石川県くらいの大きさのある、竜が首を雲間からのぞかせると、妖魔剣聖紺野さんをにらみつけた。竜は口の中から、超高電圧のイオンを発して、紺野さんに浴びせかけた。紺野さんの身体は青白く無気味に光り、空中放電をして、ばちばちと火花が散った。
そして、かみなりのかたまりであるかのような竜は上半身を地上に降ろすと紺野さんの身体に巻き付いた。
「バンザイ、バンザイ、紺野さん、バンザイ・・・・・」
妖怪子分たちの祈りはさらに大きくなる。竜に巻きつかれて、全く姿の見えなくなった、紺野さんだった。巻き付いている竜の身体の隙間から女の子の手がするするとのびていく、そして、その手が両方から近づいて触れると、大爆発が起こり、数百キロ四方が光のかたまりのように明るくなった。そのとき、王警部が貝のひものようなゴジラ松井くんのへその緒を空中になげあげると、それも大爆発した。そして巻き付いていた竜が紺野さんの身体を放すと、紺野さんは身構え、指で空中に、仁、義、礼、知、信、と書くと、その指文字は空中で光りとなり、竜の額に飛んで行き、竜の額にその文字が浮かび上がった。
竜はまた、雲間に消えたが、雷雲は命を持っているようにうねり、海上に向かった。
「バンザイ、バンザイ、紺野さん、バンザイ、文武の誉れ、紺野さん、バンザイ、妖怪総大将、紺野さん、バンザイ」
妖怪子分百千騎と王警部の祈りの声はますます大きくなった。
「見て、見て、海上を」
探偵高橋がゴジラ松井軍があるだろう海上の方を見ると、その上には雷雲が漂い、雷が絶えずその上に降り注いでいる。
「紺野さんは天竜まで子分にしてしまった」
はるら先生は海上に光り輝く、アロマロカロスが燃えていく様子を見ながら言った。
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 古代の都市では、その都市の繁栄と安定を願うために方位にその建設の労力を割いた。
奈良の平城京、京都の平安京、長岡京もそうである。その都を四つの神が守っている。
北の玄武、南の朱雀、西の白虎、東の青龍である。
 玄武は水の神で蛇が亀の首に巻き付いた姿、朱雀は神鳥、白虎は白い虎、青龍はドラゴンである、それらはみんな神である。
これら四神に守られた土地を四神相応といい、その地は自然の理にのっとり、繁栄するといわれている。そして、つねに空間、と言って平面ではあるが、移動する人間の上に現れる第五神がある。それが天竜である。天竜は、玄武、朱雀、白虎、朱雀の姿を変えた合体した姿ともいわれる、その天竜が頭上に輝く人間はこの地上を治めると言われ、周の部武王、漢の劉邦の上にも、そのみしるしが現れたといわれているが、ここ、数百年にわたって、その兆候はなかった。しかし、その姿だけではなく、子分として、天竜を従える存在がこの地上に現れたのは宇宙の歴史が始まって以来だった。
 「べし」
嵐の吹きすさぶ、ゴジラ松井記念館の屋上で、風雨に飛ばされないように、コンクリートの床にはいつくばりながら、妖怪子分百千騎たちと王警部は妖怪総大将紺野さんを崇拝する、呪文を唱えている。妖魔剣聖紺野さんの視線は数十キロ先にある、ゴジラ松井の引き連れる海底帝国軍団に向けられている。
「べし」
紺野さんがもう一声、言うと、雷雲の中からまみりたちのいる場所からもはっきりと見える、巨大な竜が姿を現した。
「まみり、見て、見て、巨大な竜よ」
吉澤が風雨に声をかき消されないようにと、叫ぶと、天を覆う雷雲から首を出している竜は、そのうねる下腹も雲から姿を見せた。およそ十五メートルくらいの大きさのある、野球帽を被ったゴジラ松井くんの頭部は頭上の竜を見上げると、一睨みして、軍配をその巨竜の方にふると、この風雨にも消えないアロマロカロスたちの構えている火矢、数千がいっせいに竜に向かって飛んで行った。
すると、竜の身体は七色に発光して、いかづちそのもののようになり、火矢は竜の身体に触れる前に燃え尽きて消滅した。火矢は雨嵐のように天上の竜にめがけて射られているが、ことごとく、炎になって燃え尽きた。ゴジラ松井の子分たちの背中に背負った火矢もつきかけようとしたとき、雲の切れ目に見え隠れしていた、竜の尾が雲間から姿を見せた。そして、尾は竜の頭の方に近づき、竜の頭と尾を結ぶあいだに虹にも似た電気の通り道が出来ると、今まで見たこともないような爆発と光を伴った、電撃がゴジラ松井軍の上に降り注いだ。有料の望遠鏡をのぞき込んでい吉澤も前方に見える、海底帝国軍の様子がわからなくなった。
「まみり、大変な爆発よ、なにがなんだか、わからなくなったわ」
外で嵐に吹きすさばれながら、肉眼でその様子を見ている不良たちにも、その変化はわかった。海上にはもうもうと煙があがり、燃え上がる炎でその煙が赤く彩られている。燃え上がる炎の隙間から石灰化したアロマロカロスの乗っていた貝がらと黒こげになった乗り手たちが波間にぷかぷかと浮かんでいる。
その数、およそ、七千。
「天の気象を支配する、竜の攻撃を受けたからには、さすがのゴジラ松井もひとたまりもなかったデスネ、アハハハハ」
新庄芋は声高く、隣にいる探偵高橋愛の方を見て笑ったが、その声は乾いていた。
屋上にいる、妖魔剣聖紺野さんを称える妖怪たちの祈りは停止していた。妖怪子分百千騎たちも、王警部も、そして紺野さんも海上のもうもうと立ち上る煙をじつと見つめていた。
 煙が少し、途絶えて、波揺れる海面が現れた。波間にはアロマロカロスの死骸が数え切れないほどたくさん浮かんでいる。そのときである、海面がざばっと波立つと、十五メートルに及ぶゴジラ松井くんの頭部が海上に現れた、それと同時にゴジラ松井くんは口に含んでいる海水を数百メートル上空に浮遊している、天竜にめがけて、ふきかけた。
「きゃあー」
そこにいたものは誰知らず、ハロハロ学園の連中はみな声にならない声を上げた、ゴジラ松井くんが首を伸ばして、竜に大量の水を拭きかけると、また、鼻梁のあたりまで海面に浸った。それと同時に海面に数十メートルもある、大量の土竜が姿を現すと、数百いる土竜たちは空中に飛んで行き、天竜に向かった。
「大変なことだわ」
大声をあげながら、隣の徳光ぶす夫にはるら先生は叫んだ。
くーちゃんもほーちゃんも、そして神官新垣もその様子をじっと見ている。
「妖魔剣聖紺野さんが、天を支配する天竜をその子分にしたように、ゴジラ松井は土中を支配する土竜を子分にしたのよ、地球はどうなってしまうの」
井川はるら先生は絶叫した。
空中にのぼっていった無数の土竜は天竜にからみついている。そして、天竜はその重みに耐えきれなくなったのか、海上に落下していった。大きな波が起こり、海水面が変化した。無表情にゴジラ松井は海面にその姿を現すと波面を切りながら、その頭部を前面に押し出して、前進してくる。
「なんて、ことだ、ゴジラ松井は天竜の攻撃を受けながら、傷ひとつ負わなかったのか」
村野先生が歯がみをしてくやしがった。
「対決のときが来たんだわ」
井川はるら先生がぽつりと言ったので、吉澤はゴジラ松井記念館の屋上の方を見ると、真っ赤なマントをひるがえした妖怪総大将が屋上のへりのところで海上を見ながら、下唇で上唇を押さえながら、風雨を顔に浴びながらも決して意に介しようとしなかったが、
「やっ」と一声叫ぶと地上に降り立った。そのあとを妖怪子分百千騎たちも降りてきた、そして、王警部もおりてきた。
まみりは武者震いが止まらなかった。
「やって来る、頭部の大きさが十五メートルある、怪獣王が、海底帝国ラーの王子、ラー松井八世が」
ハロハロ学園の連中はみな誰言うともなく、言った。
不良たちががらがらと音を立てながら、故障して動かなくなった、スーパーロボの腹部に格納されていた、なめくじ型迎撃飛行艇を押して来た。まみりはハロハロ学園の連中に無理矢理、金色をした宇宙服のようなものを着せられた。
「一刻の猶予も出来ない、紺野さんは」
王警部が言うと、紺野さんは佐々木小次郎のような格好をして立っている。背後には妖怪子分百千騎たちが控えて、さかんにもみ手をしている。何も言わないのに、紺野さんはなめくじ型迎撃飛行艇の後部座席にピロヒピロ剣を背中に背負ったまま、乗り込むと、さかんに挺を揺らして発進の催促をしている。
 つんくパパは金色の宇宙人みたいな姿をした、まみりの方にやって来た。
「矢口、とうとう、時が来た」
まみりは何でもないが、少し緊張した。
「今日は、矢口のパハでなく、男として、いや、人間として、俺から言いたいことがある」
「なんなり、つんくパパ」
「矢口、俺はモーニング娘っこを立ち上げてから、お前に出会った、矢口、俺の人生でお前ほど、おもしろい女に出会ったことはない、そして、これからも、お前よりもおもしろい女に出会うことはないだろう、グッフォーユー、フォーエバー矢口」
「ありがとうなり、つんくパパ」
まみりはつんくパパに向かって、敬礼をした。つんくパパも敬礼を返した。
後部座席に乗って待たされている妖怪大将はブーイングをした、妖怪子分百千騎もそれにならってブーイングをした。
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 運転席に飛び乗ったまみりはアクセルを吹かすと、なめくじ型迎撃飛行艇はブルブルと音を立てて、空中めがけて飛び上がった。まみりは必死でハンドルを握っているのに、紺野さんは両手放しになって、ピロピロ剣をかまえている。ゴジラ松井は陸地にあと、五百メートルという位置にまで来ていた。まみりがゴジラ松井の上空まで、飛んで行くとゴジラ松井はうるさい蠅が来たという表情して、まみりたちの乗った挺をじろりと睨んだ。
空中からまみりはゴジラ松井の頭上から、拡声器を使って、叫んだ。
「ゴジラ松井くん、わたしたちはあなたを逮捕に来たなり。逮捕されて法の裁きを受けるなり、そして刑務所に入って罪の償いをするなり、それから、まみりと結婚するなり。勝負なり、ゴジラ松井くんなり」
「べし」
「良かろう」
どこからともなく、低く、地を揺るがすような声が聞こえた。まみりはなめくじ型迎撃飛行艇を急上昇させる、みるみるまみりの乗った飛行艇は急上昇して、ゴジラ松井くんこと、ラー松井八世の頭上、数百メートル上に上昇した。
「錐もみ降下なり」
「べし」
ほぼ垂直に挺は落下していく、ゴジラ松井くんの野球帽の真ん中についているボタンみたいなものが見える。妖魔剣聖紺野さんはモンキー乗りになって、ピロピロ剣を抜いて、剣を構えた。そのときである、十五メートルもあるゴジラ松井くんの頭部は急に上方を向くと口をくわっと開くと、カメレオンみたいな舌が飛び出して、まみりたちの乗っている挺の横を猛スピードで走って行った。生物の舌であるが、太さは道路に埋められている水道管くらいある。まみりはハンドルを切って、進路を変えた。すると、その舌はまた、するすると縮んでいき、またゴジラ松井くんの口の中に入って行った。
「すごいなり、すごいなり」
「べし、べし」
まみりは感嘆の声を上げた。まみりはふたたびハンドルを切って、水平方向に飛んだが、今度は背後から、あのゴジラ松井くんの巨大な舌が追ってくる。
「どうするなり、どうするなり」
「べし、べし」
今度は紺野さんが、自分の髪の毛の先を口に含んで、口から吐き出した。
「なんだなり、なんだなり」
まみりは不審な紺野さんの行動がどうして起こされているのか、理由が少しもわからなかった。
「なんだなり」
まみりが後ろを振り返ると、紺野さんの後ろには、妖怪子分百千騎がぞろぞろと列を作りながら、紺野さんの後ろを飛んでいる。
その姿は地上にいるものたちにもよく見えた。
「連凧みたいだわさ」
小川は新潟の河川敷で大凧揚げ大会で、余興として連凧百十一枚揚げというのを見たことを思い出した。
「こわいなり、こわいなり」
まみりはぶるぶると震えた。何しろ背後には、ぬらりひょん、九尾のきつね、またたび、木霊、ぶるぶる、水虎、ひょうすべ、ねこまた、髑髏行灯、かまいたち、土蜘蛛、・・・・・数え切れないくらいの妖怪たちが連凧のように連なっている。
「あんこ玉」
妖怪たちは妖怪たたちだけで通じる言葉でみんながそう言うと、妖怪たちの手の中には野球のボールのかたちをしたあんこ玉が握られていた。ふたたび舵を取り直した、まみりは
「こわいなり、こわいなり」
と叫びながら、ゴジラ松井くんの頭部に突っ込んで行った。
「あんこ玉、投擲」
「あんこ玉、投擲」
・・・・・・・・・・・
妖怪たちは声を揃えて、妖怪たちにだけわかる言葉でそう言うと、ゴジラ松井めがけて、あんこ玉を投げつけた。
ゴジラ松井は条件反射によって、それらのあんこ玉をひとつ残らず、舌で受け止めようとする。そこにすきが出来た。空中を自由に動く、舌の合間をかいくぐって、まみりの挺はゴジラ松井の頭部の近距離に近づいた。
「この勝負、貰ったなり」
「べし、べし」
ゴジラ松井の巨大な目玉が見えた。
妖魔剣聖紺野さんはピロピロ剣を正眼に構えた。妖魔剣聖紺野さんはゴジラ松井の眉毛の中で一本、飛び抜けているのがあるので、それを切ろうと思って、刀をふりあげた。すると、奇跡が起こったのである。
ラー松井八世の巨大な耳が俊敏に動くとうちわのようになって風を動かすと、その強力な風によって体勢をくずした迎撃挺はゆらゆと失速して、ゴジラ松井の横を通り過ぎた。そのまま、行けば、まみりの乗った挺は失速して、海中に沈んだだろうと思うが、まみりはハンドルをあげて急上昇した。
この様子を邪恋石川と石川の弟は皮肉ぽく、見ていた。
「ゴジラ松井くんはわたしのものよ」
「ゴジラ松井お兄さまは僕のお兄さまだぞ」
それぞれが勝手なことを言って、勝手に、まみりたちの敗北を願っていた。
まみりはまた上昇しようとして、アクセルを吹かした。しかし、エンジンはプスプスと変な音を立てている。運転席のインジケーターに非常ランプの赤い光が点滅している。
「どうしたなり、どうしたなり」
「べし、べし」
迎撃挺はよろよろとよろめいた。後部のジェット噴射機から黒い煙がぷすぷすと出ている。
「だめなり、だめなり、不時着するなり」
「べし、べし」
まみりと紺野さんの乗った迎撃挺はよろよろとじくざぐ航行しながら、砂浜にすべるように不時着した。ハロハロ学園の連中が集まって来た。
「どうしたんだ、矢口」
「エンジン不調だなり」
「そんなことはない、エンジンの整備は完全にしていたぞ、矢口」
つんくパパは迎撃挺の燃料タンクのふたを開けてみた。
「おかしい、砂が入れられている」
「誰がそんなことをしただっぴ」
加護が絶叫した。沖の方ではゴジラ松井が勝利したように首を振っている。
「ケヘケヘケヘケヘケヘヘ」
偉人伝にのる偉人にはふさわしくない、下品な笑い声をあげてゴジラ松井が笑うと、砂浜に生えているやしの木がその振動で揺れ、やしの実が三個ばかり落ちた。
「ゴジラ松井の暴挙を神はお許しになるのか」
王警部は天をあおいで絶句した。
そのあいだにもゴジラ松井はゴジラ松井記念館にも、火星ロケット打ち上げセンターの方にも近づいてくる。ハロハロ学園の連中の落胆した様子を見て、石川も石川の弟もおかしくて仕方なく、笑いをこらえるのが、やっとだった。ゴジラ松井が神官新垣たちを奪回にくる足音が近づいてくる。
「おっ、あれはナンデスカ」
新庄芋が叫んだ。ゴジラ松井の上陸する速さは予想外に早かった。しかし、その上陸したゴジラ松井の姿は異常だった。頭部が十五メートルの大きさがあれば八頭身のゴジラ松井だったら、百二十メートルはなければならない、しかし、上には野球帽を被り、下には野球のユニフオームを来たゴジラ松井くんの身長は三十メートルしかない、つまり二頭身だったのだ。それでも、火星ロケットよりも大きい。ゴジラ松井、ラー帝国帝王は石川の地に上陸した。ああ、人類はどうしたらいいのだろう。
「いないなり。いないなり、いないなり」
まみりはあたりを見回した。
「そうだ、いないぞ、あのお方が」
「いないわ、いないわ」
まみりと一緒に不時着した、妖魔剣聖紺野さんがいないではないか。
「あっ、あそこ」
飯田が海岸の方のゴジラ松井くんが立っている海岸の方を指さした。そこは人だかりがしている。
 しかし、それは人ではない、手に手にポップコーンやコーラや、饅頭を持った妖怪たちが、田舎の小学校でやる余興の映画を見るようにすっかりくつろいで座っている。
「一体、どうしたんデスカ」
「あれは」
ハロハロ学園の連中はそこに妖魔剣聖紺野さんの姿を発見した。
三十メートルの巨獣、ゴジラ松井くんの前に立っている。
紺野さんはアマレスの選手のユニフォームのようなものを来ていた。
巨獣、ゴジラ松井くんが、紺野さんを捕まえようとして手を伸ばすと、
「ちぇすとー、べし、べし」
紺野さんは叫ぶと空中を飛んだ、そして三十メートルの距離を飛ぶと、ゴジラ松井くんの野球帽のてっぺんについているボタンみたいなものをつかんだ。
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すぐにゴジラ松井は首を振ると、紺野さんはたまらずに三十メートル下の砂浜にたたきつけられた。そのまま、ことりとも音もたてない。
「紺野さんは死んでしまったのかなり」
まみりは絶叫した。
ゴジラ松井くんの実家を海側に歩いて行くとこの砂浜に出る。しかし、さすがに、日本海の荒海が作り上げた砂浜である。ところどころに自然の驚異と言ってもいい、奇岩、巨石が砂の中や荒ぶる海の中から顔を出して、それが古代から地球に降り立った異邦人のようだった。見る視点によっては火星の景色のように見えないこともない。すべての岩は鋭角の角度を持っていて、古代人がやりの穂先やナイフにしたのは、こんな岩だったのに違いない。その砂浜の中で妖魔剣聖紺野さんは死んだようにうつぶせになってことりとも動こうとしない。
 その様子を見てゴジラ松井は勝ち誇ったように喜んでいるようだった。
その様子を見て、つんくパパも王警部も新庄芋も憎悪の炎を燃やした。
ゴジラ松井はその二頭身の身体の野球帽を被った、巨大な頭部を左右にふりながら喜んでいた。
 ビロロロローン、ビロロロロローン、ゴジラ松井が頭部を左右に振るたびに、内部にばね仕掛けのてこと電気仕掛けのモーターが入った巨大なからくり人形のようだった。しかし、この恐怖のラー帝国、帝王の得意技は頭突きではないだろうかと、その外見から直感的にわかった。
 ビロロロローン、ビロロロロローンと頭部をゼンマイ仕掛けの悪魔のように振りながら、倒れたまま、びくりとも動かない妖魔剣聖紺野さんの方に近寄っていく。
ビロロロローン、ビロロロロローン。
ビロロロローン、ビロロロロローン。
そのとき、どこからともなく、覆面姿の怪人が現れた。
「ビジャーノ一号、助太刀申す」
背の高いのがひとり、姿を現すと、同じくらいのがまた、現れた。
「ビジャーノ二号、見参」
すると、今度は背の低いのが現れた。
「ビジャーノ三号、見参だっぴ」
それが、とうとう六号まで現れた。六人の怪人は六人とも同じマスクを被っている。
顔の真ん中にブイの字が書かれているマスクマンだった。
「まみり、不良たちがいないわ」
吉澤が絶叫した。
「オー、ノー」
安部なつみ先生は絶望したように声を出した。六人のマスクマンたちはゴジラ松井の前をさかんに走り回っている。まるで攪乱戦法をとっているようだった。
「あれを見て」
吉澤がさっきまで、びくりとも動かなかった紺野さんを見ると、痙攣したように、肩のあたりを動かしている。そして、紺野さんは急に立ち上がると、まるで、酔っぱらっているようだった。そのくせ、要所要所には拳も、蹴りも空の何者かに向かって、鋭く決めている。
「なんだなり、あれは」
まみりは紺野さんの方を見て絶句した。
「酔拳(スイチェン)」
はるら先生は感動したように言った。
紺野さんは今は薄汚れた体育のジャージ姿になっている。しかし、ただのジャージ姿ではない、腰にはチャンピオンベルトが巻かれている。
「紺野さんは環太平洋王者になったなり」
「まみりちゃん、あれはチャンピオンベルトじゃないわ、よく、見て」
まみりがよく見ると、そのベルトのバックルのところには風車がついていた。
妖魔剣聖紺野さんは酔拳の動きを止めると、今度は太極拳のような動きを始めた。
すると、不思議なことがおこった。ベルトの風車が回転を始めたのである。
「とうーーぉぅ、べしべし」
紺野さんは力強く、叫ぶとほぼ垂直に上方にジャンプした。そして、ふたたび、ゴジラ松井の野球帽のてっぺんに飛び乗ったのである。
メルカトル図法とか、地球の姿を平面に現そうとすると、幾何学的な工夫を必要とする。メロンやすいかを六等分にしたとき、鋭角となる切り口が出来る。その外皮は平面に近くなる。逆に言えば、そんな平面的なすいかの皮を接着すると球という立体が出来る。その一番鋭角のところを寄せ集めた点がある。地球で言えば、北極や南極にあたる、野球帽でも同じである。そこにボタンのようなものがついている。
紺野さんはそのボタンに異常な執着を見せていた。巨大なゴジラ松井の頭部に飛び乗った紺野さんはそのボタンをとろうとした。
「うきききき、べしべし」
紺野さんは両手でそのボタンをもぎとろうとした。ゴジラ松井は怒った。小刻みに首を左右に振る。すると、たまらず紺野さんは振り飛ばされて、峻厳な岩にたたきつけられた。紺野さんは脳しんとうを起こしたらしく、首を振る。ゴジラ松井はその岩に突進していった。やはり、ゴジラ松井の得意技は頭突きだった。間一髪のところで、紺野さんは空中に飛び上がると、二頭身のゴジラ松井の頭部は巨岩に追突して、岩は砕けた。
「紺野さんでも、あの頭突きをくらったら、ひとたまりもないわ」
探偵高橋愛も絶叫する。紺野さんは次の岩に飛び移った。
また、ゴジラ松井は頭を振りながら紺野さんを巨岩もろとも粉みじんにしようとして突進してきた。今度は紺野さんはするりとその突進をよけるとラー大王の下に潜り込むと、大王の足のさきをつかんだ。
見物をしていた妖怪子分百千騎たちがいっせいに手を叩いた。
「あれはなんなり」
まみりは絶叫した。
「紺野さんの得意技のひとつ、ジャイアントスイング」
妖怪に詳しいはるら先生はまたぽつりと言った。紺野さんがゴジラ松井の足を引っ張ったので、今度はゴジラ松井が倒れて、すごい地響きがした。
「ぴー、ぴー、べしべしべし」
紺野さんはゴジラ松井の足をとると回転し始めた。
「ひとーつ」
「ふたーつ」
「みーつ」
ゴジラ松井が回転するたびにビジャーノたちは数を数えた。
「とぅぉぅ、べしべし」
紺野さんが手を放すとゴジラ松井は飛んで行き、落ちたとき、東京でも震度五の地震が観測された。
 倒れている紺野さんの肘のところにはサポーターが巻かれていた。紺野さんはサポーターの位置を手直しした。
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「もっと、紺野さんはジャイアントスイングをすればいいのよ、たった三回転だけでは、あの恐怖大王がダメージを受けるわけがないなり」
まみりが見ていると、ゴジラ松井は起きあがろうとしている。まみりがそう思って横をちらりと見ると横では、安部なつみ先生がめがねをかけて、プロレス評論家になっていた。まるで安部なつみ先生は力道山からはじめて、日本の草創期のプロレスを全部見ているようだった。
「あれこそ、よく練られた妖怪総大将の作戦よ、まるで、あの一戦を見るようだわ」
まみりの横にいる吉澤は嵐の夜に馬小屋で馬の赤ちゃんが産まれてくる様子や、見たこともない大恐竜の目玉が原因不明のウィルスによって、腐って落ちていく様子を見ているような、貴重なものを見ているような気持ちになった。
妖魔剣聖紺野さんは血と汗で汚れた肘のサポーターをちょうど肘の中心に来るようにしている。
そして、ゴジラ松井の様子をじっと見ていた。闘士は無意識に対戦相手に正対しようとする、倒れても、すぐ起きあがって、相手の位置と状態を確認しようとする。
 ゴジラ松井も生涯の最大のライバル、紺野さんの姿を見つけようと立ち上がろうとした。そのときである、紺野さんはまるで加速度そのもののようにゴジラ松井に突進して行った。紺野さんの右肘は伝家の宝刀となっていた。
「紺野さんはよく考えている。もし、ゴジラ松井が立ったままだったら、ジャンプして、ゴジラ松井の頸椎部に紺野スペシャルラリアートをお見舞いしなければならない、しかし、両足が地面についていないために、その破壊力は半減する。それで身長差をカバーするために、紺野さんはジャイアントスイングでゴジラ松井を倒したのよ」
「安部先生、わたしはアンドレア・ジヤイアントとスタン・ハンセンが戦ったときのことを思い出しました。スタン・ハンセンのウェスタン・ラリアットが二メートル十センチのアンドレア・ジャイアントにきかないので、スタン・ハンセンはジャイアントをリング上に落としたのです、そしてリングサイドからウエスタン・ラリアトをうったのです、それに状況が似ていることを安部先生は言っているんですね」
「そうよ、ああ、紺野さんの右肘がゴジラ松井の首を刈ろうとしている」
紺野さんの紺野スペシャルラリアットは起きあがろうとしている、ゴジラ松井の首をめがけて、走っていった。そのときである、見るからに悲惨でかつ無惨な映像が広がったのは。海の方から、無数の海亀が飛んで来て、紺野さんの右肘をめがけて衝突した。海亀の甲良は紺野さんの肘によって、破壊され、見てはいけないものが砂浜に広がった。それは甲良の破壊された大量の海亀の死体である。そして、海の方から幽霊のような者たちが現れた。
「海底大王、ラー大王、ゴジラ松井はラー八世、」
「海底大王、ラー大王、ゴジラ松井は背番号五十五」
「海底大王、ラー大王、ゴジラ松井は石川とやっちゃった」
「海底大王、ラー大王、ゴジラ松井は府下田恭子の息子だ」
海の方に数え切れない亡霊が現れた。その亡霊たちは半魚人の姿をしている。
海底帝国ラーの海の藻屑となった海底原人の霊だった。
まるで超音波攻撃を受けているように妖魔剣聖紺野さんは両耳に手を覆って、その亡霊たちの怨念の言葉を聞かないように、もがき苦しんだ。
そのとき、紺野さんは背後から唇をミルク飲み人形のようにせばめたゴジラ松井くんが近づいて来ていることを知らなかった。
「ピエーーーーーー」
紺野さんは悲鳴をあげた。
「ピエーーーーーーー」
ゴジラ松井の牛一頭さえ、握り殺すほどの両手は妖怪総大将の側頭部を押さえ、背後から抱きついたゴジラ松井は紺野さんの後頭部に錐もみのように尖った唇を押し当てると肺や横隔膜の全機能を使って、紺野さんの後頭部を吸い続けた。
紺野さんの脳の圧力は低下していく、紺野さんは意識が朦朧としてきた。海からは半魚人の亡霊たちがゴジラ松井を称える歌を歌った。
「ゴーゴーゴー、海底大王、ラー大王、ゴジラ松井はラー八世」
「ゴーゴーゴー、海底大王、ラー大王、ゴジラ松井はゴーゴーゴー」
「ゴーゴーゴー、海底大王、ラー大王、ゴジラ松井はノンフライ麺」
「ゴーゴーゴー、海底大王、ラー大王、ゴジラ松井は石川とやっちゃった」
「ゴーゴーゴー、海底大王、ラー大王、ゴジラ松井の得意技、バックチュウチュウ責め」
「ピェーーーーーー、ピェェェェェェェェ」
紺野さんの悲鳴は続いている。
「あれが、噂のバックチュウチュウ責めだわ、相手の後頭部から脳内圧力を下げ、最後には死んでしまうか、発狂してしまうわざだわ」
安部なつみ先生は目を丸くして、足をばたばたさせている紺野さんを冷静な目で見つめていた。ハロハロ学園の連中もこれがまるで自然の摂理でもあるかのように冷静にこの様子を見ている。
「ぴぇーーーーー、ぴぇーーーーー」
紺野さんの絶叫は続いていた。
そのとき、絶叫にも似た、大量の泣き声が石川の砂浜にこだました。
「死んじゃ、やだ、やだ、紺野さん、われらが妖怪総大将」
「死んじゃ、やだ、やだ、紺野さん、あなたは、おれたちの太陽だ」
「死んじゃ、やだ、やだ、紺野さん、紺野さんを殺したら、神様に復讐だ」
「死んじゃ、やだ、やだ、紺野さん、あなたは僕らのふるさとだ」
今まで、気楽に芝居見物をしていたような妖怪子分百千騎たちは手に持っていた、コーラーやポテトチップスや、塩入り豆を投げ出すと、やられている紺野さんのまわりに集まってくると、紺野さんを称える歌を歌い始めた。ぬらりひょん、モモンガ、百目鬼、青蜥蜴大将、山姥、ぬえ、・・・・数え切れない妖怪子分百千騎たちが、抗議のプラカードをあげながら、泣きながら、紺野さんを称えていた。
「反則だ、レフリー、反則をとれ、」
「松井、くたばれ、松井、死ね」
「妖怪総大将、がんばれ」
「紺野さん、はやく勝て、ほうとうを食いに行こう」
「神様」
「紺野さん」
妖怪子分百千騎たちは天を仰いだ。
「ちゅう、ちゅう」
ゴジラ松井は妖怪子分百千騎たちを馬鹿にしたように紺野さんの後頭部を吸引し続けた。
「ぴぇぇぇぇ、ぴぇぇぇぇぇぇ・・・・・」
紺野さんの悲鳴も小さくなっていった。
ハロハロ学園の連中はわれ関せずという態度で、この様子を見ていた。
あの雷雨の暗雲に隙間が出来て、黄金色の光がもれて来た。
「あれは」
座敷わらしが天を指さし、妖怪語で叫んだ。
黄金の光の帯から、あの伝説のプロレスラーが舞い降りて来たのである。
宇宙犬、ムーンドックメイン。
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 むかし、マジソンスクェアーガーデンで活躍したプロレスラーである。髪は金髪、そして口のまわりに石川五右衛門のように生えている口ひげも金髪である。
 まるで、チヤウチャウ犬のよう容貌をしていて、その出自は宇宙家族ロビンソンに飼われていた犬が人の姿を手に入れ、ニューヨークに出現したと自分では言っていた。女好きペドロ・モラレスと人気を二分した、プロレスラーである、いや、貧乏なため、靴も買えずに裸足で戦った、アルゼンチン・バックブリーカーの創始者、アントニオ・ロッカと人気を三分したと言った方がよいだろうか。
その宇宙犬が昇天して、プロレスの神となった。
このブロレスの神が天上に現れたことで、妖怪子分百千騎たちの意気は一気に上がった。妖怪子分たちは紺野さんと同じようなピロピロ剣を天上に掲げると、ときの声を上げた。それからピロピロ剣をお互いにまじ合わせると、かけ声を掛け合った。そして、妖獣ゴジラ松井にバックチュウチュウ責めをかけられている紺野さんのまわりを円陣を組み、お互いに肩を抱き合った。そして、ビックウェーブ、妖怪たちの作る人波が紺野さんとゴジラ松井の組み合っている場所を中心にして、うねり始めた。
座敷わらしも鬼猿も人面鬼も、大首も水虎も塗り壁も歌を歌い始めた。
ラララララ、紺野さんはひとりじゃないの、みんな、みんな、一緒だよ。
妖怪たちは紺野さんが、大好きだよ。
みんなはピロピロ剣でつながっているよ。
冷たい道場の床を、水拭き、一緒にしたこともあったね。
でも、そのあとで、暖かいお汁粉を一緒に食べたんだね。
冷酷鬼ゴジラ松井のチュウチュウ攻撃はまだ続いていた。
紺野さんは遠くなる意識の中で、まだピロピロ剣の極意を会得する前のことを思い出していた。
パパとママが殺され、古井戸の中に投げ込まれ、沢庵石の下敷きになった紺野さんはようようの思いで、古井戸の外に出ると、悪魔の住む森を抜けて、町に行った。
町はすっかり寝静まっていた。その町の片隅にフラメンコギターを持った黒髪の三十前後の男がいた。
「なにも、言わないでいいよ、きみの名前は紺野さんと言うんだろう。きみにこのフラメンコギターをあげよう、このギターを弾きながら歌を歌えば、みんなはいくらでもお金をくれるよ。でも、ただじゃだめだよ、きみのポケットに何が入っている」
そこで、紺野さんはポケットの中を探ってみると、中にはかけたビスケットが入っていた。紺野さんはその男にビスケットを差し出すと、かわりにギターくれた。紺野さんは男の言ったことが本当なのだろうかと思い、テラスにブーゲンビリアの花が飾られている家の下に行き、ギターを弾きながら、歌を歌った。すると、突然、冷たい水が降ってきた。
「うるさい、野良猫、うちの赤ちゃんが目を覚ますだろう」
今度は立派な看板のある商店の前でギターを弾くとまた、頭から水が降ってきた。
「うるさい、どぶネズミ、こちとら、帝国銀行に納めるお金の勘定をしているんだ」
どこへ行っても同じことだった。
そこで、町の公園に行くと、ひとりベンチにぽつんと座り、ギターを弾いてみた。すると、見たこともない生き物が一匹、ぽつんと紺野さんのギターを聞いている。
「あなたは」
「座敷わらしと言います」
それから次次と妖怪たちが紺野さんの前に現れた。
ぬらりひょん、かまいたち、ももんがじじい、百目鬼、ぶるぶる、かまきり仙人、・・・・・
人間界では用無しと言われ、追放された妖魔大王に友達が出来た。
「紺野さん、わたしたちを子分にしてください、紺野さんのためなら、みんな命を捨てる覚悟が出来ています」
妖怪たちの言葉を紺野さんは夢の中の言葉のように聞いていた。
紺野さんは恋いをする気持ちはこんなものではないだろうかと思った。夢ならばいつまでも覚めないで欲しいと思った。
 バックチュウチュウ責めによって紺野さんを発狂寸前にまで追い込んでいると思ったワルゴジラ松井は薄気味悪い、気持ちがした。見ると、失神していると思った、紺野さんが夢見ているように薄ら笑いを浮かべている。
そして、ときどき痙攣しているように紺野さんの足はピクピクしと動く。
ワルゴジラ松井はさらに紺野さんの後頭部をちゅうちゅうと吸う力を強めた。
 妖怪子分百千騎たちは紺野さんのまわりに円陣を組み、肩を組み合い、ウェーブを作り、紺野さんを称える歌を歌い続けている。
 ひとりじゃないの、紺野さん、剣にかけたいのちはひとつ、
われらが妖怪大将、生きるも死ぬもいつも一緒だよ。
 剣を通した友情だ、紺野さんと妖怪たちは友達同士。
 ワルゴジラ松井は薄気味悪いものを感じた。そのうち、宇宙犬、ムーンドッグメインは地上に降りてくる。しかしゴジラ松井はまだ紺野さんの後頭部をがっちりとつかんでいる。
 プロレスの神様となったムーンドッグメインは天国で、達磨大師に出会った。
達磨大師は少林寺の開祖である。その僧たちが盗賊や兵士から身を守るために鍛錬の方法を伝えた。
少林寺拳法である。達磨大師は鉄指拳をムーンドッグメインに授けた。その拳を身につけたものは五センチの鉄板にも穴を開けることも出来る。それは指先を鉄よりも強くし、その鍛錬法は焼けた砂の中に指を指すのである。
地上に降り立った宇宙犬はワルゴジラ松井の頭のそばに降り立つと額に鉄指拳を打った。一秒間に五回ものムーンドッグメインの鉄よりも固い指が降りてくる。
アッチョー、ビビビビヒビヒ。
ワルゴジラ松井はムーンドッグメインを追い払おうとして片手を払った。
そこにすきが出来た、
紺野さんはワルゴジラ松井の残っている方の手の人差し指をつかむと、両足を絡めて、ワルゴジラ松井の人差し指を逆間接に決めた。
ワルゴジラ松井の全身に激痛が走った。
「人指し指固め、逆十字」
生まれながらに格闘家になるべくして生まれた、天性のレスラーの神技を見た安部なつみ先生は感動して、叫んだ、
紺野さんはワルゴジラ松井の人差し指を蛸が絡んでいるように足をからめて、両手で全力でゴジラ松井の人差し指のさきを引っ張っている。
紺野さんが背筋を全部、使って引っ張ると、
ワルゴジラ松井は
「グギャアー」
とうめいた。そのあいだもムーンドッグメインが鉄指拳をワルゴジラ松井の額に加えている。
妖怪子分たちは手に汗を握った。
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 びびびびひびーーーー、びびびびびーー
今度は海の方から、不穏な空気が広がって、海底帝国の亡霊たちが抗議の声を上げている。
「反則だーーーーー。紺野さんの反則をとれ、レフリー、今、すぐ、ブレイクさせろ。紺野さん、やめろ、ラー松井王子をはなせ、ばか、ばか、紺野、ばか」
海の方に浮かんでいる半魚人たちの亡霊が、紺野さんに憎悪の念を込めて、非難している。そのあいだも、宇宙犬はワルゴジラ松井の額に鉄指拳を加え、紺野さんはワルゴジラ松井の人差し指を逆にとると、身体をそらせるようにして、力を加えた。
「ウギャャャャ」
この技をかけられて、海底帝国大王は閉口した。そして、少しづつ体勢を立て直すと、中腰になって立ち上がった。ワルゴジラ松井はまだ、とられていない左の拳を力を込めて、握ると、鉄の拳を作った。このワルゴジラ松井の拳は、一発で海上を航行しているタンカーを真っ二つに折ることが出来た。そして、寝技をかけている紺野さんの方を向いている。
「やっぱり、紺野さんの技は反則だなり、プロレスでは、相手の指を一本だけとるのは反則だなり」
「まみり、わたしも同じ、見解だわ、変なところでまみりと意見があったわね」
「あなたたち、どっちの見方なの、ゴジラ松井の指一本でも、紺野さんの腰回りよりも大きいのよ、したがって、反則は成立しないわ」
安部なつみ先生が断定した。
ワルゴジラ松井は中腰で立つと、紺野さんに地対空ミサイルほどの威力のある、大きなおむすび拳骨を見せて威嚇した。紺野さんはまだ、ワルゴジラ松井の人差し指をとると、懸命にこらえている。
その様子を見て、海の方で観戦している、亡霊たちが狂喜した。紺野さんはワルゴジラ松井の拳骨ひとつで死んでしまうのに違いない、
妖怪子分百千騎たちはそれを見ると、野球帽を被り、その野球帽の上から、鉢巻きをしめて、その上に片手にガラス瓶に入った牛乳瓶を掲げると、その闘いのまわりをマラソンを始めた。その中にはいつのまにか、参加したのか、王警部も、新庄芋、徳光ぶす夫、神官新垣、くーちゃん、ほーちゃん、村野先生も参加して、同じような格好をして、その示威行為に参加している。
そして、まぼろしのハロハロ学園のピロピロ剣道部の部歌を歌っている。
 剣の道はひとりじゃないよ、僕らには紺野さんがいる。さあ、さあ、進め、一緒に行こう、紺野さん、紺野さん、女だてらに剣に命をかけた、紺野さん、紺野さん、僕らの名主将、紺野さん。
 この歌を聴きながら、保険の先生の安部なつみ先生は涙ぐんでいる。
「馬鹿みたいなり」
「右に同意」
ワルゴジラ松井派のまみりも石川もあからさまに馬鹿にしたような態度をとった。
「なにを言っているの」
安部先生は猛烈に抗議した。
「あなたたちは、ハロハロ学園、ピロピロ剣道部のことを何も知らないでしょう」
そう言えば、ハロハロ学園のすみっこの方にぼろい部室があって、そこにピロピロ剣道部というのが、あったような気がする。
ハロハロ学園教務部には認可されない、部だったとまみりは思い出した。
そのピロピロ剣道部を作ったのは紺野さんである。
その部室は前は体育倉庫に使われていた。教務部の承認を得ていない部だから、ハロハロ学園からは一銭も出なかった。
部員の募集をしてもひとりも部員は来なかった。いや、部員でその部室はあふれていた。妖怪子分百千騎たちである。それでも、その部の中は活気にあふれていて、いつも、小手、面、胴というかけ声が聞こえていた。そして、夕方には鍋の煮えるにおいがして、何か、わけのわからないものを紺野さんと妖怪子分百千騎は食べているようだった。
文字通り彼らは青春をピロピロ剣にかけているようだった。
 しかし、ハロハロ学園の生徒たちからは、全く興味も持たれてもいなかったし、重きも置かれていなかった。自分たちだけで、ほとんど自己満足だと言ってもいい状態でやっていたのである。
 しかし、保険の安部先生はひとりだけ、このクラブを暖かい目を持って見ていた。
 そんな落ちこぼれクラブにある日、人間の生徒がひとりだけやって来たのである。
それが、焼酎のピロピロ飲みを得意にしている、松村財閥のひとり息子、松村邦宏だった。
ぼろい部室のドアを開けると、妖魔剣聖紺野さんが立ち、その背後には妖怪子分百千騎たちが控えていた。
「僕も入れてください。剣道をしたいんです」
「なんで、ほかのクラブに入らないんだ、妖怪妖怪」
ぬらりひょんが妖怪語で尋ねた。
「お前みたいな、でぶで運動音痴の奴は入れないって言うんです。僕はあいつらを見返してやりたい」
静かにその様子を静かに見ていた、紺野さんは、ただ、べしとだけつぶやいた。
 そして妖怪たちと妖怪総大将紺野さん、そして落ちこぼれの松村邦宏たちだけのピロピロ剣道部は剣を道を究めようとクラブ活動に励んだのよ。剣の道のさきに何か、あるかと思って、その頃の様子を思い出すように、安部なつみ先生は懐かしげに言った。
 しかし、松村邦宏くんの家はそのことを許さなかった。
財閥、松村家の跡取りとして、家庭教師を十人も雇って勉強をやらせていたの、そんなことをして、何になる、松村家では松村邦宏くんを叱責したの。
「ピロピロ剣道部は素晴らしいんだよ、今度の地区大会に出れば、そのことがわかるよ」
邦宏くんは親の前でたんかを切ったのよ。
そして、部長の紺野さんにそのことを言ったの、背後では妖怪子分百千騎たちがその言葉を聞いていた。
今まで、ピロピロ剣道部は地区大会にも出たことはなかったの。
「出るべし」
妖怪総大将は地区大会に出ることにしたの。
「妖怪大将、着る胴衣も防具もない、妖怪、妖怪」
ぬらりひょんが妖怪語で妖怪総大将に言ったのよ。
だって、ピロピロ剣道部の部員たちは裸で竹刀を持って剣の練習をしていたからよ。そこで地区大会に出るために胴衣や防具を買わなければならなかった。
松村財閥は邦宏くんに一銭もあげなかったから。
そこで、みんなは牛乳配達のアルバイトをして、部費を集めたの。そして。妖魔県政紺野さんは試合に出て、優勝したの。
そのときのことを忘れないように、苦しいときはピロピロ剣道部のみんなは、野球帽を被って、鉢巻きをして、ときの声を上げるのよ。安部先生の説明で少し、わかった。まみりはそれで、その中に松村邦宏もいるのかと思った。
「がんばれ、がんばれ、紺野さん、われらの妖怪総大将」
たしかに、その中に松村邦宏も歌を歌っている。
ワルゴジラ松井はその巨大な拳骨をぶるぶるとてふるわせると、今度は紺野さんの上に振り下ろした。
あぶない、紺野さん、
思わず、安部先生も声を上げた。
「イテェーーーー」
意外だった、声を上げたのは、ワルゴジラ松井の方だった。そのしびれと痛さから逃れるために、打った拳の方を振っている。
紺野さんは異常なほどの石頭だった。
電光石火のようにワルゴジラ松井の片側に飛んで行った紺野さんは今度はワルゴジラ松井の人差し指と中指をとると、それを組み合わせて、また、地べたを両手で叩いた。
「指四の字固め」
安部なつみ先生は感嘆したようにつぶやいた。
宇宙犬はうるさがられているのもわからずにワルゴジラ松井の額を指でさかんにつついている。
「ゴジラ松井のスタミナは大部、失われているのに違いない」
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 まみりが見ると、ワルゴジラ松井くんの口からは青白い、ひんやりするような煙が出て、ゆらゆらと空中に上がって行くと、その毒煙を吸った、カムチャッカ半島に向かっている中型の渡り鳥の一団が海面に落下して行った。ワルゴジラ松井は首を回転させると、妖魔剣聖紺野さんの方を見て、じろりと睨んだ。そして、腕をばだばたさせると、地面が揺れ、土埃が沸き上がった。
「ゴジラ松井は余っている方の手で、紺野さんにパンチを浴びせるかもしれない、そうでなければ、つま先キックで紺野さんに蹴りを入れるかもしれない」
保険の安部先生が心配気に眼前の試合の様子を語った。
「その心配はないわ。見てご覧んなさい、ワルゴジラ松井の残った片手や、両足を」
ワルゴジラ松井の四肢には大変な負荷がかかっていた。妖怪子分百千騎や王警部、新庄芋、徳光ぶす夫、神官新垣、くーちゃん、ほーちゃん、村野先生、等々が必死になってワルゴジラ松井が動かないように押さえている。ただ、ワルゴジラ松井の左手だけは紺野さんが人差し指四の字固めを決めている。左手だけは紺野さんひとりで押さえているが、紺野さんはまるでブラックホールのように、数万トンの重量があったので、カール・ゴッチがキーロックをかけられたまま、アントニオ猪木を場外に出したようにはいかなかった。それでも、ワルゴジラ松井のパワーの前に、妖怪子分たちも紺野さんたちも地面から小刻みに浮かび上がったりしていた。
「でも、このままでは、決してゴジラ松井は自主するなんてことはないでしょう」
安部先生が冷や汗をかきながら、この様子を見ていると、のこのことワルゴジラ松井の頭部に近づいて行く人間がいる。
「つんくパパ」
安部なつみ先生はつぶやいた。
「いい格好だな、ワルゴジラ松井」
宇宙犬は鉄指拳をワルゴジラの頭部に撃つことにあきたのか、やせるつぼに漢方の針を打っている。
「まみりのパパとして、言おう。まいったか、兜を脱ぐか、そして刑務所に入って、まみりと結婚するか、さあ、決断しろ、ワルゴジラ松井、そして、この僕をお父さんと呼ぶのだ」
すると、ワルゴジラ松井の目玉は飛び出して、とろりとした体液とともに、地べたに落ちた。
「うきゃゃゃゃゃゃあぁぁぁぁぁ」
つんくパパは見せ物のキングコングが都会の中のサーカスのテントの中の檻の中に入っていて、たまたま鉄の戸の鍵がかかっていることを知らずに、キングコングが飛び出して来て逃げまどう観客のように、脱兎のごとく、井川はるら先生たちのいる場所まで戻って来た。
「全然、反省してませんよ。あいつ、まだ、お父さんなんて呼ばせられませんよ」
「心配なく、つんくパパ、ラー海底帝国大王は高圧力の深海の中で日常生活をしています、この地上では循環器系に支障が出て、長時間はいられないはずです。それより、あなたがつれて来た、猿はどうしたんです」
「ああ、ダンデスピークですか」
海岸での、決闘に心を奪われていたつんくパパは矢口家の主である、三百年間生き続けている白猿、ダンデスピーク矢口の姿を探すと、木製のテーブルの前で何か、食っている。テーブルを囲んで、飯田たち、不良グループもいる、松井家のご両親が気をきかせて、取った出前の寿司をぱくついていた。不良グループの横にはビジャーノ仮面たちの銀ラメのマスクも覆っている。
「不良たちは、紺野さんの勝利を確信しているみたいね」
はるら先生は猿と一緒に寿司をつまんでいる、飯田や保田や加護や辻や小川たちを見ながらつぶやいた。
たしかに、ワルゴジラ松井は大部、スタミナを失っているようだった。
「あれは、なに」
安部なつみ先生が空を見て叫んだ。
そこには巨人が、巨大なジェット飛行装置を背中に積んだ、ワルゴジラ松井が飛んできた。その巨大な影で、つんくパパたちのいる場所は昼間なのに夜のように暗くなった。そして、ちょうど、真上に来たとき、腐った臭いが広がって、空中から巨大な肉のかたまりが墜ちてきた。それはちょうど、出前の寿司を食っている不良たちの真上あたりだった。危険を察知した不良たちは口にも、手にも、大とろや、筋子や、河童巻きや、ぼたん海老や、小鰭を持って、その場を逃れたが、ダンデスピーク矢口だけは卵焼きをほおばっていたので、もろにその空中からの落下物に押しつぶされた。
つんくパパは自分の家の家宝が視界から消えたので、あわてて、その場に走って行った。
「ダンデスピーク、ダンデスピーク」
空中では何かわからなかったが、それは古代獣の腐乱した死体だった。その落下物の中から老猿が瀕死の状態で這い出てきた。つんくパパは老猿を抱きしめた。
また、空中を低く周回している巨人の背から何か、聞こえた。
「みんな、聞こえるか、降伏しなさい、この地上はすべて、ラー帝国のものである」
「あっ、あれは」
巨人の背に乗っているものは、生き別れになって、死んだと思っていた府下田恭子ちゃんではないか。
「恭子ちゃん、なぜ、どうしたんだ」
つんくパパの視線とラー帝国皇后、府下田恭子の視線は空中でぶっかった。
紺野さんにすっかりとスタミナを奪われた、ワルゴジラ松井は、すっかりとグロッキーになって、つんくパパの作った鉄格子の中につながれていたが、自分の母親が来たことを知って、やはり空中を見上げた。
「母上、どうなされたというのです。この闘いはわたしひとりのもの、助太刀などいりませぬ」
「うわはははははは、試合はどんな方法を使っても勝てばいいのです。秀喜。妖魔剣聖紺野とやら、地上でわが息子に勝ったことはほめて進ぜよう、しかし、空中ではどうかな、これはわが息子の遺伝子をそつくり、使って作ったコピーワルゴジラ松井なのです、そして、さらにワルゴジラの戦闘能力を上げるためにジェット推進装置を背中につけたのです、ふはははははははは。妖魔剣聖紺野とやら、このワルゴジラコピーに勝ってから、午後のティタイムにするのだね、あははははははははは」
「恭子ちゃん、きみはなんで、そんな恐ろしい、女になったんだ」
「うるさい、つんくパパ、わたしがどうして、こんな女になったのか、自分自身にきいてみろ、まだ、腐敗した古代獣の死体はいっぱいあるんだからね、もうひとつ、お見舞いしようか」
捕らわれの身となったワルゴジラ松井は鉄格子を握りながら、叫んだ。
「恭子皇后、ラー帝国は妖魔剣聖紺野さんに負けました。われわれは素直に敗北を認めるべきです」
「うるさい、秀喜、この決闘、まだ、負けていないよ。地球はみんなラー帝国のものだよ。うわははははははは」
すると沖の方でこの試合のワルゴジラ松井を応援している半魚人の亡霊たちの喜びの声が挙がった。
紺野さんも妖怪子分百千騎たちも怒り狂った。そして、マサイ人の狩りの踊りのように垂直跳びを繰り返している。しかし妖魔剣聖紺野さんは空を飛ぶことは出来ない、妖怪子分百千騎の中には空を飛ぶ妖怪がいることはいる。むささび鬼や、火車や、鬼火や、烏天狗や、木霊など、数え上げたら切りがないだろう。
紺野さんの手足となって空中を飛ぶという方法があるかも知れない。しかし、紺野さんは数万トンの重さがある。紺野さんの重さを支えて空中に上がることなど不可能である。
「紺野とやら、悔しかったら、ここまで来てみろ、さあ、神官新垣たちを返して貰おうか、地球はすべて海底帝国となるのだ。うわははははははははは」
 紺野さんは自分の足が地面から離れているのを感じた。紺野さんはうしろを振り返った。すると、南方系の顔が三つ、歯を出してにこりとした。
気味わる三婆、亀井えり、道重さゆみ、田中れいなの三匹がうやうやしく、あの魔剣を差し出した。
「妖怪総大将、ピロピロ剣を使うときであります」
紺野さんは魔剣を受け取った。
「べし」
紺野さんが一言、強く言うと、紺野さんの背中にしがみついている、超古代マヤ人は紺野さんをつれて空中にあがった。
 空中で紺野さんはコピーワルゴジラ松井と対峙している。
ワルゴジラ松井コピーの背中に乗った府下田恭子が紺野さんを見て、せせら笑った。
「ふふふふふ、ここまで、来たのは立派だね、しかし、お前の目の前にいるのは地上生物最強のワルゴジラ松井のコピーであるうえに、空中可能のジェット噴射装置まで背中についている、勝てるかな、このジェット噴射装置付きワルゴジラ松井コピーに、ふははははははははは、妖怪め」
府下田恭子皇后はワルらしく、つばをはいた。
 まみりも高橋愛も石川も、飯田も王警部も新庄芋も、村野先生も、そして何よりも、空中で紺野さんを支えているのを心配気に、ほーちゃんとくーちゃんのことを見つめながら、徳光ぶす夫は見つめていた。
「ほーちゃん、くーちゃん」
「あっ、見て、ワルゴジラ松井のコピーが紺野さんのまわりを回り始めている」
「あれは」
「なんですか、はるら先生」
「みんなバターになっちゃった作戦」
「それは」
「インドのハッサムくんが発明した魔法なのよ、ハッサムくんがお母さんのおつかいで海岸に行くと人食い虎があとをついて来たのよ、そこでハッサムくんはやしの木の上に登ったのよ、ハッサムくんがやしの木の上で回転すると、人食い虎もやしの木のまわりを回り始めた。ハッサムくんはどんどん、スピードを上げてやしの木のまわりを回り始めた。すると、人食い虎もそのまわりをすごい速さで回り始めて、気がつくと、人食い虎はバターになってしまったの。きっと、ワル深田恭子も紺野さんをバターにしようと思っているのだわ」
「あっ、あれを見て、見て、オヤピン」
辻が天を目指して、叫んだ。
空中に浮かんでいる紺野さんの顔がストーブの前に置いたバターのように解けて行く、小岩さんのように紺野さんの瞼はふさがって、ますます妖怪じみた顔になった。
「あああ、紺野さんはワル深田恭子のワル魔法のためにバターになってしまうの」
不良たちは悲鳴を上げた。それがどんな科学的根拠によってなされているのか、つんくパパには少しもわからなかった。
 そのときである。妖魔剣聖紺野さんピロピロ剣を抜くと、頭上に掲げた、すると、天上は光となって輝き、星がまたたいた。そのあまりにも、美しさと、輝きのために汚れきった石川は目をつぶった。
「あれは」
探偵高橋愛が天をさした。
天上に金剛石が光りとなって、輝き、文字が出来、美しい音楽が鳴り響いた。
天上に光りで
「初恋剣傾城」
という文字が天上すべてを覆い隠すように輝き、紺野さんの向かいには、紺野さんと同じようにピロピロ剣を頭上に掲げたペンギン(王様ペンギン)が空中に浮かんでいる。紺野さんもペンギンもお互いのすべてを知り尽くして、安心仕切ったようにお互いを見つめている。
「あれが、あれが、そうなの」
はるら先生は一生見ることが出来ないと思ったものを見たので目を疑った。
気味の悪い亀井えりが
「初恋剣傾城(ペンギン編)」
そう言うとにやりと笑った。
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妖魔剣聖紺野さんとなった紺野さんはいつもピロピロ剣を背中に担いでいた。そして、いつも、どこに行くのも、妖怪子分百千騎が従っていて、はし、一つ、持たせないようにしていた。紺野さんはハロハロ学園の中でも浮いた存在だった。
 妖怪子分百千騎たちはいつでも、紺野さんのために命を捨てる覚悟が出来ていた。
 しかし、紺野さんには何か、満たされないものがあった。
今日の給食当番は紺野さんだよと、探偵高橋愛が言ったので、紺野さんは立ち上がると、すぐに妖怪子分百千騎たちが立ち上がった。紺野さんの代わりに給食のパンもおかずの入ったばけつも牛乳もすべて持ってくるつもりである。
「べし」
(たまには自分でやる、お前たちは手伝わなくてもいい)
妖怪子分たちはすごく不満そうだったが、紺野さんは背中にピロピロ剣を背負ったまま、給食室に行くことにした。給食室は廊下を歩いて行き、教室から離れたところにある。
途中で吉澤に出会った。
「あんた、給食当番をやるの、みんな、やりたがらないよ、どうしてかって、行きたくないからよ」
紺野さんはなぜみんなが給食室に行かないのか、わからなかった。
そして給食室に行く薄暗い廊下を歩いた。
無気味な感じがした。
途中で苔の生えた、石の置物のようなものがあった。無気味だった。人間とも違う、妖怪とも違う、表現の出来ない無気味さだった。紺野さんは、それをよく見た。
石の置物だと思ったのは、動物らしかった。身体中を錆びた鉄の鎖でぐるぐるにされている。
紺野さんが通ったことに気がついた動物は目を上げた。気味の悪い目が、どんよりとにごった。そしてそのカビの生えた動物の身体はところどころ膿まで、出ていた。紺野さんはおぞましくって、給食室に駆け込むと、パンの入ったアルミの箱を受け取ると、そのまま、そのおぞましい動物を見ないようにして、教室に戻った。その動物はどうやら王様ペンギンらしかった。
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 教室に戻ってからも紺野さんはその無気味な呪いの岩みたいな王様ペンギンの姿が記憶の片隅に残った。
 ハロハロ学園でダンス大会が開かれることになった。これは男女がペアになってやるダンスで、ダンスの技術はともかくも、ふたりの息がぴったりと合うことが、なによりも要求された。このダンス大会で優勝すればハロハロ学園の学食の素うどん券が一年分もらえるのだった。まみりの相手はもちろん、ハロハロ学園一のモテモテ男、ゴジラ松井くんである。そして、悪女石川は騙しのテクニックを存分に使い、一ダースも男をゲットしていた。しかし、紺野さんには相手がいなかった。
妖怪総大将紺野さんは三葉や筆石の化石が無造作に飾られている、ハロハロ学園の中庭でぼんやりと自分にダンスの相手もいないことにうつろな気持ちでいると、お化け蛇の目が姿を現した。
「妖怪総大将、妖怪総大将、なにをこんなところでぼんやりしているんですかい、さあ、墓場に行って、バーベキューパーティーをやりましょうぜ、それに、フットサルをやるには、ちょうどよい、頭蓋骨が見つかったんですぜ。妖怪、妖怪」
「べし、べし」
(わらはをひとりにさせろ、妖怪、妖怪)
「へっ」
妖怪蛇の目は霧となって、いなくなった。
(わらはをたまにはひとりにさせろと言っているのに)
古生代中期のシルル期にはじめて地上に進出したという体温調節のための大きな背びれを持った脊椎動物の化石のうしろに、宇宙放浪者のような格好をした生き物がじっと、こちらを見ていた。
紺野さんはその生き物を見て、すぐに好ましい印象を持った。
紺野さんがじっとその生き物を見ると、その生き物は手を差し伸べて、踊りの格好をした。「妖怪総大将、わたしは少しは踊りの素養があります、お相手、いたしましょう」
まわりに妖怪子分百千騎がいないことも紺野さんを冒険的な気分にしたのかもしれなかった。
紺野さんは言われたままに立ち上がった。
そして、ふたりの手と手は合わされた。
アンドートゥルウー、アンドゥートゥルー、ふたりは軽やかににステップを踏んだ。どちらが主導権をとっているといのでもなく、すべては自然に動き、まるで自然の摂理に従っているようだった。
紺野さんは人間だったときも、妖魔剣聖になってからも、こんな楽しい思いをしたことはなかった。
その世界には言葉はいらなかった。お互いに目を見合わせるだけで、すべてを分かり合えた。
一曲を踊り終わったとき、そのボロきれをまとった宇宙放浪者は紺野さんの前で頭を下げた。
「妖怪総大将、このような楽しい気分になったことはありません」
「べし、べし」
(わたしもそうである。しかし、そちはなぜ、そのマントを脱がないのか)
「妖怪総大将、今宵の喜びを永久のものにしたい、一存、このマントを脱いだ、みにくい姿、妖怪総大将の眼をけがらわしたく、ないからでございます」
「べし、べし」
(余計なきづかい、気を遣うでないぞ)
「妖怪総大将がそれほど、おっしゃるなら、おどろかないでくださいませ」
その生き物はそう言うと、その薄汚れたマントを脱ぎ捨てた。
すると、そこには、目を覆いたくなるものが立っていたのである。
紺野さんも何かを言おうとして、出かかった言葉を飲んだ。
そこには王様ペンギンが、それも皮膚病で身体中に吹き出ものが出て、カビも生え、膿も出でいる。そして、少しだけ、その醜い姿に威厳をそえているのは、おもちゃの剣のようなものがぶら下がっていた。
「さぞ、妖怪総大将、驚かれたことだと思います」
「べし、べし」
「これには、深いわけがございます。こう見ても、わたしは一国の王子、そして、わが、腰に下がっているのはピロピロ剣、男物でございます」
紺野さんは自分の背中に背負っている剣に手をやった。紺野さんの背負っているのはピロピロ剣、女物である。
「この剣こそ、天下無双、ピロピロ剣、女物と合体したとき、この剣をうち負かせるものはありません。めしべとおしべが合体したとき、果実がなるように、天下の気をすべて集めることが出来るのです」
「べし、べし」
紺野さんは興味をひかれてうなずいた。
「わたくしの父と母は最強の剣法、初恋剣傾城を生み出したのでございます。わたしの父の名は北極ペンギン天下第一。小国の王でした。わが祖国に、妖獣松浦あややが攻撃をくわえてきたのです。父親は刀鍛冶を訪ね歩きました。妖獣松浦あややを切り倒すためです」
紺野さんは妖怪界に猛威をふるっていると亀井えり婆が言っていた妖獣の名前が出て来たのでますます興味をひかれた。
「いろいろな剣を探し歩きましたが、そこで美しい娘に出会いました。それがわたしの母です。刀鍛冶、ピョコタン親父の娘でした。ピョコタン親父はピロピロ剣、男物、女物の二本の剣を打ち終わると、命脈がとぎれました。そして、母と父は二本の刀をともに持った剣士となったのです。ふたりはお互いに信頼しあい、愛し合っていました。夫婦琴瑟相和すという表現がぴったりでした。そして、ふたりは初恋のもの同士でした。そして初恋剣傾城を生み出しました。妖獣松浦あややがわが国をふたたび襲ったとき、その剣法であやや獣をうち負かしました。しかし、年月には勝てず、父王も母王も死にました。ああ、そして、初恋剣傾城剣法はわたしが子供の頃に見たかぎり、ふたたび見ることは出来ません。ピロピロ剣はその価値も知られず、錆びていくばかりです。わたしはふたたび、その剣法の復活を誓いました。そして初恋剣傾城を可能にする相手を捜し求めました。わたしはこう見えても、もとの姿はペンギンではありませんでした。美しい王子だったのです。その相手を捜しているうちに、旅の途中で貧乏そうな中学生に会いました。その中学生か言うことには、僕の姉ちゃんは初恋剣傾城を使えるんだと言います。わたしはその女のところに行きました。たしかに、その女は美しかったのです。わたしは剣を差し出しました。そしてその女も剣を差し出しました。ふたりは剣と剣を合わせました。すると、目のくらむような、紫色の光があたりに漂い、わたしとその女は空中に浮かんで行きました。そして、あまりの感情にわたしは気を失ってしまい、気がつくと、わたしはダイヤやサフィア、ルビー、プラチナ、金だとか、装身具を身につけていたのですが、それらはみんななくなっていました。そして、水に映った自分の姿を見ると、みにくく、膿ただれた王様ペンギンに変わっていたのです。そこへ気味の悪い三人の婆が現れました。わたしたちは気味わる婆、亀井えり、道重さゆみ、田中れいなだよ、馬鹿たれ、変な女に騙されて、金目のものをみんなとられたね。ふひょょょょょょ。それはまあ、いい、初恋剣傾城を復活させようなんて、だいそれた望みを抱いたね。まことの恋いの相手でなければ、その剣法は復活出来ないよ。おろかもの、それどころか、偽りの相手を剣の相手にすればピロピロ剣は罰を与える。お前はみにくいペンギンに姿を変えられたんだよ。そう、ピロピロ剣に、もとの姿に戻りたければ方法はひとつ、まことの相手に巡り会わなければならない、と言ったのです、もう、二百六十年のあいだ、まことの相手を捜し求めています」
王様ペンギンはそう言った。
紺野さんはそこでまた、ペンギンとワルツを踊った。紺野さんには妖怪子分百千騎にも放すことの出来ない秘密が出来た。
ハロハロ学園の馬鹿組に行くと、まみりが机の上にゴジラ松井くんの写真をのせて、じっと見つめていた。悪女石川は机の上にのらないほど男の写真をのせてあみだくじをしている。
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