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創作の軌跡

楽器を弾ける人が集まって、演奏する機会ができたなら、通常は共通の好きな曲を弾くことになる。いろんな人とそういう機会を持つことができたのはとても嬉しいことだ。ビートルズだって50年代の曲を多く演奏していただろうし、現代のプロのミュージシャンだってそうだろう。

ところが全員が歌って楽器を弾けるTAK, Johnnyで集まった時、コピー曲を演奏したことが一度もない。きっとこれまで三人とも気づいていなかったことだ。これからもする気がしない。する必要も感じない。

3人はそれぞれ別の音楽活動を持っている。TAKはヴォーカル活動、作詞・作曲。Johnnyはブルースバンド、作詞・作曲。僕は、聴く音楽はエレクトリック中心で、実験的音楽創作、作詞・作曲。そうすると必然的に、共通の好きな曲を演奏するよりも、それぞれの創った詩、曲をどう演奏するか、どう形にするかという話ばかりになり、コピーする話はまったく回ってこない。できてきたものをそれぞれが解釈し、足りない詞や足りないメロディーを補完して完成させるスタイル。きっと全員が聴き手(聴衆側)になることも話し手(演奏側)になることもできるからだろう。クイーンの映画で、フレディーがソロになった時、演奏者が(書きかえてもっと良くしていく作業として)意見をだしてこないことを嘆いて、クイーンというバンドが意見をぶつけ合って創り上げるスタイルであることを描いていたが、僕たちはそのスタイルとも違う。他のメンバーがもってきたものを書き換えたことがない。それぞれから出てきたものはリスペクトをもって素材にしていくスタイルだ。だから補完することはあっても、詩やメロディーを手直ししない。これは目指したわけではなく、最近気づいたことに過ぎない。

何かを創るのは難しい。プロだって、悩みながら行なっているに違いない。誰でも創れないときだってあるはず。そんな時は遠慮せずに別の道を歩んできた。でも、気づけばまた同じ場所にたどり着いて、新しい詩やメロディーを持ちよって、新しい世界への描写や叫びを奏でている。

僕たちの音楽活動の軌跡は、そんな創作活動の軌跡でもある。

そして、このnoteという場所も、僕の大切な創作活動の軌跡に組み込まれつつあるように思える。

創るのは難しい
創り続けることはもっと難しい
でも、創ったものが軌跡になっていった時
きっと新しい世界が見えてくるのだろう

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