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嗚呼、愛しの江戸前天ぷら

「そういえば、この一年で一番おいしかった食事ってなんだった?」
 久しぶりの両親との食事の席で、父の口を突いた不意の問いかけだった。スーパーでお土産に買ってきたちょっと良いお刺身が思った以上に新鮮で、おいしいねぇおいしいねぇと言いながら家族みんなで辛口の日本酒なんかをぐびぐび飲んで、またお刺身をつついて、頭の芯までアルコールの火照りが回り始めた頃。そういえば、と、なんにも「そういえば」じゃない父の問いかけ。
 一番おいしかった食事。
 一番?一番ってなんだろう。
 おいしいものならたくさん食べた。期間限定の割引につられて思い切って買ったケンタッキーのバーレル、仕事で疲れ果てて愚痴が止まらない僕に友人が振舞ってくれた桃とモッツァレラチーズのサラダ、同居人の誕生日に思い切って奮発したちょっと、結構、いい和食。みんなみんなおいしかった。
 でも、一番。一番かぁ。
 僕が逡巡している間に、母が間髪入れず「城田さんと行った吉祥寺のフレンチ!」と即答していて、父はがっくりと肩を落としている。たぶん父は、自分が母のために予約した何がしかのレストランが上がってくることを期待したんだと思うんだけど、相手が城田さんじゃあ仕方がない。母の20年来のご友人であるところの城田さんは、プロの専業主婦というか、お料理学校に通われていたこともあり、その手料理の完成度はすこぶるご近所の折り紙つき。もちろん舌も確かなこと間違いなし。その城田さんオススメのお店というのなら、これはもう間違いなしの名店なのだった。
「あのお店は本当においしかったわ。また城田さんがね、これは何々が入ってるのかしら、とか、ちゃんとこう分析できるのよね……私はただおいしいおいしい言ってるだけなんだけど」
 しみじみと噛みしめるような母の追憶に父が力なく「そっか……」と相槌を打っている。仕方ないよお父さん、来年。来年また頑張ろう。最近ますます薄くなってきた父の頭に漂う哀愁がやるせない。
「あ」
 そうして急に思い出す。僕の、きっと、たぶん、ここ一年一番の”おいしかった”。
「つな八のランチかも」

 友人に「お前の勤め先はベンチャー企業じゃない。ベンチャー企業はちゃんと成長して規模がデカくなる。だからお前の勤め先はただの零細企業だ」と一刀両断されたことのある僕の勤め先はつまりまぁ悲しいかな、そういう感じで、土日出勤もなんのその、驚きの連勤具合とやってもやっても終わらない仕事の山、ということがたまに、たまにある。繁忙期は特に。
 で、昨年の秋口、その「あ〜〜〜〜もうやってられっか!」が爆発しかかった僕が、振替休日の月曜日、いわゆる「自分へのご褒美」に選んだのが、新宿つな八、その名の通り新宿東口に総本店を構える、老舗の天ぷら屋さんのランチだった。
 「天ぷら、ちゃんとしたのって美味しいけど高いんだよね……」「っていうかぶっちゃけ高級料理の代表格でしょ、寿司、すき焼き、天ぷら」という僕らの予想を大幅に裏切り、つな八の平日ランチ(の、もうちょっとだけ正確に言えば、贅沢なコースじゃない方)は、揚げたて本式のとんでもなく美味しい天ぷらが、驚きの2000円以内でいただけてしまうのである。すごいぞ。
 初めて僕がこのお店を訪れたのは、確か僕がまだ中学生だか高校生だったかの時分の誕生日だった。何を思ったのか、父が随分と奮発して、この店の土日のランチ(こっちはちょっと高い)に僕を連れてきてくれたのだ。
 目の前で熟練の職人さんたちが天ぷらをあげていく流れるような動きに息を詰めて見入ったこと、それから目の前に供された天ぷらがとにかくおいしくて、世界がひっくり返るかと思ったことを今でもぼんやりと思い出す。反抗期ど真ん中だったのに、素直に「めちゃくちゃおいしい」と思って、妙に大人しくなってしまったことも。
 そういう意味ではこのつな八は、小さい頃から僕にとって、やはり特別なお店なのだった。

 正午すこし前に到着した新宿は、平日といえどもさすが乗降者数日本一を誇るターミナル、流石にそこそこの人出があって、店舗へたどり着いたときにはもうすっかりお店の外まで行列ができている。若干ご年配の方が多い列の最後尾に並べば、面子はおそらくご家族連れ、おひとりさま、お友達同士、ご夫婦、なんとなくみんなうきうきしている。そりゃそうだ、今からとびっきり美味しいものを食べるっていうのに、うきうきしない人の方が少ない。
 まだ見ぬ御膳に食欲を募らせているうちに、次々と笑顔でお店を出てくる第一陣のお客さんたち、そして入れ替わりで順調に吸い込まれていく待機列の人々。店員のお姉さんがからからと引き戸を開けて、暖簾から顔をのぞかせたその瞬間、鼻先に漂ってくる香ばしいごま油の匂い。もうこれだけで僕なんかは本当にうっとりしてしまう。とにかくこのお店は回転が良いのがすごい。だから「うわ、列できてる」と諦めずに並んでみてほしい。おそらく15分も待たないから。案の定、ほどなくカウンターにご案内いただく。
 大正13年創業の、かなり渋い外観を持つこのお店の中は、いつでもなんだか全体が、飴色にゆらりと輝いている。新品ピカピカのキラキラしたうつくしさとはまた別の、大事に大事に使い込まれたもののうつくしさ、というやつがあると思うのだけれど、本当に、時間の重みをしっかり吸ったお店だけが丁寧に磨き上げられて放つ輝き、みたいなものがあって、このお店を訪れる度に僕はそれをまざまざと見せつけられる。そして、これはやっぱり、そんじょそこらのお店には出せないうつくしさだなぁ、という気持ちにさせられるのだった。
 それにしてもこの日、つな八は大盛況だった。黙々とお膳にに向き合う方、天丼をかき込む方、ご友人とビールで乾杯、その隣では理想の老後を体現中みたいなご夫妻が2人でにこにことお銚子を開けている。
 そこでようやく気が付いたのだけれど、この日は折しも緊急事態宣言が明けて、最初の月曜日だった。店中に漂う浮き足立ったような気配は、つまり、ここ数ヶ月みんなが我慢してきた「おいしいものを外で食べることができる」「お酒を飲むことができる」「大事な人と食事ができる」喜びが爆発した、そのせいに他ならないのだった。そして、そんなお客さんたちの浮かれた気持ちに応えるように、お店の接客もまた、いつもに輪をかけて素敵なものになっていたんだと思う。
 カウンター席の内側で、流れるように次々と種を揚げていく職人さん(っていうのか……?)、機敏な動きで配膳に回る店員さんたち。けっしてうるさいわけではないんだけれど、静謐で上品な割烹みたいなものとは全然違う、活気のあるざわめきが店中に満ち満ちている。全部が有機的に繋がって、音楽みたいに鳴っている。
 欲望に負けて瓶ビールを一本お願いすると、カウンターの内側から、いかにも熟練、といった風情の職人さんが、「アサヒ?キリン?サントリー?エビス?」。丁々発止じゃないけれど、とにかく速くて軽快だ。忙しくて、忙しいから、これっぽっちも無駄がない。
 ちょっと考えてエビスを一本と、それからお膳をお願いする。あっという間に出していただいたビールをとくとく、小さなグラスに注いでいると、天つゆとお塩を運んできた別の店員さんが僕の手元に目を留めて、「あぁ、まずは一杯やってからがいいですね!失礼しました!」と、そのままにこやかに去っていかれる。
 こういうところだ。こういうところに、本当にぐっときてしまう。
 全然気取ってなくて、ちょっとべらんめぇで、でも本当はすごく良くお客さんのことを見ている。そんな人たちばかりでできあがったお店だから、星の数ほど飲食店のあるこの新宿で、何度だってこのお店に立ち寄ってしまうのだ。僕だけじゃなくて、きっと今、このお店にいるたくさんの人が、緊急事態宣言明けの最初の食事を、ここでいただきたいと思うのだ。
 ちょろっと喉を潤して一息ついたところで(またこの寒くなってきた時期のエビスがいい)先程の店員さんが、天つゆ、大根おろし、お塩、わさび塩をしつらえてくださり、「ご飯はお好きなタイミングでお声がけくださいね、おかわり自由ですんで、たくさん食べてってください」。にっこり。薫風吹き抜けるお兄さんの笑顔に心を打ち抜かれること甚だしである。秋だけど。
 次いでカウンターの内側から伸びてきた菜箸が、「はい、海老からどうぞ」。
 これです、この瞬間を夢見て終わらない週末を乗り切って参りました!
 揚げたての天ぷらは、衣がとにかく薄くて軽くて、その熱々サクサクに包まれた種はぎゅっと身がつまっていて噛みしめるほどじんわり甘い。あんまりお行儀が良くないかもしれないけれど、尻尾は塩をちょっとつけていただく。揚げ物の香ばしい油をしっかり味わったら、ビールで一度洗い流して、また新鮮な気持ちで新しいひとくち。たまらん。つな八さんは天つゆも割合さっぱりとしていて、口の中がもたつき過ぎず、いくらでも食べられそうな気持ちになるところが味噌だ。
 名残惜しい気持ちで海老を食べ終わる頃に差し出されるのは、お待ちかねのサーモン。
「秋鮭ですよ」と出してもらったそれは、なんていうか素材の味が本当に濃くて、焼き鮭なんてもう間違いなくそれだけで美味しいのだけれど、このさっくりした衣を纏うと、また違う食感の妙が生まれてたまらない。思わずひとり唸ってしまう。あっちでこっちで、追加の注文が飛んでいく。
 あぁ〜〜〜大浅蜊の香り揚げなんてあるんですかぁ、そうですか!唸る僕の後ろを、お酒を片手に店員さんが早足ですり抜けていく。誰もがそれぞれの持ち場でもって、テキパキ、動いて、働いている。
「遅刻してくりゃあよかったなぁ。こんなんじゃ午後には目が回っちまうよ!」「いやいや勘弁してくださいよ」
 カウンターの内側で、職人さん二人が軽口を叩いている。どれだけ軽口を叩いたって、二人とも、目の前の全てのカウンターにしっかり気を配って、お膳が空いたのを見計らったかのように次の天ぷらをすっと盛ってくれるのだから凄い。
 さくっとした衣の下から現れるホクホクの蓮根、細かく削られた鰹節が山程乗った、じゅっわっととろける葱、茄子に浅利と葱を挟んだ深川揚げ。ちょろっと垂らしてあるお醤油がまたじんわりと染み込んでおいしい。ご飯と一緒にいただくしじみ汁が四肢の末端にまでに行き渡っていく。顔中の筋肉が緩んでへらへらしてしまうのも仕方がない。お店の豊かな飴色に、自分自身の体も溶けていってしまいそうな気がする。
 なんとも凡庸な感想だけれど、幸せな食事だな、と、そう思ったのだった。おいしいものにしみじみと向き合える時間、あるいは誰かとそれを分かち合える時間。そしてきっと、おめでたい僕の勘違いでなければ、本当に久しぶりの大盛況に、お店の方もきっと、もちろん本当にお忙しかったと思うけれど、お客さんをもてなす幸せを感じてくださっていたんじゃないかと思う。
 誰もが幸せな、おいしい食事が、あそこに、あの時間、確かにあったと思うから。

「だからつな八のランチかな」
 もう完全にただの酔っ払いと化した僕のぐだぐだの説明に、父は「らしいねぇ」となんだか満足げに頷いている。
 あなたの「この一年の一番」は、どこですか?

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