点と点が繋がった。
15年前のバイトの先輩から5年ぶりに連絡が来てランチした。
ラインの整理していたら名前が出てきて連絡したらしい。
当時の記憶が蘇る。教えてもらった事。みんなで遊んだ事。服装なども影響受けた。
23歳の私には大人に感じた28歳の先輩。
2時間はあっという間だった。
「成長したね。会えて元気もらえたよ。今度はあの人も一緒にランチしよう」
嬉しかった。楽しかった。これが友達なんだ。
10年来の前職の戦友からの連絡。毎年の食事が今回は2年半くらい空いた。
8時間はあっという間だった。
今のお互いの状況。家族の話。仕事の話。。。。。
これが友達なんだ。
ここで終わりません。記憶が蘇る。友達ワード関連の記憶が蘇る。。。
「友達だよね」聞かれても「違う」と答えたら終わった彼女がいる。
「違う」といった意味は、相手を尊敬していたから。
当時の私の「友達」の意味は同じ目線で、同士で、仲間で。要は「対等に接せる人」が友達の意味だと思っていた。
なので、咄嗟に聞かれて出た言葉は自分の思っていた意味とは違っていたから、「違う」て言葉がでた。
尊敬していて大好きで憧れの部分もあったから。
私から見たら対等ではなかった。
(遠慮と配慮の意味を知っていたらこれまた違ったかな。。この話は後々。。。)
と、説明する間もなく。彼女は二次感情としての怒りをぶつけてきた。
説明する間があった彼とは、友達についてのお互いの考えを酒を飲みながら、深夜3時まで喧嘩した
その沖縄の彼とは今でも深夜3時まで飲める友達。
小さかったな~。狭かったな~。考え浅かったな~。言葉に反射してたな~。相手を傷つけていたな。。。
言葉に反射で反応すると、お互いの「言葉の意味」の捉え方が違う事が多い。
すれ違ったまま会話が進むことはとても怖い。
私が発した言葉が相手にどのように伝わるか考える。言葉に反射で反応しないこと。
大切だ。と気づかされたのは半年前。
実感したのは今日でした。