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FCSONHO川西 GMとしての最後のご挨拶

クラブからリリースがありました通り、2022シーズン限りでGM職を解任される運びとなりましたことをご報告いたします。

まずは、これまで島原と関わってくださった全ての方々、そして島原という人間を含め、クラブを応援してくださった皆様、誠にありがとうございました。

サッカー業界に初めて飛び込み、大変拙い運営でご迷惑をおかけした事も多々あったことと思います。
しかし、そんな僕やクラブに温かく接してくださった皆様には感謝の言葉もありません。

お世話になった皆様には改めてご挨拶させていただこうと思いますが、まずは今回の解任という結果に至った経緯を正直にお伝えさせていただこうと思います。

FC SONHO 川西のGMとしての最後の文章となりますので、どうかご一読ください。

解任された経緯

一言で言うと、「方向性の違い」なんだと思います。
正直、何故このような結果になったのか、僕自身わかっていないのも事実です。
これからの人生は「FC SONHO 川西」というクラブと共にあると信じていましたし、少なくとも2月中旬まで、僕の耳に解任の噂が届くまでは想像もしませんでした。気付いたら、全てのSONHOのアカウントにログイン出来なくなっていました。

記事にも何度も書きましたが、SONHOというのはポルトガル語で「夢」という意味で、本当に夢があるクラブだと思っていました。だからこそ、草サッカークラブ同然だったSONHOをオーナーの小川や選手達と共に0からチャレンジしてきました。

そんなクラブで僕が抱いた夢を叶える事ができず、志半ばで去ることになった事実は悔しくて仕方がありません。この記事を書いている今でさえ、涙が止まりません。それくらいに、人生を賭けたプロジェクトでした。

しかし、クラブの方向性とのギャップをこれまで全く抱かなかったのかといえばそれは嘘になります。予兆は昨年末頃から感じていました。

僕はSONHOにある1番の魅力は、真剣に「川西市への地域貢献」に向き合ったサッカークラブであるという点だと考えていました。

無礼を承知で書きますが、世の中のサッカークラブのほとんどは「なんちゃって地域貢献」のケースばかりだと思っています。(もちろん素晴らしい社会貢献を行うクラブも数多く存じ上げていますが…)

だからこそ、本気でホームタウンの川西市の抱える社会課題の解決に向き合う姿勢こそが他のクラブにない重要なポイントなはずだったんです。

越田市長をはじめ、行政の方々にも2021シーズンの終盤から大変お世話になりました。特に広報広聴課の西川課長にはクラブの広報でお世話になるだけでなく、プライベートで試合の応援に何度も駆けつけていただきました。
川西市の議員の方々にも様々な形で応援をしていただきました。
街の事業者の方々にも、感謝してもし切れないご支援をいただきました。
タウンマネージャーの方や川西市民の方々にも本当にお世話になりました。

そんな皆様の想いに報いるため、何よりも川西市のために、地域貢献を第一に考えてクラブ運営をしたいと関わった当初から強く考えていました。

しかし、この辺りの考え方について、どうも僕と他のクラブの人間の間にギャップがありそうだなと感じ始めたのが2022シーズンでした。
「川西市への地域貢献」を行うことに、果たして他のクラブの人間は本当に興味があるのだろうか?と疑問を持つこととなり。そのギャップが徐々に広がっていきました。

結果としてこの溝は埋まる事がなく、時間は経っていき。
そして、最終的にはこの溝が広がった末「解任」という結果に辿り着きました。

誤解を生みたくないので先に明記しておくと、この記事でクラブを批判する意図は一切ありません。
最初に書いた「方向性の違い」というのは、どんな組織でも必ずあること。
その思い描く方向性が、単純に僕とその他のクラブの人間とは合わなかった。それだけの話です。

よく、サッカークラブは船に例えられます。
皆で同じ船に乗って、同じ目標に向かって帆を進める。
同じ旗印のもと集まれる、本当に素晴らしいものだと思います。

しかし、船というのは性質上寄り道も難しく、行き先が違うのに共に航海するのは難しいもの。
皆と僕が目的地や方向性が違えば、僕だけ途中で船を降りる事になるのは自然なことです。
世界で一番クビになりやすい仕事はサッカークラブの監督だと言われますが、GMもそれに似ているかもしれませんね。あくまで雇われでしかないので、方向性が違えば切られても仕方がありません。

正直に言うと、冒頭にも書いた通り離れることなんて想像もしていませんでした。僕個人としてはやり残したことも山ほどあって、もっとクラブと共に川西市に貢献したかったし、上を目指したかった。
そして、島原という人間に期待をかけて応援してくださった皆様には本当に申し訳ないと思っています。

しかし、僕の在籍や解任なんてものはクラブのほんの一部でしかなくて。
これからもSONHOは長く続いていきます。
きっと、皆様の期待を背負い素晴らしいクラブに発展していくことでしょう。そのための決断が今回の解任なのであれば、この決断が川西市のためになっていくのであれば一人の人間の職なんて安いものです。

どのような方向性でクラブが今後戦っていくかは僕にはわかりません。
これまで僕が口に出していたようなことは起こらないかもしれません。
でも、変わらず戦い続けるクラブを皆様が応援してくださると本当に嬉しいです。これからも、僕の分までクラブと関わり続けてください。応援よろしくお願いいたします。

今後のお話

ありがたいことに、たくさんの方からご連絡をいただきました。
その中には「これからどうするの?」という心配の声もいただきました。
少しだけ、今の島原が考えていることを書きます。興味を持っていただける方だけ、もう少しだけお付き合いください。

今後のことは、まだ何も決まっておりません。
少なくともSONHOに関わりだしてからの僕は人生の全てをクラブに捧げており、他のことなんて考える余裕はありませんでしたから。

28歳無職です。

しかし、やりたい事だけはあります。
本気で、社会課題を解決していくことに向き合い続ける、社会貢献を持続可能な形で成し遂げる仕組みを創っていこうと考えています。
障がい者福祉や地球環境保全、フードロスの削減や教育の問題など…
知れば知るほど、やるべき事はたくさんあるなと感じています。

川西市や関わってくださった企業様と過ごした時間を通じて、僕の中で芽生えた感情があります。

「本当の意味で世の中の悩みを解決出来る人になりたい」

SONHOを創っていく中で、僕が常に発信していた想いがあります。
「サッカーは手段でしかなく、目的は地域貢献。川西市の課題解決だ。」
(結局、ここに関しての想いがクラブと一致しなかったため離れる事になったというのが大きな部分だったと個人的に感じていますが。)

この夢をSONHOでは実現出来ませんでしたが、個人的には人生を賭けてチャレンジしていきます。

スポーツ業界での仕事も続けていくとは思いますが、サッカー業界からは離れようと思います。
人生を賭けて本気で向き合ったクラブを離れるのに、敵に回って他のクラブで仕事を続けるのは関わってくださった皆様に不誠実な気がするので。
なので、サッカー業界を、あるいはフットボールを通じて世の中を変えたい!という夢へのチャレンジはここで終了です。昔からの夢だったのに、案外あっけないものですね。

川西市の行政の方や事業者の方々の中には、SONHOとしてだけでなく島原個人として仲良くしてくださっていた方もいらっしゃいます。
もしかしたらクラブが許されないかもしれませんが、可能な限り、求めていただける限りは川西市のプロジェクトに関してもご一緒させていただきたいなと考えています。

SONHOというクラブが僕がいなくなっても長く続くように、SONHOを離れても僕という人間の人生は長く続いていきます。

お世話になった皆様には改めてご挨拶に伺いますが、是非良ければ僕をご飯にでも誘ってあげてくださいね。大変喜びます。

最後に

改めまして、これまでFCSONHO川西を、あるいは島原を応援してくださった皆様本当にありがとうございました。
ご期待に応えられず、申し訳ありませんでした。

今後、僕に関わってくださった全ての方々と、FCSONHO川西の発展を願っています。

また会いましょう。

2023 2.28
FC SONHO 川西 GM 島原隼人

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