メディアリテラシーと異文化対話

みなさんおはよう、こんにちは、こんばんは、はじめまして、法政大学キャリアデザイン学部三年生ソウともうします、中国人留学生です。
ずっと前からアカウントを登録しましたが、はじめての投稿兼期末レポートで、どうぞよろしくお願いいたします。

はじめに


今回は主に報道の自由、異文化交流、そしてこの三年春学期をふりかえりして、経験したことや学んだことについてお話したいとおもいます。


自分は2020年の10月に一旦帰国しまして、2年の秋学期もたくさんのゼミの活動を参加しましたが、先生も他のゼミ生と一度も会うことが出来ず、今年はついに会うことができて、自分は本当に坂本ゼミに所属している実感がありました。

この春学期は学校にもどって、対面式の授業ができるとそうていして、中国から日本に戻りました。確かに何回学校で講義を受けることが出来ましたが、残念ながら、わずかな3,4回でして、合宿も遠いところにいけないということになりました。だが、オンラインでも様々なかつどうを参加することができまして、春学期を満喫していました。

「報道の自由デーフォーラム」

この春学期が参加したもっとも大きいな活動は「報道の自由デーフォーラム」でした。
この前坂本ゼミに入る前に一度参加したことがありましたが、実際に声出して感想や質問をいうのが初めてでした、ですので、春学期の「報道の自由デーフォーラム」を参加するのは初めてといってもいいのでしょう。
これをとおして、世界中の人々とつながることができ、武蔵野大学と同志社大学の参加者と意見交換することもできで、最初の発言にたくさん認められないことがありましたが、大変勉強になりました。


「報道の自由」とはなんでしょう。人によってこれに対する認識が異なっていて、
自由=思いやりに何しても良い?


私はこのことについて、多分一部の人と少し分岐がありました。


実はこの「報道の自由デーフォーラム」の参加を通して、わたしが学んできたことは他の参加者とだいぶちがうと思います、自分はその中唯一の中国人として、立場大きく違っていてるせいかもしれません。


国境なき記者団のセドリック・アルビアーニさんの発言実は個人的には全て認めることができませんでした。セドリック・アルビアーニさんの意見では「政府必ず報道の自由を制約しますので、自由を取り戻すように、政府の圧迫に反抗すべき」という意見を強く抱えているような感じですが(もしか違いましたら申し訳ありません。」。


私は報道の自由を求めることはとても大事ですが、もし責任感のない発信者やジャーナリストがいましたら、政府など、権威のある機関からの管理はさらに大事なんじゃないかなと考えております。


「報道の自由」を求めることはとても大事なことであり、更に多くの正しいニュースや記事が世の中に発信できるように、保護すべきものです。だが、秩序や管理のない環境の下で、一昧的に「自由」を求めていれば、その初心が失います。そのため、定められた範囲内での管理はとても大切です。

「自由」を求めすぎますと、オーエンが提出された「空想社会主義」と何か違いがありますのでしょうか。自分は国の政治形態に評価しませんが、「全て人の自制力に任せ、管理がなくても人々は欲望をなくし、自発的にいい社会を構築出来るように労働する」これは一番理想的な社会主義体制です。このような社会には、政府の管理がいらない、ルールはいらないことは叶えると思います。しかし、世界中の一人でも欲望がありましたら、それは決して達成することができません。したがって、これは「空想的」と言います。

ですが、セドリック・アルビアーニさんの発言の中で政府は少しも管理の作用を果たしてはいけなく、「報道の自由」を制限する以外何もできないです。
「報道の自由」は政府の一定程度以内の管理が必要とされていて、政府もメディアの力を借りることが必要です。
メディアは今の時代において最もスピーディーで、便利な発信手段ですので、誰でもそれを使う権利があります、逆に政府はメディアの力を借りないと、スムーズに運作できないことも必ずあるのではないかと思います。

以上は個人的な考え方です。

たぶん最初のセドリック・アルビアーニさんの発言に認めることができないことがありましたので、その後もすこしイライラしていまして、もう少しセドリック・アルビアーニさんに質問したかったです。
残念ながら、時間的な余裕がなくて、もしもう少し話し合う機会がありました、今の私の意見が少し変わることが出来るのではないかと思い出したが、これも凄くいい異文化対話の機会になると思います。

いまさらですが、自分のせいで「報道の自由デーフォーラム」を壊せなくて良かったと思っています。

異文化対話

異文化交流とは何か、ひとによって意見が異なると思います。私の場合では、毎日の生活は異文化交流ではないかとおもいます。

同級生やボランティア同士とコミュニケーションをし、意見交換し、毎日お互いの価値観を発信しあっています。異なる立場や文化背景の人と交流する間、相手のことを理解することができます。ですので、自分の留学経験によって、確実に異なる文化の人々と交流できて良かったとおもいます。

オリンピックフィールドキャストとメディアサポート

2018年日本に一年しか住んでないわたしはオリンピックフィールドキャストを応募しに行きました、そして運よくめんせつが通れました。一年押しましたが、2020オリンピックは成功に開催されました。


今回のオリンピックの開催には色々大変でした。最初に配られた役割はイベントサービスで、観客の案内の仕事でしたが、大会直前に緊急事態宣言がありまして、無観客形式のかわりまして、つまり、イベントサービスもいらなくなりまして、ボランティアの数は大幅に削ります。


でもせっかくの機会ですので、自分も諦めないで色々話し合った結果、わたしはPRS(メディアサポート)のグループに移籍することになりました!
(今でも絶賛活動中です!)


この機会で、世界中何十か国の記者さんとカメラマンさんと交流することができまして、日本語はもちろん、英語と中国語もたくさん使うことができました。
死ぬほど大変でしたけど、達成感と満足感はとても大きいです。

一番近いところで世界中の記者さんをサポートして、一番新しいメダリストを日本から世界中の国々に発信し、いくら遠い国でも、瞬間で日本にいるスポーツ選手と喜びや悔しさを分かち合え、これはどれだけ素敵なことなんでしょう。

今は無観客の形式ですので、各々の会場は関係者しか入れない状態になっております。したがって、さらに自分はとても幸運だと思うようになりました。

そして帰属感も感じてきました。海外で多くの中国人を見えて、そして金メダルを取った時国歌が奏でられたときはもちろん、その時は中国人としての帰属感ですが。いろいろの言語を使って記者さんやフォトグラファーをサポートするときはフィールドキャストとしての帰属感も非常に強いのです。
自分はグループ内唯一の中国語が喋れる人として、自分はオリンピックの開催に役を断つことができましたという実感で、とてもわくわくしました。

これまでは色々大変なことがありましたが、心の底から日本におめてとうって言いたくて、中国選手が金メダルを取った時、会場の他のスタッフが私に言ったように、その好意を返したいです。

会場内全ての人は誰でも微笑んでいて、国籍に関わらず、おめてとうって言い合えることは、確か私たちが一番望んでいる場面です。

オリンピックオリンピック会場はまるで一つ小さな地球のように、人々の距離が近く、言語の障壁は人によってあるかもしれませんが、表情やボディーランゲージで交流できます。したがって、これは最適な期間限定の異文化対話の場だと考えています。


異文化対話ができるこそ、相手は立場異なりますが、友善的であると感じられます。


インターネットで他国に対するデマや悪意のある文章が多いのは異文化対話が足りない表現だと感じるようになりました。

まとめ

この春学期はコロナのため、短時間以内昔のように戻ることができませんでしたが、とても充実した半年だと思い出した。

学校の講義だけではなく、様々な活動を参加し、異なる立場で、異文化対話の重要性を認識できてよかったです。

しかし今学期はあまり編集する機会がなかったですので、夏休みから更に自分の編集能力を鍛えたいと考えております!

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