近代文学という不幸 前編


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日本近代文学の悲劇は、苦い良薬であり甘い毒薬でもあったので獲得していた読者の英知が、伝承されなかった点にある。1945年の敗戦による文明の断絶は、文芸世界においてこそ、その影響が絶大だった。

やけのはらにされたのは国土ではなく、内面世界だったのだ。からだの反応としての、脳内現象として観測される精神と、霊的なたましいは、わけることがふつうだがドイツ語ならば、信念やハートや意志やソウルを指すそれらのこころは、同じものだ。

高度成長期に文化住宅や公営団地が過剰供給されたように、読まれもしない「文学全集」が乱造された。輪転機がまわれば何でも良かったのだろう。いまだにブックオフが受け取りを拒否するレベルの、ざつがみゴミの印刷に、ちまなこだ。消費者に必要とされていない製品をつくる意義はない。裁断するために製本している人々に、かける言葉はない。

現代日本人は、当事者として文人たちが発表し、同時代者が味わった文芸が起点となった文化ミーム、その時代の雰囲気やノリを継承したわけではなく、教科書や(図書館には置かれているが見向きもされない)文学全集を、漬物石や乾物のような古典として見ていることが多い。

ほんの100年前の(日本語の)テキストそのものと、向き合うことができる読書階層は、10万人もいない可能性がある。

良き古書店が営業できないほど書籍の品質はダウンした。しかし狂気の出版印刷産業は、マンガ喫茶や、創業者・坂本孝体制のブックオフなどを著作権侵害だとヌかしていたw。そのマンガ家たちは、いまメロンブックスや、まんだらけに本を売って糊口を凌いでいる。バカなのだ。

いわゆる本屋、新刊書店とは一次卸で、(すくなくとも神保町では)古書店こそが、いっぱんの読書家にとっての小売店の窓口だった。初物をありがたがる β テスターたちが、評判も定まっていない情報に金を出すのだ。当然だが書籍とは、なかみを確認できずに、前評判や PR イメージ、あるいは装飾で判断されて購入される。

店舗は綺麗でも、定期購読をしている雑誌の受け取り窓口にすぎず、 エ○本 の売り上げが純利の半分をしめる職種だ。版元の送ってくる商品をならべ、仕入れの質と量の目利きは必要のない労務(チャペックいうところの roboti )だ。

書籍ほど、憶測を根拠に取引される商品もない。書物の印象評価が十人十色であることに比べれば、骨董の世界など定額サブスクだと言えるほど、安定した価格(= 合意共有された価値 )で取引されている。

手垢のついた使用ずみの書籍でも文節を追わなければならない。社会構造上の他者評価に耐えて、なお再流通するネウチがあるものを求め、いきつけの古本屋を、にさん件まわる読書階層は少なくなかった。そんな流通実態がなければ、背取りなんて商売は成立しない。

古本屋にシェアされない見むきもされない書籍を、新刊で買うのか? にさんじゅうねんまえの本屋と古本屋との関係とは、前者で ○ロ 雑誌をさばき、後者(や図書館)に知の集積がある、すみわけがあった。それを破壊したのは、客と取次だ。犯人は私だというダイイングメッセージは何を意味するのか? 脳死だ。

下流の人間が水害を報告しても、濁流の放流をやめないダムだ。アマゾンプライムで配給される映画原作になる水準には、もう戻れないのだから、DMMから男優女優としてデビューすればよい。

循環が断ち切られた時点で気が付かないのは悪で、指摘しても悟らないのは愚劣のきわみである。事実を指摘する単語をもちいる発言者に対して、逆上する馬鹿があるか、馬鹿。

まあ、この程度の不幸は乗り越えられる。実像が知られておらず憶測にもとづいた、誤謬がたちこめているだけで、足を使い目で確認すれば、クリアになる真実は確固として現存しており、ガンダーラを目指すほどの大冒険はいらない。



二葉亭四迷のポートフォリオと経歴は、ほおづえをついた文豪ではない。香辛料を買いつけるバイヤーみたいなもので、あつかう商品が外洋の情報であるだけだ。レコード盤の個人輸入業者にちかい。畳の上では死なぬ漢であった。

漱石と鴎外は、官費留学生であり、そのうえの世代の福沢諭吉と勝海舟は江戸幕府によるアメリカ視察使節の一員だ。

森林太郎は、軍医の余暇と、退役後に鴎外の筆名をもちいた。夏目金之助も教職がながく、専業売文業者・漱石に変身するのは経歴の後半で、である。漱石じしんの文業も、門下生のコンテンツツリーも共に無視できない。体制側であることを批判しているのではない。逆だ。世界史上るいを見ないほど吝嗇で、税負担が重すぎるからという動機の反乱 = 一揆(特に、自由思想にもとづく革命ではない。食料とカネのもんだい)の鎮圧にあけくれた明治政府から、官職と俸給を受けていた。国家をパトロンとして出発したものだと指摘している。芸術家は自腹でやれ血税をもらうなって、太宰治ですら富豪の子息(ついでに平岡公威もボンボンで、未成年デビュー)なのに、ぜんいん30才で破産させる茨道に送りこむつもりか? アートはガ島に転進するためにやるものではない。

作家のブランドイメージを教条主義的にあがめるのは、文芸とそのとりまきが、ぼくもわたしも「作家センセイ」というものになってみたい志望者を釣りあげる情報商材に堕落していた証左だ。教祖とその囲みという祝祭イベントに参加したいのだろう。そんな客層を相手にする運営母体は、やりがい搾取にもなる。うらもおもてもぜんぶ出鱈目。とっくに握手会もないAKB48だったのだ。顧客の満足度を無視した表現活動があってたまるか。ストリップ小屋ていどの職業倫理が欠如している。ゆえに、とるにたらぬ阿呆を、あがめたてまつる悪癖が、あの業界にはあり、舌の肥えた客を満足させるサービスを、提供不能になって久しい。

まともな運営のオンラインゲームを味わうべき時代だ。

よだんだが初期の明治政府は、革命思想にもとづいた不満分子を監視抑圧していたのでなく、おなかをすかせた飢餓者の偶発的暴発に対し、鉄槌をもって対応したマレな組織である。兵糧を送るか免税すればかわせる(植民地の異民族へ、ではなく直轄地の発作的)暴徒に、派兵をするのだ。
一時的に融和政策をとれば、むこう10年間は納税し子供をつくるであろう民衆の蜂起に、苛烈な殺傷率の野戦および、首謀者の死体の開陳などをした。フン族なみの蛮行である。
日本史をとおしても異例だ。食糧難や重税は、内政経営の不足に由来しており、それに不満というか一時猶予(食っていけない状態がきわまるとやけっぱちになる)をもとめる声を、叩き潰すのだw。
「文句があるなら一歩まえに出ろ!」という啖呵が生ぬるく感じられる。これいじょうの徴税には耐えられないという訴えを容赦なく踏みつぶすのは、江戸時代が終わり東京時代がはじまってからの人物によるものである。

およそ墾田永年私財法であろうと、太閤検地や刀狩りであろうと、現状にそぐわない旧習を、ふさわしい新制度に更新しようという文化的改編の履歴である。その意味で日本史は制度改良の連続であった。政治的に対立する勢力を、暴力的に排除する政治闘争だけが人間の記録ではない。

江戸幕府を打破せんとする側の実質の最高指揮官 = 前線の大将であった西郷隆盛は、1877年に反乱軍の敗将として絶命する。それが明治10年であり、明治11年とは、その1年後である。内乱と混乱と暴力の背景を理解しなければ、この時代の連続性を理解できるわけがない。

( 後編につづく )


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