白昼夢 江戸川乱歩 R15+



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あれは 白昼の悪夢であったか?

それとも現実の出来事であったか?

晩春の なま あたたかい かぜが オドロオドロと

ほてった頬にかんぜられる 蒸しあつい日の 午後であった

用事があって とおったのか 散歩の みちすがらであったのか?

それさえ ぼんやりとして 思い出せぬけれど

私は ある場末の みるかぎり どこまでも

どこまでも まっすぐに つづいている

広い ほこりっぽい 大通りを歩いていた

洗いざらした ひとえものの様に白茶けた商家が だまって のきを ならべていた

三尺のショーウインドウに 埃で だんだら染めにした 小学生の運動シャツがさがっていたり

碁盤の様に 仕切った薄っぺらな木箱の中に 赤や黄や白や茶色などの 砂のような 種物を入れたのが 店いっぱいに並んでいたり

せまい 薄暗い うちじゅうが 天井からどこから、自転車のフレームやタイヤで 充満していたり

そして それらの殺風景な家々の間に挟まって 細い 格子戸の奥に すすけた御神燈の下った二階家が 

そんなに両方から押しつけちゃ いや だわという 恰好をして ボロンボロンと わいせつな しゃみせんの ねを 洩らしていたりした

「アップク、チキリキ、アッパッパア……アッパッパア……」

お下げを 埃で お化粧した女の子達が 道の真中に輪を作って うたっていた

アッパッパアアアア……という涙ぐましい旋律が 霞んだ春の空へ のんびりと蒸発して行った

男の子らは なわ飛びをして遊んでいた

長い繩の つるが、ねばり強く地をたたいては、空にあがった

田舎縞の 前をはだけた ひとりの子が、ピョイピョイと飛んでいた

その ありさまは 高速度撮影機を使った 活動写真のように いかにも悠長にみえた

ときどき 重い荷馬車が ゴロゴロと道路や 家々を震動させて わたしを おいこした
ふと わたしは ゆくてにあって なにかが起っているのを知った

十しごにんの大人や子供が 道ばたに 不規則な半円を描いて 立止っていた
それらの人々の顔には 皆いっしゅの 笑いが浮んでいた 

喜劇を見ている人の 笑いが 浮んでいた

ある者は 大口を 開いて ゲラゲラ 笑っていた

好奇心が わたしを そこへ近づかせた


ちかづくにしたがって 大勢の 笑顔と きわだった対照をしめしている ひとつの真面目くさった顔を発見した

その あおざめた顔は 口をとがらせて なにごとか熱心に弁じたてていた 

香具師の 口上にしては あまりに 熱心 すぎた

宗教家の 辻説法にしては 見物のたいどが 不謹慎だった

いったい これは なにごとが 始まっているのだ?

わたしは知らず知らず 半円の群集にまじって 聴聞者のひとりとなっていた
演説者は あおっぽいくすんだ色のセルに

黄色の角帯を キチンとしめた ふうさいのよい 見たところ そうとう教養もありそうな しじゅうおとこであった

かつらのように 綺麗に光らせたカミのもとに なかだかの らっきょうがたの 

あおざめた 顔 ほそい眼 りっぱな口髭で くまどった真赤なくちびる 

その脣が 不作法に つばきを飛ばして バクバク動いているのだ

汗をかいた たかい鼻 そして きものの裾からは 

砂埃に まみれた はだしの足が のぞいていた

「……俺は どんなに俺の女房を 愛していたか」

演説は いまや高調にたっしているらしく見えた

男は無量の感慨をこめて こういったまま しばらく見物たちの顔から顔を み廻していたが やがて

自問に 答えるように つづけた

「殺すほど 愛していたのだ!」

「……悲しいかな あの女は 浮気ものだった」

ドッ と見物のまに 笑い声がおったので そのつぎの「いつ よその男と くッつくかも知れなかった」という言葉は 危く聞き洩すところだった

「いや、もうとっくに くッついていたかも 知れないのだ」

そこで また 前にもました 高笑いがおこった

「俺は 心配で 心配で」

彼は そういって 歌舞伎役者のように 首を振って

「商売も手につかなんだ 俺は毎晩 寝床の中で 女房にたのんだ 手を合せて頼んだ」

笑声

「どうか誓って呉れ 俺より外の男には心を移さないと誓って呉れ……」

「しかし あの女は どうしても私の頼みを聞いては くれない まるで商売人のような巧みな嬌態で 手練手管で その場 その場をごまかすばかりです だが それが」

「その手練手管が どんなに 私を惹きつけたか……」

誰かが「ようよう 御馳走さまッ」と叫んだ そして笑声

「みなさん」

男は そんな半畳などを 無視して続けた

「あなた方が もし 私の 境遇にあったら いったい どうしますか? これが殺さないでいられましょうか!」

「……あの女は 耳隠しがよく似合いました 自分で上手に結うのです」

「……鏡台の前に坐っていました 結い上げた所です」

「綺麗に お化粧した顔が 私の方を ふり向いて」

「赤いくちびるで ニッコリ笑いました」

男は ここで ひとつ肩を 揺り上げて見えを切った

濃い眉が 両方から迫って 凄い表情に変った

赤い くちびるが 気味悪く ヒン曲った

「……俺は いまだと思った」

「この好もしい姿を 永久に俺のものに してしまうのは いまだと思った」

「用意していた千枚通しを あの女の におやかな襟足へ 力まかせに たたき込んだ」

「笑顔の消えぬうちに 大きい 糸切歯が くちびるから 覗いたまんま」

「……死んで しまった」

賑かな広告の楽隊が通り過ぎた 大喇叭が頓狂な音を出した

『 ここは お国を何百里 離れて遠き 満洲の 』

子供等が ふしに合せて歌いながら ゾロゾロとついて行った

「諸君、あれは 俺のことを ふれまわっているのだ」

「真柄太郎は人殺しだ 人殺しだ そう いって ふれまわっているのだ」

又 笑い声が起った
楽隊の太鼓の音たけが 男の演説の伴奏ででもある様に いつまでも いつまでも聞えていた 

「……俺は女房の 死骸を 五つに 切り離した」

「……いいかね 胴が一つ 手が二本 足が二本 これで つまり 五つだ」

「……惜しかった けれど 仕方がない……よく ふとった まっ白な足だ」

「……あなた方は あの水の音を 聞かなかったですか」

男は にわかに 声を低めていった
首を前につき出し 目を キョロキョロさせながら さも一大事を うちあけるのだと いわぬばかりに

「みなのかの間 私の家の水道は ザーザーと開けっぱなしにしてあったのですよ」

「 五つに切った女房の死体をね 四斗樽の中へ入れて 冷していたのですよ」

「これがね みなさん」

ここで 彼の声は 聞えないくらいに 低められた

「秘訣なんだよ」

「秘訣なんだよ 死骸を 腐らせない」

「……屍蝋というものになるんだ」

「屍蝋」……ある医書の「屍蝋」の項が 私の目の前に その著者の 黴くさい絵姿と共に 浮んで来た

一体全体 この男は なにをいわんとしているのだ 何とも知れぬ恐怖が 私の心臓を 風船玉のように軽くした

「……女房の あぶらぎった 白い胴体や手足が」

「可愛い蝋細工になってしまった」


「ハハハハハ、おきわめを いってらあ お前それを 昨日から何度おさらいするんだい」

誰かが 不作法に 怒鳴った

「オイ、諸君」

男の調子が いきなり大声に変った

「俺が これ程いうのが わからんのか」

「君達は 俺の女房は 家出をした家出をしたと信じ切っているだろう」

「ところがな オイ よく聞け あの女は この俺が殺したんだよ」

「どうだ びっくりしたか  ワハハハハハハ」

……たちきったように 笑声がやんだかと思うと 一瞬間に もとのき真面目な顔が戻ってきた

男は又 囁き声で始めた

「それでもう 女は ほんとうに 私のものに なり切ってしまったのです ちっとも心配は いらないのです キッスのしたい時に キッスが出来ます 抱き締めたい時には 抱きしめることも出来ます 私はもう これで 本望ですよ」

「……だがね、用心しないと 危い」

「私は 人殺しなんだからね。いつ おまわりに 見つかるかしれない。そこで、俺はうまいことを考えてあったのだよ 隠し場所をね」

「……巡査だろうが刑事だろうが こいつにはお気がつくまい」

「ホラ キミ 見てごらん」

「その死骸は ちゃんと 俺の店先に 飾ってあるのだよ」

男の目が わたしを見た

わたしは ハッとして うしろを振りむいた

今の今まで気のつかなかった すぐ鼻の先に 白いズックの ひおおい……「ドラッグ」……「請合薬」……見覚えのある丸ゴシックの書体 そして その奥のガラス張りの中の人体模型 その男は 何々ドラッグという商号を持った 薬屋の主人であった

「ね いるでしょう もっとよく 私の可愛い女を 見てやって下さい」

何がそうさせたのか わたしは いつの間にか ひおおいの中へ はいっていた

わたしの目の前の ガラス箱の中に 女の顔があった 彼女は糸切歯をむき出して ニッコリ笑っていた

いまわしい蝋細工の腫物の奥に 真実の人間の皮膚が 黒ずんで見えた

作り物でない証拠には いちめんに うぶ毛が生えていた

スーッと心臓が のどのところへ飛び上った

わたしは たおれそうになる からだを あやうくささえて ひおおいから のがれ出したそして 男に見つからないように 注意しながら 群集のそばを離れた

……ふり返って見ると 群集のうしろに一人の警官が立っていた 

彼もまた 他の人達と同じように ニコニコ笑いながら 男の演説を聞いていた

「何を笑っているのです キミは職務の手前それでいいのですか あの男のいっていることが分りませんか 嘘だと思うなら あの ひおおい中へ這入って御覧なさい 東京の町の真中で」

「人間の死骸が さらしものになっているじゃありませんか」

無神経な 警官の肩をたたいて こう つげてやろうかと思った
けれど わたしには それを実行するだけの 気力がなかった

わたしは 眩暈を感じながら ヒョロヒョロと歩き出した
ゆくてには どこまでも どこまでも はてしのない白い大道が つづいていた

陽炎が たちならぶ電柱を 海草のように ゆすっていた



( rewrite : ss )

曼珠沙華の名と、manju という 満洲語で民族名をさす語源は、ちかいのかもしれない。学名リコリス・ラジアータは シナ大陸原産で、秋に花をつける。赤いほうの花言葉は「情熱」「独立」「諦め」「悲しい思い出」「思うはあなたひとり」。白い花のほうは「また会う日を楽しみに」「想うはあなた」だそうだ。







底本:「江戸川乱歩全集 第1巻 屋根裏の散歩者」光文社文庫、光文社
   2004(平成16)年7月20日初版1刷発行
   2012(平成24)年8月15日7刷発行
底本の親本:「江戸川乱歩全集 第五巻」平凡社
   1931(昭和6)年7月
初出:「新青年」博文館
   1925(大正14)年7月
※初出時の表題は「小品二篇 その一 白昼夢」です。
※底本巻末の編者による語注は省略しました。
入力:門田裕志
校正:A.K
2016年6月10日作成
青空文庫作成ファイル:
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