THE STORY OF O-KAME

小泉八雲
田部隆次 訳


土佐の国 名越の長者 ゴンエモンの娘オカメは その夫ヤエモンを 非常に好いていた

女は にじゅうに ヤエモンはにじゅうご であった
あまり夫を愛するので 世間の人は 嫉妬の深い女だろうと思った

しかし男は 嫉妬されるような原因を 作った事もなかった
それで ふたりの間には いやな言葉ひとつ交された事もなかった
不幸にして オカメは病身であった
結婚後 に年にもならないうちに 当時 土佐に流行していた病気にかかって どんな良医も 匙を投げるようになった

この病気にかかる人は 食べる事も飲む事もできない ただ疲れて うとうとして 変な夢に悩まされているだけであった 

オカメは 不断の看護を受けながら 毎日次第に弱って行って とうとう自分でも助からぬ事がわかって来た
そこで 彼女は夫を呼んでいった


『私の このイヤな病気じゅう あなたがどんなに親切にして下さったか口でわ いえません こんなに よくして下さる方は どこにだってありません』

『私 あなたに別れるのが本当につらい ……考えて下さい 私わ まだにじゅうごにもなりません』

『――その上 私の夫ほど よい人は この世にはありません』

『――それでも私は 死んで行かねばならない』

『……いいえ 駄目 駄目 気休めをおっしゃっても 駄目ですよ』

『どんな お医者だって どうにもならないのですもの もう にさんかげつ生きていたいと思いましたが けさ鏡を見たら 今日のうちに 死んで行かねばならぬ事が分りました』

『――そう ちょうど今日です それで あなたにおねがいがありますの――私が安心して死んで行けるように思って下さるようなら――その願を私にかなえさせて下さい』

『ちょっと いってごらん、なんだか』
ヤエモンは答えた
『私の力で できる事なら、どんな事でも 喜んでして上げる』


『それが――あなたの ちっとも喜ばない事なんです』
彼女は答えた、
『まだ若いのですもの、こんな事をお願することは、中々――大変――むつかしい事ですわ、でもその ねがいごとは私の胸に燃えてる火のようです。死ぬ前に いわせて下さい。どうぞ。……ね――あなた、私が死んだら早晩、皆で あなたに奥様を持たせるでしょう、ね、あの、約束して下さいませんこと』

『もう にどと結婚はしないと、――おいやですか……』


『なんだ、そんなことか』

ヤエモンは叫んだ。

『ねがいごとというのは それだけの事なのか、それは何でもない。よし約束した、おまえの かわりは決して もらわない』

『ああ、うれしい』

オカメは 床から半分起きて 叫んだ。
それから うしろへ倒れた。

同時に彼女の息は絶えた。

オカメが死んでから、ヤエモンの健康は 衰えて来るようであった。
初めは その様子の かわりようを、人々は人情の悲しみの故と 解釈していた、それで むらびとたちは、

『どんなに あの奥様が気に入っていたのだろうなぁ』

と ばかり噂していた。
しかし 月がかさなるにつれて、だんだん あおじろくなり弱くなりして、遂には人間ではなく幽霊ではないか と思われるほど 痩せやつれて来た。
それで人々は そんなに若い人が こう急に衰えるのは 悲しみだけでは説明ができないと疑い出した。

医者たちの説では、ヤエモンの病気は普通のものではない、様子は何とも解し難いが、何か心の異常の なやみ から起っているらしいという事であった。
両親はいろいろたずねてみたが駄目であった。――彼の いうところでは、両親の知っている以外には、なんら悲歎の原因はないとの事であった。

両親は再婚をすすめた。
しかし 死人に対する「約束」は どうしても やぶる事はできないと いいはった。

それからあと、ヤエモンはやはり 日増しに衰えた、家族の人々は その生命を危んだ。
ところが ある日の事、かねて何か心に隠している事を信じていた母が、熱心にその 衰弱の理由を いってくれるように はげしく泣いて頼んだ、母の懇願には勝たれなくなって、ヤエモンは白状した。

『こんな事は あなたにも また どなたにも まったく いいにくい事です、すっかり申上げてみた ところで本当にはできますまい。実はオカメは あの世で成仏ができないのです、それから いくら仏事を行うてやりましても 駄目のようです。私も一緒に その冥土の旅に出てやらないと どうしても成仏ができないようです。オカメは毎晩 帰って来て、私のわきに寝ます。葬式の日から毎晩、来ない晩はありません。それで時々 本当に死んだのではあるまいと思う事があります、様子や行いは生きていた時と まったく同じですから、――ただ私に話をする時、小さい声で物を いうだけです。それから、いつでも、自分の来る事を誰にも いわないようにと申します。私にも死んでもらいたいのでしょう。私も 自分だけなら 生きていたくはありません。しかし、まったく おおせの通り 私のからだは 両親のもので、両親に まず第一に孝行しなければ なりません。それで、本当の事を みな申し上げるのです。……はい、毎晩丁度 眠りかけると参ります、それから明方までいます。鐘が聞えると出て行きます』

ヤエモンの母が これを聞いてびっくりした。
直ちに檀那寺へ急いで 寺僧に息子の告白の一切を話して 助力を乞うた。

高齢で、経験を積んだ寺僧は その話を聞いて驚く色もなく、彼女に云った。

『こう云うことは 時々あるものです、始めてではありません、それで御子息も助けて上げられると思います。しかし今 大層危い処です。愚僧の見る処では、お顔に死相が現れています、オカメさんがもう一度 帰って来れば、もうそれきりです。それで即刻やるべき事をやらねばなりません。御子息に黙っていて下さい、大急ぎで双方の親戚を集めて、寺へ来るように云って下さい。御子息のために オカメさんの墓を開けねばなりません』

そこで親戚は お寺に集った。
墓を開く事を 一同承諾したので、僧は一同を墓地へ案内した。

そこで、その指図に随って オカメの墓石は わきへやられ、墓は開かれ、棺は上げられた。
棺の蓋が取られた時、居合わした人は 胆を寒くした。
それはオカメは病気の前と同じく綺麗に、顔に微笑を浮べて一同の前に坐って、――彼女にはなんら 死のあとはなかったから。
しかし僧は棺の中から、死人を取り出す事を人々に命じた時、驚きは恐怖となった、それは長い間 正坐の形を取っていたにもかかわらず、その死体は触わると生きているように暖かく、しなやかであったから。
それを葬場へ運んで、僧は筆を取って 額と胸と手足に 何か聖い功徳のある梵字を書いた。
それから その屍をもとの場所へ葬る前に、オカメのために 施餓鬼を行うた。

彼女は ふたたび 夫のところへ 来なかった。

ヤエモンは次第に 健康と力を 回復した。
しかし 彼は いつまでも その 約束 を守ったかどうか、それは 日本の作者は書いていない。


( rewrite : ss )


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