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夏に思い出したこと

私にとって春~夏はちょっと憂鬱である。
自分で全ては選択したことだけど、その時期になるとどうしても思い出してしまう。その連鎖でその半年は気分が下がりやすい。悪夢も見やすい。
(普段話すときはそういうことは話さないようにはしているが、にじみ出てはいると思う…思う…)

人に迷惑をかけたこと、できていなかったことや過ち、罪にばかり目が行きがちだ。もちろん、迷惑をかけた、過去に犯した過ち・罪はよくないことだ。結果、たくさんの人に迷惑をかけた。けど、それをずっと引きずっているわけにもいかないと思うのだ。

確かに私は若い頃、自分の身体を消費した。あらゆる意味で恐怖した。車で、そういう場所で自分の心を削った。
しかし、そう恐怖をする私を救ってくれる人は誰もいなかった。手を差し伸べてくれる人はいなかった。仮に手を差し伸べてくれたとしても、その手を振り払っただろう。「自分で選択したんだ!」と意固地になっていたことだろう。
(いいか?せめてな…とは思う。せめて言える勇気がほしかった。なぜあのときの私はそのような決断をしたのか…)

けど、常にそう(自分を消費していた、恐怖していた、削っていた)ではなかったはずだ。

なぜ私は夏祭りが好きなのか?花火が好きなのか?人が集まる、提灯で照らされたあの場所が好きなのか?
(基本は冬派です。夏は苦手)

夏祭りの浮かれた大人たちから逃げ回るのが楽しかった。
本当は花火をしちゃいけない公園でこっそり花火をしながらくだらない話をしているのが楽しかった。
ちょっと離れた公園でお酒を飲みながら他愛のない話をするのが楽しかった。

当時、つるんでいた地元の友人は嫌いじゃなかった。私を等身大で見てくれているような気がした。大人で冷静な私という風には見ていなかった。同い年の美湖という一人の人間として見てくれた。気がした。


大事な記憶は、悲しい・寂しい記憶の炎の種なのだろう。その炎が鎮火したとき、その灰の中に本当に大事なものが隠れている。

そんな感覚が今日はあった。


May the wind be ever at your back

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