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なぜ青信号というのに、英語だと「GREEN」なのか

信号は赤色、黄色、緑色と並んでいる。しかしあまり”緑信号”と言うことは少ない。青信号という。でも英語だと「GREEN」である。緑である。これだけ見ると、海外は緑と言っていて、日本は青色と言っている風に感じられる。
なぜ日本では緑信号ではなく、青信号というのか。その理由を考えたい。

まず私は日本人の眼の遺伝的な問題で、緑色を青色と認識しやすいのではと考えたが、ネットで調べた限り、そういう人種の遺伝的な話ではないらしい。では何が違うのか。遺伝的な問題ではなく、日本人が青色と捉える範囲が広く、緑もそれに含まれるため、青と呼ぶというのが私の結論だ。どういうことかということを、これから説明していく。

まず下の図を見てほしい。これは色相環(しきそうかん)という。

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青はどこにあるだろうか。時計で言えば6時のところにある。それでは緑は?大体4時の方向。青より右側にある。では赤と黄は?赤は12時、黄は2時くらいのところにある。
日本人は古来より3時くらいから8時くらいの色を、青と呼んでいた。だから4時のところにある緑を青と呼んでいたのだ。
ではなぜここまで範囲を広く青と呼ぶのかを説明していきたい。

日本は平安時代より、色を4色として認識したようだ。その色は白、黒、赤、青色である。
白と黒は「昼」と「夜」を表していたのではないだろうか。そして赤と青は、「暖かさ」と「寒さ」を表していたのではないだろうか。なぜこの4色だったのかは推測の域は出ないが、日本には四季があり、自然豊かな国土から察するに、昼と夜、そして寒暖差とは切っても切れない関係ではなかったのだろうかと推測する。

これを見てお分かり頂けたかと思うが、この4色の中に緑は含まれていない。一番近い色が青である。だから日本人は緑と認識するのではなく青と認識していたというのが私の意見である。

ここで、「いやいや日本は自然が豊かだから、緑色に溢れているじゃないか。やっぱり緑も色として意識していたのではないか」という指摘をいただきそうである。

しかしここで考えていただきたい。「青々とした葉っぱ」、「青野菜」と呼ばれるように、これらはどれも新鮮で瑞々しい感じを想起させる言葉たちだ。
青には新鮮で瑞々しく、そして若い印象がある。(青二才など) なぜ青にこういったイメージがあるかというと、青→水や海→瑞々しいとなるからである。瑞々しい→若いという連想のパターンもある。青には、「始まり」、そして「生命力」を感じさせる力がある。これが、自然や樹木などに重なり、それらを包含する形で「青」となるのである。要は、緑の瑞々しく生命力がある感じは、青が持つ命、瑞々しさとイメージが一緒でしょう、ということなのである。

それでもこんな反論を受けそうである。
「うーん、なんとなくわかったけど、自然豊かな国なんて他にもあるし、日本だけっていうのは納得できないなあ。もっと他の国も、青と認識する領域が広そう」と。
ここで紹介したいのが波長の考え方である。下の図を見ていただきたい。

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可視光線(目で見える光)には波長があり、人間の目では380nm(ナノメートル)から780nmまである。380〜500が青色、500〜550くらいが緑色、550〜580が黄色、700〜780が赤色に見えるというものである。

もう一度最初の色相環を見てみよう。

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赤、黄、緑は
12時、2時、4時の位置にあり、ちょうど1個ずつ間隔を空けている。これがちょうど色を識別するのに役立ち、色がくっきりと見えるという理由から、信号はこの3色らしい。
また、周波数の図に戻ると、赤、黄、緑は500〜780nmのところに位置し、周波数が高い。周波数が高いということはそれだけ分子の波が頻繁に動いているということになり、目への刺激は強い。これにより色を強く意識するようになるからという理由もある。

こうなると、海外の方がより色を認識させるために赤、黄、緑という色を選択し、合理的かつ論理的。日本では色の見やすさよりも、青に対するイメージが強いということで、イメージ重視、芸術的となるかもしれない。青は若く、生命力があり、落ち着かせてくれるもの、そのイメージが頭に強くあるから、緑も青に見えているのかもしれない。
となると、他の国で信号を青と認識するところがあれば、短絡的かもしれないが、論理や実利を重んじるよりも、情緒的で芸術的な国となるのかもしれない。
別に日本人が情緒的だとまでは言わないが、日本人は情緒が豊かであると言って、違和感を感じない自分がいることも、否めない。

今日は以上です。お読みいただきありがとうございました。

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