母親はいつも「ケイコが売れちゃったらどうしよう?」って嬉しそうに言う

築50年を超えるどでかいお家に住んでいた小さい頃、玄関先のさくらんぼの木の実を食べたり 一般家庭にはありえない大きさで空を泳ぐ鯉のぼりを出したり 庭に家庭用プールを出して そのそばで兄とバドミントンをしていた姉が躓いてプールに落ちたり 冷房を効かせた狭い部屋で兄姉と夏休みの宿題をしたり 仕事から帰ってきたお兄ちゃんの部屋に走って行ってアイスをひとくち貰ったり こたつに入ってファミコンやプレステをしたり 家族みんなで広い庭の雪かきをしたり 祖父の別荘に旅行に行って水族館や海に行ったり 雨が降った日には地面を掘って雀のプールを作ったり わたしはそんなおうちで育ちました

わたしはずっとそんな家族のことが自慢だったし大好きだった、古くてぼろくて家鳴りの止まない汚いけど大きいおうちに5人兄弟の末っ子として生まれて わたしだけが歳が離れていたこともあって 存分に甘やかされて生きてきたと思う

でもそれもずっとそのままなわけじゃなくて、当たり前だけど全員少しずつ大人になって 進学 結婚 出産 引越し 小さなできごとの積み重ねでわたしたちは少しずつ 自立 したり、家族や兄弟としてではなく ひとりの人としてぶつかり合って疎遠になっていく、寂しさをわたしは末っ子として最後まで抱き続けていた、(というか、今も)

そういうものの延長戦 日々のもやつきやごたつきの積み重なりと アイドルになった生活の変化と 学校を不登校になったことによる不安定さが 運悪く重なったわたしは アイドルになってから 家族との関わり方がめっきり変わって、家族の誰とも口を聞かなくなった

家族の中でわたしだけが なんとなくちょっとイレギュラーな子だということはなんとなく分かっていた 卒業してまともに就職しなかったのも 髪を染めるのも ピアスを開けるのも メイクをするのも 表舞台に立ちたがるのも 芸能活動に興味があるのもわたしだけで だから多分家族からしたらそういうわたしは不安要素があまりにも多すぎたんだと思う



わたしのツイッターをご存知の方なら少しは知っているとは思うのですが わたしは母親とめちゃくちゃに仲が良いし、そこそこ変わり者な母親のことがわたしはめちゃくちゃに好き。

ただこんなに今は仲が良い母親も デビューしてから一年ほどは本当にほとんど口を聞いていなくて、わたしのデビューと同じ時期に母も生活がかなり変化したこともあって お互い余裕なんてまるでなかった 分かり合えないお互いのことを上手く噛み砕けずぶつかり合うばかりで 泣きながら怒鳴りつけた日もあったし そのうちわたしは 分かりあうことを諦めるようにすらなった 

ライブ帰りに運営さんとメンバーとご飯に行った時は 家族と口聞いて無いです、あはは、なんて笑い話にして アー写撮影で夜遅くなった日は メンバーが全員帰った後もわたしは終電ギリギリまで残って 家帰りたくないです、学校も行って無いです、お仕事がいちばん楽しい、お仕事以外のこと考えたくないです、って話を聞いていただいたりまでしていた 運営さんにもご心配をおかけしていたこと、今申し訳ない気持ち


でもSOMOSOMOが いつでも本気で向き合えるメンバーや ファンの皆様や 信じてくださる事務所の方々 わたしたちに期待を込めて力を貸してくださる外部の方々のおかげで少しずつ大きくなって 1stアルバム『FIRST IMPACT』をリリースした頃から わたしと母親は少しずつまた前のように関わり合えるようになって わたしも仕事の話をするようになった 

それまでナマモノであるライブでしか表現できなかったわたしの毎日が CD という形になったことはすごく大きなことだった

CDを何枚も買っては わたしの小中高の担任の先生に送るんだ、ってひとつひとつ梱包して これはわたしのにするからサイン書いて!って 娘なのにサインをせがんだりまでして 12月に出したシングルも買って 歌詞カードを見て すごい難しい歌詞を書くのね、って褒めて またわたしにサインをせがんできて 最近なんてわたしがいない時夕飯の支度をしながら『群青のパレード』を聴くらしいし なんなの、ほんとうに、もう



アイドルになる前 原宿の今はもう無い小さな劇場で 今のプロデューサーと事務所の方とわたしとわたしの母親で面談をしたことがあった その日の帰りの電車の中 わたしの左隣に座っていた母親がこんな話をし始めたあの視界を、わたしは未だに鮮明に覚えてる。

「昔、ケイコがオーディションに応募したいって言ったことがあったでしょう」

母親がそれを覚えていたことに驚きだった 確かにわたしは小学生の時 1度だけ、タレントのオーディションに応募したい、と 親に話したことがあった 結局締め切りには間に合わなかったけれど、

「あの時お父さん、ケイコのいないところでは『やれるもんならやってみろ』って言ってたの。だからケイコがアイドルになるって聞いて、ちょっと、やってやれ、って思っちゃった」


母親はいつも人間味があるところがめちゃくちゃに好きなんだ 変わり者だけど 常識や普通や世間一般の言葉や思考より 自分の正しいと思うことをいつだって芯に持っていて それは違うと思う、ってちゃんと言えるような人 学生の頃 部活内で間違ったやり方をした人に正論をぶつけて後輩を引き連れて部活を辞めちゃうような人だし 嫌なことがあると冷蔵庫を開けて「負けないから」って呟いちゃうような人だし そういう人だからわたしも母親と娘じゃなくて ひとりの人として尊敬しているしぶつかり合うし その上でこの人にだけは一生叶わないなあ、って思う

まあそういう頑固で無駄に折れにくい性格に似てしまったわたしだから 人から反感を買いがちな自覚はあります すいません 母親のせいです えへ 


ケイコが有名になっちゃったらどうしよう?売れちゃったらどうしよう?って 数日に一回は必ず漏らす母親は いつもなんだかちょっと嬉しそうでおもしろい わたしが有名になっちゃってもそのままでいてよ、着飾らないそのままのあなたが良いし 多分それでいてくれたら わたしもこのままでいられる気がする 優秀すぎる兄弟の中でいちばん不安定な場所に 飽きもせず諦めも悪く 立ち続けるわたしのこと 見捨てないでちゃんと見ていてくれてありがとう、言葉を口にするのが苦手で 言いたいことを言うのが苦手で 上手く伝えられなくてぶつかってしまうから 目に見える言葉で、




お誕生日おめでとう、これからもよろしくね

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