関係性を理由に何かを強いたら終わりの始まり。
みなさま、お疲れ様でございます。
若干ややこしい題材ですが、例えば「友達なんだから、○○すべき~」とか、「上司/夫婦なんだから、○○してくれ」みたいなことです。
これがまぁ・・・よろしくないかもなぁと感じたので、つらつらお話ししていけたらと思います。
1.そもそも「関係性」×「強制すること」は何が悪い?
一概に全てが悪いとは言えないのですが…ドラマや漫画、現実世界でもこの文脈で痴話げんかを見かけることが多々あり、、笑
一旦この場では、「悪いこと」と位置付けさせて頂きます。
では早速、何が悪いのか?ですが、結論、”仲たがいや衝突が生じやすい”ことが悪いというか、困ることかなと思います。
これはまず、関係性の定義が人によって異なることで、すべきこと、やってほしいこと等、各々が相手に望むラインも比例して異なります。
その意識のギャップが、時に勝手な期待を生み、時に思いもよらず信用を損ねることになります。下記、簡単に図解しましたのでよかったら。
2.関係性の呼称ってあやふやじゃない?
図解にもあるようなすれ違い。あるあるかと思います。
ここで私が思うのは、関係性の呼称っていっぱいありますけど、定義が人によって異なるのってちょっと困りません?笑
夫婦(家族)、友達、親友、幼馴染、義兄弟、上司部下、先輩後輩…などなど。これ全部大体の定義はあれど、基準は人それぞれなんですよね。
私は以前の記事にも書いた通り、基本気にしいさんなので、ゲームみたいに一緒に何かをこなしたタスクの数や、質で、友達レベルを可視化できたらいいのに。と思ったことが何度あることか。笑
※詳しくはURL参照(”どう見られているのか”を考えすぎて疲れ切ってしまう話)
その上で、お互いがその関係性を名乗る時、どんな制約が課せられるのか、双方に求めることは何かを事前に把握できれば、人間関係ってよりスムーズにいくのではないか。等と情緒のかけらもないことを考えてしまう私です。
その不完全さや、不安定さに人間味が溢れてて楽しいのにね。と思った方、それは仰る通りだとも思います。笑
3.自分にとっての当たり前は、自分の世界だけ。
本項目の表題は、本当に大事な前提だと思います。
「当たり前」や、「普通」などの言葉が、今も当然のように使われていますが、ひろ〇きさん風に言えば、「それってあなたの感想ですよね」の一言に尽きます。
これを自覚しているかしていないかで、人に対する接し方は180度変わるのではないかと。
仮に自分の中での「当たり前」が、自分ルールのように曲げられないものであるならば、そこに適した人と付き合っていくか、気持ちにそっとしまい込み、その規則を逸脱されても、許せる器量を持ちましょう。
外部に発散しないことで、かかるストレスは計り知れませんが、みなさまの人間性は必ず厚みが出てきます。きっと。たb…(殴)きっと。
これまで築いてきた関係を、無理せず末永く、大事にしてくださいね。
本日も皆さま、お疲れ様でございました。
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